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昨年の12月末に、2人目の孫ができて、さらにお爺さんとなりました。

赤ちゃん誕生の最初の意味は、彼にとっては、天と地の誕生です。

地については、歩くことも這うこともまだまだできません。

天は、何処まであるのか、無限大の天を手に入れた証拠が、誕生なのです。

人間にとって、誰でも、どんな人でも、誕生は天と地の誕生でもあるのですから、この意味を大切に持ち続けて欲しいのです。

よく「上を見たら切りがない!」と思うかも知れません。天は切りがありません。それだけ豊かな存在であり、人を導くのです。

その切りがない天にまみえるために、やがて年数が過ぎて、1人、お尻をドカッと据えて、眼を半眼にして、1メートル先を見て見ない。

身体や意識が無くなるまで坐して欲しいのです。

2024.02.20 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ログインにずっと出来ず、今日やっと、開けることが出来ました。


2024.01.31 Wed l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小学校の六年生が卒業したと思ったら、いきなり高校三年生の卒業だった!
何て変化が起こったら、どう思いますか?

この意味わかる人いますか?
数万人の人が感じている気持ちかもしれない?
深川の人にとっての、6年ぶりのことです。



答え、6年ぶりの本祭り
2023.02.19 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
エンデのメモ箱上の113頁に、「年老いた山男」があります。
小品といえば小品なのですが、何とも楽しい。
 少し、削って足しましたが、下記に書いてみます。

「その山男は、まだ山に登ったことがない。このことを根拠?にして、だからこそ、公平な立場?から言えることもあるという。
 山男は、一般的な山登りには、一つだけ欠点があるという。それは短所ともなって、山に登ったら、「谷へまた降りて行かねばならないことだ」と、いう。
 その理由は、「下から山に登った成果が、下山することで、成し遂げた成果が相殺されるからだ。」という。

 彼は、これより比べものにならないほどの、実りある方法があると豪語した。
「これを出来る者は、今では少なくなった。
 山頂から下山に始まり、どんどん下に降りて、地表よりも下におりて(ちなみに坑夫の呼び名はこのことからくる)、年齢や死のほかに限界がないのだと。
 しかもそれより1メートル2メートル深く降りた者はいないと。
 だけど、彼は、この仕方に未解決な、新たな問題があるとも言う。
「下山者が、はたしていつか山頂に、戻れるかという問題だ」。
 この問題を誰も突き止めていないし、突き止める気もない。
 だが、これは学術的に文句なく証明されているぞ。つまり、これらの者たちは、下山を始めるまえには、まだ山頂に登っていないということじゃ」と。

 何とも奇妙なお話でした。
2022.11.15 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
《「何世紀が過ぎても、人間の生命の幸福という謎は、大多数の人にとって、やはり未解決の謎でありつづける。

にもかかわらず、謎はもうとうの昔に解かれていたのである。」と。


そして、さらに。 「お前は、みながお前のために生きることを望んでいるのか、みんなが自分よりお前を愛するようになってもらいたいのか。

 お前のその望みがかなえられる状態は、一つだけある。

 それは、あらゆる存在が自分よりも他を愛するようになる時だけだとしたら、お前も、一個の生ある存在として、自分自身よりも他の存在を愛さなければいけない。

 この条件のもとでのみ、人間の幸福と生命は可能となり、この条件のもとでのみ、人間の生命を毒してきたものが消滅する。

 存在同士の闘争も、苦痛の切なさも、死の恐怖も消滅するのである」と。


 結局、人は、自分自身のことに囚われてしまったら、どうして自分が生きているのかよく分からなくなるんだ。

 自分のことを後生大事に考えようとしたら、その思考の最初の最初でつまずいて身動き一つできなくなってしまう。

 … それではなぜ人間は生まれさせられたとお考えになりますか。

 多分育つためでしょう。

 総ての人をみていますと育っていきます。身も心も年毎に育ちます。

 もし育たないものがあったら亡びます。死にます。死なないものは育っていくでしょう。

 だから、人は育つために生まれさせられたと第一番に考えます。

  その育つためにはどうすればいいかを第二に考えます。

 育つためには相反する二つを組み合わせて調和をとることですね。

  空気を吸うたら、必ず次に吐き出す。真夜中もやめず、決して面倒くさがらず、必ず二つを調和させる。

 食うたら減らす。減ったら食う。起きて、寝る。寝たら起きる。

 これを元気よく、明るく、とどこおりなく、くり返し、調和させる。

 これが育つための日々の条件ではないでしょうか。

  人間の世の中も今日まで育ってきましたのは「生まれて、死んで」「死んで、生まれて」。

 幾度も生まれかわって今日の姿まで育って来たと教えられています。

 こう考えるとすべてが相反する二つの対立と、これを見事に調和させるところに生まれさせられて育つ道があるのではないでしょう。……》

 これを考えるのは自分なのでしょう。

わたし達にとって、一番大切な命という問題に、誕生したことを受け入れたという認識が無いことは、赤ちゃんが証明しています。

突然のオギャーという叫び、ここから始まったのです。

そして死は、死んだという認識を持てない事実、訪れることの不確かなものを不確かなまま受け入れる時間を、認める、確認する能力を持ち合わせていないのではないかとも思います。

2022.10.01 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
歩くときは、前に一歩、その一歩は即後ろに。だから一歩一歩と歩むのです。

真っ直ぐの姿勢に、自分のお尻を触ってみたら、筋肉が固かった。

右足一歩を前に踏み出すと、右足のお尻の筋肉は、柔らかい。ついでに左のお尻の筋肉は固かった。

次に左足を踏み出すと。左のお尻の筋肉は柔らかい。すると右足のお尻の筋肉は、柔らかい。

そんな、阿保みたいなことを考えていたら、歩くって、人間のおしりの筋肉は、互いに、固くなったり、柔らかくなったり、それが歩くということと気づく。

何も、新発見と言うことではないが、面白い。

吸ってる息も、吐く息がなければ、成り立ちませんが、空気を吸うとき肺に使われている筋肉は、固くなる。すると吐く息のときは、自然と筋肉は柔らかくなる。

当たり前のことだが、気づいてみれば、面白い。

これは以前のことだが、動くっていうことは、動かないものに支えられて動くことを知った。

踏み出す一歩、ドアーの構造も、ふすまや障子の構造だ。

筋肉は固くなることで力となり、身体やものを支える。

もちろん歩行には一歩を押すために、踏み出さない足の爪先の地べたをつかむ力が必要です。

そのために筋肉は固くなる。

柔らかくなることは、力が要らないので、例えば、坐禅のように身体の構造自体に安定をゆだねればよいわけです。

筋肉は、固くなることで形を作り、柔らかくなることで動くか。




2022.09.22 Thu l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
詩人のまどみちおさんに、「もうすんだとすれば」(まどみちお全集1992年理論社)という詩があります。
もうすんだとすれば これからなのだ
あんらくなことが 苦しいのだ
暗いからこそ 明るいのだ
なんにも無いから すべてが有るのだ
見えているのは 見えていないのだ
分かっているのは 分かっていないのだ
押されているので 押しているのだ
落ちていきながら 昇っていくのだ
遅れすぎて 進んでいるのだ
一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
やかましいから 静かなのだ
黙っている方が しゃべっているのだ
笑っているだけ 泣いているのだ
ほめていたら けなしているのだ
うそつきは まあ正直者だ
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
利口にかぎって バカなのだ
生まれてくることは 死んでいくことだ
なんでもないことが 大変なことなのだ
まどみちおさんの詩なのですが、この詩の一つ一つを、例えば、「なんでもないことが、大変なことなのだを、大変なことは、何でもないことだ。生まれてくることは、死んで行くことだは、死んでこそ生きることだった。
ほめていたら、けなしていのだは、けなしていることはほめていたことだったと。
この19のつぶやきの、一つ一つの間は、対立しているのだろうか?まてよ、逆さまに入れ替えても、意味が深くなっていることに気づきます。
まるで一枚の紙の、裏と表のようにある、思いという意識も、一枚の紙のように裏と表が、ひっくり返って、人を動かしているようにも思えます。
しかし、この相反する問いかけを深さや溝と考えれば、そして溝の深さと考えれば、測ることが出来ない谷間のような、しかも、人は相反して相即する谷間を、ひとっ飛びに飛び越えたり、深さにはまって、もがく姿が浮かびます。
多くの事件が報じられますが、事件の加害者被害者も、ひとっ飛びに飛び越えたり、深さにはまって引きずられた人の起こした事件に、巻き添えになってもがく出来事、何があるか解らない気がするのです。
この詩の中の、相反する意味のはざまで、決して口に出して語れる内容ではないように思えるのです。
この詩のような、相反する判断を、いつも含んでいると考えられます。
相反するモノとは、矛盾であり、その矛盾に気づくとき、人は黙って、たくましく生きていくのだと気がつくのです。
人の人生は、過去があり未来がありと、一直線上にあるように思えるのですが、人は一瞬を生きて、一瞬から一瞬へ、常に今から今へで、そこのところを臨済宗の臨済が語った、「途中にあって家舎を離れず。家舎にあって途中を離れず」と言いました。
家舎というのは、漢字の家と、舎弟の舎、仏舎利の舎です。今の言葉で言えば私ということなのですが、何故それを家舎と使ったのか、不思議に思うのです。
家舎の舎は、舎は私の意味に通じて、身心をのびのびさせる場所で、それを今の言葉で、心と言います。つまり、家舎とは、私の心なのですが、実は、私という字には、私(わたくし)するという意味があるからです。私という字を分解すると、禾(いね)とカタカナのムで、ムというカナが、私(わたくし)するの意味があり、イネを私しするというのが私という字の語源だからなのでしょう。
家舎は、私という心の空間、無心といえばよいでしょう。途中とは人生の歩みの一点で、今です。
「途中にあって家舎を離れず。家舎にあって途中を離れず」、心と歩み、歩みと心が一致しているのです。
臨済和尚は、その時、さあ、どちらが、人間界さらにその上の世界の供養を受くべきか、といって座を離れたありました。
この相反するものは、私たちの生活の中に、あふれています。
詩人のまどみちおさんのに、「もうすんだとすれば」(まどみちお全集1992年理論社)の詩を再び読んでみます。
もうすんだとすれば これからなのだ
あんらくなことが 苦しいのだ
暗いからこそ 明るいのだ
なんにも無いから すべてが有るのだ
見えているのは 見えていないのだ
分かっているのは 分かっていないのだ
押されているので 押しているのだ
落ちていきながら 昇っていくのだ
遅れすぎて 進んでいるのだ
一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
やかましいから 静かなのだ
黙っている方が しゃべっているのだ
笑っているだけ 泣いているのだ
ほめていたら けなしているのだ
うそつきは まあ正直者だ
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
利口にかぎって バカなのだ
生まれてくることは 死んでいくことだ
なんでもないことが 大変なことなのだ―大変なことは、何でもないことだった。
この相反する間の深さは、測ることが出来ない谷間のようです。
私たちは、生きるために、日常の到るところに、何処にもある深い淵に気づきません。
白隠禅師は、坐禅和讃の後半に、悪と善と、生と死を代表する、相対する谷間を、「無相の相を相として、行くも帰るもよそならず」と「無念の念を年として、歌うも舞うも法の声」と結んでいました。

2022.09.22 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
お坊さんになって、40年以上経っている。

知らず、ノートブックに書きためてものの多さに驚く。


こうして、ここに、書き留めていたものもあるが、ほとんどはノートの中の閉じられたページにある。


話をすることと、聞くことも、対の反するものとして、ノートにしまわれていく。


会話は、話をしながら、話者と聞者が互いに交代しながら、時間が進む。


食事にしても、会話が楽しければ食事がおいしいし、会話が話にならなければまずい、苦い。


コーヒーやお茶にも、互いに会話が進めば、この関係は成り立っている。


楽しい、暖かい話だけではなく、辛い思いや失敗もある。


そんなときは、うなずきながら食べる。コーヒーを味わう。


話すことの意味も、聞くことの意味も、交互に交差して、食事やコーヒーは身体の中に飲み込まれていくようだ。


面白いなあ!

2022.09.07 Wed l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
子どもと接するとき、幼さと言うより、背の高さで、幾つ?とつい聞いてしまう。

子どもにとっても、その家庭というか育つ様々な環境によって、自我の形成は違うのに。

同じように、成人になっても、年齢によって、格好によって、幾つぐらいだろうと図る習性がつく。

でもね、人の歩みは様々、年齢によって判断し、推し量ることはることはできないはずなのに?

まして、その度合いは高齢になればなるほど、高まっていく。

9月19日は、敬老の日だ。その敬老の日には、区切りがあり77歳、88歳、100歳等々。

「途中にあって、家舎(かしゃ)を離れず」人生のお終いが何処にあるか解らないけれど、人の生きようは家舎(自己=今)を離れない。

そこに経験を積んできた年齢はないし、今、どう生きているかが今の家舎の姿なのだ。だから敬老なのだ。

「加舎にあって、途中をはなれず」自己を運ぶ姿はやがて人生という旅路になり、終着点は常に今を指すことをわきまえて!

お年寄りに、「おいくつになられたのでしょうか?」と、失礼ながら、つい聞いてしまう。

人生というものを、年齢で推し量るカテゴリーをもって、共通化しようとするのも人間のはかなさ。

その言葉に、はかなさを持つことを気づいていながら、「おいくつになられましたか?」と、膨大な生き死にを乗り越えて至った人生を、年齢に集約してしまう。

そんなことに、気づきながらも、申し訳ないと思いながら、敬老の祝いを贈る。


2022.09.03 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ひとり、何もないときのことです。
じっくりと、

猫がいたら、

犬がいたら、

空に向かって、

雑草や植木に、

植物に向かって、

禅を説く。

そういえば、とある学校の先生が、生徒に明日の講義を話そうと、決めたとき。

置き時計や、柱に向かって、話したという。

ものは何でも聞いてくれるのだが、それは、人が言葉を持っているからだ。

禅は、言葉では、説明できない。

人の人生も、言葉では、説明できない。

生きたままは、説明できないから。


2022.09.01 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
戦後77年となって、従兄弟が7月に亡くなりました。

従兄弟とは、話した記憶があまりなく、足が弱くなって、外出が思うように出来なくなっていることは承知していました。

葬儀は、親戚鑿で行い、49日忌に納骨があり、ホテルで会食をしました。

そこで、従兄弟の妹さんと隣り合わせになって、ヒョンなことから、戦争の話題が持ち上がりました。

昭和20年3月10日、東京下町が空襲にあい焦土と化した、あの日のことです。

「あの日は、空襲警報がけたたましく鳴り、疎開している兄たちを除いて、祖父に祖母、兄夫婦と従姉妹は、防空壕に避難しました。

ところが、大勢駆け込んできていて、蒸し暑さがひどくて、立ちこめた空気も暑っ苦しくなったの。

そしたらね!祖母のミヤさんが、『あたしは、こんな暑っ苦しいところはごめんだね!どうせ死ぬなら、お寺に戻るからね。』とサッサと防空壕を出て行ってしまうのね。


そこで、お婆さんを一人に出来ないと、家族みんなでお寺へ戻ったの」と話してくれました。


陽岳寺は、関東大震災で焼け、大正2年の3月7日の深川の大火で焼失、そして関東大震災で新築された本堂も焼けてしまいました。

祖父が、二度の類焼する火災で燃えないようにと、昭和6年に当時では珍しく鉄骨鉄筋コンクリート造りの本堂を建立しました。


庫裡は木造でしたが、本堂への扉は鉄板で作っていました。類焼を防ぐため窓は小さく火災に備えた造りでした。


そこで、「それでどうなったの防空壕とお寺は?」と聞くと、従姉妹は、「庫裏は空襲で燃えてしまったのだけど、本堂は、防火用水からバケツで、水をかけて丸焼けにならなかったのね!

それに、深川のお寺が全部、空襲で消失してしまったので、陽岳寺の本堂で合同法要をしたのよ。1年ぐらいは続いたみたい。大変だったのよ!

今も、障子や本堂内の天井や梁が黒くなっている跡があるわよね」と。


そこで、私が、「一カ所の障子の桟の窓側全体がお焦げのように黒くなって、障子紙の張り替えの時、注意して張って、今も残しています。そうそうそれで、防空壕はどうなったのですか?」と従姉妹に聞くと。


「防空壕の中に避難した人たちは、ダメだったの!」と。


何か、そんなことがあったと、ただ事実だけを胸にしまって、散会したのでした。


町会でも、多分5年前ぐらいに、東京大空襲の様子を記録として残しておかないと、総務が、古老にインタビューしたものが残っています。が、この人達が生きている間は、表に出さないと決めています。

防空壕が、何処にあったのか?聞いていなかったのを思い出したのですが、詳細はほとんどわかっていないのです。


東京どころか、日本中で空襲の被害が、地域によって被害の違いが伝わってきます。


同じように日本軍も、朝鮮半島から中国、台湾、東南アジア、インド洋、オーストラリア周辺まで進軍したことから、どれだけの犠牲者がいるのか、その人達の尊い命も、いたまねばなりません。


深川の下町の家々も、当時を知るお年寄りも少なくなっています。





2022.08.28 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
『 これっきりで二度とくり還されることがないとは知らず、あれやこれやとおこなっているかと思うと、奇妙な感慨におちいる。

そのあと、死ぬからではない。

その後の人生でそれがふたたび起きないから、ただそれだけだ。

ある街路を歩き、これっきりとなる(引っ越すからかもしれないし、二度とその街路に来ることがないかもしれない)。

ある本を読み、これっきりとなる(読みおえた後、本を片付け、忘れてしまう)。

あるティーカッでお茶を飲み、これっきりとなる(カップはそのあと、いつか、洗っているときに割ってしまった)‥‥‥‥

ある人と出会い、これっきりとなる(人生の道がついに別れてしまった)‥‥‥‥

これっきりだといつも知っていれば、たくさんのことがまるで別な価値や意味合いを得るだろう。

しかし、通常それを知らないのはよいことではないだろうか。

さもなければ、ある意味では、たえまなくすべてを、これっきりでおこない、体験していることに気づくのである。

どの日々もどの瞬間も、くりかえされることがないのだから。

しかし、そう知って、無心に生きることができるだろうか? 』


どうして、ここに無心で生きる、という言葉が書かれているのだろうか?

そういえば、過去にも、こんなことが、あったことを思い出します。

それは、もうかなり以前のことです。

エンデの箇条書きのメモで、答えが見つからないメモのような、それは「両手であい打って声あり、片手でどう声が聞こえるか」でした。
 
無心というものを概念として描いてみれば、いつになっても、無心を得ることはできないのです。

そんなエンデですが、無心だからこそ、自由な発想で、今でも、人を引きつけるのです。

2022.08.18 Thu l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
門前仲町の商店街を久しぶりに歩いた。何年ぶりかで本屋に行った。

買うつもりもなく棚を見ていたら、棚の上から、エンデの全集が2冊並び見下ろしていた。

岩波書店第一刷、1998年2月発行だった。

お客は誰も居なかったが、小売店はそれでも店を開け続ける。

コロナ禍で出掛けることが減り、ネットで買う習慣が付いていた。

「いつから古本を扱うようになったのか?」と妄想が浮かぶ、ところがもう一つの妄想は、「エンデのメモ箱1,2って内容が豊富そう」と、全集の18巻と19巻だが、購入した。

最初に開いた、文章が、妙に気になった。

偶然か?

 バガートの一部 「杖を持ち、先頭に立つというのか?ならば迷え、たまものをみな奪われ、雷文の果てしなき小道を、岩の迷宮に埋もれて。 欲することのはじまりは‥‥‥‥さまよい。終わりは‥‥‥‥愛を持つこと。」

「ロシアのさまよう皇帝に捧ぐ」と,令和4年6月29日に、フェイスブックに投稿した。
2022.08.18 Thu l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
お釈迦さまは、「世に母性(はは)あるは、さいわいなり。

父性(ちち)あるも、また、さいわいなり。

世に道を求めるものあるは、さいわいなり。

そして、世に大いなる智慧と慈悲あるは、もっともさいわいなり」と申しています。

「世に母あるは幸いなり。父あるも幸いなり」と言うけれど、すでに父母ということが、子があることを前提としています。

実は、母や父がいれば、生まれた子供から見れば、親という居場所が誕生した事実に気付かないものです。

親の誕生とは、子供の誕生と同時に、生まれた子から言えば親の誕生でもあるということです。

当然に祖父母も同時誕生です。

生まれたからには、子どもと同じように、親としての成長を含んでいることから、子供の成長と共に親も進むということに、これも気づかないことです。

やがて、母や父は、子供の成長と同時に、自分たちの子どもだった頃とは、変わり果てた時代に、子どもの成長を描きながらも、子どもの両親も、祖父母も、時代を背景にして勉強し、その先へと進んでいきます。

命の連鎖ということは、子どもの誕生と同時に、時間の経過が、同時を繰り返して、結びついていく命のあり方ということなのでしょう。

しかも、連綿と続く、祖先たちの命の営みの詳しいことは、なかなか見えないものです。

しかもその連鎖は、たまたまとか、偶然とか、合うべきしてあったという、子どもにとっての両親の存在とは、そんな不可解な結びつきで出会ったものを持っていたとしたら、これを根拠として今あることは、ますます不可解なものとなります。

偶然から必然の出会いに、必然の出会いは偶然のお陰であるとも言えます。

ただ残念なのことに、親の親、さらにその先の親たちは、時代の背景が違うことから、生活の中の語り合う中身が違いすぎて、過去帳があっても、時代や祖先が生きた事実を具体的に知ることは出来ません。

ただ、今生きる人にとっては、誰でも、どんな人でも、ご両親や祖父母、さらにと続く両親がいた事実によって、命の連鎖によって、今、私たちはある事実です。

過去にさかのぼれば、不思議、不可思議を通して、連鎖は続いていたことなのです。

どんなにたしかな家系でも、その家系を記されていなくても、同じことです。

私という個別の命は、連綿と続く命だったと、新たに見えてきます。

そしてその先には、他人という一人一人の個別な命も、私の命と同じように、過去何世紀もさかのぼって受け継がれ、頂いた命でした。
2022.07.05 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
お施餓鬼の法要では、お寺の最大のお位牌を、棚の上にのせて安置します。

まつられるお位牌は、三界萬霊十方至聖等の位牌、十方檀那六親眷属の位牌、盡祠堂内各々霊位の位牌を、真ん中に安置し、読経いたします。

それぞれの檀信徒の家族の亡くなられた家族だけではなく、様々な亡くなられた方々です。

その方々に、お経を挙げるのですが、亡くなった人たちですから、身体がない。眼に見えない、言葉としても聞こえません。触れることもできません。

しかも、コロナ禍による感染を控えてのオンラインであり、こちらからは、オンラインの向こうは見えません。

先日のことです。ご主人が亡くなられて、お寺で新しいお位牌を作られたご婦人が墓参に来られました。

そのとき婦人は、「新しいお位牌を仏壇に安置しましたが、何だか、この新しいお位牌に主人が居るような、気分におおわれます」と話していました。

お施餓鬼は、多くの亡くなられた多くの方々を、見えない依り代として、この三つのお位牌をかかげて、お経をお読みいたします。

お位牌は、依り代です。施餓鬼棚も依り代、12枚の旗も依り代です。幕も依り代です。

依り代とは、融合という、現実の姿形をした時間の記憶が、依り代である位牌に、氷が融けるように融合していくと考えられます。

お釈迦さまは、「依りて起こること」、と伝ています。

また、「縁にして起こる」とも言われています。

縁にして起きるは、意識と無意識との関係のように、意識を縁として無意識が現れる。

もっとも現れてみれば、無意識は意識になってしまうのですが、無意識を縁として、意識が現れる。

どちらにしろ現れるのですが、「依り代」とは、こういう不思議なものです。

この依り代に対して、ちょっと不思議な言葉を作ってみました。

神が神の中で、神を探すかい。これは神が、神を縁として、神を探すかい。

神は絶対とするならば、神を探せば限定されるわけですから、絶対でなくなることになりますよね。

仏が仏の中で、仏を探すかい。

私が私の中で、私を探すかい。

これは、私という自己が、自己の中で、自己を探すかいと。

では、空が空の中で、空を探すかい。

空を私としたら、宇宙を私とした。山を私としたら、海を私とした。

一本の大きな木を私としたら、大地を私とした。

雲が雲の中で、雲を探すかい。

世界は物語ばかりだ。

というのは、私が、地域が、国が、国の中で、物語を探している。

学校が学校の中で、学校を探している。

家庭が家庭の中で、家庭を探している。

日本が日本の中で、日本を探している。

地域が地域の中で、地域を探している。

私とは、世界とは、国とは、学校とは、地域とは、物語を作ることで除かれて、削られ、塗られて疎外されたモノがあるはずなのです。

器の中は、もともと、在るがままです。

私から私へと、貴方から貴方へ、その器も、もしかして私にとって、貴方にとって、依り代なのかもしれない。

その器に浮かぶ意識は、限定するもの、疎外するもの、排除するもの、好ましいもの、そしてそれぞれ相対する、相反するモノです。

考えてみれば、物語は理想をかかげる志向が強いが為に、排除するモノによって支えられているという矛盾によって成り立っているともいえます。

考えてみれば、世界が開かれれば開かれるほどに、矛盾が増して、その矛盾に的確に答えが生まれなくなっています。

器だし、器の中の私という次々と生まれてくる私の意識は、一体いつの私なのかと問いを出しながら、生まれてくる私だ。

私の身体全体は、依り代とも言えるものです。

人も年齢を加えてくると、依り代の衰えに、嘆くこともあるのですが、依り代の衰えと共に、私は考えながら歩んでいます。

お施餓鬼のお経の冒頭は、「若し人、三世一切の、仏を知らんと欲せなば、まさに、世界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし」です。

「若し私が、過去・現在・未来の仏を知ろうと望むならば、世界の一切は、私自身の心が造ると、観察すべし」と言っています。

三界萬霊十方至聖等の位牌、十方檀那六親眷属の位牌、盡祠堂内各々霊位の位牌は、さまざまな器を入れられる位牌です。

だからこそ、こうして一年に一度、その器の中の世界の意識を、日本の意識を、地域の意識を、家族の意識を、故人の意識に、お経を唱えるのです。
2022.05.01 Sun l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
グローバル化により、世界は豊かになったと思っていたら、とんでもないことが起きてしまった。

コロナウィルスの発生と世界中の国々への蔓延と、ウクライナとロシアの戦争と、自由主義圏とロシアとの、これも戦争なのだろう経済封鎖は‥‥。

その影響は、石油や石炭の、鉱物資源、穀物の価格値上げ、海上輸送や航空輸送の混乱の影響として続いている。多くの人たちが亡くなっていることだ。

しかも、アフリカや中東、東南アジア、南米などのニュースも届かなくなっている。

専制国家と自由主義国家との対立など、世界は対立ばかりだ。多様性とも言っていたのに!

でも忘れてならないことは、やはり、人間が生きるということの最小単位は、個というものです。

個が夫婦という単位を作り、家族を作る。この作るというところに、物語性を創造していくのでしょうね、意味を作り始めるとも。

原則は、あくまでも個ですが、個には夢もあるし、希望もある。どうしても意味を作り上げていく。

しかも個こそ、境目を自由に作り上げていくものです。

男女、夫婦に家族、肌の色、民族、宗教、主義主張、ジェンダー、味方と敵、世界は境目ばかりで成り立っています。

個を見つめたいと思うが、個は他の個と比較して成り立っているともいえます。

夢を見るのは誰ですか?国家元首に言いたいのです。その私って、意味として作り上げられた自分ではないですか?

個が、他に及ぼさない最小の意味を持つとしたら、どんな哲学がよいのだろうか?

貧に徹した豊かさ、豊かさにともなった倹約の生き方にのっとった生活ではないだろうか。


しかも豊と、倹約の倹という中味に、幸と福を見出したいと思うのです。

各個の精神性の自由闊達さ、そして他の個を尊重する、そんな世界に導かれると善いなと思うのです。
2022.04.24 Sun l 未分類 l top
2500年前のことです。お釈迦さまと、インドのコーサラ国を治めていた、パセナーディ王との会話です。

古いお話しですが、いつの時代にも、新しい内容です。

 王様がお釈迦さまにに、問いかけます。「ブッダよ、あなたが人々に『愛するなかれ』と教えていると主張する人たちがいます。愛すれば愛するほど人は、苦しみ、絶望すると語られたとか。

そこに、いくばくかの真実はありますが、その教えを聞いても、わたしの心は安らがない。

愛がなければ人生はむなしく、無意味なものとなりましょう。

どうか、この疑問を説く手がかりをお教えください」と、バセナーディ王の心に、もやもやと燃えつづける、質問をしました。

 ブッダは、王様を暖かく見つめます。

「王様、愛にもいろいろあります。私たちはそれぞれの愛のありようを、深く観察しなければなりません。

人は愛を必要としておりますが、それは欲望や情熱、あるいは、執着や差別や偏見にもとづいた愛ではありません。

 王様、私たちには、本当に必要な愛があるのです。それは、慈しみと悲しみからなる、慈悲という愛です。

 普通、人々が愛というとき、その愛は親子、夫婦、家族、あるいはその国に住む人々のあいだに存在する愛のことをさしています。

 このような愛には、私とか、私のものという観念がつきまといます。

そこに、執着や差別というとらわれが、見て取れます。自分の両親、配偶者、子、孫、親戚や同国人だけを愛そうとするからです。

愛する対象に強く執着するあまり、愛する者たちの身に不幸が降りかかるのではないかと、何か起こる前からあれこれ思い悩み、実際に起こったら、ひどく苦しみます。

 また差別にもとづく愛は偏見を生みます。自分の愛する対象の輪の外にいる人々には無関心になり、ときには憎悪さえ抱くのです。

 執着と差別は自分も他人も同じように苦しめます。王様、すべての命あるものが真に希う愛とは、慈悲という愛です。

 慈悲の慈は他者に幸福をもたらす力をもつ愛、慈悲の悲は他者の苦しみを取り去る力をもつ愛です。

 慈と悲はいかなる見返りも求めません。

慈悲は、両親、配偶者、子どもも、親戚、同じ階級、同国人にかぎられるものではなく、すべての人、すべての命あるものにおよぶ愛です。

 慈と悲においては、いかなる差別、いかなる私のものとか、私のもではないという区別もないのです。

 よいですか、差別がないゆえに執着がない。

慈と悲は幸福をもたらし苦しみを和らげて、苦しみや絶望を遠ざけます。

王様がおっしゃったように、慈悲なくしての人生は無意味であり虚しいものです。

慈悲があれば、人の世は平和と喜びと満足であふれます。

王様はこの国を治める方でいらっしゃいます。王様の国民も、隣の国々も、王様の慈悲によって利益を得るのです」と。

 王様は、王様としての愛についてじっと思いをめぐらせていました。そこでブッダに訊ねます。

「私にも、国民と同じように、養うべき家族がある。そして、統治する国がある。

我が家族や国民を愛さずして、いったいどうして彼らの面倒をみることができるのでしょうか。どうお考えになりますか」と訊ねました。

 ブッダは、「王様が家族や国民を愛されるのは当然のこと。ただ王様は、愛をご自身の家族や国民を超えて、もっとひろげていくこともおできになるはずです。

王子や王女を愛し慈しむことは、王国の他の若者たちを慈しむことを妨げるものではありません。

国王がこの国すべての人々を愛することができれば国王の限られた愛はすべての人々を抱きしめる愛に変わり、王国のすべての人々が国王の御子となるでしょう。

これが慈悲の心をもって愛するということなのです。

これはただの理想論ではなく、本当に実現できるのです。

国家権力を掌握されている王様のお立場をもってすれば、なおのことです。」

 王様は、「では、他国の人々はどうすればよいのでしょうか」とブッダに訊ねました。

 ブッダは、「王様が他国の人々を、ご自身の息子や娘のように、愛することを妨げるものは何一つございません。

王様の統治下にいなくても、愛することはできるはずです。

自国の民を愛するからといって、他国の者を愛せない理由はないのですから」。

 王様は、さらに「しかし、わが統治下にないものに、どうして慈悲の愛を注ぐことができるのでしょうか」と、ブッダに質問しました。

 ブッダは、「一国の繁栄と安全は、他国の貧困と危険の上に成り立ってはならないのです。

王様、すべての人々の幸福を求めるという共通の使命のもとに国々がひとつになるときのみ、長き平和と繁栄は可能になります。

 もし王様がコーサラ国の平和を祈念され、王国の人々が戦場で命を落とす事態を避けたいと心からお思いになるならば、王様は他国の平和にも手を貸さなくてはなりません。

真の平和を実現するためには、慈悲の道にのっとった外交や財政を実現しなければなりません。

自国の民を愛し慈しむと同時に、他の国々も、そしてコーリヤの人々をも愛し、慈しまなければならないのです。

 王様、私は昨年、釈迦王国の家族を訪ね、ヒマラヤのふもとの町に、数日ですが訪れました。

そこは故郷の地で、私は非暴力に基づく政治について考える時間を持ち、投獄や処刑などの暴力的な手段に訴えなくても、国の平和と安全は保証できると気づきました。

父のスッドーダナ王ともこのように、国を治めることについて、語り合いました。

そして今、あなたとこの考えをわかちあう機会を得ました。慈悲をはぐくみ育てる当事者は、暴力的手段に頼る必要はないのです」と、語りました。

 ブッダの言葉を聞いて、王様は、最後に、もうひとつ訊ねることをお許しいただきたいとブッダに告げました。

 「ブッダがお話しになったように、通常の愛には差別や欲望や執着が含まれていますね。

そして、そういう愛は心配や苦しみや絶望を生みだすと、あなたは言われる。

それでは、欲望や執着をもたずに愛するためには、どうしたらよいのでしょうか。

自分の子どもへの愛に不安や苦しみの種を蒔かないようにするには、どうすればよいのでしょうか」と。

 ブッダは、微笑みながら、答えました。

「愛の本質を見つめることです。私たちの愛は、愛する者に平和と幸福をもたらさなければなりません。

もし相手を所有したいという利己的な所有欲に基づいている愛ならば、平和や幸福もたらすどころか、相手を、とらわれに身に、あるいは、殺人と、心を縛ることに、してしまうでしょう。

そのような愛は、残酷で執拗な排除となって、牢獄以外のなにものでもありません。

愛ゆえに不幸になれば、人は愛から逃げだそうとします。愛という牢獄を受け入れてもらえなければ、あなたの愛は徐々に怒りや憎しみへと変わってしまいます。

 王様、利己的な愛ゆえに、悲劇を招いた親子の話をお聞きですか。

 数日前、実際にサーヴァッティーで起こったことです。

 ある母親は、息子が恋に落ちて結婚すると、母親は息子から見捨てられたと感じました。

新しく娘を得たと喜ぶのではなく、息子を失い、息子に裏切られたと感じたのです。

母親の息子への愛は憎しみに変わり、若い夫婦の食べものに毒を入れて、ふたりとも殺害してしまいました。この母親と息子を、国々に例えられますね。

 王様、愛は理解なしに存在できないと考えます。愛は理解です。

理解できなければ愛することもできません。

理解し合えない夫と妻、兄弟姉妹、親子は、あるいは国々、たがいを愛することができません。

愛する人を幸せにしたければ、その苦しみや願いを理解しなければならない。

相手を理解してはじめて、相手の苦しみを取り除き、願いが叶うよう手を貸すことができるのです。それが真の愛です。

 愛する人を従わせ、相手の求めに無知であれば、それは真の愛ではありません。相手を所有して欲望を叶えただけなのです。

しかし、あなたが求めているものは、それでは決して手に入らないのです。

 王様、コーサラ国の国民も苦しみや願いを持っています。もし王様が国民の苦しみや願いを理解できれば、国民を真に愛せましょう。

宮廷に遣える人にも苦しみや願いがあります。彼らの苦しみや願いを理解すれば、彼らを幸福にすることができ、そうすれば彼らは、終生王様に忠誠を誓うでありましょう。

王妃さま、王女さまにも、それぞれの苦しみや願いがございましょう。その苦しみや願いに気づき、理解すれば、みなさまを幸福にできます。

国王のまわりのすべての人が幸福と平和と喜びを享受すれば、国王ご自身も幸福と平和と喜びになる。これが悟りの道における愛の意味なのです」

 王はブッダを見あげていった。「あなたは私の抱いていた疑問に明快に答えてくださった。お礼の申しようもないくらいです。

しかし、利己心や所有欲を持たない慈悲にもとづく愛をもってしても、この世から苦痛や苦悩は消え去りますまい。

どれだけ私が国民を慈しんだところで、台風や洪水のような自然災害が国民を苦しめれば、私もまた苦しむことになる。それはあなたも同じでしょう。

病で死にゆく者を見れば、あなたも同じように苦しまれるに違いない」

 「王様、その問いによって、慈悲の理解はさらに深められましょう。

 第一に、慈悲から生まれる苦しみよりも、欲望や執着にもとづく愛が引き起こす苦しみのほうが、何千倍も大きなものだとお気づきください。

 苦しみにも二つの種類があります。私たちの心や体をかみ乱すだけの苦しみと、いたわりと責任をはぐくむ力をもつ苦しみです。

 慈悲にもとづく愛は、他者の苦しみに関わっていく力を生みだし、執着や欲望にもとづく愛は、不安やさらに大きな苦しみを生みだします。

 慈悲は、苦しみを減らす行動を促進するための燃料となるのです。王様、慈悲こそこの世でもっとも大切なものです。

慈悲から生まれる苦しみは、有用な苦しみなのです。他者の痛みを感じられぬ者は、真の人間とはいえますまい。

 理解によって慈悲が生まれます。気づくことです。わたしたちは生の真実を悟るのです。

無常こそが私たちの生の真実です。この世のすべては無常であり、独立した実体をもちません。すべてはいつか必ず消えていく。

あなたの肉体も滅びるのです。

すべての無常を深く見つめることができれば、あなたはもっと平静に穏やかに世界を見ることができるでしょう。

慈悲から生じる苦は、欲望や執着から生じる痛みや苦悩と異なり、わたしたちに大きな力を与えてくれるのです。

偉大なる王様よ!日をあらためて、共に学ぶこと、これを精進とします」。
2022.04.22 Fri l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
中国の古典を読んでいて、罔象(もうしょう)という言葉に引きつけられました。日本では、罔象女神と書いて、「むずはめのかみ」と読みます。

下記を読んでもらえればお判りになると思うのですが、弁財天の別名で、水の神様です。

また、弁才天と弁財天は同じなのですが、才能が財を産むことから、弁財天となったと聞いていますが、何千年の歴史の中から、人々の願いや思いが、名を変えて、歴史が作られてきっました。

冬木辨戝天は、江東区深川の四ヶ町で運営している冬木弁天の祭神です。江東区にも弁天様を祭った神社は、数多くあります。

なかでもお隣の、八幡宮のきっかけを作ったのが、境内に入り、本殿に向かって右側にあります。

七渡神社です。池に囲まれているのは、深川が多くの島で成り立っていたことを表現しているのだと想像するのです。

深川という東京湾の奥座敷として、海と島を陸地にして発祥した神社です。

また、以前ですが深川の地に田んぼがあって、石高を書いた資料に出会ったことがありました。

多くの石高ではありませんでしたが、深川の江戸時代初期には、この町で、お米が取れたのですが、その頃は、弁財天も農耕の神様でもありました。

さて、富岡八幡宮の七渡神社の祭神は、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)というお名前です。

この神様が弁天様と呼ばれるには歴史があります。もっとも、どの神様も歴史はあるのですが。

九州は宗像(むなかた)大社に祀られる、三女神の中で、一番美しかったと言われているのが市杵島姫神です。

美しさだけではなく、金運に財運、学問の外にも、所作に優れて、舞や芸能面に優れていました神です。

天照大神が、荒くれだった弟の須佐之男の命の剣をかみ砕き、息を吹きかけた縁で、誕生したのが、この三女神です。

因みに須佐之男命が、天照大神の勾玉をかみ砕いて息を吹きかけ、五男神が誕生しています。

宗形大社では、市杵島姫神は沖津宮に、中津宮には次女の田心姫神(たごりひめのかみ)、辺津宮には、本殿に三女の湍津姫神(たぎつひめのかみ)の三女神が祭られています。

それぞれお宮には津の字が刻まれていますが、海と関係する名前だとわかります。

この宗像大社は、世界遺産「神宿る島」、宗形沖ノ島と関連遺産群として、平成29年7月9日に世界文化遺産に登録されています。

あらためて、七渡神社の祭神として市杵島姫神の資質は、海上の航海、海の安寧、深川という地の除災、安寧でしょうか、例祭日は、6月17日です。

広島の厳島神社も、6月17日が例祭日で、祭神は三女神です。この神社も、平成8年>12月に世界文化遺産に登録されています。

そして市杵島姫神が弁天様になるには、歴史から観てみたいと思います。

さて、日本が奈良時代に入りますと、仏教が入っていきます。神仏習合という歴史です。

平安時代には更に、本地垂迹説という天台宗や真言宗によって説かれて、弁天様と市杵島姫神が同一視され、弁天様と呼ばれるようになりました。

冬木弁天の弁天様は滋賀県の竹生島神社から分祀されたものですが、祭神は市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)です。

なお竹生島神社には、宇賀福神も祀られています。鎌倉の銭洗い弁天の祭神は、宇賀福神が神様です。

この宇賀福神は、体がヘビで頭が人の形をしているという。

冬木弁天には、二匹の蛇がとぐろを巻いて厨子に鎮座して、参拝の方々に、福が訪れますようにと対峙しています。

奉納社が誰なのか、北町会の古老青柳氏に聞いていませんでしたが、宇賀福神も市杵島比売命も、弁財天としては同体と見られているのが一般です。


さても前置きが長くなりました。

衆罔あるいは罔衆の罔という字、罔は、糸偏に罔で、網となり、網の象形文字で、網でおおって隠すです。

そこから、無理強いするや、事実にそぐわない、人を縛るものから法律になったり、見えなくする、暗い、事実を曲げる、根こそぎ取る、無かったことにする、あなどると、多様な意味を持ちます。

そして罔象という熟語の意味となって、①ただよう、一説に虚無、何もないこと。衆罔。②水中にいる妖怪と、大漢語林には記しています。

象は、形あるもの形象です、記し、などなどの意味を持つ漢字です。


荘子の天地篇に「衆罔の話」があります。

中国の神話に黄帝がいます。三皇五帝の最初の皇帝です。

中国で黄帝と言えば、神話の時代で、紀元前2510から2448年の時代です。

愛知大学名誉教授の中島敏夫氏が書かれた、

「黄帝」には、『中国の現河北省張家口市の涿鹿・阪泉の地で「黄帝故城址」及び「蚩尤城址」と称される城址と堡塁址が見つかって発掘された。』

と記されていました。

その黄帝が赤水の北方に遊び、崑崙(こんろん)の丘に登って南方を望み見てから帰ってきました。

宮殿に戻ってきたのですが、貴重な玄珠(げんしゅ)忘れたことに気がつきました。

そこで、皇帝は、最初、眼が良くて、賢明で、知識もある、もの知りの離朱(りしゅ)を遣わして、珠を探させたのですが探すことが出来ませんでしたし。

次に、弁が立ち聡明な男、喫逅(かいこう)という人を遣わせ探させましたが、彼も探し出すことができませんでした。

そこで次は、形なき世界に道と遊ぶ、あるいは、うすぼんやりものの象罔(人物としての名前)を遣わしたところ、象罔が玄珠を、見つけてきたという故事です。

ここに象罔という人が出てくるのですが、この故事で判るように、すでに、紀元前の世紀には水神伝説があったことが判ります。

また、虚堂録という漢文の本に、「离婁極力。白浪滔天。罔象無心。神珠歴掌」とあります。

訳して、「离婁(りろう)力を極む、白浪滔天、罔象、無心にして、神珠掌(たなごころ)に得る」というのです。

罔象という人物を、形なき世界に道と遊ぶ、あるいは、うすぼんやりものの象罔と辞書より記しましたが、虚堂録には、無心と書かれていました。

神珠は、玄珠とも書かれていましたので、もともと備わっているものと理解できるのですが、無心とは、理解しがたいものです。

自由で無心な象罔、水神の正体だったようです。

ところ荘子には、「罔」という言葉が出てきます。

「罔両(うすかげ)と影との問答では、罔両が影に向かって「お前さんは先ほど動いていたかと思うと、いまはとまってじっとしている。

さっきすわっていたかと思うと、いまは立っている。あまりに節操がなさすぎるではないか」と。

「罔両」が「影」に対して文句をつけるが、「影」にしても「時の変化」のままに従う「形」に従っている」

「ウィキペディア」では、罔象を、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」と記し、日本書紀には「罔象女神(みつはのめのかみ)」となって、水波能売命などとも表記される。

淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)であると記していました。

ちなみに、江東区亀戸に、水神宮があるのですが、その神様は、「弥都波能売神(罔象女神)」で、「みつはのめのかみ」とお読みし、古事記の世界がかいま見えます。
2022.04.01 Fri l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
臨済録という書物には、

「天地創造の神とは、ただ今と共に生きる人が、天地を創造し、天地を改革していくのでる。

世界を天国にするも地獄にするも、人間のすることである。

もっとも、人だけを説くことは人間の都合で、地球に生きるすべての生命も、同じことだ」と、

説いていました。

これは真理です。
2022.03.03 Thu l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
1月という月は、12月から1月に変わることに、こだわりがあります。

1月から2月に変わっても、1月のような多くの行事があるわけでもなく、却って12月から1月へと続く月の方が、行事が多い。

どの年も、良かろう悪かろう筈も無く、どの月もどの日も、悪かろう良かろうという月も日もない。

しかも、1月になれば、新旧という言葉が似合うのです。

古人は、年々是れ好年、日々是れ好日と言っているのにです。

しかも、古人は、「何としてか新あり、旧あり?」と申しています。

十方璧璧落無し、四面また無門とも。

「野火(枯れ草を)焼き尽くすも、春風吹いてまた生ず」。
2022.01.17 Mon l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
禅は、旧年から新年に切り替わるときに、浮かぶ言葉があります。
去年の貧は、未だ是れ貧ならず。
今年の貧は、始めて是れ貧なり。
去年の貧は、猶お卓錐の地有り。
今年の貧は、錐子も也た無し。

香厳禅師の詩です。我々は、頌と詠んでいます。

去年の貧は、未だ是れ貧ならず。

この語に対する著語は、 守株待兎(株を守ってウサギを待つ)。

この著語の話は、中国は春秋時代に、「ある日、農夫が、ウサギが切り株で躓いて死んだのを見ました。農夫にとっては、苦労せずにウサギの肉がが飛び込んできたのですから、答えられません。そこで毎日ウサギを狙って見張っていたというのです。やがて、畑は荒れ果ててしまったというお話しです。

今年の貧は、始めて是れ貧なり。

この語に対する著語は、認賊爲子(賊を認めて子とする)。

この著語の話しには、うってつけの下記に話があります。
道元禅師の大悟の巻です。「しかあれば、認賊爲子を却迷とするにあらず、大悟は認賊爲賊なるべし、却迷は認子爲子なり。

多處添些子を大悟とす。少處減些子、これ却迷なり。

しかあれば、却迷者を摸著して把定了に大悟底人に相逢すべし。而今の自己、これ却迷なるか、不迷なるか、撿點將來すべし。これを參見佛祖とす。」

大悟は、賊を認めて子とすることを却迷とするのことではない。大悟は子を認めて賊とすることでも無い。

大悟は煩悩という賊を認めて賊とすることだと。迷客という悟りの子を悟りの子となすことである。

そのようなわけで、却迷者を探って捉えてみれば、中味空っぽ、而今の自己であったと。

迷っているのか、迷っていないか、点検すべしと、参見仏祖は仏祖参見と。

さて、去年の貧は、猶お卓錐の地無し。

ここの貧という意味が、字面を見れば貧しさ・貧乏を想像するのですが、ここは禅ですので、中味空っぽで、空っぽの中に、何か入っているのか?

まだ何かがあるか?問うています。

錐が残っている。刻まれた傷跡が残っているというのです。

その著語は、癩狗繋枯椿。

(癩(らい)狗(く)枯椿(ことう)に 繋ぐなのです。

禅語字彙によれば、癩狗繋枯椿とは、技倆すでに窮まるの意だそうです。枯椿は枯れた木杭となっています。よたよた犬を木杭に繋ぐ意味がるのか?

と、まだ、貧乏が完成されていません。


そこで、今年の貧は、錐子も也た無し。

この語に対する著語は、和贓納欵。贓(ぞう)に和して欵(あい)を納(い)る。

贓(ぞう)とは、盗んだ品物のこと、欵(あい)は、叱る、歎く意があるが、アイアイと相応じる声ともなります。

そこで、贓(ぞう)に和して欵(あい)を納(い)る、盗品と一緒に盗品目録を差し出した。

これは、本来自分のものでないものを所有することの、虚しい空しいことの意味です。

さて、今年の貧は錐子も也た無し。

錐はキリのようなもので、貧をキリに刺された貧の痛みとすれば良いのでしょうか。

錐子はキリそのものですから、キリもないと、古人は、これに法財をつかんで、法財に触れていると言っています。
2022.01.11 Tue l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
この文章は、2008年8月31日に投稿されたものです。しかし、このブログにはなかった。
この文章は、ある特養のスローガンに、文章を後付けしたものです。

私の知っている福祉施設の理念に、際限のない優しさに一歩でも近づけるように……という言葉があります。

生活者である利用者への援助が、「際限のない優しさ」を土台とすることを目標とし、私たち法人・職員がその理想に一歩でも近づくことができるよう務め、結果として、利用者が「安全」・「安心」・「希望」の中に生活できますように。

この美しい響きを持つ言葉は、サービス精神としてこれ以上のふさわしい言葉はないと思うのですが、実はとても怖い内容でもあると気づきます。

なぜなら、人の持っている優しさとは、際限のないものだと定義されているからです。

限りのないものほど困ってしまうものはありません。

際限なくとは、人が一生かかっても限りはないのですから。

しかも戸惑ってしまうことは、人は誰でも、この際限のない優しさを持っていると宣言しているではないですか。

これは、際限のない優しさを、本来、自らの中に刻まれていることを自覚せよと強要しているようにも思えます。

何でそんなことを言うのか、この私にそんなものがあるのか、今まで、考えることもなかったし、見つけようとも思わなかった私。
今まで優しさとは縁遠い所にばかりいた私。

今さら、この虐げられ、差別され、貧しさに、寂しさに、悲しみに、人生の悲哀をなめ尽くした私のどこに、優しさがあるというのか。

今さら、努力せよというのか。

今さら、今さら、今さらと……。

でも振り返ってみれば、勝った負けた、得た失った世界に生きて、今までの私は、得ることばかりを考えていたから、勝つことばかり考えていたから、思いもつかなかった。

限りないとは、届かないということなのか。限りないとは、満ちあふれた優しさの私という意味なのではないか。

でも、少し、楽なことは、一歩でも近づくように……と、何故か近づけないことを承知しているみたいにも感じもします。

また、たびたび出くわすことですが、他者にたいする優しさとは、他者にとって、優しいかどうかは分からないことを私たちは知っているのです。

だから、過度の優しさは、迷惑と感じたり、鬱陶(うっと)しく、お節介に思ったり、仇(あだ)になったりと、発信する優しさは別の言葉が似合うことが多々あるものです。

それでも、福祉にたずさわる人々は、この「際限のない優しさ」を土台とすることを目標として、その理想に一歩でも近づくことができるように努めることが使命とされています。

このことが達成されれば、そこに安全、安心、希望が芽生えて、包まれていると。でも考えてみると、本来、私たちの生活自体が、このような世界でなければならないでしょう。

でも、せめて、福祉の場だけでも、際限のない優しさに包まれてもらいたい。

福祉のマニュアルニ書かれている、一つ一つの行為、手を差し伸べる、笑顔で接する、静かさを気づかう、身体をふくと、実はすべての行為が、際限のない優しさです。

同時に、福祉を受けることも、この優しさです。差しのべられた手を受ける、笑顔をかえす、気づかいに感謝する、きれいになった身体を喜ぶことも、際限のない優しさです。

さて、際限ない優しさとは、共に、幸せであることでしょう。

福祉にたずさわる人も、福祉を受ける人も、共に、今に安らぎがえられれば、それはすべてを受け容れながらも、しかも、それぞれが個としての私が保たれている状態だと思います。

そのとき、際限のない優しさの一歩がそれぞれの個に現れるのだと思います。その一歩こそ、満ち足りた一歩であり、もはや近づくこともない、際限のないやさしさなのだと信じます。

トルストイの『人生論』に次の言葉があります。

「お前は、みながお前のために生きることを望んでいるのか、みんなが自分よりお前を愛するようになってもらいたいのか。

お前のその望みがかなえられる状態は、一つだけある。

それは、あらゆる存在が自分よりも他を愛するようになる時だけだとしたら、お前も、一個の生ある存在として、自分自身よりも他の存在を愛さなければいけない。

この条件のもとでのみ、人間の幸福と生命は可能となり、この条件のもとでのみ、人間の生命を毒してきたものが消滅する。
存在同士の闘争も、苦痛の切なさも、死の恐怖も消滅するのである。

他の存在の幸福のうちに自分の生命を認めさえすれば、死の恐怖も永久に消え去ってくれる。」


2022.01.10 Mon l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
古い本を読んでいると、思いがけずにハッとすることがある。

この言葉は、次の言葉に続くことだ。

「金は石をもって試み、人は言をもって試む」そして、「古人自ら念(おも)えり、璧を全うして帰ると、知らず身の草裏に在る‥‥」

黄金を採掘するには、試金石をもって、金と認めることなのですが、石英質の石という。また金の純度を調べるためともいう。

人の真価も、その人の発する言葉で、人物を知るということというが、今の時代にも、様々な人にも通用することです。

璧(へき)という字は、普通の生活では扱われることはないでしょう。

古い時代の中国で使われたものです。実物は見たことはないのですが、環状にして扁平の玉で、穴が開いていて腕輪や首輪に使われたものです。

中国の漢の時代には、埋葬用に副葬品として埋められたそうです。

ここで使われている璧は、人の真価として、信頼できる人物、立派な人として、試を修めた人として使われています。

「身の草裏(そうり)」は、身体の中に、あるいは、心の中に草が生えているというのですが、どんなくさなのでしょうか?

ところで、この古文には、前半の言葉があります。


あるとき、踈山(そざん)という老和尚に、僧が質問しました。その内容は、「冬がやってきました、さあどう過ごしますか?」。

あるいは「冬がやってきたら、どうしましょうか?」という質問でした。

そこで踈山老和尚は、「都では大黄が採れる」と答えたのです。大黄は、漢方薬で根を煎じて下剤や胃腸薬です???

何でこうなるのか?

禅の問答では、「冬という誰にでも訪れる季節にたいして、大黄という個別なもので答えていったのですが、ここで問答は完結しています。

私たちにとっては、「草裏に在り」との説明をもって、理解するのですが、理屈っぽい!説明を聞いても自分のものにならない!この問答の問いを却って紛らわしいものとする。
2022.01.05 Wed l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
冬至小參、釋迦已滅。彌勒未生。

恁麼時節。東去也得。西去也得。

無端少林壁觀雪庭墮臂。引得一地裡人。如荷一百二十斤重擔。上羊額嶺一般。

及乎詰其端由。依舊不出箇仲冬嚴寒布裩赫赤。

報恩久默斯要。不務速説。

今年の寒さは、こたえます。

「七二歳を過ぎて、そんなことでは、いけない」と、お叱りを受ける気がいたします。

禅の説くことは、どんな年齢の人にとっても、誰でも、日常を出ることはありませんし、特別なことはなにもありません。

東に行くにも、西に行くのも、何処に行くのも、自由です。

この季節に、寒さに、どう処すのか、問いかけがあります。

コロナ禍に、どう処すか、これも問いかけです

本年が良い年でありますよう、祈念いたします。
2022.01.01 Sat l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
修行とは自利であるけれど、利他を学ぶ基本を行(ぎょう)として学ぶのが基本なのでしょう。
そういえば子供たちが学校で学ぶことは、自利であることです。でもいつか学ぶ場所を卒業するのですけれど、卒業した場所での仕事は利他です。
自利は利他を学び、利他は自利を学ぶ、こんな簡単なことでも、人にとっては難しいことです。

2021.12.11 Sat l 未分類 l コメント (1) トラックバック (0) l top
孜孜は汲汲、矻矻は身体を動かしてヘタヘタという意味になるそうです。


何か年末をの忙しさを想像できる言葉です。


ところが、別の角度からいえば、これぞ日常三昧という意味にとれるから不思議です。


コロナ禍で、私達の日常は、ガラッと変わりました。


見えないモノの存在に用心しながら暮らす生活には、日常三昧は遠く及ばないことです。


日常三昧は、見えないモノにとっても、恐ろしい暮らし方になるでしょう。


この三昧に入れば、日常は格別な意味を持ちます。


2021.12.10 Fri l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
人の日常生活とは、常に居場所から居場所へ、移り変わっていくものです。このことを否定する人はいないでしょう。

その居場所という意味を、立場、根拠、依って立つ、相対するものに対しての位置、時間や出来事に出会いによって変化しながら立つ自分の姿です。

その姿を見つめてみれば、何も考えなければないほどに、見事に実に適合して、立ち位置を変えていくものです。
今の季節からすれば、「秋という実りの季節が終わろうとする時期です。木々の緑は葉の色を様々に変えながら散っていくものです。

その散る直前の紅葉を見るために、人は動きます。

毎年のことですが、日本には四季があり、その四季に、人はどう動かされて行くのでしょうか

1月は睦月です。春には梅の花が咲き、松の葉だけが緑を色濃くしています。

お正月には親類縁者が集まるという月なのですが、そういえば賀状や新年挨拶がありますが、その中味は、睦まじさだったようです。見直してみたいものです。

2月は如月(きさらぎ)または衣更着。寒さがまだ続いて更に羽織るものを身につけるというのです。

それだけでなく、何か春の予感を待ちながら著重ねして過ごすような気持ちはどうでしょうか。

3月は弥生、草木が早花の新芽をだす季節を告げる月です。この時期、桜で日本国中が大賑わいなのですが、このような月は珍しいのではないでしょうか?

4月は卯月(うづき)、卯はウツギという木ですが、これは中々、特に都会では見受けられない低木です。

夏は来ぬという唱歌がありますが、そこに「卯の花の 匂う垣根に時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて 忍(しのび)音(ね)もらす 夏は来ぬ」とあります。

5月は皐月(さつき)で、早月とも書きます。お米の早苗(さなえ)植える月なのですね。5月新緑の季節が始まります。

6月は水無月(みなづき)で、水の月とも言われ、田んぼに水を引く月です。あじさいの花が咲きます。

7月は文月で、稲の穂が実る月です。これは、穂(ほ)含(ふみ)月(づき)と書き、穂含む月で、文となりました。

水辺では睡蓮や蓮が花を咲かせ、陸地では入道雲に夕涼み、夕立に夕凪、海の日に土用の丑となります。

8月は葉月(はづき)で、木々の葉落ちる月です。旧盆という季節は、新盆という7月盆により成り立っているのですが、どちらにしろ盆暮れは、人もご先祖様も帰省がテーマです。

残暑見舞い、入道雲、スイカに桃や梨、葡萄の季節でしょうか。

9月は長月(ながづき)で、夜が長く感じる月です。七草、コスモス、ススキに収穫、野分(のわけ)といって台風の季節でもあります。

10月は神無月(かんなづき)で、全国の神々が出雲大社に集まる月です。

無は、「の」を意味するのですが、出雲以外に神様はいなくなることも、意味しています。

実りの秋という言葉から言えば、冬ごもり前の収穫祭でしょうか、新嘗祭もあります。

海には鰹や伊勢エビ鰹に鮭、果物では柿に栗イチジクゆずりんごとなりますか。

11月は霜月(しもつき)で、寒くなって霜の降りる月です。寒くなって寒暖差が、紅葉のシーズンです。特殊なのはインフルエンザもありますが、乾燥を意味してそろそろ暖房が必要になってきますので、冬になえて厚着の支度でしょうね。

12月は師走(しわす)で、クリスマスに年の暮れ行事でしょうか。食べ物ではタラバガニ、ふぐ、ネギや白菜、春菊に鍋料理と。

師走の意味は、先生や師と言われる人までも、忙しく走るというのです。

各月の特徴を挙げてみたのですが、日本には古来から月々の名前があるとおりです。

禅の語録に、「日本という国の中で、季節が冬となってみれば、どの地方に行っても、山や街々の木々は葉を散り敷いて、空を飛ぶ鴈の鳴き声が寒々として身にしみます。

この景色こそ目の前の真実の姿なのですが、同時に、この景色に浸る姿こそ、色即是空・空即是色、万象即無一物・無一物即万象と、禅の現状公案、あるいは見成公案となるものです。

その公案を自分のものとしてみると、ただ毎日、塵一つないことを日掃除をしていると、その思うことが塵になっていることが唯一の欠点となることです。

季節は、優しく、私たちに無心となることを、季節の謳歌する姿と一体になることを教えてくれます。しかも月々の季節ごとにです。

無眼鼻舌身意が風に和し、日に照らされ和し、寒さに、その場その場で和しています。
2021.11.29 Mon l l コメント (0) l top
令和2年1月24日、東京都内で初めて新型コロナウィルスの感染者が確認された日でした。今から、1年5ヶ月前のことでした。ダイアモンド・プリンセス号の集団感染では、死者13人に感染者712人でした。

政府コロナの専門部会の尾身会長は、3月10日に、「三つの重なりを避けることが、感染を抑止する条件である」と、日本国民に発信致しました。

(1)換気の悪い密閉空間、(2)多くの人が密集、(3)近距離での会話や発声(密接)でした。

しかもこの1,2,3は3つの条件の重なり合いでもあることでした。

その後は、「不要不急の外出」は押さえるようにと、第一波から五波まで、幾度となく繰り返し語られています。

専門家会議は、「日本では、医療機関が高い医療水準を誇っており、地方公共団体や保健所の高度な調査力があります。

今後の感染拡大に備えて、これらの機関の体制を強化し、広域での連携や情報共有をすることは不可欠です。

そして、日本には、市民のみなさまの強い協力意識があります。

この戦略を確実に実行するためには、市民のみなさま一人一人が二次感染を防ぐための行動にご協力いただくことも欠かせません」と伝えてのことでした。

現状は今も同じの1年5ヶ月です。

しかも、三密と不要不急の外出を控えることはずっと続いています。

これは生活の活動を押さえたり、閉じこもったり、人と人が近くでふれ合ったり、親戚家族が大勢で集まることも、全ての人たちが守ることを、現実に強要されていることです。

目的は感染症を封じ込めるためです。

今までは個人の自由と、動かされること、従わされること、命令されること、束縛されること、これがコロナ禍を避ける、安全安心な生活様式であると告げられているからです。

コロナワクチンの摂取率が上がれば上がるほど、この生活様式に変化があると思うのですが、コロナウィルスも変異を繰り返して、ワクチンの攻防が続いていますので、先を見渡すこともできません。

考えてみれば、希望や願いが閉ざされたようなコロナ禍の未来の明るさを待つ意味さえ、今はまだ見えてきません。

8月に、青少年対策富岡地区委員会で、この深川エリア一帯を4班に分けて、夏休みの子ども達の夜の様子をパトロールに今年も参加しました。うろついている子ども達はいないか?

コンビニや公園で夜遊びしている子ども達はいないか?

商店街のゲームセンターなどに遊んでいないか?結果はまったくいませんでした。

ただお母さんと一緒に買いものをしての子ども達は何人も見かけました。昨年と同様に、コロナ禍の夜は、学習塾以外は自宅に過ごしている子ども達の姿でした。

子ども達、親たち、ペットに鉢や庭に植えた果物や野菜たちも一緒に暮らすことがコロナ禍のルールを守る生活なのでしょうが、反面、いざこざや、反発、制約があり、家に居ることが多くなり、家族の心に、葛藤が起きるものです。

お寺の生活をしていると、山中暦日なしと、一年365日休日と言えるものはありません。

一年中同じではないのですが、同じようにみえる一日を、コロナ禍以前から、生活に違いはないのではないかと、不思議に気づきました。

お寺の生活そのものが、多分400年近く、今日の一日は、それ以前の一日と違うのですが、日常生活の一つ一つが今までと違って新しいもの考え方や意味、価値などとおもうこともなく、塀の外と中では、コロナ禍以前と違わない様式で状態が続いていたことに気づきます。

もしかすると、コロナ禍で良いしきたりや生活があるとすれば、お寺の生活に近い。

修行道場では対面して食事はしないし、一年中默食です。洗濯物は一人一人別々で一緒に洗いません。坐禅堂に寝起きをすれば、トイレに行くに隣り同士でトイレには行けません。

隣りの人が帰ってきて行けるのです。普段でも大きな笑い声や大声での話し言葉は禁止です。歩く靴音も要注意です。

駆け足は、決められた場合以外はできません。

二人以上の歩みは、おおやけでは一列です。無駄な声は出しません。

一人一人が孤となることが修行生活の一般です。

これは禅の価値感といってもよいでしょうね。

その価値感を、中国は唐の時代、天台山国清寺に伝わる寒山と拾得、そして豊干禅師の漢詩を集めた寒山詩を通して、コロナ禍の人の生き方として、考えてみようと思いました。
寒山詩には、こう記されています。

「寒山に一つの屋敷がある。その屋敷のなかには、しきりがない。いちどそこに入ったが最後、永遠に終わりの日がない」と。

心というものには、もともと仕切りがない。湧きあがる意識によって、仕切りが出来るのでしょうが、もともと仕切りがないのが自分というものです。それを仏とも呼ぶから不思議です。

同じように、「まだ生まれる前の身は、心ゆくばかりの楽しいものだった。

それが、たのみもしないのに、一体だれに生まれぬ前の夢に穴を開けられたのか?おかげで毎日が生きることで精一杯だ」とも。

たしかに、コロナ禍に於いては、毎日毎日、ニュースでは、「今日の感染者は何人と」知らされては、一憂してため息をつくか、人数が多いなあと思う毎日。

寒山の道は、「笑うべし寒山の道。しかも人や車が通った跡なし。

今、この道に迷ったならば、身体はただおのれの影に向かって、「おまえはどの道を行くのか」と問いかけるのみであろう」と。

「お前はどの道を行くのか」と、歩きながら、歩くことを忘れ、走って走ることを忘れ、走って息が辛くなって、大きな息を吸い込み、吸い込んだ息を大きく吐くとき、生き返る自身の身体を、眼で見ることも、見ているという意識を忘れて見ていたことが、正しい認識です。そして、では誰がと問うことが禅宗の特色です。

普段、私の中で、誰が息をしているのでしょうか?逆に、息をしているから、息のことを忘れていると、全身眼になっているから、見ることを忘れている。全身耳になっているから、聞くことを忘れて聞いている。

不自由や束縛は比較することから生じますが、不自由であってもはく息吸う息に集中する、ただ大きく吸うだけで、自由と暮らせることが、禅の生き方、無心な生き方なのではないでしょうか。

ただ大きな息にまかせるというのも、自由さではないでしょうか。

無条件をもって条件とするその姿勢は、植物が春の暖かさに芽をだし、花が季節の風に揺られて落ちる姿を思うのです。
2021.10.01 Fri l ゆめ l コメント (0) トラックバック (0) l top
深川では、昔、皆、顔や家族を知っていたので、なんか知り合いの知り合いも、そのまた知り合いも、皆、知り合いだった。  

今はどうかというと、同じなのだなあ! 新しく住んだ人も、深川に知人ができれば、赤ちゃんが産まれれば!深川っ子です。

深川は、神輿の街といっても良いでしょう。 男性も女性も、年齢に関係なく、神輿に肩を入れます。

嫌いだからとか、好きだからなんて言ったら神輿は上がりません。

皆んな神輿を担いでいたと思ったら、深川を担いでいたということに気づかないけれど、身体で、心の奥にあるんだね!

深川という地域の言葉は、この地域に住んでいるという意味で、それは、この街に誇りを持っているからなのだろう。

わっしょい!ワッショイ!和背負い!

2021.08.15 Sun l つぶやき l コメント (0) l top
人には、というか自分にも通じるが、正しいと正しくない、よいことと悪いこと、そういうことを判断する意識が働く。

誰にでもだ!

正しいことが正しくないことによって行われていれば、不安を感ずる。逆に正しいことが正しく行われていれば、安心してまかせることもできる。

信頼というのか、望むことが行われ、望むようになっていれば、安らぐのだ。

それは先手先手なのだろうが、その先手が、後手と判断されれば、信頼を失う。

ということが起こっているのが、今ではないか?
2021.08.05 Thu l 未分類 l コメント (0) l top