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クレヨン

2016/12/14 16:49
幼かったころ、広告紙や包み紙の裏側にクレヨンで絵を描いたものです。

12本が基本のクレヨン、少ないと思ったこともなかった。

大きくなるにつれて20本、36本、調べてみたら世界では500色というのもあるそうです。

どんな絵が画けるのか、おどろきです。

箱の中には、小さくなったクレヨン、いまだに使われないクレヨンと、さまざまだ。

一本一本同じ色はないが、ケンカもせず、非難もしない。

12色、20色、36色、500色とクレヨンの世界は、色が違っていても一つの箱(世界)に治まっている。

人間だけが、箱に治まっているのは同じだが、どこかの行こうと、反目している。
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孫の嫉妬(しっと)

2016/11/08 22:04
昨年の9月始め、孫をさずかった。

見ているだけで、幼子は可愛いものだが、自分の孫であることは、成長がつぶさに見れてさらに可愛い。

10月のことだった。孫の母親が、保育所に子どもを迎えに行ったとき、よその子どもに視線を注ぎ声を掛けたのだろうか?

孫の様子が突然に変わったらしい。詳しいことは聞いていないが、その様子を想像するだけで、喜んでしまう。

そして、息子から「子供が嫉妬をおぼえた」と報告を受けた。

嫉妬、自然なことだと、その意識を体験した子どもには、まだまだ理解できないことだ。

子どもと母親は一体、深く注いでくれている愛情を一身に受けている子供だったはずだ。

信心銘という文章には、「能は境によって能たり。境は能によって境たり」とある。

能を子どもに書き換えてみれば、「子どもは母によって子ども。母は子どもによって母」と読める。

子どもの根拠は自分にはなく母にあり、母の根拠は子どもにあり、共に、自分自身には母も子も根拠がない存在を一心同体という関係だ。

信心銘は、能を平等や自己に、境を差別や他者に置き換えるのだが、母は、妻や子ども、友達や仕事をする姿になることが子どもには理解はできないからだ。

「孫が嫉妬をおぼえた」と聞いて、そうか、人間はこの頃から嫉妬をおぼえはじめるのかと知らされた。

そして死ぬまで、ないしは死の近くまで嫉妬が発生する意識を持ち続けているわけで、自分の嫉妬に気づかないことは一生左右させられることになる。

嫉妬を理解してみれば、嫉妬は向上心やいたわりとして大きく成長する道具となる。

嫉妬がなければ、人は大きくなれないからだ。

仏教では、「煩悩そく菩提」と言うではないか?

慈鳥

2016/10/07 13:47
夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなるおててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょう

子供が かえった あとからは
まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空には きらきら 金の星

私が小さかった頃のことを思い出します。
一日中遊んだ記憶がある。
かけまわって疲れてやっと、気づくと、夕焼けが迫っている。

その頃、カラスが家路につくことを、「夕焼け小焼け」の歌にしたのは、作詞中村雨紅、作曲草川信だった。
この歌を口ずさんだ記憶は、定かではないが、確かなこととしたい自分がいます。

家に帰れば、着ているものをはたいて、夕飯が待っている。
戸外は暗くなって、金星が輝き、物音も静かに、何故か小鳥も地域も眠ってしまったような。

時代は今。
そういえば、日中カラスはいない。朝はうるさく、嫌われ者になってしまったが、家族思いは今でも、カラスだ。
子供を持てば、子供を守ることに凶暴になる様は、人も同じ。
そんなカラスの子育てで、小ガラスが成長すると、親ガラスに口移しで、食事を与えるという故事がある。
年老いた父母の世話をすることを、慈鳥反哺(じちょうはんぽ)と調べたが、カラスから学ぶ現代人はもういないのでは…………

「カラスが鳴くから かえりましょう」と、カラスに動かされた子供心は、街であっても自然に含まれていた。

七つの子
からす なぜ啼くの からすは山に かわいい七つの 子があるからよ
かわいい かわいいと からすは啼くの かわいい かわいいと 啼くんだよ
山のふるすへ 行って見てごらん 丸い目をした いい子だよ
野口雨情作詞、本居長世作曲のこの歌も、カラスが夕暮れに、家庭に帰っていく姿を歌っている。

そんなカラスのことを、慈鳥(じちょう)というこを知ったのは、大人になってだった。
ちなみに、烏鳥、うちょうとも呼ぶ。

寒山詩には、
月落ち烏啼いて霜天に満つ。
江楓、漁火、愁眠に対す。
江楓、漁火、愁眠に対す。
姑蘇城外の寒山寺。
夜半の鐘声 客船に至る 。

慈烏、その母を失って鳴く、悲しい声が響く。

露風(ろふう)落葉を吟ず、慈鳥(じちょう)寒烟(かんいん)に咽(むせ)ぶ。
作者は知らないが、これからの季節なのだろう。

そして慈鳥とは、これはカラスではない。

親 家族という場所

2016/09/23 11:04
親のことなど普段は考えたりしないものの、突如として考えなければならないことに遭遇するときもあります。

独立、結婚、親の突然の死と。

親は、子供の胸の内は、よく分からないものと、はっきりと言います。

それは自分のことも知りようがないと思っているからです。

自分のことを分かって欲しいと思う子供にとっては、親は「お前のためを思って、考えているから」と、親の欲求は親が死ぬまで子供という存在です。

ただ家庭では、何となくそれが分かっている場所なのでしょう。

お前のことは誰よりも分かっている。なぜならお前は、俺の子供だからだと。
その親も、本当は自分のことなどわからないのです。

ところが、子供が痛いと怪我をすれば、悲しめば、親は自分を忘れて子供の痛み、悲しみになれる存在です。

ところが親はそんな存在であることをわかっていない。

そのことに気づけば親の中で、親という居場所なくなるのに……

親のカラを飛び出して、子供含んで自分の存在はあるという、子供の行為すべてが実は親自身の姿であるのに、それを理想としたりすることで、また親の所有欲が出てきます。

親にとって、子供は無二、二つと無い存在です。

ただそれだけ。なぜなら親の根拠だからです。しかもその根拠はないところに親は居るのです。

ただ家庭では、何となくそれが分かっている場所なのでしょう。

お前のことは誰よりも分かっている。なぜならお前は、俺の子供だからだと。
その親も、本当は自分のことなどわからないのです。

ところが、子供が痛いと怪我をすれば、悲しめば、親は自分を忘れて子供の痛み、悲しみになれる存在です。

ところが親はそんな存在であることをわかっていない。

そのことに気づけば親の中で、親という居場所なくなるのに。

親のカラを飛び出して、子供含んで自分の存在はあるという、子供の行為すべてが実は親自身の姿であるのに、それを理想としたりすることで、また親の所有欲が出てきます。

親にとって、子供は無二、二つと無い存在です。

ただそれだけ。なぜなら親の根拠だからです。しかもその根拠はないところに親は居るのです。

父 家族という場所

2016/09/23 10:49
仕事が好きだった。生活の土台でもあるのでしょうが、それ以上に仕事が好きだった。

仕事の中味に誇りを持っていたことがうかがえます。

当然、子ども達にとっては、仕事を抜いた父に接していたことになるから、「お父さんは、どんな人だった」と聞くと「頑固!」といった。

「こうなることだったら、もっと話をしていればよかった」という。

「父親と面と向かって話すことも照れる」とも。

そう、頑固って家庭の中の父親の居場所のような気がします。

家庭って、本当はみな違う意見を持っているのに、その違いをそれぞれが容認している場所でもあるようです。

その特色は、違いが分かっていてもその違いを攻撃したり非難したりしない場所として、有ってないような、無いようでいて有る、矛盾した場所のような気もするのです。

だから家族のコミュニケーションも、無いようであって、有るようでない。

家族それぞれ別々の方向に向かう起点なのか、これも矛盾している場所。

落ち着くと言えば落ち着くし、ひょっとして渾沌とした場所なのでしょう。

子供が親に叱られて、出て行けと言われ、出て行ったけれど、戻るに戻れないにもかかわらず、戻ってくる。

親は怒っているにもかかわらず怒る自分を見つめ、受け入れる自分を受け入れる。

そんな場所の中の父親も、もともとは子供だったし。

世代が代われば爺さんや婆さんとなって運がよければ死んでいく場所でもあります。

ふれあい給食会

2016/09/15 13:26
学校の先生から、「地元のお年寄りを呼んで、小学三年生の子供たちと、ふれあい給食会」をしたいと言われたことがありました。

もう18年も前のことでした。

その年によってお呼びするお年寄りの人数が違います。学年主任の先生もそのつど違います。

今では、ふれあい給食に関しては、お年寄りの募集に関しては、向井さんに頼むと、申し送りになっています。

ですが、なかなか言われたように集まらない時が来るのではないかと、集めながら少しずつ、近い将来、訪れる予感がします。

その予感とは、現在、70歳後半から、80歳代、90歳代のお年寄りで元気な方々が、社会参加するパワーが減ってきた予感と同時に現実です。

本来は、その下の世代のお年寄りが、引き継いでくれればよいのですが、70歳後半前のお年寄りを望んでも、声がないのです。

さて、ふれいあい給食を手がけたきっかけは、「お年寄りをお招きするのに、学校の先生方の時間を煩わしてはいけない」ということでした。

お年寄りたちが子供だった頃の懐かしいことを、給食を食べながら、子供たちに話す。それが地域の昔と、ふれ合うということでした。

これは、子供たちの二世代・三世代という家庭が減少して、地域の昔と接する機会が減っていったからでしたし、教育が、世代間の交流事業とし同時にて、社会科や道徳の教育とならなければの危機に気付いたからでしょう。

今、お年寄りの語る言葉は、かろうじて戦前戦後の生きた時代の様子でしたが、お年寄りの世代交代が続けば、やがては、バブルなどの時代になるかも知れません。

将来、子供たちが聞かされる言葉が、バブルや経済成長の時代内容だったらなどと考えてしまった。

山中暦日なし

2016/09/15 13:01
「山中暦日なし」とは、お寺には国の祝日も、休日もないという意味です。

つい先日、トビの親方と話していて、こんな言葉、言い伝えを聞いた。

トビの親方が、名前を継ぐ将来の頭(かしら)に対して、言い伝えられていることです。

「いいか、お前がカシラになったなら、一泊の旅行は許す、決してそれ以上の、旅行や遊山に行ってはならない」と。

カシラがいかに、地域に結びついていたことっを気付く言葉です。

しかも、カシラの口から飛び出ることに、今も生きているのだと、彼を、地域の人間ととしても大切にしたい。

そういえば、我が身も、「もう何十年と私も住職になってから、一泊以外の外出はしたことがないなあ」と思い出した。

それでいて、くやしいとか、いやだとか、うんざりだとか、思ったこともない。

職業という一時の居場所ではなく、住職が、法になって生きることという勤めでもあるからだし。

仏教にとっては初歩の、自分の心を見つめ、わき起こるいっときの現象としての思いを、見つめることができるからだ。

鼻で飯を食う

2016/09/05 12:34
お年寄りが言った言葉が気になって、調べてみたのですが……わからない。

「鼻で飯を食うとお金持ちになれる」という俗諺があるそうだ。

まさか話しの真偽を確かめたくて、食べ物を、飲み物を、本当に鼻の孔の中を通して、食べるではなく、吸い込むなど、してはいけません。

これは、鼻をつまんで、食事を食べると、食感がなくなり、食の感覚が鈍るのでしょうか。

美味なもを追いかけず、素の者を食べることでお金持ちになれるという故事なのでしょう。

『相反するものが共存していないと、大きな働き、大切な空間は作られない。臨床も、豊かな矛盾に満ち満ちて息づく所です。』

2016/05/26 15:57
上記の言葉は、鳥取市内にホスピスケアで知られる、「野の花診療所」を開設した医師の徳永進先生の言葉です。

仏教は、矛盾する現実を見つめ、そこからよく生きることを見つけることです。

そのために、禅宗は問答という、疑似問題を修行者に突きつけて答えを導きます。

例えば、「何も手に持たずにクワを持って畑を耕し、歩きながら自転車に乗れ」などと、現実では想像できない仮想の矛盾という構造の迷路に踏み込ませます。

こうした問答を考えなくとも、私たちの現実生活は、結果として矛盾を矛盾のまま生きる姿とも考えています。表題の徳永医師の言葉が示してくれています。

さて、毎年恒例の陽岳寺お施餓鬼、冒頭のお経の言葉は、「若し人が、過去・現在・未来におけるありのままという法を知ろうと願うならば、世界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし」です。

世界とは私の外部ですから、それを知ろうと思ったならば、内面の心を観ろという重たい意味を考えてみましょう。

観ずべしという観について、観音(かんのん)という熟語は、音を観るです。普通は矛盾してあり得ないことですが、例えば、突然近くで「ガシャ!」という音を聞いたとき、「何だろう、何の音だ」と意識が立ちます。すると、立つと同時に意識が過去に聞いた音を、場面を見出し、同時に判断し始めます。

観は、「コウノトリのように目を大きく開いてよく見る」。光を観るです。

眼のの構造からみると、網膜に写して見るのですので、意識は網膜に写された映像を見ていると同時に過去の経験の蓄積や、それから類推する事柄を観ることになります。

観は、よく見る。注意してみる。観察。広くみる。見渡す。眺める。見物する。示す。あらわす。ありさま。様子。外見(形、態度、姿)。ながめ。見方。考え。意識(主観、人生観)。うらなう。考える。物見やぐら。お寺、遊ぶ。思う。研究する。思考力。止観などがあります。

止観とは観を止めた観ですが、「おのれ自身の心が造らない世界の一切」となるのでしょう。それが観音の観です。ただ観ること、自分の意識を加えない観です。

さて、徳永医師の語った、『相反するものが共存していないと、大きな働き、大切な空間は作られない。臨床も、豊かな矛盾に満ち満ちて息づく所』だと観ずべしと、読みたいのですが、大きな大切な空間と、矛盾に充ち満ちて息づくところ(空間)をどう観じたらよいのでしょうか。

徳永医師が相反するという言葉に、医師と患者という矛盾した関係、普通、それを矛盾した関係とは見にくいのですが……。

あるいは看護師と病人、介護者と看護される痛みを抱えたものとの関係は、つねに相反する矛盾した関係であることを、見つめることは少ないでしょう。

その「矛盾した関係が共存して」いないという意味は、私たちの言う信頼関係とも言い換えてもよいと思います。

そのことは、医師は病人を痛み苦しむ人を含んで成り立っていると同時に、病む人として、痛み苦しむ人も一人で苦しむのではなく医師を含んで、介護者を含んで、看護師を含んで成り立っている共存している関係です。

その関係にないと、大きな働き、相対する大きな空間は造られないと、読むことができます。

共存という医師と病む人の関係は、共存という一つになることで、互いに分離した関係になり、共存しながら互いに独立している関係こそ、『相反するものが共存している場所こそ、大きな働き、大切な空間』です。

しかも医師は、病む人の病む原因を見つけ、その原因から発生する不安や怖れという心配事を観なければならないでしょうし、病む人は医師に委(ゆだ)ねる信頼という心を持たねばならないでしょう。共に疑っていては、大きな空間は造られない。

その依存する空間とはどこにあるのでしょうか。

お施餓鬼の文は、『世界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし』と、世界を写している人間の心だと指摘します。

大きな空間とは、矛盾しながらも、互いを受け入れながら、生き生きと息ができる場所です。

その場所はまた、医療現場、家庭、仕事をする場所、憩いの場所、個人の力を発揮できる場所、みんなで何かをとげられる場所、一人でコツコツとできる場所、政治の場所、ワイワイがやがやにぎわう場所、独り孤独となって安らげる場所なのですが、そこはどこでしょうか?

『世界の一切は、おのれ自身の心が造る』です。

さて、この世に浮かんでは消えてゆくもの、すべては言葉といってもよいでしょう。記憶された言語です。

まどみちお氏の詩、「ひとではない!」
『持っている手をはなすと コップは落ちる。そうして教えてくれるのは 人ではない。
落ちたコップは いくつにか割れる。そうして教えてくれるのは 人ではない。

コップの中の水は とびちる。そうして教えてくれるのは ひとではない。
とびちった水は やがて蒸発する。そうして教えてくれるのは 人ではない。

この世のはじめから そうしていちいち、教え続けてくれているのは 人ではない。
ああ 人ではない!尽きない不思議を。えいえんに 教えてくれるのは。』


共存しようとするから言語が必要になります。まどみちお氏は「人(意味と言語)ではない」と、詩のなかで語ります。

言語が矛盾を造って、この矛盾がなければ大きな世界は作られない。

人にとっては、相反するものがなければ生活できないことも確かなことですが、徳永医師は、矛盾しながらも「共存」していないと、大きな働きや空間は作られないと、発言しています。

世の中は、相反するモノの意味づけによって成り立っていることを、知ること、見極めること、見つめることができなければ、大きな働きも、大切という空間、居場所も知ることはできないとも、徳永医師は話されているようです。

物と物、意味と意味、人と人、環境と環境、存在と存在との相反するものの関係による意味とは、言葉に集約できるモノです。

また相対するものの関係は、私という、意味を作り出す意識がなければ見つめることもできないのですから、意識とは言葉で表現するものと解釈してもよさそうです。

しかも、意識といえば、記憶も含まれてきますので、過去の記憶から積み重ねられた私や俺という、今の私でないものの意識までもが含まれてくるから厄介です。

過去の記憶から積み重ねられた私という意識こそが、相反するモノの共存を分析できるのでしょうか。

価値や生き甲斐という、意味づけしたものが壊れれば、安定した心として平安が保たれないたとえを、しばしば見ることができます。

徳永医師は、矛盾した大きな働きを活かす場所こそが、矛盾しながら矛盾をいとも簡単に超える場所として実践した空間・場所だったのでしょう。

世界は、そう、矛盾したまま共存して作られた私という世界でしょうし、しかも、その私は、徹底して他者を支えるとしたら、そこには自分は無く、他者もいないものです。

しかも、それが言葉が誕生する以前の場だとしたら、無限大から極小を含んだ世界でしょうし、その世界はもともとあった世界ともなり、生き生きと息づくところと発見できるでしょう。

心サッパリ!

2016/05/07 16:23
禅は、無心を説きます。
その無心は、平等・空・本体・実相・性空・本性・仏性・父母未生以前本来の面目・永遠・浄土・平安・平成・平和と言い換えることができます。

そう気づいてみれば、そこには矛盾したモノはなにもないし、仵(さから)うものもないはずです。

難しい字ですが、この仵(ご)という字は、聖徳太子の十七条の憲法の第一条にある漢字です。

「和をもって貴(とうと)しとなし、仵(さから)うこと無(な)きを宗(むね)とせよ」。

辞典には、耳にさからうがあり、すると眼にさからう、鼻にさからう、舌にさからう、身にさからう、意にさからうものなしと読めます。また、あるがままに見る、あるがままに聞く、あるがままに嗅(か)ぐ、あるがままの事実として受け取る、あるがままの意識に写すと読めます。

そして始めの、和という字を左右に分けてみると、禾(か)は会うの意味で、口は人の声と声とが合う意味だそうです。

和の意味は、和(なご)むや和(やわ)らぎですので、人が寄り集まると和の正反対のことが起こっている現状に気づき、聖徳太子は日本で初めて憲法を作られたのでしょう。

深川にある富岡八幡宮の富岡という名称は、永代寺中興四世周光和尚の夢に聖徳太子が現れ、富岡と名づけよと言われたことによると、八幡宮社伝にあります。

周光和尚の夢の中に、聖徳太子が現れ、告げられた夢告が現実となってみれば、深川に聖徳太子が創られた十七条の憲法の精神が誕生したことにならないか。

その語られた精神は深川に、今も息づいていないだろうか。

我れに仵(さから)わないとは、下町の心意気と合わさって、地域の困ったことは我がことの困ったことだし、食べ物のお裾分けや、身体の不調に悩むお年寄りや障害をもつ人を気づかったり助けたりは今も残っている。

叱咤激励とは口うるさいと捉えられなくもないが、よくよく見れば人を思うゆえのことだし、口から出た言葉を、言った本人も聞いた本人も悪く解釈したり根に持たない。

和をもって貴しの実践は、今も下町にこそある。

腹に一物もないところから出る行為や言葉は、サッパリしている。まさに仵うことなしの実践だからです。

強調や協和などと押し付けるのではなく、サッパリしていて良いではないか。

自分に自己にさからうものなど、もともと在るわけでは無いのだから。

そのもともと在るわけ無いところに、在るわけを創って、そのわけを後生大事にしまって他人にまで及ぼそうとするから、聖徳太子は、「和をもって貴しとなし、仵(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」と語られたのでしょう。

和という字の禾(か)は会うの意味で、会うことで一つになることではなくて、会うことによって、会う人それぞれをあるがまま見る聞く触れるですから、おのずから異なっていることを、仵(さから)わずに受け入れることで、それは会うことで区別し分離するということ意味が含まれています。

他人へのお節介も、サッパリしているから、何もないから、お節介をするのであり仵(さから)わない自分を表現するものです。

自分に逆らうモノなどもともと無いサッパリとしているモノが、和してお節介に現れる。

さからうものが無いから現れるのであって、お節介があって現れるとしたら、そのお節介は思い込みやつくられたものです。和して現れるモノではない。

また和光同塵(わこうどうじん)といって、サッパリとした心ゆえに、あえて人のため自ら汚れることを苦にせず尽くすという四字熟語もあります。困っているから、苦しんでいるから、気の毒だから、危なっかしいから、弱っているから、「手を貸せずにいられない」は、「仵(さから)うこと無きを宗とせよ」という実践で、サッパリとした心の表現でした。

考えてみれば下町の暮らしは、「和して同ぜず、同ぜずして和す」だった。蓄えるより与えるケチケチしない精神が、サッパリとした心持ちだったはずだ。

心の中に思いだらけだったら、人と人とが相争って、人の顔や姿など見たくもないと思うと同時に、思った人も思われた人と言うことにモノが一杯では気づかないし余裕もない。

心の中にサッパリとして何もないから、思ったことがないから、感動に身が震えることもあるし、本当に悲しんで泣くことができるのです。これを大切にしたいのです。

さて仏教の縁起には「同のゆえに異、異のゆえに同」という見方があります。これは現実を語ったものです。

心サッパリを同、身が震えることを異と観て下さい。

同は合うという意味と同じであることから、合うことは同時に分離して分けられることを含んでいますので、異なる・分かれる意味を持つことが分かるでしょう。

異なるから数の多を現し、同は、一を現して、一多相即(いったそうそく)と読みます。

相即は相(あ)い即するで、即は時間と同時という意味を持っています。また異は差別、同は平等を現します。

平等・空・無・本体・明・性空・実相・仏性・仏神・菩提・本性・父母未生以前本来の面目・永遠・浄土・平安・平和・先祖代々・内容・無辺・無字・絶対・連続・非断・常劫不変=これを正位(しょうい)として分けていますが、不可得にして頭の中に描くことができないものとして、しかも描いた途端それは偏位となるもの。更に言えば文字や言語で言い表せないモノとなります。

これらに対して差別・色・有・現象・暗・因縁・縁起・因果・凡夫・煩悩・私・瞬時・地獄・不安・戦争・霊・外観・場所・山川草木・相対・非連続・非常・瞬間=遍位(へんい)と言いますが、増えたり減ったり、縁起によって原因結果による変移するもので、思想・観念・認識、思い出に夢や体験、経験・記憶・信仰なども含まれています。

仏教では正位と偏位を論じて、もし正位のみならば因果なく縁起もなく時間も場所もない、もし偏位のみならば、相続はないと言います。

どこまでも正位にして偏位、偏位にして正位のところに、具体的な事実の世界というものがあります。

深川だけでなく下町の、「勇み」や「情け」という文字に表せない、サッパリとした一物もない心が勇みとして情けを産み、その情けが後腐れのない勇みを垣間見せる姿に、生き生きと脈を打って流れる江戸の庶民の歴史を観じています。

芭蕉もここで育ったし、義民の願いが成功したのも深川の歴史です。

勇みは正位の智恵だし中味カラッポ、情けは心カラッポの中に咲く、自由さの象徴まるで自己の開花のようです。

心サッパリだ。

一日暮らしの工夫

2016/04/02 16:06
《 一大事と言うは、今日、ただ今の心なり。
ある人の話に、「一日暮らしという工夫」をしたことで、心がのびのびするとともに、これは身を養うに肝要なことと得心したという。

それはどうしてかというと、一日は、千日万日の初めであり、一日一日と、充実した生を努めれば、その一日のおろそかにすることは、千日万日一生をおろそかにすることでもあり、一日を無いものとすることと同じなのだ。

人の命は、明日もあるか解らないものだ。明日に執らわれると、今日の心が明日に執らわれて、心を遠きところに置くこととなる。

今日がつらくても、一日の辛さと思えば、何とかなるし、楽しみだって今日一日と思えば、引きずらずに溺(おぼ)れることもない。

人生は長いからと、親にいたわりの心を向けないことは、愚かなことだ。

一日一日思い尽くせば、退屈せずに充実した人生だ。一日一日努めれば、千日万日努めることができよう。

それを一生と思うから、距離が長くなり遠い道となる。一生は今日一日のこと。その一生が長いと思っても、千日万日後のことは、誰も知らないし、わからない。

しかも、今日を限りの一日と生きれば、死も寄りつかずに、一生にだまされない。

一大事と言うは、今日ただ今の心なり。

それをおろそかにして翌日あることはない。すべての人に、遠きことを思いはかることがあるけれど、それは的面の今を失う心に気づかない。 》

松代城主藩・真田幸村の兄で、真田信之(のぶゆき)の子で、臨済宗の僧侶となった道鏡慧端(どうきょうえたん)禅師をご存知でしょうか?

世に正受(しょうじゅ)老人と、親しく呼びます。

正受老人は、即心記、自性記など記録したものが残されていますが、「一大事というは、今日ただ今の心なり」が有名です。

正受老人の言葉は実践するに分かり易い。

NHKで「真田丸」が放送されていますが、正受庵がロケ地に使われていることをご存知でしょうか。

今を生きる、今を大切に、今でしょうと、今を注目している世相は、過去や未来が危機に瀕しているということでしょうか。

「今日、ただ今の心なり」は、仏教の歴史です。

仏教の思想は、空(無心)と縁起(関係)が二本柱です。

縁起は、結合と分離の法則とも考えられます。「結合することは分離することであり、分離することは結合すること」を考えると、過去現在未来の関係、こちら側とあちら側の関係など相対する関係がよく見えてきます。

今というとき、人は時間が誕生し過去と未来に分離することは理解できます。

ですが、逆に今があることで、過去と未来が結ばれた関係を見ないものです。

現実は今しか人は生きることができません。今ばかりの現実に今は分離できるのでしょうか、今はあるのでしょうか。

無心と念も、相対する関係となれば、結合と分離の関係が見えてきます。念を消そうとすれば、消そうとする自己が分離するものです。

記録されている「即心記」より、下記に抜粋してみました。

《 人は迷っては、この身に使われ、悟ってはこの身をつかう。

教えは大きく誤るものともなり。それを習うことは、なお誤る。ただ直に見、直に聞け。直に見るは見る私なし。直に聞くは聞く私なし。

人は、私という思いや経験から、人(他人)を見るものなり。私に利欲あれば、他人をもその心で見るなり。色ふかきは、色ふかき心で見るなり。

火はものをこがすが、こがすことは知らない。水はものをうるおすが、水はうるおすことを知らない。仏は慈悲して、慈悲を知らない。

人に慈悲しなさいと教わることは、仏の真似をしなさいということなり。慈悲のもとは心の清浄さ、心の清浄さとは無一物なり。

人は家を造って居となす。仏は人の身を宿す。家のうちに亭主つねに居所あり。仏は人の心に住むなり。

仏と言うも、天道と言うも、神と言うも、みな人の心を言うなり。

生死も知らぬところに名をつけて、涅槃と言うも言うばかりなり。

何ごとも修行と思いする人は、身の苦しみは消えはてるなり。

いろいろの教えに迷う法の道、知らずはもとの物となるべし。

天は身なし、念なし、心なし、是非なし。身あれば、八万四千の悪念あり。身のために苦しむこと、確かなり。

思うままに使いなれたる我が身かな、使う我が身も我もなければ。 》

この慧端禅師は、寛永19(1642)年、信州飯山城で誕生しました。13歳のときに、お城に説話に来られた禅僧が、「自己の内に観世音菩薩あり」と説く言葉が忘れられなかったと言います。

その後、慧端禅師は19歳になって藩主松平忠友 (ただとも)の参勤交代に随伴して江戸に出府しました。

その江戸で、麻布の東北庵(とうぼくあん)に住職していた至道無難(しいどうぶなん)禅師に出合ったことが、慧端禅師の出家への道を開くことになりました。

そして、寛文元(1661)年に無難禅師の法を継ぎました。なお、この無難禅師の師は、愚堂東寔(ぐどうとうしょく)禅師です。

しかも、愚堂禅師には三首座(弟子)がいて、陽岳寺二世錐翁(すいおう)禅師、無難禅師、無明(むみょう)禅師が継承(けいしょう)しています。

無難禅師は法系の上で、錐翁と兄弟関係になります。

そして陽岳寺の創建が寛永14(1637)年ですので、その頃の陽岳寺住職は錐翁禅師のころです。

当時、俳聖芭蕉(ばしょう)が新しい俳句を求めて参禅に通っていた仏頂(ぶっちょう)禅師は、錐翁の法系を継いだ禅師でした。

さて、無難禅師から法を継いだ慧端禅師は、一カ所に住まずに行脚の旅を東北へとワラジを履きます。

行脚して3年が過ぎ無難師は、東北庵に帰って来ます。

そこで無難禅師からから住職に推挙されるのですが、慧端禅師は固辞して諸国の行脚を続け、寛文6 (1666)年生まれ故郷の飯山に帰ります。

藩主松平忠友は喜び、飯山に正受庵を建立しました。

しかし、慧端禅師の修行は、それ以降も続き、無難禅師が江戸小石川の至道庵(しいどうあん)に転居したあとも随侍(ずいじ)して延宝4(1676)年無難禅師が亡くなるまで続きました。

その後、水戸光圀(みつくに)に二度も請われましたが固辞し、信州飯山の正受庵にて死に至るまで、清楚なたたずまいの庵で精進したという。

僧侶として法階も一番下で栄華は求めなかったという。

藩主からは立派な寺院建立と石高の寄進があったものの、「民の利を奪うことは、僧のすることではない」と断ったことが人柄を表現しています。

それ以降、信州飯山の正受庵に住んだことから、正受老人と言われましたが、この「正受」という扁額は、無難禅師の揮毫(きごう)で、臨済宗の正統の教えを継いだ証拠として正受老人に与えられたものです。

なおこの正受老人から、白隠禅師が誕生したことにより、臨済宗には妙心寺派等ほか各派がありますが、白隠系臨済宗として統一したものになりました。

三途の川

2016/03/19 17:14
三つの道と書いて、「さんず」と読みます。そして三途の川と言えば知らない人はいないと思うのですが、最近の若い人が知っているか、聞いたことがあるかはわかりません。

もっとも、妖怪ウォッチぷにぷにというゲームがあり、地獄のエリート番犬で、三途の犬というキャラクターもいますので、地獄にいたる道、あるいは川には、この番犬が地獄を守っているだろうことぐらいは知っているでしょうか。

ちなみに、連続ドラマで、『あまちゃん』で、潮騒のメモリーのバックコーラスは、SANZU RIVERと歌っていました。
皆さんはご存知であろうと思うのですが、この三途の川は、この世とあの世とを隔てるものです。当然、この川岸は広く深いので泳いでは行けませんから、舟や橋が必要と思うのです。

伝わり読むところによると、平安時代末期までは橋もあったと聞く賽の河原でしたが、その平安末期以降は、舟で渡るという方法が主流となったようです。

しかも、この舟に乗るにもいろいろと準備が必要ですし、その前にこの河を渡るためには、お二人のお年寄りの面接を受けなければなりませんでした。

一人は、奪衣婆(だつえば)という名で、六文銭を持たされなくって、たどり着いた死者に対し、衣服を剥ぎ取る役目を負った内面に厳しさを秘め、年令は常識では数えられないほど重ねた女性でした。

しかし、この奪衣婆は不思議なことに、江戸市民が文化的に豊かになると一種のブームが湧き起こって、賽の河原から離れた都市のお寺に祀られて、閻魔大王共々信仰の対象となった時代もあったのです。

豊かにはなったけれど、心は苦しかったのではないでしょうか。

もう一人は、懸衣翁(けんえおう)といって鬼の様相をした、これも年齢不詳の鬼の翁でした。

彼は、奪衣婆が奪い取った衣服を、衣領樹(えりょうじゅ)という大きな木の枝にかけ、その重さで死者の罪の深さを測ったといいます。

その罪の深さという重みによって、賽の河原である三途の川を渡る場所が決まり、川の流れの早瀬や深瀬に渦をまいた場所などが決まるというのです。

さて、賽の河原といえば、さらにもう二組の登場人物がいます。

それは、親に先立って亡くなった子供と、その子供たちを救うお地蔵さまでした。

親から見ると、先だったという子供の親不孝が告げられ、その報いとして苦を受ける因果の法則なのです。

今の時代から考えれば、親の勝手というか、親の論理でものごとを考えることから、子どもは親の所有物という時代だったのでしょうか。

必死に泣く早死にした子供は、時代背景を背にしてですが、遺された親の供養のあかしとして、両親への想いを心に篤くして、河原の石を積み上げるのです。

そこへ鬼が出てきて積んだ石を崩してしまいます。幾度も幾度も子供たちは親の面影を浮かべて石を積む、そんな姿に親たちの苦しみがあるということなのでしょう。

早死にの親不孝の子どもの、親孝行に支えられて生きるご両親も、苦しいことでしょう。

しかも子供にして見れば原因があっての別れであるにもかかわらず、子供から遺された言葉は、河原の石を積む姿しかないのです。

賽の河原の舞台で、子どもの心を救済するのは、すべてお地蔵さまです。それがたとえ「報われない努力」にしても、ただ積むという行為に、子どもの今があるような気がいたします。

幼子は母親や父親など保護者に依存しています。

幼子の沈黙の言葉を代弁すれば、「お母さん、お父さん」なのでしょうし、泣き声です。

子どもの言葉が聞こえない意味があるとしたら、叫びや表情なのでしょうし、叫ぶ子どもの心には「お母さん、お父さん」という響きが一杯となっています。

その見えない声を消すことができるのは、お地蔵さまだったのです。何故なら、お地蔵さまこそ、お父さんやお母さんの化身だったからです。

こうした物語や意味は、民間伝説だと言うけれど、一言で片付けられないのは、人間の死後の恐れがもつ宿命のような気がするのです。

さて、その三途という意味は、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)という世界です。

また、三途の川は、人が亡くなって渡るイメージが強いのです。

三途の川は川の流れですので、川自身が地獄・餓鬼・畜生なのではなくて、この川はこの世とあの世を区別する時間や距離であると考えるのが正しいでしょう。

そして人が亡くなって、その三途の川を渡るというイメージの意味は、死んでから渡るという意味ではなく、生きているうちに、知らずに犯している、地獄・餓鬼・畜生の世界を表現しているのでしょう。

これは、彼岸という岸にスポット当てていますが、相対するこちら側、此岸を逆にスポットを当てたものです。

しかも、六道に輪廻するという言葉があるように、三途というに地獄・餓鬼・畜生に、阿修羅・人間・天上という三つを足したものが六道という此岸の巡礼の道をも現しています。

さらにこの(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)六道は、一つ一つは別々のものではなく、それぞれ私達の心の状態を指しているようです。

現実と心の状態とのギャップを表現したものです。

これらはまた、希望、願望、切望、欲求、うぬぼれ、自慢、思い込み……と心の渇きから繰り返します。

地獄とは、もがき苦しむ正にそのものの状態をさすと言ってよいでしょう。

「……が、たまらなくしたい。……が、どうしても欲しい。」と、いまだ実現しない状態です。

そのもがく苦しむ状態から、抜け出そうと必死になって無理をする状態は、餓鬼そのものです。

そうするともう他人なんか見えずに、おかまいなしに悪いことまでして、人を蹴落とし、抜け出そうとする状態を畜生と言ったらよいのでしょう。

さらに阿修羅となると、その欲求を抑えることが出来なくて、暴力をふるって、人に危害を加え、悪知恵を働かして、人を虐げます。

そんなことをして目的を達し、やっと、落ち着いたところが人間で、ホッとした所ですが、それはすぐに転落するものを含んでいる世界です。

そうすると、人はうぬぼれて、今度は自分が見えなくなり、つまりは、固定的な観念に陥ってしまいます。

それが天上で、しばらくすると、「何で私が受け入れられないのだ」と、地獄に逆戻りです。

六道の一つ一つは、それぞれが五つの道を含んでいるから、すべてが繋がっていると言えそうです。

この現状にたいして、仏道とは、この連鎖を断ち切る行為なのだと思います。
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父親

2016/03/01 15:26
親のことなど普段は考えたりしないものの、突如として考えなければならないことに遭遇するときがあります。独立、結婚、親の突然の死と。

それだけではなく、子供にとっては、成長の過程に親を思い描いて必要とする、その都度その都度その場所で、親のイメージを意識して、浮かんでは消えてと繰り返しているものです。

私にとっても、親は、もう亡くなってはいるものの、自分の成長の過程に今も生きているといえます。

ただ私の意識は、懐かしく両親をいたわり慈しみ、思い描く母の姿父の姿に、あのときの私と両親とのかかわった記憶に今も生きています。

あたりまえと思えば、当たり前なのですが、子供にとって親の居場所は、その時その場所によって大きく変わり、事実が意味となることで、全く変わってしまうのです。

もうじき、私の年令も両親が他界した年令に追いつくかもしれません。

結局、私がその時になってみなければ分からないことですが、世界や環境の変化において生きる人間にとっては、どんなことがあっても「私を産んで育ててくれた。生かしてくれた」、有り難うの気持ちだけは忘れてはならないことと戒めています。

どんなことがあってもです。

親の法事は、子供の務めですし、ひるがえって子供のためなのです。そのとき幸福であっても不孝であってもです。

さて、親は、子供の胸の内はよく分からないものと、はっきりと言います。それは自分のことも知りようがないと感づいているからです。

親という意識の中には、自分・親が死ぬまで子供という存在を、所有しているという観念が隠されていることに、なかなか気づかないのです。

成長期の子供は、「自分のことを分かって欲しい」と思うものであり、親は「お前のためを想って、考えているから」と伝えるものです。

しかも親を意識しなければ、「ほっといて欲しいし、自由にさせて欲しい」と、無視することもあるでしょう。

そんな家庭では、何となくそれが分かっている場所なのでしょう。

「お前のことは誰よりも分かっている。なぜならお前は、俺の子供だからだ」と。ところが、子供が痛いと怪我をすれば、悲しめば、親は自分(親)を忘れて子供の痛み、悲しみとなれる存在なのです。

これは親の居場所の特権です。

ところが親はそんな存在であることをわからないものです。

そのことに気づけば親の中で、親という居場所なくなるのに、親のカラを飛び出して、子供含んで自分の存在はあるという、子供の行為すべてが実は親自身の姿であるのに、それを理想としたり、願いとしたり、親という居場所が持つ所有という意味がでてきます。

親にとって、子供は無二、二つと無い存在です。ただそれだけ。

なぜなら子供とは親の根拠だからです。しかも親の根拠は、親にないところに親は居るのです。

幾度となく、親の葬儀の導師を勤め、子ども達から幾度も聞いた「頑固だった」という言葉の多さに気づきました。

そう、「頑固さ」とは家庭の中の父親の居場所のような気がします。

死は、存在の仕方が変わることですが、どのみち存在の仕方が変わるなら、変わる前に、頑固さという居場所の正体を明らめてもよいのでは。

家庭って、本当はみな違う意見を持っているのに、その違いをそれぞれが容認している場所でもあるようです。

その特色は、違いが分かっていてもその違いを攻撃したり非難したりしない場所として、有ってないような、無いようでいて有る、矛盾した場所のような気もするのです。

だから家族のコミュニケーションも、無いようであって、有るようでない。家族それぞれ別々の方向に向かう起点なのか、これも矛盾している場所。落ち着くと言えば落ち着くし、ひょっとして渾沌とした場所なのでしょう。

「親の頑固さ」、それが親という現実の居場所から親という意味を発信する電波源のようです。子供は独立すれば、それぞれの家庭を持って、夫になり妻になり、子供ができれば親となります。そして子供の独立した、新しい家庭という居場所が中心となってみれば、今までの親からの居場所から離れてゆきます。ところが、親の居場所には、子供の痕跡がすでに消えかかっているにもかかわらず、今もあり続けるのです。

生きる人間の根拠は、仕事や才能、名誉に趣味、年令や体力、病気や様々な欲や思いによります。年を取って醜いのは、現実は年とは関係なく、他人を、また他の機能する組織をおとしめたり、非難したり、疎外することによって自己評価を高くしようと本能的にする性質を持っているものです。

自分が可愛いと。思わせている自分は、誰でしょうか。

これも存在の根拠のようです。たいしたことはないのに、思い込みだから、見せかけでも価値あるもの意味あるものと、思わせているのはだれでしょうか。

世間ですか、生きるすべですか、全部自分です。

ところがその自分の深いところから、そんなものは無いに等しいのですが、一瞬一瞬と反応し、発信する意識のたわむれ、現象に面と向かう私という者は誰という問いかけ、その行為こそが仏教であり、臨済の教えとしての人間に課せられた問題でした。

子供から見れば、父親とは、先に進み歩む父の歩いてきた事実こそが、大切なことです。

それは、現実という移りかわる世界に、身を置いて次々と揺り動く父親の姿は、確かな存在ではなく、本来は、現実を切り開いて進む困難に、苦悩する顔を持つはずです。

その確かな存在ではない父親を、確かな存在とするために、どうしても、父親のつくる背中が必要なのだとも考えてみました。顔はないと。

仕事に追われて、土日も働いている姿は、家庭にての姿は、子どもにとって、父親の記憶とは、母親と違って不確かなものです。

家庭を支えるという意味では、父の姿は見えにくく、家庭がそこに在るという事実こそ父を表現するものです。家庭にとっては見えにくいのが現実です。

考えてみれば、妻や子ども達から働かされて働いていたという認識は、いつしか会社でも動かされて動き、動いて動かされる、そこには喜びも生き甲斐いという意味が生じます。

活かされて活きるも、活きながら活かされるも、動かされて動くも同じ内容です。

赤ちゃん誕生から祝福され教えられて歩かされていたと思っていたら、いつしか自分が歩いていたという意味になります。

その自分の歩みは、自己以外の他者によって歩かされて歩く。

俺が家族を養っていたと思っていたら、いつの間にか、俺が家族から妻から養われていたという気づきです。

養うことは自分自身を養う意味となり、家族に広がります。そして広がっていたと思っていたら、自分に広がって返ってくるわけです。

家族葬

2016/01/29 15:05
家族葬という形の葬儀が増えてきました。

家族だけならば、遠方からでもご遺体を陽岳寺に搬送することができます。

本堂内の正面、本尊様の前に棺を安置して、親しく水入らずで本堂から送ってあげることもできます。
日頃からお参りしているお寺の本堂です。

知らない場所より住まいの延長である場所として、使用することをお寺にご相談下さい。

リンクしてみました。

2016/01/20 09:45
安心亭http://homepage2.nifty.com/anjintei/
[リンクしてみました。]の続きを読む

新年 明けましておめでとうございます。

2016/01/01 16:50
今年も、新年を迎えられたこと、何よりもお喜び申し上げます。

ノーベル賞受賞者のシンポジウムで合意された宣言文の一部です。

「……人と人との中で暮らしながら、私以外の他の人の考えや見解が認められなければならない。

誰でも自分自身の考えや信念に囚われているときは常に正しいと思う。しかし厳密な意味では、すべてにおいて、正しいということは絶対にない。

そのような主張は、生きている生活から逸脱した場にだけ存在する」と。

この生きている今・ここと、逸脱した場所とは、何処と何処でしょうか?

すべての人々が、幸福でありますように。

平成28年正月

途中にあって家舎を離れず

2016/01/01 14:44
臨済宗の祖、臨済禅師は、臨済録に於いて、「途中にあって家舎(かしゃ)を離れず、家舎にあって途中を離れず」と記しています。

途中とは目的地があるなら、ここからあそこまでの今の一歩です。そして家舎とは今の自分とも、今という無心な自己とも表現するものです。

そこで、人生という長い旅から見れば、すべての歩みは、今の一歩にあると読み替えることができます。

しかも、この一歩一歩を、別の言葉で表現すれば、吐く息吸う息ともいえます。

人はその吐く息吸う息を意識しないものです。

意識しないからこそ、私は「仏の息」とも時に言い換えるのですが、この息が感謝されることは普通の日常の生活では少ないことです。


静かに坐って自分の息を見つめる。不思議なことに息を見つめていると、自分の存在が無くなることがあります。

今そのものになっている状態ですが、ふと時計を見ると何十分何時間と経過していた今であったりします。

ただ単に時間が過ぎていたことに気がつかなかったとも言えるのですが、それだけのことなのでしょうか?

仕事に没頭しているとき、スポーツに没頭しているとき、考えごとに没頭しているとき、辛さや楽しさに没頭しているとき、自己はありますか?

人間の人生という一刻一刻の時間を解体してみると、その都度の一刻に活きた私があるだけであって、ふと人生はあったのかと不思議な疑問を持つのです。

しかもその一刻一刻の私は、言語と記憶、意味によってつなげ、歴史を、思いを創り上げている自分が居ることを考えたことがあるだろうか。

しかも「途中に在って家舎を離れず」という家とは、どんな場所と時間を指すのか、何を意味するのか、ここという意味なのか。

詩人の長田弘さんは、詩集「死者の贈り物」に書いています。

《目的地なんて人生にとって有るはずもない、すべては途中にすぎない。しかも途中でありながらすべてを含んでいることも事実なはず。

過去を思い出して、あるいは、未来を描いて、自分に与えられた人生ではあるのだが、でも、本当に与えられた時間は一瞬に過ぎない。

考えることも、思い出すことも、未来を描くことも、現在の一瞬でしかないではないか。

文章を書くボールペンのボールの転がる先に、筋がついていくが、それは時間であり、自分の歩みが、延々とつながって表現されているにすぎない。


震災で瓦礫となってしまったもの、泥だらけになった生活の中の便利に使われていた数々のモノ、切り取った時間と場所を表す思い出の写真や飾られたモノ、それらすべてが人生の途中を表現していた。

そしてその途中にあったそれぞれの一瞬は、生き残ったそれぞれの一瞬に合流して、今も、時を刻んでいるといえないだろうか》と。


葬儀では、亡くなった人の人生の意味を、こちら側からあちら側という旅に見立てます。

残された弔問の方々の言葉も、この場所で今どう言えばよいのか、家族に対しての言葉でもあることから、今の心象の言葉を選びます。

「良い奴だった。本当に悲しいし寂しいんだ。一人になってしまった。残念だ。有り難う」。人によっては、「申し訳ない。すまなかった。あやまる。有り難う」と。


遺族にとっては、故人への存在が大きければ大きいほど、依存していた自覚が大きければ、悲しみも寂しさも大きく言葉にはならないものです。

しかも否応なく時間が過ぎ去っていくことは、こちら側とあちら側に引き裂かれる悲鳴を見ることも多い。

その後も苦痛を持ち続ける姿に、上っ面の言葉は却って不審をおぼえることもあるでしょうし、現実の事実の過酷さを突きつけることも難しいものです。

そこで、私は、あの世とこの世について、こちら側とあちら側について、「向こう岸に着いたら、もう船は入らない」と故人に告げます。

しかも人生には、「こちら側のことは、あちら側によって決まる」こともあるのだろうし、「あちら側のことはこちら側によって決まる」こともあるのだろうと考えています。

何故なら、こちら側の根拠は、あちら側にあり、あちら側の根拠は、こちら側にあると言えるからです。そしてこのことは、あちら側もこちら側も、同時に今成り立っているはずなのでね。

さらに、あちら側を死の世界に、こちら側を生の世界に当てはめてみれば、死は生を含んであり、生は死を含んであるとも言えるからです。これが相対的な世界です。

考えてみるとそれは、こちら側の私たちの目や耳腕や足までも含めて、すべてあちら側という外側に向っているということで説明できるのかも知れません。

すると、あちら側の人たちは、こちら側を向いているとも言えるからです。

禅宗の語録、無門関の第8則に、こんな話があります。

「車を形作っている部品をすべて解体してみると、車はどこにあるか」と。

途中を歩む人間を、車に見立てて車の姿形や性能や理念も、いちどすべて解き放してしまえと話を進めます。

そしてこの公案の車の両輪とは、強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観、積極と消極など相対的なものは、もともと分かれていないと、車は一つと見極めることを説きます。

さらに、その見極めた意識も放って置くと説きます。強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観は、一つです。

そこで改めて考えることは、車はあったのか、生死する車という自己はあるのかとの問いに、もともと無住にして無相、無念という自己は、生も死もないことから、自己とは不生にして不滅の今の私であることが分かってきます。

その車に気づいて、不生にして不滅なものが瞬時も留まることなく活発に働く無常な途中という意味を確かなものとしなければならないでしょう。

そうでなければ、ただあちら側という今の人生に流されて、途中でありながらも現実の確かな今の自分を失うことになるのかも知れません。


車は車として、人やモノを運ぶ今の車がただあるだけです。


家舎もなく途中にもあらずと、家舎を離れて家舎もなく、無心や無我に置き換えてみますと、途中にあらずとは、一瞬一瞬の無心な今を生き続けることとなります。

厳密にいうと、仏教は生があって死があるとは言いません。

「生は生のみ、死は死のみ」ですから、生の居場、所死の居場所は、時間的な経過ではなく、常に今の居場所となります。


それはあちら側もなく、こちら側もない今に、生が輝いていると思うのですが?

誰がこの言葉を吐かしめるのか?

2015/12/09 12:51
俺は何をしてしまったのか?

何て言葉を吐いてしまったのか?

何てことをしてしまったのか?

知らず出てくる言葉は、私に向かって言う言葉です。では誰がこの言葉を言わしめているのか、考えたことはあるだろうか?

そしてその問いを起こす私の心の中に、深く答えを求めたことがあるだろうか?言ったあとのことです。

言った私が、言う相手の私との自問自答に、私の中に二人の私がいて、主観(私)と客観(相対化したもの)という意味では、客観化された私が過去や未来を含めれば無数に存在してしまう矛盾に気がついただろうか? 

そんな疑問が生じたら、自分の心をのぞきながら、禅の問答を見てみよう。

先ずは禅宗の中国での初祖達磨(だるま)大師と二祖慧可(えか)大師の問答です。

《達磨に対し、心が静まらない慧可が、「どうか私に安心させて下さい」と問うた。達磨が答える、「その休まらない心を持ってこい、あなたと共に安心しよう」と。慧可は、「貴方に弟子入りして、長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」と告げた。達磨は、「慧可と共に、安心したではないか」と答えた。》

大体問答は簡潔にして要点だけです。慧可の言った「長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」の言葉は、原文では「心を求めるに不可得(ふかとく)」です。この「不可得」で悟った慧可。心コロコロ転がる心、探せば探すほど心なしか自分を見失いますが、その見失ったままの心はあるのだろうか?見失ったことに何が悪いのかとも考えられます。

黄檗(おうばく)禅師(臨済の師)という方は、「人は、不可得という空に落ちることを恐れるものだ。もともと心が空であることを知らず。愚かな人は、心で事(現象)を除いて心を除かず。賢い者は、心を除いて事(現象)を除かず」と、話されていました。

難しく考えることはありません。私の中には、自分でも想像がつかないほどの、素敵な私がいる。その私が最大限現れたとき、私の中の智慧や慈悲、下町では勇みや情けが現れるものです。

次に六祖慧能(ろくそえのう)禅師と南嶽懐譲(なんがくえじょう)禅師の問答です。

《懐譲が初めて慧能を訪問したときに、慧能は言った、「どこから来たのか?」。懐譲は「嵩山(すうざん)からまいりました」と。慧能が言う、「何ものが、このようにやって来たのか」》

この質問に対して懐譲は答えられなかった。そして8年後その答えをもって慧能に答えた。「一言でも言えば、当たらない。はずれてしまう」と。

なんと長い年月がかかったことでしょうか。

こんな問答もあります。
《達磨が武帝(ぶてい)にお会いした時です。武帝は達磨に、「私と対話しているものは何ものか?」と話しかけます。達磨は武帝に、「不識(知らん)」と答えたのです。》

達磨の伝えた禅は、自己を直視するものですが、どんな時代でも「花子さん!太郎さん」といえば、呼べば「はい。何か用ですか?」と答えるものです。

「知らん」や「言えばはずれる」では、まるで喧嘩をけしかけているような。でもこれはあくまでも禅の修行であり、自己とはと、究める真剣な修練です。

実は呼べば答える自己は、「はい。何か用ですか?」と無心(言えばはずれるものから)に答える私でもあるからです。

ではそんな心の中の不可得な私を、平常どう目覚めさせればよいのか?問答を見てみましょう。趙州(じょうしゅう)禅師の問答です。

《修行僧がお師匠様である趙州に質問します。「修行する者の自己を教えて下さい」と。すると趙州は、「そうかね。ご飯は食べたかな?」と僧に答えました。僧は、「はい。ご馳走様でした」と答え、それに対して趙州は、「それならお椀を洗っておきなさい」と。》

普段通りの会話?なのですが、この修行僧は、ハッとして悟りました。「この修行する学人の自己」という私が、その私のことを他人に教えを請うなど矛盾していることに気づかないものです。すでに、問いに答えがあるはずなのにです。

よく「私って、こうじゃないですか?」という会話、自分の嗜好や思いを私が他人に思い込ませ限定させ、アピールさせる会話をよく聞きます。

私が私の思いの中であえて狭めて、限定した自分であると、他人に知って貰いたいというその自己を見つめます。

その私は、もっと可能性を秘めた、自己とは自意識ではなく、働きや行為・現象によって生ずる自由なものです。そんな自己に対しての問答です。

《瑞巌師彦(ずいがんしげん)禅師は、毎日常時、私に対し「主人公」と呼びかけ、自ら「はい」と答えた。そして「目を醒まして。くらましてはならないぞ。はい!」と言っていた。》

これも問答あり、不可得な私に徹することを戒めるものですが、これがいかに難しいことか知らせてくれます。首山(しゅざん)という禅師は、私を「汚染させるな!」と語っています。

釈尊は、「成道して49年、一字(私という不可得な自己)も説くことができなかった」と語られています。

しかも、語らない山や川や海の「語り尽くす山雲海月の情」と私は見聞します。

二宮尊徳は「声もなく香もなく、常に天地(あめつち)は、書かざる経を繰り返しつつ」とも語っています。

最後は、維摩経にある言葉です。《本有円成仏(私の中の本来の完成された仏性)、何としてか還(かえ)って迷倒(めいとう)せる衆生となる。》

人は何時でもどこでも誰でも、何にも汚されない私(仏性)を持っている。それがどうして迷って顛倒(てんとう)した私となっているのか?と喚起させます。

妙心寺派元管長西片擔雪老師は言います。「迷いがない悩みがないということも、実は迷いなのです」と。

花が咲くのも無心、話を聞くも無心です。嬉しいも無心。心通わせ曇らせるも無心。

減っても大変、増えても大変です。

2015/12/01 16:51

江東区の人口が、今年7月に50万人を超えました。11月1日現在で、501,017人となっています。

これは湾岸エリアの豊洲の人口増加に多くの理由があります。

しかし、陽岳寺のある地区の明治小学校も、来年の小学1年生は6クラスとなりそうな勢いに、児童総数は1,000人を目指しているような気もします。

平成13年に白河地区の小学校が、児童減少で閉校となっていたなんて、どこか違った地域のような、人口減時代がウソのような話です。

減っても大変、増えても問題を含んでいます。

増減によって動かされるのですが、宅地の高層化によってこの地域も、ジワジワと人口が増えているのが現実です。

命の中の争いは幾度となく繰り返す。

2015/10/14 17:20
逆に言えば、もともと無相にして無住・無念という心を持っているために、私たちが誰かを殺そうと思えば殺せるし、正義のために悪を滅ぼすこともできると悟ったのは釈尊でした。

この壊れやすい身体と意識は、何かの衝撃により襲われれば、身心はもろく、殺されることとなる。

だけれども、これを霊魂といってよいのかわからないが、命と命の集まりである世界という生命の集まりであるものを霊魂と呼べば、どんなことをしても、その霊魂は殺すことはできない。

殺害され抹殺された一つ一つの命は、強さや弱さ、運があったり無かったり、力や非力だったがゆえにその体を失うともいえる。

しかし大きな霊魂という命は、怒りやねたみ、恨みを晴らさずにおくものかと輪廻の鎖となって互いに復讐を繰り返えす。

これが命のそして、すべての生命の原理なのか?

私たちが、怨みや人をだまそうと抱きながら生きると、私たちの歩みも怨みや醜い生活となる。

汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想は、さらに汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想を作る。

すべては、いかなる現象さえも、私たちが創造して起こしたものである。

無相にして無住・無念という心の造りだしたものにとらわれるからだ。

本来無相にして無住・無念という何にも汚されない心を持っているのにです。

無と有の対話

2015/09/26 21:33
ずっと以前に有から、親族のことで、いざこざがあると、聞いたことがあった。

ある日のことだった。また有と会った。

有に、「その後、落ちつきましたか?」と聞くと、手で胸からお腹を指し「あちこち手術をして」と言った。

「良性ですか?」と聞くと、「悪性でした」とつぶやいた。

すこし沈黙のあと、顔色を見ながら「薬は?」と聞くと、「少しですが飲んでいます」と言う。

でも笑顔がただよっているので、「ガンは人間を生きていることを考えさせるでしょう?」と言う。

「そうですね。何だか世界が変わったような」。

「今まですべて時間に追われ何かに追われながら、振り返ることもなかった、見つめることもなかったものが、見えてきましたか?」

「感情が豊かになったような……」

「今まで考えもしなかった命の近さ、何気ない自然や人の人間の行為が見つめられる機会を与えてくれるますか」と言うと、

「そうですね」と笑顔で話す。

「そしてまぶしさや輝きが新鮮に自分を覆いませんか」と。

肯く有。

「ガンからそんなものが与えられるとは思わなかったです……」と。

「ここまで来るためには、辛かったことが多かったですね」と。

有は「有り難うございました」と帰って行った。


無は、「私は、自分の心を識らない」と、有に言った。

有は、「私は、自分の心ばかりが見えるのです」と、無に言った。

無は、「私も、以前は、あなたと同じようにあなたと同じでした」と告げた。

彼岸の意味

2015/09/20 20:22
彼の岸と書いて、彼岸ですが、この言葉、彼岸がこの岸と書いて、此岸によって成り立っている言葉としてあることを、私たちは意識しません。

お彼岸とは、今を活きる私たちにとっての命が、多くの旅だっていった命によって成り立っている、活きる場所としての此岸を改めてむすびつけるものなのです。

だから彼岸は、そこに此岸と彼岸が結びつくお墓参りをする文化として、日本に根付いているものです。

ところが、日本以外の国々では、このような文化はありません。

日本独自なものとして、春分と秋分の日という休日がありますが、彼岸という形が全国に渡って文化となることは、よほどの歴史がないかぎり定着しないのが歴史です。

彼岸会法要は、西暦806年元号では、大同年間に、全国の国分寺に対して、春分と秋分を中心に、前後七日間、昼夜を問わず「金剛般若波羅蜜多経」というお経を、読ませ続けたというのが起源だそうです。

では誰のために、お経を読ませたのかというと、崇道(すどう)天皇という方ために金剛経を読まさせたと、日本後紀などに記されています。

ところが、天皇の歴代の名に、崇道(すどう)天皇という名前はないのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんで、早良親王(さわらしんのう)という名前でした。桓武天皇が、亡くなった弟さんに対して、送った称号が崇道天皇という名前だったのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんでしたので、いわば皇太子に当たるのですが、桓武天皇はご自分の息子さんに天皇の位を渡したかったのです。

ときに時代は奈良の平城京から、まだ完全にできあがっていない長岡京に都が移った時代でした。その長岡京造営に尽力した藤原種継という人が、暗殺されてしまう事件が起きたのです。

その事件の首謀者として、早良親王は寺に閉じ込められ、皇太子の位を剥奪されます。親王は、「自分はそんな謀反や逆賊ではない」と抗議し釈明しましたが許されず、流罪となって淡路島に向かう途中で、食事も取らず七八五年、餓死して亡くなりました。

そしてこの物語は、その後立て続けに飢饉や疫病や洪水が起こり、伊勢神宮は放火で燃えてしまい、次々と桓武天皇の夫人四人、母親の五人が亡くなり、皇太子に立てた息子さんまで病気で亡くなってしまいました。

人々誰もが口にすることは、「早良親王のたたり、怨念である」と。

桓武天皇は恐ろしくて、たった一〇年で、長岡京を捨てて、新たな都に遷を移すことを考えます。

ところが、その都を造ったけれども、この都もたたりがあるのではと、恐ろしく安らぐことが出来ません。
そこで、都の東西南北に、東に「青龍」として川を、西に「白虎」として大路を、南に「朱雀」として池を、北に「玄武」として山を守りとして四神(ししん)に守られた都が、平安京です。しかもそれだけでは安心できませんでした。

さらに東西南北にスサノオノミコトをまつった大将軍神社を造営し、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)と下御霊神社に崇道天皇自身をご神体にまつり、それでも安心できずに、都の鬼門とされる北東には、幸神社(さいのかみのやしろ)・上賀茂神社・下鴨神社・貴船神社とまつりました。それが今の京都であり、平安京だったのです。

なお、この八〇六年という年は、桓武天皇が崩御して、平城天皇が即位した年であることから、この二十年にわたる日本は、二度の都の造営に、洪水疫病、日照りと飢饉に悩まされた時代だったことがわかります。 

これが彼岸法要の起源であり、実に日本的で、神社と寺社の結びつきの霊魂を鎮(しず)めるため、死者の往生を弔うための造営と供養法要の日本の歴史上最初のお彼岸法要のだったのです。

日蓮宗の日蓮は、彼岸抄に、「この七日間に、一日でも善い行いをすれば、他の日にちに幾度となく善いことに費やすより大きな利益があるだろう」と説いています。

彼岸の意味を考えてみました。ウィキペディアなどを参考にしました。

彼岸です。

2015/09/19 13:38
明日からお彼岸です。菩提寺を持っていらっしゃる方々にとっては、年に2度訪れる季節となります。

陽岳寺では、副住職が修行道場から下山してより、年に2回、この彼岸の中日に、檀信徒に法要を誰もが参加できるようにと行っています。

もっとも、彼岸法要は、それ以前から行っていました。毎回内容を変えながらが信条ですが、彼岸というテーマにしぼられるため、難しいのです。

秋季彼岸法要は、三大樹の内容で、この秋復活します。

彼岸というと、彼岸に到るで、「到彼岸」です。

般若心経には、「往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。
と、、南禅寺の元管長、柴山前慶老師が般若心経の意訳を書かれています。

般若心経 柴山全慶老師
心という、心性の自在を観察し得(う)る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみ執(とら)われないから、一切の苦厄も障(さわ)りとならなくなってしまう。

真実求道の人々よ。

この世にありては、物も心も悉く、実相の姿に過ぎないのだ。故に千差万別の世界も、そのまま真空妙有の相(すがた)に外(ほか)ならず、一切のはからいを超える処に、真実の悟があるのである。

道を求むる人々よ。

一切のものは何一つとしてそのまま、永遠(とわ)の生命(いのち)、久遠の実在ならざるものは無いのだから、生まれたり滅びたり、垢(けが)れたり浄(きよ)まったり、減ったり増えたりする如き分別(はからい)は、もとより少しも無いのである。

故にこの悟の上には、物も心も行いも、森羅万象尽く、有るが如くに見えて真実にあるのではない。どうして迷いの嘆きに苦しみ、悟の歓びに執われることがあろう。

そのまま天地の真源に立ち、光明三昧の生き通しなのである。

かくの如く尊き妙智は、万象の真源に徹し、一切の分別(はからい)と執着とを解脱しているが故に、かかる道理を体得した人々は、自ずから無位の真人となって物や心を自由に使いこなし、行住坐臥、心に礙(こだわ)りなく、したがって目前の是非、本末を過(あやま)ることがなく、心は常に大盤石である。

諸仏菩薩も祖師先哲も、この真空妙有の妙智を体得せられているが故に、世にたぐいなき真実の悟を得られたということができる。

されば、一切の分別(はからい)と執着とをすて、天地の真源に徹する妙智こそは、不可思議の力をもち、万象を包む光明であり、世に優れたる神秘をもち、たぐいなき霊力を働かすものというべきである。かくて世のあらゆる苦厄を浄化し安穏ならしむること必定である。

この故に尊い妙智の功力を人々に体得せしむるため、これを呪文として次の如くに説かれている。

往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。

戦後70年

2015/08/01 14:13
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東北の山や川や海は

2015/07/01 16:51

「単独でいる者は無にすぎない。彼に実在を与えるものは他者である」と印度の詩人タゴールは気づきました。

この世の中に、単なるモノ、単なる人はあるだろうか。

単なる太陽や月や星、雲や空、お年寄りと子ども、笑いや喜び、驚きや悲しみ、痛みや寂しさなど。

東北の山や川や海も、単なる山や川や海でないはずです。人は自分の中にある山や川や海という景色の中に、自分を置くことができます。

このことは、様々な景色のなかに生まれ、景色の中に生き、景色のなかに死を迎えるものともなります。

その景色とは、そこに生きる一人一人の心に、映された東北の山並み、奥羽山脈南部の阿武隈の山々、北上高地の山々、そして三陸の海にしても島々が散らばる景色、畑があり、水田があり、果樹園があり点在する家々の景色たち。

その景色は何処にあるかと言えば、人間にとっては、一人一人の心の中です。

しかも不思議なことに、私の心の中に写る景色に、いつも私は見ることができない事実に驚きます。

人間の目には、二つの目があることを考えただろうか。写すレンズのような目と、マナコという意識の眼。私の目に写る景色に、私はいません。

私は写らないことを思いつつ、写ったものは、私以外のものばかりと考えたことはあるだろうか、私はいないと…

私はいないことを自覚してみると、その時同時に、私が東北の山々そのものとなって、春にはその山々の芽吹きと共に私も芽吹くことで、春爛漫となり、やがて芽吹いた緑が山々をおおうことで私が夏となり、知らず肌寒さと共に黄金色の姿から朱く染まって私が秋となり、地肌を見せて真っ白な姿となって私が冬となります。

そんな山々を写している人間の歩みを、仏教は青い山々が河の上を歩いているといい。

しかも、私が寂しければ山も寂しく、山が悲しければ私も悲しくて大泣きするし、私が可笑しければ山も大笑いするようにです。

それだけではなく、人の痛みや叫び、子どのやすらぎや生きる歓びという聞こえない声が見えます。

すべては無心という、写す私がいないからです。

人は、その景色の中に生きることで、心の思いを育て、言葉にできないことを記憶しながら、自分自身を創り上げているものです。 

「単なる自然の世界は無宗教的世界である」と言ったのは哲学者の西田幾多郎でした。 

単なる私なんてあり得ないことですが、人は意識しなければ、その繋がりを見ることは難しいことです。

更に見ることがもっと難しいことは、その繋がったということにこだわって、繋がりの中の各々は、繋がることで、同時に分離し、独立するという意味が見えないことなのです。

世の中には、単なる自由や単なる独立などはあり得ないことです。繋がるということにおいて、人は、独立し自由を得るということを考えなければならないと思うのです。

みんな、つながっているから。みんな独立しているから。

慈悲するうちは

2015/06/15 08:04
江戸時代ですが、我々の大先輩の至道無難禅師の言葉に、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉があります。

この、言葉の論理こそ、お釈迦樣の悟りとして、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもつことを現すものです。

この慈悲という言葉を様々に言い換えてみましょう。

「仕事して、仕事するうちは、仕事に心あり。仕事熟くすとき、仕事を知らず。仕事して仕事知らぬとき、真の仕事というなり」と、もっともその仕事が人をだますことや悪にたずさわって人を不幸にするものは「地獄」ということになりますので、要注意です。

日本国を例に取れば、「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき理想の国というなり」と。

「信仰して信仰するうちは、信仰に心あり。信仰熟くすとき、信仰を知らず。信仰して信仰知らぬとき、仏というなり」と。神さまや阿弥陀様や観音様に自己のすべてをおまかせできたとき、仏国土や神さまの心の中に包まれていることも知らない世界となります。

「勉強して勉強するうちは、勉強に心あり。勉強熟くすとき、勉強を知らず。勉強してして勉強知らぬとき、……」、これは何というのでしょうか、充実、生き甲斐、その時その年代の人生そのものでしょうか?

「人を愛して愛するうちは愛に心あり、愛熟すとき愛を知らず、愛して愛しらぬとき……」これは、人の痛みや悲しみが自分の痛みや悲しみとなって、きっとお釈迦樣やキリストのような存在となっていることに較べることができます。そのとき、決してウソ偽りや暴力差別などという言葉が無縁な世界や人生を生きるということなのでしょう。

いくつかの例をもって、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり」という至道無難禅師の言葉お言い換えを致しましたが、数多くあると思うのです。

「悩んで悩むうちは、悩みに心あり。悩み熟くすとき、悩みを知らず。悩みして悩み知らぬとき、悩みはなくなっている」とも考えられるのです。

「坐禅して、坐禅するうちは、坐禅に心あり。坐禅熟くすとき、坐禅を知らず。坐禅して坐禅知らぬとき、仏というなり」ですが、本人はもう仏も自己もない状態といえます。

自分を見て自分を観察しているうちは、自分に心ありです。自分が熟すとき、自分はいない状態ですが、仏といいます。

すべてに成りきれる自分という意味で、人の痛みや苦しみになり、釈尊仏陀の「衆生病むが故に我もまた病む」という心です。空になり、山になり、海になり、名も無い雑草や木々になり、自己の最も自然な状態といえます。

坐禅はなにもただ静かに坐っていることではありません。行為もまた禅というように、人のすべての行為もまた禅なのですが、慈悲しなければ、仕事しなければ、国しなければ、信仰しなければ、勉強しなければ、人を愛さなければ、悩まなければ、坐禅しなければ、扉は訪れもしないし、開かないのです。

ホームページビルダーがおかしいの?

2015/05/17 13:11
 かなり前から、困ったことが続いているのです。困った!《この夢を見るのは誰ですか?》のブログは、ホームページビルダー15によって書いていました。ところが、バージョンアップでビルダー18になってより以降、このツールではブログ作成ができなくなってしまいました。昨年より、管理画面を使って書き込みしているのですが、プルグラムアンインストールで入れ替えてもダメです。買い換えなければ良かったと思うものの、では15に戻すかというと、勿体ないし……

菩提樹

2015/05/15 09:26
釈尊の教えは、インドでの二祖摩訶迦葉から伝えられ、二十八人目にして達磨大師に伝わります。その達磨大師が中国に来られます。その法は中国で二祖、三祖、四祖、五祖に伝わります。

さて、その五祖は、跡継ぎとして、弟子達にテストをします。

その問題は、悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようとしたことでした。

先ずは、当初、五祖門下筆頭だった神秀禅師が壁に偈を書きました。

神秀の詩は、「気づいてみれば、私の身は、菩提樹のごとし、その心は澄み切った鏡のように写るものをそのまま写しています。だから、いつも澄み切った鏡が汚れたり傷つけたりしないように、塵やホコリをためてはならない」という内容でした。

五祖は認めず、それを聞いた六祖が神秀の詩をさらに奥深くする詩を書きました。

「もともと心には菩提も菩提樹もないし、清らかさや鏡というものもない。本来心自身は常に清浄であるから、いったい何処に心の塵などがあろうか。心が菩提樹であり、我々の身体そのものを明鏡台ともいえるのだ。明鏡も本から清らかで、その清らかな身体の何処に塵に染まるというのか」。

六祖のこの詩を、五祖が認めたので六祖となったと伝えられています。

六祖は悟った上での詩でしたが、神秀禅師は、ある意味私たちに修行とか、気づきへの方向を示してくれています。

悟りの心境とは、心の問題であり、人の人生の問題でもありますので、こうした観点から、自己の問題は、心とは対象とするものではなく、現実の有り様ということになります。

禅宗の教えとは、お釈迦樣の悟った心のことです。その内容は、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現するものです。

この無相にして無住、無念という悟りを、お釈迦樣は二千年前に、菩提樹の下で、悟ってより以降、生涯にわたってこの一心を伝え、今に語り続けてまいりました。

また無心とも、空とも、からっぽともいう、私たちの心の本来授かっている無境ともまた無性ともいえるものです。

しかも、この無性や無境という本来性を持っているからこそ、私たちは自由に変わることが出来るともいえますし、元々とらわれの世界には居ないとも言い換えることができます。


この心は相対するすべての世界を映す心です。無心となるが故にです。

私たちは自我の世界に於いて、私は私はと自我を認めて、自分の外に世界があり法則がありと錯覚している生活。仏教から見れば、それはすべて迷いです。

静かに、相対的な世界に心が動かされている自我の姿を観察してみれば、自我とは現象に過ぎず、もともと悟っているものの、現象をより所として生きている姿が自我というものだと見えてこないでしょうか。

そんな人が活きる一瞬一瞬の自己を、一つずつ悟って、自分のものとして、釈尊仏陀は、自らをより所としてと、宣言しました。この法をより所としてとも、宣言しました。この過程を修業と言います。この自らとは無心な自己とも言います。

集団的自我

2015/04/05 15:48
 最近、つくづく思うことがあります。

 世界のいがみ合うことのニュースがあり、宗教や主義として原因があり、それが正しい、いや違うと戦火をまみえテロとなってにぎわうように思えるのです。

 世界という点から見たならば、人々のやすらぎを、死者の安寧を願い祈るものならば、世界の宗教も、もともと一つのものではないかと見えるのです。

 仏教からいえば、今残されている仏教の宗派を興した祖師たちも仏教である限りは、お釈迦樣が悟った法、あるいは語り得ないものから、それぞれが選ばれて語られて特色とされたものです。
 それは過去の時代からいうと、信者からいえば利点といえた時代だったような、遠慮しがちに、そんな気がするのです。

 宗教は世界の一人一人の苦しみを見つめますが、国や地域、民族、国、主義、正義、あるいは宗教自身も、集団的自我をもっと見つめなければならない時代にはいっているのではないでしょうか。

 そして集団内の一人一人の生を見つめ、相対する思念を解きほごしての幸せを求めることが必要なのではないでしょうか。
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