FC2ブログ
白隠禅師の坐禅和讃の冒頭から、下記のように語っています。

《衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生のほかに仏なし。
衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。
譬(たと)えば水の中に居て、渇(かつを叫ぶが如くなり。
長者の家の子となりて、貧里(ひんり)に迷うに異ならず。
六趣(ろくしゅ)輪廻(りんね)の因縁は、己(おのれ)が愚痴の闇路(やみじ)なり。
闇路に闇路を踏(ふ)みそえて、いつか生死を離るべき。》


これを和訳すれば、

《われわれは、もともと仏と同じ本質をもっている。たとえば水と氷のようなもので、氷の溶けたものが、水であるように、自我への妄執が溶けて消え去った自己ですので、迷える人間がそのまま仏に他ならぬ。

それなのにわれわれは、仏は自分の心のなかにいることを知らずに、遠くに仏を求めているのは、何と儚(はかな)いことであろうか。

それは水の中にいてのどが渇いたと、訴えるようなものです。

この氷を、様々な居場所に置き換え、水を今の自分と置き換えてみれば、自己とは何と多様な器だったとわかると思うのです。

六種とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上のという人の人生にとっての今の歩みや居場所を象徴とする道ですが、その道を生まれ変わり死に変わり、巡り巡って移り変わることを、輪廻転生といいます。この巡り循環する原因は、自己への深いとらわれです。

ここに、見る・見ない、見える・見えないがあり、それを「自己が自己に迷っている」というのです。妄執に妄執をかさねてゆき、いつか迷いの世界を離れるべき]》だと。

この最後の、「いつか迷いの世界を離れるべき」と白隠禅師は書いていますが、なかなか、離れられない宿命のようなものを、人は持っています。

生きるということは現象との出会いですので、次から次へ、今日から明日へ、居場所から居場所へと、そのつど、そのつど変化しながら人は生きています。

そこで、生死とは、生と死ですが、生を水に、死を氷とすれば、生を離れて死はなく、死を離れて生はない。

生は死を含んでいますので、ただ生きれば良いだけです、死を含んでいるのですから。

死ぬ時間はわかりませんので、ただ生きるだけ。死は生を含んでいるのですから、ただ死ぬだけ。

衆生とは私のことですから、私のほかに仏はいません。仏とは私のことです。

生死を楽しみや苦しみ、生をただ生きることに、生を求めれば生は苦しみの元になり、死を求めれば生が苦しみの元になります。

白隠禅師は、「闇路に闇路を踏みそえて」と、闇路を苦しみや悲しみにしてみれば、苦しみ悲しみを歩むことは、いつか苦しみ悲しみから離れる道だったのだと言っています。

このコロナウィルスによる現在の状況は、日本、いや世界の人たちにとっても、「闇路に闇路を踏み添えて」と譬えることができそうです。その闇路の先に、生きるか死ぬかの闇路として、「いつか生死を離るべき」と願っているような気もいたします。

志樹 逸馬詩集に「鍵」という詩があります。

苦しい時には 苦しんだがいい
悲しい時には 悲しんだがいい

ということばが
何時か 私を解放する
唯一の鍵になっていた。

この詩も、不安と恐怖、苦しみや悲しみという闇路の一歩が、確かな歩みとなることを教えてくれます。

志樹 逸馬は、大正6年7月11日、山形県鶴岡市に生まれました。

13歳、小学6年生のときハンセン病の診断を受けて、何も知らされずに現国立療養所多摩全生園に入所します。
生涯にわたってハンセン病患者として生き、昭和34年12月3日43歳で亡くなりました。没後、62年になります。

生前から詩が秀でて、「涙」という詩には、
涙をふくな ながれにまかせよ
透明な冷たさをこそ わたしは愛する

彼が病室にいて、「こうして病室に入り、すべての人から遠ざかった位置に置かれてみて、人は、はじめて、ほんとうの手紙を書けるようになる」という詩を読みました。

ハンセン病に出会ったことで、苦しみと悲しみが自己を解放することで、ほとばしるように詩に託した生が開けてきたということでしょうか。

素晴らしい生を全うしたと、人生ってわからないものです。


『念仏三昧宝王論』というお経には、『世の中のことに、苦しみのないことを願うことなかれ』とも、記されています。

苦しみのないことを願ううちは、苦しみから逃れることは出来ません。

法華経には、『常に悲感をいだいて、心、ついにめざめたり。(常懐悲感 心遂醒悟)』という言葉を見つけました。

悲観から苦しみが生まれ、苦しみから、苦しみから希望がわくのか?

将棋の世界で藤井聡太棋聖が、中学生の頃でしょうか、まだまだ上には上があると、自身を未熟と思い語った言葉があります。

「強くならないと、見えない世界があると思う」です。強くなるためには、精進や努力、怠らないことも、苦悩や頑張りの上に見えない世界があるのですが、至ってみれば、見えない世界は、見えた世界で、まったく別のものなのでしょう。


次に、白隠禅師坐禅和讃には、「布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修行等、その品多き諸善行、皆この中に帰するなり」。

布施は与えることですので、気持ちを人に伝えることも含まれています。

楽になるように、和らぐように、何かを求めるのではなく、傷つけるのではなく、不満を口にするのではなく、このコロナウィルス下に生きる人々に対し、大切に思いやり生きることを願うことです。

ステイホームは、閉じこもるだけではないはずです。

仏壇は、独り願う場所であるなら、対象は仏壇の奥には、広大な世界とつながっているはずです。

ステイホームで時間を共有する総ての人が、生き抜くことを願ってもよいのです。

願いは対話の一つですので、とても大切なものです。

苦しみと、その苦しみから救われるようにと求めるところに苦しみがあるならば、生き抜くことを願うことは、苦しみの相対する世界から離れていることに気づくはずです。

闇路を生きて行く人に対して、「まだまだ」とその闇路を歩きながら、その闇路こそが生きる遠くに離れていたことに気づくからです。

苦しみも楽しみも、生も死も忘れて、この状態を、無心や空に置き換えてみました。
2020.08.01 Sat l こころ l top
憲法に平等が記されているのは、第十四条と二十四条の二項のみです。

第十四条、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。

第二十四条、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と。

十四条の「法の下に平等」と書かれているのですが、法とは憲法という言葉が該当するのですが、平等という概念の構造については何も書かれていません。

憲法が考える平等については、人格的価値と両性という生の違いのまま平等としつつも、各個人の事実上の差異に及べば不平等や不合理が生じ、機会均等的平等も形式論となります。

一人一人の命の重さは平等という概念、一人一人性別も生まれも生い立ちも考え見方も、能力の差も、DNAも違うのに平等なのだろうか。

「家族の中でも、お兄ちゃんお姉ちゃんがいて、僕がいるのだが」平等なのだろうか?伝えにくいですよね。

この問題に関して仏教の見方は、同時という見方で答えます。

僕が生まれたことで、お兄ちゃんやお姉ちゃんが同時に誕生したと。

つまりは異なることで、同時に結ばれていたと。

だから僕が生まれたことを根拠にしてお兄ちゃんやお姉ちゃんが同時に誕生したことですが、ここに平等があります。

違いを不平等にしないために、お兄ちゃんお姉ちゃんという居場所は僕が生まれたことで、この関係が同時に誕生したことだったからです。

この関係でいけば、お兄ちゃんが先、お姉ちゃんが先はなくなります。

関係性の維持には、違いを認めることと、平等とは、時間の平等、場所の平等も含んでいることを知ることです。

小学校でも、一クラスの中で子ども達男女が勉強し、クラスという仲間を形成します。

ここにも同時と暮らすという居場所によって平等が説明できます。

A君B君C君……の一人一人がクラスを根拠にしてなり立っている関係、クラスも、一人一人を根拠にして成り立つクラスの関係です。

ですから30名クラスで始まったら、一人欠けることでクラスに亀裂が生じ、29名という新たなクラスになります。

この欠けた児童にとっては、存在の根拠が失われてしまうのです。

このクラスにとっての平等とは、一人一人の様々な個性や違いによって成り立っていることがわかれば、その違いを一人一人が認めて、共にという共通の歩みを、一人一人の異なる歩みによって描くことを行為することです。

そして先生も、子ども達を根拠にして、居場所時間の場所の分担制役割があるのですから、クラスはそんな関係で成り立っていることになります。

これを平等は差別(違い)によって成り立ち、違いは平等によって成り立つという、互いに根拠としながら、矛盾によって成り立ちながらも、矛盾を矛盾と感じられない、そんなクラスであって欲しいのです。

この関係性を見るためにも、見る、見る見えないという見方が大切です。

見えない見ないは、子ども達の個性や特性、資質も、あるいは自宅の環境もあるかもしれません。

違いがあってこその平等を見えないけれど、見つめて欲しいのです。

みんな同じとは、命あるものとして、また地球は特定の国に生まれ住む、もしかして文明がさらに進化して、宇宙をまたぐようになれば、銀河に生かされて生きていたと自覚できるでしょう。

クラスから地域に、地域から国に、世界に、地球に、太陽系から宇宙の果てまで続く生命体として、平等の概念は、永遠という時を含んで、一瞬という個的な確実な具体的な時しか持たない人間として生き続けるということは、実は命は世代を超えた命に通じるのではないかと確信しています。

家族関係を、両親や祖父母、いや時間的にはもっと遡ってみれば、今の僕の命は、この関係において選ばれ恵まれて命を持っていたことに気づきます。

命の大切は見えないけれど、この事実に気がつかない、見ないと。

そして命とは宇宙全体の命の中の僕の命ですので、その命を生かすことは、他の異なる命の違いを見つめることが、全体の命を見つめることになります。そして次の命に託す。

一人一人生きている人も、もしかして亡くなってしまった人も、それならこれから生まれてこようとする人も含まれて大きな命が生きている。

それは、個人個人すべての人が異なっていることに気づいているだろうかということです。

このことを知るためには、どうしても自分の自我の強さに気づき、その反作用として常に自分以外を、人と言ったり、人間と言ったり、特別の思いをもって友と言ったり、その自我の形成が、他者を区別するからです。

このことから平等とは、区別を持って、異なることをもって、違いがあることを認めるという作業を自らの中に課さなければならないということです。

神のもとに平等という見方もあるなら、神こそが平等の本体のはずです。その神を大きな宇宙とか命とか、考えても良いでしょう。

ところが特定の神を信ずる人々は、自分の信じる宗教のみが正しい教えだと妄信します。ここから対立するものを作り上げていきます。

何故なら神の根拠は一人一人の民にあり、一人一人の民の根拠は神にあるからです。ここに私という根拠もあります。

すると私が居なければ神はいないのか?と疑問を持つでしょう。もう一つの問いは、私が居なければ平等はないのかと?

次の問いは、神を永遠という命に代えてみれば、更に平等の代名詞である、「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静に代えてみればどうでしょうか?

ここで金剛半伽経の「法なお捨てるべし、いかに況んや非法をや」と、非法とは我々個人の物を対立させて見る判断です。

仮に有るけれども本当はない。必要として有るとするけれども、本当はない。

だから仮にあるとも。 その仮にあるものも永遠にあるわけではありません。

自分も年令によって変わり続けているのですから、今の姿は仮の姿ですが、一瞬からいえば有るが、永遠ではない。

このあり方はすべての人間にとって永遠に平等という一瞬なものです。だからこの一瞬にこだわってもいけない。

命も同じようにこだわることで、苦が生まれます。

生きているという一瞬を自覚できれば苦は生じない。そんな生き方が見えたら、平等がみえてくると思っています。

締めとして、一瞬は一瞬を忘れて一瞬に生きるからです。見は見を忘れ、不見は不見を忘れる。
2020.07.01 Wed l うつつ l top
この新型コロナで、ふと考えた。

社長の体は、社長だけの体だろうか?

医師の体は、医師だけの体だろうか?

総理大臣の体は自分だけの体だろうか?

私の体は自分だけの体だろうか?

夫としての体は自分だけの体だろうか?

子どもの体は子どもだけの体だろうか?

友人の体は友人だけの体だろうか?

会長としての体は自分だけの体だろうか?

自己にまつわる居場所としての自分の体は、自分だけのものだろうか?と。 こんなこと考えもしなかったけれど、だからこの体を大事にしたい。

矛盾することもあるけれど、それでも大事にしたいと思うことが、この新型コロナで浮き上がる。
2020.06.01 Mon l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
見る、見ないと、漢文では、見と不見ですので、見るには見えないも含んで、見えないには見るを含んでいます。

一番私たちにとって身近な見えないは、自分・自己でしょうか?

自分自身ほど確かな存在はないと確信していても、他者によって成り立っていることを自覚してみれば、日々の出来事の変化に対応して変わり続けているのですから当たり前のことです。

見るものが本当に見えているのか、見えないものから見せられているのか、そうしたものから自己の成り立っているとしたら、不確かなもの。それは自分であると言い切ってもよいはずです。

それは何故かいえば、見るには見えない、見ないも含まれているからです。

日本の言葉はとても難しいと思います。この言語を使う日本人は優れていると思うのです。

この見るに関してだけでも、漢字の多さに見は、いろいろなものを見るという漢字があります。

少しですが、見、視、看、覧、覚、覰、覩、瞻、観……から下記に少し説明を付けてみました。

見は、「目を種とした人の形」という。ひざまずいて視る形であり、ひざまずいて視るには、その形からして下から目線を以って儀礼的な視る形となります。

見上げる対象は何か儀礼的なものを視る形で、対象は神さまであったり、宗教の真髄、高貴な方など、そこから「まみえる」という意味が生じたのでしょう。

目の前に広がっている物にまみえる、目の働きのことです。

視も、見るです。旧字は視で、示偏は祭壇ですので、臨(のぞ)み視るです。示すに従う行為として視るとなります。

視線を向ける先は「何かな?何だろう?」と意識を持って対象を見つめることです。

見と視の違いは問題意識の差なのでしょうから、ただ見ている、じっと視る、視ていないから見えない、視ようとしても見えないなど、いたわる、世話をする、養うなど、ただ視るだけではないのです。

看も、見るです。これは手と目に従うです。

手の下に目があることから、手を目の上に置いて、よく見るです。新型コロナウィルスの影響で、ウィルスの作用を罹患した患者の様子を看て探るでしょうか。

熟語を見ると、看護、看病、看経、看守、看過、看破、看板などがあり、イメージが湧きます。

手をかざして看るのですから、遠いもの、陽がまぶしくて見えないときなどもあります。見ようとして見る、看板は、「よく見てね」でしょうか、看板を設置した人の意志や意味を見て下さいです。

覧も、見るです。覧の旧字は、灠です。監獄の監という字の下に見です。

監と見に従うという意味があるのですが、監は水たらいの皿に自分の姿を映す形で、その映る面を見るです。

さらに俯(ふ)して望み見ることを覧というのですから、天上より下界を見る意味があります。

一覧、展覧、観覧など熟語がありますが、見渡すなどの例でしょうか。

また覧古と言う熟語から、昔を思うや古跡を偲ぶなどの使い方があります。

覚も、見るです。覚の旧字は覺で、見の上に乗っている肅は、學という旧字にも見えます。学の従うところに見をつけた漢字です。

目覚めを意味して、夢から目覚めるので、目を覚ます、迷いから目を覚ます。現実の実相や真理を見るなども見ることになります。

しかも覚ることによって、現れるが含まれているのでしょう。

覰も、見るです。つとは、覰の字の見に付す、癈は漾と沸で狙に通じ、狙撃の狙ですので、こっそり見る、うかがうです。これも見るです。

瞻も、見るです。「セン」と読みます。音符の詹は、ひさしで、ひさしのように目の上に手をかざして仰ぎ見るです。

目にふれるもの、自然の生命力にあふれるものを見ることが、人間の生命力を盛んにするというのです。

覩も、見るです。隅は音読みで「ト」で、視線を集める意味があり、睹(と)という字の古字です。

一点に集めるから、現れる、物事が見えるなどと使われます。

観は、つまびらかに見る。見る対象を支配すると字統に書かれています。

見えている物の有り様を観るといえば、論理や法則、整合性や仕組み成り立ち、さらに目には見えていないのだが何かがあると観る。

例えば右足を一歩動かすことは、動かさずに支えている左足によって、歩くことが出来るとか、サイコロの目に1が出て、裏は6だから足すと7になるなどと観る。

だからこの観るは、視たものの背景や法則論理など観たものの背後に隠れているものを観るのですから、実際には目を閉じた方が、見たのが見えないことで、よく見えるようです。

見えるものの背景や仕組み成り立ち、あるいは自分自身の失敗に成功とその繰り返しなども含めて、思考なども含めて観る。よく見えれば、そこに慈眼を持つことができます。

この意味から、無心な聞く耳をもつこと、無心な見る目を持つこと、無心に感じる感性を持つこと、無心な身体をもつこと、無心な意識という沈黙を得ること、そこに大悲があるのだろう。

また、耳なく聞くこと、目なく観ること、感覚なく感じること、身体をなくして接すること、意識なく沈黙を得ることですが、大悲とは、沈黙した自己にかかわる感覚器官の内面の空間のようなものだ。

見ることも聞くことも、触れることも、触発されることも、すべて、自己の外のものを媒介にして、自己の内面に沈黙しているものを呼びさますことだし、そこに創造するということが生まれる。

自己の存在を知るとはこのことをいうのではないか。

ちなみに親という字ですが、ここにも見がついています。辛と木と見に従うと字統に書かれています。辛(しん) は針ですので、針を打って木を選び 斧で切り出した木を新という。

その木で新しく位牌・神位を作り、それを拝することを親という。

これは新しく作る位牌は父母のものが多いことから、親は父母の意味となると推察します。

親族は、親の廟中でその儀礼を行ったところから生まれた字だったのです。

目偏、見偏のごく一部から、見える・見ないの重要さがわかります。

漢字一文字で表現する文化を持つ国は、今は、台湾に中国、そして日本のみとなってしまいました。

古来の漢字のPC盤、「今昔文字鏡」単漢字16万字版を使用しています。

一つ一つの漢字に発生からの意味があり、それは4000年の歴史となります。

日本では巧みにカタカナを屈指して、新型コロナウィルスを書きますが、中国では「新的冠状病毒」となるそうです。

見るには、瞥(べつ)と書いて、ちらりと見る、チラチラ見る。霞む、視線の均衡がぶれて集中できないと、つまり意識なのですね。

人間の心って面白いです。
2020.06.01 Mon l ゆめ l コメント (0) トラックバック (0) l top
日本人の国内での新型コロナ初感染者は、奈良県在住のバスの運転手だった。

この運転者は令和2年1月8日から16日の期間に2度、武漢市からの日本観光旅行一行のバスを運転した。1月28日に陽性となたという。

令和2年2月3日、ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に接岸された。

きっかけは、香港で1月25日に下船した乗客がコロナ陽性者であることが判明したとのこと。

日本に報告されたのは2日、そして、3日夕刻に日本に到着したクルーズ船の騒動に発展し、連日、報道された。

巨大な建物としてのクルーズ船の内部で何が起こっているのか?

この船内の中の法律は、どこの国なのだろうか?

航海と言うけれど、この状況は接岸されながらも、漂流している国のようだと思えた。

ニュースやワイドショウを見て、あれよあれよと感染者の人数の数がふくらむ。

すると感染者は、隔離するため旅館やホテル、病院と患者が搬送される姿が映し出されたことから、このコロナウィルスの感染力の強さと恐さが日本に植え付けられたような気がする。

4月27日版、厚生労働省のホームページに掲載されている感染情報はでは、PCR検査陽性者数712人、退院しているもの649名、死亡者13名、集中治療室入院者4名ととなっています。

この豪華客船内の大惨事は、入院している人がいる限り、まだ終わってはいませんが、すでにクルーズ再開の企画が売り出されています。

ダイヤモンド・プリンセス号アルマ船長が当時を語っています。

上陸するということは、誰も免疫を持たないウイルスを日本に撒き散らすことになりかねないし、健康状態のわからない人を本国に送ることもできない。

そして、乗船者全員を隔離できる施設は日本にはなかった。(ヤフーニュースより)」

世界中が、このニュースを見て、恐怖にわいたのだと思うのです。

もちろん、平行して中国の武漢での都市封鎖の映像は、韓国の大顛市のクラスター発生と、まるで日めくりの連続ドラマを見るようだった。

ダイアモンドプリンセス号は、3月1日乗船者の下船完了し、4月25日離艦しました。

この頃より日本国内の感染者の急増が始まっていました。コロナウィルスは、私たちの身近に出現するようになりました。

3月1日現在、厚生労働省の数字は、「新型コロナウイルスに関連した感染症の患者15名、国内感染者は254名(患者232名、無症状病原体保有者22名)」でした。

5月28日現在、日本では累計感染者数16,683人、死亡者867人、退院者数13,973人です。世界では感染者累計5,638,190人、死者352,494人となっています。

日本では、コロナによる非常事態宣言も解除されて、第2派に備えることが急務となっています。

1月8日からですと、すでに5ヶ月が過ぎようとしています。

三密と称して、密閉空間、密集場所、密接場面を、私たち一人一人が頭の中に於いて暮らしてきました。これは自分たちが自らの行動行為を、自主的に見つめてきた結果の5ヶ月の日常生活でした。

多くの家庭にとっては、どっぷりと家族に浸った5ヶ月なはずです。ひとり身の方々では、一日の日常が成り立っていたコロナ以前とは、かけ離れたものがあるのでしょう。

もっとも、以前と何も変わっていない人もいるかも知れません。

それでも、コロナは変えたはずの日常です。

私にとっての日常は、大きく変わりました。

月に10日以上の会議や打ち合わせ、多くの近隣の人との出会いも、学校への往来も、ほとんどと言ってよいほどなくなっていました。

その分、お寺で過ごす充実する時間は、コロナによって与えられた時間でした。

たまに食事のための買い出しに出かけますが、さっさと歩く、他人との距離を取り、用事が済めば還ると。

知らず、三密を守りながら、三密も忘れ、そんな暮らし方の日常が成り立っていいました。
2020.05.29 Fri l うつつ l コメント (0) l top
私たちは、幼かったときから、モノの名前をおぼえ、数をおぼえて足したり引いたり掛けたり割ったりとしながら、モノを様々に区別しておぼえていきます。

そこに意味を見出し、理解し、意味ある生活してきました。

ところが、例えば親子にしても、子が誕生したときに、親と子が同時誕生したことに気づかない。

親と子は、親子という関係性の中に、互いに独立した存在であることに気づかない。親は子育てをするのですが。

親の子に与える意識の強さから、子から与えられるものの大きさを気づきにくいのではないか。

親子は一つですが、一つになることで分離する意味を考えない。

親と子の関係は、親と子の相反するものとしてあり、その内容は、親の根拠は子にあり、子の根拠は親にあります。

親自身には親の根拠はなく子にある。子も同じように根拠のないという矛盾する関係によって成り立っていることです。

世界の相対する関係のものは、すべて、国民と総理も、社員と社長、妻と夫も、互いに矛盾する関係において成り立っているからです。

これは総ての関係において同じです。親は子を見る、子は親を見る。この関係の在り方は見えませんが、意味というものの基本的なものでしょう。

これを自己否定によって成り立つと、仏教は見えないものを見るのです。否定を見るとも。

さて、人間が生きている世界の総てなんて、絶対見ることはできないし、肝心な自分にしたって何か優れた能力があっても、関係性の中に在るのですから、自分で自覚することはむずかしいことです。

好きになる、行為する、出来る出来ない、意識する、チャレンジです。

小学校・中学校・高校進むにつれて、自分に向いている生きる糧である仕事を探すことも自分探しは、この関係性の中にあるといってもよいでしょう。

サッカーで活躍した澤穂希さんが、「娘が生まれたことで、以前よりも優しくなれた自分を見つけられた」と、何かに書いていたのを思い出します。

見えない関係性の中の対象を想像すれば、数限りなくあります。

また自分が見ている世界やモノも、自己には清浄バイアスという感情的な意志的な意識が、曇らせることなど、失敗を経験することなどもザラにあります。

見る!見ない!は、また、見よう(探す)!見えない(繋がり)!など、相対する関係性などもあるようです。

さらにその言葉を発する自分こそ、見よう、見えない世界へと導いていくのでしょう。

そこで、この見る、見えない・見ないというこの対立するものに見えるものとは、自己であり、その自己が他者に対する、優しさ・思いやり・肝要さ・見守り・……となるのでしょう。

仏教の悟り、無心、空は見えるのでしょうか?見えないのでしょうか?見ないことで、見ることができる私でもあります。

生きることで生きることを見ない、老いて老いを見ない、若さに於いて若さを見ないと命題を持ってみれば、生きることを見ないこそ生きるそのもの、老いを見ないことで老いが咲いている、若さを考えないことが若さそのものであると導くこともできるのでしょう。

これを在るがままと説くのでしょう。対立があっても、対立がありません。

相対するモノを持つことが意味や言語の持つ清浄バイアスなら、あえて、無心や空を自覚することで、あるがままに生きることのように思うのです。

仏教は、「三界唯一心(さんがいゆいいっしん)」と説きます。

三界とは内も外も中間の世界も、それを見て心に写すのですから、写された心の映像や記憶は、自己の一心にあります。

眼に見えるものは、意識や心の中に映された映像です。その写されて広がる一心を、大空のソラ・空と例えると、途轍もない大きさが見えてきます。

三界唯一心の自覚は、お釈迦さまが全存在を掛けて発見し、歩んだ姿と重なります。

三界は、迷い、戸惑う、苦しみ、責めることで苦悩する世界ともなり、迷いなく、新鮮さを持ち、優しさが育つ世界ともなります。

どちらが優れているというものではなく、お釈迦さまは、「三界は吾が有なり」と説くこと自体が、お釈迦さまの無心を表現するものと気づくのです。

ですから誰にとっても、「三界は吾が有なり」と、三界に生きる自覚において、もはや三界はなくなっているとも言えます。

この三界を、空ともいうのですから、面白いし、人によっては、冗談ではないと怒るかもしれません。しかも、それも三界の世界のことなのです。

このことは広い世界なのか、それでいて微塵の世界なのかと自身に問うことも意味あるものかもしれませんね。

この三界に対して、幕末、水戸の藩主に、「水戸藩は35万石の石高、吾れは三界無庵に住む」といった、禅寺の和尚が居たという。

三界を家としないということですから、もはや広いとか狭いとかも通り越した空に住む、いや住むも住まないもない三界ということでしょうか。

また、赤ちゃん誕生の意味を考えてみると、裸で誕生してきたことは、もともと自由そのまま、それこそ無庵、空そのまま、一瞬に生きているはずです。

そんな赤ちゃんを、何も持たずに生まれて来て、「何と不自由な一文無しで生まれて哀れな子どもだ!」などと、考える親はいないはずです。

突然と、命の中に生まれて来た赤ちゃんを、ただただ恵まれて天上天下唯我独尊と戴くのみ、三界無庵の赤ちゃんです。

在るのかも無いのかもわからない、無理解の世界に生きながらも、一点に、一瞬に生きることを自覚すると、また違った理解の世界が見えてくるから不思議です。

禅は、三界無庵は、三界有庵でもあり、何も持たずに生まれて来た事実が、無一物中無尽蔵という無庵なのです。

法華経には、「三界は安きことなし、猶お火宅の如し」と。

特に日本には、温暖化と進んでも、進みながらも季節も調子を合わせて謳歌し、季節季節の山や川や海、大空に自分を映すことが出来るではないですか?

三界に写された一心は、丸裸ですから空です。さらに「心外無別法(しんげむべっぽう)は、心の外に、別に法は無い」と、それが法という決まりということです。

その法は、あるがまま、無いがまま、それを諸行無常・諸法無我とも呼んでいます。

この三界唯一心・心外無別法の、意味をかみしめてみると、自分自身の成り立ちも含めてみると、迷った心で見れば迷った世界に、迷わなければ在るがままです。

自立もよし、他立もよしとするならば、くよくよしないで、双方を等しく見つめられ、私も含めて接する人の人生や、接する社会を、多様な味わいをもって、広く、浅く、深く、浅くと味わってゆくのも良いのではないでしょうか。

お釈迦さまは語ります。「阿難よ、もろもろの近いモノ、遠いあらゆるモノの性質・形状は、すべて異なるものであるけれど、阿難の無心な心より見ると、異なることはないのだ」と、語ります。

般若心経でいうなら、色即是空で、金剛般若経なら、色はすなわち色に非ずで、これを色と説くと。空も色も独立したものではありません。

その空を、平等や永遠、みんな同じだねという概念としたならば、わかりやすいかも知れません。

般若心経は、色不異空(色は空に異ならず)・空不異色(空は色に異ならず)と説きます。

色の世界とは現象の世界でもありますので、生滅・垢浄・増減の世界です。

ところが、同時に空の世界でもあると説明するのですが、これが理解しにくいし、対立しているものなのにと、困惑するものです。

新型コロナウィルスに、自粛しながら自粛しない生活が出来ますように!
2020.05.01 Fri l l コメント (0) トラックバック (0) l top
総合誌「歌壇」2月号、第31回歌壇賞に選ばれた、小山 美由紀さんの歌です。<br><br>「からっぽの郵便受けに溜まりいる 空気に静かな名前がほしい」<br><br>朝起きて、郵便ポストに新聞を取りに行く、そのたびに、新聞紙は見えるけれども、郵便箱の中の空気は見えない。<br><br>当たり前のことで、空気がモヤモヤして黒く透き通るようなものだったら、新聞紙が見えない。<br><br>その透き通るような空気に何か名前が欲しいという。いじらしいほどの繊細な精神でないと、この歌は詠めないのだろうと感心する。<br><br>見えない空によって、新聞紙が今日も届けられているという見えない自分の安心感も感じられる歌です。<br><br>メガネをどこかに置いたはずだと探すことも、ただメガネを記憶という意識の中で見ながら、探すというのか、その探す姿は、家族から見たら可笑しさをもたらしまう。<br><br>長く探していれば、「もしかして認知症が始まったのか」と不安を与えることもある。<br><br>透明な空気があるから、「メガネどこに行ったかな?」と探すこともできるのですが、探す私と忘れた私の喜劇のような独り芝居です。<br><br>見つけようとして見ているのだが、見えない。<br><br>メガネが見つかってみれば、「こんな所にあった」と、ただメガネを耳に掛けるだけです。<br><br>よくあることとは思わないけれど、まあ、あっても不思議ではない。<br><br>見るは探すということでもあると発見する。<br><br> では放射線はどうでしょうか?<br> <br> 2011年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災に伴う津波によってもたらされた、福島原発の爆発による放射線。<br> <br>やはり見えないことで安心して暮らすことができます。現実はというと、0.07マイクロシーベルト前後という値が、今でも、カウンターの数字に姿を見せます。<br><br>当然、被災地の荒れた大地や市街地の復興はできても、被災者の9年間の今の景色に見えるのですが、心の中に抱えた時間と重さは、見えません。<br><br>これも見えないものによって成り立っていると考えることができるのです。<br><br>ちなみに、台所の流しの中の網カゴの中の調理カスも、一緒くたにゴミとするのですが、ゴミって何なのだろうと、カスって何なのだろうと見ると、カスやゴミではなくて、捨てるもの、用がなくなったものとして焼却炉で燃やしてもらうものなのですが、こんなことを思うと、何か言おうとしているみたいに見えてきます。<br><br>警察の犯人捜しの指紋は肉眼では見えないが、粉を掛ければ見える。<br><br>新型コロナウィルスも電子顕微鏡や検査では見える。<br><br>見えないけれど、見えると同時に、見えるけれど見えないものもあります。<br><br>見えるものと、見えないもの、もっとも見えるのに見ないということも、逆に見えないものが見えると、仏教はこうしたものにも、心という、私という、自己とは何かと学びます。<br><br>眠るということを考えれば、就寝で、「見ない」ということで、瞼を閉じることで眠ることができるのですが、見ないという意志があっても、知らずに夢を見ていることもある。<br><br>夢も何も見ていなければ、寝ていたことさえわからないので、夜眠って起きたら朝だったと、時間は見えない。<br><br>記憶がなければ時間は見えないことがわかります。記憶によって成り立っている時間だけれども、一瞬は見えるのだろうか?<br><br>一瞬を生きることがなければ生活は成り立たないのですがね!<br><br>朝起きて顔を洗うことは、習慣であることは間違いないし、一人暮らしになれば、「面倒くさい」のでとか、「まあいいか」、「今朝はやめた」とか、省略することもあるでしょう。<br><br>その省略するという意志は、どこから来るのだろうかとも考えはしないだろう。<br><br>聞かれれば、「そう思ったから」とも、考えないだろう。<br><br>自分を見ない証拠ですが、悪いとか良いという判断にすれば、また別のものが見えてきます。<br><br>私たちの普段の生活の中では、眼を開いていれば、「見ている」ものばかりだと気がついた。<br><br>ただ見ないものばかりでもあるとも気がついた。しかもボーッとしていれば見ていない。<br><br>見つめることは、夫婦であっても、子どもと対面しても、一人暮らしになっても、「見るって何なのだろう?」と、不思議な疑問をもってしまうのです。<br><br>こんなことを考えると、見るには、見ないがセットで成り立っていると同時に、見るとは、目的のものを見るためには、それ以外のものをあえて見ないということもいえると気づくのです。<br><br>禅宗の碧巌録の94則は、楞厳経というお経の中かの、「見る、見ない」を、テーマとする内容です。<br><br> お経は、漢文ですので格調が高く、私たちの普段使っている平易な言葉ではありませんから、読みづらいのですが、易しくすれば片寄って難しい。<br> <br> そこを何とか、平易にすれば言葉が多すぎてまどろっこしいのです。<br> <br> 見るを、「見」として、見ないを、「不見」としています。中国語なので平仮名は、もともと見えないのです。<br> <br> 見ることを重点に学ぶのではなく、見ないを重点にしてことが書かれています。<br> <br>お釈迦さまが阿難に、「吾れ見ざる時、何ぞ吾が不見のところを見ざる」と語る内容です。<br><br>不見のところとは、本来無一物、無心、空、仏、本来の面目等々数々の言葉があります。<br><br>ある僧がお釈迦樣に問いを発しました。「見:我れあるが故に山河大地ありという、しかもその人死するも(不見)も、なお山河あるあるは、何故だ?」と問を発しました。<br><br>その時、「その人死すれば、その人の山河大地なし。他人の見る山河大地のみ」と、答えられたということです。<br><br>人が亡くなって、別れを経験するとき、そこには「故人との死後の出会い」が待っている。<br><br>親しかった者との死別。それは永遠の別れではなく、むしろ、けして消え去ることのない本当の出会いの始まりともいえるのではないかと。<br><br>人は、見るものと、見ないもの、見るものは自分の中の心の幕に相として、出会いに悩む人々に、「なぜ私の見ないところを、見ないのだ」と問いかけていると、そんな出会いがあってもいのでは無いかとよいのではないかと思うのです。<br><br>親しい人が亡くなって、すでに故人となってしまった人との出会いとは、もう見るとか見ないということを離れて、その見る見ないということも離れて、手を合わせる、目をつぶり見ないという。<br><br>その主観の光明の中に、出会うと、気づいたことがありました。<br><br>手を合わせる、そしてその手に集中する。<br><br>尊しとする。<br><br>あるいは目をつぶって見ない。<br><br><br>そこに無心な自己を発見できれば、そこに出会いがあります。<br>
2020.03.25 Wed l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
悲という漢字は、心に非ずと書きます。

意味は、心が引き裂かれることですが、自分の身体も含める他者の痛みや苦しさ哀しみが自身の心に映し出されるからです。

「心は、意識の向かう事象に応じて働いていくもの、それは何ものか?

何色のものか?

丸か四角か有るのか無いのか?

笑ったり涙を流したり、談じたり、内にあるのか外にあるのか?

絶え間なく動く意識の世界に随って対応していくこの本体は何ものなのか?

私の主体は何か?

日常の生活にも繰り返し私を点検し、その根元を見届けても、さらにその先に進め」と、白隠禅師は、「隻手の音声」に記していました。

白隠禅師は、隻手を聞くのは習学といい、その先に無学があるとも。

さらに、その先は、「四弘誓願を用いるのみ」とも記していました。

衆生無辺誓願渡
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

お釈迦さまは、「大悲の心ありて、我が迷雲を開き、我れをして得入せしめたり」と、申していました。

今年1年の、ご清祥を祈念申し上げます。
2020.01.01 Wed l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
年末になると、一年の締めくくりとなって、数多くの封書が届きます。

その多くは、この一年を何とか無事に過ごせた感謝をもっての封書です。

封書ということは、お年を重ねて長く遠くに歩むことができない、不便さを物語っています。

「手足がしびれて不便さを逆手にしたことで、人のことが見えてきたという。
そして、お陰様という気持ちも、今まで何不自由なく身体の自由さに暮らせたときの思いから、今は、生かさせてもらっていることで、ご先祖様に守っていただいていることが、観じることがあります」と。

こうしたお手紙には、たどり着いた心境に、とても嬉しくなります。

でもすぐに、そうでいないお年寄りも多いのではないかとも思っています。


家を出ることができなくとも、インターネットを使いながら、お寺の様子を知ることもできるという、九十歳過ぎてのお年寄りも出現している。

もちろん、こうしたお年寄りは少ないだろうが、時代の変遷と共に、数がふえていることは確かだろう。

お寺からなにがしかの言葉を発信することは必要と考えて、毎月住職と副住職が、お寺からの便りとして、A4番の用紙に裏表、ぎっしりと文字を入れて送って、いつの間にか30年以上がたつ。

最近は私の方が文章を作ることが副住職に助けられることで、衰えはじめていることを感じる。そう思いながらも、自分では嬉しさがあるから不思議だ。

今年は、親戚の住職も代替わりしてしまった。

でも代替わりしても、お寺にはご隠居さんといって、「閑栖(かんせい)」という名を与えられる。

その与えられたものとは、栖という字は、鳥が竹かごに住む意味があるのですが、忙しいさまや、落ち着かない逆の意味もあるのです。

そこから時間を持て余すことなく、そこを住み家とするのですから、それを閑としなければならない。

つまり、閑は静に落ち着くですので、心に侵入するもの、あるいは心から湧き出す意識を闇雲に外に出さないということでしょう。

閑栖とは、代替わりすることだけではなく、この名称を与えられることでした。

その知らせは、私にも迫ることだが、迫ることで、さらに、法事の内容を新しくす更新し続けることが義務と思うのだ。

私も今年に70歳になった。副住職の若さの頃にはじめた私の文章作りは幼稚だったが、副住職は違う。それも嬉しい。

法事の内容は、多くの人がわかるように、内容を深く考えて、A4用紙に5枚から6枚弱で、わかりやすく、語らなければならないからだ。

お盆や春秋の彼岸法要、お施餓鬼に、ご祈祷、そして通夜や葬儀、突然の依頼の法事には、人が違うだけ法要の内容が変わってくる。

お寺に住むことに、「山中暦日なし」は、人の生き死ににも当てはまるかもしれない。

一週間も、月も、年も、暦日なしだが、一刻を生きることに暦日もなし、

今日の良き一刻を働き生きることしか人には課せられていないからだ。動物たちも昆虫も、魚も植物も同じように……

2019.12.22 Sun l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
一夜賢者の詩

過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念がうことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在にするところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動ずることなく、
それを見きわめ、それを実践すべし。
ただ、今日まさに作すべきことを熱心になせ、
たれか明日、死のあることを知らんや。
まことにかの死の大軍と、遇わずということはあることなし。
かくのごときを一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり。
 (増谷 文雄 訳詞『阿含経典第五巻』)

40年以上前で、お寺で少し大きな犬を飼っていました。
散歩には、車に乗せて埋め立てた東京湾の護岸から広がる原っぱ歩きました。

空が広く感じ、暖かい日には海風が気持ちよかった。

今の若洲ですが、辰巳や東雲に有明と行ったものでした。
江東区の湾岸地域は、関東大震災の震災瓦礫を埋め立てた豊洲に、昭和11年11月に辰巳と東雲が接続されました。

戦後の復興でこの地域に戦後避難者を救援するために都営団地ができたことを聞かされています。

若洲は昭和44(1969)年12月に埋め立てが終わっていました。

建物はなかったので、見渡せる原っぱが続く埋め立て地でした。
そこには、どこから来たのか木々も成長し雑草も活発に成長して茂るという自然な季節感がありました。

蝶やトンボの種類も多く、鳥たちも昆虫たちも、地中に生きるものたちも、きっと人の手が入りませんから彼らにとって繁殖ができる絶好の環境でした。

でも見ている人にとっては、何か殺風景というのか、だだっ広い風景で、海風は強く、土ぼこりが舞っていました。

確かにそこは、木々に草、海に開けて、循環に創造という自然という営みが、行われてたのです。

東京の湾岸に広がる埋め立て地は、鳥たちだけではなく、捨て猫もいたし、カラスに海鳥、色を染めた鳥たち、昆虫たち、地中に生きるものも、そこに住む者たちにとって、一匹一匹、一羽一羽、今を生きる一夜賢者のような気がするのです。

人間が自然と違う特色づける心を持ったことが、一夜賢者を忘れて、特殊な存在というモノになったと考えてみました。

多分一万年ぐらい経て、人間は地球上に、生物の生態系の頂点に立ち、繁殖し、大自然を変えて暮らす文化を創造したと。

でもその自覚は持っていないのではないか。

さらに別の言葉でいえば、不自然という文化を、気づかずに持ってしまったともいえるのではないか。

そんな人間が地球上に暮らすことで、自然も変わってしまった。

お釈迦さまは、心という様々な現象という思いを持って生きる人々に、一夜賢者という知恵を授けたのですが、諸行無常な心に、諸法無我という自然に、生きるすべという観察する智慧を、一夜賢者の詩は持っています。

人間が人間として、この地球と共に生きる努力をしなければならないことです。

一夜賢者の詩の、未来について、まだ来ないという事実に答えることはできるでしょう。

過去についても、過ぎ去ったという事実は、厳然とした事実から答えも出てきます。

それでは現在はということで、講談社の原始仏典「ぶっだのことばⅢ」から、お釈迦さまの「現在」の説明を聞いてみましょう。

『このように私は聞いた。あるとき、世尊は舎衛城の郊外、祇園精舎に滞在しておられた。

そのとき、世尊は比丘たちに、「比丘たちよ」と告げられた。

比丘たちは「尊師よ」と世尊に答えた。世尊はこのように語られた。

「比丘たちよ、一日賢きものの説明とその解釈とを私は汝たちに説こう。それを聞いて、心せよ。私は語ろう。」

「尊師よ、かしこまりました」と、じつにかの比丘たちは世尊に答えた。

お釈迦さまは、「現在のことがらに、揺らいでいない」ということはどういうことか?

物質的現象を自己なるものと見ない。自己なるものを物資的現象のあるものと見ない。

(物質的現象は諸行無常であり、それは諸法無我であるがゆえに諸行無常という物資的現象があり、諸行無常は即諸法無我、諸法無我は即諸行無常気づけばよいだけのことです。)

自己なるものに物資的現象を見ない。物質的現象に自己なるものがあると見ない。

(これは嫌だ、これは好きだとか。無眼耳鼻舌身意、即眼耳鼻舌身意。)

感受を自己なるものと見ない。自己なるものを感受のあるものと見ない。

自己なるものに感受を見ない。感受に自己なるものがあると見ない。


(感受とは、相対的なものから受ける精神的作用といえばよいでしょう。でも無心な自己からすれば、悲しみや怒りという精神的な現象は一時的なものであり、本質的なものではないはずです。一瞬あるいはその時の感情に支配されないということでしょう。)

表象を自己なるものと見ない。自己なるものを表象のあるものと見ない。

自己なるものに表象を見ない。表象に自己なるものがあると見ない。

(表象とは、観察する私の目に映されたものです。その映像として映されたものは、表象と共に感情や思いがわくのも心の作用です。それは自我にすぎないことです。)

意志を自己なるものと見ない。自己なるものを意志あるものと見ない。

自己なるものに意志を見ない。意志に自己なるものがあると見ない。

認識を自己なるものと見ない。自己なるものを認識のあるものと見ない。

自己なるものに認識を見ない。認識に自己なるものがあると見ない。

(意志と認識についても、無心な自己があるから、意志と認識それに感受という現象や表象が起きるのですが、絶対的なものではありません。
ただ無心な自己に気づくこと、それを揺らいでいないということです。)

比丘たちよ、このように、じつに現在のことがらに、揺らいでいないのである。』
2019.11.01 Fri l l コメント (0) トラックバック (0) l top
仏教は、印度から中国に、そして日本に伝わったものです。様々な宗旨がありますが、禅宗は、心を問い続けた仏教宗派ともいえます。

仏法は、お釈迦さまが悟った法というものです。その法は本来一つなのですが、見方によってそれぞれに分派して、今も新興の教えとして誕生しています。

さて仏法の法という漢字は、氵に去るですが、氵は水が偏になるときの形です。では去るという漢字の古い意味は、大とムの字に分かれます。

大は人の象形を表し、ムは口の祈りの言葉ですので、祈って人についた汚れを取りさることでした。走り去る、取り去る、葬り去ると去る意味が、水の流れとなるには、氵遍の漢字の多くがこの流れと関係します。法は水の流れる様子そのもの、あるがままということです。

この漢字の文化は、一字の意味であり、ABCやひらがななどの文化とは違います。法は、水が様々に蛇行しながら流れる様子でした。

よどみなく上から下へ流れる。そこに理由があるのですが、岩があれば岩を周りながら、ゆるやかな地形にはゆっくりと、大きな水の流れはゆったりと、急な地形の場所では速い流れに、滝には滝の様子があり、滝壺には滝壺の水の流れ様子です。

水という姿の決まった形はない。霧になったり雲になったり雨となったり、決まりはありません。水が大地をおおえば水害となり、コップに入ってのどを潤し、身体の多くは水によって、人は活かされています。その水の様子が、そのまま、仏法です。

植物も動物も鉱物も、地球も宇宙も、私という人間一人一人も、仏法の如くです。

さすがに漢字を生んだ中国です。孔子は「知者は水を親しむ、知者は動く、知者は楽しむ。」と論語に書いていました。智者とは、法を知るものということなのでしょう。

さて水は、「大河の一滴」と言われたように、この一滴に自己を見ることも仏法そのものです。氵は水ですので、一滴という自己に譬えてみても、大河を構成する一滴の水となり、大河はその一滴を含んでいますので、その一滴が大河全体を担っているといえるでしょう。

急流の川瀬の一滴も、水は急流で岩を周りながら流れに沿って流れますが、一滴の自ら眺めれば、水は流れて岩は流れずですが、岩は流れて水は流れずという一瞬・一歩の今の自分の姿が自覚できるでしょうか。

全体の中の一滴の全体を、宇宙や世界・平等、平和と書き換えてみることもたのしいことです。さらに、流れのなかの一瞬では、流れを人生や生涯、永遠、祖先としてみることもできます。

流れに随って流れながら、流れていない自己を発見するというのか、今の一歩があって全体がある、氵の去るは水なのか自己なのか、矛盾しながら矛盾しない今の一歩を見つけることも仏法の生き方です。

普段の生活の中の流れるもの、多くは時間と自己との関係なのですが、流れていない自己は一瞬の自己ですので、次の一瞬には、その自己は居なくて、新しい自己となっています。

つまり流れとは変化であり、変化しない自分とは、一瞬の絶対的なものであると発見することです。

氵と去るは、水という自己と、去るという行為に、一瞬から見たらどの一瞬も絶対的な時ですから、去るも来るもないはずです。

曲がりくねった道も、急な坂となって登る道も、一歩から見れば、ただの一歩の人生です。人生は、その都度その都度一歩は終わりを含むことから、その一歩に成りきることは生きる達人となる譬えです。

アイデンティティーとは、自己と自我の同一性と言われ、自己の確立などともいいます。私は私であるということです。

流れに随って水は流れるのですが、アイデンティティーでは、水は自らの行為が流れとなるのでしょうか。

人は一生懸命に何かを蓄え、何かを覚え、何かを作り上げていくのですが、それは何かをため込んで、何かを忘れ、何かを捨てる連鎖であるような気もします。

私は私と、自我を積み上げて、その自我も積み上げるために下敷きにして生きれば、生きた後に何が残っているのでしょうか。

私は私というけれど、何かを壊し、何かを作り上げて、私が通過した後に、残された私の残骸は、それでも私のものなのでしょうか。この連鎖が私たちのわき起こる思いともいえます。

アイデンティティーを確立した、自己を確立した、個性を確立させたというけれど、他者との関係性の中に生きる私とは、話す、選ぶ、取る、結ぶ、作る、生きる、思う、考える、愛する、嫌う行為は、すべて、させられてすることも、また真実であるからです。私が在って世界があることも、世界があって私が在ることも、どっちもどっちですが、私が在るから地球があるのでしょうか。

仏教は、地球があって私があるように、私は、私でないことによって、私であるというのです。同時に地球自身の根拠も、地球も地球でないことによって地球であるといいます。

地球の根拠は、地球に生きる、住まう、在る動植物、鉱物資源空気や水の一瞬にあると言えるのです。当然に、地球に生きる、住まう、在る動植物、鉱物資源空気や水の根拠は、それ自身にはなく、地球にあります。

互いに寄りかかりながら、宛にして、居場所にしていることを、自己否定を含んでいるともいいます。これは、神や仏、菩薩も、神や仏や菩薩でないことにとって、神や仏、菩薩であるといいます。しかも、この関係は同時関係です。

私が歩いていたとしたら、私が歩かされていた。私が生きていと思っていたら、さまざまなものによって生かされていた。私が選んだ人は、私が選ばされた人だった。

私が選んだ人によって、出会った人と結婚して働くということは、物語を創って生きています。物語は、創ると同時に創らされていることです。
2019.10.01 Tue l l コメント (0) トラックバック (0) l top
天のほうそく (まど みちお)

天のほうそくはむげんにある
このよは天のほうそくのほうこだ
ほうこを あけるカギは
このよでなにをするか なのだろう
あけて でてきたものが
かってこのよになかったものであるとき
天はほほえまれる
いまこの一しゅんに
このほしにいきる一つぶのわれらが
そのものをどのようにつかいこなすかを
みまもっていてくださりながらに

 今年の夏が終わろうとしています。でも夏が終わろうとして次の季節が、秋、としてくるかどうかわからない日本になってしまったような気がする。

夏と冬のあいだに、つかの間の春と秋があるような感じがする。

春と秋を存分に楽しんだ後の春と秋だったが、梅雨と秋雨が冬と夏との戸締まりのような、こんな季節に誰がしたと、疑問に思いながらも、人間は生きるしかないのだ。

 北極やアイスランドにアラスカ、極東のロシアのツンドラも温暖化で堆積したツンドラの腐敗が進むという。

世界の強国は、その氷におおわれた大地がとけることで、石油は鉱物資源の開発が進むと、角を突き合わせるのか。

 1時間あたりの雨が、130ミリ、100ミリ、80ミリと突然、夜眠っている間にも、気象情報や防災情報が頻繁に、スマホの画面に現れる。便利さゆえに、頻繁なあまりに慣れてしまって、現実のことかわからない。

でもニュースで知れば、豪雨に冠水、山崩れに、小さな被害なんてないはずなのに、報道しきれないほどで、当然、世界中にあふれる世の中になっている。

世界でといっても、特にアフリカだがその他にも開発途上国で、人口が爆発的に増加する。医療が進歩し、衛生的になったことで平均年令が伸びて、伸びるほどに人口問題が表面化してくるのだろう。

世界中がやがて少子高齢化の問題に直面するし、食糧問題・医療問題・年金財政問題、水資源や再生可能エネルギー、そして貧富や格差の問題など世界中に深刻な問題になるのが2050年問題というが、現実には、今、進行が進んでいることは、今日の天候の現状を見れば明らかなことです。

地球という衛星の中で、有限な資源と環境において、この直面する問題に人間はどう生きていくのか、冒頭の“まどみちお”詩人の「天のほうそく」が示しています。

古代エジプト、紀元前に3000年の文明を持ちます。ナイル川の氾濫と恵みにおおわれた流域に、日の出と日没を繰り返す太陽の恵みに、太陽暦を発見し、農業や建築測量技術が発達しました。太陽神を発展させて天文学が誕生した歴史でした。

ギリシャ文化の時代は、哲学の誕生でしたが、自然崇拝から人間の価値観を追い求めるものでした。ギリシャ神話に登場する神々も、どろどろとした人間くささそのものを表現したような、それは、人間の慎ましさや、謙虚さを表していたのでしょう。

他にも多くの文明が、世界史には発生していましたが、滅びた原因は、自然災害や戦争に疫病だったのではないでしょうか。

 中世から近世にかけては、近代文明の発展は止まることを知らずに、人間の知恵は、「知は力なり」と、自然の中に閉じ込められた鉱物資源やエネルギー源を掘り当て、便利さ効率、力を生み出し、自然を操作し、スピードを競い、物質的な豊かさを追求し、そのため戦争をし、軍備を競いと、このスピードは速まることはあっても、ブレーキを踏むことは出来なかった。

走りっぱなしの車は、いずれ最後が見えています。そうならないために走ることには、ブレーキがなければなりません。ブレーキを踏まなければ、いずれ破滅に向かいます。走るためには、走らない大地がなければなりませんが、その大地が痛んでいては走れないでしょう。

人間が生活する気温が、世界で、40度、50度という数字を見る確率が高いことに驚きます。

砂漠や熱帯地方でなく、温帯地方に、今年もありました。

それに、2019年の与那国島二酸化炭素濃度は、406ppmから418ppmで、確実に二酸化濃度は増えて三角定規の30度の上を登っている様子です。

天のほうそくは、自然のままですので、人間も自然と一体になって、三角定規の30度の上を登り歩いてはいけないでしょう。

地球に暮らす一人一人が、ほんの少し、歩みのスピードを遅くしたら、その分だけ30度が20度になるかもしれません。

ですが、将来の子ども達のために、地球の未来のためにと考えれば、この410ppmより下げなければ、未来は悲惨なものになるでしょう。

「世界はあるがまま」と、お釈迦さまは2600年前に話されました。

まさか地球の環境悪化がここまできてしまったとは、天の法則は無限にあります。

その無限とは、人間にとって、良い方にも悪い方にも無限にあります。人間が、この地球に誰一人居なくなっても、天の法則は無限にあります。

人間は天の法則の一部であり、支配するものではないことです。ここに、天に対して、謙虚さが必要なのです。自然を恐れ、自然に親しむと…… 

天のほうそくはむげんにある
このよは天のほうそくのほうこだ
ほうこを あけるカギは
このよでなにをするか なのだろう
あけて でてきたものが
かってこのよになかったものであるとき
天はほほえまれる
いまこの一しゅんに
このほしにいきる一つぶのわれらが
そのものをどのようにつかいこなすかを
みまもっていてくださりながらに
2019.08.27 Tue l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top

私たち一人一人、生きて現実に歩む道は、夫婦であっても、子どもがいても、ただただ、一本の道が果てしなく繋がっていると、見てもよいでしょう。

親しく亡くなった、父や母、祖父や祖母、さらにその先の亡くなった者が歩んだ道も、それぞれ一本の道でした。

共に、時間を隔てて、別々の道には違いがないものの、親しく亡くなった者の歩んだ道も自分の歩みも、続く道だと気づくことも、また、新しい自分や親しく亡くなった者を発見するものかもしれません。

とある男の子が、幼かった頃父を亡くしました。病気だったこと、母が看病しながら仕事につき、男の子を養いました。父が荼毘にされたとき、母はそっと、夫の「のど仏」をハンカチの中に入れて自宅に帰りました。やがて骨壺を菩提寺のお墓に納骨しましたが、母はのど仏を小さな緑色のガラスビンに入れて、幼い子どもに言いました。

「いいかい、これから、この父の形見に水を供えるのが、お前の勤めだよ。いいかい、毎日毎朝だよ!」と。

 この繰り返して、形見に祈る子どもは、やがて大人になって立派な僧侶になりました。これは偶々(たまたま)なのか、必然なのか解りませんが毎朝毎朝形見に向き合う子ども成長には、向き合うということが如何にその子の人生にとって大きな比重を持つか不思議な感慨を持ちます

 とある家庭において、働き盛りの父が、急に病気で亡くなりました。子ども達は中学生になった頃・そして小学生高学年頃のような私の記憶です。母は、当然のごとく、仕事に就きました。

その時から、亡くなった命日には、必ず私が呼ばれ仏壇の中の位牌にお経を上げました。後ろに男の子2人と母が控え、終わって父に向かって焼香します。仏事が終わると、子ども達は自分の部屋に入ります。

お盆にも、お経を読みに行きました。子ども達も必ず居て焼香します。仏事で子ども達とお話しをすることは、ほとんどありませんでしたが、年数が経てば立つほど、確かな成長を歩んでいる姿として見ていました。

いつまで続けるのか、依頼されるまで、通った仏事も、下の子どもが結婚して家を出るまで続けたのです。考えてみると、母は、会計事務所の経理と計算の仕事を懸命に覚え家庭を守ったのですが、私は、一年に二度、仏壇の前でお経を読んだのですが、そのことと、子ども達が立派に成長したこととが、どう繋がっているのか知りません。うかがったこともない。

ただ母が働くことを辞めたのは、70歳後半だとうろ覚えですが、子ども達のそれからは、今も、その母から聞いています。

その母は老いに、追い越されないように、多くの趣味をもち、自分なりに老いの若さを謳歌して歩んでいます。

 仏事とその家族の家庭に絡む例は、数多くあるのですが、子育てが終わるまでの仏事で見届けたのは、この二例です。

 すでに立派な立場に立っている子ども達に聞いたこともないのですが、母は、今の子ども達を話すのです。
2019.08.20 Tue l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
皇の,諱(いみな)は富仁(とみひと)、その時の開山住職は、関山慧玄禅師で、花園法皇在位は、1308年9月11日(旧暦延慶元年8月26日)から1318年3月29日の9年間で、妙心寺を開かれたのが、1342年(旧暦暦応5年/康永元年/興国3年)で、崩御された日は、1348年12月2日(旧暦正平3年11月11日)享年52歳でした。


花園法皇は、幼少のころから学問詩歌書道に優れて、宮内庁書陵部の学道之御記には、「学問の目的はただ文字を識り、博学になるためのものではなく、本性に達し、道義をおさめ、礼義を知り、状況の変化をわきまえ、過去を知り未来に活用するためのものである。」と記しています。


花園法皇は始めに紫野大徳寺の宗峰妙超(大灯国師)>として修行します。やがて大灯国師が、1337年(建武4年)に病となり重篤な状態となると、花園法皇は国師の後継者として関山慧玄禅師を推挙され修行が続きます。その場所は、花園法皇お住まいの花園離宮を禅寺として、今の正法山妙心寺でした。大灯国師は翌年1338年1月13日(延元2年/建武4年12月22日)に、亡くなりました。



法皇と大灯国師の出会いの問答が、「大灯国師語録」のなかにあります。花園法皇は大灯国師の風評を聞き、国師を内裏にお招きしし、法皇は和やかに談話をしようと思いましたが、国師は袈裟を着用して対坐することを望みました。法皇は許して座は問答のようになりました。国師と対坐して、法皇はまず、「仏法不思議、王法と対坐す」と国師に問いかけしました。


天皇が上皇となり、仏教を学んで法皇となっても、国師は法皇の臣下であり、上と下の関係をなくして対坐することは許されないと、そんな意味合いもあったのでしょうか。王法という世界に住みながら、仏法という法の世界を垣間見ての最初の言葉でした。国師は、すぐに「王法不思議、仏法と対坐す」と応じます。法皇は、この返事に、「龍顔を動かす(にこっと笑顔)」と、満足したと記されています。


法皇と国師の関係にも、王法と仏法が歴然として二つある。王法は、花園法皇、支配・遵法・序列・知識・色・分別・異・違い・差別であって、これら相対するすべてを万法とも言います。それに対して、仏法は、大灯国師・無階級・智慧・無心・空・無分別・同・平等・無差別・悠久・永遠です。考えてみれば対立しているかのような、この矛盾したものが対立したままでは、座は一歩も動きません。
国師の答えに、花園法皇が「龍顔を動かす」ことで、対立の構造は一気に解けていきました。この当時、王法は天皇によって代表される世法です。当時も今も、多くの生まれた赤ちゃんにはそれぞれご両親に育まれやがて成長し、それぞれに仕事をし世代を繰り返していきます。それぞれ結びついたり離れたりと形を形成しながら、人や生物も動物も小石もやがて大きな岩や山となって苔むすまでと、まるで君が代の歌のように、悠久という時間の流れの中にです。



花園法皇と国師はたびたびこうした席を設けたのでしょう。国師をお招きしたときの対話がまだ残っています。法皇が国師に尋ねますが、この問いの緊迫した様子が目に浮かびます。法皇が、「万法とともならざるもの、これ什麼人(なにびと)ぞ」と口火を切ります。

この問いは、王法という席につく法皇ではなく、修行者あるいは仏法を自己のものとした求道者の一面があります。王法に仏法そして、今度は万法と、確かに世界には諸々の憲法があり、業界や組織、家庭や家族決まり事も、さらに無生物と生物の、それぞれの有りようという法則という万法とは、何なのでしょうか?



碧巌録に趙州和尚の有名な問答があります。僧、趙州に問う「万法一に帰す。一いずれのところにか帰す」と。それに対して趙州は答えました。私は昔故郷の青州に居たとき、一枚の麻衣を作った。重さは4.2キロあったと。万法に一帰す」の一とは、「万法と侶ならざるものです。趙州の答えは、「麻衣の4.2キロの重さだった」というのですが、これに対して、故人は、「この麻衣一枚の重さを、幾人か知る」と語っています。


「万法と侶ならざるところ」とは一であり、絶対平等・無分別の分別・仏法です。「万法と侶なるところ」は相対の世界で、二や多、そして分別する私たちを現します。平凡な、ありふれた、日常生活の中の一つ一つの行為が、いちいちが、「万法と侶なるところ」なのですが、それが同時に「万法と侶ならざる無分別の私」と、国師は法皇にそう対坐して言っているのでしょう。そこで「万法と侶ならざるところ、これ什麼人ぞ」に対して、国師は、扇を動かしながら、皇風永扇あおぐ」と答えたということです。


万法がつかめたならば、その万法を現そうとすれば、万法と侶ならざるところで、国師の扇(おうぎ)であおぐという今の行為となって示しました。しかもその風は太平にして平安に憩う庶民の心持ちの風です。万法と侶ならざる人は、国師手中の扇子と共に動いてる当体国師法皇、私ら一人一人となります。禅宗三祖禅師の信心銘には真を求むることを用いず、唯だ須らく見を息(や)むべし。二見相対の知見に住せず、慎(つつし)んで追尋すること勿れ、紛然として心を失す。二は一に由て有り、一もまた守ることなかれ。

2019.07.06 Sat l l コメント (0) トラックバック (0) l top

 子どもだった頃、よく「現実を見ろ」と言われてきました。

 その頃を思いだすと。漫画の夢中になっていたこともあったし、小学校から帰って、ランドセルを玄関にほっぽり出し、外に出て昏くなるまで帰ってこないときもあった。最初は近いところで、少し遠いところへ、段々と距離も伸びてと、これも子供心に視野を広げる意味もあったと思う。

 深川の河にはイカダが浮いて、イカダ渡りをしたり、釣りをしたり遊ぶ、凧を揚げたり、ベイゴマで勝負したり、駒を手のひらの上に乗せて駆けたり、メンコをして取り合ったり、ビー玉をして遊んだり、竹馬に縄跳び、遠くの町内への探検、空き地が数多くあって、そこで缶蹴りや、雑草をしばって仕掛けを作ったり、野球もしたし、イタズラもしたものです。公園がなかったからといって、子供心に、何処でも遊び場になったような気がする。しかも我を忘れて熱中した。

 空も広かったのでよく見たし、屋根には雀が、軒下にはツバメがいた。蝉もトンボも、今より格段に多かったので、よく虫取りをした。

 子供心は、イカダ、河、魚、凧、風、ベイゴマに古布、駒と手のひらに走ること、メンコを投げることで風を起こし、メンコを引っくり返す、用のなくなった缶からを蹴って飛ばして元に戻すことで、そこに在る、結びついていないものを結びつけて遊びにかえていたのだった。

 雀もツバメも、蛙も蛇も、チョウチョもトンボも蝉も、捕まえて離して遊ぶ、「子どもは遊ぶ天才」という。空も雲も太陽も星も、コウモリなど、みんなつなげて世界を作っていたのだろう。我を忘れて、その忘れていたものは、我だけではなく、みんな、共に、一緒にも入るのだろう。学んでいたのだ。

 大人は何をしているのか?と、当たり前のように見えて、見えていないとも、自分の子ども時代を忘れて、今の判断で語る。「現実を見ろ」と。

 車もそんなに通っていなかったし、自転車も少なかった。そんな時代だったので、よく怪我をして、ズボンや服には引っかき傷のような切れ目を×状に縫った服を着て、正月には、新しい服が親が新調してくれたものでした。

 私たちの子どもの頃は、「よく遊べ、よく学べ」だったような雰囲気に、「よく遊べよく遊べ」の小学生だった。そのよく遊べが、「現実をよくろ」ということだったし、何でも遊ぶ道具にして、子どもは遊ぶことの天才だったような気がする。

 もちろん「現実をよく見ろ」は、遊んでばかりいないで、宿題など、するべきことをしろという意味なのですが、目先の事実に没頭する年令だったと。

 今思うと、遊ぶことに熱中したのだが、一日は長かったという記憶は、勉強をしはじめた中学校頃より、一日が短くなって、今では、あっという間に、一日が終わっているのだ。時間が足りなくなるのもこの頃からか?

 今の時代だったら、子ども達はどんなことをして遊んでいるのか?

 学校から下校して、外で見る子どもは、学習塾の鞄を背負った子ども達以外にあまり見ることはなくなったような気がする。夏休みで、夜間のパトロールをしたが、今どき、コンビニにも子ども姿は見ない。

 ファミコンが誕生した頃より、大きく変わってきている。

 そんな子ども時代の、「現実をよく見ろ」は、何を見つめるというのか、ファミコンなどのゲームの中身は意味であり仮想現実、スマホは特定の意識の表現、テレビやアニメも意味ですが、熱中する相手は人工の意味で、流行り物という人が作った意味に感情を沸き立てさせられている。

2019.07.01 Mon l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
「若し私が、過去・現在・未来の仏を知ろうと望むならば、世界の一切は、私自身の心が造ると、観察すべし」

これは、本日のお経、お施餓鬼文、初めの言葉です。

お施餓鬼というと、精神的にも身体的にも餓え乾きや苦悩する鬼に施すと書くのですが、施すものは、心です。

その心とは、亡くなった親しい方は勿論ですが、さらに私たちには、目にしたこともない、ご先祖という見ることも思うことも遙かに遠い血筋の方々です。
この法要は、その方々と有縁無縁の方々を含めて、一年に一回のお施餓鬼会です。

私たちの世界は、意味を持って成り立っている世界です。だから意味の整合性が合わなければ、理解できないと思っていませんか。でも本当にそうでしょうか?

私たちの歴史は、子どもだった私が成長し、多くの子ども達は、親と同じように、男女の出会い、そうでなくとも、結婚という結びつきにより、夫と妻に分離します。やがて子どもができれば、親と子どもに分離して家族という結びつきに結合して、一緒に暮らします。

親の根拠・拠り所・居場所は子どもにあり、子どもの根拠・拠り所・居場所は親にあります。夫の根拠は妻にあり、妻の根拠は夫にあり、無数の根拠・拠り所・居場所を持って、人は常に変化して生きています。しかも、一瞬を生きていますので、何が大切かなどと問うことは必要なく、一瞬を生きるといえばよいでしょう。でも、自分の根拠・拠り所・居場所は、自分にないと、他者にあると気づかないだろうか。
子ども達が独立して家庭を築きますと、自分にとって、親という根拠という大事なはずでも、妻の根拠が大きくなって、特別な存在ではなくなってしまう、そんなこともあります。やがてそれが当たり前のような生活になってしまう。そんな日々の中で、大切なもの、大事なものを持ったとしても、いずれは、普通の歩みになってしまうこともあります。

その人の人生に、あるいは家族の絆にも、何の保証がないことも知らずに、毎日がいつも、昨日のように続くと、心の意識は、何も考えない。だから、普通に生きてゆくことが出来るともいえるのですが、実際は、何の保証もない。

当たり前のように今日があって、今があれば、明日があり、昨日がある。その当たり前は、自分の判断という物語りということなのですが、すべての壁は、自分の内にあるといえます。

だから、現実は外の世界で起こっているの
お施餓鬼は、このあたり前に何の保障がないからこそ、この人と生きて造られた絆・繋がりを、大切にしないといけないと、この人生という歩みに、家族の繋がりに、友達や知人、無数のつながりに、有り難うと、教えてくれます。
お施餓鬼会を、死者の道は、残されたものが示してあげるという考え方こそ、残されたものの、現実を歩む指針となり杖となりえるのだと思い、願うようになりました。

私たち一人一人、生きて現実に歩む道は、夫婦であっても、子どもがいても、ただただ、一本の道が果てしなく繋がっていると、見てもよいでしょう。
親しく亡くなった、父や母、祖父や祖母、さらにその先の亡くなった者が歩んだ道も、それぞれ一本の道でした。

共に、時間を隔てて、別々の道には違いがないものの、親しく亡くなった者の歩んだ道も自分の歩みも、続く道だと気づくことも、また、新しい自分や親しく亡くなった者を発見するものかもしれません。

この道は見えません。ただ今から今へという断絶した今を生きることが、矛盾しながら過去と未来につながることが含まれているならば、そのつながりは、父や母、祖父や祖母を通して先祖へとつながって、今の自分の有り難さへと通じます。たとえ会えない儚さに包まれても、その夢に人が棲んでいるからこそ、儚さも、有り難いことです。

お施餓鬼会は、私たちは世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで、私たちは、誕生し、存在していることの表現です。
この表現は、含んでいながら含まれている。見守っていながら見守られている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれているから分離・独立している。離れていても連帯している。選んでいながら選ばれている。失っていながら得たモノが有る。生きていながら生かされている。無心となっていながら満ち足りている矛盾でした。この有り難い矛盾する関係の中の、有り様の同時という視点こそが、揺れる心の無常世界を活きる智慧となります。

お施餓鬼の法要にて、ご先祖様として捧げる集いと読経は、冥福への祈りであり、同時に今の自分を輝かせるものです。

この思いは、人の内面にかかわるものですから、思い出や、寂しさや安らぎが、亡くなった者から与えられることを祈ります。そして、それこそが有り難いという、感謝の中身といえるものなのでしょう。

それでは、さかのぼった過去の、有縁無縁の亡くなられた方々の命の上に、今の私たちの命は頂いているという自覚を表現するため、参加された方々にとっては大切な戒名、或いは家々のご先祖様を記した廻向帳を、香で薫じて、施餓鬼棚に、奉じ、かかげます。
ジテンキジンシュー  我ら、汝等に、この祈りから供養せん!
 見えないものと、見えるもの、お施餓鬼会も、今の見えないものと見えるものの相対関係を結びつけるものです。見えないものは、永遠、ご先祖さま、未来と将来、過去、全体、世界、人生、平和、象徴、連続、相続、平等、理想、願い、夢、幻、祈り。見えるものは、生きているもの、生きていないものを含めて、今・ここの絶対的事実です。分離することで相対しながらも繋がっているのです。
2019.05.18 Sat l l コメント (0) l top
元号が平成から、令和の令は、うるわしく神様の神意を聞くということから、良いこととなり、和は、和らぐ、そしてなごむです。

しかし、元々は令は命を表し、和は和平や和順など戦争をしていたものを講和によって平和をもたらすことが和の語源でした。つまり人間がいがみ合って、いたずらに命を傷つけないようにということが示されていると思います。

国書である万葉集からは、「うるわしく平和に生きる」民の姿を、日本という国の形に描いたのでしょう。万葉集の和歌の出典時期は、西暦421年の歌からですので、古墳の時代中期になり、(大阪・堺の仁徳天皇陵ができた頃から)、759年頃までの、338年間の、和歌を集めたものです。奈良時代の、天平というくくりの最後で、大伴家持が、万葉集を編纂します。

もっともこの頃から、漢字を万葉仮名という日本式のひらがなに当てはめています。その頃太宰府で、家を持つことが名前になる時代だったのでしょうか。

さて、聖徳太子が誕生したのは、西暦574年で、日本の国が大和朝廷という国家として形成した時期です。593年、初めて女性の天皇・推古天皇が誕生したことは、今から見ると、とても進歩的に見えます。聖徳太子は、皇太子になり摂政となります。

この間の時代は、遣唐使派遣など、町づくりにしても、真四角な町、直線的な道路など、国造りという飛鳥時代を生きた聖徳太子(没年622)でした。
太子の作られた、一七条の憲法、その第一条は、「和をもって、貴しとなす」です。この頃にしては、民主主義もない時代に、革新的な内容です。日本国民の1人1人、それぞれに違いとして認めながらも、和をもって、そのいちいちを「貴しとなす」と宣言されたのでした。

平和は、もともと、戦争する双方が講和をして、戦いが終わったことを意味するのですが、平和の和を熟語から外して、和を独立させたことです。「貴いことは、平等なこと」と、読んだことです。

絵に描いた平等ではなく、理想が理想でなく現実の実相として見たならば、これは当たり前のことでした。ところがこの当たり前のことを、一人一人の個人が当たり前のように受け入れなければ、和が、平等が、貴さが表現できないことも示しています。

それだけ、個人の尊厳が保たれることが、この言葉の中に含まれていることを認知しないと、国民を一つにまとめることができないと、聖徳太子は納得されたのでしょう。

その「和をもって貴しとなす」とする内容を、仏教は、和を同じで、ドウと読み替えて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と読み替えます。この言葉の中に、和と貴さと、人それぞれの違いや個性が表現されています。

一人一人、違いある固有な個人として、同じだけれど同ぜずと、また、同じではないけれど同じと表現します。個人一人一人、それぞれ人格も生い立ちも年齢も、ものの見方も個人としての尊厳も違う人が、何で同じではないのに平等なのだろうと、矛盾することの問いも含まれています。

そこで、赤ちゃん誕生を考えてみました。赤ちゃんは、ものの見方・考え方もないうちに、和の中に生まれてきたのではなかったか?ものの見方、考え方という主観は後天的に取得したものです。

その主観という私の意識は、初めに、家族単位の中、おじいちゃんおばあちゃん、お母さんお父さんという単位の中に、主観を持とうとする赤ちゃんの「私が」誕生します。

先ずは夫婦、あるいは家族という一人一人、個人という独立した主観をもつにも関わらず、和の中に誕生し、育まれ、成長していきます。もともと家族という単位は、「同ぜずして和す」が成り立ちの基本です。赤ちゃんは、保育園、幼稚園に入園しても、その入園生活に慣れてくれば、「同ぜずして和す」という、子ども達は団体生活を学びます。

子どもたちが、そのクラスの体験から得たものは、私という違いの学びのはずでした。

ところが、子どもでも意識していないけれど、生きるため、食べ物を食べて成長するため、自我が発達してきます。これはまた、自我というものを中心にして見ることを身につけていくことです。

すると、「和して同ぜず」、「同ぜずして和す」、が難しく、他人の違いばかりが見えて、私の違いが見えなくなってしまうことです。

人の気持ちや性格、あるいは無意識の中から飛び出す特定の意識は、子ども達も大人も同じなのですが、直感的に、自分の中に、仲良しとそうでないものが、望むことと望まぬことが、理想と現実が、決定する意思と随うことが同居して、好きと嫌いが、主観というものの発達によってそれぞれ異なってきます。

その違いが、どこから来るのかわからない。自我が見えない。指摘されても理解できないというところにあります。

現実は矛盾によって、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と、成り立っているのに、その矛盾がもっとも嫌われる、阻害されて、うとまれることです。

個人は一人一人、私やあなた、それぞれ固有であり独立したものです。ところが現実は、別々のもので相容れないものですが、矛盾しながら和を形作っていることに気づかない。

これって、当たり前のことです。自然界のいちいちの命あるもの、また命がなくとも、そのいちいちは異なって、あるいは違いがあり、形があって、人も自然が成り立っているという事実だからです。

「なごんで、和らいでいながら、同じではない。同じではないのに、なごむ、やわらいでいる」と。

さて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」は、異なるものが和をもってあるとは、異なることと、同じの同が相対して互いに相反するものとして、矛盾しながら、対立しながら同時に成り立っていることです。

どこまでも、世界は異なりながら同じ、同じにして異なるというところに具体的な世界の事実があるということです。

個別の違いや、上下とか、言葉の意味として、異なることを観察することとし、同じや平等、一つや、一緒を観察すること、この二つの見方を学ぶことが強いられといえるでしょう。

そして、その結果、もしドウ、同じのみならば、平等・永遠・連続・相続・人生は、区別はなく、断絶もしていないし、異なっていませんし、変わることもありません。原因があって結果がある因果というものもなくなることに、気づきます。

では、同ぜずばかりであるなら、違いばかり、別々となってしまうでしょう。さらに人生というくくりもなくなり、今ばかりとなります。常にあらず、人生にあらず、平等にあらず、となります。この同ぜず、異なるは、差別、区別・の絶対的事実となります。人生にとっては途中ばかりとなるでしょう。

これは、違いばかりであるなら、平等や平和はありません。やはり世界には、平等や和す、同と書いて同じ、という概念・有り様が不可欠なのです。

世界は、やはり、常に非ずですが、断絶に非ず、同時に、断絶にして常、常にして断絶であることが大切です。

あらゆる個々という違い、異なるのものは、同に集約するのですが、では同は何によって成り立つのか。個々の個によって世界は成り立つことに気づけば、個は同の一部なのですが、同という全体・平等への意味を荷っていることがわかるでしょう。

相対するものによって成り立っていると。同じでないことが同じを含んで、同じは同じでないことを含んでいる。

「和して同ぜず、同ぜずして和す」という、そこからは、平等とは差別や区別によって成り立ち、つまり差別や区別を根拠にして、平等は成り立ち、反対に、差別や区別は、平等よって成り立っていると見ることができるのです。

>そして同じや平等は見えないもので、区別や差別は見えるものともいえます。同じや平等という見えないものを、禅は、違いや異なる典型の私が、無心や空になることにより体感します。

さらに、同と異の法則の現実の世界は、これらの相反するものが常に相い即してある姿と見えてきます。

さらに相反するものの結びつきの関係とも説明できますので、働きかけるものと、働きかけられるものも、二つで一つ。あるいは一つだと。また別の言葉で言えば、働きかけるものは、働きかけられるもので成り立っていると、その逆も同じです。

別に例えれば、商売でいえば売る人と買う人。教育でいえば、先生と生徒の関係、話す人と聞く人など、分かれていながら一体だということが、関係、つながりのあり方となります。

更に言えば、相反するものが、違いがありながら、平等、同じ、和となって貴しとなるとき、より現実的な世界のあり方となるのです。

また私たちは、よく自由を欲します。実は、自由と必然の関係も同じように、必然にして自由、自由にして必然の関係で、別々でありながら同という関係に気づくことなのです。
2019.05.01 Wed l l コメント (0) l top
元号は、江戸時代では幕府が、災害や戦乱・吉事などにより随意に変えていました。
つまり、天皇陛下の代替わりもありましたが、その時の自然の驚異に、政治的なもの、戦乱など世相的なもので気分一新ということらしいのです。確かに、上皇が退位されて、現天皇が即位されましたが、昭和から平成の時代変遷に比して大きく違っています。

新天皇が即位されたのは、過去には光格天皇の例がありました。
光格天皇と言えば、安永(1772-1781)・天明(1781-1789>)・寛政(1789-1801)・享和(1801-1804)・文化(1804-1818)の元号の時代に天皇としての執務を遂げられた方でした。 
光格天皇の在位期間は、安永9年(1780)1月1日より文化14年(1817)5月7日ですので、37年と5ヶ月間ということでしょうか?
その間の元号は5つも代わっていました。

徳川幕府では、徳川家治・家斉の時代、大老・老中には、田沼意次、松平定信ほか19名もいました。また家治の義理の甥にあたる光格天皇であったことから、幕府との関係も悪くはなかったのではないかと考えられます。

さらに光格天皇は、中世以来絶えていた朝廷祭式の再興、と朝廷の権威復権に熱心だったことから、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されて、尊皇思想の下地を作って、明治維新への入り口を作った天皇であるとも考えてよさそうです。

また学問詩歌音楽に秀でていたこともあり、公卿の大学寮再建を構想されましたが、次の仁孝天皇に託して学習所として竣工しました。これが後の学習院の前身となりました。光格天皇は仁孝天皇に譲位し、翌々日5月>日に上皇(太上天皇)なりました。

平成から令和と代わる道筋がこの光格天皇から出ていることがわかります。

話は変わって、日本史瓦版に、『京都に天明の大火が起こったのは天明8年(1788)1月のことだが、焼け出された光格天皇は聖護院に仮住まいとなり、公卿たちもそれぞれ町屋で仮住まいすることになった。

ところが、堅苦しい屋敷住まいから解放された公卿たちの中には、羽目を外して非行に走るものもいて、寛政元年(1789)の秋に老中松平定信は関白・鷹司輔平と相談の上、それら公卿18人を処罰した。消失した御所は寛政2年に再建されたが多くの公卿たちは、まだ町屋仮住まいを余儀なくされていた。そして前年の処罰にも懲りず、またぞろ不行跡をつづけていた。寛政3年に、これら悪質な公卿たちは、一斉に隠居逼塞を命じられた。』と書かれていました。天明の飢饉で、伏見義民の事件があったときの天皇だったのです。

昔の京都の地域ニュースですが、光格天皇も苦労されたのですね。ちなみに光格天皇が住んだ皇居は、土御門東洞院殿で、後の京都御所の原形となった場所でした。

明治になってからです、元号一代の時代になったことは。今さら何をと思うのですが、明治以前の元号制度も昭和の大戦による元号制度も、一代限りの元号制です。ただ違うのは、昭和憲法により、国民統合としての象徴像は昭和天皇が初めてだったことです。
平成という元号は、「内平外成(内平らかに天成る)」史記、「地平天成(地平らかに天成る)」書経から典拠したものでした。元号からいって天は天皇と結びつきますが、庶民としては、内や地は人間一人一人の心として、天は日本とか世界に当てはめてみれば、自己と外との関係になります。

それから、令和の令は、万葉集「令(よ)い月」と風和(なご)やか」から取ったことが報道されています。令は、命という漢字から口を除いた年令の令です。言葉は意味を表し、言うよりは聞くことから、神様の神意を聞くということとなり、さらに自然/世界の声を聞くこと>、困った人の声を聞く>ことが、良いことの意味になります。

和とは、もともと単体の漢字ではなく、和平や和順など、戦争をしていたものを講和によって平和をもたらすことが和の語源でした。戦争や争いを治める熟語となるのですが、その熟語から、和を独立させたのが聖徳太子です。

万葉集には、このような中国から渡来した漢文を、大和言葉にした使い方が示されています。和は、和(やわ)らぐ、和(なご)む、安らいだ響きがあります。和(なご)む和(やわ)らぐことは令(よ)いこと、と単純に解釈してよいのではないかと思います。

上皇、現天皇も含めて行啓は、地球の十五周半と文筆家の加藤直樹さんは計算しました。その足跡を分類すれば、慰霊とゆるし、慰問と同調に励まし、聴くことに徹して、うなづきと微笑み、祈りと願いを含んでの生涯の大半を旅に尽くしたようです。それを新聞やテレビのニュースでは意見し、痛々しく見えるときがあります。

日本国民統合の象徴というと、具体的な姿が描けないからです。象徴とは、陛下のいう身の丈は、目線か。徹底して膝を折り、何度もうなづいて聞き入れる、「お身体をお大事に!」「元気にお過ごしてください」と聴くと、際限のないやさしとなって、………行為やたたずみの中に、200年かかって現れるものかもしれません。
そういえば、上皇は靖国に行かなかったなと、これも、上皇の強い思いなのはだろう。それに、賢所の祭祀も、日本の先祖という、また別の供養なのかと、ふと思う。
2019.05.01 Wed l うつつ l コメント (0) l top

 私の父が亡くなって、母の静かさが気になりました。母の思いのなかに、父と遠ざかっていくという、この尋という深さがあることを考えたものでした。お寺の住職をしていれば、お檀家さんが、「今日は、祥月命日で!」、「今日は月命日で!」と目にします。

 「あれから何年もたった、10年たった、20年たった」と墓参に来られる。しかも記憶は、過去の記憶でありながらも、今の記憶です。幼かった頃も、10代、20代、30代…………と今の記憶です。鮮明に思い出すものも、忘れてしまったものも、今の記憶であることから、深さや長さとしての記憶として感じる。もっとも、遺影やスナップ、遺品などが近くにあれば、すぐ近くにいると思うこともできる。

人間の心とは、他者との関係性の中に生きる意識の誕生ですので、その関係を完全に断ってみれば、心は生じないことになります。人と人、人とものなどの間にこそ、心は生じると言っても過言ではありません。

 古語に、「十尋(ひろ)の水底は見えても、一尋の人の胸の中は分からない」ということわざがあります。

 手を左右に開くことを、尋(ひろ)といい、これが一尋の長さという。さらに尋は左右の手を重ねる形でもあることから、手を重ねるは、温める、親愛を現し、あるいは接するなどの意味もあるのでしょう。下記の1~8が当てはまる距離になります。

1、神仏の所在を尋(たず)ねる。

2、さぐる、ききただす、ものを問う。

3、考える、すじみちを考える。

4、かさねる、つぐ、いたる。

5、あたためる、いやす、包む。

6、ひろ、ながい、ふかい、浅い、たかい、ひくい。

7、つねの、なみの。

8、ついで、まもなく。

 この8つを、故人との距離として見ることもできます。私と故人と間としてですが、その私とは、その都度の年代の私としてです。

 人の心ほど解らないことはありません。それは対象をもって心があるために、案外、自分のことは、あるいは、すぐ近くにいる人の心も解らないものです。

 心が無心で寛大なときは、すべてを受け入れられるくせに、一旦、こわばると、何一つ受け入れることができない一尋の人でもあります。

 後になって、反省しても、どうしてあんなに怒っていたのか、感情が高ぶっていたのか、思い込みの激しさに何も見えなかったと、よくあることであり、これが人間の現実であり、すべての人の共通の姿ではないでしょうか。

尋は距離を表しますが、その距離を測ることを等身大の尋の本質として、1から8までの意味を持たせたような気がいたします。

 そして人間は、時間を含めて距離をもち、その距離の関係を問い、その問いは問い自身に意味があり、その意味の中に答えをもって一喜一憂しているともいえます。思い描けば千尋となり、究めれば極尋と。 

 人は、喜びを尋(たず)ね、自分自身を咲かそうと尋ね、心を尋ね、安らぎを尋ねる。一尋の中に心が在り、千尋の中に心が在る。その関係そのものを私の心と見出してから、もう何年と経っています。

 その関係の中身は、気に入らないのは、自分が気に入らないのであり、自分の心を振り返ることができないからです。人を憎むことも、実は人が憎いのではなく、自分の心が憎いことになります。その憎い心を持ち続けて生きているなら、憎さの被害者は、他人ではなく自分自身です。

 お釈迦樣という悟ったものからすれば、すでに、自分がないのですから、他者を含めてというところに自分が見えてきます。すると、他者を傷つけたり痛めたり、嘘を語れば、自分を傷つけ痛め、自分を分離することになります。人を殺せば自分を殺すことになります。もともと自分が無かっただけに、このことに気づくことを修業や祈りとすれば、気づくことで、私が生まれる以前より、それが私だったと表現するものです。

 人の心は関係そのもの、憎さを持ち続けて暮らしていけば、自分自身の人生自体が憎さに満ちてしまうものです。

 禅は、その道を、昇らずして昇ると言います。ここに否定という意味が隠されています。「空の故に縁起」とも、「無心」とも言い換えることができるのですが、昇るという連続した行為の今は、足もとの一歩であり、「千里の道も一歩から」、「曲がりくねった道も、まっすぐの一歩」こそ、昇らずして昇る姿であり、すべての人も、距離という長さではなく、一歩を踏み出す匠(たくみ)な人生を歩んでいると考えています。

 あの頃の親としての一歩、よそおう一歩、子どもの頃一歩、もっともそれは今の私ではないのですけれど、過去は今の一歩に寄り添うが如く在ることも事実です。

 私たちは関係、尋そのものを通して学びます。そのことによって自分の人生の意味を深めることができるのでしょう。

 法句経の言葉に、「錆は鉄から出てきたものであるが、だんだんその鉄を腐らせてしまう」があります。

 錆は鉄をくさらせますが、心はくさらせたモノにただ気づくだけで、心を取り戻せることができます。

 尋ねるは問うことであり、心の中の距離や時間をたずねることでもあり、考え、至るを含んでいる心とでもいえばよいのでしょうか。

 仏典リグヴェータには、「一つの真理に対して、賢者たちはいろいろに表現している」と書かれています。事実は事実ですが、人間はその事実に対してさまざまな見方・いろいろな表現をしています。これも事実です。

 誰もが、きっと身の丈の尋をもって、尋ねているものです。でもその身の丈の尋は、字通の1から8までを。そして答えをいくつも持っていたのだと思います。
2019.02.01 Fri l つぶやき l コメント (0) l top

昨年は、123日の白根山の火山噴火から始まり、49日には島根県西部地震、618日には大阪北部地震、7月豪雨では西日本の各地で記録的は被害が発生しました。96日には北海道胆振東部地震が発生しました。

台風も、12号が729日三重県伊勢市に上陸して西に向かって逆走台風となって高潮被害などの多くの被害が発生しました。823日には20号が、94日には、21号が徳島県南部に上陸し大阪神戸では1961年の室戸台風の記録を超えたといわれ大きな被害をだしました。さらに台風24号が沖縄、鹿児島に、9月30日には和歌山県田辺市に上陸し福島まで風の影響で倒木の被害や水害など大きな災害を起こしました。

また地球温暖化で、2018年の猛暑は、記録的にも統計開始以来最も高くなりました。これら列記した意外にも、地域によって土砂災害、高潮水害に倒木被害等々、風による被害がありました。新年早々、多くの亡くなられた命に悲しみをもち追悼の意を表します。災害に遭われた方々の、一刻も早く元の生活になれるよう願っています。

さらに過疎化、少子高齢社会、格差、パワハラ、日本列島だけではなく、世界中が多様性を崩して、そこに暮らす人々に多くの苦痛、困難に不安が重なります。さらに日本を支えてきた高齢者をターゲットにした振り込め詐欺には、憤りをおぼえます。

今年最後になる平成という年号の記す意味も、「内平らかに外なる」、「地平らかに天成る」で、人々の平和への希望を願ったものでした。

人は誕生したとき、誰でも、気づかないけれど、自分の荷を背負っているものです。

 2011年3月11日以降は、あどけない、無垢な子ども達にとっても、未来に生まれる子ども達にとっても、共通な生きる重さを背負って人類は歩んでいるとことを、忘れてはいけないと思っています。

 そして、そんな時代になってしまったからこそ、この世の中に、明るさを求めて歩み続けたいし、温かい心を失いたくない。すべての人を限りなく見つめて、愛さねばならないし、さらに動物や植物、地球や宇宙までも含めて、命あるもとしてかかわり合いたい。

 この困難な時代に、思いも掛けず亡くなってしまった多くの方々に代わって、自分が今、生きているというこの事実を見つめたい。

 考えて見ると、頂いた命も、ほんの少しの間、しばし留まるだけの命だから、感謝し、生きている間、他の頂いた命を持つ人たちと、あたたかい心を、ほんの少しの間だけれども分かち合わねばならない。

 次々と訪れる災害に、心配や苦しみは、むしろ人生の道しるべとしたい。生きる糧(かて)としたい。この災害に、いったいどんな意味があるのか。なぜこんなことになったのかとの問いも、それは、背負って立つことのあかしだ。

 この事の自覚は、自分への励ましではないか、すると、新たな想像力として、意思の力となってみなぎり、養えるはずだと気づく。

 この時代の平和の条件は、日常の至る所に無数に散らばっている。どんなことに出会っても慎ましさと、他者への慈悲の気持ちを忘れないことではないのか。それが智慧ではいか。

 家の外で、子ども達のにぎわう声がする、ただそのことに、嬉しさとなって、日常の些細なところにあるのであって、大きくて多いものにおいてあるのではない。

 今日の朝の目覚めに、頂く一杯の水に、お早うという言葉に、玄関を開けて外の空気を吸おうとしての歩みに、或いは、足を引きずりながらも進む歩みに、嬉しさを感じないだろうか。

 人生の生き方を知る、真の人とは、生きている輝きに気づくことだ。

 耳を澄ませ、目を注ぎ、味覚を養い、身体で触れても、その感触や思いを、鏡のように心に留めないで、刻々と生きれば、一瞬一瞬の時を知るものとなって、天の国はすぐそばにあるものだ。

 これこそ、平成という「内平らかに外なる」、「地平らかに、天なる」という、生き方を知っていることだ。

 谷川俊太郎は、「どんなに小さなものを愛してさえ、愛することさえ出来たら、私たちは孤独ではない。愛することで私たちは世界と結ばれている」と。

 愛とは、慈悲のように私たちを生かすものです。また、愛は、結ぶという行為の意味があることから、究極において、全体への一つの力です。しかも同時に、結ぶことは結ぶことで分離する意味もあることから、孤独をなくすことでもあります。

この関係を、仏教では「縁起の故に空、空の故に縁起」と説明します。縁起はつながるという行為ですので、その繋がることで、孤独は愛するという行為により空となり、世界と結ばれます。

 縁起とは、つながるとは、否定の故に成り立っている関係とすれば、逆もまた正しく、否定の故に縁起があると、縁起とは、あらゆるものの関係を伴った動きです。

 ここまで語ってきて、愛とか、つながりとか、縁起や空という言葉など、一度も使わずに、孤独で一生を過ごす人だって沢山います。

 その人たちが愛をもっていなかったのだと考えたら大間違いです。その人たちの方がかえって、本当の愛をもっていたかもしれません。

 この関係に気づくことで、もしかして、むさぼり、いかり、ねたみという矛盾や葛藤という孤独の欺瞞に満ちた今の孤独が、消え去り、逆に、生きる力として、喜ぶべきものとして、目覚めることを願っています。

 そして私たちも、矛盾と葛藤を、そのままに、人生を生き抜く力にまで高めることが出来るはずなのです。

何故なら、人は世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで人は誕生し存在します。その世界は、含んでいながら含まれている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれていながら離れている。独立しながら連帯している。選んでいながら選ばれている。生きていながら生かされている。

 ただ心配なことは、孤独というものを対象化すれば、世界も固定されてしまうことです。

2019.01.02 Wed l l top

なんまんねん・なんおくねん・こんなに・すきとおる・ひのひかりの・なかに・いきてきて・こんなに・すきとおる・くうきを・すいつづけてきて・こんなに・すきとおる・みずを・のみつづけてきて・わたしたちは・そして・わたしたちの・することは・どうして・すきとおっては・こないのだろう……

 まどみちおさんの詩、「どうしてだろう」に、納得いったら要注意です。人は、光のまぶしさ、さわやかな空と風、のどを潤す水、草木の緑を浴び、我を忘れて楽しい会話ができるのに……

 今年1年の、ご清勝を祈念申し上げます。

              平成31年正月

 

2019.01.01 Tue l 未分類 l コメント (0) l top
今年の4月から青少年対策富岡地区委員会という地元組織に参加して、とにかく1年は委員として奉仕しようと決めました。
7ヶ月経って、小中学校などの現況に触れるほど、この変わりゆく姿に危機感を覚えます。

平成30年10月25日、全国国公私立小中高等学校の「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校生徒指導上の諸課題に関する調査結果」を文科省が公開したことを知りました。

 この調査は、暴力行為、いじめ、出席停止、長期欠席、自殺教育相談、中途退学などを全国の小中学校と高等学校に対しておこなったものです。調査の結果を拾ってみました。

1)小・中・高等学校における,暴力行為の発生件数は63,325 件(前年度59,444 件)であり,児童生徒1,000 人当たりの発生件数は4.8 件(前年度4.4 件)である。

2) 小・中・高等学校及び特別支援学校におけるいじめの認知件数は 414,378 件(前年度 323,143件)と前年度より91,235 件増加しており,児童生徒1,000 人当たりの認知件数は30.9 件(前年度23.8 件)である。
なお,前年度調査における児童生徒1,000 人当たりの認知件数の都道府県の差が,最大で19.4倍となっていたところ,今回の調査結果では12.9 倍となっている。都道府県の差がなくなっている。そして、いじめ防止対策推進法第 28 条第 1 項に規定する重大事態の発生件数は474 件(前年度 396 件)である。
いじめ防止対策推進法に関する「地方いじめ防止基本方針」等の策定又は設置状況は,次のとおりである。

3) 小・中学校における,長期欠席者数は,217,040 人(前年度206,293 人)である。
このうち,不登校児童生徒数は144,031 人(前年度133,683 人)であり,不登校児童生徒の割合は全体の1.5%(前年度1.3%)である。

4) 高等学校における,長期欠席者数は,80,313 人(前年度79,391 人)である。このうち,不登校生徒数は49,643 人(前年度48,56

5 人)であり,不登校生徒の割合は全体の1.5%(前年度1.5%)である。
5) 高等学校における,中途退学者数は46,802 人(前年度47,249 人)であり,中途退学者の割合は全体の1.3%(前年度1.4%)である。

6) 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は250 人(前年度245 人)である。小・中・高等学校及び特別支援学校における,いじめの認知件数は414,378 件であり,
  この認知件数は,小学校317,121 件(前年度237,256 件),中学校80,424 件(前年度71,309件),高等学校14,789 件(前年度12,874 件),特別支援学校2,044 件(前年度1,704 件)。全体では,414,378 件(前年度323,143 件)。

 さて、全国小学校児童数、6,463,416名中、不登校は例年更新して35,032名です。中学校では、3,357,435名中、108,999名でした。

 記載されていた平成3年度の小中学校児童生徒合計が、14,345,743名で、不登校児童生徒数は66,817名なのです。
平成29年度小中学校児童生徒数の合計は、9,820,851名で、不登校児童生徒数は、144,031名です。
子ども達が減少したにもかかわらず、不登校児童生徒数は3倍近く増えています。

病気や経済的理由による欠席は、不登校として扱われていません。少しでもいじめの傾向があれば児童や生徒の命を守るために警察や児童相談所に通報されるようになったことも増員の影響結果となったようです。
この結果、長期欠席者の合計は206,293名で、そのうち何らかの病気による長期欠席者は45,362名ですので、経済的理由や不登校などの欠席者は、160、931名にもなっています。

また10月30日、文科省が、「教員勤務実態調査平成28年度分、分析結果および確定値公表」と発表しました。

その内容は、毎日新聞の夕刊速報によると、『1日の平均実勤務時間は11時間17分。職種別で見ると、最も長いのは「副校長、教頭」で12時間33分。1日8時間労働とすると、連日4時間半の残業をしていることになる。月20日間の勤務と考えると、「過労死ライン」の80時間を大きく上回る計算になる。過重勤務の防止に向け必要な対策を尋ねると、教職員の78.5%が「教員の増員」と圧倒的。次いで多かったのは「学校行事の見直し」(54.4%)、「教員同士のコミュニケーション円滑化」(43.1%)。「校内会議時間の短縮」も38・8%を占めた』と、記事でした。

今年、小中学校校長先生、副校長、教員の先生方の表情を見たりしたものの、その穏やかだった様子が変わってくるような、そして、この数字に上乗せされた数字が出ることは確実のような気がします。

全国の小中学校高等学校の悩みは、地域の悩み、家族の悩み、ご両親の悩みと共有することが何よりも、他人事ではなく、必要なことだと思うのです。

 世界は違いによって成り立っていますから、その違いをそれぞれの人が等しく観察し受容したとき、平等な世界が実現します。
また、私たちは、他人の違いはよく見えますが、よく観察できますが、自分の違いはなかなか見えないものなのです。

 このことは、私とは他人と比較できることが難しいことからではないでしょうか。自分自身の変わりゆく姿と意識の持ち方は可能性を秘めています。変わりゆく私という違いは、変わり続けることで成り立っているからです。それは、どう私が生きるか、生きる私と、常に今、問われているからです。
2018.10.31 Wed l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
平成二十二年六月の末のことでした。
所用で、町内のKさんの家にお邪魔したときのことでした。昭和六十一年四月十八日生まれのH君は不在でしたが、久しぶりにお母さんとお話しをすることができました。
 H君は、身体障害者であり、精神的にも発達障害をもっています。さらに、テンカンを持つことから、現在二十四歳であっても、一人では散歩もできない子です。
 小学生の時からずっと、毎朝、お母さんが電車でH君と通学する姿に、朝の挨拶をして、見守っていました。母と子、あるいは父と子の連れだって歩む姿は、今も同じです。
 遠くから、その姿を見ているだけで心が痛みます。
 今、週に三日ほど、障害者の福祉園に通っていることをお聞きいたしました。行かない日はヘルパーさんが来て散歩をする日々です。そのヘルパーさんとは、相性があり、H君のコンディションもありと、思うようにはいかないようです。その日は、福祉園に行っているとお聞きしました。そろそろ親離れの練習でもしているような気がしたのです。

 お話を聞き、思い出したことは、障がい福祉部会で、昨年十一月二十日、亀戸福祉園を見学したことでした。七ヶ月も経っていましたが、あらためてよく知るH君が、今、通っていると、その様子が浮かび上がるから不思議です。
 見学したときは、素通りするように見学した施設も、見知っている子が通っていると知るだけで、あらためて、とても有り難く思えるのことに、人の気持ちの身勝手さを思いました。
 そして、思ったことは、やはり、この親と子の未来の姿です。
 障害を持って生きる家族にとって、私が想像するよりは、はるかに多くの葛藤を背負って生きていることを思います。
 それでも、未来を考えることは必要だと思うのですが、その考えられる未来を悲観的に心配するよりも、今を、たくましく生きる姿を見たいと願うからです。
 こんな詩に出会ったからです。子と母の詩です。

 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです
 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん
 おかあさん
 あなたがそこに いるかぎり
 
 この詩に対して、母が詠います。

 私の息子よ ゆるしてね
 わたしのむすこよ ゆるしてね
 このかあさんを ゆるしておくれ
 お前が 脳性マヒと知ったとき
 ああごめんなさいと 泣きました
 いっぱいいっぱい 泣きました
 いつまでたっても 歩けない
 お前を背負って歩くとき
 肩にくいこむ重さより
 「歩きたかろうね」と 母心
 ”重くはない”と聞いている
 あなたの心が せつなくて
 わたしの息子よ ありがとう
 ありがとう 息子よ
 あなたのすがたを見守って
 お母さんは 生きていく
 悲しいまでの がんばりと
 人をいたわるほほえみの
 その笑顔で 生きている
 脳性マヒの わが息子
 そこに あなたがいるかぎり

 奈良県の桜井市に、昭和三十五年に生まれた山田康文君という子がいました。この子は、生後十二日目から黄疸が出て高熱の症状がありました。お母さんは奈良県立医科大学にて診察してもらいました。検査の結果は、脳性麻痺だったそうです。お母さんは、普通のお母さんが心配するように、多くの病院を訪ねたそうです。そして、治療や訓練を施したとも語っています。それこそ、子供を道ずれにして、死ぬことも考えたそうです。
 この詩は山田康文君の心の中から、養護学校の向野幾代先生が掘り出したものです。
 「ごめんなさいね おかあさん」だけで一ヶ月という時間がかかったそうですが、完成するまでの時間に、どれほどの苦労があったか、想像を絶します。
 そして、息子の詩に、お母さんが答えて、詩を創りました。そして、なんと、康文君の作品が完成して、二ヶ月後に彼は亡くなりました。
 「ごめんなさい」と康文君の全存在に、深い悲しみがあります。その悲しみに対して、お母さんは、「悲しさこそが美しい」と教えます。背負うわが子の「重くはない」の優しさに、「あなたの心が切なくて」と、お母さんは生きる力を受け取ります。
 息子が亡くなったあとの、母、京子さんの言葉です。「今までは、息子の幸せしか考えられない母親でしたが、今はすべての子供の幸せを願う母親になりました」と。
 本来、人は誰でも持っているはずの、慈しみと悲しみの花が咲く姿に、人間の素晴らしさを、教えられました。
2018.09.14 Fri l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
地球のいただきに7,000年という年月をへて暮らしてきた民族が揺れている。揺れているどころか、そこに文化を継承して住めないのだ。地球のいただきという神秘の扉の中に暮らすからこそ、伝わって生きてきた神秘が途絶えようとするあえぎのような気がする。
 多くのいただきの民族が山から追われて、地平に暮らすことを考えてみただけで、ぞっとする。あれから50年が過ぎているからでもあります。
 赤茶色の衣を着たラマ僧たちの敬虔さ、そして、チベットの人たちの聖地への旅姿を見るにつけ、それは、遙か彼方に向かって五体投地を繰り返しながら何ヶ月かけて旅をする人たちの姿に、圧倒されるからです。

 チベットの創世記は、水中の山脈が隆起したことから始まります。そして、この物語は、水が引き4,000メートル級の高原が誕生したことから始まり、今に至っています。
 サンスクリット語で、雪の住みかというヒマラヤが誕生し、その雪の国に最初住みついたものたちは、野蛮な聖霊や動物といった物の怪たちと、彼らの伝説にあります。
 その雪の国に、やがて人々が誕生するわけですが、その人々の子孫は、観音菩薩にさかのぼります。それは、觀音菩薩の化身としての1匹の雄猿と、ターラ菩薩の化身である鬼女です。この二人は、ヤルルン渓谷(古代王朝発祥の地)にて結婚し、6人の子供を産みました。その子供たちこそ、チベット民族のさきがけです。この古事により、チベットという名は、慈悲の菩薩、觀音菩薩の地という名前が付されたということです。
 人類の起源が類人猿ということに驚きはしないものの、鬼は想像がつきません。しかし、鬼は、類人猿よりも精神面や容姿において人間に近い存在といわれていることに、彼らの創造性豊かな感性を感じます。
 そのチベット人による王国が誕生したのは、紀元前127年のことです。そして、やがてチベットは、チベット人により統一されるのですが、7世紀に入ってのことでした。その頃の宗教は、ボン教という教えであり、栄えていたということです。
 チベットに、インドから仏教が広がるのは、8世紀です。またたく間にチベットに広がったのですが、ボン教にその広がる下地があったからです。
 幾多の変遷をたどって、仏教は、人々の信仰を築きあげます。13世紀にはいると、チベットはモンゴル帝国により統治されるのですが、チベット仏教は皮肉にもモンゴル人の心を改宗させてしまいます。モンゴルにチベット仏教が伝わったのはこうした理由によるものです。
 そして14世紀の後半、チベット仏教は教理と実践による一大体系となり、宗教国家として現代に至っているといえるでしょう。
 仏教には三宝という仏・法・僧がありますが、チベット仏教は、それに、生き仏が加わり、四宝という特色があります。今、ダライ・ラマとパンチョン・ラマという言葉がニュースに伝わっておりますが、ラマとは活き仏のことです。そして、その特色は、小乗、大乗、密教(タントラ)を体系にまとめあげて、実践の指針を提示していることです。
 チベット仏教ゲルグ派の高僧ゲシェー・ロサン・ケンラプ師の法話が、http://www.tibethouse.jp/culture/shine.htmlにあります。師は、ダラムサラのネチュン僧院で教えていて、2002年の夏に来日いたしました。
 《私たちは他の存在を味方・敵・無関心な相手の三つに分別します。このような分別を行うのも自分自身へのとてつもない執着心があり、なんとしても自分を守りたいと思っているからです。自分の味方である存在は慈しみ、自分の敵である存在には怒りをおぼえる。さらに愛着も怒りも覚えない無関心な相手というものがいる。怒り・貪(むさぼ)り・無知の三煩悩(さんぼんのう)はこれらのものが基盤となって生じるのです。 
 ですから他者を味方・敵・無関心な相手の三つに分別してはいけません。そもそもそう分別する理由さえないのです。敵も味方も真髄(しんずい)を欠いています。今あなたが敵だと思いこんでいた相手が、将来味方に変じたり、味方だと思っていた相手が敵に変じたりすることもあるわけですから。また今、大したことのない相手だと思っていた存在が、将来あなたにとって、とても有益な相手になることもあります。こうした事実はわざわざ経典にあたる必要もありません。そのことについて思い巡らしてみれば、そうとわかるはずです。一時たりとも離れ離れになっているに忍びない愛しい相手が、いつしかその名前を聞くだけでもむかつくような相手になっている。反対に、最初はなんて嫌な相手だろうと嫌悪していた相手が、いつのまにか限りなく愛しい相手になっている・・・。 
 私は別に敵も味方も存在しないと言っているわけではありません。敵も味方も存在します。ただ、敵であるから憎(にく)む、味方であるから愛するという態度を捨てて、どうしてあるものが敵と感じられ、あるものが味方と感じられるのか、その理由を理解し、敵味方を分別するような態度を捨てなさいと言っているのです。 》
 ダライ・ラマ14世が、「自己保存のための他者に対しての大切にする思いやりは限界がある。しかし、智慧にてその思いやりを普遍的なものにすれば、その思いやりを敵に捧げることは可能だ」という言葉は、ゲシェー・ロサン・ケンラプ師の言葉と同意です。
 
 チベット仏教をアメリカやヨーロッパに一躍有名にしたのは、『死者の書』です。《チベット「死者の書」の世界(中沢新一著 角川ソフィア文庫)より》

 それはチベットの山々のはるか彼方のこと。一人の村人が、今、死を迎え、最後の儀式と作法をのぞんでいる。家族は、親しいラマ僧を、その男の臨終によんだ。
 ラマ僧は、お寺にはいり、読み書きや呪文の教えを受けた十歳になるかならない小坊主を連れて、山を越え、谷を渡り、死者になろうとする家へいそぎました。
 その家に着くと、そこで、すぐさま、死に逝く者に添って、観察し、導くのでした。
 帰路、ラマ僧は、この小坊主にも、そろそろ、教えの扉を開いてよい頃だと思います。それは、人の死を目の当たりにし、この小坊主とラマ僧との信頼がなした故にです。
 ラマ僧は、小坊主に説きます。
「心(生命存在)とは、それぞれの生命組織の中で活動している状態のことをいう。ミミズはミミズという生命組織をとおして、自分の世界を生きているし、犬は犬、餓鬼は餓鬼、人は人の生命の条件にしたがって自分の世界をつくり、それを生きることになる。それぞれの生命体が、自分のまわりにつくりだしている世界というものは、その生き物にとってだけ意味をもつ世界だ。心はその中をいきながら、自分は根源に達していると感じることができない。だから、途中(バルド)なのだ。」
 数日後、このラマ僧と小坊主は、火葬にした、あの死者のいなくなった家に行きます。そして、死者の意識に向かって経を唱え、祈り、さとし、力を与え解脱、そして再生へと向かう死者の意識を、輪廻から觀音菩薩の慈悲に導くのです。
 この菩薩の慈悲への導きは、死者の意識が持つ幻影や記憶を遮断するためです。なぜなら、人の意識は途中にあるために、意味を解体しなければならないからです。
 なぜ解体しなければならないか、それは、意識は貪(むさぼ)り・怒り・愚かさを含んで、死してなお、再生に向かう途中に影響を及ぼすからです。
 
 ラマ僧は小坊主に言う。「有機体でできたこの身体はかならず滅びる。でも、生命はそれぞれの生命の死を超えて、流れ続ける。心の流れが、とだえないから、生命には再生があるから、人は世界に対して、本当に優しくなれるのだ。」
 「この世界にある生きもので、一度たりともお前のお父さんやお母さんでなかったものはない。この牛をごらん。今は牛だが、過去の生ではお前のお母さんだったことがある。そのとき、お前に優しくしてくれたはずだ。」
 「さあ、觀音菩薩による救いの力を待とう」と小坊主に呼びかけるのですが、死者の意識の力にかけるものであります。そのかけは、死者の意識が、死ぬことが、単なる苦しみではないのと同じように、生まれてくることは、喜びでだけではないからです。だからこそ、生と死のむこうにある、心の本質を知ることが求められます。小坊主がすこしずつ解りかけてくると、ラマ僧は、昔、インド人からおぼえた言葉を、小坊主に教えます。
誕生のときには、あなたが泣き
全世界は喜びに沸く。
死ぬときには、全世界が泣き
あなたは喜びにあふれる。
かくのごとく、生きることだ。
 死者の書は、最期にいたって、この言葉で結ばれています。生きる指針として人間賛歌の言葉でもあります。この言葉ゆえに、ラマ僧は、死はすべてを奪うものではなく、ほんとうの豊かさをあたえてくれる機会だというのです。
2018.09.13 Thu l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
陽岳寺の朝は、先ず葛西橋通りと清澄通りの歩道掃除から始まり、お墓と前庭へと続きます。

季節によって、ちり取りに入るものは違うのですが、一年中落ちているものに「タバコの吸い殻」があります。

今、都区内では何処でもタバコのポイ捨て禁止のはずなのですが、堂々と歩道に捨てられています。

若い人も、壮年のサラリーマンもお年よりも、タバコが短くなって吸えなくなったらポイ捨てです。

そのために、マナーとして携帯用のタバコ吸い殻入れがあると思うのです。

吸い殻入れのケース持参の人もいると思えば、少なくなったと思えばよいのでしょうか。

ポイ捨てされたタバコの吸い殻も、踏みつけられて消された残害、火が付いたままにポイ捨てされた残害、まだ火も付けられずにそのまま落としたもの、電子タバコの吸い殻、タバコがなくなって空になったタバコの空き箱も、ポイ捨てです。

タバコ吸い殻のポイ捨てをしながら、何か大切なことを、ポイ捨てし続けている気がしてならないのです。

ゴミを捨てるということが、悪いことであると全く何も感じない人、少しは「いけないことをしている」と感じるけれども誰も見ていないからとポイ捨てする人、さらに掃除をする人の気持ちなど考えることがさらさらない人。

意識の中に、悪いことをしていると少しでもあればよいのですが、それが習慣となって癖となってしまったら、大切なものをポイ捨てして取り返しの付かない大きな事件となって、一生をふいにすることもあるから要注意です。

ポイ捨てされたものは、吸い殻だけではなく、車が通る道路の路辺にも落ちています。

これは、歩道を避けてポイ捨てしたものですが、ポイ捨てした人の気持ちが想像できますので、道路を汚して悪いことをしたなと、少し思い測って掃除をします。

お寺の駐車場にも、吸い殻のポイ捨てが、必ずあります。

タバコが会社の中などで吸えなくなって、わざわざ寺の駐車場に来て、誰も見ていないからと申し訳なさそうに吸っていたサラリーマンがいました。

それを見て、「たのむから、吸い殻はポイ捨てしないでくれ」と言ったことがありました。

彼は、「ハイ」と言ったものですが、今でも駐車場にも落ちています。

自分が住んでいる住居や建物の入り口に、吸い殻が投げ込まれたら、悪意を感じ嫌な気分に、あるいは腹立たしい気分になることもあるでしょう。

人によっては、そんな反応することもあると浮かばない人がいたとしたら、救いようのない人となり、昔の言葉でいえば、「親の顔が見てみたい」となるかもしれない。

これは、現実に起きていることなのです。

気づかないのは、あるいは気づいていても、自宅内でポイ捨てしますか?

最近はゴミ屋敷の騒動が、世間を騒がせることもあるのですが、居るのです。

また宴会シーズンなど、たまに歩道にゲロがあります。

長年経験していることは、きっとゲロする身体の調子によりと思うのですが、掃除をしにくい場所だったり、わざわざ門の前とか、ところを選ばずにゲロはあります。

水道の蛇口にホースを繋ぎ水で流して、道路の下水口に流し込みます。

また歩道の緑樹帯にゲロがあることが必ずあります。ナマの場合は土で覆って乾いたらすくい取るのですが、何と鳩が群がり綺麗にしてくれることもあるのです。「そんなもの食べては駄目だよ」と、追い払っても鳩が掃除を手伝ってくれることもあるのです。

外出の機会がたびたびあり、その都度、歩いてその街を見ます。

いろいろなゴミや落ち葉が落ちて、汚い通りを見ることがたびたびあります。

大きなビルやマンションなどは、管理する人が掃除をしていますが、中にはきたない状態で街の美観はどうなっているのだろうと思うこともあります。

掃除をする人が居ないと、汚れてその地域全体が、汚れに染まるから要注意です。

小学校や中学校の先生方も通りますが、先生方からよく聞く言葉は、「転勤してきて、深川の街が綺麗なのには驚きます」と、習慣となっているだけなのに、褒められて気分がよくなることもあります。

街が綺麗であれば、住んでいる人も綺麗だし、そこに育った子供たちも綺麗なはずです。繋がっているし、関係しているはずです。

こういう見方もよいかと、ポイ捨てする今の私、行為する私という不連続の私が、連続して時間を作っていると考えると、考えるだけでゾッとしますよね。

心と行為がより直接的であれば、今、行為する私となれば、私に嘘はつけず、心と行為はが一体になります。

そこで私を変えなければと思えば、朗報があります。

行為を変えることで、私が変わるのです。

一つ一つ今までの行為した私を思い出して、すると爪や髪が伸びるように、人間の肉や骨も、脳や臓器の細胞を含めて、毎日毎日、古い細胞は死んで、新しい細胞が誕生して、連続が続いているように、実は心も同じなのです。

捨てるものは、たとえポイ捨ての心であって、さらに足すとすれば、悪口を言うこと、嘘をつくこと、人を責めること、人をののしること、人を見下すこと、人を傷つけること、姿や形で人を判断することは、悪口を言う今の私、嘘をつく今の私、人を責める今の私、人をののしる今の私、人を見下す今の私、人を傷つける今の私、姿や形で人を判断する今の私ですから、自分が作られている過程がわかり、自分の心に向き合うことが大切です。

そして今の私に向き合うことができれば、今の私が一歩変われる。

今の私は、いつまで経っても今の私と悟れば、自分に嘘をつかない今の私がいかに大切であるかわかるでしょう。
2018.08.01 Wed l つぶやき トラックバック (0) l top
平成30年西日本豪雨災害で亡くなられた方々には、お悔やみ申し上げますとともに、被害に遭われた総ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。

今後は一刻も早く復興されることを祈念申し上げます。

また、西日本豪雨災害後、日本は未曾有の熱波におおわれています。

今まで普通に過ごしていた日常の行為が死に至ることもあると、注意して過ごされることを祈念いたします。
2018.07.23 Mon l うつつ トラックバック (0) l top
「こんにちは、赤ちゃん」という歌が誕生したのは、昭和38年、1963年永六輔さんが作詞を、中村八大さんが作曲をしました。

梓みちよさんが、赤ちゃん誕生に対して、喜びを語りかけるように歌った歌でした。

「あなたの笑顔、あなたの鳴き声、小さな手、つぶらな瞳と。あなたの命、あなたの未来、この幸せがパパの望み」と。

昭和38年の歌でしたので、私が中学生の頃だったのではないか、梓みちよさんの声は耳の記憶に懐かしいのですが、この歌詞全文を読んで、今、始めて内容が分かったのです。

改めて、この作詞が、赤ちゃん誕生と同時に、夫婦から子育てに移るばかりでなく、夫婦の関係にとっても喜びを歌ったものだと知ったのでした。

永六輔のさんの、温かい気持ちがそっと添えられて、赤ちゃん・パパ・ママへ祝福していました。

「えっ知らなかった」のと、聞かれれば、思い出すこともなかったからです。

ところで、日本では、昭和38年と言えば、「もう戦後ではない」といわれて、次の時代の幕開けのような時期でした。

それまでは、テレビではディズニーアニメが上映されていましたが、国産アニメの「鉄腕アトム」放映されました。

世界ではキューバ危機からジョン・F・ケネディーが暗殺され、衛星中継されたのもこの時です。

バナナが自由化されて、坂本九が「見上げてごらん夜の星を」を歌い、NHKの紅白歌合戦が、パーセントの視聴率を上げていたのでした。

そういえば翌年の昭和39年10月10日には、第18回オリンピック・パラリンピックが東京で開催されていました。

振り返るというのですが、55年前ですので、ほとんど記憶はなく、過去を検索して思い出すのがやっとです。

でも世の中の雰囲気は、明るく、前を向いてみんなが歩んでいたという時代でしょうか。

それこそ皆が夫婦共稼ぎという時代ではなかったし、家庭から笑い声や夢が語られていた時代だったと言えそうな気がします。

とくに、その頃の流行った歌の歌詞を読んでみると、出会いとか、明るく、この後、何十年後かの未来も明るかった。

幼子が生まれた時に、「こんにちは赤ちゃん!」に対し、生まれたての赤ちゃんは、泣いたり笑ったり、むずんだり、眠ったりして、お母さんに「こんにちは、お母さん、お父さん!」なんて言うはずはなかったし、現実は、「始めに言葉ありき」ではなかった。

赤ちゃんにとっては、意識も、意味も、言葉もなかった。これは世界の誕生であり、同時に置かれた場所で咲く赤ちゃんの誕生だった。

同時に、パパとママの誕生でもあったのですが、これも居場所です。夫や妻の居場所もあると、「こんにちは赤ちゃんに!」は「赤ちゃんお願いがあるの、ときどきはパパと、ホラふたりだけの静かな夜を、つくって欲しいの、おやすみなさい、おねがい赤ちゃん」と「お休み赤ちゃん、わたしがママよ」と歌うのです。
人が生きれば居場所が増え続け、居場所から居場所に移ることが生きるということ、場所と時間の誕生でもあったはずです。そして居場所とは、意味の概念ですが、依って立つという意味で、依る人と依らせるもの・人との関係のあり方です。

お釈迦さまは、意味は言語によってよりハッキリと表せられるものだと知り、しかも意味は、居場所と時によって変化するものと気づいたのでしょう。

インドの一小国の王子として産まれて、生老病死という4つの門から見て聞いた有り様は、自分自身の生老病死を一生をかけて、瞑想と思索、旅によって語られたものでした。

その語られた膨大な記録の始めには、必ず、「如是我聞(ニョーゼーガーモン)」と記されています。「私は、このようにお釈迦さまの言葉を聞いた」と、「聞く」という受動的な行為をまず中心にすえます。

その言葉を、聞きながらも聞いた内容は、何故か良心の声、自然の声、声なき声、答えのないものを聞く、あるいは真理という具体的事実として世界を聞くとなって、聞く者の私というフィルターを通さないで、見聞きすることが語られているのが経典です。

ところが聞く、読む私たちには、今までに経験した自我の声にまみれています。

そしてお釈迦さまの内容を聞くには、ただ素直に聞く見るだけではなく、応えない相手から訊きだす姿勢、耳を忘れて全身で聴くという姿勢が含まれているのだと考えています。

昨年の2月か3月のことでした。副住職が、「WAになって語ろう」というゲームを作りました。

この題名は、NHKの朝イチという番組で、ゲームの題名を全国から募って命名されたものです。この報道後、問い合わせの電話が多くなったのですが、おぼえているのは出雲の社会福祉関係の事業所の方でした。「お年寄りの言葉を、聞きだそう。掘り起こそう」と、認知症予防に購入したいとの電話でした。

そこで気づいたのは、「WAになって語ろう」は、「WAになって聞き合おう」だったことです。

このゲームの内容は、参加する人によって、自分たちの世界を作り上げていくと同時に、次々と変化してゆき、つまり、その世界は形がない!しかも、子供達やお年寄りの希望や夢も包もうと企てていたから、箱入りではなくて、風呂敷で包むというのが好きです。

大風呂敷とは、ホラのようでもありますが、基本的に風呂敷は形を持っていないことが特徴とするなら、形にとらわれていないということが良いと思っています!

仏教では、「如是我聞」は、聞き合おうという姿勢が生じます。

でも聞き合うためには、先ずは私の中の声を聞くことが大切です。

そこで私の中の声を聞いてみると、聞こえない声に満ちているというのか、空っぽな静けさを観察して、自分自身がそのカラッポとならなければ、本当に聞き合うことはできないでしょう。

ここから、一方的に聞き合おうというのではなく、自然に話合おうが含まれているのではないかと考えています。

それは、聞き合うことで、観察すること、見ること、もしかして思うことも含まれて、縁起というつながりを明らかにすることだからです。
2018.07.01 Sun l うつつ トラックバック (0) l top
思い出そうとすれば、最近なのだろうなあ?

カラダと記憶に対して、意識が戸惑っている感覚がある。

老いというよりは、耄碌しだしたカラダと、記憶を呼び出そうとする意識とのズレだ。幸に、パソコン内にかなりのデーターがあり、今でも蓄積中なのだ。

何を言いたいのかというと、人間の季節感としては、これが老いというものなのか?と感じさせる意識だ。

背中が痒くなったと感じれば、それが冬だった。春の食べものが苦いとかエグイと感じれば、春だったのだ。

湿度がカラッとして、陽の光が温かく感じてウキウキ感じれば初夏だった。

それが、最近は、昼食をすぎると、やたら眠くなって、隣をうかがえば妻もウトウト、二人してウトウトだ。

でも良いこともある。

朝は今頃なら、5時にはパッチリと目が覚める。そこから掃除に小一時間、朝のお経は以前だったら、30分から40分だったものが、1時間とか1時間半はへっちゃらだ。
最近は、和訳した金剛経や心経、他には信心銘、宝鏡三昧、証道歌、参同契なども読み始めて、声だけは衰えるというより、腹式呼吸で太いハッキリとした音声がでるから不思議だ。

さらに昔読んだ、西田幾多郎の善の研究や場所的論理と宗教などが、ようやくわかってきたような気がするのだ。

何が何だか、なあ?
2018.06.04 Mon l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
天気予報の気象図を見ると、日本列島は、毎年繰り返して、寒気と暖気のさかい目にあることを、つくづく考えされられる。

しかも近年は地球の温度差の影響が強く、これは日本を取り巻く南の海水温度が高いことと、北極に生ずる冷たい気流の境目に沿って流れる偏西風の影響です。

そしてさらに、日本列島の下には、太平洋プレートやユーラシアプレート、フィリピン海プレートの境目にあり、その影響は活火山に地震と、地球の活発な活動の表現するさかい目の現象なのでしょう。

また政治的には、大国であるロシヤと中国に、アメリカや北朝鮮に韓国のさかい目にあるのが日本です。

このさかい目を家庭に移してみれば、妻や夫、親に子供たち、孫、祖父母と、ペットも含まれてあり、さらに学校や仕事場、地域にと次々と移し替えてみると、さかい目はあちこちにあり、何と私たちは複雑な関係の中に生きていることがわかります。

私たちの生活は、人とモノ、人と人、人と決まりごと、人と世界との関係でもあるので、人がもつ対象はめまぐるしくかわり、そのつどの意識は、突然に頭の中に浮かび上がるものです。

そのさかい目に惑わされて踊らされて、大きな事件となって世の中を騒がせているのが、セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、モラルハラスメント、パーソナルハラスメント、レイシャルハラスメント、ラブハラスメント、ブッラドハラスメント、アルコールハラスメント、スモークハラスメント、アカデミックハラスメント、ドクターハラスメント、テクノロジーハラスメント、エレクトリックハラスメント、ソーシャルネットワークハラスメント、エイジハラスメント、マリッジハラスメント、マタニティーハラスメント、シルバーハラスメント、ペットハラスメント、スメル(におい)ハラスメント、エアーハラスメント、家事ハラスメント、ラブハラスメント、フォトハラスメント、ヌードル(麺類の食べ方)ハラスメント、オワハラ(終活強要)、ストーカーなどなど、具体的な名前が作られていますが、頭の中の思い込み、刷り込み、など自己の感情や、わき起こる妄想に支配されて飛び出すハラスメント行為です。

しまいに、レリジャスハラスメントは聞き慣れないハラスメントですが、これは宗教関係者が、おこなう苦痛や嫌がらせのたぐいです。

入信を強要したり、自由な退会をたたりや怨霊があるなどと脅したり脅迫する行為です。

以上だけではなく、続々と命名されて出てくる新種のハラスメント、内容を調べてみれば、「あるよね!」と思い出します。

そこで始めて、傷つく人のことを思い起こせたら、セクハラは止まるのだろうと願っています。

これは、特に人を痛め攻撃することで自分を保っている人だけでなく、地位のある人、力のある人、仲間が大勢いる人、優秀な人、盛んな人、すぐれている人、男性女性、子どもも含めて共通な、人間の意識活動への警鐘でしょう。

さらに日本の未来を考えれば、これから、他国の人の助けを借りなければ国が成り立たなくなっていくことを念頭にするならば、なおさらのことです。

長く例を出しましたが、頭の中のふと湧き出す意識のさかい目に気づけば、態度や言葉は出ないのではないでしょうか?止められるのではないでしょうか?

止められれば、人の思いに左右されない、天気に、さかい目に生きる知恵を、さかい目に生きる人間として求められているのではないかと、考えてみたのでした。

そうすれば巡る季節も、四季それぞれのさかい目があることで、野菜に果物、海の幸・山の幸等様々な食文化や様式などを生み出して、季節を楽しんで生きているのが日本人であるともいえます。

さかい目はどこにあるかといえば、人間の心の中に、考えたり、思ったり、気づいたり、発見し発言させることができると考えられるでしょう。

しかも、さかい目は、地球にも、人と人の間にも、人とモノのとの間にも、どこにでもあるのですが、現実は、さかい目だと発言している気象も地べたも、国土もないはずなのです。

それを平等というのですが、その平等は見えない。

さて、平等は、差別によって成り立っていると仏教はいいます。

平等即差別・差別即平等と。平等の根拠は差別にあり差別の根拠は平等にあると。

別の言葉で言えば、平等に自らの根拠はなく、差別にも自らの根拠はなく、共に相手をもつことで成り立っているともいうのです。

さらに平等も差別も矛盾の上に成り立っているともいいます。

違い同志は、互いに根拠はないはずなのです。あるとするなら優劣、大小、多少、長短、狭広、すべて人間がその時代背景によって創り上げた意味ですので、時代と共に変わるものです。

仏教でいう差別とは、区別のことで、違いという意味です。

一人一人、モノとモノはそれぞれ違いによって成り立っていると、それを人間の意識の中で平等とするには、違いを認めるという見方、認識なのでしょう。

しかもその見方認識も意識とするなら、わき起こる意識そのものも別々の違いとなっているのではないか、そんな意識も出てきます。

人は、生きてきた環境の中でつちかったもの、無意識の中ででてくる言葉や行為が、習慣化して癖になっている。

これらについて、要注意の時代になっている。注意しなければ、このことが突然に、悲劇をもたらす。

「私って、コーヒーが苦手なの」、するとコーヒー通が「本当に美味いコーヒーを飲んだことがないからだ」と、でも、それは味覚の問題で、世界には、もともと本当に美味しいもの、究極のおいしさなんてないのです。

「美味い、不味い」は、個人の味覚にすぎない。 そうであれば、「美味いなあ」というのは、個人の感想であり、個人の感想は、その人の意識の中の世界の喜びということになるのでしょう。

大勢の人間が、究極の味と言ったとしたって、個人の感想である限りは対立によって、たまたま作り出されたものです。

人の意識は、自らを正当化する保守の意識、認めてもらいたい意識、上や下という意識、同じだという意識、恥ずかしい意識、頑張ろうとする意識、くやしいという意識、やめてくれという意識、悩み苦しみ……という意識が、対象に関わって登場します。

そのたびに、傷つき、上下という関係の中に居場所を作り、または忘れて生きていきますが、心に傷ついた人の心は、傷ついた時点から始まります。

でも、意識の現れるさかい目があるからこそ、季節の変わり目が美しいと同時に、そのさかい目に順応して生きるたくましさを、日本人はつちかってきたとも思っています。

幼いときから、違いを認める教育が、本当に必要な時代になっています。

繰り返しますが、人間一人一人平等という、でもその一人一人は違いによって成り立っている。

全ての違いがわかれば、あるがままということがわかり、そんな見方が、聞き方が、思いが、表現があれば、世界は美しい。

日本の季節も美しい、あなたの季節も美しいはずなのだから。
2018.05.02 Wed l こころ トラックバック (0) l top