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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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謹賀新年
今年も、新年を迎えられたこと、何よりもお喜び申し上げます。

誰でも心の中に、大事に抱えているものがあります。

それは、自分を支えていると同時に、ときに取り返しがつかないことを起こし、自分を傷つけることもあります。

より所とはこういうものです。

そのより所を意識するとき、禅には「放尽すれば心空なり」という言葉があることに気づいて欲しい。

もともと自由自在の心空という自分だったことに気づけば、悩む必要もなかったからです。

そして心空だからこそ、抱えるものも創ることができるといえるからです。

今年1年の、ご清勝を祈念申し上げます。

      平成30年正月

来年も好い年でありますように。
本年、一年もあと何時間かで、新しい年を迎えることになります。

一年間、感謝です。有り難うございました。

松尾芭蕉は、北町会の向かい側、現在の深川一丁目海辺橋際より欧州に向かって旅立ちました。

その旅で会得した一つに、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」があります。

原文は「去來曰、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有。是を二 ツに分つて教へ給へども。
其基は一ツ也、不易を知らざれば基立がたく、流行を辨へざれば風あらたならず。
不易は古によろしく、後に叶ふ句なれば、千歳不易といふ。
流行は一時一時の變にして、昨日の風今日よろしからず、今日の風明日に用ひがたきゆへ、一時流行とは云はやる事をいふなり」記されています。

日本俳句協会のホームページでは、

《「不易流行の『不易』とは、時を越えて不変の真理をさし、『流行』とは時代や環境の変化によって革新されていく法則のことです。
 不易と流行とは、一見、矛盾しているように感じますが、これらは根本において結びついているものであると言います」と書かれています。
 また、「師の風雅に万代不易あり。一時の変化あり。この二つ究(きはま)り、其の本は一つなり。その一つといふは、風雅の誠なり」》

と書かれていました。

では誠?とはと、問われると説明できるものではなく、それでは「素の私を見て下さい」と言ったとしても、「その素の私は、いつどこでの私かい?」と聞かれれば、答えも尽きないし、答えられないことも尽きないものです。 

構造から云えば、千歳不易と一時流行は、共に相手に根拠を持っているということです。

温故知新も同じ意味として、故も新も、その根拠は相手にあることです。

変わるものと変わらないもの、動くものと動かないもの、右と左の対立軸など、ともに支えられていることと言ってもよいでしょう。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
静けさとは何だろうか、静けさのみという芭蕉の心化というのか、動と静を一体にして、キャンバスに貼り付けた。


何てこった!
何てこった! 昨日、8枚つづりの遺言のような手紙が舞い込んだ。

8日付の消印に、7日投函したことがわかる。

祟ってやるとの文面に、元宮司としては、何を神官として祈っていたのか?

諏訪神社に御柱を見て考えたことは、数年に一回あの御柱を神社に突き刺す祭礼により、荒ぶる祭神は、鎮守の森から外に出ることはないから、世は平安に保たれることです。

宮に祀られるお祭神は祀られることで神々となるが、神社のプログラムは、お祭りをすることで鎮まる。

氏子が祭礼に参加することは、そのプログラムを実行することだと。

町会の多くの行事も、氏子にとってはお祭りと一貫となっている。

和やかに過ごすことが、お祭神にとっては、鎮まりの起因と考えれば、祭神が怒りとなるためには、氏子がバラバラで荒ぶることは、神々が怒ることだからだ。

神社に祀られる神々の多くは、軍神もすさぶる神々ですが、でも氏子が無事に過ごすことが何よりも安らぎのはずです。

世が平和なれば、神々も喜びということです。

ついでに地獄に落ちるとは、神様の世界では地獄はないですよね!黄泉の国はあるけれどね!

地獄を語る人は、自分の心が地獄に落ちていることを語っていることではないでしょうか。

だから地獄でない世界を我々は生きなければならないのです!

彼岸
怒りやねたみに執らわれると、怒りやねたみに縛られる。

憎しみさげすみに執らわれると、憎しみやさげすみに執らわれる。

好き嫌いに執らわれると、好き嫌いに執らわれる。

人をだましたり、蹴落とすことに執らわれると、人をだましたり蹴落とすことに縛られる。

心に思うことや感情に支配されると、心に思うことや感情に縛られる。

名誉や地位に執らわれると、名誉や地位に縛られる。

強さや弱さに執らわれる、強さや弱さに縛られる。

>悪や正義に執らわれると、悪や正義に縛られる。

癪にさわる、頭にくると言うけれど、そのよい機会に癪の中味を、頭の中を、心の中を顧みるしかないのないのです。

もし癪にさわる、頭にくるモノを一日中執らわれに満ちあふれさせて、ひと月、一年、十年、もし一生持ち続けたとしたら、自分自身の一生は、とらわれの関係のまま終わっていることに気づかない一生となっているでしょう。

>いつまでたっても何のために私は生まれてきたのかも分からず終わってしまうのです。

よく言う会社に半生を捧げて、定年で家庭に戻ってみれば、半生を捧げた会社に執らわれて、会社から定年で必要としない人間となってみると、今の自分の意味が見いだせないかのようです。人生にとって、仕事、それ以上の執らわれは、働くことが目的とすれば、働かなくなってみると、それ以上のより所は見つからないのかも知れない。

執らわれる、縛られるというのは、本来一瞬に生滅しているものを、言葉と記憶により持ち続けないと保てない私という意味です。

時間的にも場所的にも、一瞬一瞬の今ここに繰り返されて起こっていることです。だから私にも分からない。

その私がいなければ、私たちは、同じ船に、同じ国に、同じ地球に乗り合わせている旅人同士なのです。



情けない
お寺では、春と秋の中日には、ごご2時から彼岸法要を、誰でも参加できるようにと、お布施と関係なく営んでいます。

彼岸は、春秋、昼の時間と夜の時間が等分になる、それを春分の日、秋分の日と呼びます。そして、秋分の日、春分の日の前後3日が、お彼岸と呼んでいます。これを名づけて季節の行事週間としているのは日本だけです。

この期間、さまざまな人たちがお墓参りへと、お寺に寄っていきます。そこではさまざまなお話しが交差します。孫の姿を見せる人。子供たちと来る人、お年寄りが家々の亡くなった人たちへ忍ぶ対象に対して、しるしを置いていくというのか、お線香にシキミ、お花を添えて墓地は、花畑です。

陽岳寺では、昨年、合同のお墓を造りました。それは一人という人たちが増えて、あるいは継承するお墓はいらないと考える人たちのために、新規に造ったものです。不思議なことに、ここにも、子供たち孫たちが、お線香をあげ、花を捧げて墓参します。生きている人が、このお墓に眠っているように墓参するのです。そして家族や親族、知人は、この眠っている人に語りかけ、言葉を引き出しています。

今朝も、お年寄りの男性が一人墓参しました。「よくお参り下さいまして、有り難うございます」と添えます。するとお年よりは、「妻の名前で、お塔婆をお願いします」と依頼されました。

この方は、今年納骨された親戚のお墓にお参りしている方です。お正月やお彼岸に家族と墓参していました。今日は、一人でしたので、「今日は、お一人なのですね」と語ると、「今年は私もガンで入院し、妻も、転んで足を折り、私も歩みがおぼつかないのです」と、絞り出すように話しました。

「葬儀にも参列できなくて、情けない」と語った姿に、元気な老いの姿は、時に、一気に老いのページを進めて、お年寄りの寂しさが伝わっきます。「あんなに勢いがあった老いだったのに」と、これを落差というのでしょうか。

でも、奥さんの名前で塔婆をあげるという行為も妻の気持ちを汲んで、優しさが、お年寄りの目に輝き、線香の煙も助けて「情けなくて、涙がでてしまう」と、言葉を残して墓参に行きました。

戦争
月島に産まれた古老から聞いた話です。

16年の開戦では、月島西仲通りは提灯行列に子ども達もかりだされたという。

街頭にはカーキ色の国防服を着た人があふれていた。

隣組や消防団が結成され、緊張感があふれていたともいう。

頼もし講、日掛け貯金などが盛んだったようだ。

ラジオに軍艦マーチが流れると、臨時ニュースが流れ、その音はけたたましく、街中に緊張感があったという。

小学生1年の、月島第1小学校の遠足は日比谷公園だったという。

昭和17年4月19日、B29が月島深川の上空を飛んだ記憶を聞いたことがあった。

はるか上空1万メートル上だ。

この頃から、子供心に、大きなものに流されているものを感じながら、自由さがなくなっていたことを覚えている。

昭和19年5月3日には、子供たちの疎開が始まる。

田舎に縁故がある子どもは、その年の初めより疎開していなくなっていた。

月島の西仲通りの家は、軍隊により強制立ち退きがはじまった。

月島第1小学校は月島第1国民学校となっていた。

その疎開にも、駅の関係者に、裏金を払って切符を買った人もいたという。

その頃の自動車やバスは、ガソリンがなく木炭エンジンに変わっていたとも。

多くが20年にはすべたが配給制になっていた。

都電で九段にゆくとき、車掌さんが、靖国神社に対して黙祷と号令をかけていたという。

空襲があると、不発弾を子供たちがひろい、穴を掘って埋めたりしていたとも、子どもの遊びは禁じられた遊びだったのかも知れない。

聞き書きです。

慈鳥
夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなるおててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょう

子供が かえった あとからは
まるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空には きらきら 金の星

私が小さかった頃のことを思い出します。
一日中遊んだ記憶がある。
かけまわって疲れてやっと、気づくと、夕焼けが迫っている。

その頃、カラスが家路につくことを、「夕焼け小焼け」の歌にしたのは、作詞中村雨紅、作曲草川信だった。
この歌を口ずさんだ記憶は、定かではないが、確かなこととしたい自分がいます。

家に帰れば、着ているものをはたいて、夕飯が待っている。
戸外は暗くなって、金星が輝き、物音も静かに、何故か小鳥も地域も眠ってしまったような。

時代は今。
そういえば、日中カラスはいない。朝はうるさく、嫌われ者になってしまったが、家族思いは今でも、カラスだ。
子供を持てば、子供を守ることに凶暴になる様は、人も同じ。
そんなカラスの子育てで、小ガラスが成長すると、親ガラスに口移しで、食事を与えるという故事がある。
年老いた父母の世話をすることを、慈鳥反哺(じちょうはんぽ)と調べたが、カラスから学ぶ現代人はもういないのでは…………

「カラスが鳴くから かえりましょう」と、カラスに動かされた子供心は、街であっても自然に含まれていた。

七つの子
からす なぜ啼くの からすは山に かわいい七つの 子があるからよ
かわいい かわいいと からすは啼くの かわいい かわいいと 啼くんだよ
山のふるすへ 行って見てごらん 丸い目をした いい子だよ
野口雨情作詞、本居長世作曲のこの歌も、カラスが夕暮れに、家庭に帰っていく姿を歌っている。

そんなカラスのことを、慈鳥(じちょう)というこを知ったのは、大人になってだった。
ちなみに、烏鳥、うちょうとも呼ぶ。

寒山詩には、
月落ち烏啼いて霜天に満つ。
江楓、漁火、愁眠に対す。
江楓、漁火、愁眠に対す。
姑蘇城外の寒山寺。
夜半の鐘声 客船に至る 。

慈烏、その母を失って鳴く、悲しい声が響く。

露風(ろふう)落葉を吟ず、慈鳥(じちょう)寒烟(かんいん)に咽(むせ)ぶ。
作者は知らないが、これからの季節なのだろう。

そして慈鳥とは、これはカラスではない。

山中暦日なし
「山中暦日なし」とは、お寺には国の祝日も、休日もないという意味です。

つい先日、トビの親方と話していて、こんな言葉、言い伝えを聞いた。

トビの親方が、名前を継ぐ将来の頭(かしら)に対して、言い伝えられていることです。

「いいか、お前がカシラになったなら、一泊の旅行は許す、決してそれ以上の、旅行や遊山に行ってはならない」と。

カシラがいかに、地域に結びついていたことっを気付く言葉です。

しかも、カシラの口から飛び出ることに、今も生きているのだと、彼を、地域の人間ととしても大切にしたい。

そういえば、我が身も、「もう何十年と私も住職になってから、一泊以外の外出はしたことがないなあ」と思い出した。

それでいて、くやしいとか、いやだとか、うんざりだとか、思ったこともない。

職業という一時の居場所ではなく、住職が、法になって生きることという勤めでもあるからだし。

仏教にとっては初歩の、自分の心を見つめ、わき起こるいっときの現象としての思いを、見つめることができるからだ。

父親
親のことなど普段は考えたりしないものの、突如として考えなければならないことに遭遇するときがあります。独立、結婚、親の突然の死と。

それだけではなく、子供にとっては、成長の過程に親を思い描いて必要とする、その都度その都度その場所で、親のイメージを意識して、浮かんでは消えてと繰り返しているものです。

私にとっても、親は、もう亡くなってはいるものの、自分の成長の過程に今も生きているといえます。

ただ私の意識は、懐かしく両親をいたわり慈しみ、思い描く母の姿父の姿に、あのときの私と両親とのかかわった記憶に今も生きています。

あたりまえと思えば、当たり前なのですが、子供にとって親の居場所は、その時その場所によって大きく変わり、事実が意味となることで、全く変わってしまうのです。

もうじき、私の年令も両親が他界した年令に追いつくかもしれません。

結局、私がその時になってみなければ分からないことですが、世界や環境の変化において生きる人間にとっては、どんなことがあっても「私を産んで育ててくれた。生かしてくれた」、有り難うの気持ちだけは忘れてはならないことと戒めています。

どんなことがあってもです。

親の法事は、子供の務めですし、ひるがえって子供のためなのです。そのとき幸福であっても不孝であってもです。

さて、親は、子供の胸の内はよく分からないものと、はっきりと言います。それは自分のことも知りようがないと感づいているからです。

親という意識の中には、自分・親が死ぬまで子供という存在を、所有しているという観念が隠されていることに、なかなか気づかないのです。

成長期の子供は、「自分のことを分かって欲しい」と思うものであり、親は「お前のためを想って、考えているから」と伝えるものです。

しかも親を意識しなければ、「ほっといて欲しいし、自由にさせて欲しい」と、無視することもあるでしょう。

そんな家庭では、何となくそれが分かっている場所なのでしょう。

「お前のことは誰よりも分かっている。なぜならお前は、俺の子供だからだ」と。ところが、子供が痛いと怪我をすれば、悲しめば、親は自分(親)を忘れて子供の痛み、悲しみとなれる存在なのです。

これは親の居場所の特権です。

ところが親はそんな存在であることをわからないものです。

そのことに気づけば親の中で、親という居場所なくなるのに、親のカラを飛び出して、子供含んで自分の存在はあるという、子供の行為すべてが実は親自身の姿であるのに、それを理想としたり、願いとしたり、親という居場所が持つ所有という意味がでてきます。

親にとって、子供は無二、二つと無い存在です。ただそれだけ。

なぜなら子供とは親の根拠だからです。しかも親の根拠は、親にないところに親は居るのです。

幾度となく、親の葬儀の導師を勤め、子ども達から幾度も聞いた「頑固だった」という言葉の多さに気づきました。

そう、「頑固さ」とは家庭の中の父親の居場所のような気がします。

死は、存在の仕方が変わることですが、どのみち存在の仕方が変わるなら、変わる前に、頑固さという居場所の正体を明らめてもよいのでは。

家庭って、本当はみな違う意見を持っているのに、その違いをそれぞれが容認している場所でもあるようです。

その特色は、違いが分かっていてもその違いを攻撃したり非難したりしない場所として、有ってないような、無いようでいて有る、矛盾した場所のような気もするのです。

だから家族のコミュニケーションも、無いようであって、有るようでない。家族それぞれ別々の方向に向かう起点なのか、これも矛盾している場所。落ち着くと言えば落ち着くし、ひょっとして渾沌とした場所なのでしょう。

「親の頑固さ」、それが親という現実の居場所から親という意味を発信する電波源のようです。子供は独立すれば、それぞれの家庭を持って、夫になり妻になり、子供ができれば親となります。そして子供の独立した、新しい家庭という居場所が中心となってみれば、今までの親からの居場所から離れてゆきます。ところが、親の居場所には、子供の痕跡がすでに消えかかっているにもかかわらず、今もあり続けるのです。

生きる人間の根拠は、仕事や才能、名誉に趣味、年令や体力、病気や様々な欲や思いによります。年を取って醜いのは、現実は年とは関係なく、他人を、また他の機能する組織をおとしめたり、非難したり、疎外することによって自己評価を高くしようと本能的にする性質を持っているものです。

自分が可愛いと。思わせている自分は、誰でしょうか。

これも存在の根拠のようです。たいしたことはないのに、思い込みだから、見せかけでも価値あるもの意味あるものと、思わせているのはだれでしょうか。

世間ですか、生きるすべですか、全部自分です。

ところがその自分の深いところから、そんなものは無いに等しいのですが、一瞬一瞬と反応し、発信する意識のたわむれ、現象に面と向かう私という者は誰という問いかけ、その行為こそが仏教であり、臨済の教えとしての人間に課せられた問題でした。

子供から見れば、父親とは、先に進み歩む父の歩いてきた事実こそが、大切なことです。

それは、現実という移りかわる世界に、身を置いて次々と揺り動く父親の姿は、確かな存在ではなく、本来は、現実を切り開いて進む困難に、苦悩する顔を持つはずです。

その確かな存在ではない父親を、確かな存在とするために、どうしても、父親のつくる背中が必要なのだとも考えてみました。顔はないと。

仕事に追われて、土日も働いている姿は、家庭にての姿は、子どもにとって、父親の記憶とは、母親と違って不確かなものです。

家庭を支えるという意味では、父の姿は見えにくく、家庭がそこに在るという事実こそ父を表現するものです。家庭にとっては見えにくいのが現実です。

考えてみれば、妻や子ども達から働かされて働いていたという認識は、いつしか会社でも動かされて動き、動いて動かされる、そこには喜びも生き甲斐いという意味が生じます。

活かされて活きるも、活きながら活かされるも、動かされて動くも同じ内容です。

赤ちゃん誕生から祝福され教えられて歩かされていたと思っていたら、いつしか自分が歩いていたという意味になります。

その自分の歩みは、自己以外の他者によって歩かされて歩く。

俺が家族を養っていたと思っていたら、いつの間にか、俺が家族から妻から養われていたという気づきです。

養うことは自分自身を養う意味となり、家族に広がります。そして広がっていたと思っていたら、自分に広がって返ってくるわけです。

無影樹下(むようじゅか)の合同船(ごうどうせん)

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