竜巻で四〇〇人のボランティア

2012/05/14 17:15
「衆生病むがゆえに、我もまた病む」
副住職の師である横田南嶺老師は、「人を愛する心ゆえに、人の病む、迷う、苦しむ姿を知り、深く理解したがゆえに、釈尊の心を病ませました。

ここから、仏教は誕生したと言えるでしょう」と言いました。

 また「愛の考えは、釈尊以前に、すでにあったのだと思います。すでにあったけれども、愛することで、不幸なことが数多くあった。

その愛のなかみの数多くを、消去法で消して残ったところに、慈悲という愛が輝いていたと考えてみました」と話されました。

 縁起から見ると、衆生としての全体の一と、衆生を構成する諸々の人の多という関係の中に釈尊が自ら飛び込んでいく姿を想像します。

衆生の病み苦しむ姿に接し、我も衆生となって、全体が病み苦しむことから解放されぬまで、我もまた病みつづけるとです。

何か、この竜巻の災害で、震災でもそうでしたが、居ても経っても居られないボランティアの姿を想像いたします。

悲しみの木

2012/04/01 17:18
 ユダヤの寓話に『悲しみの木』がありますが、その木は天国にあるのではなく、日本という国中にも、あるような気がしてなりません。
 この寓話は、人が亡くなって最初にたどり着くところが、天国の入り口にある大きな木の下です。そこで天使が、生前にたどった人生のうちの多くの悲しみを書きしたためて、大きな木の枝に結びつけるようにと告げます。

 死者は、過去を思い出して、その時々の人生の悲しみを思い出し、きっと意味を考えるのだと思います。そして、改めてその悲しみを書きしたため、木の枝に結びます。次に天使は死者に対して、他者が結んだ悲しみの内容を読むようにと告げます。死者は、きっと何日もかけて、人々の物語を読みふけるのでしょう。
 そしていよいよ、死者が読み終わってみると、再び天使が現れ、「来世に生きたいと思う人生を、この多くの死者の悲しみの中から選ぶように」と進めます。
 天使から進められる意味は、「悲しみの少ない人生」を選ぶことです。しかし、どの死者の魂も、最後には、自分の人生を、もう一度選ぶというのです。
 人生とは、誕生から死に至るまで他者から限定され、他者を限定し続けた記録とも言えるものです。その他者は場所も時間も含まれていることに気づけば、。その場所で生きた自分であり、与えられたすべての時を含めての私といえます。

 正月の門松である依(よ)り代(しろ)も、お盆による帰省も、亡くなられた祖霊・祖先たちの帰郷も、生き切ったその場所への里帰りです。
 日本全国の祭礼も、すべては感謝祭でもあり、祖霊たちへのねぎらいでもありました。死者たちも、その死者たちに連なる生者も、その場所と、時間との営みは、一回性という命を生ききった営みです。

 陽岳寺の法要の内容に、「百万回いきたネコ」がありますが、百万一回目にして一回性の生と死を手に入れた猫の物語でした。それだけ自覚しなければ、一回性の生として、命を見ることが難しい例えです。
 一回性という特別な与えられた命は、過去の祖先たちから、未来のこの国に、地域に住むだろう人たちから、与えられた命です。生ききったからこそ、帰ってくると……
 今、そのことを強く意識しなければ、この基本的な与えられた命であることを、そして与えられた命こそが、絆や縁という、世界との関係性の中に今を生きる自分の立ち位置であることを、忘れてはならないと言っているように思えてなりません。
 生きるということは、それだけでも、責任の重さのはずです。何故なら、過去のそして未来の多くの人に支えられて生きるということだからです。
 東日本大震災があり、人と自然に向かって襲う災害を、更に考えました。そして改めて、導いたことは正しいと思うようになりました。その言葉は……

《 仏教は神々を、縁起の法により神々の場所に在らしめます
 在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は縁起そのもの。
 在るものを在らしめる神々よ
 在るものを無さしめる神々よ
 無いものを在らしめる神々よ
 無いものを無さしめる神々よ
 空や山や川や海を、鎮めたまえ。
 町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。》

 この東日本大震災にて、祈りしかないことを思います。もちろん、災害に対する備えとか、人の知恵で備えをすることは、必要なことです。それでも、どうにもならないものが、在るものを無さしめる、津波も地震も在るものを無さしめました。
 気づいたこともあると思うのですが、在るものが在るということが、亡くなった命を目の当たりにして、生き残って、何故と悩んだ人が多くいたことが在るものが在ることです。こんなに不思議なことはない。

 ただ、ただ鎮めたまえと、人の知識と科学、全身全霊をかけても、どうすることも出来ないとき、人には、祈りしかないことが、はっきりと示されたのではないでしょうか。
 祈りとは、求めることでもなく、お金で買えることでもない、祈りが私たちを助けてくれるとは、祈られていることの自覚です。
 仏教用語として、「阿吽(あうん)」があります。「阿」は万物の始まりであり、一として最初、あるいは一より上はないものとして無限、根源として、宇宙や天地の根元として意味をもたせています。理念の本体ともいわれています。「吽」は究極であり、終わりに相対する意味です。

 阿吽は、創造・維持・破壊、始め・継続・終わりとして、ものごとの根本の原理であるという。その他に、阿は悟りを求める心、吽はその結果として涅槃があります。また出入の息として、阿吽の呼吸として、阿は吐く息、吽は吸う息もあります。相撲の仕切りは、阿吽の呼吸が立ち会いに求められます。
 阿吽は、相対する二つのものを、一つとして表現する語として、始めと終わりという非連続の連続です。その最たるものが「出る息は、入る息を待たない」です。また、過去と未来という時間を含めて創造・維持・破壊を含んでいます。

《 そして、この世界にあって、慈悲と智慧をつかさどるもろもろの仏たちよ。
 思い通りに行かぬ苦しみを救うよう、どうかわたしたちの祈りや願いを 聞き届け給わんことを。
 そして、慈悲と智慧を、人の心に巡らせる、もろもろの菩薩たちよ。
 仏は、きびしさや一途さという我が心の鬼を造り、我が心の鬼は、優しさや受け容れるという我が心の仏を造ることを導き給え。
 そして、この世界のすべてのひとたちの命を与え
 家族から 仲間から この地上から旅立っていった多くのひとたち
 すべてのいのちが 満たされて、やすらかになりますように
 共に、真実に目覚めることができますように
 今、祈るわたしたちの心をなごませてくれますように
 そして、供養するわたしたちの心に、慈しみ、あわれみ、共に喜ぶ心、とらわれのない心を巡らせたまわんことを。》

ピンポ〜ン

2012/03/03 18:28
35歳の男が、ドアーのピンポンを押した。

期限の切れた免許証をもっていた。そこには昭和51年生まれと書いてある。

「仕事はないでしょうか?」

「エッ、いきなり来て、仕事はないね−」と。

恥ずかしそうに、「でも、物貰いではありません」と、言い切る男だった。

「どうしたの」と……

「門前仲町の大きなお寺に行ったが、追い払われました」

「それじゃー、どこに暮らしているの?」と。

「漫画喫茶とかですが、帰りたいのです」

「どこに?」

「山形にです。仕事がないのです、何でもします。本当は住み込みでもなんでもしますが、ないでしょうか?」

「ここにはありません」と。

「どうしたらよいでしょうか?」

「そうだねえ。交番に行って、そこから自宅に電話して、御両親にでてもらい、お巡りさんに代わってもらい、必ず返すからと話してみれば」と。

「そうしてみます」

見送りながら、背中をたたいて、「でもよく来てくれた。自殺など考える人が多いからね。頑張って!」と。

自殺や犯罪にかかわらない様子の男だったし、35歳の働き盛りだ。

交番で、帰りの電車賃貸してくれるといいが。

絆を生きる

2012/03/03 17:31
2011年3月11日金曜日、午後2時46分、東日本太平洋沖で起きた千年ぶりといわれる巨大地震、あれから1年が経ちました。

当初、津波は人々の暮らしている地域を破壊し、その濁流の通り過ぎた後は、人が生きる意味や希望を根こそぎ奪い去りました。

その無残な姿に、作家の五木寛之氏は、「国破れて山河あり」ではなく、「山河破れて国あり」と、文藝春秋3月臨時増刊号で語りました。

東北の山河に暮らす”民(たみ)”の語源が「目を針で突きさし、盲目にした奴隷」ということから、国と民の関係の根拠に問いを発していました。

自殺や孤独死は未だ絶えず、社会をおおう無縁社会に、絆こそが人を活かすと、民の語源の負の面をも語っていました。

それは、絆は、結ぶことだと。しかし、縛られることをも意味すれば、それは、嫌だと。

これが負の面と思うわけですが、でも、本当に負の面とは、結ばれることは人それぞれが独立していなければ、本当に、結ばれたとは言えないことのなのです。

子供は子供としての分があり独立しています。

親は親として独立していてこそ、親子という関係はなり立っています。

絆というも、縛られるというも、結ぶと言うも、その関係は、互いに独立して限定し合っている関係の事実が、現実の姿なのです。

そのことを、東北の心に、自分を置き、考えることで絆は強く生きて行くはずなのですが。

絆というものの正体の中に、身を置けるかではないでしょうか。

鎌倉時代の日蓮も、親鸞も、法然も、道元も、栄西も身を置いて生きていたのだと思います。

森の中に身を置いて、無心に生きる一本の木として……

陸前高田の松は枯れてしまったが、それぞれの地で、人という松は、活き活きと生きている。

罪滅ぼし

2012/02/21 17:13
今朝の新聞には、光市母子殺人事件の、最高裁小法廷の上告棄却の結審が言い渡された。

これで、死刑が確定されたことになった。

13年前になるのか、随分と年数がかかったが、でも、今までよりは早かったかもしれない。

今日、21日に、彼は墓参りの予定と、新聞記事に書いてあった。
「母子を守ってあげられなかった罪滅ぼしの一つとして、墓前に報告したい」と、記事に書いてあった。

どうして、こういう人を不幸にする事件が起きるのだろうか?

被告の生い立ちも記されていた。

最初は自分のことと、気持ちばかりが、彼を際立たせていた。
弁論もそのことばかりを注視し、弁論していた。

そして法において攻めた。

結審し、彼は言った。
「眼前に死が迫り、自分の死を通して感じる恐怖から自ら犯した罪の重さを悔い、かみしめる日々が来るんだと思う。そこを乗り越えて、胸を張って死刑という刑罰を受け入れて欲しい」。

彼の放った、「遺族としては大変、満足しています。ただ決して、うれしさや喜びも感情はありません。厳粛に受け止めなければならない」。
終わってみれば、争った裁判は、何を争ったのだろうかと問いを起こしたくなる。

毎日新聞には、被告の本名は記されいない。
それは、「今後、最審や恩赦が認められる可能性が全くないとは言い切れません」と、思われるからだ。

被告を造り上げたものは、自分の殻の中に住む鬼のようなものだろうか。

でも、本当に強い鬼は、人を殺めるのではなく、人の心に、仏を造るものだ。

「何であれ、人は殺(あや)めてはいけない」と。

そのことすら守れない社会。

学校に行き教わることは、成績をあげることと、人と競争して、良い学校を卒業して、よい会社に入るコースとして親はあるのではないし、学校もあるのではないはずだ。

社会が、他人を蹴落として、その上に幸せを築くことを進めているような。

それでいて、蹴落とされたかはわからないが、人知れず餓死の事件が……

虚しい。

結局、自分のことだけを考える人間が造られてしまう。

人の痛みや、悲しみがわかる人間を、家庭も学校も、地域も造って欲しい。


「衆生病むが故に、我もまた病む」だが、それは、聞く、聴くという行為からだと思っている。自分の思いなく、聞く聴くことのむずかしさ……

それを教育や家庭で教えることはできないだろうか。

無常の風にさらされて

2012/02/13 13:01
普通、我々の日常は無常の風にさらされている。

その無常の風にさらされながらも、無常の風を利用したり、流されながらも、本当に偶然なことだが、何とか生きているといえないだろうか?

ドアーがピンポンと鳴り、男が訪れた。
「何か食べるものはないでしょうか?少しでいいんですが、お盛り物でも少し分けて下さい」とその男は言った。
「ただし、堅いものだけは勘弁して下さい。歯がこうなっています」と、男は、口を開けた。

「外に出て下さい、そこで待ったいて下さい」と私は言い。マスクを数枚と、バナナと食べ物を探し、レジ袋に入れて彼に渡した。

男は「有り難うございました。助かります」と。
そして私は、少しばかりの小銭を渡した。

男は、思いがけないと思ったのだろうか、「誰にでも、こうしていただけるのでしょうか?」と。

私は、「いいえ、誰にもあげません。貴方だからです」と返事をした。

男は、「何か外回りの掃除でもしましょうか?」と。

私は、「いいから、身体を休めて下さい」と。

男は出ていった。

もし、顔を赤くして、息を酒臭く、汚くどろどろの着ているものを身につけていたら、断ったかもしれない。
男は、何処か洗濯した着るものを身につけていた。

昨日、北海道で若い姉妹が部屋で孤独死をしている姿で発見されたニュースを見ていた。三度、福祉事務所を訪れ生活保護の申請をしたという。
係は、「まだ大丈夫そう」と判断して、手持ち資金や、保護費を支払うことをしなかったという。
何ヶ月後か、障害者の姉(?)と、仕事を転々として職に就けなかった妹(?)が、二人で孤独死をしているのを発見された。
北海道のアパートで、ガスを止められ、寒かっただろうと思う。

もし姉妹が、誰でもいいから、「私たちを助けて!」と、形振(なりふ)り構わず叫んでいたら、彼女たちは助けっていたかもしれない。
頑張ろうと、仕事を探して、辞めたのか、辞めさせられたのかわからないが、心を折れないように、重たい心に絶えられなかったかもしれない。
考えてみれば、今の時代、よくあることかもしれない。

それにつけ、あの男の生きる姿は、すがすがしさすら感じられた。
男は、老齢といえる年齢ではなかった。サンダルはすり減ってはいたが……
ズボンも、裾を何回か折り曲げていた。
理由を聞く必要はなかった。

無常の風にさらされながらも日常を、平常に生きるように思えたから不思議だ。
恥じらいもなく、何故か、堂々としていたのだ。
無常の風にさらされながらも日常を、たくましく生きて続けて欲しいと願った。

追われるままに……

2012/02/04 11:34
昨年の終わり頃からか、寒くて、季節の無常さを感じます。
葬儀が多くて、その葬儀の内容も随分と変化しています。
その変化する内容に変化して、こちらも変化するのですが、その変化に対応して、忙しいのです。
その忙しさの中で感じたことは、総じて、日本の家庭は、生活に余裕が本当になくなっていることでした。
でも余裕がなくなっても、心だけは、余裕を持って豊かであることを気づいて欲しいと思います。


明日より、法事の中身が、東日本大震災平成24年2月版として改訂しました。
東北の被災地に生きる人と共に、お寺の法事や葬儀も、一緒にありたいと思い続けているからです。
この寺で法事を行った全ての人に、あの震災を忘れることはないし、共有したいと思っているからです。

被災した人たちの今のニュースを見ると、雪におおわれることは、これも想定外だったのか、だから復興の本部を東北に置けばよいのにと、いくら私が思っても、世の中は違う考え方で動いているようです。
「事件は現場で起きている!」は、湾岸署の刑事が発した言葉ですが、事実を見るには、何よりも現場です。机上の考えではどうしてもゆがんでしまいます。

現場が広い範囲ということは、条件が変わります。一律という考え方は、机上の考えです。
一軒一軒の家の事情が違うように、地域も一つ一つです。
町や村や市も県もです。その一つ一つが独立として活き活きと息づいていることこそ、東北は一つ、日本は一つと思っています。
日本が一つとなるためには、その一つの構成する無数の一人が独り立ちして生きられるようになければ、日本という国は成り立たないはずです。
瑞穂の国の、一つ一つの穂が、豊かに実ってこその瑞穂の国だと思っています。

その違いのように咲いていたのが文化であり、特色だったはずです。
昔、家々のカマドからたなびく煙を見て、この国は豊かな国だと皇帝がいましたが、今、そのたなびく煙はない。

その煙の中身は、特色や文化とするなら、地震や津波、原発の汚染が根こそぎ奪い去りました。
しかし、人が生きていれば、そこに心が生きています。

その心が、折れないように、引き離されないように、倒れないように、私たちは耳を傾けなければならないとも思っています。
自分の成長もとても、大事なことですが、それも、少し置いてです。
なぜなら、その成長は、少しでも置いたところにあるからです。

福は外、鬼は内

2012/02/01 11:02
 白隠禅師の著した「白隠禅師坐禅和讃の冒頭に、「衆生本来、仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷りなく、衆生のほかに仏なし。」と説きます。
 私もそうでしたが、自分のどこが、何が仏なのだろうかとの問いが、含まれています。 自分の境遇や持っているものを比較したり、その比較したものに振り回されてばかり、欲しい、うらやましいと。その欲しいとか、うらやましいの中身は、多くは金銭にかかわるものであるし、また、病気であったり、身体的なもの、生まれによるものもあるかもしれません。

 2月3日は節分ですが、「福は内、鬼は外」と、まるで、節分のような自分自身の心の葛藤が見えるようになってきました。
 小さい頃もそうでしたが、大人になっても、節分は「福は内、鬼は外」です。でもよく考えてみると、それを言わせているのは、自分の中の鬼ではないかと考えたこともありました。
 もっとも、「福は内、鬼は外」と見えるようになっても、相変わらず自分の心の中には、「福は内、鬼は外」と染みついたモノの見方が住んでいるようです。
 だからこそですが、例年の5月の陽岳寺のお施餓鬼でも、「仏は、きびしさや一途さという我が心の鬼を造り、鬼は、優しさや受け容れるという我が心の仏を造ります。このことが施餓鬼会をおこなう理由となるのでしょう。」と言い続けています。

 考えてみると、本当は福も鬼も心の中に一体として生きていることを思うのです。だから、いわせているモノは誰なのだとうと問うことに意味があると思っています。
 何故なら、「福は内、鬼は外」と言わせ続けることで、人間の心の内に善と悪、綺麗なものと汚いもの、量の多いもの、質の高いもの、高価なもの、綺麗なものなどの選択を知らぬうちに染みこませている気がいたします。えり好みする習性を植え付け指すのではないかとです。
 しかし、禅宗の世界に入って、そんな心の葛藤を見ることができるようになって、「福は内、鬼は外」であるものの、ただ、内と外にわずらわされていると、考えることができるようになり、幾分かは、楽になり、物事が見えてきたような気がいたします。でも錯覚かもしれませんが……

 初期仏教のスッタニパータ、初期といっても、もっとも釈尊の生の声を反映したものですが、そのスッタニパータに、『慈しみの経』があります。

 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
 いかなる生きもの生類であっても、怯(おび)えているものでも、強剛なものであっても、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目にみえるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸せであれ。
 何人も他人を欺(あざ)いてはならない。
 たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。
 悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人を苦痛を与えることを望んではならない。
 あたかも、母が己(おのれ)が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。
 また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。

 この『慈しみの経』こそ、どこにいても祈りの言葉となるもです。それこそ、仏壇でも、怒りや寂しさに覆われたときでも、自分の心を癒やしてくれ、そして自分の心を見つめさせるものです。
 仏教の目指すものは、私もまだできないけれど、「福は外、鬼は内」ではないかと思います。そして、「誰もが幸せであるように」と、祈ることができるようになれることが、今、日本も世界も必要としていることでないかと思ったいます。

 さて、釈尊仏陀は、誕生したとき、七歩、歩いて天を指さし、地を指し、「天上天下唯我独尊」と伝えられています。
 人間一人一人、世界にあって個人の絶対の自由さを宣言するものです。しかし、自分の自由さなんて何もない。いつも他人の言うことばかり気になって、一つも自分らしさなどないぞと、思っていないでしょうか。このことは、自分のどこが何が絶対の個人の自由さなのかの問いにつながります。

 鎌倉時代、栄西禅師の著した興禅護国論の序に、
「大いなる哉、心や。天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ。地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出づ。
 日月の光はこゆべからず、しかるに心は、日月光明の表に出づ。大千沙界は窮むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出づ。それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕(はら)むものなり。天地は我れを待って覆載(ふさい)し、日月は我れを待って運行し、四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す。大なる哉、心や。」

 人間の心は、だれでも、この自由さを秘めています。だから、正反対の心もあるのだと思っています。そして執着からくる不自由から脱するため、人はこの絶対の自由を手にいれようと、もがくのですが、この作業をやめたときこそ、実は、得ることができるのだと禅は主張しています。

 2月3日の節分という節目、分け目は、そんな人間の心に、「福は外、鬼は内」こそが、天上天下唯我独尊と、切り替えるヒントを与えてくれるものでもあります。

年頭に……

2012/01/01 10:19
 東日本大震災に遭い、陽岳寺のあらゆる昨年の法事一つ一つに、下記の言葉を添えて、般若心経や金剛般若経をおよみいたしました。
 《東北地方太平洋沖地震と津波の影響で亡くなられた方々、人知れず今も多くの悲しみを秘めた心を持つ方々、未だに立ち直れない方々、あれから時が止まった方々、その方々のために、「忘れない、日本!」が寄り添うことになると思います。
 今も被災し避難している方々、除染作業に携わる自衛隊員、警察、消防、ボランティアの方々、津波にも地震にも遠い場所で被災しなかったけれど、痛みとして心が共鳴し見守ってくれる方々。その方々のために、「頑張れ日本!」が必要と思うのです。
 もちろん、今日の法事の主人公のためでもあります。みんなの、みんなにより、みんなのため、ご冥福、ご多幸、ご無事、ご健闘を、般若心経にて心よりお祈りいたします。皆様もご一緒に大きな声でおよみ下さい》と。
 3月11日の大震災が発生したとき、陽岳寺にとっても正面から見据えて、法要の内容にして向かわなければならないと、新命副住職に話しました。新命副住職は、「もう考えているよ」と、彼が作った上記の内容を、お彼岸の法要から試み続けています。

 あの津波の映像を繰り替えし見た者にとって、被災した山や川や海、そして街の写真や映像、現地にて目撃したものにとっても、繰り返し繰り返し、被災地にこの言葉を発することが私たちの日本人の務めであるように思ったからです。幾度も祈ったとて、祈りに終わりがあるように思えない大災害でした。そして毎月、被災地の状況に合わせて作り替えました。
 もちろん原発の暴挙に苦しみ、さいなむ人たちに向けてもです。東日本大震災で被災し亡くなった人を含めて、生きている人たちのためにも読むべきだと強く思いました。
 そして、被災し非難し、復興にたずさわる人たちを含めて、また心配して心を痛める人たちのため、毎回毎回、お経を読んだきっかけを、東日本大震災が創ってくれたことに気づきました。通夜や葬儀にも、このお経を読むときは、必ず被災地のことを思いました。

 一昨年前のお施餓鬼会の法要に向けてのことでした。この震災を予感したわけではないのですが、地球温暖化や、無縁社会が叫ばれるようになってです。格差社会や鬱病にあえぐ姿が見受けられるようになってです。背後に、人間の弱さや愚かさが大きく見えていました。そのとき、神さまのことを考えたのです。

 禅宗のお坊さんとしては、珍しいかもしれません。でも日本に生まれて、日本で育ったものとしては、ごく普通のことだとも思っています。それに、もともと回向の中に「三世の諸佛諸菩薩、もろもろの天界に遊びし神々、地上に住まう神々精霊」という言葉を捧げていますので、今さら、なのですが「どうして、こうも不幸なことが起こるのだろうか」とです。

 もともとインドでも中国やアジアでは、多神文化の地です。その神々の地に仏教は誕生しました。神々がいたからこそ、誕生したともいえます。
 それは、人間の絶対的な平等、迷信や不合理・占いなどを排除し、造られた倫理観を説かず、人間として真の自己に目覚めることを重視したともいえます。
 そのために、正しく見て、正しく考え、正しい言葉を使い、正しい行い、正しく生き、正しい務めをして、正しく思い、正しく心を修めることが必要だと説いたのです。もちろん、その時代は身分差別や、生まれや職業、障害、貴賤による差別の社会だったからです。

 社会のあらゆる差別に対して、その差別を直視し、「正しいこととは?」と、みずから考えて、行うことを説いたのでした。それが苦しみから遠ざかることだからです。
 そのために、「人は行為によって……自己である」という言葉が誕生したわけです。仏教は、そんな状況の世界に、絶対の自由や平等を宣言したのでした。

 東日本大震災の引き金を引いたものについては、科学の進歩を待たなければどうしようもないことです。もし予見できたとしても、予知できても、人間の知恵で備えることはできますが、こうした大震災を止める手立てはありません。地球を自由に科学で操ることなど、今は、考えることもできないことです。地球は生きているのですから。昔から、神々という言葉で、人間は祈っていました。

《仏教は神々を、縁起の法により神々の場所に在らしめます。在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は縁起そのもの。
在るものを在らしめる神々よ
在るものを無さしめる神々よ
無いものを在らしめる神々よ
無いものを無さしめる神々よ
 空や山や川や海を、鎮めたまえ。町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。》

 結局災害がないようにと祈るほかにないことに気づきます。それは、人間の思い上がった心を見つめて、無力さからの力強い歩みを促すことでもあると気づきました。

《そして、この世界にあって、慈悲と智慧をつかさどるもろもろの仏たちよ。
思い通りに行かぬ苦しみを救うよう、どうかわたしたちの祈りや願いを 聞き届け給わんことを。
 そして、慈悲と智慧を、人々に巡らせるもろもろの菩薩たちよ。
 仏は、きびしさや一途さという我が心の鬼を造り、我が心の鬼は、優しさや受け容れるという我が心の仏を造ることを導き給え。
 そして、この世界のすべてのひとたちの命を与え、家族から、仲間から、この地上から旅立っていった多くのひとたち。
 また、さらにこの世界のあらゆるところで、お腹をすかせている人たち、お腹をすかせて亡くなった人たち。
欲張りな人たち、欲張りなままに亡くなった人たち。
不幸な人たち、不幸なままに亡くなった人たち。
怒っている人たち、怒ったままに亡くなった人たち。
悲しんでいる人たち、悲しんだままに亡くなった人たち。
すべてのいのちが 満たされて、やすらかになりますように、共に、真実に目覚めることができますように。
 そして、この祈りにより、わたしたちの心に、慈しみ、あわれみ、共に喜ぶ心、とらわれのない心を巡らせたまわんことを》と、

年頭に向かって回向いたします。
それぞれの足もとに、幸せが見つけられますように、気づくことを祈念申し上げます。

ノー

2011/12/31 23:49
陽岳寺は、本当に小さな寺です。

それでも、建物にそって、緑があります。
緑があれば、葉が落ち、花が咲き、その落ち葉は、地面に小さな穴を掘り埋めて土に返していました。

その樹木たちの葉は、あの福島の原発の爆発で、放射能に汚染されました。

かわいそうでしたが、穴は埋められ、燃えるゴミとして、申し訳ないが焼却されることをたのんでゴミ収集日に投棄されました。

毎週2回、区の収集日に投棄されるたびに、このことを思いました。何マイクロシーベルトとか数字はわからないけれど、この寺が、地面が汚染されることを嫌ったのです。

これを執着というのか、煩悩というのか考えることをしなかったけれど、気持ちの中には、忸怩(じくじ)たる思いが蓄積されました。

人は地面に活かされていることを思います。例えマンションに住んでいようが、賃貸で住んでいるを問わずにです。

その地面を汚(けが)してしまって思うことは、日本というすべての土地を、汚染されることと切っても切れない原子力という物質にまかせて住むことはできないということでした。

汚染された土地を、除染しようが、その除染された物の中に、除染できない物質が、数百年以上にわたって空中地中に拡散されます。

人類の地面どころか、空気までもが汚染されることを思えば、今は、大丈夫かもしれませんが、1000年、2000年後はどうでしょうか?

私は、地球に生きる物にとって、原子力の野放図な利用は、容認できません。

宇宙は、原子力エネルギー誕生したかどうか知りませんが、地球が誕生して、50億年60億年後に、やっと生物が誕生して、今の私が生きていることを思えば、これから誕生するそれぞれの私のために、今の私は、はっきりと意志を宣言しなければならないと思うのです。

原子力の利用は、人類にとって絶対必要不可欠な研究用は除いて、はっきりと「ノー」と宣言します。

平成24年 新春圓橘一門会

2011/12/22 22:49
1月2日(月)午後3時半より口演

出演 三遊亭圓橘  小圓朝 きつつき 橘也

1月3日(火)午後3時半より口演

出演三遊亭圓橘 小圓朝 きつつき

場所:深川東京モダン館2階
前売り2000円
当日2500円

お知らせです

2011/12/22 22:44
古石場文化センタにて
1月7日(土)11:30フラガール 15:10深川歴史トーク・海は見ていた 18:30古都
8日(日)10:00戦後芸能トーク・東京五人男 13:10無声映画特集 16:30幸福の黄色いハンカチ 19:20お嬢さん乾杯
9日(月・祝日)10:00浮草 13:30女の歴史 16:50ゲストトーク秋日和

古石場文化センター前売り、三日間通し券3,000円/1回券500円

仏性

2011/12/08 21:22
釈尊仏陀は、「一切衆生悉有仏性」と、全ての生きとし生けるものに仏性があると、2500万年前に話されました。

赤ちゃんにも、それこそ、牛や植物にも、つまり、森や海、空にも、地球にも宇宙にもと理解できます。

地球が誕生して50億年、生命が誕生して35億年、50億年を経て誕生した人類の都合で、人類を育んでくれた地球の汚染を止めなければならないと思う。

人類は海から誕生したとも言われている。その海も汚染され、土も水も風も、人間の都合で汚してよいものだろうか?

今生まれた赤ちゃんは、50億年の営みの中から生まれた命だ。その命は、内部被曝や放射線の汚染で、次の命を育む命だ。

人間の寿命の半分以上を生きた人間こそ、次の命を何が何でも守らなければならない使命があるはずだ。

赤ちゃんを育む母という命にとっては、その50億年という重みの責任にあえいでいる。

「一切衆生悉有仏性」が問われている。

心を開け。

70億の遺族たち

2011/11/28 14:48
もうだいぶ以前のことです。京大全共闘で活動した北小路敏という政治家とタクシーで一緒に移動したことがありました。

その北小路敏さんがいった言葉、「トロツキーやエンゲルスにしても、彼ら個人は家族にとっては、善い父親であり、子供であったのです」が、今でも印象に残っています。

世界をくくるものはいろいろあると思う。家族と遺族、メッセージがあるのは遺族だ。

世界には肌の違い、宗教・政治思想・様々な隔たりが人間にはあります。

でも気づいたことに、70億の人類のすべて、先人たちの遺族であることだった。

喪を生きる

2011/11/06 12:44
母が亡くなって来年は13回忌だ。父は27回忌になる。

父も母も、私の日常に、なくてはならない人として、よく思いの中に登場する。

そんな登場の仕方に、喪(も)と呼ぶようにして、26年が経った。

その登場の仕方の喪は、母が亡くなってから、かなり頻繁に訪れるようになった。

そんな訪れる父や母への思いを、喪として、見えない喪服とした。

「いつ着たのか、いつ脱いだのかわかならい、巡る年月となって潤して欲しい」とみずからに望み、言い換えた。

裸の王様の故事を、喪服としたのだった。

裸の王様の見えない服は、恥ずかしかっただろうが、訪れる喪は、一生にわたって巡る年月となって欲しいと望んだのだった。

失った悲しみや寂しさ、遺(のこ)された、それを喪失感というのかどうでもよいが、回復とか立ち直りとか思いもしない。

あるがままだ。自分が生きる上でオアシスでもある。

人は最愛の人を失ったとき、得てして孤独となる。その孤独さの表現は人の数ほどに無数だ。

人の数ほどに無数で、当たり前のことだ。それでいいと思う。


その当たり前のことが、当たり前でない人がいた。

50半ばの長男を亡くした男親だ。その男親は、妻と別居しながら亡くしていた。

私には、長男を亡くすことがどんなに耐えられないことか?も、遭遇したことはないのでわからない。

三回忌の法事であった。

嫁さんに聞いた。「親父さんはどうしたの?」

途惑いながら長男の奥さんが話した。「行きたくない」ですって。

彼女の口から言葉がドット出た。

だが、親父のその気持ちは、息子を亡くした親として解るような気がしていた。

でも嫁さんや、子ども達にとってはずっと現実的で、もっと苦しかった。その苦しさの中、明るく、励まし合っていた。

そういえば、13ヶ月の余命と宣告されて、最後は、胃がんが腹膜から大腸に転移して人工肛門になって、長男は亡くなったが、最後まで、親父は「いやだ」と言って病院にも行かなかった。

父親の心も頑なで、溶けない心だ。

その長男の末期に、嫁さんは長男を呼び戻そうと語りかけていた。

最後の最後に、「質問ばかりして、ご免なさい」と、謝ったという。

長男の視線が朦朧となったとき、「ねえ見える、私の目が見える」とのぞき込んだという。

すると、長男は笑みを浮かべた。

それが最後だった。

夫の最後まで尽くした彼女は、今も夫の喪を、何よりも大切にしている。

だからこそ、父に出席してもらいたっかのだ、三回忌に……

夕日

2011/11/03 08:42
訃報は、本当に突然にやってくる。

言葉少ない人だった。
お盆のお参りに行くと、彼女は介護用ベッドの上に……
息子さんが介護をする。

仏壇に向かうと、彼女は起きようともがく。

「そのままで、よいですから」と私。

「母は、正座は苦にしませんから」と弟。

そんな彼女が亡くなった。87歳だった。

お寺に来た兄弟二人は、インターネットで検索した、《旅ナビ柏崎の石地》の資料を持参した。

この漁村で生まれ育ち、ふる里を後にしたのだ。

「石地は、夕日が美しいのです」と、兄。

ふと、「日の出は?」と私。

「日本海に向かって家々があり、背に山々を背負っているから……」と。

「そうか、ここは中越地震の震源の近くだ」と思い出した。

あれから4年が過ぎ去っている。柏崎の様子も、見事によみがえったような。
心の傷は見えないが、景色は大きく変わった。

「そうだ、東の本大震災に襲われた地域は、朝日が美しい。
瓦礫におおわれた街にも、朝日が美しかった。
今も、悲しみや不安におおわれている。

人って、生き続けることが、鎮魂の祈りであることを考える。
その生き続ける意味は、まるでマラソンのリレーのようにだ。

忘れない……

残された者が、それぞれに生き続けることで、亡くなったものの魂は生き続けるような。
忘れない……

人が住み続け、生き続けることで、必ず街は生き返るのだ。
忘れない……

過去、日本の多くの町や村が震災にみまわれたではないか……
忘れない……

夕日を……
朝日を……

忘れない……
貴女を……

撃たないでくれ!

2011/10/22 11:53
平成23年9月20日、遠いアフリカ大陸のリビアのカダフィ大佐が亡くなった。

「(私を)どうしたいんだ。撃たないでくれ、我が息子よ」
彼の最後の言葉なのか知らないが、彼は負傷して、反カダフィ派の兵士に拘束された。

そして、撃たれた。

リビアにとっては、42年間続いた続いたカダフィ政権最後の日だった。

彼には似合わない、何という平凡な言葉だろう。

まるでドラマのセリフのようだ。

でも、現実のギリギリのところから出てきた言葉だ。平凡な……

弱さを限りなく表現した、それこそ、普通の人間である私という命を慈しむ言葉だ。

彼は、この言葉を幾度となく聞いていたはずだ。その時、彼は強さを持っていた。その強さは、他人の命なんてものは思い描くこともなかったのだろう。

彼には、その命が自分の命と同じものとして届いていなかった。

それは、自分の中の死を、認めていなかったことか。

だから独裁体制なのだろう。

ヒトラーにしても、フセインにしても……それとも……

繰り返し繰り返し、歴史から、何も学ぶことはないのか?

人は百年生きることは稀なことです。「百年生きて、80年生きてきて、今まででこんなこと初めてのことです」と、今年はよく聞いたような気がする。

人は同じように生きる。

それと同時に、同じように死んで行くという言葉も当てはまる。

カダフィ大佐にも、子供や妻、親戚もいた。

こんな一族を巻き込んだ結末を、渦中の誰が具体的に想像することができただだろうか。

今度こそ、リビアに暮らす民が平安を迎えることが出来るように、遠い国から祈る。

そらぷちキッズキャンプ

2011/10/15 10:56
普段、あまり新聞をじっくり読むことなどない生活だ。それでも、毎日欠かさず新聞は二紙読んではいる。

今朝、朝日新聞土曜版、Beを読んでいたら、『逆風満帆ー死んだら終わり、ではない』という題に目がとまった。

小児科医・細谷亮太師の記事だった。

それは、来年常設オープンするという「そらぷちキッズキャンプ」誕生の物語の一部分だ。

なぜ一部分かというと、多くの子ども達の死と、常設オープンにたどり着くために、たずさわった多くの熱い思いの人たちがいたからだ。


平成6年に6月、彼女の弟が、聖路加病院で12歳で亡くなった。奇跡を誰よりも願った両親だった。特殊な癌だったと記憶している。

当然のこと、ご両親は、無力感、絶望、孤独感、猜疑心、渇望、嫉妬……と、その淵に長くたたずんでいたはずだ。

ご両親の悲しみは深かく、その影響は今でもずっとずっと……、当時小学校だった6年生の友達は30歳になろうとしている。

そんな両親の姿を見て、彼女は育った。そして、看護師を夢を見て、かなえた。

聖路加病院、日赤。聖路加病院と、多くは小児病棟で難病、不治の子ども達とかかわってきた。

そんな彼女が、病院をやめたと噂が届いた。

一昨年のことだ、彼女の母と私は会った。母の手には、パンフレットがあった。

「○○○ちゃんは?」

「○○○は、今、北海道にいます」

そして、渡されたパンフに、「そらぷちキッズキャンプ」と書かれていた。継続的な募金のお願いだった。
お寺には、募金の勧誘が多い。そんなに裕福ではなく、小さく貧しい寺の部類だ。私の寺は……。

あれから、しばらく忘れていたパンフだった。テーブルの積み上げた書類の片隅で、彼女の夢が語りかけてくる。

9月始めのことだった、彼女が東京に来たことを知らされた。両親には会えなかったとも聞いた。

彼女は頑張っている。北海道と都市を往復して、慣れない各種の作業を必死になって頑張っている。子ども達のためにだ。
私も、息の長い支援をしようと、少ないが募金をした。

彼女から手紙が届いた。

《今年は、災害で一度に沢山の命が奪われ、改めて、生きる意味、生かされている時間を大切に、私ができることを精一杯やりたいと思います。
東京は高い秋の空でしょうか。
こちらは冬にむけ、赤や黄……一年最後の彩りが、
かけ足で過ぎてゆきます。
皆様にも、よろしくお伝え下さい。
ありがとうございました。》と。

新聞の細谷医師のコメント(朝日新聞、Beより)
「治らない病気をかかえながら、その運命を引き受けて生きる人もいます。これからは、そういう人たちと過ごす時間を大事にしていきたい」と。

申し訳ないほど微力だが、私の寺も、彼女に寄り添いたいと思っています。

なんだか、彼女の弟が、大勢ふえたような気がする。

あれから7ヶ月

2011/10/14 10:17

東日本大震災後、お寺で使用していたシキミの入荷が3月半ばに止まりました。

そのシキミを、シキミ業者から「福島から送られていた」と聞いたとき、自分がいかに知らないで、物流に頼っていることに気づきました。

気づいたからといって、頼っていることは、現在も同じです。

三月の彼岸前です。お墓に供えるシキミは来ず、本櫁(しきみ)が納入されました。確か1回限りだと思いましたが、このシキミは元気がよく、水鉢の中でいつまでも青さを保っていました。

何週間もその状態が続き、根付いて欲しいとの思いが起こり、挿し木にいたしました。

8月頃から、新芽が伸び始め、その新芽も2回目を過ぎて、力強く天をめざし始めています。

地植えを望んでいるような、我が家の復興のシンボルになればよいと思っています。

高山本線飛騨

2011/10/13 10:17

飛騨高山本線。 飛騨8号に乗った。
沿線の川は、台風15号と、和歌山に降った大雨の惨禍を少し垣間見せてくれた。

下呂温泉には、40年前の仲間が14名集まった。
毎年のことだが、皆年を取ったが、何とか元気を保っているという感じだ。

胸を4回も手術したモサ。
修行の時から、延々と病院に世話になりっぱなしのノンキ者。
お寺を替えて生き続けるヤドカリのようなゴウノ者。

現地集合、現地解散。

いつものことだが、翌日は疲れるのだ。

運動会とさんま

2011/10/10 21:12
昨日は、知り合いの葬儀で、お焼香をしました。
木遣り保存会の人が、大勢、木遣りで故人を送って下さいました。

木遣りって、何とも言えないもの悲しさに満ちていながら、それでいて、すがすがしく、しみじみさが伝わります。


午前中、深川っ子運動会に、行ってきました。


ところで、Y運輸が、東北被災地のためにと、サンマなどを売っている。
担当者が訪ねて来て、「是非、サンマを食べて下さい」と。

内の奥さん、「いくら?」

T運輸、「10匹で2,100円ですが、送料はいりません」
内の奥さん、「スーパーで、98円で売っているんだけど」

私、「ママ、ママ!これは義捐のこと」

うちのママ、「10匹きても、3日間、毎日食べることになるわよ」

私、「ママ、ママ。これは応援なの」

うちのママ、「冷凍で来るのかしら、刺身にできないかしら?」

T運輸、「今回は、お刺身用ではありません」

うちのママ、「冷凍にするしかないわね。ところで、何でウチなの?」

T運輸、「ノルマがありまして、私も買いました」

私、「ママ、ママ、これは募金と同じなの、支援なの!」

ママ、「ふーん、じゃあ、笹かまもお願い」と。

結婚式

2011/10/08 17:12

これから歩もうとする道を、照らすように、仏前に、新郎が、ともし火をかかげて頂きます。

次に、いつまでも、慈しみ育(はぐく)む心がこの二人に宿るようにと、新婦が、仏前に、華を捧げきます。

式次第

親族入堂

新郎・新婦入堂

戒師入堂

開式の辞

献灯・献花

般若心経・回向
 ……今を生きる知恵を成就せしめ給わんことを……

敬白文
……出会いが導きと変わることで……

帰依三宝・受戒
……日月がいつも輝いているが如く

数珠の交換
……素直さをいつまでも持てるようにと……

誓詞
……選び選ばれて私たちは今……

焼香

……心を新たにすることの意志として……

寿杯
……夫は妻から、妻は夫から支えられられるていることを忘れない……

合掌
……私一人を尊しとする合掌……

四弘誓願
……いつも心を謙虚に保って、すべてが敬えるように……

閉式の辞

ドジョウ

2011/09/25 07:24
 平成23年8月29日、菅直人首相の後継を決める民主党の代表選で、述べた野田佳彦氏が、詩人相田みつをさんの作品を述べられました。(相田みつを作品集「おかげさん」ダイヤモンド社)
どじょうがさ
金魚のまねすることねん
だよなあ
    − みつを −
 「ドジョウはドジョウのままで、いいんだ」と、泥の中にひそむドジョウの泥くささに強烈なアピールとして心ひかれた人が多かったのではないでしょうか。
 ダイアモンド社には、この作品集に対して問い合わせが殺到したと聞いております。

もっとも、ドジョウには、シマドジョウとフクドジョウがいて、おとなしいドジョウと金魚に食いつくドジョウから、噛みつき方がささやかれるほどでした。ペット業界や、どぜう屋さん、安来節までもが一時的にブームとなったそうです。

 この作品は、政界という足の引っ張り合いに見える、泥くささの世界に生きる野田氏を、そのまま清新なイメージに転換させる響きがあります。
 マスコミの解説では、「他人と比較しなくてよいのだ」と、その背景には、何か独善という、独り善がりな思いがただよっているような気もいたします?
 この詩に登場する、ドジョウと金魚は、金魚は優れたもの、ドジョウは土の中に生きることしか能のないモノにたとえられそうですが、本当にそうでしょうか?
 
 「ドジョウがさァー」と、ドジョウは自分のことをドジョウとは言いませんし、自分を指すこともしませんが、指すのは人間のなせることです。
 しかし、このドジョウは、金魚をめざしたことは確かです。金魚がうらやましかったのか、ドジョウのままでは居られない心があったということでしょうか。擬人化して、もがき苦しむのも、金魚に根拠を持てば、気持ちは理解できます。

 人も同じように、夢を持ちながら達成する人もいるし、いつの間にか忘れてしまう人もいます。お金持ちにあこがれ、何かのきっかけでそのようになる人もあるでしょうし、思い続けながら、なれない人もいます。人生を達観した言葉にも見えます。

 でも、子どもに、最初から「ドジョウは金魚のまねすることねんだよなあ」、「ドジョウはドジョウのままでいいんだ」とは言えないことです。もしかして、金魚のまねをして、金魚に成ったドジョウもあるかもしれませんから。

 この作品は、思いを抱いた「ドジョウがさ、金魚のまねすることねんだよなあ」と、元のドジョウに成ったとき、今までのドジョウと違う、高らかにドジョウを謳歌するドジョウの誕生と見えるのです。
 今の自己を否定したことから、肯定にたどり着いたプロセスが見えます。きっとその時のドジョウは、フナやアユ、ハヤやウナギにナマズも、それぞれが輝いて見えたのではないでしょうか。

 妙心寺のホームページに、宗旨(しゅうし)について記してありました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 お釈迦様は、「生老病死」の命題に悩み、出家した後、初めは苦行を修しました。
 やがて、この6年(または7年)間の苦行では道は開けないとして、12月1日から一週間、深い禅定に入られました。
 そして、12月8日に、暁の空に光る明星を見て「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」などの言葉を発せられ、悟りを開かれたとされています。
 自分と他が一つ、「自他不二(じたふに)」という境地からこの世を見たとき、今、この地球や宇宙は皆自分の家であり、その中の生きとし生けるものは皆自分の家族である、という大いなる慈悲心が開けるのです。

 それまでは苦行に耐え、自分を磨こう、善いことをしよう、生老病死の苦しみを超克しようという自己本位の行いがありました。
 しかし、自他不二を体得し、その大いなる眼(まなこ)で眺めると、この世のすべてのものは「あるがまま」なのだと「気付いた」のです。それがお釈迦様の悟りです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ドジョウという自己が、現実において金魚のドジョウか、ドジョウの金魚か不明ですが、成りたいと、金魚という対立する関係において自己を否定したとき、ドジョウのままで良いのだと気付かされます。
 真理が見えた、現実の世界構造が見えたからこそ、否定から肯定へと向かう道となります。別の言葉で言えば、スミレはスミレのままでよいし、ぺんぺん草はぺんぺん草を生きる道があることが見えてきます。
 そこには、世界にただひとつの独立した、ぺんぺん草、ドジョウ、スミレと、そして自も他もと。この構造こそ、相対的な世界を生きるすべとなるはずです。
 「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」とは、スミレはスミレのまま、ドジョウはドジョウのまま、自他無二とは、世界が一つと成ることで、逆にそれぞれが独立した存在であることを表現した言葉のはずです。
 それを人生に喩えてみれば、老いてまだ坂を登るが如くあるから、老いが豊かであるのではないでしょうか。老いて、若さに立てば老いは姿を変えるものですと……だから、ドジョウはドジョウのままでいいんだと……

 ドジョウやスミレ、ぺんぺん草やタンポポとして、空間的に独自のモノとして存在しています。それは、他と区別されて、各々が差別によって数々と存在するということです。これが世界の有り様なのだと、この現実の世界を一とすれば、不一と、一つに非ずと、多の方向を示します。

 春になれば梅や桜の花が開き、秋になれば黄色く色づき、冬には枯れてと、人もそのように生きているはずなのです。人も植物も生きとし生けるもの百花繚乱として、それがそのまま一となります。

 家族も、学校も仕事場も、国も、一にして多、不一にして、異に非ずの関係こそが、現実の有り様となっているはずです。学校のクラスが一つに成るためには、生徒である多の個別は、それぞれが独立とした存在であり、そして、障(さわ)りや妨(さまた)げのないモノとしてあって、はじめて一つであるといえます。

 この同時という視点こそが、「ドジョウはドジョウのままに」生き、スミレはスミレのまま花を咲かすことが、世界は慈悲に満ちあふれている表現となるはずです。
 大乗仏教は、よく「自位に住す」「法位に住す」といいます。それぞれの真理、如実の真理に拠り所を持って生きると。そこに、ドジョウは、真の自己となります。これを、あるがままに生きる、住す、または、あるがままを拠り所とするといいます。

 一は多に、多は一に(まるで三銃士の言葉のようです)、これこそが、「自他不二」ということです。体得しても、しなくても、無心となって働き、生きる行為や姿こそ、自他不二と思っています。

注:鈴木大拙・西田幾多郎・中山延二氏の考え方を参考にしております。

大きな火事ではなかったけれど?

2011/09/21 13:05

昨日の夕食後、といっても食事の遅い人にとっては、何時だかわからないが、これはナンダ。
近くで小火か?煙も火も見なかった。

ふれあい給食会

2011/09/21 13:05

昨日、地元の小学校で、ふれあい給食会が催されました。
今年で、13回目です。
三遊亭圓橘師匠が、3年生の子ども達に、落語の仕草をしてもらいました。
担任の女性の先生には、即興で小話をさせ、子ども達は爆笑です。
校長先生には、ソバを食べる仕草を、して頂きました。こちらも爆笑です。
楽しかったふれあいでした。
11時20分から午後2時まで、彼岸の入りというのに、私も出席してしまいました。

仏壇開眼

2011/09/20 08:48
昨日、横浜に行き仏壇の開眼をしました。

仏壇を開眼したと言うことは、新たに、家に祀られる出来事ができたと言うことです。

今年の8月だったか、冬木町の老人会長と道ばたで、お目にかかった。

一昨年まで、とある男が、その会長のアパートに独り暮らしていた。

その彼は板橋のアパートに住み家を代え、腐敗して亡くなっていたのが発見された。

警察は、身元引き受けを探して、深川から群馬まで探したという。

その彼は、深川の出身で、とあるお寺の長男でもあった。寺をだされ、放浪を繰り返していた人生だった。

直接知っていたわけではないが、かなり以前より、知っている人は知っていた。

会長にお目にかかった時、その話をした。

「そうですか、それでは仏壇に、お線香を上げておきます」と、会長は私に語った。

これも、6月頃のことだったが、知り合いの若者が自殺したときがあった。

私は、鳶仲間二人と、若者のお通夜に出かけ、桐ヶ谷斎場で、焼香をした。

地元に帰ってきて、近くの居酒屋で通夜をした。

「何で自殺なのしたのだろう」と思っても、彼しか知らないことだ。

もう一人の友人の鳶に電話をして、その鳶も若者をよく知っていたので、一緒に呑まないかと誘う。

まもなく、その彼も同席した。

私は、「いやいや、解らないことだし、残念なことだ」と。

呼び出された鳶は、「お線香を揚げるよ」と。

私はとっさに、「どこで?」と、呼び出された鳶は、「勿論、家の仏壇さ!」と。


仏壇開眼により、どんなことでも、ささいなことでも、お線香を一本捧げる場所が家庭にできたということだ。

仏壇とは、そんな場所でもあるのだ。

彼岸

2011/09/20 08:48
平成23年9月20日(火)彼岸の入り
平成23年9月23日(金)彼岸中日・秋分の日
平成23年9月26日(月)彼岸明け

ビックリして!

2011/09/19 09:07
昨日の朝のことだ、息子の嫁が来て、開口一番「あたしビックリして、お母さんのお婆ちゃんが死んじゃったんですよ」と。

一昨日に、母親から訃報が届いたのだと思う。

思わず「そうか、死んじゃったのか!それは突然のことだったね。驚いたね」と。

お婆ちゃんは、危篤を何度も繰り返していたとはいえ、彼女の中の途惑いが、「ねえ聞いて下さい」と訴えていた。

今、彼女の会社では、社員間の死の弔問、結婚式へ招く習慣はないと聞いていた。

多くの大企業が、こうした儀礼を縮小しているのだと思う。

世界企業になっても、その国や地域の慣習に習うことは、その国を大切に思うことと同じだ。

何故ならば、そのことによって、地域や国に有り続けることが出来るからだ。

物を売れば良いと、商品を作れば良いと、物流の基地であれば良いと、それでは、企業とは利潤追求のマシーンとかわらないではないか。

そんな企業が、町づくりや、人づくりを理念に掲げていることがあるが、矛盾に気づかないのかと、ふと思う。

なかなか、企業として、考えていることと、していることが、同じようにいかないのは世の常だろうが、人が生きている視点は、人にとっても、企業にとっても、国にとっても同じだ。


せんだて、妻の父の法事に、「喪服を用意しておくように」と、私の妻から言われて購入していた。

そんなことを思い出しながら、「良かったね、喪服があって」と……

「はい」と嫁。

妻は、お婆ちゃんのことを温(たず)ねて、お婆ちゃんの死から嫁の受けた様子を気にして、探しながら、会話を続けていた。

2011/09/16 21:07
明日は、妻の父の3回忌法事だ。

2年前になくなった、義父は、名前が”清”の通りの人だった。

妻から見れば、父とは、やはり背中で象徴するように、確かな存在ではなかったような気もする。

母親との接し方とは、まったく別の面しか見えないこともある。

黙して語り会うことはなかったが、毎月父から妻の元へ手紙が届いた。

結婚して、30年にわたって手紙が届いていた。娘を思う故か、「身体に気をつけろ。元気に暮らしているか。喧嘩はしていないか。……」

いつまでたっても親は親を脱皮することはない。

そんな父が亡くなり、葬儀を、私がすることになった。僧堂に修行にいっていた息子も、僧堂はその時だけ、義父の元へと帰してくれた。

本来、修行中の身なれば、無理だった歴史があるが、悲しみだけは別と、僧堂も考えを変えたか。

そんな時代ではないと……。

家族親戚は、そんな修行中の雲水の姿を見て、涙をなお流させた。

そんな父に、私は、「忍」という一次を贈った。

忍は、自分の心に刀の切っ先を向けると読んだからだ。

そんな義父の面影を、明日、お目にかかる。

忍という字の、刀とは、同時に無心ともいえるものだ。

嫁いで幸せに暮らす?娘を心配する心、それは、無心なる心に咲いた花だと思っている。

明日は義父の三回忌だ。