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陽岳寺の朝は、先ず葛西橋通りと清澄通りの歩道掃除から始まり、お墓と前庭へと続きます。

季節によって、ちり取りに入るものは違うのですが、一年中落ちているものに「タバコの吸い殻」があります。

今、都区内では何処でもタバコのポイ捨て禁止のはずなのですが、堂々と歩道に捨てられています。

若い人も、壮年のサラリーマンもお年よりも、タバコが短くなって吸えなくなったらポイ捨てです。

そのために、マナーとして携帯用のタバコ吸い殻入れがあると思うのです。

吸い殻入れのケース持参の人もいると思えば、少なくなったと思えばよいのでしょうか。

ポイ捨てされたタバコの吸い殻も、踏みつけられて消された残害、火が付いたままにポイ捨てされた残害、まだ火も付けられずにそのまま落としたもの、電子タバコの吸い殻、タバコがなくなって空になったタバコの空き箱も、ポイ捨てです。

タバコ吸い殻のポイ捨てをしながら、何か大切なことを、ポイ捨てし続けている気がしてならないのです。

ゴミを捨てるということが、悪いことであると全く何も感じない人、少しは「いけないことをしている」と感じるけれども誰も見ていないからとポイ捨てする人、さらに掃除をする人の気持ちなど考えることがさらさらない人。

意識の中に、悪いことをしていると少しでもあればよいのですが、それが習慣となって癖となってしまったら、大切なものをポイ捨てして取り返しの付かない大きな事件となって、一生をふいにすることもあるから要注意です。

ポイ捨てされたものは、吸い殻だけではなく、車が通る道路の路辺にも落ちています。

これは、歩道を避けてポイ捨てしたものですが、ポイ捨てした人の気持ちが想像できますので、道路を汚して悪いことをしたなと、少し思い測って掃除をします。

お寺の駐車場にも、吸い殻のポイ捨てが、必ずあります。

タバコが会社の中などで吸えなくなって、わざわざ寺の駐車場に来て、誰も見ていないからと申し訳なさそうに吸っていたサラリーマンがいました。

それを見て、「たのむから、吸い殻はポイ捨てしないでくれ」と言ったことがありました。

彼は、「ハイ」と言ったものですが、今でも駐車場にも落ちています。

自分が住んでいる住居や建物の入り口に、吸い殻が投げ込まれたら、悪意を感じ嫌な気分に、あるいは腹立たしい気分になることもあるでしょう。

人によっては、そんな反応することもあると浮かばない人がいたとしたら、救いようのない人となり、昔の言葉でいえば、「親の顔が見てみたい」となるかもしれない。

これは、現実に起きていることなのです。

気づかないのは、あるいは気づいていても、自宅内でポイ捨てしますか?

最近はゴミ屋敷の騒動が、世間を騒がせることもあるのですが、居るのです。

また宴会シーズンなど、たまに歩道にゲロがあります。

長年経験していることは、きっとゲロする身体の調子によりと思うのですが、掃除をしにくい場所だったり、わざわざ門の前とか、ところを選ばずにゲロはあります。

水道の蛇口にホースを繋ぎ水で流して、道路の下水口に流し込みます。

また歩道の緑樹帯にゲロがあることが必ずあります。ナマの場合は土で覆って乾いたらすくい取るのですが、何と鳩が群がり綺麗にしてくれることもあるのです。「そんなもの食べては駄目だよ」と、追い払っても鳩が掃除を手伝ってくれることもあるのです。

外出の機会がたびたびあり、その都度、歩いてその街を見ます。

いろいろなゴミや落ち葉が落ちて、汚い通りを見ることがたびたびあります。

大きなビルやマンションなどは、管理する人が掃除をしていますが、中にはきたない状態で街の美観はどうなっているのだろうと思うこともあります。

掃除をする人が居ないと、汚れてその地域全体が、汚れに染まるから要注意です。

小学校や中学校の先生方も通りますが、先生方からよく聞く言葉は、「転勤してきて、深川の街が綺麗なのには驚きます」と、習慣となっているだけなのに、褒められて気分がよくなることもあります。

街が綺麗であれば、住んでいる人も綺麗だし、そこに育った子供たちも綺麗なはずです。繋がっているし、関係しているはずです。

こういう見方もよいかと、ポイ捨てする今の私、行為する私という不連続の私が、連続して時間を作っていると考えると、考えるだけでゾッとしますよね。

心と行為がより直接的であれば、今、行為する私となれば、私に嘘はつけず、心と行為はが一体になります。

そこで私を変えなければと思えば、朗報があります。

行為を変えることで、私が変わるのです。

一つ一つ今までの行為した私を思い出して、すると爪や髪が伸びるように、人間の肉や骨も、脳や臓器の細胞を含めて、毎日毎日、古い細胞は死んで、新しい細胞が誕生して、連続が続いているように、実は心も同じなのです。

捨てるものは、たとえポイ捨ての心であって、さらに足すとすれば、悪口を言うこと、嘘をつくこと、人を責めること、人をののしること、人を見下すこと、人を傷つけること、姿や形で人を判断することは、悪口を言う今の私、嘘をつく今の私、人を責める今の私、人をののしる今の私、人を見下す今の私、人を傷つける今の私、姿や形で人を判断する今の私ですから、自分が作られている過程がわかり、自分の心に向き合うことが大切です。

そして今の私に向き合うことができれば、今の私が一歩変われる。

今の私は、いつまで経っても今の私と悟れば、自分に嘘をつかない今の私がいかに大切であるかわかるでしょう。
2018.08.01 Wed l つぶやき トラックバック (0) l top
平成30年西日本豪雨災害で亡くなられた方々には、お悔やみ申し上げますとともに、被害に遭われた総ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。

今後は一刻も早く復興されることを祈念申し上げます。

また、西日本豪雨災害後、日本は未曾有の熱波におおわれています。

今まで普通に過ごしていた日常の行為が死に至ることもあると、注意して過ごされることを祈念いたします。
2018.07.23 Mon l うつつ トラックバック (0) l top
「こんにちは、赤ちゃん」という歌が誕生したのは、昭和38年、1963年永六輔さんが作詞を、中村八大さんが作曲をしました。

梓みちよさんが、赤ちゃん誕生に対して、喜びを語りかけるように歌った歌でした。

「あなたの笑顔、あなたの鳴き声、小さな手、つぶらな瞳と。あなたの命、あなたの未来、この幸せがパパの望み」と。

昭和38年の歌でしたので、私が中学生の頃だったのではないか、梓みちよさんの声は耳の記憶に懐かしいのですが、この歌詞全文を読んで、今、始めて内容が分かったのです。

改めて、この作詞が、赤ちゃん誕生と同時に、夫婦から子育てに移るばかりでなく、夫婦の関係にとっても喜びを歌ったものだと知ったのでした。

永六輔のさんの、温かい気持ちがそっと添えられて、赤ちゃん・パパ・ママへ祝福していました。

「えっ知らなかった」のと、聞かれれば、思い出すこともなかったからです。

ところで、日本では、昭和38年と言えば、「もう戦後ではない」といわれて、次の時代の幕開けのような時期でした。

それまでは、テレビではディズニーアニメが上映されていましたが、国産アニメの「鉄腕アトム」放映されました。

世界ではキューバ危機からジョン・F・ケネディーが暗殺され、衛星中継されたのもこの時です。

バナナが自由化されて、坂本九が「見上げてごらん夜の星を」を歌い、NHKの紅白歌合戦が、パーセントの視聴率を上げていたのでした。

そういえば翌年の昭和39年10月10日には、第18回オリンピック・パラリンピックが東京で開催されていました。

振り返るというのですが、55年前ですので、ほとんど記憶はなく、過去を検索して思い出すのがやっとです。

でも世の中の雰囲気は、明るく、前を向いてみんなが歩んでいたという時代でしょうか。

それこそ皆が夫婦共稼ぎという時代ではなかったし、家庭から笑い声や夢が語られていた時代だったと言えそうな気がします。

とくに、その頃の流行った歌の歌詞を読んでみると、出会いとか、明るく、この後、何十年後かの未来も明るかった。

幼子が生まれた時に、「こんにちは赤ちゃん!」に対し、生まれたての赤ちゃんは、泣いたり笑ったり、むずんだり、眠ったりして、お母さんに「こんにちは、お母さん、お父さん!」なんて言うはずはなかったし、現実は、「始めに言葉ありき」ではなかった。

赤ちゃんにとっては、意識も、意味も、言葉もなかった。これは世界の誕生であり、同時に置かれた場所で咲く赤ちゃんの誕生だった。

同時に、パパとママの誕生でもあったのですが、これも居場所です。夫や妻の居場所もあると、「こんにちは赤ちゃんに!」は「赤ちゃんお願いがあるの、ときどきはパパと、ホラふたりだけの静かな夜を、つくって欲しいの、おやすみなさい、おねがい赤ちゃん」と「お休み赤ちゃん、わたしがママよ」と歌うのです。
人が生きれば居場所が増え続け、居場所から居場所に移ることが生きるということ、場所と時間の誕生でもあったはずです。そして居場所とは、意味の概念ですが、依って立つという意味で、依る人と依らせるもの・人との関係のあり方です。

お釈迦さまは、意味は言語によってよりハッキリと表せられるものだと知り、しかも意味は、居場所と時によって変化するものと気づいたのでしょう。

インドの一小国の王子として産まれて、生老病死という4つの門から見て聞いた有り様は、自分自身の生老病死を一生をかけて、瞑想と思索、旅によって語られたものでした。

その語られた膨大な記録の始めには、必ず、「如是我聞(ニョーゼーガーモン)」と記されています。「私は、このようにお釈迦さまの言葉を聞いた」と、「聞く」という受動的な行為をまず中心にすえます。

その言葉を、聞きながらも聞いた内容は、何故か良心の声、自然の声、声なき声、答えのないものを聞く、あるいは真理という具体的事実として世界を聞くとなって、聞く者の私というフィルターを通さないで、見聞きすることが語られているのが経典です。

ところが聞く、読む私たちには、今までに経験した自我の声にまみれています。

そしてお釈迦さまの内容を聞くには、ただ素直に聞く見るだけではなく、応えない相手から訊きだす姿勢、耳を忘れて全身で聴くという姿勢が含まれているのだと考えています。

昨年の2月か3月のことでした。副住職が、「WAになって語ろう」というゲームを作りました。

この題名は、NHKの朝イチという番組で、ゲームの題名を全国から募って命名されたものです。この報道後、問い合わせの電話が多くなったのですが、おぼえているのは出雲の社会福祉関係の事業所の方でした。「お年寄りの言葉を、聞きだそう。掘り起こそう」と、認知症予防に購入したいとの電話でした。

そこで気づいたのは、「WAになって語ろう」は、「WAになって聞き合おう」だったことです。

このゲームの内容は、参加する人によって、自分たちの世界を作り上げていくと同時に、次々と変化してゆき、つまり、その世界は形がない!しかも、子供達やお年寄りの希望や夢も包もうと企てていたから、箱入りではなくて、風呂敷で包むというのが好きです。

大風呂敷とは、ホラのようでもありますが、基本的に風呂敷は形を持っていないことが特徴とするなら、形にとらわれていないということが良いと思っています!

仏教では、「如是我聞」は、聞き合おうという姿勢が生じます。

でも聞き合うためには、先ずは私の中の声を聞くことが大切です。

そこで私の中の声を聞いてみると、聞こえない声に満ちているというのか、空っぽな静けさを観察して、自分自身がそのカラッポとならなければ、本当に聞き合うことはできないでしょう。

ここから、一方的に聞き合おうというのではなく、自然に話合おうが含まれているのではないかと考えています。

それは、聞き合うことで、観察すること、見ること、もしかして思うことも含まれて、縁起というつながりを明らかにすることだからです。
2018.07.01 Sun l うつつ トラックバック (0) l top
思い出そうとすれば、最近なのだろうなあ?

カラダと記憶に対して、意識が戸惑っている感覚がある。

老いというよりは、耄碌しだしたカラダと、記憶を呼び出そうとする意識とのズレだ。幸に、パソコン内にかなりのデーターがあり、今でも蓄積中なのだ。

何を言いたいのかというと、人間の季節感としては、これが老いというものなのか?と感じさせる意識だ。

背中が痒くなったと感じれば、それが冬だった。春の食べものが苦いとかエグイと感じれば、春だったのだ。

湿度がカラッとして、陽の光が温かく感じてウキウキ感じれば初夏だった。

それが、最近は、昼食をすぎると、やたら眠くなって、隣をうかがえば妻もウトウト、二人してウトウトだ。

でも良いこともある。

朝は今頃なら、5時にはパッチリと目が覚める。そこから掃除に小一時間、朝のお経は以前だったら、30分から40分だったものが、1時間とか1時間半はへっちゃらだ。
最近は、和訳した金剛経や心経、他には信心銘、宝鏡三昧、証道歌、参同契なども読み始めて、声だけは衰えるというより、腹式呼吸で太いハッキリとした音声がでるから不思議だ。

さらに昔読んだ、西田幾多郎の善の研究や場所的論理と宗教などが、ようやくわかってきたような気がするのだ。

何が何だか、なあ?
2018.06.04 Mon l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
天気予報の気象図を見ると、日本列島は、毎年繰り返して、寒気と暖気のさかい目にあることを、つくづく考えされられる。

しかも近年は地球の温度差の影響が強く、これは日本を取り巻く南の海水温度が高いことと、北極に生ずる冷たい気流の境目に沿って流れる偏西風の影響です。

そしてさらに、日本列島の下には、太平洋プレートやユーラシアプレート、フィリピン海プレートの境目にあり、その影響は活火山に地震と、地球の活発な活動の表現するさかい目の現象なのでしょう。

また政治的には、大国であるロシヤと中国に、アメリカや北朝鮮に韓国のさかい目にあるのが日本です。

このさかい目を家庭に移してみれば、妻や夫、親に子供たち、孫、祖父母と、ペットも含まれてあり、さらに学校や仕事場、地域にと次々と移し替えてみると、さかい目はあちこちにあり、何と私たちは複雑な関係の中に生きていることがわかります。

私たちの生活は、人とモノ、人と人、人と決まりごと、人と世界との関係でもあるので、人がもつ対象はめまぐるしくかわり、そのつどの意識は、突然に頭の中に浮かび上がるものです。

そのさかい目に惑わされて踊らされて、大きな事件となって世の中を騒がせているのが、セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、モラルハラスメント、パーソナルハラスメント、レイシャルハラスメント、ラブハラスメント、ブッラドハラスメント、アルコールハラスメント、スモークハラスメント、アカデミックハラスメント、ドクターハラスメント、テクノロジーハラスメント、エレクトリックハラスメント、ソーシャルネットワークハラスメント、エイジハラスメント、マリッジハラスメント、マタニティーハラスメント、シルバーハラスメント、ペットハラスメント、スメル(におい)ハラスメント、エアーハラスメント、家事ハラスメント、ラブハラスメント、フォトハラスメント、ヌードル(麺類の食べ方)ハラスメント、オワハラ(終活強要)、ストーカーなどなど、具体的な名前が作られていますが、頭の中の思い込み、刷り込み、など自己の感情や、わき起こる妄想に支配されて飛び出すハラスメント行為です。

しまいに、レリジャスハラスメントは聞き慣れないハラスメントですが、これは宗教関係者が、おこなう苦痛や嫌がらせのたぐいです。

入信を強要したり、自由な退会をたたりや怨霊があるなどと脅したり脅迫する行為です。

以上だけではなく、続々と命名されて出てくる新種のハラスメント、内容を調べてみれば、「あるよね!」と思い出します。

そこで始めて、傷つく人のことを思い起こせたら、セクハラは止まるのだろうと願っています。

これは、特に人を痛め攻撃することで自分を保っている人だけでなく、地位のある人、力のある人、仲間が大勢いる人、優秀な人、盛んな人、すぐれている人、男性女性、子どもも含めて共通な、人間の意識活動への警鐘でしょう。

さらに日本の未来を考えれば、これから、他国の人の助けを借りなければ国が成り立たなくなっていくことを念頭にするならば、なおさらのことです。

長く例を出しましたが、頭の中のふと湧き出す意識のさかい目に気づけば、態度や言葉は出ないのではないでしょうか?止められるのではないでしょうか?

止められれば、人の思いに左右されない、天気に、さかい目に生きる知恵を、さかい目に生きる人間として求められているのではないかと、考えてみたのでした。

そうすれば巡る季節も、四季それぞれのさかい目があることで、野菜に果物、海の幸・山の幸等様々な食文化や様式などを生み出して、季節を楽しんで生きているのが日本人であるともいえます。

さかい目はどこにあるかといえば、人間の心の中に、考えたり、思ったり、気づいたり、発見し発言させることができると考えられるでしょう。

しかも、さかい目は、地球にも、人と人の間にも、人とモノのとの間にも、どこにでもあるのですが、現実は、さかい目だと発言している気象も地べたも、国土もないはずなのです。

それを平等というのですが、その平等は見えない。

さて、平等は、差別によって成り立っていると仏教はいいます。

平等即差別・差別即平等と。平等の根拠は差別にあり差別の根拠は平等にあると。

別の言葉で言えば、平等に自らの根拠はなく、差別にも自らの根拠はなく、共に相手をもつことで成り立っているともいうのです。

さらに平等も差別も矛盾の上に成り立っているともいいます。

違い同志は、互いに根拠はないはずなのです。あるとするなら優劣、大小、多少、長短、狭広、すべて人間がその時代背景によって創り上げた意味ですので、時代と共に変わるものです。

仏教でいう差別とは、区別のことで、違いという意味です。

一人一人、モノとモノはそれぞれ違いによって成り立っていると、それを人間の意識の中で平等とするには、違いを認めるという見方、認識なのでしょう。

しかもその見方認識も意識とするなら、わき起こる意識そのものも別々の違いとなっているのではないか、そんな意識も出てきます。

人は、生きてきた環境の中でつちかったもの、無意識の中ででてくる言葉や行為が、習慣化して癖になっている。

これらについて、要注意の時代になっている。注意しなければ、このことが突然に、悲劇をもたらす。

「私って、コーヒーが苦手なの」、するとコーヒー通が「本当に美味いコーヒーを飲んだことがないからだ」と、でも、それは味覚の問題で、世界には、もともと本当に美味しいもの、究極のおいしさなんてないのです。

「美味い、不味い」は、個人の味覚にすぎない。 そうであれば、「美味いなあ」というのは、個人の感想であり、個人の感想は、その人の意識の中の世界の喜びということになるのでしょう。

大勢の人間が、究極の味と言ったとしたって、個人の感想である限りは対立によって、たまたま作り出されたものです。

人の意識は、自らを正当化する保守の意識、認めてもらいたい意識、上や下という意識、同じだという意識、恥ずかしい意識、頑張ろうとする意識、くやしいという意識、やめてくれという意識、悩み苦しみ……という意識が、対象に関わって登場します。

そのたびに、傷つき、上下という関係の中に居場所を作り、または忘れて生きていきますが、心に傷ついた人の心は、傷ついた時点から始まります。

でも、意識の現れるさかい目があるからこそ、季節の変わり目が美しいと同時に、そのさかい目に順応して生きるたくましさを、日本人はつちかってきたとも思っています。

幼いときから、違いを認める教育が、本当に必要な時代になっています。

繰り返しますが、人間一人一人平等という、でもその一人一人は違いによって成り立っている。

全ての違いがわかれば、あるがままということがわかり、そんな見方が、聞き方が、思いが、表現があれば、世界は美しい。

日本の季節も美しい、あなたの季節も美しいはずなのだから。
2018.05.02 Wed l こころ トラックバック (0) l top
第158回芥川賞が、平成30年1月16日発表されました。受賞した小説は、「おらおらで ひとりいぐも」で、作者は、岩手県東野生まれで、上京し、東京オリンピックの時に結婚、二人の子どもを得て、55歳で夫と死別して、63歳で芥川作家になった若竹千佐子さんです。
小説の主人公の年齢は、若竹千佐子さんより11歳上で74歳の高齢者で、夫と死別し独り暮らしする女性を書いたものです。
若竹さんは標準語を使っていましたが、夫との死別後の生活のなかで、「心の中で、私を励ますもう一人の私が岩手の方言だった。方言だと正直な私が表れた。私は孤独じゃないと思いました」と語っていました。小説の中の主人公、桃子さんは、また若竹さんの殻を背負った人物なのだろうと想像させます。
若竹さんは、ご長男から進められ、小説講座で8年間勉強したのですが、ご長男は母の物書きの才能を見抜いていたようです。そして初めて書き上げた作品が賞を得たのでした。
作品は「老いの積極性を描きたい」と考え通りに、まるで若竹さんが歩んできた道を語っているようでした。若竹さん自身が、「生きてきた経験から青春小説とは対極の玄冬小説」という新たなジャンルまで用意しての登壇でした。
小説の中で語られる言葉は、青森弁なのか岩手弁なのか、その差もわからない私ですが、東北弁のもっている独特の響きが、切迫した心象風景のはずなのに、訛りに引っかかることがもどかしいのですが、かえってそれが、おおらかで土臭い雰囲気をかもし出していたデビュー小説でした。
作品の内容は、夫と死別して、子供たちから独立した74歳の独り暮らしする女性の生活が描かれています。主人公は桃子さんという名前ですが、表相の桃子さんと、桃子さんの内側で語り出す桃子さんのような女性。さらに突然と現れるというのか、隠れていた人も含まれて登場します。
ですから心の中に描かれる、妄想・奇想・内面の言葉が怒濤のごとく頭の中に氾濫し、現実なのか虚妄なのか、死別した夫の言葉なのか、それとも桃子さんの無意識下の言葉なのか、葛藤しつつ老いの身の日常が進んでいくという現実が、迫っていて、それが却って現実性をおびて面白おかしくして内容が進んでいきます。
ところで、早朝、寺の前の歩道の掃除をしていると、必ず何人か、真っ直ぐと前や下を向いて散歩するお年寄りや、犬の散歩をする人たちを見かけます。時に口を動かしながら、モゴモゴして、何を話しているのか、誰と話しているのかわかりません。若い人はカラフルな服と靴で、ジョギングで通り過ぎてゆきます。お年よりは、ただ歩く、そしてただしゃべる。その口から外へと飛び出さない言葉の会話、独り言の多さを改めて気づきました。
先に旅立った亭主が桃子さんに、話しかけてきます。桃子さんの健康を心配して、身体を心配して、心を心配して、未来を心配してですが、時に桃子さんはそれが煩わしくてしょうがない。でも、人が言語をおぼえた意味は、こうしたことにあるのではないかと思えるのです。大昔、狩猟民族とか農耕文化とか、畑や田んぼで、山に芝刈りに、川や海で、山や空や木々魚に鳥たちと話さないだろうか?しかも自由に相手を選べます。口から外へ飛び出さない言葉は、振り返って見ると、こうして文章を書いているのも目には見えない、相手があるからだろう。桃子さんと同じだ。
「おらおらでひとりいぐも」と言いながら、誰もいなくても、孤独でも、本当に一人というのは、眠っているときだけなのかも知れないが、時に、その夢の中に起こさせるものが出ることもあるのだ。
仏教ではというより、現実は、含んでいながら含まれている、選んでいながら選ばれているという相反するものは同時に矛盾を媒介として成り立っています。あっちから見たら、こっちから見たら、あっちに話しかけこっちに話しかけて、時間が過ぎて、疲れたらただ眠る。人は動かされて動き、いつしか動いているのですが、それもあっちから見れば、動かされていた。エッ何って? 時間・場所・対象・意味……にです。
ところで、題名の、「おらおらで ひとりいぐも」は、「私は、私で一人で生きる」なのですが、この言葉は、宮澤賢治の「永訣(えいけつ)の歌」の中の「Ora Orade Shitori egumo」で、「一人で逝くです」。
賢治の妹“とし”の臨終で、妹の最後の兄への願いは、病室の外の雪を、幼い頃から使っていた兄とおそろいの藍茶碗に注いでくれとの願いでした。「おらおらで ひとり逝ぐも」と妹の声。
賢治は、室外の松の枝に積もった雪と氷の層になった雪を椀にいれて妹に飲ませます。
「私は その上に 危なく立ち、雪と水との真っ白な二相系をたもち、透きとおる冷たい雫に充ちた、この艶やかな松の枝から、私の優しい妹の最後の食べものを貰っていこう」とこの雪を表現しています。
賢治は、「この雪が兜率天の食べものに変わって、人のために悩むように生まれてくることを、私のすべての幸いをかけて願った。」と記しています。
妹は「次に生まれてくるときは、こんなに自分に苦しまないように生まれてくるからね」と賢治に次の生を願ったという。このとき妹の苦しみは苦しみながらも苦しみではなくなり、安らかな死を迎えたという。これを色即是空、空即是色と表現すればよいのでしょう。
法華が法華に転じるとも言われています。桃子さんが桃子さんに転じるその様は、「桃子さんの頭の中には、心の中に、意識の中に、口から飛び出さない言葉があふれていました。どうやら声は内側から聞こえてくるのだと桃子さんは知っている。では(亭主への)通路は、あの世に繋がる通路は桃子さん自身の中にあるというのか。そこまで考えて桃子さんはのど奥でひゃっひゃっと声にならない声をあげて笑う。なんじょ(如何)たっていい。もう迷わない。この世の流儀はおらがつくる。――――水を張った雑巾のバケツに映る白い雲、ありがたい。犬の遠吠え、ありがたい。左手人差し指ささくれ、ありがたい。なんだって意味を持って感じられる。それにしても、亭主亡くなって以来、口をついで出るのはそのことばかり。おらの人生は言ってみれば、失って得た人生なのだ。失わなければ何一つ気づけなかった。
引き受けること、委ねること、二つの対等で成り立っている。おめとおらだ。
おらは生きで死んで生きで死んで……気の遠ぐなるような長い時間をつないでつないで……今、おらがいる。そうまでしてつながっただいじな命だ、奇跡のような命だ、おらはちゃんと生きだべが。」
「おらは後悔してねっす。見るだけ眺めるだけの人生に、それもおもしぇがった、おらに似合いの生き方だった。んだも、なしてだろう。ここに至って、おらは人とつながりたい、たわいない話がしたい。……それでほんとうにおらがおらが引き受けたおらが人生が完結するのでねべが。……赤子のように桃子さんは泣いた。」

法要や葬儀など文章作りに追われて、小説など読書することが少なくなりました。興味ある本の購入は続くけれども、なかなか読み進みません。この小説の主人公桃子さんは、作者の若竹さんのデフォルメなのでしょうか?お年寄りにとっては指針になるものです。ぜひ読んで頂きたい。
幻聴も迷いも今の姿だからこそ、素直にその様子が伝わってきます。現実は、苦しめば悩めば、苦しむほど悩むほど、その先に赤子のような純粋なあるがままの姿があることを祈っています。
2018.04.15 Sun l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
 ヘルマンヘッセは、『人は年を重ねるほど、若くなる』と言いました。
 ホイットマンの詩の「女あり、二人行く。若きはうるわし、老いたるはなおうるわし」という言葉の意味に、近づきたいとも思うのです。
 ヘルマンヘッセの、「人は年を重ねるほど、若くなる」という言葉は、ヘッセの「成熟するにつれて人はますます若くなる」という「成熟」を「年を重ねる」という言葉に書き換えたものです。何故かといえば、老齢の枯木に喩えたかったからです。
 どうして植物と同じように、人間の中に、威厳を持ち、枝を一杯に広げ、空高く聳え、幹の肌は荒々しくと、人は見ないのだろうかとの思いです。

 ヘルマンヘッセは、この本(《人は成熟するにつれて若くなる》V・ミヒェルス編/岡田朝雄訳/草思社刊/1995年)の中で、

 「死に対して、私は昔と同じ関係を持っている。私は死を憎まない。そして死を恐れていない。私が妻と息子たちに次いで誰と、そして何と最も好んでつきあっているかを一度調べてみれば、それは死者だけであること、あらゆる世紀の、音楽家の、詩人の、画家の、死者であることがわかるだろう。
 彼らの本質はその作品の中に濃縮されている生きつづけている。
 それは私にとって、たいていの同時代の人よりもはるかに現在的で、現実的である。
 そして私が生前知っていた、愛したそして「失った」死者たち、私の両親ときょうだいたち、若い頃の友人たちの場合も同様なのである-彼らは、生きていた当時と同様に今日もなお私と私の生活に属している。
 私は彼らの思い、彼らを夢に見、彼らをともに私の日常生活の一部と見なす。
 このような死との関係は、それゆえ妄想でも美しい幻想でもなく、現実的なもので、私の生活に属している。
 私は無常についての悲しみをよく知っている。
 それを私はあらゆる枯れてゆく花をみるときに感じることができる。
 しかし、それは絶望をもたぬ悲しみである」と。

 ヘルマン・ヘッセも、あちら側とこちら側の岸を、対立しながらも、いとも簡単に飛び越して見せてくれます。老いてますますです。

 そして、ふとよぎった思いは、「ひょっとして、こちら側のことは、あちら側によって決まるのではないかとの思いでした。それは、もしかしたら、私たちの目や耳腕や足までも含めて、すべてあちら側に向いているということで説明できるのかも知れません。
 だからこそ、こちら側の信念を、確かなものにしなければ、あちら側に流されて、本来の自分というものを失うことになるのかも知れません。

2018.03.17 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

臨済宗のお寺の朝の歴代の和尚様方に捧げるお経の回向は、「仰ぎこい願わくば、真慈、付して昭鑑を垂れたまへ」と、「真慈のために捧げ、品位を増崇したてまつる」とあります。

歴代の和尚への真慈とは、漢字では、慈しみでありますが、その真意は、身を捨て心を捨てることであります。

接する人の眼耳鼻舌身意を受け止め、そこに生きることを心がけ修めることが、真の慈みとも言えるからです。

そのことが気高いことと受け止めるからこその回向と言えます。

僧堂の雲水を預かる老師さま方は、雲水の真慈をいかに育てるかの苦労します。

今から16年前にいただいた、足立大進老師の色紙にあった、“色に迷うて古希の春”は、の色を、今のありのままの姿ということができるだろう。古希を過ぎて、80歳、90歳、100歳となっても、色即是空・空即是色世界の織りなす綾模様だ。


 私と世界、誰もが私であるならば、世界中の私にとっては、その私の分だけ世界があることになる。

 小さいとき?、女の子にあこがれて、恋心を抱いたことがあった。相手の気持ちが、心がわからないことに、私の心はかきむしられて、ちっとも前に進まずに、勝手に失恋したことがあった。

 声も掛けられず、ただ見ているだけ。それが男の子にとっては女の子の世界だった。

 好き!って特別な感情です。その好きな特別な感情が愛にと変化して行くには、時間がかかるのだろうか。

しかもこれが愛と限定するなら、愛はどこかに消えてゆくに違いない。愛はすべてを包んでいるなら、愛は、平等とか博愛、神聖な鏡のような気がする。

 マザーテレサやイエス、マホメッド、お釈迦さまなど聖人と言われる人が大勢います。そのナマの人間の姿という聖人って、どういうものなのだろうかと想像することもあります。

聖人と喚ばれる人も、誕生して子ども時代を過ぎて、大人になって、老いて死ぬ瞬間まで一瞬一瞬を生きて、過去と未来を造ってきたはずだ。

その都度その都度の一瞬において、失敗もしただろうし、自分は気がつかないが人を傷つけたこともあっただろう。

般若心経には、色即是空・空即是色とある。「いいかい、迷いがないことも、悩みがないことも、実は迷いなのだ」と。

聖人となって悟ったとしても、彼らの人生から見ると、「いいかい、迷いがないのも悩みがないことも、実は迷いなのだ」と、いっているような気がしてならない。 

 色即是空、色はそのまま同時に空、空即是色、色ははそのまま同時に空だ。

煩悩は迷いで、浮かび上がる意識で愛も慈悲も含まれています。煩悩即菩提。菩提は迷いがないですが、菩提則煩悩と、それ一遍でもいけない。

迷いがないところから迷いが生じ、迷いの中に迷いがないことが含まれていると、しかも人生を、人間を知った、世界の真実を知った聖人という彼らの残したものによって、今は、いがみ合い戦争やテロなども起きていることに、彼らは、今、痛んでいないだろうか?

 世界という外を心の内に見る立ち位置は、世界は心が造るといっても、私の心というより、きっと聖人は、こうした見方ができる人で、今なら語るだろうと考えたことがありました。

「いいかい、迷いがないのも悩みがないことも、実は迷いなのだ」と。

「色に迷うて古希の春」


2018.03.01 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
乞食をしていた時、魔女マタンギーが幻術を使って誘惑し、アナンの戒体を壊そうとしたときに仏が救った故事の示唆するところより、首楞厳とは木村俊彦先生によれば『英雄的道行き』だそうです。
仏あるいは菩薩の三昧に名づけられとありますので、つまりは“永遠のやすらぎと共に”と更に訳したらよいのでしょうか。

内容は、一切の覚者、菩薩神々精霊に礼拝し、祈り、「かくの如くの我に安らいあれ(ソシチーホボツモーモーインツノモモーシャー)」、と祈ります。
災いを断っち、「我を守りたまへ」と。守られることは、守りし神仏が護られし者に災いを断つ結界を結ぶことであり、同時にアナンにとってみれば自己のすべてを具足する安らぎを保持することができるからです。

東嶺和尚の看経論に自他それぞれにお経の四功徳があるとあります。
健康を助け、音声は天界の神にとどき三昧を助け、善神が護りて心の障壁を滅し、天真に随順するが故に心願を満たすとあります。
ここにも「我を守りたまへ」「我に安いあれ」と祈りがあります。
また、回向は一に事を回らして理に向ける。二には小を回らして大に向ける。三つには自を回らして他に向ける。四には因を回らして果に向けるとあり、安らいの中身を問います、すべてに深いつながりがあるとおもいます。

楞厳呪第7巻に「呪を誦し壇をめぐって至心に行道す」とあるところより、修行をさまざまな障害から成就できますようにと右に右にと歩きながらお勤めいたします。
言葉の祈りから心の祈りへと深めて行く行道する僧侶の一人一人の姿が、アナンの乞食の姿と重なり、私たち一人一人の姿と重なって見えましたら本望です。

昭和57年5月『臨済宗の陀羅尼』が木村俊彦先生と竹中智泰先生により東方出版より出版されました。

その時の後書きに、インドでの体験が書かれております。「五千年の歴史を持つインドの民衆の生活は、信仰が不可分離に融和している現実がある。厳格な身分制度、自然環境、貧困を信仰がすべての矛盾を吸収し納得させる役目を持ち、その故に彼らは自己に自身と誇りを持ち、社会機構を整然と維持している」と。

「日本人は怖いものを失ってしまっている」と。そして平成10年出版の『禅宗の陀羅尼』では、「怖いものを失っている日本人の方向はさらに進んでいる」と危惧いたします。

何事にも知解を求める現代の傾向の中で、陀羅尼は本来人知を超えた世界のことがらなのかもしれません。先生が言われる、「根底にある不易なもの」を見つけて大事にしたいものです。

2018.02.11 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
女優の浅野ゆう子さんが結婚したことが、1月12日ニュースとなりました。

所属事務所からFAXを通じてですが、「お互いこの年齢で…とも思いましたが、この年齢だからこそ、互いの健康に気遣いつつ、寄り添いながら穏やかに、これからの人生を歩んでいこうと決めました」と報道されました。

上手いなあと、上手な言い方だと感心し、この年齢だからこそ、こういった言葉がでるのだと思ったのです。

57才で初婚、お相手は一般人というのですが、この結婚が呼び水になって熟年結婚のブームが来るかもしれないし、女優は女優と、ただのニュースなのかも知れない。 この年齢で……、でもこの年齢だからこそと、もしかして背中を押された人もいるのではないかと考えてしまいました。

また、この年齢から先を歩むことを考えれば、2人なれば寂しくない、いや、その先もあるからと考えるのでしょうか。あるいは、もうたくさんと、堅く心を閉じることを選ぶ人もいるでしょう。

でも、たとえ今、心を閉ざしているとしても、その先までずっと思いが続くとは限りません。出会いがあるかも知れないし、結婚して思わなかったことが次々に起こり当惑させることもあるでしょう。

いっそのこと、困難も失敗も、喜びも幸せも寂しさも、それだからこそ楽しいと悟ってみるのもよいかもしれません。そのことが却って人を豊かにすることもありそうです。 本当に一人身でと堅く決めている人を除けば、それなりに理由があるのでしょうが、老年に向かってみれば、何か、寄りそうものがあったらよいと思うのは自然なことです。

しかも寄りそうこととは、お互いに、相反するとは言わないものの、男と女、興味と志向性、育ちや生い立ちまで含めると、違うものばかりの集合体が寄りそうこととなるのです。そこで、結婚とは束縛されるという意味も生まれるのでしょうが、人生を自由に、気ままにと思っていれば、煩わしいものでしょう。

ところで、仏教の縁起観は、結ぶことは分離することで、結合即分離、分離即結合のありようを見つめます。

働くことも結ぶこと、好きなことも結ぶこと、選ぶことも結ぶことです。ですから生きるということは、結ぶことと分離することの、分離することは結ぶことの連鎖の中に成り立っています。働くことは、働かないことの時間によってなり立っていたことを沸き立たせくれます。

必ず、人間は相対するものを作り出していますので、この相対するもの双方に気づいてみれば、転換できるし、相対を消し去ってみることもできるはずです。

自由でいたいと、自由という語言の意味は、「自らに由る」です。自らという部分と、由るという意味が合体したもので、現実の私は自ら以外のものによって成り立っていることを浮き立たせているからです。

趣味にしても、その趣味によって、仕事など何らかの束縛されていた自分を、違うものによって成り立たせる手段の意味を持っています。

自らに由るものが、思うことに由る、言われた言葉に由る、化粧に由る、仕事に由る、趣味に由る、友だちとのひとときに由る、結婚に由る、子どもに由る、老いることに由る、別れに由ると、由るものが移り変わることで成り立っている自分を知るということが、人のあり方なのだと見えてきます。

何故に自由が「自由」という熟語なのか考えさせられます。これは、仏教の言葉だったからです。 由(よ)るという相対する意味を、居場所や立場、ステータスなどの地位、これは無数にあります。

その都度その都度、祖父母になったり、両親になったり、子どもになったり、友だちになったり、相談相手になったり、買い手や売り手になったり、結局、由ることがなかったら、人は生きていけないのでしょうか。

寄りかからない生き方をしても、その寄りかからないことに由って生きるわけですから、ややっこしい。

動物はそんなこと考えませんし、思うこともないし、反省することもないし、寝るときは寝るし、休むときは休むと徹底しています。今を生きているというか……。

浅野ゆう子さんの結婚に戻りますが、お互いこの年齢ではと、非定型の言葉ですが、その非定型の年齢を肯定に代えてゆく言い方、同じ年齢でも、相反する内容を織り交ぜながらの新しいことへの宣言でした。

よく考えれば理由になっていないし、それこそ結婚にこだわらなくてもよい。

この例えは、人は幾つになっても、何かを抱えていても、今の自分の状況が、自分の背中を押してくれる励ましの言葉に通じていたことを教えてくれます。いつでも私は挑戦できるのです。

この否定を肯定へ、マイナスをプラスにという発想は、無数にあります。相反するモノだからこそ、古いものから新しいものに、新しいけれど古いものからと。小さなものから大きなものへと、入ったり出たり、押したり引いたり、進んだり下がったり、動いていたと思っていたら動かされていたと、評価できるものがあるのは当たり前ですが、そのことを出発点にすることで、人はよく生きることも、生きられないこともある。

「言語は事実を表現するものではなく、事実に対する見え方を表現するもの」と認知言語学で言うそうです。人が、相対するもの、出来事や人間を語るには、語る人の見え方を話しているにすぎないと言うことらしい。

だからこそ、この認識に関しては無限の可能性を秘めていることに気づくことで、マイナスからプラスに転ずることができるようです。 この意味では、相反するモノ、対立するもの、反対のもの、対象的なもの、排除し合うもの、対局とするもの、逆なもの、意味も形もふくめて、多くのことに気づくということが、生きる智慧で、お釈迦さまの教えです。

詩人のまどみちおさんに、「もうすんだとすれば」(まどみちお全集1992年理論社)という詩があります。

もうすんだとすれば これからなのだ / あんらくなことが 苦しいのだ 暗いからこそ 明るいのだ / なんにも無いから すべてが有るのだ 見えているのは 見えていないのだ / 分かっているのは 分かっていないのだ 押されているので 押しているのだ / 落ちていきながら 昇っていくのだ 遅れすぎて 進んでいるのだ / 一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ やかましいから 静かなのだ / 黙っている方が しゃべっているのだ 笑っているだけ 泣いているのだ / ほめていたら けなしているのだ うそつきは まあ正直者だ / おくびょう者ほど 勇ましいのだ 利口にかぎって バカなのだ / 生まれてくることは 死んでいくことだ なんでもないことが 大変なことなのだ

  ……矛盾に気づくと、人はたくましく生きていくのだと気がつくのです。
2018.02.01 Thu l こころ l top
幼かったころ、広告紙や包み紙の裏側にクレヨンで絵を描いたものです。

小さかったころのクレヨンは12本が基本だった。

大きくなるにつれて20本、36本、調べてみたら世界では500色というのもあるそうです。

どんな絵が画けるのか、おどろきです。

クレヨンは、一本一本ちがう色だけれど、ケンカもせず、非難もしない。

いがみ合うこともなく相性や不相応もない。

12色、20色、36色、500色とクレヨンの世界は、色が違っていても一つの箱(世界)に治まっている。

人間だけが、箱に治まっているのは同じだが、反目している。 何でですか?
2018.01.20 Sat l つぶやき l top
今年も、新年を迎えられたこと、何よりもお喜び申し上げます。

誰でも心の中に、大事に抱えているものがあります。

それは、自分を支えていると同時に、ときに取り返しがつかないことを起こし、自分を傷つけることもあります。

より所とはこういうものです。

そのより所を意識するとき、禅には「放尽すれば心空なり」という言葉があることに気づいて欲しい。

もともと自由自在の心空という自分だったことに気づけば、悩む必要もなかったからです。

そして心空だからこそ、抱えるものも創ることができるといえるからです。

今年1年の、ご清勝を祈念申し上げます。

      平成30年正月
2018.01.01 Mon l うつつ l top
本年、一年もあと何時間かで、新しい年を迎えることになります。

一年間、感謝です。有り難うございました。

松尾芭蕉は、北町会の向かい側、現在の深川一丁目海辺橋際より欧州に向かって旅立ちました。

その旅で会得した一つに、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」があります。

原文は「去來曰、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有。是を二 ツに分つて教へ給へども。
其基は一ツ也、不易を知らざれば基立がたく、流行を辨へざれば風あらたならず。
不易は古によろしく、後に叶ふ句なれば、千歳不易といふ。
流行は一時一時の變にして、昨日の風今日よろしからず、今日の風明日に用ひがたきゆへ、一時流行とは云はやる事をいふなり」記されています。

日本俳句協会のホームページでは、

《「不易流行の『不易』とは、時を越えて不変の真理をさし、『流行』とは時代や環境の変化によって革新されていく法則のことです。
 不易と流行とは、一見、矛盾しているように感じますが、これらは根本において結びついているものであると言います」と書かれています。
 また、「師の風雅に万代不易あり。一時の変化あり。この二つ究(きはま)り、其の本は一つなり。その一つといふは、風雅の誠なり」》

と書かれていました。

では誠?とはと、問われると説明できるものではなく、それでは「素の私を見て下さい」と言ったとしても、「その素の私は、いつどこでの私かい?」と聞かれれば、答えも尽きないし、答えられないことも尽きないものです。 

構造から云えば、千歳不易と一時流行は、共に相手に根拠を持っているということです。

温故知新も同じ意味として、故も新も、その根拠は相手にあることです。

変わるものと変わらないもの、動くものと動かないもの、右と左の対立軸など、ともに支えられていることと言ってもよいでしょう。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
静けさとは何だろうか、静けさのみという芭蕉の心化というのか、動と静を一体にして、キャンバスに貼り付けた。
2017.12.31 Sun l うつつ l top
何てこった! 昨日、8枚つづりの遺言のような手紙が舞い込んだ。

8日付の消印に、7日投函したことがわかる。

祟ってやるとの文面に、元宮司としては、何を神官として祈っていたのか?

諏訪神社に御柱を見て考えたことは、数年に一回あの御柱を神社に突き刺す祭礼により、荒ぶる祭神は、鎮守の森から外に出ることはないから、世は平安に保たれることです。

宮に祀られるお祭神は祀られることで神々となるが、神社のプログラムは、お祭りをすることで鎮まる。

氏子が祭礼に参加することは、そのプログラムを実行することだと。

町会の多くの行事も、氏子にとってはお祭りと一貫となっている。

和やかに過ごすことが、お祭神にとっては、鎮まりの起因と考えれば、祭神が怒りとなるためには、氏子がバラバラで荒ぶることは、神々が怒ることだからだ。

神社に祀られる神々の多くは、軍神もすさぶる神々ですが、でも氏子が無事に過ごすことが何よりも安らぎのはずです。

世が平和なれば、神々も喜びということです。

ついでに地獄に落ちるとは、神様の世界では地獄はないですよね!黄泉の国はあるけれどね!

地獄を語る人は、自分の心が地獄に落ちていることを語っていることではないでしょうか。

だから地獄でない世界を我々は生きなければならないのです!
2017.12.10 Sun l うつつ l top
中国で、達磨大師から三人目の祖師が、三祖僧璨禅師です。

信心銘という文章を残しています。

冒頭の文は、信心銘の中の一文です。毎朝この文章もお経として唱えています。

現前は、今という一瞬のことで、その現前に対し、順縁であっても、逆縁であっても、そのどちらでなくとも、今をかかえて生きろというのです。

鎌倉円覚寺の横田南嶺老師は、(こころころころ:青幻舎)と語っていました

《お釈迦さまは、一番信頼していた弟子の舎利弗と目蓮を、自分より先に亡くしてしまいます。

とりわけ目蓮尊者はひどく暴行を受け、最後は身体の姿形がわからないほどでした。

お釈迦さまは「目蓮ほど修行をした人でもそんな目にあってしまう」と涙を流されたそうです。

お釈迦さまでも、あらゆる人の病気や災難を全部救うことはできません。

どうにもならないものをかかえて生きているからこそ、人の苦しみを我が苦しみとして受け止め、寄りそう慈悲の働きがでてくるのです。》
2017.12.01 Fri l こころ l top
11月26日(日)午後2時より、ご祈祷法要
          午後3時より、六代目三遊亭円楽 落語
          陽岳寺 護寺会主催ですので、ご参加下さい。
ご祈祷は、“無事や平常であること”をテーマと考えます。
何があっても無事を祈ることです。
無事の基本は、変わり続けることの中に、何事にも変化しない自身の心の姿の自覚です。
人の一生は、みずから朽ち、消滅して、かたちなき限りなきものとなることへの旅路ですというなら、生まれる前から、生まれても、そして旅立った後も、変わらない自分とはなにかと考えることです。

そのために、このご祈祷最初のお努めは、先ずは、何事も受け入れられる心構えとして、無心となることが強いられます。
これは、ひとえにじぶん自身に偽りのないようにと、素直さをいつまでも持てるようにとの意味です。
これを懺悔と言います。
懺悔について、斎藤緑雨は、『眼前口頭』の中で、「懺悔の味わいは、人生の味わいである。」と記しています。

しかし、その懺悔も、人生において、苦渋や自責、許されることのない罪、知らずに傷を付けていた事実の認識、叱責や出生において、苦悩や後悔がなければ懺悔も成り立たないことでもあります。

原罪を持たぬ我々は、生活の中の、忙しさの中に、過ぎ去ることで、忘却という世界の中に生きているかのようです。

さて、祈祷とは、人の祈りを昇華させるものであると思うのですが、祈りがなければ、祈祷は成り立たないものです。
その祈りの中身が、悩みや感謝とするなら、ヘルマン・ヘッセが、『放浪』のなかで、しるす言葉が光ります。

「祈りは歌のように神聖で、救いとなる。祈りは信頼であり、確認である。ほんとうに祈るものは、願いはしない。ただ自分の境遇と苦しみを語るだけである。小さい子どもが歌うように、悩みと感謝を口ずさむのである」と。

また、祈りを昇華させるためには、祈る人と、その祈りを可能な現実なものにする超越する人格がなければなりません。

超越する人格は、神や仏、亡き人や、聖者と考えられるものです。

そしてその二つの間を取り持つ役割を担うものは、神官や僧侶です。

なぜなら、祈りについての、その祈りの内容を、また、祈りのあとの現実を、具体的に示すことも必要なことだからです。
もっとも何を祈るか見当もつかなく、ただ目前の欲望のみに囚われて、心を虚しくすることもあります。
欲望を祈りに取り違えることは、現実をゆがめます。

カフカは、『カフカとの対話』の中で、“祈りを行為”に、“人を揺籃”に、そして、“やがて贈る側に転身を希う” と書いていました。

「祈りと芸術は、熱情的な意志の行為です。普通に見られる意志の可能性の領域を踏み越え、高めようとするものです。芸術も祈りも、それはともに暗闇に向かって差し出された手であり、その手は何ほどかの恩寵を掴み取り、やがては贈る側に転身したいと希(ねが)うのです。

祈りとは、消滅と生成に間に渡された光の弧の変容の手に我が身を投ずることであり、その途方もない光を、自己の存在のあるかなきかの、はかない揺籃(ようらん)に定着させるために、その光の弧のなかに我が身を完全に没入させることなのです。」
(これらの文章の引用は、筑摩書房の筑摩哲学の森、別巻定義集からです。)

 “光の弧”とは、プラスとマイナスの電極の間の、稲妻です。

それは、消滅と誕生の間の揺籃する命でもあるのでしょう。

芸術家にまかせることは置いておき、人が祈る行為により、揺籃する心から転身する。全てはこのことが尊いのでしょう。

このことの中に、感謝が芽生え、知らず贈る側に居る自分を知ることがあるのでしょうか。

祈る行為は、その中に、転身を希うことが含まれていることになります。
じぶん自身の計らいの中の、気づきは、人を変えるものです。この変えられた自分を希うことを、このご祈祷の本意と、考えました。

そして、過ぎゆく年の、来る年の、そして今日ただ今の無事や、平常であることを願い、祈りとしたいのです。

無事とは、禅語の『無事これ貴人なり』と、また、平常とは、これまた禅語の『平常心これ道』の、無事や平常の意味から引用いたしました。

平常とは、平等常住の略意で、涅槃・菩提・迷いのない世界・悟りの世界・名利を越えた世界・無心であるのですが、ここから一切の働き、一切の行為があらわれます。

この行為や働きは、一切の善悪・順逆を離れているのです。

善悪・順逆は我々心の分別です。

このこと故に、私たちが世界に住んでいる限り、無事でないことは、まぬがれないことです。

平常に生きることは、とても困難なことでもあります。 無事や平常は、逆に、この世間の事の中に住むからこそ、この日常ゆえに、対するものとして考えられます。

日常を否定するのではなく、日常の生活のなかで、平常が現れなくてはならないのです。

カフカは、「やがては贈る側に転身したいと希(ねが)うのです。」と言うのですが、転身することです。

積極的に世間に事や日常にかかわることのなかに、転身することです。

徹底して、日常と平常は同じ道であるかと説くか、異なった道であると説くか、臨済が云う「歩々これ道場」は、行為は同じでも、無心か我が身では、雲泥の差が生じます。

蓮如上人が、「婆さんや、糸をつむぎつむぎ念仏するのも結構じゃが、念仏しいしい糸をつむぎなされや」と、さとしたと言いますが、同じ行為でも、念仏するという無心の働き、それは、臨済が云う、「随所に主となる」行為です。

身びいきの我が身に気づくことは、それは、じぶん自身の否定的転生です。

絶対なるものとは、その光の弧のなかに我が身を完全に没入させることで現れます。

転身への祈り、それは、徹底できぬ自身への、素直さえの回帰という意味でもあります。
2017.11.06 Mon l ゆめ l top
碧巌録の第三則は、馬祖大師は唐の貞元4年2月4日にお亡くなりになられたのですが、この問答はその前日、2月3日のことであります。

役位の僧から、馬祖大師にご様態をうかがったときの話です。どんな病気だったのか記されていませんが、翌日に亡くなったことから、思わしくない状態だったのでしょうか?

役位は「いかがですか?」と、動揺し、心配して語りかけたのでしょうか。

馬祖大師は、それに対して「日面仏、月面仏」と答えたというのです。

禅宗では古来からの読み方は「にちめんぶつ、がちめんぶつ」とお読みするのですが、どうしてなのかはわかりません。

日面仏は、寿命一千八百歳の仏様で、月面仏の寿命は丸一日の仏様というのです。

もっとも日面仏は、何やら漢字から太陽を連想させると、何十億年何百億年となって、人の一生とはかけ離れています。

が、その太陽と同時に、一瞬を活きているとすれば、太陽と共にでしょうか、寿命は?

余命は、今だったら、医師より予告を告げられるのですが、今も、確かなことなどわからないのです、推測だけです。

しかも、自分の死については、経験したことがないので誰もわからない。見取った人のみが、寿命を計算できる。

「日面仏、月面仏」に説明をするのは、いらないかもしれません。

理屈から言えば、時は、今から今です。今しかないとも、今という無限に生きていれば、そんな長短はないわけです。そこに引っかかっては、長短にしばられる。

またこうも言えます。時は今から今ですので、一瞬という今に死に、今に生き返る。現実には、そこまで徹して生きることは難しいでしょうが、寿命を長短で計ったり、意味の大小で決めることはできないはずです。

「日面仏、月面仏」は、「今日かも知れない、明日かも知れない」と。「日々是れ好日」もよいでしょうし、「日々新た」でもよいのです。

毎日毎日、一瞬一瞬経験をしたこともない日が、一瞬が誕生しているわけですからね。

命は、捨てるのでもない、執るのでもない、細かいもなく荒っぽいもない。馬祖大師は、調子がよいときも、悪いときも、それはそれで生きている活動の真っ只中です。

「病の時は病になりきるがよろしく。死ぬる時は死ぬるばかりです」と、ただ今を生きるだけです。

馬祖大師は、この日面仏月面仏の境地を手に入れるのに、二十年の辛苦をしたという。

こうした心境とは、新たな不安におおわれるけれども不安ではない。恐くもない。

その実例の歌が、「捨て果てて身はなきものと思えども、雪の降る夜は寒くこそあれ」と。寒いけれども寒くないのだ。実地にわからないとわからない。

「我がものと思えば軽し傘の雪」、この傘につもる雪の重みに腕はきしむけれども、自己自身の身と思えば重くはない。

こんな体験に気づいてみると、馬祖大師の不安もまた、今の自己を現すものであり、その自己に良しとなるのでしょう。

だから、「日面仏、月面仏」と響いてきます。

馬祖大師の臨終に対し、「知るものは泣き、知らないものは泣かない」という。

普段から思うことは、昆虫も魚も獣達も、その環境によって合わせて生きているのに、人間だけがどうして、ひとり生きようとするのか。

生命力とは、何なのだろうか?

ただ冷暖自知するのみで、すごい人だと。
2017.11.05 Sun l l top
若かりしとき、修行の道場で、よく言われた言葉です。

意識は対象によってめまぐるしく活動して、思いもしないことが言葉で出たり、つい人を傷つけたり悲しませたり、だますことになったりと、嘘ついてしまうこともあるのです。

人間がため込んだ知識は、あくまでも知識であってそれが正しい内容なのかはわからないものです。

しかも、知識は忘れてしまったり、古ぼけてしまったり、変わらないものは何かと探し回っての旅は続きます。それも生きるということなのだろうなあと、切りがない。

新聞やニュースの情報も、伝え方によっては明日は違うと、心得るべきでしょう。それとも、今日は今日と、割り切っての知識か?

言うものとは、言わずと知れた知識でしょう。知識を誇るものですが、知識をいくら知っていても、そのことが人間として高みにあるとはいえない事実です。

人間がため込んだ知識は、つい喋りたくなります。速く使わないと時代が変わってしまうし、また忘れてしまうものです。

では変わらないものは何か?変わるものは何か?

昆虫や植物・動物を観察しながら、語っていることを見れば、日々に生きゆく姿、日々に死にゆく姿です。

しかも、体内ではそれぞれに活発な営みがおこなわれている。

人が亡くなって、何で髭が伸びるのか、爪が伸びるのか、色が変わるのか、骨となってしまうのかと、知るものは言わず。

では、語らせるのは、誰ですか?
2017.10.30 Mon l つぶやき l top
ここ最近のことです。地域ではお年寄りの訃報に接することが多く、家族だけで、近親者だけで野辺の送りをすることが多くなりました。

しかも、送るそのときの人数の少なさに寂しく思うことがあります。

仕方がないのですが!

「そういえば、しばらく、姿を見ていなかった」と、思い出しては、多分、しばらく見ていなかった時間とは、自身の身体を心配する時間だった思っています。

訃報が入って気がつく場合と、訃報以前に、気がつくこともあるのですが、顔を見せては挨拶をしていたお年寄りの姿を見ないと気づくこともあるのです。

それが数年続くと、突然の訃報になって便りになることが多いのです。

忘れられるというのではないのですが、地域も身体同様に新陳代謝を繰り返していますので、いつもの風景とは、すべてを含んでいます。

つい最近も3人のお年寄りの訃報が届きました。

それぞれ、老いは自身の経験していなことばかり、身体の良し悪しで、心の良し悪しとなって、自宅に暮らし、病院に暮らし、施設に暮らし、どうだったのでしょうか?

世の中に、人口比率に、お年寄りがものすごいパーセントを占めているのに、結局最後は、家族だけで、近親者だけで送るだけなのかと、です。

1人、息子や娘が親を送る。あるいは近親者がいなくて葬儀社が仕事として送る。

そのぶん、お年寄りがお年寄りの智恵を磨く経験が不足しているような気もするのだ。社会も社会の智慧を磨く経験が不足しだしています。もっとも体験なくして経験の智恵などありませんが?

送られるお年よりは、老いが進んで、あるいは老いと同時に身体の異変で、身体が思うように動かなくなってと、身の回りは急に1人を意識するのではないかと思えます。

「問いは答処に在り、答えは問端に在り」という語があります。

人が年を取れば、人生とは問うことばかりです。ただ老いの問いほど、その問いの内容の奥には、「私」という問題が含まれてあるような気がするのです。

現実には、自分自身のことも究め尽くすことなどできはしないのに、それで、他を問えるのかと、辛辣な問いの連続です。

問題は、その他なのですが、身体の痛みや、脳を含めた身体の内部、子供たちのこと、病院の治療、金銭や年金、社会構造を含めて絡みあいながら生きている自分のことです。

答えのでない問いに、自身を問うことで、答えは自己の内に在るというのですが、「老いては身に従え」という、ことわざもあります。

身と心が一致することなど、問わなければ、一致に至ることもできないし、逆に問えば問うほど、わからないこともあります。

問い即答え、答え即問いの迷路は、老いの豊かさにもなるのですが、老いの辛さも含んでいるいるのではないでしょうか。

だから言うのです。「老いのページは、何枚めくっても、老いばかり」と。

でも、精神的には本来、心に老いなど在るはずはなく、一瞬一瞬の初めてのことばかり、くり返しもないし、自分自身への出会いは新鮮な出会いなのです。

老いも、死も、記録や記憶、歴史や宇宙までも含めて記憶です。ただそこに在るだけで記憶の因果です。

人が生きれば生きるほど、記録はふえるばかりですが、膨大な記録なゆえに、老いれば、欠落し忘れることが多いのですが、忘れることを恐れるより、思考して、考えて、出逢って、読んで見て、思考の回路を研ぎ澄ますことで、老いのページが豊かになることを知るのも、老いの楽しみです。

「俺は何を考えていたのだ。もっと、違う応えもあるはずだと。いっそのこと答えを出し続けてもよいし、迷宮の迷うの中に自分から踏み込んでもよいのです。答えなんかあるものかという応えを出すのも、老いの特権だからです。

時代の変化に翻弄されながらも、一人自分を保つことは難しいことです。縁に随う、随順しながら縁を換えていくことも応えです。
2017.10.24 Tue l つぶやき l top
東日本大震災が起きたとき、人間の自然災害のこわさにつくった回向があります。

『神々、佛、菩薩たちへの祈りの廻向』でした。下記にしるした内容は、その冒頭の言葉です。

『在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのもの。

在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!

在るものを無さしめる神々よ!

無いものを在らしめる神々よ!

無いものを無さしめる神々よ!

空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ』と。

実際には、在るものが有ること、在るものが無いこと、無いものが無いこと、無いものが有ること、この四つの自然の出来事に関しては、今の人間の力や知恵知識ではどうにもならないことです。

この自然の出来事には、平安や無事、穏やかさや安らぎへの祈りこそ、人間の人間たる特徴で、ある意味では人間にとって神とは、依り所をなすものと思うのです。

大きな自然災害に動物が遭遇したとき、逃げ惑う姿、行き場を失って災害の流れに命をさらす方法しかない動物たちを想像すると、同じ姿に見えるのですが、人間とは違います。

古代から現代まで、過去の全世代の人間は、祈りをもって生きてつないで、それが今ではないでしょうか。あの東日本大震災は、こう語っていたことをあらためて気づいたことでした。

それは、人間本来の謙虚さを表現するもので、自然に対する畏敬や感謝の思いにつながります。恐さと峻厳さ、穏やかさ安らぎを同時にたたえて、地球という一つのものは、また太陽系の一つの惑星で、宇宙空間の太陽系という一つに過ぎないのです。

この地球こそ、我々にとっては、かけがえのないものであり、この小さな方舟の些細な瞬きやくしゃみにつぶやきで、私たちは吹っ飛んでしまうのです。これに対して、何の力も持っていません。

お釈迦さまは、わかりやすく、「これがあることで彼れあり、これ無ければ彼れなし、これが生ずれば彼れ生じ、これ滅すれば彼れ滅す」と語ります。

ただ縁起(えんぎ)という関係性によって生起(せいき)するだけ。

縁起は因果のことですが、仏教は縁起と読みます。縁はご縁の縁、起は起きるという意味で、縁によって起こるので、生起したものということです。

しかも、縁という意味は、世界の一切ものが縁という結び方で結ばれることを意味します。そして、その内容は、結ぶことは分離することが含まれて、分離することは結ぶことが含まれているというのです。

これは、仏教の特色である相即の論理で、生は死を含み、死は生を含むというように、色即是空、空即是色と般若心経に書かれています。

その縁起のことを、龍樹菩薩は「空の論理は、縁起の論理と。われは説いて空といい、また縁起という」と、説明しています。底がなく、無基底ともいい、西田幾多郎は「絶対無の自己限定」というのですが、生起の起きることが自己限定といいます。

お釈迦さまは、「世界には、あるがまま以外に何があろうか?」、「いま、ここに、これ以外の何があろう」とも因果という法則を説きました。

だから、東日本大震災でこの意味は浮かんで、「在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!在るものを無さしめる神々よ!無いものを在らしめる神々よ!無いものを無さしめる神々よ!空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。」と、在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのものだったと、回向を考えたのです。
2017.10.21 Sat l l top
三つの道と書いて、三途と読みます。そして三途(さんず)の川と言えば知らない人はいないと思うのですが、最近の若い人が知っているか、聞いたことがあるかはわかりません。

この三途の川は、この世とあの世とを隔てるものです。当然、この川岸は広く深いので泳いでは行けませんから、舟や橋が必要と思うのです。

伝わり読むところによると、平安時代末期までは橋もあったと聞く賽の河原でしたが、その平安末期以降は、舟で渡るという方法が主流となったようです。

しかも、この舟に乗るにもいろいろと準備が必要ですし、その前にこの河を渡るためには、お二人のお年寄りの面接を受けなければなりませんでした。

一人は、奪衣婆(だつえば)という名で、六文銭を持たされなくって、たどり着いた死者に対し、衣服を剥ぎ取る役目を負った内面に厳しさを秘め、年令は常識では数えられないほど重ねた女性でした。しかし、この奪衣婆は不思議なことに、江戸市民が文化的に豊かになると一種のブームが湧き起こって、賽の河原から離れた都市のお寺に祀られて、閻魔大王共々信仰の対象となった時代もあったのです。

さて賽の河原の伝説では、もう一人の登場人物がいます。懸衣翁(けんえおう)といって鬼の様相をした、これも年齢不詳の鬼の翁でした。彼は、奪衣婆が奪い取った衣服を、大きな木の枝にかけ、その重さで死者の罪の深さを測ったといいます。

その罪の深さという重みによって、賽の河原である三途の川を渡る場所が決まり、川の流れの早瀬や深瀬に渦をまいた場所などが決まるというのです。

さて、賽の河原といえば、さらにもう二組の登場人物がいます。

それは、親に先立って亡くなった幼子と、その幼子たちを救うお地蔵さまでした。

親から見ると、親より先に旅立ったという幼子を、親の悲しみが秩序に置き換えられて、幼子の親不孝と告げられ、その報いとして苦を受ける因果の法則となっています。

今の時代から考えれば、親の強い幼子への思いというか、親の論理でものごとを考えることから、幼子は親の所有物という時代だったのでしょうか。

必死に泣く早死にした幼子は、時代背景を背にしてですが、遺された親の供養のあかしとして、両親への想いを心に篤くして、河原の石を積み上げるのです。そこへ鬼が出て来て積んだ石を崩してしまいます。

何度も何度も幼子たちは親の面影を浮かべて石を積む、そんな姿に親たちの苦しみを、救う物語が、お地蔵さまと幼子の死の物語です。

早くして亡くなった幼子が、賽の河原で、石を積む。その姿を、死して親孝行を支える表現としたのでしょうが、これではお互いが苦しむ姿となるでしょう。

そこで、幼子にして見れば原因があっての別れなのですが、川原に石を用意して、河原の石を、積み木のように積み、繰り返し繰り返し、あきるまで積む姿を、幼子が無心に没頭する遊ぶ姿かも知れないと考えてみたのです。

積んだ石積みは高く高く、すると、積んだ石は崩れるものです。そこに、幼子の心を慈しむお地蔵さまが登場します。幼子は、無心、ただ積むという行為に、幼子の今があるような気がいたします。

幼子は母親や父親など保護者に依存しています。幼子の沈黙の言葉を代弁すれば、「お母さん、お父さん」であり、居てあたりまえの生活の中に、喚ぶ声でしょうし、訴える声でもあります。幼子の様子を、般若心経の中に「眼耳鼻舌身意無く聞く」と書かれています。

眼なくして耳なくして鼻なくして舌なくして、身なくして思いなくして聞くというのです。石を積み遊ぶ幼子の心には、「お母さん、お父さん」という響きが一杯となっています。この声は本当に、寂しい、悲しいと泣いているのでしょうか。

その見えない声を聞くことができるのが、この物語では、お地蔵さまだったのです。何故なら、お地蔵さまこそ、お父さんやお母さんの化身であったからです。幼子の心を、大きく包んであげることができると。

幼子は、恐いものは、身に降りかかる突然のビックリするもの、大きな音や、出来事、この世の中のことは知らないし、わかりません。これは知らないことを、何よりも知っているということです。ソクラテスに言わせれば、「無知の知」でしょうか。

純真無垢、生きることも、死も、働くことも、善いことも悪いこともです。だから、親は教えてあげるのですが、子どもは、今を生きる天才です。

その天才ぶりは、幼子の興味は、今・ここの一点にあり、三途の川を渡るという意識もなければ、かえってその川原で遊ぶ姿だけが象徴とされる姿です。

それに対して、大人や成人、お年よりの問題など、倫理や善悪、時間もないし、生きるもなく死もない。あるとするならば親の愛に包まれていることでしょうか。

そしてお地蔵さまとは、ご両親の代わりに、今ここを、幼子と一緒になって遊ぶ姿として、ご両親の化身としてみたのです。

考えてみれば、この賽の河原の物語は、大人が創作したものですが、見方を変えれば、大人となって成長しても、大人の中の幼子の心を考えさせられるものとなり、問いかけを持つことを説いているように思えるのです。
2017.09.23 Sat l つぶやき l top
怒りやねたみに執らわれると、怒りやねたみに縛られる。

憎しみさげすみに執らわれると、憎しみやさげすみに執らわれる。

好き嫌いに執らわれると、好き嫌いに執らわれる。

人をだましたり、蹴落とすことに執らわれると、人をだましたり蹴落とすことに縛られる。

心に思うことや感情に支配されると、心に思うことや感情に縛られる。

名誉や地位に執らわれると、名誉や地位に縛られる。

強さや弱さに執らわれる、強さや弱さに縛られる。

>悪や正義に執らわれると、悪や正義に縛られる。

癪にさわる、頭にくると言うけれど、そのよい機会に癪の中味を、頭の中を、心の中を顧みるしかないのないのです。

もし癪にさわる、頭にくるモノを一日中執らわれに満ちあふれさせて、ひと月、一年、十年、もし一生持ち続けたとしたら、自分自身の一生は、とらわれの関係のまま終わっていることに気づかない一生となっているでしょう。

>いつまでたっても何のために私は生まれてきたのかも分からず終わってしまうのです。

よく言う会社に半生を捧げて、定年で家庭に戻ってみれば、半生を捧げた会社に執らわれて、会社から定年で必要としない人間となってみると、今の自分の意味が見いだせないかのようです。人生にとって、仕事、それ以上の執らわれは、働くことが目的とすれば、働かなくなってみると、それ以上のより所は見つからないのかも知れない。

執らわれる、縛られるというのは、本来一瞬に生滅しているものを、言葉と記憶により持ち続けないと保てない私という意味です。

時間的にも場所的にも、一瞬一瞬の今ここに繰り返されて起こっていることです。だから私にも分からない。

その私がいなければ、私たちは、同じ船に、同じ国に、同じ地球に乗り合わせている旅人同士なのです。

2017.09.19 Tue l うつつ l top
お寺では、春と秋の中日には、ごご2時から彼岸法要を、誰でも参加できるようにと、お布施と関係なく営んでいます。

彼岸は、春秋、昼の時間と夜の時間が等分になる、それを春分の日、秋分の日と呼びます。そして、秋分の日、春分の日の前後3日が、お彼岸と呼んでいます。これを名づけて季節の行事週間としているのは日本だけです。

この期間、さまざまな人たちがお墓参りへと、お寺に寄っていきます。そこではさまざまなお話しが交差します。孫の姿を見せる人。子供たちと来る人、お年寄りが家々の亡くなった人たちへ忍ぶ対象に対して、しるしを置いていくというのか、お線香にシキミ、お花を添えて墓地は、花畑です。

陽岳寺では、昨年、合同のお墓を造りました。それは一人という人たちが増えて、あるいは継承するお墓はいらないと考える人たちのために、新規に造ったものです。不思議なことに、ここにも、子供たち孫たちが、お線香をあげ、花を捧げて墓参します。生きている人が、このお墓に眠っているように墓参するのです。そして家族や親族、知人は、この眠っている人に語りかけ、言葉を引き出しています。

今朝も、お年寄りの男性が一人墓参しました。「よくお参り下さいまして、有り難うございます」と添えます。するとお年よりは、「妻の名前で、お塔婆をお願いします」と依頼されました。

この方は、今年納骨された親戚のお墓にお参りしている方です。お正月やお彼岸に家族と墓参していました。今日は、一人でしたので、「今日は、お一人なのですね」と語ると、「今年は私もガンで入院し、妻も、転んで足を折り、私も歩みがおぼつかないのです」と、絞り出すように話しました。

「葬儀にも参列できなくて、情けない」と語った姿に、元気な老いの姿は、時に、一気に老いのページを進めて、お年寄りの寂しさが伝わっきます。「あんなに勢いがあった老いだったのに」と、これを落差というのでしょうか。

でも、奥さんの名前で塔婆をあげるという行為も妻の気持ちを汲んで、優しさが、お年寄りの目に輝き、線香の煙も助けて「情けなくて、涙がでてしまう」と、言葉を残して墓参に行きました。
2017.09.19 Tue l うつつ l top
月島に産まれた古老から聞いた話です。

16年の開戦では、月島西仲通りは提灯行列に子ども達もかりだされたという。

街頭にはカーキ色の国防服を着た人があふれていた。

隣組や消防団が結成され、緊張感があふれていたともいう。

頼もし講、日掛け貯金などが盛んだったようだ。

ラジオに軍艦マーチが流れると、臨時ニュースが流れ、その音はけたたましく、街中に緊張感があったという。

小学生1年の、月島第1小学校の遠足は日比谷公園だったという。

昭和17年4月19日、B29が月島深川の上空を飛んだ記憶を聞いたことがあった。

はるか上空1万メートル上だ。

この頃から、子供心に、大きなものに流されているものを感じながら、自由さがなくなっていたことを覚えている。

昭和19年5月3日には、子供たちの疎開が始まる。

田舎に縁故がある子どもは、その年の初めより疎開していなくなっていた。

月島の西仲通りの家は、軍隊により強制立ち退きがはじまった。

月島第1小学校は月島第1国民学校となっていた。

その疎開にも、駅の関係者に、裏金を払って切符を買った人もいたという。

その頃の自動車やバスは、ガソリンがなく木炭エンジンに変わっていたとも。

多くが20年にはすべたが配給制になっていた。

都電で九段にゆくとき、車掌さんが、靖国神社に対して黙祷と号令をかけていたという。

空襲があると、不発弾を子供たちがひろい、穴を掘って埋めたりしていたとも、子どもの遊びは禁じられた遊びだったのかも知れない。

聞き書きです。
2017.08.10 Thu l うつつ l top
深川二丁目北町会の元町会長のNさんという方がいました。左官屋さんの親方で、野丁場や丁場での口癖は、いつも「まっつぐ!」でした。

江戸で産まれたわけではないけれど、茨城生まれだったのですが、江戸っ子職人でした。

江戸の町はこうして出来上がっていったのですし、地方の都市も、年代を100年、1000年と振り返って見れば、どこの街も同じです。

の口癖であるまっつぐは、道案内でも、どこどこに行くのに、真っ直ぐ行くと二つ目の角を右に曲がって、河があるから、その河を渡って、二つ目の角を右に曲がって真っ直ぐに行くと、黒い屏の家があるだろう、その向こう隣が、誰誰さんの家だとか、言います。

彼は、その真っ直ぐを、「まっつぐ!」と言って、「まっつぐ!」以外に真っ直ぐという言葉はありませんでした。

その角を右に「まっつぐ!」、くにゃくにゃした道を「まっつぐ!」、次の角を左に「まっつぐ!」、とすべて「まっつぐ!」でした。「まっつぐ!」しかない、江戸っ子というのか、まるで生き様が「まっつぐ!」、人と人との関係も「まっつぐ!」でした。

なぜか曲がるという言葉が嫌いだったのでしょうか。

白川静字通によれば、曲は悪を意味するそうです。

彼は、左官屋さんでしたが、コテで動物を描いたり、形を浮かび上がらせるのが得意でした。

ついでに、鳥や植物、風景もすべてコテ一本で仕上げることができました。

直線も曲線も、斜めも点も、すべて「まっつぐ!」にコテを走らせることができるのが、職人の気概だと感じていたのでしょう。

野丁場、丁場であろうが、私の知り合った頃は、一人親方をしていたのですが、器用で、気さくで、ちょっと短気で、言葉や動作は、ぞんざいでしたが、きびきびしていました。

「まっつぐ!」、という言葉が、強く印象を持ちました。

さて、禅の修行道場では、お師匠さんに、問題を持ち続けて、わかったら答えを持っておいでといわれます。

わかったら次の問題に・・・と、問題を解答することが修行道場でのすべての生活です。

「四十九曲がりの細道を真っ直ぐに通らにゃ一分立たぬとあるが、どう通る?」という問いがあります。

古い言葉に、「くにゃくにゃ曲がった細い道を、真っ直ぐに通れなかったら、面目が立たぬ」とあるが、さあお前さんならどう通るか?」、という問いです。

今の時代は、「一分が立たぬ」の理解が難しくなっています。

1、一身の面目。一人前の人間としての名誉。体面。「一分がすたる」

2、に分けたものの一つ。転じて、ごくわずかな部分。「衆生の中に―の仏性無き者ありという」〈今昔・四・二八〉

3、自分ひとり。一身。「三人もろともにしたる事をも、己れが―の手柄立てを言ひまはり」〈仮・可笑記・一>

4、同じものとしてみること。同様。 一分が立つ。:身の面目が保たれる。

一分立つ。「リーダーとしての―分が立たない」 一分を捌(さば)く:独力で自分の身の振り方を処理する。

「皆賢く、その一分捌きき兼ねつるは独りもなし」〈浮・永代蔵・二〉

一分を捨つ:一身の面目を失う。「女の一分捨てたる事の悔しや」〈浮・禁短気・四〉

江戸時代には、「面目ねえ!」とか、武士の面目とか普通に使われていたのだろうと創造させます。

禅の本来の面目など、鎌倉時代前の言葉でした。 さて、真っ直ぐに通らなかったら、修行僧としての面目が立たないということなのですが、「何でくにゃくにゃ曲がった道を真っ直ぐ通ることが、修行者の面目なのかが分からないのです。

それにくにゃくにゃした道を、真っ直ぐに通れるわけがない。では曲か? しかも「おかしいよ?」と意義を唱えることもできません。

師匠は絶対服従ですから、聞くこともできません。

根本さんの「まっつぐ!」には、若かった頃の、「真っ直ぐに通る」の記憶がよみがえり、「この人は、日常のすべてがまっつぐ!で、通している人なのだ」と見たのものでした。

最後は病気で亡くなったのですが、へこたれることもなく、最後の最後まで、一瞬一瞬を生き切り、一瞬しかなかった、「まっつぐ!」な人でした。

一生を、「まっつぐ!」なものとして悟って生きたともいえ、こういう人もいたのだと思ったのです。

正直の正と、真っ直ぐの真との、違いを思うのです。

人の誕生から死までの道は、目に見える道もありますが、目に見えない道こそ多いものですが、人も動物も魚や鳥や昆虫も、自然も、世界も、一瞬しか持ち時間がないくせに、道のりを考えて、最後はこうありたいと、創造して生きています。

そんな創造したものに、まっつぐは、木っ端微塵にくだく力を持っています。

何も道だけではなく、過去も未来も、世界もくだく力は、「そうか、道などなかったんだ」と、「人生なんて無かったんだ、ただ今を生きるのみだったんだ」と。

「まっつぐに!」と教えてくれます。

この人の「痛い」、「その時の痛さがたまらない」、腹に一物を持つといいますが、この人は一物を持った瞬間という、「まっつぐ!」下には、もう次の「まっつぐ」に走っていました。

道だけではなく、感情も思いも、仕事も、人と接するときにも、つねにただ「まっつぐ!」にいきていたのです。

話が好きな人でした。笑うことも、同情することも、怒ることも、ほめることも、痛いことも、くじけても、喜んでいるときも、「まっつぐ!」でした。

これが深川の意気地であり、八幡宮への心意気だと考えていますが、今は、何も深川だけではなく下町、いや日本人の心ねです。

繰り返しますが、本来、人は誰でも、真っ直ぐな人であり、自心の正直さをもっているし、もともと清廉潔白なはずです。

その清廉潔白さにさまざまな、すべての感情を起こしては、あるいは思案も、まるで次々と上がる花火のように消えていく清廉潔白な姿を持っているはずです。

ただ、気づくことだと、考えています。

そして、今・ここを生きていることに徹すれば、わたしの「まっつぐ!」が、そこに完成していることに気づくでしょう。

今・ここしか生きていない事実を悟ることです。

今年、3年ぶりの富岡八幡宮例大祭が、8月11日、12日とにぎやかに、13日は早朝より8キロの道のりを、53基の神輿連合渡御が繰りひろげられます。

足元はいつも、まっつぐ!の53基の神輿の勢揃いです。
2017.08.01 Tue l l top
仏教の基本は、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三つを信ずることです。

これを教えとして、三宝印というのですが、三つの宝に印鑑の印と書いて、三宝印と読みます。

誰でも、その通りだと思うことに、ものは、一瞬一瞬移り変わり・変化するという法則を持っていることに違和感を持つ人はいないでしょう。

すべてのものは、活動あるいは動く行為をしているということで、この活動していることを止めることはできません。

三宝印の一つ目、諸行無常とは、増えたり減ったり、形が変わったり、誕生したり滅びたり、移り変わること自体の法則をいいます。

これは、肉眼で見えるものもありますが、喩えていえば、滝の流れのように、滝が水滴の集まりであり、さらに水滴が分子の集まりであることは、見えません。

しかも、その滝を見ている人間も、常に変わり続けていることに気づかないものです。

次ぎに変化し続けるという諸行無常であるからこそ、ひとときもジッとして、固定してあるものはないという意味で、これを三宝印の二つめ、諸法無我と呼びます。

無や空という言葉で表現しています。

私も、私以外モノもです。

このことは、変わり続けるために、固まった、変わらない実体というものがあったとしたら、個体は変わることはできないことを意味します。

諸法無我とは、ものには、一瞬一瞬変わり続けるために実体というものもないのです。

何が本体なのか実体なのか、本体も実体もない私なのに、その構成するもの自体が、思いも、考えることも、わからないことも、戸惑うことも含めて、変わり続けているわけですから、このことを諸法無我と呼びます。

次ぎに諸行無常・諸法無我を悟った、涅槃寂静です。

般若心経には、「諸行無常である私の眼や耳、鼻に舌も、身体も心も、実体はない」と書いています。

さて、私たちの普段の生活では、親しい人と一緒に対面し、お茶やコーヒーを飲む。何気ない話や、相談事もあるでしょう。それとも、何か前に起きたことを、面白おかしく語り、共に喜ぶ対面する知人を見て、私の中に笑みが広がります。

これを、諸法無我であるが故に、諸行無常の時間の流れを悟って、次々に進んでいく時間を持ちますと、表現します。

さらに、このことを無い無い無いの中に、何不自由なく、生活をくつろぐ時間を持つことができるというのです。

般若心経の眼もなく耳もなく鼻もなく舌もない身もない意もなく生活をくつろいでいるというのですが、えっ何故と、驚かれるかも知れません。

これは、現実には空や無のごとく生きるといえばよいのか。諸行無常や諸法無我、涅槃寂静という悟りも忘れて生きる人の姿ということです。

実は、諸行無常は、諸法無我を証明します。同時に諸法無我は諸行無常を証明していることなのです。

どうしてこういうことが言えるかというと、諸行無常自身に自らの根拠はなく、諸法無我自身も自らに根拠をもっていないということです。

さらに、言い換えてみれば、諸行無常は、諸法無我によって成り立つと同時に、諸法無我は諸行無常によって、矛盾の上に成り立っています。

これを禅は、二つで一つ、一つで二つという意味です。

そしてこの諸行無常と諸法無我を、「なるほど」、と自覚することが涅槃寂静ということなのですが、自覚することで諸行無常そのものになり、諸法無我そのものになることですから、自覚と言いましたが、認めて自覚する自我もない自我を言いあらわしています。

この認めて、つかまえることのできないものを涅槃寂静・仏性・仏と、お寺では呼んでいます。 実際に、私たちはこの通りの生活をしてます。

 こんなに迷って、喜怒哀楽があって、がっかりしたり、好き嫌いや、怒ったり喜んだりと、妄想分別と言っているのですが、それでも私は涅槃寂静なのだろうかと疑問を持つかもしれません。

でも能く考えて見ると、移り変わってばかりいるのが自分で、ひとつとして同じ状態でいたことがないではありませんか。

そんな変わり続ける私の、どの私を認めて私というのでしょうか。

私も、私を取り巻く環境も、この三宝印から離れることは出来ません。ただ気づいていないと言うことです。

諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を、大切にし、これを法として、事実において悟らなければ、仏道は成り立たないことです。


それでは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静から見たら、と言いますと、見る私がいるわけですから、問いとしては、「見るその私は、何時、何処での私なのかと」見つめられなければならないでしょう。

お釈迦さまの法を継いだ迦葉尊者が残された記憶にある言葉に、「彼(菩薩)はつぎのように心をあまねく観察する。日々、時事刻々とわき起こる心の一つ一つの内容は、私のどの心なのか。過去なのか、未来なのか、現在なのか。

しかし、もし過去の心であるならば、それはすでに滅してしまっている。未来の心であるならば、それはまだ到来していない。もしまた現在の心であるならば、それはしばしもとどまることがない」と、諸行無常のなかに生きる自己を、「汝自身を知れ」と問い続けます。

金剛般若経には「如来は人々の心をことごとく知っている。その理由は、如来は、もろもろの心を説いて、皆、心は非ずとし、これを名づけて心という。理由は、過去心も不可得、現在心も不可得、未来心も不可得」だからと説きます。

この「何時、何処での私なのか」の問いに、他のお経には、「未来、過去は、今に非ず」とあります。 時は、今から今です。

仏教では、過去現在未来は、絶対的に断絶しながら、継続していると、矛盾を説きます。

その矛盾は、遠い昔の過去から、いつでも今であったということを現しています。

地球の年齢と共に、宇宙の年齢共に、今のほかにないということですから、この今ということを悟ることは、矛盾を矛盾のまま手に入るということですので容易なことではないはずです。

考えてみれば、問い自身に矛盾が含んでいるわけですから、不可得というのは、得ることができないならば、今に徹するということが、私たちがいきるということで、その生きる姿が、矛盾を矛盾としない私となれるのでしょう。

「今でしょう」と、よく聞くことばですが、しかし今は今であり、その実体を認めると、私と今と二つになるので、今が何処かに行ってしまいます。

つかまえることのできない今は、今の事実に徹するよりほかにない事実として見ていただきたいと思います。

今ではなくなるということです。

白黒をハッキリしなければならない世界に、私たちは生きて、現実は、矛盾ばかり、相対するものばかり、対立するものばかりだからです。

しかも対立しているのは、私たちの心の中です。

さらに家族や地域、民族や国家、自由主義や資本主義、排他的主義主張という集団としての、物語の中にあります。

本当は、その時代が作り上げてきた現象なのですが、結果として対立するものを、お金や言葉という言語によってなり立たせていることです。

中国の趙州という和尚は、「私が、仏法をまだ何も分かっていなかった、今という時間に使われていた。しかしひとたび自分をあきらめると、今という時間を使うようになった」と話されています。

これは、今に使われていたことが、今と私が二つに分かれていたことを現して、今を使っていたとは、今と私が一つに成って、今を活きていたことになるのでしょう。

今と私が一つになるとは、今を認める認識がないこと、つまり「自分と今が分離しない」ことです。

人は、今、悲しいとき、苦しいとき、今辛いとき、思い悩み答えがでないとき、今涙がでてきたとき、どうにかしたいとき、その今を考えてみると、今というのは、付け加えるものがないことが実相であり事実です。

何故なら不可得だから。 そこに「今のままで良い」のだと、心の中で良し悪しを決断してしまうと、永遠という今が、良し悪しという相対する意識となって、せっかくの今という事実と離れてしまいます。

今のままでよいとは、仏法という法に成り切るということです。

その仏法を自分のものにしてみれば、「そのままでよい」とは、自分自身が無心となって現象という諸行無常になりきる、行為そのままです。そしてまかせる、あるいは自分が今置かれている居場所に咲くとは諸法無我そのままです。

実相とは、流されて流れ、流れて流される。選んで選ばれ、選ばれて選ぶ。含んで含まれ、含まれて含む。動いて動かされ動かされて動く。この有り様が涅槃寂静で、今を生きる姿となります。

仏法とは今そのもの、その今を仏法に置き換えて、実体の無いもの、空を法といい、今ということだとも、理解して欲しいと思っています。
2017.07.01 Sat l l top
私たちの心は、私たちが何かに執着したとすると、その執着したものから同時に、執着された自分になるという矛盾した自己確立の関係が生ずる。

私は、執着したモノによって、縛られた私自身であると。

私という存在は、生きるためには、あらゆる関係性によって成り立っていることを、否定する人はいないと思うのです。

しかし、その関係性はすべて矛盾した関係であることに気づく人も、またいないのです。

よくいう絆とは、結ぶこと、結ばれることですが、人は結ぶことによって、同時に分離、別れることを意識しないものです。

多くのものあるいは二つのものが結ばれることは、同時に結ばれたことで分離することです。

そして、結ばれた一つの関係は、同時に結んだ双方は、互いに結んだ意味の根拠によって保たれていると同時に、結んだ当事者は相手に根拠を持つことで、自分自身には根拠は無いという事実です。

世界中がグローバルという名のもとにつながるという関係は、その国の、そして言語の集団的文化や歴史、宗教的な関係を含みます。

その集団の意味や意識、主義主張という執らわれや執着、固定観念との関係を含みますから、なおさら関係を結ぶと言うことは、結ばれたことで、結ばれた双方は互いに根拠を持ちながらも、自分自身には根拠が無いという、分離した意味を把握し、矛盾が浮き彫りになった意味を知らなければならないでしょう。


私たちの心は、世界と常に対峙していますが、その心の尖端は眼耳鼻舌身意という六つの働きです。

普段はこの六つの働きを意識しないものですが、私たちの好みや感受性、興味の方向性、趣味や娯楽、スポーツを含めて好きや嫌いと眼、耳、鼻、舌、身体、意識という六つの働きが、一つとなって対照とするものが心を支配します。


そんな私を智慧と慈悲に回帰させるために仏教が用意したものは、無心である心の自覚です。

本当は固定した私の心などないのだけれども、無心ゆえに実在する私の心といえばよいのか。

その心を理解するために、金剛般若経というお経の中に、ピッタリな言葉があります。

「心は、住するところ無くして、しかも、その心を生ず」です。

この、住するところ無くしてという部分が、無心と置き換えることができるのですが、本山の妙心寺では、無心の意味を、無住にして無相、無念とも言い換えています。

無住の住(じゅう)は住む場所であり、無相の相は姿形です。

無念の念は、思いや記憶も含まれていますし、しかも長年経験して染みついた経験の念という蓄積も含まれています。

詳しく分解してみれば、「心は、住するところ無くして、しかも、その心を生ず」「「心は、姿形なくして、しかも、その心を生ず」「心は、思いや記憶なくして、しかも、その心を生ず」と読みます。

禅宗は不立文字という看板を掲げています。これは、文字を立てない、文字で語らない世界で、これも無心の構造的意味です。

さて、人間は、赤ちゃんとして誕生したとき、「オギャー」と、自分ばかりと宣言します。

この時、赤ちゃんは矛盾もなく、死もなく、意味も持っていないし、他者もないものです。

そして赤ちゃんは、誕生からすぐに、幼児に移る発達を加速して行きます。その発達の最初は、自己の中に自分と他者の分離が始まります。

それ以降は、見るもの聞くもの触るもの味わうもの意識するもの、相対するものは自分と他者の分離の関係ばかりです。

まして言語という記号を憶えれば、空間にあるものは、他者という記号ばかり。言語という意味による空間の切り取りであることに気がつかないものです。

極まるのは世界と私という自己との対比です。

さて、日本の食卓にある果物について考えてみました。この果物は、ただの果物ではなく、また私の心のことを指します。

日本人なら当たり前の食卓の上に乗るミカンは、経験の基礎があって、ミカンと知ることができます。

つまり、それは私たちの意識に固定されたものです。

人は、ミカンと言った瞬間、ミカンは誰にとってもミカンだと他の物とは違って認め、空間から切り取って、私たちは皆で「わっ、ミカンだ」と分かります。

でも気がつけば、ミカンであると言わせたのは、それ以前に私の中に植え付けられている経験や記憶の概念です。

これを「人がミカンを見る」と言います。

さらに、ミカンの味や色、むき方、酸味や甘みという性質は、ミカンを知っている私と考えれば、これは経験的な私の意識を確立させている意味的構造であり、ミカンから言えばどうなのだろうか?

つまり、ミカンのさまざまな甘みや酸味という現象である性質をもって、私の舌に、私の記憶を呼び出し、現れるということになります。

すると、ミカンの性質が、味覚が知覚する私を確立させていると考えることができるのです。

私の自我を、ミカンが確立させていると。

これを、「ミカンが人を見る」と言います。

人が思う世の中とは、私がミカンを見ると同時に、ミカンが私を見ると言う対立した見方で成り立っているのです。


もう一度ミカンの話をしますが、ミカンとは私のことでもあります。私という心を形づくっている、私のカタマリです。

そこで、こんなことを考えたことはあるだろうか。一個のミカンは誰にとっても、空間の中にありながらも、ミカンの皮という境目により、区分されていると。

ところで、ミカンに対する私という認識、ミカンを認める自我がなかったら、ミカンは存在できるのだろうか。

また、たとえミカンに意識があっても、ミカンの意識という区別や境界という境目がなくなってしまったら、無心となって、人が私という堺目が無くなってしまうことと同じように、そのミカンであると事実づける堺目あるいは境界という意味が無くなってしまうだろう。

このことは、ミカン自身、存在して区別されることによる、根拠や、独立性、他の物から限定される意味も無くなってしまうだろう。

また、こういう言い方もできる。

ミカン自身、存在して区別されることによる根拠や、独立性、他の物から限定される意味、大小色形、酸っぱさや甘みも、人間の過去の経験や記憶による分別によって妨害されないため、疎外されないため、その存在という世界は、すべてのものは互いに流入し、互いを反映し、互いに反映されている場所も無い場所となってしまうだろう。

ここでは私は、もはや私では無いに対応して、ミカンも、もはやミカンでは無くなっている。

これを「ミカンはミカンではなく、私も私ではない」と言います。

これが文字を立てない不立文字の世界です。

さて金剛般若経というお経には、「本来、我という相、他者という私以外のすべての相、また、あるべき相も無く、また、あるべき相がない相も無い」と説いています。

注目したいのは、「あるべき相が無いといっていると同時に、あるべき相が無い相も無い」と。

あるべき相がないということも、人の心にとっては、執らわれになるからです。

「我、私という相、他者という相、あらゆる居場所という相、」を、あるように思って描いているのは、私たちの意識がそのように決めつけ習慣的に見るからであり、言い換えれば、私たちの心が意味や本質化をするものを求め、見て、触れて、創造しているからです。

この本質化された、意味づけされたものが、心によって至るところで知覚されるのは、その本質が客観的にそこに存在するからなのではなく、ただ心が誕生してからずっと本質を作り出しているからなのです。

その気づきによって、もう一度世界を眺めてみると、心は「住するところ無くして、しかも、その心を生ず」と。

この「住するところ無くして」を、平等や真理という概念に、「心を生ず」を、差別や現象ととらえると、思想的な在り方が浮かびます。

ミカンも、「その住する所無くして、その心を生ず」と。「私も、その住するところ無くして、その心を生ず」と。

ここにきて、「ミカンはミカンだ。私は私だった」と、その心を生ずというのです。
2017.06.07 Wed l l top
ご主人が亡くなり、「悔いが残る、心残りがある」といったお年寄りのご婦人がいました。

どんなに大往生として亡くなったとしても、何かしらの悔いは、心残りがあるものです。

これでよかったのか?ほんの一時目を離していた隙に?あるいは、頻繁に通えない遠い施設に入院させて?間に合わなかった、あんな言葉を言わなければ」と、思いが強ければもっともっとと、自分の心に刺が刺さります。

その悔いという感情の波は、親しければ親しいほど死者との距離をはかるものです。

そのために考えてなくてはならないことは、相対する親しい死者が夫とすれば、自分に対する夫の残された記憶の中から答えを見つけ出さなければなりません。

夫自身と対峙した記憶は、私の記憶の出来事であり、私の思いが含まれているものです。

その私の思いは、感情に支配された思いが含まれてあることから事実かどうかわからないものです。

夫の残された記憶とは、私という思いを捨てて、見つめ直した記憶という意味です。

考えてみれば、悔いが残ることで、心残りがあることで、新しい発見があり、供養が始まるのです。

すると、供養は自分を大切にすることと同じです。

人と人との関係は、仏教の縁起の関係から言えば、夫の根拠は妻にあり、妻の根拠は夫にあります。

つまり夫婦双方とも、自分の根拠は自分にないという矛盾した関係の中にあるからです。

しかも妻は私という自分を抱えていますし、夫も俺がという自分を抱えています。

その自分という根拠も、他者に於いて、世界に於いて成り立っていることも事実です。

相対する関係はすべて、矛盾を媒介として同時に成り立っている関係を仏教は見据えます。

そして、夫婦と結ぶことによって、同時に夫と妻に分離する事実として見えます。

この関係を相手に寄り添うというのですが、寄る辺なき自己が添うということは、他者との関係とは、関係そのものが寄り添っていたという事実を見つめ、認めることが何よりも大切なことなのです。

そこでは寄り添うと、あえて言う必要のない事実の中に、夫婦は元々あったということです。

しかも夫と言うとき、夫とは妻に寄り添ってあることから、妻を含んであり、妻は夫を含んで存在している関係です。

もともと心残りのない関係の中に在りながらも、「だけれども心残りがある。悔いが残る」と、感情という現象はこういうものなのです。

この情があることで波風は立つのですが、この情が、今度は自分自身のより所となって、夫婦の生活を常に総括し、供養となっています。

普段の生活で、「心残りがない方法」はあるのだろうか?悔いが残らないために一瞬一瞬を生きることは理解できるのですが、ではその一瞬一瞬をどう生きたらよいのか?

人は、何気ない時間を過ごす日常生活の中に、実はさまざまな感情を起こして体験しています。

普段はそんなに大きな波のような感情の起伏はないものの、感情の起こすさざ波のない日常生活は、誰にとってもあり得ないことです。

そして、実はうれしさ、喜び、楽しみというさざ波にも、それと反対のねたみや、あわれみ、優越感、さげすみ、痛みという苦しみがどこかに潜んでいるものです。

しかも自分で、気づかない。

自分をありのままに、素直に、今の幸せを受け止めることは簡単にはできないものです。

うれしさ、喜び、楽しみに執着としてとらわれると、それらが消えたときには、逆に辛さや、寂しさ、悲しみの原因になることも多いのです。

現実の感情の起伏の一つ一つを見つめてみると、そこには天国から地獄までを含んで、あらゆる心の現象が、イメージや、意味という言語、思いという思考を介して浮かんでは消えてと、誕生と死を繰り返しています。

しかも、私たちの日常生活は、それらを記憶によってとどめ、思い出し、さらに付け加え加工していることで、そのつど、そのつど、思い出しては消え去っていることに気がつきません。

感情や思考という現象の波は、瞬間における誕生と死滅であり、連続しているように思えるのですが、実は、瞬間瞬間を断絶しているものを、加工して連続にすることで自分というものを創り上げ保っているのが人間の姿なのです。

これも時間と存在の真実です。

見方をかえると、言語による思いや記憶によって継続する自己イメージを造りだし、それに依存しているのです。

言い換えると、瞬間的な断絶している現実を封印したまま生きているともいえます。

本来、一瞬一瞬に徹して生きれば、無心にして悟りの生活であるにもかかわらず、自我の迷いや、とらわれとして活きるのが衆生であり、自我という迷いの生活が、そのまま、そっくり悟りの生活であると悟ったのが仏であるといえるでしょう。

仏教の気づきや自己を深く見つめるとは、その現実の心の誕生と消滅の流れを味わい、捨てる、ほうって置く意識の技法でもあるといえるかもしれません。

そのために、自分の心が起こす感情という現象の波の一つ一つに、今、意識が起こったというレッテルを貼り、相対する相手の意識にも、できればレッテルをはれたら、双方が含んでいる他者の心の静けさや本来という自己、あるいはあるがままの自然や世界が見えてくると考えています。

何故なら、世界の世は時間であり、世界の界とは場所であることから、世界とは今ここ、私となって表現されるものだからです。


仏教の坐禅や瞑想とは、一瞬一瞬の動く自己という、日常生活の中の、寂しさや苦しみや笑い喜びという葛藤を見つめることで、波を起こす原因を知ることなのです。

「心残りがある、悔いが残る」といった波の、過去の一つ一つの出来事というイメージの集まりである心の中のアルバムの整理も、瞑想や坐禅と同じ意味です。

この意味するものは、一瞬一瞬の生と死の流れを味わい尽くし、そのまま放って置く、執着しないことでもたらされる智慧と慈悲です。

つまり、眼・耳・鼻・舌・身体・意識に執着の跡を留めないことを明らかにすることだからです。

眼・耳・鼻・舌・身体・意識の作用と認識に起きる現象を味わい尽くすとは、後を引かないという意味であり、一瞬に成り切るともいえるものです。

このことを通して、見つめるという勇みの智慧は、穏やかさ安らぎとなり、その穏やかさや安らぎを通してしみ出す慈悲となるからです。

家族で住んでいれば、一人一人の心の中のアルバムには、数多くイメージが貼り付けられているはずです。

しかも、このアルバムは自分が子であれば、父や母の年齢になってはりかえ、並び替えることもできるのです。

すべて自分の心の中のことです。亡くなった人が抱えるアルバムはもうありません。

そこで、今度は亡くなった人より見たイメージを、自分のアルバムに添えて下さい。

自分でアルバムにイメージを貼り付ける行為は、死者からさせられていることにもなります。

今、アルバムの整理は、思い出して考えてと、自分が行為としてするのですが、与えられた行為であると知ったならば、その行為は感謝となり、祈りという行為となって意識を集中していることと同じです。

知らず、そこから流れ出す慈しみこそ、今の私を活かすものだと思えないでしょうか。

亡くなった死者という動かないものによって動かされて動く私は、いつしか私から動くともいえる、悔いが残る、心残りがある現象の事実となるのです。

無心に対して、つくづく思うことがあります。

お釈迦樣は「衆生病むが、故に我もまた病む」と話されました。

また、「心、仏、及び衆生の、この三つはすべて一心であり、もともと分かれていない」と、三位一体の無心を語られています。

お釈迦樣という悟ったものからすれば、すでに、自分が無心の心なのですから、耳を澄まして聞くや、見つめるという心に依って、自分自身が、他者を含めてあるという人格を持っていることが見えてきます。

すると、他者を傷つけたり痛めたり、嘘を語れば、自分を傷つけ痛め、嘘によって自分を分離することになります。

人を殺せば自分を殺すことになります。

もともと自分は無く、他者によって成り立っていた自分に気づくことを、修業や祈りとすれば、気づくことで、私は生まれる以前より仏だったと表現するものです。
2017.03.01 Wed l l top
禅宗の教えとは、お釈迦樣の悟った心のことです。

その内容は、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現するものです。

私たちの普段お生活は、姿形を気にし、居場所やより所である思想にこだわり、わき起こる思いによって時間を過ごしているといってもよいでしょう。

この無相にして無住、無念という悟りを、お釈迦樣は二千五百年前に、菩提樹の下で、悟ってより以降、生涯にわたってこの一心を伝え、今に語り続けてまいりました。

また無心とも、空とも、からっぽともいう、私たちの心の本来授かっている無境ともまた無性ともいえるものです。

しかも、この無性や無境という本来性を持っているからこそ、私たちは自由に変わることが出来るともいえます。

この心は相対するすべての世界を映す心です。無心となるが故にです。

私たちは自我の世界に於いて、私は私はと自我を認めて、自分の外に世界があり法則がありと錯覚している生活。

仏教から見れば、それはすべて迷いです。

静かに、相対的な世界に心が動かされている自我の姿を観察してみれば、自我とは現象に過ぎず、本来、自我というカタマリはもともと無かったと悟れることができます。

ただ現象として心が騒いでいるだけで、無相にして無住、無念であることに気がつくば、すべての存在が、そっくりそのまま本来の自己である悟りとして、証することができるはずです。

言い換えると、無心にして悟りの生活であるにもかかわらず、自我の迷いや、とらわれとして活きるのが衆生であり、自我という迷いの生活が、そのまま、そっくり悟りの生活であると悟ったのが仏であるといえるでしょう。

無相にして無住、無念であるからこそ、一瞬一瞬、相を持ち、住をもち、念を持つことが出来るとも聞こえてこないでしょうか。これも現実の有り様です。

仏が本当に仏になったときは、無相にして無住、無念の鏡のような心の映すことから、心に写すすべてに同化します。本来の心とは、自分が無い状態ですので、自分は仏であると知ることもないのです。

人が活きる一瞬一瞬の自己を、一段階一段階悟って、自分のものとして、釈尊仏陀は、自らをより所としてと、宣言しました。この法をより所としてとも、宣言しました。この過程を修業と言います。

妙心寺派和尚に連なって有名な至道無難禅師の言葉に、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉があります。

この、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉こそ、お釈迦樣の悟りとして、ひとつの相にこだわらない無相。

一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもつことを現すものです。

心は、対面する出来事やものに応じて、縁に随ってという形を現ずるものです。

その形として現れたものを、現れたままにすることで、とらわれの中でとらわれない行為を実践とするという意味になります。

お釈迦様は、この一心を悟りました。

「若し人が、あらゆる世界を含んだ三界という、無相、無住、無念という仏を知らんと欲せなば、まさに、三界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし」と、説きます。

三界には今混迷を深めている三界もあり、その混迷を超えた三界もあり、この二つが絡みあって、自分自身の問題とすることで、真実の現実の姿を写してくれます。

自分自身の問題の一つが、「家族するうちは、家族に心あり。家族熟くすとき、家族を知らず。家族して家族知らぬとき、実在の家族というなり。」とも言い換えることが出来ます。

日本国を例に取れば「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき仏国土というなり」と。

仏とは対象とするものではなく、現実の有り様ということになります。

さらに、「三界という世界の中で、三界するうちは、三界に心あり。三界熟くすとき、三界を知らず。三界して三界知らぬとき、仏というなり。」と、仏教のとく法という世界に暮らすことになります。

もう一度言います。三界とは、迷いの三界、思いの三界、思いでの三界、希望や願いの三界は、未来の三界は、あるがままの現実という三界であり、家庭や学校、会社、地域や、国としての三界……そして悟りの三界も含まれます。

その三界の世界とは、人が、過去・現在・未来にわたるすべての出来事や在りよう、また、世界の真実は、たった一人の私が思い描いて、ものに応じて形を現ずるにすぎないと訳すことができます。

そのゆえに、過去・現在・未来のすべての真実を知りたいと思うならば、自分自身の心を探れという強い言葉です。

「三界はただこの一心に含まれ、この含まれた心のほかには、法というものは一切ない」と断言されています。そして、見極めてみれば、「心、仏、及び衆生の、この三つはすべて一心であり、もともと分かれていない」と。

この三界は迷った目で見れば迷ったままの世界に写り、悟って気づいたものから見れば輝かしく光明に包まれた世界ともなります。

そして人はこの三界を出ることも出来ず、三界を知ることも出来ない。仕事して仕事知らぬ世界を、心して心知らぬ世界、三界の世界など思い描いた世界だと心に浮かべてみても、それも三界の世界でのことであることを知れば、無限にして極小、過去現在未来という時を超えた世界こそ、お釈迦樣の無心な心が悟った世界です。

そこから、お釈迦樣が語った言葉は、「三界の衆生は我が有なり、我が存在なり、我が子なり」と、言及されたのです。

お釈迦樣という悟ったものからすれば、すでに、自分がないのですから、他者を含めてというところに自分が見えてきます。

だから言います。「衆生病むが故に我もまた病む」と、他者を傷つけたり痛めたり、嘘を語れば、自分を傷つけ痛め、自分を分離することになります。

人を殺せば自分を殺すことになります。

もともと自分が無かっただけに、このことに気づくことを修業や祈りとすれば、気づくことで、私が生まれる以前より救われていたことも表現するものです。
2017.01.31 Tue l つぶやき l top
人々の死を迎える環境が大きく変化して病院などで死を迎えることが多くなりました。

以前は、自宅や家族に看取られ、心安らかに往生することができた時代があった。

二世代三世代家族同居という家庭は、都会ではほとんどなくなって、夫婦2人が子供育てその子ども達が独立すると家を出て行き、老夫婦2人となって最後を迎える。

 家が、家族が世代を継いで住むという意味はなくなり、一世代にとっての家であり、その使命が終われば、売買の対象となるか、あるいは取り壊し、売却となり、誰か他の世代が住む家となることが多い。

とくに行政の集合住宅やマンションなどだ。  世代をつないでいた家にとっては、つなぐ過程に死の臨床が知らず具わっていたともいえるのではないか?

今、かすかに残されているのは、病院や施設での家族の看取りである。施設や病院で危篤となり、病院から家族に近況の知らせが届いても、見取れた家族は、以外と少ない。

 「間に合わなかった」という言葉を幾度となく聞いて、「年齢を重ねて、動けなくなった高齢者への見舞いは、病院から帰るたびに、「一期一会、いつもこれが最後かもしれないという時間を過ごしているのでしょうね」と、言えるだけです。

しかも、死者となった子供や親族にとって、「見取れなかった」その意味を考えることさえない遺族もいるのです。

自分に死がいくらかでも見えるような、そんな年代になったなら、死を学ぶ意味で、この人生相談の意味は大きいと思うのですが……

 平成26年5月21日の毎日新聞の朝刊に掲載された、人生相談です。

《 夫はカメラなど自分の楽しみを見つけ、パソコンに向かってばかり。旅行に付き合う気持ちはないようです。両親をみとりました。愛情を注いだ娘や孫たちは、今、忙しそう。好きだった読書も目が疲れます。
寂しくてつまらなくて、どうしようもありませんと、70代・女性の相談でした。

 この相談に、作家の白川道(とおる)氏が語っていました。
『老いてからの寂しさやつまらなさ。貴女(あなた)の抱える悩みは、貴女に特有のものではなく、貴女と同世代の大多数の方たちが抱える悩みでもあるでしょう。

特に昭和の時代で育った人たちに多いのではないでしょうか。

 あの時代は、誰もが生きることに必死で、そうした自分を慰めてくれる家族形態というものがありました。

しかし豊かになるにつれて、個人の主張や幸せが優先されるようになり、核家族化現象が加速されてしまった。

今、老いた人たちが味わう寂しさは、いわば必然の結果と言えるのかもしれません。

ご多分に洩(も)れず小生もそのクチなのですが、幸いにも、小説を書くという仕事をしているせいで、その寂しさは小説を書き、その小説のなかの登場人物と会話することによって、解消していると言えます。
 この歳(とし)になって分かったことがあります。

それは、人間というのは老境に入って、やがて死を迎えるのではなく、その前に無境という心境があるのではないか、ということです。

虚無という無ではなく、欲得や執着から解放される心境のことです。

すると、それまで思い悩んでいたことがうそのように消えて、周囲を静かな目で見られるようになり、他人を許せるばかりではなく、自分も許せるようになる。

そしてそのご褒美に、過ぎ去りし日々の楽しかった出来事の数々の記憶がもう一度蘇(よみがえ)るようになるのですね。

大丈夫ですよ。寂しさやつまらなさなどは、いっときのこと。貴女にもいずれ無境のときが訪れますから』と。


哀しみ、孤独、寂しさ、つまらなさ、無感動、ひとりぼっち、不安、疎外感。 原因は、つながりや関係、絆に、結びつきです。

仏教はその結びつきを、関係そのものを心といいました。そんな心を、心のままに解放することで、自分というとらわれをなくすこともできる存在であることを、釈尊ブッダは伝えたかったのです。

結びつきによって、今の私の寂しさやつまらなさという原因があるなら、逆にいえば、自分はそれだけ、寂しさやつまらなさで、自分以外と結びついている結果のはずです。

壁は自分自身の中にあります。

欲望や執着とは、その繋(つながり)が咲かせる泡のようなものです。

華厳五教章という仏教書に、「心に寂しさやつまらなさが生じたとき、必ず、心が無性であることで、寂しさや空しさが生ずるのです。欲得や執着は、本来無性という海の表面の波のようなものです」と。

自性即ち無性なることを悟れば、すでに戯論を離れていると。

無性に怒りがこみ上げてきたり、無性に可笑しかったり、無性に苦しかったりと、無性に楽しかったりと、心は、無性ゆえに作用されるものだからです。

その怒りや苦しさ、楽しみや可笑しさを、持ち続けないで、一時一時受け流していくことこそ、老いたものの人生経験という宝物です。

それは、悲しみは悲しみのまま、楽しさは楽しさのまま、一刻一刻生きることこそ、欲得や執着を否定するのではなく、欲得や執着こそ、どんな時にも、人は自己以外と繋がっている絆の確信であり、生きる力そのものだったのです。

感謝とは、その繋がりの表現であり、自分に振り向けた廻向だったのです。「有り難う」と。
2017.01.15 Sun l こころ l top