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慈鳥

2016/10/07 13:47
夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなるおててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょう

子供が かえった あとからは
まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空には きらきら 金の星

私が小さかった頃のことを思い出します。
一日中遊んだ記憶がある。
かけまわって疲れてやっと、気づくと、夕焼けが迫っている。

その頃、カラスが家路につくことを、「夕焼け小焼け」の歌にしたのは、作詞中村雨紅、作曲草川信だった。
この歌を口ずさんだ記憶は、定かではないが、確かなこととしたい自分がいます。

家に帰れば、着ているものをはたいて、夕飯が待っている。
戸外は暗くなって、金星が輝き、物音も静かに、何故か小鳥も地域も眠ってしまったような。

時代は今。
そういえば、日中カラスはいない。朝はうるさく、嫌われ者になってしまったが、家族思いは今でも、カラスだ。
子供を持てば、子供を守ることに凶暴になる様は、人も同じ。
そんなカラスの子育てで、小ガラスが成長すると、親ガラスに口移しで、食事を与えるという故事がある。
年老いた父母の世話をすることを、慈鳥反哺(じちょうはんぽ)と調べたが、カラスから学ぶ現代人はもういないのでは…………

「カラスが鳴くから かえりましょう」と、カラスに動かされた子供心は、街であっても自然に含まれていた。

七つの子
からす なぜ啼くの からすは山に かわいい七つの 子があるからよ
かわいい かわいいと からすは啼くの かわいい かわいいと 啼くんだよ
山のふるすへ 行って見てごらん 丸い目をした いい子だよ
野口雨情作詞、本居長世作曲のこの歌も、カラスが夕暮れに、家庭に帰っていく姿を歌っている。

そんなカラスのことを、慈鳥(じちょう)というこを知ったのは、大人になってだった。
ちなみに、烏鳥、うちょうとも呼ぶ。

寒山詩には、
月落ち烏啼いて霜天に満つ。
江楓、漁火、愁眠に対す。
江楓、漁火、愁眠に対す。
姑蘇城外の寒山寺。
夜半の鐘声 客船に至る 。

慈烏、その母を失って鳴く、悲しい声が響く。

露風(ろふう)落葉を吟ず、慈鳥(じちょう)寒烟(かんいん)に咽(むせ)ぶ。
作者は知らないが、これからの季節なのだろう。

そして慈鳥とは、これはカラスではない。
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山中暦日なし

2016/09/15 13:01
「山中暦日なし」とは、お寺には国の祝日も、休日もないという意味です。

つい先日、トビの親方と話していて、こんな言葉、言い伝えを聞いた。

トビの親方が、名前を継ぐ将来の頭(かしら)に対して、言い伝えられていることです。

「いいか、お前がカシラになったなら、一泊の旅行は許す、決してそれ以上の、旅行や遊山に行ってはならない」と。

カシラがいかに、地域に結びついていたことっを気付く言葉です。

しかも、カシラの口から飛び出ることに、今も生きているのだと、彼を、地域の人間ととしても大切にしたい。

そういえば、我が身も、「もう何十年と私も住職になってから、一泊以外の外出はしたことがないなあ」と思い出した。

それでいて、くやしいとか、いやだとか、うんざりだとか、思ったこともない。

職業という一時の居場所ではなく、住職が、法になって生きることという勤めでもあるからだし。

仏教にとっては初歩の、自分の心を見つめ、わき起こるいっときの現象としての思いを、見つめることができるからだ。

父親

2016/03/01 15:26
親のことなど普段は考えたりしないものの、突如として考えなければならないことに遭遇するときがあります。独立、結婚、親の突然の死と。

それだけではなく、子供にとっては、成長の過程に親を思い描いて必要とする、その都度その都度その場所で、親のイメージを意識して、浮かんでは消えてと繰り返しているものです。

私にとっても、親は、もう亡くなってはいるものの、自分の成長の過程に今も生きているといえます。

ただ私の意識は、懐かしく両親をいたわり慈しみ、思い描く母の姿父の姿に、あのときの私と両親とのかかわった記憶に今も生きています。

あたりまえと思えば、当たり前なのですが、子供にとって親の居場所は、その時その場所によって大きく変わり、事実が意味となることで、全く変わってしまうのです。

もうじき、私の年令も両親が他界した年令に追いつくかもしれません。

結局、私がその時になってみなければ分からないことですが、世界や環境の変化において生きる人間にとっては、どんなことがあっても「私を産んで育ててくれた。生かしてくれた」、有り難うの気持ちだけは忘れてはならないことと戒めています。

どんなことがあってもです。

親の法事は、子供の務めですし、ひるがえって子供のためなのです。そのとき幸福であっても不孝であってもです。

さて、親は、子供の胸の内はよく分からないものと、はっきりと言います。それは自分のことも知りようがないと感づいているからです。

親という意識の中には、自分・親が死ぬまで子供という存在を、所有しているという観念が隠されていることに、なかなか気づかないのです。

成長期の子供は、「自分のことを分かって欲しい」と思うものであり、親は「お前のためを想って、考えているから」と伝えるものです。

しかも親を意識しなければ、「ほっといて欲しいし、自由にさせて欲しい」と、無視することもあるでしょう。

そんな家庭では、何となくそれが分かっている場所なのでしょう。

「お前のことは誰よりも分かっている。なぜならお前は、俺の子供だからだ」と。ところが、子供が痛いと怪我をすれば、悲しめば、親は自分(親)を忘れて子供の痛み、悲しみとなれる存在なのです。

これは親の居場所の特権です。

ところが親はそんな存在であることをわからないものです。

そのことに気づけば親の中で、親という居場所なくなるのに、親のカラを飛び出して、子供含んで自分の存在はあるという、子供の行為すべてが実は親自身の姿であるのに、それを理想としたり、願いとしたり、親という居場所が持つ所有という意味がでてきます。

親にとって、子供は無二、二つと無い存在です。ただそれだけ。

なぜなら子供とは親の根拠だからです。しかも親の根拠は、親にないところに親は居るのです。

幾度となく、親の葬儀の導師を勤め、子ども達から幾度も聞いた「頑固だった」という言葉の多さに気づきました。

そう、「頑固さ」とは家庭の中の父親の居場所のような気がします。

死は、存在の仕方が変わることですが、どのみち存在の仕方が変わるなら、変わる前に、頑固さという居場所の正体を明らめてもよいのでは。

家庭って、本当はみな違う意見を持っているのに、その違いをそれぞれが容認している場所でもあるようです。

その特色は、違いが分かっていてもその違いを攻撃したり非難したりしない場所として、有ってないような、無いようでいて有る、矛盾した場所のような気もするのです。

だから家族のコミュニケーションも、無いようであって、有るようでない。家族それぞれ別々の方向に向かう起点なのか、これも矛盾している場所。落ち着くと言えば落ち着くし、ひょっとして渾沌とした場所なのでしょう。

「親の頑固さ」、それが親という現実の居場所から親という意味を発信する電波源のようです。子供は独立すれば、それぞれの家庭を持って、夫になり妻になり、子供ができれば親となります。そして子供の独立した、新しい家庭という居場所が中心となってみれば、今までの親からの居場所から離れてゆきます。ところが、親の居場所には、子供の痕跡がすでに消えかかっているにもかかわらず、今もあり続けるのです。

生きる人間の根拠は、仕事や才能、名誉に趣味、年令や体力、病気や様々な欲や思いによります。年を取って醜いのは、現実は年とは関係なく、他人を、また他の機能する組織をおとしめたり、非難したり、疎外することによって自己評価を高くしようと本能的にする性質を持っているものです。

自分が可愛いと。思わせている自分は、誰でしょうか。

これも存在の根拠のようです。たいしたことはないのに、思い込みだから、見せかけでも価値あるもの意味あるものと、思わせているのはだれでしょうか。

世間ですか、生きるすべですか、全部自分です。

ところがその自分の深いところから、そんなものは無いに等しいのですが、一瞬一瞬と反応し、発信する意識のたわむれ、現象に面と向かう私という者は誰という問いかけ、その行為こそが仏教であり、臨済の教えとしての人間に課せられた問題でした。

子供から見れば、父親とは、先に進み歩む父の歩いてきた事実こそが、大切なことです。

それは、現実という移りかわる世界に、身を置いて次々と揺り動く父親の姿は、確かな存在ではなく、本来は、現実を切り開いて進む困難に、苦悩する顔を持つはずです。

その確かな存在ではない父親を、確かな存在とするために、どうしても、父親のつくる背中が必要なのだとも考えてみました。顔はないと。

仕事に追われて、土日も働いている姿は、家庭にての姿は、子どもにとって、父親の記憶とは、母親と違って不確かなものです。

家庭を支えるという意味では、父の姿は見えにくく、家庭がそこに在るという事実こそ父を表現するものです。家庭にとっては見えにくいのが現実です。

考えてみれば、妻や子ども達から働かされて働いていたという認識は、いつしか会社でも動かされて動き、動いて動かされる、そこには喜びも生き甲斐いという意味が生じます。

活かされて活きるも、活きながら活かされるも、動かされて動くも同じ内容です。

赤ちゃん誕生から祝福され教えられて歩かされていたと思っていたら、いつしか自分が歩いていたという意味になります。

その自分の歩みは、自己以外の他者によって歩かされて歩く。

俺が家族を養っていたと思っていたら、いつの間にか、俺が家族から妻から養われていたという気づきです。

養うことは自分自身を養う意味となり、家族に広がります。そして広がっていたと思っていたら、自分に広がって返ってくるわけです。

減っても大変、増えても大変です。

2015/12/01 16:51

江東区の人口が、今年7月に50万人を超えました。11月1日現在で、501,017人となっています。

これは湾岸エリアの豊洲の人口増加に多くの理由があります。

しかし、陽岳寺のある地区の明治小学校も、来年の小学1年生は6クラスとなりそうな勢いに、児童総数は1,000人を目指しているような気もします。

平成13年に白河地区の小学校が、児童減少で閉校となっていたなんて、どこか違った地域のような、人口減時代がウソのような話です。

減っても大変、増えても問題を含んでいます。

増減によって動かされるのですが、宅地の高層化によってこの地域も、ジワジワと人口が増えているのが現実です。

彼岸の意味

2015/09/20 20:22
彼の岸と書いて、彼岸ですが、この言葉、彼岸がこの岸と書いて、此岸によって成り立っている言葉としてあることを、私たちは意識しません。

お彼岸とは、今を活きる私たちにとっての命が、多くの旅だっていった命によって成り立っている、活きる場所としての此岸を改めてむすびつけるものなのです。

だから彼岸は、そこに此岸と彼岸が結びつくお墓参りをする文化として、日本に根付いているものです。

ところが、日本以外の国々では、このような文化はありません。

日本独自なものとして、春分と秋分の日という休日がありますが、彼岸という形が全国に渡って文化となることは、よほどの歴史がないかぎり定着しないのが歴史です。

彼岸会法要は、西暦806年元号では、大同年間に、全国の国分寺に対して、春分と秋分を中心に、前後七日間、昼夜を問わず「金剛般若波羅蜜多経」というお経を、読ませ続けたというのが起源だそうです。

では誰のために、お経を読ませたのかというと、崇道(すどう)天皇という方ために金剛経を読まさせたと、日本後紀などに記されています。

ところが、天皇の歴代の名に、崇道(すどう)天皇という名前はないのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんで、早良親王(さわらしんのう)という名前でした。桓武天皇が、亡くなった弟さんに対して、送った称号が崇道天皇という名前だったのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんでしたので、いわば皇太子に当たるのですが、桓武天皇はご自分の息子さんに天皇の位を渡したかったのです。

ときに時代は奈良の平城京から、まだ完全にできあがっていない長岡京に都が移った時代でした。その長岡京造営に尽力した藤原種継という人が、暗殺されてしまう事件が起きたのです。

その事件の首謀者として、早良親王は寺に閉じ込められ、皇太子の位を剥奪されます。親王は、「自分はそんな謀反や逆賊ではない」と抗議し釈明しましたが許されず、流罪となって淡路島に向かう途中で、食事も取らず七八五年、餓死して亡くなりました。

そしてこの物語は、その後立て続けに飢饉や疫病や洪水が起こり、伊勢神宮は放火で燃えてしまい、次々と桓武天皇の夫人四人、母親の五人が亡くなり、皇太子に立てた息子さんまで病気で亡くなってしまいました。

人々誰もが口にすることは、「早良親王のたたり、怨念である」と。

桓武天皇は恐ろしくて、たった一〇年で、長岡京を捨てて、新たな都に遷を移すことを考えます。

ところが、その都を造ったけれども、この都もたたりがあるのではと、恐ろしく安らぐことが出来ません。
そこで、都の東西南北に、東に「青龍」として川を、西に「白虎」として大路を、南に「朱雀」として池を、北に「玄武」として山を守りとして四神(ししん)に守られた都が、平安京です。しかもそれだけでは安心できませんでした。

さらに東西南北にスサノオノミコトをまつった大将軍神社を造営し、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)と下御霊神社に崇道天皇自身をご神体にまつり、それでも安心できずに、都の鬼門とされる北東には、幸神社(さいのかみのやしろ)・上賀茂神社・下鴨神社・貴船神社とまつりました。それが今の京都であり、平安京だったのです。

なお、この八〇六年という年は、桓武天皇が崩御して、平城天皇が即位した年であることから、この二十年にわたる日本は、二度の都の造営に、洪水疫病、日照りと飢饉に悩まされた時代だったことがわかります。 

これが彼岸法要の起源であり、実に日本的で、神社と寺社の結びつきの霊魂を鎮(しず)めるため、死者の往生を弔うための造営と供養法要の日本の歴史上最初のお彼岸法要のだったのです。

日蓮宗の日蓮は、彼岸抄に、「この七日間に、一日でも善い行いをすれば、他の日にちに幾度となく善いことに費やすより大きな利益があるだろう」と説いています。

彼岸の意味を考えてみました。ウィキペディアなどを参考にしました。

なが~い一日

2015/04/05 10:57
 「ちいさな、ちいさな王様」という童話があります。

アクセル・ハッケ作、ミヒャエル・ゾーヴァが絵を、奈須田淳さんと木本栄さんが共訳し、平成8年10月15日に講談社から出版されたものです。主人公は、平凡なサラリーマンをしている「僕」で、物語は王様との不思議な経験談です。
 小さな、小さな王様は、自分の誕生を語ります。

 「おれはだなあ、ある朝、ふいにベッドで目覚めたのだ。それから仕事をしに王子の執務室にいったのさ。実に、単純なことじゃないか。おなかのなかにいるだと?ばかばかしい!人生というのは、ある日起き上がって、それですべてがはじまるのだ」と。

 「王様の人生は、それからどんどん身体が小さくなって、小さくなればなるほど知識も忘れて、やがて、老いが訪れるようになると、仕事もしなくてすむようになります。
 食事も誰かがくれて、頭の中には忘れれば忘れるほどに、真っ白な自由な空間ができ、そこに遊びや空想で埋め尽くされるようになります。
 現実を、何をして遊ぼうかと、何しろどんどん小さくなってゆくわけですから、禁則はなく、ビックリしても、驚いたり、怖がったり、笑ったり、大声を出したり、空の星々に名前をつけたり、雲と遊んだり、何をしてもかまわない大きな世界をもつことができる。

 人生経験が豊富という意味も、何かを詰め込むことではなく、ものごとを判断することでもないが、実に、世界がよく見えて、よく聞こえ、思いも無限大という世界に生きることができるからこそ、王様なのだろう」というお話しでした。

王様は、童話の外の読者に言います。
「おまえは、朝が来ると眠りに落ちて、自分がサラリーマンで一日中、仕事、仕事に追われている夢をみている。そして、夜ベッドに入るとおまえはようやく目を覚まし、一晩中、自分の本当の姿に戻れるのだ。よっぽどいいじゃないか、そのほうが」と。

 ちょうど1年前のことです。小保方晴子さんがSTAP細胞を発見したと報道されたのは。残念なことにはこのSTAP細胞報道の顛末に、多くの子ども達は失望したし、信じることの危ういことを心に刻まれたのではないかと思います。

その小保方さんが、中学生の時に、この童話を読んだ感想が記載されていました。
 「王様の存在が夢か現実かはわからないけれど、この本を読む前の私にとっては夢であった。しかし、少なくとも、今の私の心の中で生きている王様は現実だということは紛れもない事実である」と。
 王様の夢をSTAP細胞としてみると、細胞がどんどん夢の中で自己主張をして、やがて小保方さんの外側へと飛び出したような。
 しかし夢と現実は、現実も夢と解釈できることから、マスコミに報じられなくなった小保方さんの夢はまだ終わってないのではないかと思っています。それでないと可哀相です。

 「夢にあらず、現実にあらず、現実にして夢、夢にして現実」と、哲学者西田幾多郎氏は言います。夢と現実はつねにリンクしています。どちらに陥ってもいけないと。

 平成27年3月末のことです。地元の小学校6年生の卒業式に本年も民生児童委員として、また地元の町会長として、また小学校地域懇談会として招かれました。
 6年生の旅立ちは、1年生から6年生の出来事の想い出をクリップして語っているようでした。
 その思いでの数々を聞いていたら、子供たちは一年一年ドキドキハラハラ予測のつかない時間を過ごしていたことを考えていました。

 しかも小学生になれば、1時間目2時間目と、国語や算数・理科・社会・音楽に運動と授業が連続しているし、学校の行事も、運動会や遠足、学芸会と多いし、すべてが時間によって動かされて行きます。連続する時間は一週間、月や学期ごとにかわりながらも時間というものに依存しながら動かされて行きます。

 考えてみれば、今の私たち普通の大人と同じような時間を持っているにもかかわらず、子ども達の一日の長さは、大人のお年寄りの時間よりはるかに長いのです。
 しかも幼年期の記憶は、年をとっても消えない想い出となっています。さらに故郷というエリアに広がって濃く厚い。人生の中の時間の重みというか、高齢になっての時間よりはるかに大きな時間の大きさなのです。この時間の違いは何だろうか?

 懐かしさ、忘れられない思いで、幼友だちに故郷、高齢になっても思い出せばすぐそばに、故郷の景色が広がります。
 幼かった頃の経験は、ひとつひとつ目に焼き付いて、思い出せば言葉ではなく映像が湧くから不思議です。

 初めて見た……初めて出合った……初めて経験した……初めて……1年生も初めてだし2年生も初めてのこと、初めてが続き6年生もはじめて、中学もはじめての経験です。ハラハラドキドキ、友達と時間を忘れて遊んだ記憶、初めての経験は遠くまで町を探検して世界が広がります。ゲームにしても漫画にしても集中した時間は時間を忘れて、叱られるまで、気づくまで、暗くなるまで気がつかないことが多い。

 夢中に勉強し勉強を忘れる、遊んでいて遊びを忘れる、友達とペチャクチャ話していてその話していることも忘れる、冒険して冒険を忘れる、テレビを見ていて見ていることを忘れる。充実している忘れられない故郷の時間を作ったとも言えるのではないか?

 子ども達に、ご両親は、時には大きな声で「何してるの、遅いわねえ。何処に行っていたの、誰と遊んでいたの」と秘密もできてきますが、共有した時間も誕生してきます。

 やがて時間を忘れ、自分を忘れた時は過ぎ去り、その頃、徐々にですが自己の外の時間の概念による生活、思考や理想、相反する概念による自己への縛りによって、時計は先に進み1日は長くなっていきます。

 夢と現実という相反するものが、反するが故に結びつき、同時に結びつくことで、分離するという現象は、夢が現実となり現実が夢となるを持ち続けながら現実を大切にすることで、結ばれたものが分離していると思えるのです。

 現実は夢を根拠にして、夢は現実を根拠にしてある姿に、大きな夢も、小さな夢も、はかない夢も比較できるものではなく、今・ここに変わりはない。
 ちいさい ちいさい王様のお話は、私たちの時間の進み方に対し、時間に依存し、記憶に依存し、一日はますます短く、やがてあっという間の時間となり、夢となっていくことに警鐘を鳴らします。

観音様

2015/03/04 15:04
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深川二丁目と一丁目の交差点を見つめて、交通事故がないように祈る観音様です。

機(はたら)く

2014/10/11 10:05
幾度も人の死に立ち会って、それは最後の時ですが、思うことがあります。

病院のベッドで、喘ぎながら、ゆっくりと、しかも力を振り絞って呼吸する息。

身体が枯れて、顎門を上げて、眼は見るというより写すように。

モニターはオレンジ色に点滅し、悲鳴をあげるなかに。家族は言葉少なし。

言葉は少ないからと言って、言葉がないのではない。

言葉があふれている。

数値の変化に、言葉となって外に出ることはないだけだ。

小さな身体となって、細い身体で、どこから力が湧いてくるのか、動かされて動き、動いて動かされるエネルギーは何処にあるのか。

頑張る様子だが、それは生きるということだと思っています。

動くに近いのか、こに準じた漢字に働くという字があるが、生きるに近く機という漢字があります。

機も働くです。意識とか心とか除いて、機能の機という働きが生きるという意味に近いような気がする。

とくにただ生きるという、一瞬性を加味すれば、機(はたら)くという字が、人間の根源的な機(はたら)きのような気がします。

人間の持っているすべての機能が動き続けるという……

何か「もう頑張らなくてもいい!」と、言葉にならない思いが聞こえてきます。

それでも頑張っている。

生きるって……素晴らしい……どんな時でもです。

特別の教科 道徳

2014/06/29 21:30
 平成26年6月28日、明治小学校では、5校時、道徳授業の公開講座がありました。
 小・中学校の道徳教育には、「道徳的な心情」「道徳的判断力」「道徳的実践意欲」「道徳的態度」といったキーワードがあります。
45分の授業を全部見ることはできませんので、1年生と5年生にしようと2クラスを見ました。

 ちなみに、ここ数年でしょうか、小学校の道徳の時間は、「特別の教科 道徳」になり、指針は大きく変わりました。1年生は年間34時間、他学年は年間35時間と聞きました。一週間に1回の授業に課題は大きく、将来において生き抜く力というのでしょうか、人間を作っているように思うのです。
 一年生というより低学年の指導要領の中心は、「人間として、してはならないことはしないこと」です。
 1年生としては少しずつ、嘘をついてはいけない。人のものを取ってはいけない。友達をたたいてはいけない。いじわるををしていけない。悪口を言ってはいけない。人のものをかくしてはいけないの5つを考えさせることです。
 自分もそうですが、友達がもしこの5つのおこないに違うことをしていたらと、その時の授業は、勇気でした。してはならぬことに遭遇したときの心構えを考えさせられていたのだと思います。
 授業は、物語をいれて、皆で考え、勇気を導きだし、自分の心の中に勇気を探す気配が感じられて、その勇気を表現しようと葛藤する姿が何ともかわいくて楽しませていただきました。
 1年生が机に向かって、ノートに、からだの中から導き出す勇気は時間がかかります。でも一生懸命にしぼり出した勇気は、大勢の子ども達の声で「それはいけない」でした。

 道徳は、指示(席を譲りなさい、)から模倣(日常性へ)へと進み習慣に至りますが、心情の動きから自己判断(身体などの弱い人へのいたわり)し、知識理解へとすすみ意力と行為(体力)へと育むことが課せられているのでしょうか。
 存在する意義と役割を見つけること、安心安定を感じないでいる(安心や安定は、相対する関係性のなかの場であり、その関係のなかで、つねに安心安定を求めるでかえって安定や不安が生じ損なわれることがある)場、達成感や成就感そして向上心へと育まれて行きます。
 授業の原点は、もっぱら自己を見つめることと、いろいろな他者との出会いを通して、他者との関わりを考え、行為となって支え支えられる関係の構築へといたるのでしょう。

 次の授業は5年生を途中からでしたが参観しました。
 5年生の指導要領は「相手の立場を理解し、支えあう態度」「集団における役割と責任を果たす」です。反抗期と感謝がテーマだつたのだと思います。
 私がのぞいたときは、VTRをプロジェクターでスクリーンに映していました。スクリーンに文字がスクロールしながら次々に映し出されて、背景には音楽も流れていました。
 まるでブログなどにあるような、それは現在35歳の男性が子供の頃を語っていました。
 親に反抗して、先生に反抗して、友達と問題をおこし、中学になってタバコを吸って、悪友との関係などが語られていました。小学校、中学校と成績は低評価で、何度も先生に世話になり、母親も呼び出されていました。そんななか、母だけが子どもを最後まで信じて、先生が語っていたことをその青年は知らされたのでした。
 その母は今はいないのですが、病気で亡くなったことが書かれていました。
 その青年は小さな会社の社長になって、母をなくした思いと、母への感謝の思いが、道徳授業でした。
 文面に感情移入しやすく、5年生といっしょに物語の中に引き込まれ、目頭をふきながら読んでいる子ども達もいて、心情の感想から母親の思い出を語っていました。
 きっと子ども達は、支えられていた思いを、母に伝えらない35歳にして語る言葉の重みを、今の自分に移入していたと感じられました。
 ノートには、「お母さんへの感謝」と書かれて、とても恥ずかしそうな思いは、どこから出てくるのでしょうか。現実のお母さんへの理解はすべて見ることはできませんが、少しでも見えたら、感謝を、今伝えることがいかに大切か、そんな授業だったのです。

 道徳は答えがありません。評価にもなりません。
 「特別の教科 道徳」は、自己を見つめることと、現実を性格に見つめる力を養います。
 支えてくれるものを見つめるとは、日常性に隠れて見えないものを、見つめるかのように、子ども達は支えられる思いに、答えることを学びます。その支えられていたものは、自分が支えていたものだったこともです。

 そして、最後の学年、6年生で、福沢諭吉の「ひびのおしえ」が登場します。
「人を殺すべからず。けものをむごくとりあつかい、むしけらを無益に殺すべからず。盗みすべからず。いつわるべからず。うそをついて人のじゃまをすべからず」と。1年生で出てきた内容を、もう一度、確かめながら、卒業していくのです。
 小学校では157時間に及ぶ道徳を考える時間があります。もちろん中学校にも高校にも道徳の時間は自分を見つめ豊かに生きることを目標に、道は未来に続くのです。
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