FC2ブログ

私たち一人一人、生きて現実に歩む道は、夫婦であっても、子どもがいても、ただただ、一本の道が果てしなく繋がっていると、見てもよいでしょう。

親しく亡くなった、父や母、祖父や祖母、さらにその先の亡くなった者が歩んだ道も、それぞれ一本の道でした。

共に、時間を隔てて、別々の道には違いがないものの、親しく亡くなった者の歩んだ道も自分の歩みも、続く道だと気づくことも、また、新しい自分や親しく亡くなった者を発見するものかもしれません。

とある男の子が、幼かった頃父を亡くしました。病気だったこと、母が看病しながら仕事につき、男の子を養いました。父が荼毘にされたとき、母はそっと、夫の「のど仏」をハンカチの中に入れて自宅に帰りました。やがて骨壺を菩提寺のお墓に納骨しましたが、母はのど仏を小さな緑色のガラスビンに入れて、幼い子どもに言いました。

「いいかい、これから、この父の形見に水を供えるのが、お前の勤めだよ。いいかい、毎日毎朝だよ!」と。

 この繰り返して、形見に祈る子どもは、やがて大人になって立派な僧侶になりました。これは偶々(たまたま)なのか、必然なのか解りませんが毎朝毎朝形見に向き合う子ども成長には、向き合うということが如何にその子の人生にとって大きな比重を持つか不思議な感慨を持ちます

 とある家庭において、働き盛りの父が、急に病気で亡くなりました。子ども達は中学生になった頃・そして小学生高学年頃のような私の記憶です。母は、当然のごとく、仕事に就きました。

その時から、亡くなった命日には、必ず私が呼ばれ仏壇の中の位牌にお経を上げました。後ろに男の子2人と母が控え、終わって父に向かって焼香します。仏事が終わると、子ども達は自分の部屋に入ります。

お盆にも、お経を読みに行きました。子ども達も必ず居て焼香します。仏事で子ども達とお話しをすることは、ほとんどありませんでしたが、年数が経てば立つほど、確かな成長を歩んでいる姿として見ていました。

いつまで続けるのか、依頼されるまで、通った仏事も、下の子どもが結婚して家を出るまで続けたのです。考えてみると、母は、会計事務所の経理と計算の仕事を懸命に覚え家庭を守ったのですが、私は、一年に二度、仏壇の前でお経を読んだのですが、そのことと、子ども達が立派に成長したこととが、どう繋がっているのか知りません。うかがったこともない。

ただ母が働くことを辞めたのは、70歳後半だとうろ覚えですが、子ども達のそれからは、今も、その母から聞いています。

その母は老いに、追い越されないように、多くの趣味をもち、自分なりに老いの若さを謳歌して歩んでいます。

 仏事とその家族の家庭に絡む例は、数多くあるのですが、子育てが終わるまでの仏事で見届けたのは、この二例です。

 すでに立派な立場に立っている子ども達に聞いたこともないのですが、母は、今の子ども達を話すのです。
2019.08.20 Tue l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
皇の,諱(いみな)は富仁(とみひと)、その時の開山住職は、関山慧玄禅師で、花園法皇在位は、1308年9月11日(旧暦延慶元年8月26日)から1318年3月29日の9年間で、妙心寺を開かれたのが、1342年(旧暦暦応5年/康永元年/興国3年)で、崩御された日は、1348年12月2日(旧暦正平3年11月11日)享年52歳でした。


花園法皇は、幼少のころから学問詩歌書道に優れて、宮内庁書陵部の学道之御記には、「学問の目的はただ文字を識り、博学になるためのものではなく、本性に達し、道義をおさめ、礼義を知り、状況の変化をわきまえ、過去を知り未来に活用するためのものである。」と記しています。


花園法皇は始めに紫野大徳寺の宗峰妙超(大灯国師)>として修行します。やがて大灯国師が、1337年(建武4年)に病となり重篤な状態となると、花園法皇は国師の後継者として関山慧玄禅師を推挙され修行が続きます。その場所は、花園法皇お住まいの花園離宮を禅寺として、今の正法山妙心寺でした。大灯国師は翌年1338年1月13日(延元2年/建武4年12月22日)に、亡くなりました。



法皇と大灯国師の出会いの問答が、「大灯国師語録」のなかにあります。花園法皇は大灯国師の風評を聞き、国師を内裏にお招きしし、法皇は和やかに談話をしようと思いましたが、国師は袈裟を着用して対坐することを望みました。法皇は許して座は問答のようになりました。国師と対坐して、法皇はまず、「仏法不思議、王法と対坐す」と国師に問いかけしました。


天皇が上皇となり、仏教を学んで法皇となっても、国師は法皇の臣下であり、上と下の関係をなくして対坐することは許されないと、そんな意味合いもあったのでしょうか。王法という世界に住みながら、仏法という法の世界を垣間見ての最初の言葉でした。国師は、すぐに「王法不思議、仏法と対坐す」と応じます。法皇は、この返事に、「龍顔を動かす(にこっと笑顔)」と、満足したと記されています。


法皇と国師の関係にも、王法と仏法が歴然として二つある。王法は、花園法皇、支配・遵法・序列・知識・色・分別・異・違い・差別であって、これら相対するすべてを万法とも言います。それに対して、仏法は、大灯国師・無階級・智慧・無心・空・無分別・同・平等・無差別・悠久・永遠です。考えてみれば対立しているかのような、この矛盾したものが対立したままでは、座は一歩も動きません。
国師の答えに、花園法皇が「龍顔を動かす」ことで、対立の構造は一気に解けていきました。この当時、王法は天皇によって代表される世法です。当時も今も、多くの生まれた赤ちゃんにはそれぞれご両親に育まれやがて成長し、それぞれに仕事をし世代を繰り返していきます。それぞれ結びついたり離れたりと形を形成しながら、人や生物も動物も小石もやがて大きな岩や山となって苔むすまでと、まるで君が代の歌のように、悠久という時間の流れの中にです。



花園法皇と国師はたびたびこうした席を設けたのでしょう。国師をお招きしたときの対話がまだ残っています。法皇が国師に尋ねますが、この問いの緊迫した様子が目に浮かびます。法皇が、「万法とともならざるもの、これ什麼人(なにびと)ぞ」と口火を切ります。

この問いは、王法という席につく法皇ではなく、修行者あるいは仏法を自己のものとした求道者の一面があります。王法に仏法そして、今度は万法と、確かに世界には諸々の憲法があり、業界や組織、家庭や家族決まり事も、さらに無生物と生物の、それぞれの有りようという法則という万法とは、何なのでしょうか?



碧巌録に趙州和尚の有名な問答があります。僧、趙州に問う「万法一に帰す。一いずれのところにか帰す」と。それに対して趙州は答えました。私は昔故郷の青州に居たとき、一枚の麻衣を作った。重さは4.2キロあったと。万法に一帰す」の一とは、「万法と侶ならざるものです。趙州の答えは、「麻衣の4.2キロの重さだった」というのですが、これに対して、故人は、「この麻衣一枚の重さを、幾人か知る」と語っています。


「万法と侶ならざるところ」とは一であり、絶対平等・無分別の分別・仏法です。「万法と侶なるところ」は相対の世界で、二や多、そして分別する私たちを現します。平凡な、ありふれた、日常生活の中の一つ一つの行為が、いちいちが、「万法と侶なるところ」なのですが、それが同時に「万法と侶ならざる無分別の私」と、国師は法皇にそう対坐して言っているのでしょう。そこで「万法と侶ならざるところ、これ什麼人ぞ」に対して、国師は、扇を動かしながら、皇風永扇あおぐ」と答えたということです。


万法がつかめたならば、その万法を現そうとすれば、万法と侶ならざるところで、国師の扇(おうぎ)であおぐという今の行為となって示しました。しかもその風は太平にして平安に憩う庶民の心持ちの風です。万法と侶ならざる人は、国師手中の扇子と共に動いてる当体国師法皇、私ら一人一人となります。禅宗三祖禅師の信心銘には真を求むることを用いず、唯だ須らく見を息(や)むべし。二見相対の知見に住せず、慎(つつし)んで追尋すること勿れ、紛然として心を失す。二は一に由て有り、一もまた守ることなかれ。

2019.07.06 Sat l l コメント (0) トラックバック (0) l top

 子どもだった頃、よく「現実を見ろ」と言われてきました。

 その頃を思いだすと。漫画の夢中になっていたこともあったし、小学校から帰って、ランドセルを玄関にほっぽり出し、外に出て昏くなるまで帰ってこないときもあった。最初は近いところで、少し遠いところへ、段々と距離も伸びてと、これも子供心に視野を広げる意味もあったと思う。

 深川の河にはイカダが浮いて、イカダ渡りをしたり、釣りをしたり遊ぶ、凧を揚げたり、ベイゴマで勝負したり、駒を手のひらの上に乗せて駆けたり、メンコをして取り合ったり、ビー玉をして遊んだり、竹馬に縄跳び、遠くの町内への探検、空き地が数多くあって、そこで缶蹴りや、雑草をしばって仕掛けを作ったり、野球もしたし、イタズラもしたものです。公園がなかったからといって、子供心に、何処でも遊び場になったような気がする。しかも我を忘れて熱中した。

 空も広かったのでよく見たし、屋根には雀が、軒下にはツバメがいた。蝉もトンボも、今より格段に多かったので、よく虫取りをした。

 子供心は、イカダ、河、魚、凧、風、ベイゴマに古布、駒と手のひらに走ること、メンコを投げることで風を起こし、メンコを引っくり返す、用のなくなった缶からを蹴って飛ばして元に戻すことで、そこに在る、結びついていないものを結びつけて遊びにかえていたのだった。

 雀もツバメも、蛙も蛇も、チョウチョもトンボも蝉も、捕まえて離して遊ぶ、「子どもは遊ぶ天才」という。空も雲も太陽も星も、コウモリなど、みんなつなげて世界を作っていたのだろう。我を忘れて、その忘れていたものは、我だけではなく、みんな、共に、一緒にも入るのだろう。学んでいたのだ。

 大人は何をしているのか?と、当たり前のように見えて、見えていないとも、自分の子ども時代を忘れて、今の判断で語る。「現実を見ろ」と。

 車もそんなに通っていなかったし、自転車も少なかった。そんな時代だったので、よく怪我をして、ズボンや服には引っかき傷のような切れ目を×状に縫った服を着て、正月には、新しい服が親が新調してくれたものでした。

 私たちの子どもの頃は、「よく遊べ、よく学べ」だったような雰囲気に、「よく遊べよく遊べ」の小学生だった。そのよく遊べが、「現実をよくろ」ということだったし、何でも遊ぶ道具にして、子どもは遊ぶことの天才だったような気がする。

 もちろん「現実をよく見ろ」は、遊んでばかりいないで、宿題など、するべきことをしろという意味なのですが、目先の事実に没頭する年令だったと。

 今思うと、遊ぶことに熱中したのだが、一日は長かったという記憶は、勉強をしはじめた中学校頃より、一日が短くなって、今では、あっという間に、一日が終わっているのだ。時間が足りなくなるのもこの頃からか?

 今の時代だったら、子ども達はどんなことをして遊んでいるのか?

 学校から下校して、外で見る子どもは、学習塾の鞄を背負った子ども達以外にあまり見ることはなくなったような気がする。夏休みで、夜間のパトロールをしたが、今どき、コンビニにも子ども姿は見ない。

 ファミコンが誕生した頃より、大きく変わってきている。

 そんな子ども時代の、「現実をよく見ろ」は、何を見つめるというのか、ファミコンなどのゲームの中身は意味であり仮想現実、スマホは特定の意識の表現、テレビやアニメも意味ですが、熱中する相手は人工の意味で、流行り物という人が作った意味に感情を沸き立てさせられている。

2019.07.01 Mon l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
「若し私が、過去・現在・未来の仏を知ろうと望むならば、世界の一切は、私自身の心が造ると、観察すべし」

これは、本日のお経、お施餓鬼文、初めの言葉です。

お施餓鬼というと、精神的にも身体的にも餓え乾きや苦悩する鬼に施すと書くのですが、施すものは、心です。

その心とは、亡くなった親しい方は勿論ですが、さらに私たちには、目にしたこともない、ご先祖という見ることも思うことも遙かに遠い血筋の方々です。
この法要は、その方々と有縁無縁の方々を含めて、一年に一回のお施餓鬼会です。

私たちの世界は、意味を持って成り立っている世界です。だから意味の整合性が合わなければ、理解できないと思っていませんか。でも本当にそうでしょうか?

私たちの歴史は、子どもだった私が成長し、多くの子ども達は、親と同じように、男女の出会い、そうでなくとも、結婚という結びつきにより、夫と妻に分離します。やがて子どもができれば、親と子どもに分離して家族という結びつきに結合して、一緒に暮らします。

親の根拠・拠り所・居場所は子どもにあり、子どもの根拠・拠り所・居場所は親にあります。夫の根拠は妻にあり、妻の根拠は夫にあり、無数の根拠・拠り所・居場所を持って、人は常に変化して生きています。しかも、一瞬を生きていますので、何が大切かなどと問うことは必要なく、一瞬を生きるといえばよいでしょう。でも、自分の根拠・拠り所・居場所は、自分にないと、他者にあると気づかないだろうか。
子ども達が独立して家庭を築きますと、自分にとって、親という根拠という大事なはずでも、妻の根拠が大きくなって、特別な存在ではなくなってしまう、そんなこともあります。やがてそれが当たり前のような生活になってしまう。そんな日々の中で、大切なもの、大事なものを持ったとしても、いずれは、普通の歩みになってしまうこともあります。

その人の人生に、あるいは家族の絆にも、何の保証がないことも知らずに、毎日がいつも、昨日のように続くと、心の意識は、何も考えない。だから、普通に生きてゆくことが出来るともいえるのですが、実際は、何の保証もない。

当たり前のように今日があって、今があれば、明日があり、昨日がある。その当たり前は、自分の判断という物語りということなのですが、すべての壁は、自分の内にあるといえます。

だから、現実は外の世界で起こっているの
お施餓鬼は、このあたり前に何の保障がないからこそ、この人と生きて造られた絆・繋がりを、大切にしないといけないと、この人生という歩みに、家族の繋がりに、友達や知人、無数のつながりに、有り難うと、教えてくれます。
お施餓鬼会を、死者の道は、残されたものが示してあげるという考え方こそ、残されたものの、現実を歩む指針となり杖となりえるのだと思い、願うようになりました。

私たち一人一人、生きて現実に歩む道は、夫婦であっても、子どもがいても、ただただ、一本の道が果てしなく繋がっていると、見てもよいでしょう。
親しく亡くなった、父や母、祖父や祖母、さらにその先の亡くなった者が歩んだ道も、それぞれ一本の道でした。

共に、時間を隔てて、別々の道には違いがないものの、親しく亡くなった者の歩んだ道も自分の歩みも、続く道だと気づくことも、また、新しい自分や親しく亡くなった者を発見するものかもしれません。

この道は見えません。ただ今から今へという断絶した今を生きることが、矛盾しながら過去と未来につながることが含まれているならば、そのつながりは、父や母、祖父や祖母を通して先祖へとつながって、今の自分の有り難さへと通じます。たとえ会えない儚さに包まれても、その夢に人が棲んでいるからこそ、儚さも、有り難いことです。

お施餓鬼会は、私たちは世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで、私たちは、誕生し、存在していることの表現です。
この表現は、含んでいながら含まれている。見守っていながら見守られている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれているから分離・独立している。離れていても連帯している。選んでいながら選ばれている。失っていながら得たモノが有る。生きていながら生かされている。無心となっていながら満ち足りている矛盾でした。この有り難い矛盾する関係の中の、有り様の同時という視点こそが、揺れる心の無常世界を活きる智慧となります。

お施餓鬼の法要にて、ご先祖様として捧げる集いと読経は、冥福への祈りであり、同時に今の自分を輝かせるものです。

この思いは、人の内面にかかわるものですから、思い出や、寂しさや安らぎが、亡くなった者から与えられることを祈ります。そして、それこそが有り難いという、感謝の中身といえるものなのでしょう。

それでは、さかのぼった過去の、有縁無縁の亡くなられた方々の命の上に、今の私たちの命は頂いているという自覚を表現するため、参加された方々にとっては大切な戒名、或いは家々のご先祖様を記した廻向帳を、香で薫じて、施餓鬼棚に、奉じ、かかげます。
ジテンキジンシュー  我ら、汝等に、この祈りから供養せん!
 見えないものと、見えるもの、お施餓鬼会も、今の見えないものと見えるものの相対関係を結びつけるものです。見えないものは、永遠、ご先祖さま、未来と将来、過去、全体、世界、人生、平和、象徴、連続、相続、平等、理想、願い、夢、幻、祈り。見えるものは、生きているもの、生きていないものを含めて、今・ここの絶対的事実です。分離することで相対しながらも繋がっているのです。
2019.05.18 Sat l l コメント (0) l top
元号が平成から、令和の令は、うるわしく神様の神意を聞くということから、良いこととなり、和は、和らぐ、そしてなごむです。

しかし、元々は令は命を表し、和は和平や和順など戦争をしていたものを講和によって平和をもたらすことが和の語源でした。つまり人間がいがみ合って、いたずらに命を傷つけないようにということが示されていると思います。

国書である万葉集からは、「うるわしく平和に生きる」民の姿を、日本という国の形に描いたのでしょう。万葉集の和歌の出典時期は、西暦421年の歌からですので、古墳の時代中期になり、(大阪・堺の仁徳天皇陵ができた頃から)、759年頃までの、338年間の、和歌を集めたものです。奈良時代の、天平というくくりの最後で、大伴家持が、万葉集を編纂します。

もっともこの頃から、漢字を万葉仮名という日本式のひらがなに当てはめています。その頃太宰府で、家を持つことが名前になる時代だったのでしょうか。

さて、聖徳太子が誕生したのは、西暦574年で、日本の国が大和朝廷という国家として形成した時期です。593年、初めて女性の天皇・推古天皇が誕生したことは、今から見ると、とても進歩的に見えます。聖徳太子は、皇太子になり摂政となります。

この間の時代は、遣唐使派遣など、町づくりにしても、真四角な町、直線的な道路など、国造りという飛鳥時代を生きた聖徳太子(没年622)でした。
太子の作られた、一七条の憲法、その第一条は、「和をもって、貴しとなす」です。この頃にしては、民主主義もない時代に、革新的な内容です。日本国民の1人1人、それぞれに違いとして認めながらも、和をもって、そのいちいちを「貴しとなす」と宣言されたのでした。

平和は、もともと、戦争する双方が講和をして、戦いが終わったことを意味するのですが、平和の和を熟語から外して、和を独立させたことです。「貴いことは、平等なこと」と、読んだことです。

絵に描いた平等ではなく、理想が理想でなく現実の実相として見たならば、これは当たり前のことでした。ところがこの当たり前のことを、一人一人の個人が当たり前のように受け入れなければ、和が、平等が、貴さが表現できないことも示しています。

それだけ、個人の尊厳が保たれることが、この言葉の中に含まれていることを認知しないと、国民を一つにまとめることができないと、聖徳太子は納得されたのでしょう。

その「和をもって貴しとなす」とする内容を、仏教は、和を同じで、ドウと読み替えて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と読み替えます。この言葉の中に、和と貴さと、人それぞれの違いや個性が表現されています。

一人一人、違いある固有な個人として、同じだけれど同ぜずと、また、同じではないけれど同じと表現します。個人一人一人、それぞれ人格も生い立ちも年齢も、ものの見方も個人としての尊厳も違う人が、何で同じではないのに平等なのだろうと、矛盾することの問いも含まれています。

そこで、赤ちゃん誕生を考えてみました。赤ちゃんは、ものの見方・考え方もないうちに、和の中に生まれてきたのではなかったか?ものの見方、考え方という主観は後天的に取得したものです。

その主観という私の意識は、初めに、家族単位の中、おじいちゃんおばあちゃん、お母さんお父さんという単位の中に、主観を持とうとする赤ちゃんの「私が」誕生します。

先ずは夫婦、あるいは家族という一人一人、個人という独立した主観をもつにも関わらず、和の中に誕生し、育まれ、成長していきます。もともと家族という単位は、「同ぜずして和す」が成り立ちの基本です。赤ちゃんは、保育園、幼稚園に入園しても、その入園生活に慣れてくれば、「同ぜずして和す」という、子ども達は団体生活を学びます。

子どもたちが、そのクラスの体験から得たものは、私という違いの学びのはずでした。

ところが、子どもでも意識していないけれど、生きるため、食べ物を食べて成長するため、自我が発達してきます。これはまた、自我というものを中心にして見ることを身につけていくことです。

すると、「和して同ぜず」、「同ぜずして和す」、が難しく、他人の違いばかりが見えて、私の違いが見えなくなってしまうことです。

人の気持ちや性格、あるいは無意識の中から飛び出す特定の意識は、子ども達も大人も同じなのですが、直感的に、自分の中に、仲良しとそうでないものが、望むことと望まぬことが、理想と現実が、決定する意思と随うことが同居して、好きと嫌いが、主観というものの発達によってそれぞれ異なってきます。

その違いが、どこから来るのかわからない。自我が見えない。指摘されても理解できないというところにあります。

現実は矛盾によって、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と、成り立っているのに、その矛盾がもっとも嫌われる、阻害されて、うとまれることです。

個人は一人一人、私やあなた、それぞれ固有であり独立したものです。ところが現実は、別々のもので相容れないものですが、矛盾しながら和を形作っていることに気づかない。

これって、当たり前のことです。自然界のいちいちの命あるもの、また命がなくとも、そのいちいちは異なって、あるいは違いがあり、形があって、人も自然が成り立っているという事実だからです。

「なごんで、和らいでいながら、同じではない。同じではないのに、なごむ、やわらいでいる」と。

さて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」は、異なるものが和をもってあるとは、異なることと、同じの同が相対して互いに相反するものとして、矛盾しながら、対立しながら同時に成り立っていることです。

どこまでも、世界は異なりながら同じ、同じにして異なるというところに具体的な世界の事実があるということです。

個別の違いや、上下とか、言葉の意味として、異なることを観察することとし、同じや平等、一つや、一緒を観察すること、この二つの見方を学ぶことが強いられといえるでしょう。

そして、その結果、もしドウ、同じのみならば、平等・永遠・連続・相続・人生は、区別はなく、断絶もしていないし、異なっていませんし、変わることもありません。原因があって結果がある因果というものもなくなることに、気づきます。

では、同ぜずばかりであるなら、違いばかり、別々となってしまうでしょう。さらに人生というくくりもなくなり、今ばかりとなります。常にあらず、人生にあらず、平等にあらず、となります。この同ぜず、異なるは、差別、区別・の絶対的事実となります。人生にとっては途中ばかりとなるでしょう。

これは、違いばかりであるなら、平等や平和はありません。やはり世界には、平等や和す、同と書いて同じ、という概念・有り様が不可欠なのです。

世界は、やはり、常に非ずですが、断絶に非ず、同時に、断絶にして常、常にして断絶であることが大切です。

あらゆる個々という違い、異なるのものは、同に集約するのですが、では同は何によって成り立つのか。個々の個によって世界は成り立つことに気づけば、個は同の一部なのですが、同という全体・平等への意味を荷っていることがわかるでしょう。

相対するものによって成り立っていると。同じでないことが同じを含んで、同じは同じでないことを含んでいる。

「和して同ぜず、同ぜずして和す」という、そこからは、平等とは差別や区別によって成り立ち、つまり差別や区別を根拠にして、平等は成り立ち、反対に、差別や区別は、平等よって成り立っていると見ることができるのです。

>そして同じや平等は見えないもので、区別や差別は見えるものともいえます。同じや平等という見えないものを、禅は、違いや異なる典型の私が、無心や空になることにより体感します。

さらに、同と異の法則の現実の世界は、これらの相反するものが常に相い即してある姿と見えてきます。

さらに相反するものの結びつきの関係とも説明できますので、働きかけるものと、働きかけられるものも、二つで一つ。あるいは一つだと。また別の言葉で言えば、働きかけるものは、働きかけられるもので成り立っていると、その逆も同じです。

別に例えれば、商売でいえば売る人と買う人。教育でいえば、先生と生徒の関係、話す人と聞く人など、分かれていながら一体だということが、関係、つながりのあり方となります。

更に言えば、相反するものが、違いがありながら、平等、同じ、和となって貴しとなるとき、より現実的な世界のあり方となるのです。

また私たちは、よく自由を欲します。実は、自由と必然の関係も同じように、必然にして自由、自由にして必然の関係で、別々でありながら同という関係に気づくことなのです。
2019.05.01 Wed l l コメント (0) l top
元号は、江戸時代では幕府が、災害や戦乱・吉事などにより随意に変えていました。
つまり、天皇陛下の代替わりもありましたが、その時の自然の驚異に、政治的なもの、戦乱など世相的なもので気分一新ということらしいのです。確かに、上皇が退位されて、現天皇が即位されましたが、昭和から平成の時代変遷に比して大きく違っています。

新天皇が即位されたのは、過去には光格天皇の例がありました。
光格天皇と言えば、安永(1772-1781)・天明(1781-1789>)・寛政(1789-1801)・享和(1801-1804)・文化(1804-1818)の元号の時代に天皇としての執務を遂げられた方でした。 
光格天皇の在位期間は、安永9年(1780)1月1日より文化14年(1817)5月7日ですので、37年と5ヶ月間ということでしょうか?
その間の元号は5つも代わっていました。

徳川幕府では、徳川家治・家斉の時代、大老・老中には、田沼意次、松平定信ほか19名もいました。また家治の義理の甥にあたる光格天皇であったことから、幕府との関係も悪くはなかったのではないかと考えられます。

さらに光格天皇は、中世以来絶えていた朝廷祭式の再興、と朝廷の権威復権に熱心だったことから、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されて、尊皇思想の下地を作って、明治維新への入り口を作った天皇であるとも考えてよさそうです。

また学問詩歌音楽に秀でていたこともあり、公卿の大学寮再建を構想されましたが、次の仁孝天皇に託して学習所として竣工しました。これが後の学習院の前身となりました。光格天皇は仁孝天皇に譲位し、翌々日5月>日に上皇(太上天皇)なりました。

平成から令和と代わる道筋がこの光格天皇から出ていることがわかります。

話は変わって、日本史瓦版に、『京都に天明の大火が起こったのは天明8年(1788)1月のことだが、焼け出された光格天皇は聖護院に仮住まいとなり、公卿たちもそれぞれ町屋で仮住まいすることになった。

ところが、堅苦しい屋敷住まいから解放された公卿たちの中には、羽目を外して非行に走るものもいて、寛政元年(1789)の秋に老中松平定信は関白・鷹司輔平と相談の上、それら公卿18人を処罰した。消失した御所は寛政2年に再建されたが多くの公卿たちは、まだ町屋仮住まいを余儀なくされていた。そして前年の処罰にも懲りず、またぞろ不行跡をつづけていた。寛政3年に、これら悪質な公卿たちは、一斉に隠居逼塞を命じられた。』と書かれていました。天明の飢饉で、伏見義民の事件があったときの天皇だったのです。

昔の京都の地域ニュースですが、光格天皇も苦労されたのですね。ちなみに光格天皇が住んだ皇居は、土御門東洞院殿で、後の京都御所の原形となった場所でした。

明治になってからです、元号一代の時代になったことは。今さら何をと思うのですが、明治以前の元号制度も昭和の大戦による元号制度も、一代限りの元号制です。ただ違うのは、昭和憲法により、国民統合としての象徴像は昭和天皇が初めてだったことです。
平成という元号は、「内平外成(内平らかに天成る)」史記、「地平天成(地平らかに天成る)」書経から典拠したものでした。元号からいって天は天皇と結びつきますが、庶民としては、内や地は人間一人一人の心として、天は日本とか世界に当てはめてみれば、自己と外との関係になります。

それから、令和の令は、万葉集「令(よ)い月」と風和(なご)やか」から取ったことが報道されています。令は、命という漢字から口を除いた年令の令です。言葉は意味を表し、言うよりは聞くことから、神様の神意を聞くということとなり、さらに自然/世界の声を聞くこと>、困った人の声を聞く>ことが、良いことの意味になります。

和とは、もともと単体の漢字ではなく、和平や和順など、戦争をしていたものを講和によって平和をもたらすことが和の語源でした。戦争や争いを治める熟語となるのですが、その熟語から、和を独立させたのが聖徳太子です。

万葉集には、このような中国から渡来した漢文を、大和言葉にした使い方が示されています。和は、和(やわ)らぐ、和(なご)む、安らいだ響きがあります。和(なご)む和(やわ)らぐことは令(よ)いこと、と単純に解釈してよいのではないかと思います。

上皇、現天皇も含めて行啓は、地球の十五周半と文筆家の加藤直樹さんは計算しました。その足跡を分類すれば、慰霊とゆるし、慰問と同調に励まし、聴くことに徹して、うなづきと微笑み、祈りと願いを含んでの生涯の大半を旅に尽くしたようです。それを新聞やテレビのニュースでは意見し、痛々しく見えるときがあります。

日本国民統合の象徴というと、具体的な姿が描けないからです。象徴とは、陛下のいう身の丈は、目線か。徹底して膝を折り、何度もうなづいて聞き入れる、「お身体をお大事に!」「元気にお過ごしてください」と聴くと、際限のないやさしとなって、………行為やたたずみの中に、200年かかって現れるものかもしれません。
そういえば、上皇は靖国に行かなかったなと、これも、上皇の強い思いなのはだろう。それに、賢所の祭祀も、日本の先祖という、また別の供養なのかと、ふと思う。
2019.05.01 Wed l うつつ l コメント (0) l top

 私の父が亡くなって、母の静かさが気になりました。母の思いのなかに、父と遠ざかっていくという、この尋という深さがあることを考えたものでした。お寺の住職をしていれば、お檀家さんが、「今日は、祥月命日で!」、「今日は月命日で!」と目にします。

 「あれから何年もたった、10年たった、20年たった」と墓参に来られる。しかも記憶は、過去の記憶でありながらも、今の記憶です。幼かった頃も、10代、20代、30代…………と今の記憶です。鮮明に思い出すものも、忘れてしまったものも、今の記憶であることから、深さや長さとしての記憶として感じる。もっとも、遺影やスナップ、遺品などが近くにあれば、すぐ近くにいると思うこともできる。

人間の心とは、他者との関係性の中に生きる意識の誕生ですので、その関係を完全に断ってみれば、心は生じないことになります。人と人、人とものなどの間にこそ、心は生じると言っても過言ではありません。

 古語に、「十尋(ひろ)の水底は見えても、一尋の人の胸の中は分からない」ということわざがあります。

 手を左右に開くことを、尋(ひろ)といい、これが一尋の長さという。さらに尋は左右の手を重ねる形でもあることから、手を重ねるは、温める、親愛を現し、あるいは接するなどの意味もあるのでしょう。下記の1~8が当てはまる距離になります。

1、神仏の所在を尋(たず)ねる。

2、さぐる、ききただす、ものを問う。

3、考える、すじみちを考える。

4、かさねる、つぐ、いたる。

5、あたためる、いやす、包む。

6、ひろ、ながい、ふかい、浅い、たかい、ひくい。

7、つねの、なみの。

8、ついで、まもなく。

 この8つを、故人との距離として見ることもできます。私と故人と間としてですが、その私とは、その都度の年代の私としてです。

 人の心ほど解らないことはありません。それは対象をもって心があるために、案外、自分のことは、あるいは、すぐ近くにいる人の心も解らないものです。

 心が無心で寛大なときは、すべてを受け入れられるくせに、一旦、こわばると、何一つ受け入れることができない一尋の人でもあります。

 後になって、反省しても、どうしてあんなに怒っていたのか、感情が高ぶっていたのか、思い込みの激しさに何も見えなかったと、よくあることであり、これが人間の現実であり、すべての人の共通の姿ではないでしょうか。

尋は距離を表しますが、その距離を測ることを等身大の尋の本質として、1から8までの意味を持たせたような気がいたします。

 そして人間は、時間を含めて距離をもち、その距離の関係を問い、その問いは問い自身に意味があり、その意味の中に答えをもって一喜一憂しているともいえます。思い描けば千尋となり、究めれば極尋と。 

 人は、喜びを尋(たず)ね、自分自身を咲かそうと尋ね、心を尋ね、安らぎを尋ねる。一尋の中に心が在り、千尋の中に心が在る。その関係そのものを私の心と見出してから、もう何年と経っています。

 その関係の中身は、気に入らないのは、自分が気に入らないのであり、自分の心を振り返ることができないからです。人を憎むことも、実は人が憎いのではなく、自分の心が憎いことになります。その憎い心を持ち続けて生きているなら、憎さの被害者は、他人ではなく自分自身です。

 お釈迦樣という悟ったものからすれば、すでに、自分がないのですから、他者を含めてというところに自分が見えてきます。すると、他者を傷つけたり痛めたり、嘘を語れば、自分を傷つけ痛め、自分を分離することになります。人を殺せば自分を殺すことになります。もともと自分が無かっただけに、このことに気づくことを修業や祈りとすれば、気づくことで、私が生まれる以前より、それが私だったと表現するものです。

 人の心は関係そのもの、憎さを持ち続けて暮らしていけば、自分自身の人生自体が憎さに満ちてしまうものです。

 禅は、その道を、昇らずして昇ると言います。ここに否定という意味が隠されています。「空の故に縁起」とも、「無心」とも言い換えることができるのですが、昇るという連続した行為の今は、足もとの一歩であり、「千里の道も一歩から」、「曲がりくねった道も、まっすぐの一歩」こそ、昇らずして昇る姿であり、すべての人も、距離という長さではなく、一歩を踏み出す匠(たくみ)な人生を歩んでいると考えています。

 あの頃の親としての一歩、よそおう一歩、子どもの頃一歩、もっともそれは今の私ではないのですけれど、過去は今の一歩に寄り添うが如く在ることも事実です。

 私たちは関係、尋そのものを通して学びます。そのことによって自分の人生の意味を深めることができるのでしょう。

 法句経の言葉に、「錆は鉄から出てきたものであるが、だんだんその鉄を腐らせてしまう」があります。

 錆は鉄をくさらせますが、心はくさらせたモノにただ気づくだけで、心を取り戻せることができます。

 尋ねるは問うことであり、心の中の距離や時間をたずねることでもあり、考え、至るを含んでいる心とでもいえばよいのでしょうか。

 仏典リグヴェータには、「一つの真理に対して、賢者たちはいろいろに表現している」と書かれています。事実は事実ですが、人間はその事実に対してさまざまな見方・いろいろな表現をしています。これも事実です。

 誰もが、きっと身の丈の尋をもって、尋ねているものです。でもその身の丈の尋は、字通の1から8までを。そして答えをいくつも持っていたのだと思います。
2019.02.01 Fri l つぶやき l コメント (0) l top

昨年は、123日の白根山の火山噴火から始まり、49日には島根県西部地震、618日には大阪北部地震、7月豪雨では西日本の各地で記録的は被害が発生しました。96日には北海道胆振東部地震が発生しました。

台風も、12号が729日三重県伊勢市に上陸して西に向かって逆走台風となって高潮被害などの多くの被害が発生しました。823日には20号が、94日には、21号が徳島県南部に上陸し大阪神戸では1961年の室戸台風の記録を超えたといわれ大きな被害をだしました。さらに台風24号が沖縄、鹿児島に、9月30日には和歌山県田辺市に上陸し福島まで風の影響で倒木の被害や水害など大きな災害を起こしました。

また地球温暖化で、2018年の猛暑は、記録的にも統計開始以来最も高くなりました。これら列記した意外にも、地域によって土砂災害、高潮水害に倒木被害等々、風による被害がありました。新年早々、多くの亡くなられた命に悲しみをもち追悼の意を表します。災害に遭われた方々の、一刻も早く元の生活になれるよう願っています。

さらに過疎化、少子高齢社会、格差、パワハラ、日本列島だけではなく、世界中が多様性を崩して、そこに暮らす人々に多くの苦痛、困難に不安が重なります。さらに日本を支えてきた高齢者をターゲットにした振り込め詐欺には、憤りをおぼえます。

今年最後になる平成という年号の記す意味も、「内平らかに外なる」、「地平らかに天成る」で、人々の平和への希望を願ったものでした。

人は誕生したとき、誰でも、気づかないけれど、自分の荷を背負っているものです。

 2011年3月11日以降は、あどけない、無垢な子ども達にとっても、未来に生まれる子ども達にとっても、共通な生きる重さを背負って人類は歩んでいるとことを、忘れてはいけないと思っています。

 そして、そんな時代になってしまったからこそ、この世の中に、明るさを求めて歩み続けたいし、温かい心を失いたくない。すべての人を限りなく見つめて、愛さねばならないし、さらに動物や植物、地球や宇宙までも含めて、命あるもとしてかかわり合いたい。

 この困難な時代に、思いも掛けず亡くなってしまった多くの方々に代わって、自分が今、生きているというこの事実を見つめたい。

 考えて見ると、頂いた命も、ほんの少しの間、しばし留まるだけの命だから、感謝し、生きている間、他の頂いた命を持つ人たちと、あたたかい心を、ほんの少しの間だけれども分かち合わねばならない。

 次々と訪れる災害に、心配や苦しみは、むしろ人生の道しるべとしたい。生きる糧(かて)としたい。この災害に、いったいどんな意味があるのか。なぜこんなことになったのかとの問いも、それは、背負って立つことのあかしだ。

 この事の自覚は、自分への励ましではないか、すると、新たな想像力として、意思の力となってみなぎり、養えるはずだと気づく。

 この時代の平和の条件は、日常の至る所に無数に散らばっている。どんなことに出会っても慎ましさと、他者への慈悲の気持ちを忘れないことではないのか。それが智慧ではいか。

 家の外で、子ども達のにぎわう声がする、ただそのことに、嬉しさとなって、日常の些細なところにあるのであって、大きくて多いものにおいてあるのではない。

 今日の朝の目覚めに、頂く一杯の水に、お早うという言葉に、玄関を開けて外の空気を吸おうとしての歩みに、或いは、足を引きずりながらも進む歩みに、嬉しさを感じないだろうか。

 人生の生き方を知る、真の人とは、生きている輝きに気づくことだ。

 耳を澄ませ、目を注ぎ、味覚を養い、身体で触れても、その感触や思いを、鏡のように心に留めないで、刻々と生きれば、一瞬一瞬の時を知るものとなって、天の国はすぐそばにあるものだ。

 これこそ、平成という「内平らかに外なる」、「地平らかに、天なる」という、生き方を知っていることだ。

 谷川俊太郎は、「どんなに小さなものを愛してさえ、愛することさえ出来たら、私たちは孤独ではない。愛することで私たちは世界と結ばれている」と。

 愛とは、慈悲のように私たちを生かすものです。また、愛は、結ぶという行為の意味があることから、究極において、全体への一つの力です。しかも同時に、結ぶことは結ぶことで分離する意味もあることから、孤独をなくすことでもあります。

この関係を、仏教では「縁起の故に空、空の故に縁起」と説明します。縁起はつながるという行為ですので、その繋がることで、孤独は愛するという行為により空となり、世界と結ばれます。

 縁起とは、つながるとは、否定の故に成り立っている関係とすれば、逆もまた正しく、否定の故に縁起があると、縁起とは、あらゆるものの関係を伴った動きです。

 ここまで語ってきて、愛とか、つながりとか、縁起や空という言葉など、一度も使わずに、孤独で一生を過ごす人だって沢山います。

 その人たちが愛をもっていなかったのだと考えたら大間違いです。その人たちの方がかえって、本当の愛をもっていたかもしれません。

 この関係に気づくことで、もしかして、むさぼり、いかり、ねたみという矛盾や葛藤という孤独の欺瞞に満ちた今の孤独が、消え去り、逆に、生きる力として、喜ぶべきものとして、目覚めることを願っています。

 そして私たちも、矛盾と葛藤を、そのままに、人生を生き抜く力にまで高めることが出来るはずなのです。

何故なら、人は世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで人は誕生し存在します。その世界は、含んでいながら含まれている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれていながら離れている。独立しながら連帯している。選んでいながら選ばれている。生きていながら生かされている。

 ただ心配なことは、孤独というものを対象化すれば、世界も固定されてしまうことです。

2019.01.02 Wed l l top

なんまんねん・なんおくねん・こんなに・すきとおる・ひのひかりの・なかに・いきてきて・こんなに・すきとおる・くうきを・すいつづけてきて・こんなに・すきとおる・みずを・のみつづけてきて・わたしたちは・そして・わたしたちの・することは・どうして・すきとおっては・こないのだろう……

 まどみちおさんの詩、「どうしてだろう」に、納得いったら要注意です。人は、光のまぶしさ、さわやかな空と風、のどを潤す水、草木の緑を浴び、我を忘れて楽しい会話ができるのに……

 今年1年の、ご清勝を祈念申し上げます。

              平成31年正月

 

2019.01.01 Tue l 未分類 l コメント (0) l top
今年の4月から青少年対策富岡地区委員会という地元組織に参加して、とにかく1年は委員として奉仕しようと決めました。
7ヶ月経って、小中学校などの現況に触れるほど、この変わりゆく姿に危機感を覚えます。

平成30年10月25日、全国国公私立小中高等学校の「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校生徒指導上の諸課題に関する調査結果」を文科省が公開したことを知りました。

 この調査は、暴力行為、いじめ、出席停止、長期欠席、自殺教育相談、中途退学などを全国の小中学校と高等学校に対しておこなったものです。調査の結果を拾ってみました。

1)小・中・高等学校における,暴力行為の発生件数は63,325 件(前年度59,444 件)であり,児童生徒1,000 人当たりの発生件数は4.8 件(前年度4.4 件)である。

2) 小・中・高等学校及び特別支援学校におけるいじめの認知件数は 414,378 件(前年度 323,143件)と前年度より91,235 件増加しており,児童生徒1,000 人当たりの認知件数は30.9 件(前年度23.8 件)である。
なお,前年度調査における児童生徒1,000 人当たりの認知件数の都道府県の差が,最大で19.4倍となっていたところ,今回の調査結果では12.9 倍となっている。都道府県の差がなくなっている。そして、いじめ防止対策推進法第 28 条第 1 項に規定する重大事態の発生件数は474 件(前年度 396 件)である。
いじめ防止対策推進法に関する「地方いじめ防止基本方針」等の策定又は設置状況は,次のとおりである。

3) 小・中学校における,長期欠席者数は,217,040 人(前年度206,293 人)である。
このうち,不登校児童生徒数は144,031 人(前年度133,683 人)であり,不登校児童生徒の割合は全体の1.5%(前年度1.3%)である。

4) 高等学校における,長期欠席者数は,80,313 人(前年度79,391 人)である。このうち,不登校生徒数は49,643 人(前年度48,56

5 人)であり,不登校生徒の割合は全体の1.5%(前年度1.5%)である。
5) 高等学校における,中途退学者数は46,802 人(前年度47,249 人)であり,中途退学者の割合は全体の1.3%(前年度1.4%)である。

6) 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は250 人(前年度245 人)である。小・中・高等学校及び特別支援学校における,いじめの認知件数は414,378 件であり,
  この認知件数は,小学校317,121 件(前年度237,256 件),中学校80,424 件(前年度71,309件),高等学校14,789 件(前年度12,874 件),特別支援学校2,044 件(前年度1,704 件)。全体では,414,378 件(前年度323,143 件)。

 さて、全国小学校児童数、6,463,416名中、不登校は例年更新して35,032名です。中学校では、3,357,435名中、108,999名でした。

 記載されていた平成3年度の小中学校児童生徒合計が、14,345,743名で、不登校児童生徒数は66,817名なのです。
平成29年度小中学校児童生徒数の合計は、9,820,851名で、不登校児童生徒数は、144,031名です。
子ども達が減少したにもかかわらず、不登校児童生徒数は3倍近く増えています。

病気や経済的理由による欠席は、不登校として扱われていません。少しでもいじめの傾向があれば児童や生徒の命を守るために警察や児童相談所に通報されるようになったことも増員の影響結果となったようです。
この結果、長期欠席者の合計は206,293名で、そのうち何らかの病気による長期欠席者は45,362名ですので、経済的理由や不登校などの欠席者は、160、931名にもなっています。

また10月30日、文科省が、「教員勤務実態調査平成28年度分、分析結果および確定値公表」と発表しました。

その内容は、毎日新聞の夕刊速報によると、『1日の平均実勤務時間は11時間17分。職種別で見ると、最も長いのは「副校長、教頭」で12時間33分。1日8時間労働とすると、連日4時間半の残業をしていることになる。月20日間の勤務と考えると、「過労死ライン」の80時間を大きく上回る計算になる。過重勤務の防止に向け必要な対策を尋ねると、教職員の78.5%が「教員の増員」と圧倒的。次いで多かったのは「学校行事の見直し」(54.4%)、「教員同士のコミュニケーション円滑化」(43.1%)。「校内会議時間の短縮」も38・8%を占めた』と、記事でした。

今年、小中学校校長先生、副校長、教員の先生方の表情を見たりしたものの、その穏やかだった様子が変わってくるような、そして、この数字に上乗せされた数字が出ることは確実のような気がします。

全国の小中学校高等学校の悩みは、地域の悩み、家族の悩み、ご両親の悩みと共有することが何よりも、他人事ではなく、必要なことだと思うのです。

 世界は違いによって成り立っていますから、その違いをそれぞれの人が等しく観察し受容したとき、平等な世界が実現します。
また、私たちは、他人の違いはよく見えますが、よく観察できますが、自分の違いはなかなか見えないものなのです。

 このことは、私とは他人と比較できることが難しいことからではないでしょうか。自分自身の変わりゆく姿と意識の持ち方は可能性を秘めています。変わりゆく私という違いは、変わり続けることで成り立っているからです。それは、どう私が生きるか、生きる私と、常に今、問われているからです。
2018.10.31 Wed l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
平成二十二年六月の末のことでした。
所用で、町内のKさんの家にお邪魔したときのことでした。昭和六十一年四月十八日生まれのH君は不在でしたが、久しぶりにお母さんとお話しをすることができました。
 H君は、身体障害者であり、精神的にも発達障害をもっています。さらに、テンカンを持つことから、現在二十四歳であっても、一人では散歩もできない子です。
 小学生の時からずっと、毎朝、お母さんが電車でH君と通学する姿に、朝の挨拶をして、見守っていました。母と子、あるいは父と子の連れだって歩む姿は、今も同じです。
 遠くから、その姿を見ているだけで心が痛みます。
 今、週に三日ほど、障害者の福祉園に通っていることをお聞きいたしました。行かない日はヘルパーさんが来て散歩をする日々です。そのヘルパーさんとは、相性があり、H君のコンディションもありと、思うようにはいかないようです。その日は、福祉園に行っているとお聞きしました。そろそろ親離れの練習でもしているような気がしたのです。

 お話を聞き、思い出したことは、障がい福祉部会で、昨年十一月二十日、亀戸福祉園を見学したことでした。七ヶ月も経っていましたが、あらためてよく知るH君が、今、通っていると、その様子が浮かび上がるから不思議です。
 見学したときは、素通りするように見学した施設も、見知っている子が通っていると知るだけで、あらためて、とても有り難く思えるのことに、人の気持ちの身勝手さを思いました。
 そして、思ったことは、やはり、この親と子の未来の姿です。
 障害を持って生きる家族にとって、私が想像するよりは、はるかに多くの葛藤を背負って生きていることを思います。
 それでも、未来を考えることは必要だと思うのですが、その考えられる未来を悲観的に心配するよりも、今を、たくましく生きる姿を見たいと願うからです。
 こんな詩に出会ったからです。子と母の詩です。

 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです
 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん
 おかあさん
 あなたがそこに いるかぎり
 
 この詩に対して、母が詠います。

 私の息子よ ゆるしてね
 わたしのむすこよ ゆるしてね
 このかあさんを ゆるしておくれ
 お前が 脳性マヒと知ったとき
 ああごめんなさいと 泣きました
 いっぱいいっぱい 泣きました
 いつまでたっても 歩けない
 お前を背負って歩くとき
 肩にくいこむ重さより
 「歩きたかろうね」と 母心
 ”重くはない”と聞いている
 あなたの心が せつなくて
 わたしの息子よ ありがとう
 ありがとう 息子よ
 あなたのすがたを見守って
 お母さんは 生きていく
 悲しいまでの がんばりと
 人をいたわるほほえみの
 その笑顔で 生きている
 脳性マヒの わが息子
 そこに あなたがいるかぎり

 奈良県の桜井市に、昭和三十五年に生まれた山田康文君という子がいました。この子は、生後十二日目から黄疸が出て高熱の症状がありました。お母さんは奈良県立医科大学にて診察してもらいました。検査の結果は、脳性麻痺だったそうです。お母さんは、普通のお母さんが心配するように、多くの病院を訪ねたそうです。そして、治療や訓練を施したとも語っています。それこそ、子供を道ずれにして、死ぬことも考えたそうです。
 この詩は山田康文君の心の中から、養護学校の向野幾代先生が掘り出したものです。
 「ごめんなさいね おかあさん」だけで一ヶ月という時間がかかったそうですが、完成するまでの時間に、どれほどの苦労があったか、想像を絶します。
 そして、息子の詩に、お母さんが答えて、詩を創りました。そして、なんと、康文君の作品が完成して、二ヶ月後に彼は亡くなりました。
 「ごめんなさい」と康文君の全存在に、深い悲しみがあります。その悲しみに対して、お母さんは、「悲しさこそが美しい」と教えます。背負うわが子の「重くはない」の優しさに、「あなたの心が切なくて」と、お母さんは生きる力を受け取ります。
 息子が亡くなったあとの、母、京子さんの言葉です。「今までは、息子の幸せしか考えられない母親でしたが、今はすべての子供の幸せを願う母親になりました」と。
 本来、人は誰でも持っているはずの、慈しみと悲しみの花が咲く姿に、人間の素晴らしさを、教えられました。
2018.09.14 Fri l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top
地球のいただきに7,000年という年月をへて暮らしてきた民族が揺れている。揺れているどころか、そこに文化を継承して住めないのだ。地球のいただきという神秘の扉の中に暮らすからこそ、伝わって生きてきた神秘が途絶えようとするあえぎのような気がする。
 多くのいただきの民族が山から追われて、地平に暮らすことを考えてみただけで、ぞっとする。あれから50年が過ぎているからでもあります。
 赤茶色の衣を着たラマ僧たちの敬虔さ、そして、チベットの人たちの聖地への旅姿を見るにつけ、それは、遙か彼方に向かって五体投地を繰り返しながら何ヶ月かけて旅をする人たちの姿に、圧倒されるからです。

 チベットの創世記は、水中の山脈が隆起したことから始まります。そして、この物語は、水が引き4,000メートル級の高原が誕生したことから始まり、今に至っています。
 サンスクリット語で、雪の住みかというヒマラヤが誕生し、その雪の国に最初住みついたものたちは、野蛮な聖霊や動物といった物の怪たちと、彼らの伝説にあります。
 その雪の国に、やがて人々が誕生するわけですが、その人々の子孫は、観音菩薩にさかのぼります。それは、觀音菩薩の化身としての1匹の雄猿と、ターラ菩薩の化身である鬼女です。この二人は、ヤルルン渓谷(古代王朝発祥の地)にて結婚し、6人の子供を産みました。その子供たちこそ、チベット民族のさきがけです。この古事により、チベットという名は、慈悲の菩薩、觀音菩薩の地という名前が付されたということです。
 人類の起源が類人猿ということに驚きはしないものの、鬼は想像がつきません。しかし、鬼は、類人猿よりも精神面や容姿において人間に近い存在といわれていることに、彼らの創造性豊かな感性を感じます。
 そのチベット人による王国が誕生したのは、紀元前127年のことです。そして、やがてチベットは、チベット人により統一されるのですが、7世紀に入ってのことでした。その頃の宗教は、ボン教という教えであり、栄えていたということです。
 チベットに、インドから仏教が広がるのは、8世紀です。またたく間にチベットに広がったのですが、ボン教にその広がる下地があったからです。
 幾多の変遷をたどって、仏教は、人々の信仰を築きあげます。13世紀にはいると、チベットはモンゴル帝国により統治されるのですが、チベット仏教は皮肉にもモンゴル人の心を改宗させてしまいます。モンゴルにチベット仏教が伝わったのはこうした理由によるものです。
 そして14世紀の後半、チベット仏教は教理と実践による一大体系となり、宗教国家として現代に至っているといえるでしょう。
 仏教には三宝という仏・法・僧がありますが、チベット仏教は、それに、生き仏が加わり、四宝という特色があります。今、ダライ・ラマとパンチョン・ラマという言葉がニュースに伝わっておりますが、ラマとは活き仏のことです。そして、その特色は、小乗、大乗、密教(タントラ)を体系にまとめあげて、実践の指針を提示していることです。
 チベット仏教ゲルグ派の高僧ゲシェー・ロサン・ケンラプ師の法話が、http://www.tibethouse.jp/culture/shine.htmlにあります。師は、ダラムサラのネチュン僧院で教えていて、2002年の夏に来日いたしました。
 《私たちは他の存在を味方・敵・無関心な相手の三つに分別します。このような分別を行うのも自分自身へのとてつもない執着心があり、なんとしても自分を守りたいと思っているからです。自分の味方である存在は慈しみ、自分の敵である存在には怒りをおぼえる。さらに愛着も怒りも覚えない無関心な相手というものがいる。怒り・貪(むさぼ)り・無知の三煩悩(さんぼんのう)はこれらのものが基盤となって生じるのです。 
 ですから他者を味方・敵・無関心な相手の三つに分別してはいけません。そもそもそう分別する理由さえないのです。敵も味方も真髄(しんずい)を欠いています。今あなたが敵だと思いこんでいた相手が、将来味方に変じたり、味方だと思っていた相手が敵に変じたりすることもあるわけですから。また今、大したことのない相手だと思っていた存在が、将来あなたにとって、とても有益な相手になることもあります。こうした事実はわざわざ経典にあたる必要もありません。そのことについて思い巡らしてみれば、そうとわかるはずです。一時たりとも離れ離れになっているに忍びない愛しい相手が、いつしかその名前を聞くだけでもむかつくような相手になっている。反対に、最初はなんて嫌な相手だろうと嫌悪していた相手が、いつのまにか限りなく愛しい相手になっている・・・。 
 私は別に敵も味方も存在しないと言っているわけではありません。敵も味方も存在します。ただ、敵であるから憎(にく)む、味方であるから愛するという態度を捨てて、どうしてあるものが敵と感じられ、あるものが味方と感じられるのか、その理由を理解し、敵味方を分別するような態度を捨てなさいと言っているのです。 》
 ダライ・ラマ14世が、「自己保存のための他者に対しての大切にする思いやりは限界がある。しかし、智慧にてその思いやりを普遍的なものにすれば、その思いやりを敵に捧げることは可能だ」という言葉は、ゲシェー・ロサン・ケンラプ師の言葉と同意です。
 
 チベット仏教をアメリカやヨーロッパに一躍有名にしたのは、『死者の書』です。《チベット「死者の書」の世界(中沢新一著 角川ソフィア文庫)より》

 それはチベットの山々のはるか彼方のこと。一人の村人が、今、死を迎え、最後の儀式と作法をのぞんでいる。家族は、親しいラマ僧を、その男の臨終によんだ。
 ラマ僧は、お寺にはいり、読み書きや呪文の教えを受けた十歳になるかならない小坊主を連れて、山を越え、谷を渡り、死者になろうとする家へいそぎました。
 その家に着くと、そこで、すぐさま、死に逝く者に添って、観察し、導くのでした。
 帰路、ラマ僧は、この小坊主にも、そろそろ、教えの扉を開いてよい頃だと思います。それは、人の死を目の当たりにし、この小坊主とラマ僧との信頼がなした故にです。
 ラマ僧は、小坊主に説きます。
「心(生命存在)とは、それぞれの生命組織の中で活動している状態のことをいう。ミミズはミミズという生命組織をとおして、自分の世界を生きているし、犬は犬、餓鬼は餓鬼、人は人の生命の条件にしたがって自分の世界をつくり、それを生きることになる。それぞれの生命体が、自分のまわりにつくりだしている世界というものは、その生き物にとってだけ意味をもつ世界だ。心はその中をいきながら、自分は根源に達していると感じることができない。だから、途中(バルド)なのだ。」
 数日後、このラマ僧と小坊主は、火葬にした、あの死者のいなくなった家に行きます。そして、死者の意識に向かって経を唱え、祈り、さとし、力を与え解脱、そして再生へと向かう死者の意識を、輪廻から觀音菩薩の慈悲に導くのです。
 この菩薩の慈悲への導きは、死者の意識が持つ幻影や記憶を遮断するためです。なぜなら、人の意識は途中にあるために、意味を解体しなければならないからです。
 なぜ解体しなければならないか、それは、意識は貪(むさぼ)り・怒り・愚かさを含んで、死してなお、再生に向かう途中に影響を及ぼすからです。
 
 ラマ僧は小坊主に言う。「有機体でできたこの身体はかならず滅びる。でも、生命はそれぞれの生命の死を超えて、流れ続ける。心の流れが、とだえないから、生命には再生があるから、人は世界に対して、本当に優しくなれるのだ。」
 「この世界にある生きもので、一度たりともお前のお父さんやお母さんでなかったものはない。この牛をごらん。今は牛だが、過去の生ではお前のお母さんだったことがある。そのとき、お前に優しくしてくれたはずだ。」
 「さあ、觀音菩薩による救いの力を待とう」と小坊主に呼びかけるのですが、死者の意識の力にかけるものであります。そのかけは、死者の意識が、死ぬことが、単なる苦しみではないのと同じように、生まれてくることは、喜びでだけではないからです。だからこそ、生と死のむこうにある、心の本質を知ることが求められます。小坊主がすこしずつ解りかけてくると、ラマ僧は、昔、インド人からおぼえた言葉を、小坊主に教えます。
誕生のときには、あなたが泣き
全世界は喜びに沸く。
死ぬときには、全世界が泣き
あなたは喜びにあふれる。
かくのごとく、生きることだ。
 死者の書は、最期にいたって、この言葉で結ばれています。生きる指針として人間賛歌の言葉でもあります。この言葉ゆえに、ラマ僧は、死はすべてを奪うものではなく、ほんとうの豊かさをあたえてくれる機会だというのです。
2018.09.13 Thu l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
陽岳寺の朝は、先ず葛西橋通りと清澄通りの歩道掃除から始まり、お墓と前庭へと続きます。

季節によって、ちり取りに入るものは違うのですが、一年中落ちているものに「タバコの吸い殻」があります。

今、都区内では何処でもタバコのポイ捨て禁止のはずなのですが、堂々と歩道に捨てられています。

若い人も、壮年のサラリーマンもお年よりも、タバコが短くなって吸えなくなったらポイ捨てです。

そのために、マナーとして携帯用のタバコ吸い殻入れがあると思うのです。

吸い殻入れのケース持参の人もいると思えば、少なくなったと思えばよいのでしょうか。

ポイ捨てされたタバコの吸い殻も、踏みつけられて消された残害、火が付いたままにポイ捨てされた残害、まだ火も付けられずにそのまま落としたもの、電子タバコの吸い殻、タバコがなくなって空になったタバコの空き箱も、ポイ捨てです。

タバコ吸い殻のポイ捨てをしながら、何か大切なことを、ポイ捨てし続けている気がしてならないのです。

ゴミを捨てるということが、悪いことであると全く何も感じない人、少しは「いけないことをしている」と感じるけれども誰も見ていないからとポイ捨てする人、さらに掃除をする人の気持ちなど考えることがさらさらない人。

意識の中に、悪いことをしていると少しでもあればよいのですが、それが習慣となって癖となってしまったら、大切なものをポイ捨てして取り返しの付かない大きな事件となって、一生をふいにすることもあるから要注意です。

ポイ捨てされたものは、吸い殻だけではなく、車が通る道路の路辺にも落ちています。

これは、歩道を避けてポイ捨てしたものですが、ポイ捨てした人の気持ちが想像できますので、道路を汚して悪いことをしたなと、少し思い測って掃除をします。

お寺の駐車場にも、吸い殻のポイ捨てが、必ずあります。

タバコが会社の中などで吸えなくなって、わざわざ寺の駐車場に来て、誰も見ていないからと申し訳なさそうに吸っていたサラリーマンがいました。

それを見て、「たのむから、吸い殻はポイ捨てしないでくれ」と言ったことがありました。

彼は、「ハイ」と言ったものですが、今でも駐車場にも落ちています。

自分が住んでいる住居や建物の入り口に、吸い殻が投げ込まれたら、悪意を感じ嫌な気分に、あるいは腹立たしい気分になることもあるでしょう。

人によっては、そんな反応することもあると浮かばない人がいたとしたら、救いようのない人となり、昔の言葉でいえば、「親の顔が見てみたい」となるかもしれない。

これは、現実に起きていることなのです。

気づかないのは、あるいは気づいていても、自宅内でポイ捨てしますか?

最近はゴミ屋敷の騒動が、世間を騒がせることもあるのですが、居るのです。

また宴会シーズンなど、たまに歩道にゲロがあります。

長年経験していることは、きっとゲロする身体の調子によりと思うのですが、掃除をしにくい場所だったり、わざわざ門の前とか、ところを選ばずにゲロはあります。

水道の蛇口にホースを繋ぎ水で流して、道路の下水口に流し込みます。

また歩道の緑樹帯にゲロがあることが必ずあります。ナマの場合は土で覆って乾いたらすくい取るのですが、何と鳩が群がり綺麗にしてくれることもあるのです。「そんなもの食べては駄目だよ」と、追い払っても鳩が掃除を手伝ってくれることもあるのです。

外出の機会がたびたびあり、その都度、歩いてその街を見ます。

いろいろなゴミや落ち葉が落ちて、汚い通りを見ることがたびたびあります。

大きなビルやマンションなどは、管理する人が掃除をしていますが、中にはきたない状態で街の美観はどうなっているのだろうと思うこともあります。

掃除をする人が居ないと、汚れてその地域全体が、汚れに染まるから要注意です。

小学校や中学校の先生方も通りますが、先生方からよく聞く言葉は、「転勤してきて、深川の街が綺麗なのには驚きます」と、習慣となっているだけなのに、褒められて気分がよくなることもあります。

街が綺麗であれば、住んでいる人も綺麗だし、そこに育った子供たちも綺麗なはずです。繋がっているし、関係しているはずです。

こういう見方もよいかと、ポイ捨てする今の私、行為する私という不連続の私が、連続して時間を作っていると考えると、考えるだけでゾッとしますよね。

心と行為がより直接的であれば、今、行為する私となれば、私に嘘はつけず、心と行為はが一体になります。

そこで私を変えなければと思えば、朗報があります。

行為を変えることで、私が変わるのです。

一つ一つ今までの行為した私を思い出して、すると爪や髪が伸びるように、人間の肉や骨も、脳や臓器の細胞を含めて、毎日毎日、古い細胞は死んで、新しい細胞が誕生して、連続が続いているように、実は心も同じなのです。

捨てるものは、たとえポイ捨ての心であって、さらに足すとすれば、悪口を言うこと、嘘をつくこと、人を責めること、人をののしること、人を見下すこと、人を傷つけること、姿や形で人を判断することは、悪口を言う今の私、嘘をつく今の私、人を責める今の私、人をののしる今の私、人を見下す今の私、人を傷つける今の私、姿や形で人を判断する今の私ですから、自分が作られている過程がわかり、自分の心に向き合うことが大切です。

そして今の私に向き合うことができれば、今の私が一歩変われる。

今の私は、いつまで経っても今の私と悟れば、自分に嘘をつかない今の私がいかに大切であるかわかるでしょう。
2018.08.01 Wed l つぶやき トラックバック (0) l top
平成30年西日本豪雨災害で亡くなられた方々には、お悔やみ申し上げますとともに、被害に遭われた総ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。

今後は一刻も早く復興されることを祈念申し上げます。

また、西日本豪雨災害後、日本は未曾有の熱波におおわれています。

今まで普通に過ごしていた日常の行為が死に至ることもあると、注意して過ごされることを祈念いたします。
2018.07.23 Mon l うつつ トラックバック (0) l top
「こんにちは、赤ちゃん」という歌が誕生したのは、昭和38年、1963年永六輔さんが作詞を、中村八大さんが作曲をしました。

梓みちよさんが、赤ちゃん誕生に対して、喜びを語りかけるように歌った歌でした。

「あなたの笑顔、あなたの鳴き声、小さな手、つぶらな瞳と。あなたの命、あなたの未来、この幸せがパパの望み」と。

昭和38年の歌でしたので、私が中学生の頃だったのではないか、梓みちよさんの声は耳の記憶に懐かしいのですが、この歌詞全文を読んで、今、始めて内容が分かったのです。

改めて、この作詞が、赤ちゃん誕生と同時に、夫婦から子育てに移るばかりでなく、夫婦の関係にとっても喜びを歌ったものだと知ったのでした。

永六輔のさんの、温かい気持ちがそっと添えられて、赤ちゃん・パパ・ママへ祝福していました。

「えっ知らなかった」のと、聞かれれば、思い出すこともなかったからです。

ところで、日本では、昭和38年と言えば、「もう戦後ではない」といわれて、次の時代の幕開けのような時期でした。

それまでは、テレビではディズニーアニメが上映されていましたが、国産アニメの「鉄腕アトム」放映されました。

世界ではキューバ危機からジョン・F・ケネディーが暗殺され、衛星中継されたのもこの時です。

バナナが自由化されて、坂本九が「見上げてごらん夜の星を」を歌い、NHKの紅白歌合戦が、パーセントの視聴率を上げていたのでした。

そういえば翌年の昭和39年10月10日には、第18回オリンピック・パラリンピックが東京で開催されていました。

振り返るというのですが、55年前ですので、ほとんど記憶はなく、過去を検索して思い出すのがやっとです。

でも世の中の雰囲気は、明るく、前を向いてみんなが歩んでいたという時代でしょうか。

それこそ皆が夫婦共稼ぎという時代ではなかったし、家庭から笑い声や夢が語られていた時代だったと言えそうな気がします。

とくに、その頃の流行った歌の歌詞を読んでみると、出会いとか、明るく、この後、何十年後かの未来も明るかった。

幼子が生まれた時に、「こんにちは赤ちゃん!」に対し、生まれたての赤ちゃんは、泣いたり笑ったり、むずんだり、眠ったりして、お母さんに「こんにちは、お母さん、お父さん!」なんて言うはずはなかったし、現実は、「始めに言葉ありき」ではなかった。

赤ちゃんにとっては、意識も、意味も、言葉もなかった。これは世界の誕生であり、同時に置かれた場所で咲く赤ちゃんの誕生だった。

同時に、パパとママの誕生でもあったのですが、これも居場所です。夫や妻の居場所もあると、「こんにちは赤ちゃんに!」は「赤ちゃんお願いがあるの、ときどきはパパと、ホラふたりだけの静かな夜を、つくって欲しいの、おやすみなさい、おねがい赤ちゃん」と「お休み赤ちゃん、わたしがママよ」と歌うのです。
人が生きれば居場所が増え続け、居場所から居場所に移ることが生きるということ、場所と時間の誕生でもあったはずです。そして居場所とは、意味の概念ですが、依って立つという意味で、依る人と依らせるもの・人との関係のあり方です。

お釈迦さまは、意味は言語によってよりハッキリと表せられるものだと知り、しかも意味は、居場所と時によって変化するものと気づいたのでしょう。

インドの一小国の王子として産まれて、生老病死という4つの門から見て聞いた有り様は、自分自身の生老病死を一生をかけて、瞑想と思索、旅によって語られたものでした。

その語られた膨大な記録の始めには、必ず、「如是我聞(ニョーゼーガーモン)」と記されています。「私は、このようにお釈迦さまの言葉を聞いた」と、「聞く」という受動的な行為をまず中心にすえます。

その言葉を、聞きながらも聞いた内容は、何故か良心の声、自然の声、声なき声、答えのないものを聞く、あるいは真理という具体的事実として世界を聞くとなって、聞く者の私というフィルターを通さないで、見聞きすることが語られているのが経典です。

ところが聞く、読む私たちには、今までに経験した自我の声にまみれています。

そしてお釈迦さまの内容を聞くには、ただ素直に聞く見るだけではなく、応えない相手から訊きだす姿勢、耳を忘れて全身で聴くという姿勢が含まれているのだと考えています。

昨年の2月か3月のことでした。副住職が、「WAになって語ろう」というゲームを作りました。

この題名は、NHKの朝イチという番組で、ゲームの題名を全国から募って命名されたものです。この報道後、問い合わせの電話が多くなったのですが、おぼえているのは出雲の社会福祉関係の事業所の方でした。「お年寄りの言葉を、聞きだそう。掘り起こそう」と、認知症予防に購入したいとの電話でした。

そこで気づいたのは、「WAになって語ろう」は、「WAになって聞き合おう」だったことです。

このゲームの内容は、参加する人によって、自分たちの世界を作り上げていくと同時に、次々と変化してゆき、つまり、その世界は形がない!しかも、子供達やお年寄りの希望や夢も包もうと企てていたから、箱入りではなくて、風呂敷で包むというのが好きです。

大風呂敷とは、ホラのようでもありますが、基本的に風呂敷は形を持っていないことが特徴とするなら、形にとらわれていないということが良いと思っています!

仏教では、「如是我聞」は、聞き合おうという姿勢が生じます。

でも聞き合うためには、先ずは私の中の声を聞くことが大切です。

そこで私の中の声を聞いてみると、聞こえない声に満ちているというのか、空っぽな静けさを観察して、自分自身がそのカラッポとならなければ、本当に聞き合うことはできないでしょう。

ここから、一方的に聞き合おうというのではなく、自然に話合おうが含まれているのではないかと考えています。

それは、聞き合うことで、観察すること、見ること、もしかして思うことも含まれて、縁起というつながりを明らかにすることだからです。
2018.07.01 Sun l うつつ トラックバック (0) l top
思い出そうとすれば、最近なのだろうなあ?

カラダと記憶に対して、意識が戸惑っている感覚がある。

老いというよりは、耄碌しだしたカラダと、記憶を呼び出そうとする意識とのズレだ。幸に、パソコン内にかなりのデーターがあり、今でも蓄積中なのだ。

何を言いたいのかというと、人間の季節感としては、これが老いというものなのか?と感じさせる意識だ。

背中が痒くなったと感じれば、それが冬だった。春の食べものが苦いとかエグイと感じれば、春だったのだ。

湿度がカラッとして、陽の光が温かく感じてウキウキ感じれば初夏だった。

それが、最近は、昼食をすぎると、やたら眠くなって、隣をうかがえば妻もウトウト、二人してウトウトだ。

でも良いこともある。

朝は今頃なら、5時にはパッチリと目が覚める。そこから掃除に小一時間、朝のお経は以前だったら、30分から40分だったものが、1時間とか1時間半はへっちゃらだ。
最近は、和訳した金剛経や心経、他には信心銘、宝鏡三昧、証道歌、参同契なども読み始めて、声だけは衰えるというより、腹式呼吸で太いハッキリとした音声がでるから不思議だ。

さらに昔読んだ、西田幾多郎の善の研究や場所的論理と宗教などが、ようやくわかってきたような気がするのだ。

何が何だか、なあ?
2018.06.04 Mon l つぶやき l コメント (0) トラックバック (0) l top
天気予報の気象図を見ると、日本列島は、毎年繰り返して、寒気と暖気のさかい目にあることを、つくづく考えされられる。

しかも近年は地球の温度差の影響が強く、これは日本を取り巻く南の海水温度が高いことと、北極に生ずる冷たい気流の境目に沿って流れる偏西風の影響です。

そしてさらに、日本列島の下には、太平洋プレートやユーラシアプレート、フィリピン海プレートの境目にあり、その影響は活火山に地震と、地球の活発な活動の表現するさかい目の現象なのでしょう。

また政治的には、大国であるロシヤと中国に、アメリカや北朝鮮に韓国のさかい目にあるのが日本です。

このさかい目を家庭に移してみれば、妻や夫、親に子供たち、孫、祖父母と、ペットも含まれてあり、さらに学校や仕事場、地域にと次々と移し替えてみると、さかい目はあちこちにあり、何と私たちは複雑な関係の中に生きていることがわかります。

私たちの生活は、人とモノ、人と人、人と決まりごと、人と世界との関係でもあるので、人がもつ対象はめまぐるしくかわり、そのつどの意識は、突然に頭の中に浮かび上がるものです。

そのさかい目に惑わされて踊らされて、大きな事件となって世の中を騒がせているのが、セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、モラルハラスメント、パーソナルハラスメント、レイシャルハラスメント、ラブハラスメント、ブッラドハラスメント、アルコールハラスメント、スモークハラスメント、アカデミックハラスメント、ドクターハラスメント、テクノロジーハラスメント、エレクトリックハラスメント、ソーシャルネットワークハラスメント、エイジハラスメント、マリッジハラスメント、マタニティーハラスメント、シルバーハラスメント、ペットハラスメント、スメル(におい)ハラスメント、エアーハラスメント、家事ハラスメント、ラブハラスメント、フォトハラスメント、ヌードル(麺類の食べ方)ハラスメント、オワハラ(終活強要)、ストーカーなどなど、具体的な名前が作られていますが、頭の中の思い込み、刷り込み、など自己の感情や、わき起こる妄想に支配されて飛び出すハラスメント行為です。

しまいに、レリジャスハラスメントは聞き慣れないハラスメントですが、これは宗教関係者が、おこなう苦痛や嫌がらせのたぐいです。

入信を強要したり、自由な退会をたたりや怨霊があるなどと脅したり脅迫する行為です。

以上だけではなく、続々と命名されて出てくる新種のハラスメント、内容を調べてみれば、「あるよね!」と思い出します。

そこで始めて、傷つく人のことを思い起こせたら、セクハラは止まるのだろうと願っています。

これは、特に人を痛め攻撃することで自分を保っている人だけでなく、地位のある人、力のある人、仲間が大勢いる人、優秀な人、盛んな人、すぐれている人、男性女性、子どもも含めて共通な、人間の意識活動への警鐘でしょう。

さらに日本の未来を考えれば、これから、他国の人の助けを借りなければ国が成り立たなくなっていくことを念頭にするならば、なおさらのことです。

長く例を出しましたが、頭の中のふと湧き出す意識のさかい目に気づけば、態度や言葉は出ないのではないでしょうか?止められるのではないでしょうか?

止められれば、人の思いに左右されない、天気に、さかい目に生きる知恵を、さかい目に生きる人間として求められているのではないかと、考えてみたのでした。

そうすれば巡る季節も、四季それぞれのさかい目があることで、野菜に果物、海の幸・山の幸等様々な食文化や様式などを生み出して、季節を楽しんで生きているのが日本人であるともいえます。

さかい目はどこにあるかといえば、人間の心の中に、考えたり、思ったり、気づいたり、発見し発言させることができると考えられるでしょう。

しかも、さかい目は、地球にも、人と人の間にも、人とモノのとの間にも、どこにでもあるのですが、現実は、さかい目だと発言している気象も地べたも、国土もないはずなのです。

それを平等というのですが、その平等は見えない。

さて、平等は、差別によって成り立っていると仏教はいいます。

平等即差別・差別即平等と。平等の根拠は差別にあり差別の根拠は平等にあると。

別の言葉で言えば、平等に自らの根拠はなく、差別にも自らの根拠はなく、共に相手をもつことで成り立っているともいうのです。

さらに平等も差別も矛盾の上に成り立っているともいいます。

違い同志は、互いに根拠はないはずなのです。あるとするなら優劣、大小、多少、長短、狭広、すべて人間がその時代背景によって創り上げた意味ですので、時代と共に変わるものです。

仏教でいう差別とは、区別のことで、違いという意味です。

一人一人、モノとモノはそれぞれ違いによって成り立っていると、それを人間の意識の中で平等とするには、違いを認めるという見方、認識なのでしょう。

しかもその見方認識も意識とするなら、わき起こる意識そのものも別々の違いとなっているのではないか、そんな意識も出てきます。

人は、生きてきた環境の中でつちかったもの、無意識の中ででてくる言葉や行為が、習慣化して癖になっている。

これらについて、要注意の時代になっている。注意しなければ、このことが突然に、悲劇をもたらす。

「私って、コーヒーが苦手なの」、するとコーヒー通が「本当に美味いコーヒーを飲んだことがないからだ」と、でも、それは味覚の問題で、世界には、もともと本当に美味しいもの、究極のおいしさなんてないのです。

「美味い、不味い」は、個人の味覚にすぎない。 そうであれば、「美味いなあ」というのは、個人の感想であり、個人の感想は、その人の意識の中の世界の喜びということになるのでしょう。

大勢の人間が、究極の味と言ったとしたって、個人の感想である限りは対立によって、たまたま作り出されたものです。

人の意識は、自らを正当化する保守の意識、認めてもらいたい意識、上や下という意識、同じだという意識、恥ずかしい意識、頑張ろうとする意識、くやしいという意識、やめてくれという意識、悩み苦しみ……という意識が、対象に関わって登場します。

そのたびに、傷つき、上下という関係の中に居場所を作り、または忘れて生きていきますが、心に傷ついた人の心は、傷ついた時点から始まります。

でも、意識の現れるさかい目があるからこそ、季節の変わり目が美しいと同時に、そのさかい目に順応して生きるたくましさを、日本人はつちかってきたとも思っています。

幼いときから、違いを認める教育が、本当に必要な時代になっています。

繰り返しますが、人間一人一人平等という、でもその一人一人は違いによって成り立っている。

全ての違いがわかれば、あるがままということがわかり、そんな見方が、聞き方が、思いが、表現があれば、世界は美しい。

日本の季節も美しい、あなたの季節も美しいはずなのだから。
2018.05.02 Wed l こころ トラックバック (0) l top
第158回芥川賞が、平成30年1月16日発表されました。受賞した小説は、「おらおらで ひとりいぐも」で、作者は、岩手県東野生まれで、上京し、東京オリンピックの時に結婚、二人の子どもを得て、55歳で夫と死別して、63歳で芥川作家になった若竹千佐子さんです。
小説の主人公の年齢は、若竹千佐子さんより11歳上で74歳の高齢者で、夫と死別し独り暮らしする女性を書いたものです。
若竹さんは標準語を使っていましたが、夫との死別後の生活のなかで、「心の中で、私を励ますもう一人の私が岩手の方言だった。方言だと正直な私が表れた。私は孤独じゃないと思いました」と語っていました。小説の中の主人公、桃子さんは、また若竹さんの殻を背負った人物なのだろうと想像させます。
若竹さんは、ご長男から進められ、小説講座で8年間勉強したのですが、ご長男は母の物書きの才能を見抜いていたようです。そして初めて書き上げた作品が賞を得たのでした。
作品は「老いの積極性を描きたい」と考え通りに、まるで若竹さんが歩んできた道を語っているようでした。若竹さん自身が、「生きてきた経験から青春小説とは対極の玄冬小説」という新たなジャンルまで用意しての登壇でした。
小説の中で語られる言葉は、青森弁なのか岩手弁なのか、その差もわからない私ですが、東北弁のもっている独特の響きが、切迫した心象風景のはずなのに、訛りに引っかかることがもどかしいのですが、かえってそれが、おおらかで土臭い雰囲気をかもし出していたデビュー小説でした。
作品の内容は、夫と死別して、子供たちから独立した74歳の独り暮らしする女性の生活が描かれています。主人公は桃子さんという名前ですが、表相の桃子さんと、桃子さんの内側で語り出す桃子さんのような女性。さらに突然と現れるというのか、隠れていた人も含まれて登場します。
ですから心の中に描かれる、妄想・奇想・内面の言葉が怒濤のごとく頭の中に氾濫し、現実なのか虚妄なのか、死別した夫の言葉なのか、それとも桃子さんの無意識下の言葉なのか、葛藤しつつ老いの身の日常が進んでいくという現実が、迫っていて、それが却って現実性をおびて面白おかしくして内容が進んでいきます。
ところで、早朝、寺の前の歩道の掃除をしていると、必ず何人か、真っ直ぐと前や下を向いて散歩するお年寄りや、犬の散歩をする人たちを見かけます。時に口を動かしながら、モゴモゴして、何を話しているのか、誰と話しているのかわかりません。若い人はカラフルな服と靴で、ジョギングで通り過ぎてゆきます。お年よりは、ただ歩く、そしてただしゃべる。その口から外へと飛び出さない言葉の会話、独り言の多さを改めて気づきました。
先に旅立った亭主が桃子さんに、話しかけてきます。桃子さんの健康を心配して、身体を心配して、心を心配して、未来を心配してですが、時に桃子さんはそれが煩わしくてしょうがない。でも、人が言語をおぼえた意味は、こうしたことにあるのではないかと思えるのです。大昔、狩猟民族とか農耕文化とか、畑や田んぼで、山に芝刈りに、川や海で、山や空や木々魚に鳥たちと話さないだろうか?しかも自由に相手を選べます。口から外へ飛び出さない言葉は、振り返って見ると、こうして文章を書いているのも目には見えない、相手があるからだろう。桃子さんと同じだ。
「おらおらでひとりいぐも」と言いながら、誰もいなくても、孤独でも、本当に一人というのは、眠っているときだけなのかも知れないが、時に、その夢の中に起こさせるものが出ることもあるのだ。
仏教ではというより、現実は、含んでいながら含まれている、選んでいながら選ばれているという相反するものは同時に矛盾を媒介として成り立っています。あっちから見たら、こっちから見たら、あっちに話しかけこっちに話しかけて、時間が過ぎて、疲れたらただ眠る。人は動かされて動き、いつしか動いているのですが、それもあっちから見れば、動かされていた。エッ何って? 時間・場所・対象・意味……にです。
ところで、題名の、「おらおらで ひとりいぐも」は、「私は、私で一人で生きる」なのですが、この言葉は、宮澤賢治の「永訣(えいけつ)の歌」の中の「Ora Orade Shitori egumo」で、「一人で逝くです」。
賢治の妹“とし”の臨終で、妹の最後の兄への願いは、病室の外の雪を、幼い頃から使っていた兄とおそろいの藍茶碗に注いでくれとの願いでした。「おらおらで ひとり逝ぐも」と妹の声。
賢治は、室外の松の枝に積もった雪と氷の層になった雪を椀にいれて妹に飲ませます。
「私は その上に 危なく立ち、雪と水との真っ白な二相系をたもち、透きとおる冷たい雫に充ちた、この艶やかな松の枝から、私の優しい妹の最後の食べものを貰っていこう」とこの雪を表現しています。
賢治は、「この雪が兜率天の食べものに変わって、人のために悩むように生まれてくることを、私のすべての幸いをかけて願った。」と記しています。
妹は「次に生まれてくるときは、こんなに自分に苦しまないように生まれてくるからね」と賢治に次の生を願ったという。このとき妹の苦しみは苦しみながらも苦しみではなくなり、安らかな死を迎えたという。これを色即是空、空即是色と表現すればよいのでしょう。
法華が法華に転じるとも言われています。桃子さんが桃子さんに転じるその様は、「桃子さんの頭の中には、心の中に、意識の中に、口から飛び出さない言葉があふれていました。どうやら声は内側から聞こえてくるのだと桃子さんは知っている。では(亭主への)通路は、あの世に繋がる通路は桃子さん自身の中にあるというのか。そこまで考えて桃子さんはのど奥でひゃっひゃっと声にならない声をあげて笑う。なんじょ(如何)たっていい。もう迷わない。この世の流儀はおらがつくる。――――水を張った雑巾のバケツに映る白い雲、ありがたい。犬の遠吠え、ありがたい。左手人差し指ささくれ、ありがたい。なんだって意味を持って感じられる。それにしても、亭主亡くなって以来、口をついで出るのはそのことばかり。おらの人生は言ってみれば、失って得た人生なのだ。失わなければ何一つ気づけなかった。
引き受けること、委ねること、二つの対等で成り立っている。おめとおらだ。
おらは生きで死んで生きで死んで……気の遠ぐなるような長い時間をつないでつないで……今、おらがいる。そうまでしてつながっただいじな命だ、奇跡のような命だ、おらはちゃんと生きだべが。」
「おらは後悔してねっす。見るだけ眺めるだけの人生に、それもおもしぇがった、おらに似合いの生き方だった。んだも、なしてだろう。ここに至って、おらは人とつながりたい、たわいない話がしたい。……それでほんとうにおらがおらが引き受けたおらが人生が完結するのでねべが。……赤子のように桃子さんは泣いた。」

法要や葬儀など文章作りに追われて、小説など読書することが少なくなりました。興味ある本の購入は続くけれども、なかなか読み進みません。この小説の主人公桃子さんは、作者の若竹さんのデフォルメなのでしょうか?お年寄りにとっては指針になるものです。ぜひ読んで頂きたい。
幻聴も迷いも今の姿だからこそ、素直にその様子が伝わってきます。現実は、苦しめば悩めば、苦しむほど悩むほど、その先に赤子のような純粋なあるがままの姿があることを祈っています。
2018.04.15 Sun l こころ l コメント (0) トラックバック (0) l top
 ヘルマンヘッセは、『人は年を重ねるほど、若くなる』と言いました。
 ホイットマンの詩の「女あり、二人行く。若きはうるわし、老いたるはなおうるわし」という言葉の意味に、近づきたいとも思うのです。
 ヘルマンヘッセの、「人は年を重ねるほど、若くなる」という言葉は、ヘッセの「成熟するにつれて人はますます若くなる」という「成熟」を「年を重ねる」という言葉に書き換えたものです。何故かといえば、老齢の枯木に喩えたかったからです。
 どうして植物と同じように、人間の中に、威厳を持ち、枝を一杯に広げ、空高く聳え、幹の肌は荒々しくと、人は見ないのだろうかとの思いです。

 ヘルマンヘッセは、この本(《人は成熟するにつれて若くなる》V・ミヒェルス編/岡田朝雄訳/草思社刊/1995年)の中で、

 「死に対して、私は昔と同じ関係を持っている。私は死を憎まない。そして死を恐れていない。私が妻と息子たちに次いで誰と、そして何と最も好んでつきあっているかを一度調べてみれば、それは死者だけであること、あらゆる世紀の、音楽家の、詩人の、画家の、死者であることがわかるだろう。
 彼らの本質はその作品の中に濃縮されている生きつづけている。
 それは私にとって、たいていの同時代の人よりもはるかに現在的で、現実的である。
 そして私が生前知っていた、愛したそして「失った」死者たち、私の両親ときょうだいたち、若い頃の友人たちの場合も同様なのである-彼らは、生きていた当時と同様に今日もなお私と私の生活に属している。
 私は彼らの思い、彼らを夢に見、彼らをともに私の日常生活の一部と見なす。
 このような死との関係は、それゆえ妄想でも美しい幻想でもなく、現実的なもので、私の生活に属している。
 私は無常についての悲しみをよく知っている。
 それを私はあらゆる枯れてゆく花をみるときに感じることができる。
 しかし、それは絶望をもたぬ悲しみである」と。

 ヘルマン・ヘッセも、あちら側とこちら側の岸を、対立しながらも、いとも簡単に飛び越して見せてくれます。老いてますますです。

 そして、ふとよぎった思いは、「ひょっとして、こちら側のことは、あちら側によって決まるのではないかとの思いでした。それは、もしかしたら、私たちの目や耳腕や足までも含めて、すべてあちら側に向いているということで説明できるのかも知れません。
 だからこそ、こちら側の信念を、確かなものにしなければ、あちら側に流されて、本来の自分というものを失うことになるのかも知れません。

2018.03.17 Sat l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

臨済宗のお寺の朝の歴代の和尚様方に捧げるお経の回向は、「仰ぎこい願わくば、真慈、付して昭鑑を垂れたまへ」と、「真慈のために捧げ、品位を増崇したてまつる」とあります。

歴代の和尚への真慈とは、漢字では、慈しみでありますが、その真意は、身を捨て心を捨てることであります。

接する人の眼耳鼻舌身意を受け止め、そこに生きることを心がけ修めることが、真の慈みとも言えるからです。

そのことが気高いことと受け止めるからこその回向と言えます。

僧堂の雲水を預かる老師さま方は、雲水の真慈をいかに育てるかの苦労します。

今から16年前にいただいた、足立大進老師の色紙にあった、“色に迷うて古希の春”は、の色を、今のありのままの姿ということができるだろう。古希を過ぎて、80歳、90歳、100歳となっても、色即是空・空即是色世界の織りなす綾模様だ。


 私と世界、誰もが私であるならば、世界中の私にとっては、その私の分だけ世界があることになる。

 小さいとき?、女の子にあこがれて、恋心を抱いたことがあった。相手の気持ちが、心がわからないことに、私の心はかきむしられて、ちっとも前に進まずに、勝手に失恋したことがあった。

 声も掛けられず、ただ見ているだけ。それが男の子にとっては女の子の世界だった。

 好き!って特別な感情です。その好きな特別な感情が愛にと変化して行くには、時間がかかるのだろうか。

しかもこれが愛と限定するなら、愛はどこかに消えてゆくに違いない。愛はすべてを包んでいるなら、愛は、平等とか博愛、神聖な鏡のような気がする。

 マザーテレサやイエス、マホメッド、お釈迦さまなど聖人と言われる人が大勢います。そのナマの人間の姿という聖人って、どういうものなのだろうかと想像することもあります。

聖人と喚ばれる人も、誕生して子ども時代を過ぎて、大人になって、老いて死ぬ瞬間まで一瞬一瞬を生きて、過去と未来を造ってきたはずだ。

その都度その都度の一瞬において、失敗もしただろうし、自分は気がつかないが人を傷つけたこともあっただろう。

般若心経には、色即是空・空即是色とある。「いいかい、迷いがないことも、悩みがないことも、実は迷いなのだ」と。

聖人となって悟ったとしても、彼らの人生から見ると、「いいかい、迷いがないのも悩みがないことも、実は迷いなのだ」と、いっているような気がしてならない。 

 色即是空、色はそのまま同時に空、空即是色、色ははそのまま同時に空だ。

煩悩は迷いで、浮かび上がる意識で愛も慈悲も含まれています。煩悩即菩提。菩提は迷いがないですが、菩提則煩悩と、それ一遍でもいけない。

迷いがないところから迷いが生じ、迷いの中に迷いがないことが含まれていると、しかも人生を、人間を知った、世界の真実を知った聖人という彼らの残したものによって、今は、いがみ合い戦争やテロなども起きていることに、彼らは、今、痛んでいないだろうか?

 世界という外を心の内に見る立ち位置は、世界は心が造るといっても、私の心というより、きっと聖人は、こうした見方ができる人で、今なら語るだろうと考えたことがありました。

「いいかい、迷いがないのも悩みがないことも、実は迷いなのだ」と。

「色に迷うて古希の春」


2018.03.01 Thu l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
乞食をしていた時、魔女マタンギーが幻術を使って誘惑し、アナンの戒体を壊そうとしたときに仏が救った故事の示唆するところより、首楞厳とは木村俊彦先生によれば『英雄的道行き』だそうです。
仏あるいは菩薩の三昧に名づけられとありますので、つまりは“永遠のやすらぎと共に”と更に訳したらよいのでしょうか。

内容は、一切の覚者、菩薩神々精霊に礼拝し、祈り、「かくの如くの我に安らいあれ(ソシチーホボツモーモーインツノモモーシャー)」、と祈ります。
災いを断っち、「我を守りたまへ」と。守られることは、守りし神仏が護られし者に災いを断つ結界を結ぶことであり、同時にアナンにとってみれば自己のすべてを具足する安らぎを保持することができるからです。

東嶺和尚の看経論に自他それぞれにお経の四功徳があるとあります。
健康を助け、音声は天界の神にとどき三昧を助け、善神が護りて心の障壁を滅し、天真に随順するが故に心願を満たすとあります。
ここにも「我を守りたまへ」「我に安いあれ」と祈りがあります。
また、回向は一に事を回らして理に向ける。二には小を回らして大に向ける。三つには自を回らして他に向ける。四には因を回らして果に向けるとあり、安らいの中身を問います、すべてに深いつながりがあるとおもいます。

楞厳呪第7巻に「呪を誦し壇をめぐって至心に行道す」とあるところより、修行をさまざまな障害から成就できますようにと右に右にと歩きながらお勤めいたします。
言葉の祈りから心の祈りへと深めて行く行道する僧侶の一人一人の姿が、アナンの乞食の姿と重なり、私たち一人一人の姿と重なって見えましたら本望です。

昭和57年5月『臨済宗の陀羅尼』が木村俊彦先生と竹中智泰先生により東方出版より出版されました。

その時の後書きに、インドでの体験が書かれております。「五千年の歴史を持つインドの民衆の生活は、信仰が不可分離に融和している現実がある。厳格な身分制度、自然環境、貧困を信仰がすべての矛盾を吸収し納得させる役目を持ち、その故に彼らは自己に自身と誇りを持ち、社会機構を整然と維持している」と。

「日本人は怖いものを失ってしまっている」と。そして平成10年出版の『禅宗の陀羅尼』では、「怖いものを失っている日本人の方向はさらに進んでいる」と危惧いたします。

何事にも知解を求める現代の傾向の中で、陀羅尼は本来人知を超えた世界のことがらなのかもしれません。先生が言われる、「根底にある不易なもの」を見つけて大事にしたいものです。

2018.02.11 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top
女優の浅野ゆう子さんが結婚したことが、1月12日ニュースとなりました。

所属事務所からFAXを通じてですが、「お互いこの年齢で…とも思いましたが、この年齢だからこそ、互いの健康に気遣いつつ、寄り添いながら穏やかに、これからの人生を歩んでいこうと決めました」と報道されました。

上手いなあと、上手な言い方だと感心し、この年齢だからこそ、こういった言葉がでるのだと思ったのです。

57才で初婚、お相手は一般人というのですが、この結婚が呼び水になって熟年結婚のブームが来るかもしれないし、女優は女優と、ただのニュースなのかも知れない。 この年齢で……、でもこの年齢だからこそと、もしかして背中を押された人もいるのではないかと考えてしまいました。

また、この年齢から先を歩むことを考えれば、2人なれば寂しくない、いや、その先もあるからと考えるのでしょうか。あるいは、もうたくさんと、堅く心を閉じることを選ぶ人もいるでしょう。

でも、たとえ今、心を閉ざしているとしても、その先までずっと思いが続くとは限りません。出会いがあるかも知れないし、結婚して思わなかったことが次々に起こり当惑させることもあるでしょう。

いっそのこと、困難も失敗も、喜びも幸せも寂しさも、それだからこそ楽しいと悟ってみるのもよいかもしれません。そのことが却って人を豊かにすることもありそうです。 本当に一人身でと堅く決めている人を除けば、それなりに理由があるのでしょうが、老年に向かってみれば、何か、寄りそうものがあったらよいと思うのは自然なことです。

しかも寄りそうこととは、お互いに、相反するとは言わないものの、男と女、興味と志向性、育ちや生い立ちまで含めると、違うものばかりの集合体が寄りそうこととなるのです。そこで、結婚とは束縛されるという意味も生まれるのでしょうが、人生を自由に、気ままにと思っていれば、煩わしいものでしょう。

ところで、仏教の縁起観は、結ぶことは分離することで、結合即分離、分離即結合のありようを見つめます。

働くことも結ぶこと、好きなことも結ぶこと、選ぶことも結ぶことです。ですから生きるということは、結ぶことと分離することの、分離することは結ぶことの連鎖の中に成り立っています。働くことは、働かないことの時間によってなり立っていたことを沸き立たせくれます。

必ず、人間は相対するものを作り出していますので、この相対するもの双方に気づいてみれば、転換できるし、相対を消し去ってみることもできるはずです。

自由でいたいと、自由という語言の意味は、「自らに由る」です。自らという部分と、由るという意味が合体したもので、現実の私は自ら以外のものによって成り立っていることを浮き立たせているからです。

趣味にしても、その趣味によって、仕事など何らかの束縛されていた自分を、違うものによって成り立たせる手段の意味を持っています。

自らに由るものが、思うことに由る、言われた言葉に由る、化粧に由る、仕事に由る、趣味に由る、友だちとのひとときに由る、結婚に由る、子どもに由る、老いることに由る、別れに由ると、由るものが移り変わることで成り立っている自分を知るということが、人のあり方なのだと見えてきます。

何故に自由が「自由」という熟語なのか考えさせられます。これは、仏教の言葉だったからです。 由(よ)るという相対する意味を、居場所や立場、ステータスなどの地位、これは無数にあります。

その都度その都度、祖父母になったり、両親になったり、子どもになったり、友だちになったり、相談相手になったり、買い手や売り手になったり、結局、由ることがなかったら、人は生きていけないのでしょうか。

寄りかからない生き方をしても、その寄りかからないことに由って生きるわけですから、ややっこしい。

動物はそんなこと考えませんし、思うこともないし、反省することもないし、寝るときは寝るし、休むときは休むと徹底しています。今を生きているというか……。

浅野ゆう子さんの結婚に戻りますが、お互いこの年齢ではと、非定型の言葉ですが、その非定型の年齢を肯定に代えてゆく言い方、同じ年齢でも、相反する内容を織り交ぜながらの新しいことへの宣言でした。

よく考えれば理由になっていないし、それこそ結婚にこだわらなくてもよい。

この例えは、人は幾つになっても、何かを抱えていても、今の自分の状況が、自分の背中を押してくれる励ましの言葉に通じていたことを教えてくれます。いつでも私は挑戦できるのです。

この否定を肯定へ、マイナスをプラスにという発想は、無数にあります。相反するモノだからこそ、古いものから新しいものに、新しいけれど古いものからと。小さなものから大きなものへと、入ったり出たり、押したり引いたり、進んだり下がったり、動いていたと思っていたら動かされていたと、評価できるものがあるのは当たり前ですが、そのことを出発点にすることで、人はよく生きることも、生きられないこともある。

「言語は事実を表現するものではなく、事実に対する見え方を表現するもの」と認知言語学で言うそうです。人が、相対するもの、出来事や人間を語るには、語る人の見え方を話しているにすぎないと言うことらしい。

だからこそ、この認識に関しては無限の可能性を秘めていることに気づくことで、マイナスからプラスに転ずることができるようです。 この意味では、相反するモノ、対立するもの、反対のもの、対象的なもの、排除し合うもの、対局とするもの、逆なもの、意味も形もふくめて、多くのことに気づくということが、生きる智慧で、お釈迦さまの教えです。

詩人のまどみちおさんに、「もうすんだとすれば」(まどみちお全集1992年理論社)という詩があります。

もうすんだとすれば これからなのだ / あんらくなことが 苦しいのだ 暗いからこそ 明るいのだ / なんにも無いから すべてが有るのだ 見えているのは 見えていないのだ / 分かっているのは 分かっていないのだ 押されているので 押しているのだ / 落ちていきながら 昇っていくのだ 遅れすぎて 進んでいるのだ / 一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ やかましいから 静かなのだ / 黙っている方が しゃべっているのだ 笑っているだけ 泣いているのだ / ほめていたら けなしているのだ うそつきは まあ正直者だ / おくびょう者ほど 勇ましいのだ 利口にかぎって バカなのだ / 生まれてくることは 死んでいくことだ なんでもないことが 大変なことなのだ

  ……矛盾に気づくと、人はたくましく生きていくのだと気がつくのです。
2018.02.01 Thu l こころ l top
幼かったころ、広告紙や包み紙の裏側にクレヨンで絵を描いたものです。

小さかったころのクレヨンは12本が基本だった。

大きくなるにつれて20本、36本、調べてみたら世界では500色というのもあるそうです。

どんな絵が画けるのか、おどろきです。

クレヨンは、一本一本ちがう色だけれど、ケンカもせず、非難もしない。

いがみ合うこともなく相性や不相応もない。

12色、20色、36色、500色とクレヨンの世界は、色が違っていても一つの箱(世界)に治まっている。

人間だけが、箱に治まっているのは同じだが、反目している。 何でですか?
2018.01.20 Sat l つぶやき l top
今年も、新年を迎えられたこと、何よりもお喜び申し上げます。

誰でも心の中に、大事に抱えているものがあります。

それは、自分を支えていると同時に、ときに取り返しがつかないことを起こし、自分を傷つけることもあります。

より所とはこういうものです。

そのより所を意識するとき、禅には「放尽すれば心空なり」という言葉があることに気づいて欲しい。

もともと自由自在の心空という自分だったことに気づけば、悩む必要もなかったからです。

そして心空だからこそ、抱えるものも創ることができるといえるからです。

今年1年の、ご清勝を祈念申し上げます。

      平成30年正月
2018.01.01 Mon l うつつ l top
本年、一年もあと何時間かで、新しい年を迎えることになります。

一年間、感謝です。有り難うございました。

松尾芭蕉は、北町会の向かい側、現在の深川一丁目海辺橋際より欧州に向かって旅立ちました。

その旅で会得した一つに、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」があります。

原文は「去來曰、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有。是を二 ツに分つて教へ給へども。
其基は一ツ也、不易を知らざれば基立がたく、流行を辨へざれば風あらたならず。
不易は古によろしく、後に叶ふ句なれば、千歳不易といふ。
流行は一時一時の變にして、昨日の風今日よろしからず、今日の風明日に用ひがたきゆへ、一時流行とは云はやる事をいふなり」記されています。

日本俳句協会のホームページでは、

《「不易流行の『不易』とは、時を越えて不変の真理をさし、『流行』とは時代や環境の変化によって革新されていく法則のことです。
 不易と流行とは、一見、矛盾しているように感じますが、これらは根本において結びついているものであると言います」と書かれています。
 また、「師の風雅に万代不易あり。一時の変化あり。この二つ究(きはま)り、其の本は一つなり。その一つといふは、風雅の誠なり」》

と書かれていました。

では誠?とはと、問われると説明できるものではなく、それでは「素の私を見て下さい」と言ったとしても、「その素の私は、いつどこでの私かい?」と聞かれれば、答えも尽きないし、答えられないことも尽きないものです。 

構造から云えば、千歳不易と一時流行は、共に相手に根拠を持っているということです。

温故知新も同じ意味として、故も新も、その根拠は相手にあることです。

変わるものと変わらないもの、動くものと動かないもの、右と左の対立軸など、ともに支えられていることと言ってもよいでしょう。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
静けさとは何だろうか、静けさのみという芭蕉の心化というのか、動と静を一体にして、キャンバスに貼り付けた。
2017.12.31 Sun l うつつ l top
何てこった! 昨日、8枚つづりの遺言のような手紙が舞い込んだ。

8日付の消印に、7日投函したことがわかる。

祟ってやるとの文面に、元宮司としては、何を神官として祈っていたのか?

諏訪神社に御柱を見て考えたことは、数年に一回あの御柱を神社に突き刺す祭礼により、荒ぶる祭神は、鎮守の森から外に出ることはないから、世は平安に保たれることです。

宮に祀られるお祭神は祀られることで神々となるが、神社のプログラムは、お祭りをすることで鎮まる。

氏子が祭礼に参加することは、そのプログラムを実行することだと。

町会の多くの行事も、氏子にとってはお祭りと一貫となっている。

和やかに過ごすことが、お祭神にとっては、鎮まりの起因と考えれば、祭神が怒りとなるためには、氏子がバラバラで荒ぶることは、神々が怒ることだからだ。

神社に祀られる神々の多くは、軍神もすさぶる神々ですが、でも氏子が無事に過ごすことが何よりも安らぎのはずです。

世が平和なれば、神々も喜びということです。

ついでに地獄に落ちるとは、神様の世界では地獄はないですよね!黄泉の国はあるけれどね!

地獄を語る人は、自分の心が地獄に落ちていることを語っていることではないでしょうか。

だから地獄でない世界を我々は生きなければならないのです!
2017.12.10 Sun l うつつ l top
中国で、達磨大師から三人目の祖師が、三祖僧璨禅師です。

信心銘という文章を残しています。

冒頭の文は、信心銘の中の一文です。毎朝この文章もお経として唱えています。

現前は、今という一瞬のことで、その現前に対し、順縁であっても、逆縁であっても、そのどちらでなくとも、今をかかえて生きろというのです。

鎌倉円覚寺の横田南嶺老師は、(こころころころ:青幻舎)と語っていました

《お釈迦さまは、一番信頼していた弟子の舎利弗と目蓮を、自分より先に亡くしてしまいます。

とりわけ目蓮尊者はひどく暴行を受け、最後は身体の姿形がわからないほどでした。

お釈迦さまは「目蓮ほど修行をした人でもそんな目にあってしまう」と涙を流されたそうです。

お釈迦さまでも、あらゆる人の病気や災難を全部救うことはできません。

どうにもならないものをかかえて生きているからこそ、人の苦しみを我が苦しみとして受け止め、寄りそう慈悲の働きがでてくるのです。》
2017.12.01 Fri l こころ l top
11月26日(日)午後2時より、ご祈祷法要
          午後3時より、六代目三遊亭円楽 落語
          陽岳寺 護寺会主催ですので、ご参加下さい。
ご祈祷は、“無事や平常であること”をテーマと考えます。
何があっても無事を祈ることです。
無事の基本は、変わり続けることの中に、何事にも変化しない自身の心の姿の自覚です。
人の一生は、みずから朽ち、消滅して、かたちなき限りなきものとなることへの旅路ですというなら、生まれる前から、生まれても、そして旅立った後も、変わらない自分とはなにかと考えることです。

そのために、このご祈祷最初のお努めは、先ずは、何事も受け入れられる心構えとして、無心となることが強いられます。
これは、ひとえにじぶん自身に偽りのないようにと、素直さをいつまでも持てるようにとの意味です。
これを懺悔と言います。
懺悔について、斎藤緑雨は、『眼前口頭』の中で、「懺悔の味わいは、人生の味わいである。」と記しています。

しかし、その懺悔も、人生において、苦渋や自責、許されることのない罪、知らずに傷を付けていた事実の認識、叱責や出生において、苦悩や後悔がなければ懺悔も成り立たないことでもあります。

原罪を持たぬ我々は、生活の中の、忙しさの中に、過ぎ去ることで、忘却という世界の中に生きているかのようです。

さて、祈祷とは、人の祈りを昇華させるものであると思うのですが、祈りがなければ、祈祷は成り立たないものです。
その祈りの中身が、悩みや感謝とするなら、ヘルマン・ヘッセが、『放浪』のなかで、しるす言葉が光ります。

「祈りは歌のように神聖で、救いとなる。祈りは信頼であり、確認である。ほんとうに祈るものは、願いはしない。ただ自分の境遇と苦しみを語るだけである。小さい子どもが歌うように、悩みと感謝を口ずさむのである」と。

また、祈りを昇華させるためには、祈る人と、その祈りを可能な現実なものにする超越する人格がなければなりません。

超越する人格は、神や仏、亡き人や、聖者と考えられるものです。

そしてその二つの間を取り持つ役割を担うものは、神官や僧侶です。

なぜなら、祈りについての、その祈りの内容を、また、祈りのあとの現実を、具体的に示すことも必要なことだからです。
もっとも何を祈るか見当もつかなく、ただ目前の欲望のみに囚われて、心を虚しくすることもあります。
欲望を祈りに取り違えることは、現実をゆがめます。

カフカは、『カフカとの対話』の中で、“祈りを行為”に、“人を揺籃”に、そして、“やがて贈る側に転身を希う” と書いていました。

「祈りと芸術は、熱情的な意志の行為です。普通に見られる意志の可能性の領域を踏み越え、高めようとするものです。芸術も祈りも、それはともに暗闇に向かって差し出された手であり、その手は何ほどかの恩寵を掴み取り、やがては贈る側に転身したいと希(ねが)うのです。

祈りとは、消滅と生成に間に渡された光の弧の変容の手に我が身を投ずることであり、その途方もない光を、自己の存在のあるかなきかの、はかない揺籃(ようらん)に定着させるために、その光の弧のなかに我が身を完全に没入させることなのです。」
(これらの文章の引用は、筑摩書房の筑摩哲学の森、別巻定義集からです。)

 “光の弧”とは、プラスとマイナスの電極の間の、稲妻です。

それは、消滅と誕生の間の揺籃する命でもあるのでしょう。

芸術家にまかせることは置いておき、人が祈る行為により、揺籃する心から転身する。全てはこのことが尊いのでしょう。

このことの中に、感謝が芽生え、知らず贈る側に居る自分を知ることがあるのでしょうか。

祈る行為は、その中に、転身を希うことが含まれていることになります。
じぶん自身の計らいの中の、気づきは、人を変えるものです。この変えられた自分を希うことを、このご祈祷の本意と、考えました。

そして、過ぎゆく年の、来る年の、そして今日ただ今の無事や、平常であることを願い、祈りとしたいのです。

無事とは、禅語の『無事これ貴人なり』と、また、平常とは、これまた禅語の『平常心これ道』の、無事や平常の意味から引用いたしました。

平常とは、平等常住の略意で、涅槃・菩提・迷いのない世界・悟りの世界・名利を越えた世界・無心であるのですが、ここから一切の働き、一切の行為があらわれます。

この行為や働きは、一切の善悪・順逆を離れているのです。

善悪・順逆は我々心の分別です。

このこと故に、私たちが世界に住んでいる限り、無事でないことは、まぬがれないことです。

平常に生きることは、とても困難なことでもあります。 無事や平常は、逆に、この世間の事の中に住むからこそ、この日常ゆえに、対するものとして考えられます。

日常を否定するのではなく、日常の生活のなかで、平常が現れなくてはならないのです。

カフカは、「やがては贈る側に転身したいと希(ねが)うのです。」と言うのですが、転身することです。

積極的に世間に事や日常にかかわることのなかに、転身することです。

徹底して、日常と平常は同じ道であるかと説くか、異なった道であると説くか、臨済が云う「歩々これ道場」は、行為は同じでも、無心か我が身では、雲泥の差が生じます。

蓮如上人が、「婆さんや、糸をつむぎつむぎ念仏するのも結構じゃが、念仏しいしい糸をつむぎなされや」と、さとしたと言いますが、同じ行為でも、念仏するという無心の働き、それは、臨済が云う、「随所に主となる」行為です。

身びいきの我が身に気づくことは、それは、じぶん自身の否定的転生です。

絶対なるものとは、その光の弧のなかに我が身を完全に没入させることで現れます。

転身への祈り、それは、徹底できぬ自身への、素直さえの回帰という意味でもあります。
2017.11.06 Mon l ゆめ l top
碧巌録の第三則は、馬祖大師は唐の貞元4年2月4日にお亡くなりになられたのですが、この問答はその前日、2月3日のことであります。

役位の僧から、馬祖大師にご様態をうかがったときの話です。どんな病気だったのか記されていませんが、翌日に亡くなったことから、思わしくない状態だったのでしょうか?

役位は「いかがですか?」と、動揺し、心配して語りかけたのでしょうか。

馬祖大師は、それに対して「日面仏、月面仏」と答えたというのです。

禅宗では古来からの読み方は「にちめんぶつ、がちめんぶつ」とお読みするのですが、どうしてなのかはわかりません。

日面仏は、寿命一千八百歳の仏様で、月面仏の寿命は丸一日の仏様というのです。

もっとも日面仏は、何やら漢字から太陽を連想させると、何十億年何百億年となって、人の一生とはかけ離れています。

が、その太陽と同時に、一瞬を活きているとすれば、太陽と共にでしょうか、寿命は?

余命は、今だったら、医師より予告を告げられるのですが、今も、確かなことなどわからないのです、推測だけです。

しかも、自分の死については、経験したことがないので誰もわからない。見取った人のみが、寿命を計算できる。

「日面仏、月面仏」に説明をするのは、いらないかもしれません。

理屈から言えば、時は、今から今です。今しかないとも、今という無限に生きていれば、そんな長短はないわけです。そこに引っかかっては、長短にしばられる。

またこうも言えます。時は今から今ですので、一瞬という今に死に、今に生き返る。現実には、そこまで徹して生きることは難しいでしょうが、寿命を長短で計ったり、意味の大小で決めることはできないはずです。

「日面仏、月面仏」は、「今日かも知れない、明日かも知れない」と。「日々是れ好日」もよいでしょうし、「日々新た」でもよいのです。

毎日毎日、一瞬一瞬経験をしたこともない日が、一瞬が誕生しているわけですからね。

命は、捨てるのでもない、執るのでもない、細かいもなく荒っぽいもない。馬祖大師は、調子がよいときも、悪いときも、それはそれで生きている活動の真っ只中です。

「病の時は病になりきるがよろしく。死ぬる時は死ぬるばかりです」と、ただ今を生きるだけです。

馬祖大師は、この日面仏月面仏の境地を手に入れるのに、二十年の辛苦をしたという。

こうした心境とは、新たな不安におおわれるけれども不安ではない。恐くもない。

その実例の歌が、「捨て果てて身はなきものと思えども、雪の降る夜は寒くこそあれ」と。寒いけれども寒くないのだ。実地にわからないとわからない。

「我がものと思えば軽し傘の雪」、この傘につもる雪の重みに腕はきしむけれども、自己自身の身と思えば重くはない。

こんな体験に気づいてみると、馬祖大師の不安もまた、今の自己を現すものであり、その自己に良しとなるのでしょう。

だから、「日面仏、月面仏」と響いてきます。

馬祖大師の臨終に対し、「知るものは泣き、知らないものは泣かない」という。

普段から思うことは、昆虫も魚も獣達も、その環境によって合わせて生きているのに、人間だけがどうして、ひとり生きようとするのか。

生命力とは、何なのだろうか?

ただ冷暖自知するのみで、すごい人だと。
2017.11.05 Sun l l top