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『相反するものが共存していないと、大きな働き、大切な空間は作られない。臨床も、豊かな矛盾に満ち満ちて息づく所です。』

2016/05/26 15:57
上記の言葉は、鳥取市内にホスピスケアで知られる、「野の花診療所」を開設した医師の徳永進先生の言葉です。

仏教は、矛盾する現実を見つめ、そこからよく生きることを見つけることです。

そのために、禅宗は問答という、疑似問題を修行者に突きつけて答えを導きます。

例えば、「何も手に持たずにクワを持って畑を耕し、歩きながら自転車に乗れ」などと、現実では想像できない仮想の矛盾という構造の迷路に踏み込ませます。

こうした問答を考えなくとも、私たちの現実生活は、結果として矛盾を矛盾のまま生きる姿とも考えています。表題の徳永医師の言葉が示してくれています。

さて、毎年恒例の陽岳寺お施餓鬼、冒頭のお経の言葉は、「若し人が、過去・現在・未来におけるありのままという法を知ろうと願うならば、世界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし」です。

世界とは私の外部ですから、それを知ろうと思ったならば、内面の心を観ろという重たい意味を考えてみましょう。

観ずべしという観について、観音(かんのん)という熟語は、音を観るです。普通は矛盾してあり得ないことですが、例えば、突然近くで「ガシャ!」という音を聞いたとき、「何だろう、何の音だ」と意識が立ちます。すると、立つと同時に意識が過去に聞いた音を、場面を見出し、同時に判断し始めます。

観は、「コウノトリのように目を大きく開いてよく見る」。光を観るです。

眼のの構造からみると、網膜に写して見るのですので、意識は網膜に写された映像を見ていると同時に過去の経験の蓄積や、それから類推する事柄を観ることになります。

観は、よく見る。注意してみる。観察。広くみる。見渡す。眺める。見物する。示す。あらわす。ありさま。様子。外見(形、態度、姿)。ながめ。見方。考え。意識(主観、人生観)。うらなう。考える。物見やぐら。お寺、遊ぶ。思う。研究する。思考力。止観などがあります。

止観とは観を止めた観ですが、「おのれ自身の心が造らない世界の一切」となるのでしょう。それが観音の観です。ただ観ること、自分の意識を加えない観です。

さて、徳永医師の語った、『相反するものが共存していないと、大きな働き、大切な空間は作られない。臨床も、豊かな矛盾に満ち満ちて息づく所』だと観ずべしと、読みたいのですが、大きな大切な空間と、矛盾に充ち満ちて息づくところ(空間)をどう観じたらよいのでしょうか。

徳永医師が相反するという言葉に、医師と患者という矛盾した関係、普通、それを矛盾した関係とは見にくいのですが……。

あるいは看護師と病人、介護者と看護される痛みを抱えたものとの関係は、つねに相反する矛盾した関係であることを、見つめることは少ないでしょう。

その「矛盾した関係が共存して」いないという意味は、私たちの言う信頼関係とも言い換えてもよいと思います。

そのことは、医師は病人を痛み苦しむ人を含んで成り立っていると同時に、病む人として、痛み苦しむ人も一人で苦しむのではなく医師を含んで、介護者を含んで、看護師を含んで成り立っている共存している関係です。

その関係にないと、大きな働き、相対する大きな空間は造られないと、読むことができます。

共存という医師と病む人の関係は、共存という一つになることで、互いに分離した関係になり、共存しながら互いに独立している関係こそ、『相反するものが共存している場所こそ、大きな働き、大切な空間』です。

しかも医師は、病む人の病む原因を見つけ、その原因から発生する不安や怖れという心配事を観なければならないでしょうし、病む人は医師に委(ゆだ)ねる信頼という心を持たねばならないでしょう。共に疑っていては、大きな空間は造られない。

その依存する空間とはどこにあるのでしょうか。

お施餓鬼の文は、『世界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし』と、世界を写している人間の心だと指摘します。

大きな空間とは、矛盾しながらも、互いを受け入れながら、生き生きと息ができる場所です。

その場所はまた、医療現場、家庭、仕事をする場所、憩いの場所、個人の力を発揮できる場所、みんなで何かをとげられる場所、一人でコツコツとできる場所、政治の場所、ワイワイがやがやにぎわう場所、独り孤独となって安らげる場所なのですが、そこはどこでしょうか?

『世界の一切は、おのれ自身の心が造る』です。

さて、この世に浮かんでは消えてゆくもの、すべては言葉といってもよいでしょう。記憶された言語です。

まどみちお氏の詩、「ひとではない!」
『持っている手をはなすと コップは落ちる。そうして教えてくれるのは 人ではない。
落ちたコップは いくつにか割れる。そうして教えてくれるのは 人ではない。

コップの中の水は とびちる。そうして教えてくれるのは ひとではない。
とびちった水は やがて蒸発する。そうして教えてくれるのは 人ではない。

この世のはじめから そうしていちいち、教え続けてくれているのは 人ではない。
ああ 人ではない!尽きない不思議を。えいえんに 教えてくれるのは。』


共存しようとするから言語が必要になります。まどみちお氏は「人(意味と言語)ではない」と、詩のなかで語ります。

言語が矛盾を造って、この矛盾がなければ大きな世界は作られない。

人にとっては、相反するものがなければ生活できないことも確かなことですが、徳永医師は、矛盾しながらも「共存」していないと、大きな働きや空間は作られないと、発言しています。

世の中は、相反するモノの意味づけによって成り立っていることを、知ること、見極めること、見つめることができなければ、大きな働きも、大切という空間、居場所も知ることはできないとも、徳永医師は話されているようです。

物と物、意味と意味、人と人、環境と環境、存在と存在との相反するものの関係による意味とは、言葉に集約できるモノです。

また相対するものの関係は、私という、意味を作り出す意識がなければ見つめることもできないのですから、意識とは言葉で表現するものと解釈してもよさそうです。

しかも、意識といえば、記憶も含まれてきますので、過去の記憶から積み重ねられた私や俺という、今の私でないものの意識までもが含まれてくるから厄介です。

過去の記憶から積み重ねられた私という意識こそが、相反するモノの共存を分析できるのでしょうか。

価値や生き甲斐という、意味づけしたものが壊れれば、安定した心として平安が保たれないたとえを、しばしば見ることができます。

徳永医師は、矛盾した大きな働きを活かす場所こそが、矛盾しながら矛盾をいとも簡単に超える場所として実践した空間・場所だったのでしょう。

世界は、そう、矛盾したまま共存して作られた私という世界でしょうし、しかも、その私は、徹底して他者を支えるとしたら、そこには自分は無く、他者もいないものです。

しかも、それが言葉が誕生する以前の場だとしたら、無限大から極小を含んだ世界でしょうし、その世界はもともとあった世界ともなり、生き生きと息づくところと発見できるでしょう。
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心サッパリ!

2016/05/07 16:23
禅は、無心を説きます。
その無心は、平等・空・本体・実相・性空・本性・仏性・父母未生以前本来の面目・永遠・浄土・平安・平成・平和と言い換えることができます。

そう気づいてみれば、そこには矛盾したモノはなにもないし、仵(さから)うものもないはずです。

難しい字ですが、この仵(ご)という字は、聖徳太子の十七条の憲法の第一条にある漢字です。

「和をもって貴(とうと)しとなし、仵(さから)うこと無(な)きを宗(むね)とせよ」。

辞典には、耳にさからうがあり、すると眼にさからう、鼻にさからう、舌にさからう、身にさからう、意にさからうものなしと読めます。また、あるがままに見る、あるがままに聞く、あるがままに嗅(か)ぐ、あるがままの事実として受け取る、あるがままの意識に写すと読めます。

そして始めの、和という字を左右に分けてみると、禾(か)は会うの意味で、口は人の声と声とが合う意味だそうです。

和の意味は、和(なご)むや和(やわ)らぎですので、人が寄り集まると和の正反対のことが起こっている現状に気づき、聖徳太子は日本で初めて憲法を作られたのでしょう。

深川にある富岡八幡宮の富岡という名称は、永代寺中興四世周光和尚の夢に聖徳太子が現れ、富岡と名づけよと言われたことによると、八幡宮社伝にあります。

周光和尚の夢の中に、聖徳太子が現れ、告げられた夢告が現実となってみれば、深川に聖徳太子が創られた十七条の憲法の精神が誕生したことにならないか。

その語られた精神は深川に、今も息づいていないだろうか。

我れに仵(さから)わないとは、下町の心意気と合わさって、地域の困ったことは我がことの困ったことだし、食べ物のお裾分けや、身体の不調に悩むお年寄りや障害をもつ人を気づかったり助けたりは今も残っている。

叱咤激励とは口うるさいと捉えられなくもないが、よくよく見れば人を思うゆえのことだし、口から出た言葉を、言った本人も聞いた本人も悪く解釈したり根に持たない。

和をもって貴しの実践は、今も下町にこそある。

腹に一物もないところから出る行為や言葉は、サッパリしている。まさに仵うことなしの実践だからです。

強調や協和などと押し付けるのではなく、サッパリしていて良いではないか。

自分に自己にさからうものなど、もともと在るわけでは無いのだから。

そのもともと在るわけ無いところに、在るわけを創って、そのわけを後生大事にしまって他人にまで及ぼそうとするから、聖徳太子は、「和をもって貴しとなし、仵(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」と語られたのでしょう。

和という字の禾(か)は会うの意味で、会うことで一つになることではなくて、会うことによって、会う人それぞれをあるがまま見る聞く触れるですから、おのずから異なっていることを、仵(さから)わずに受け入れることで、それは会うことで区別し分離するということ意味が含まれています。

他人へのお節介も、サッパリしているから、何もないから、お節介をするのであり仵(さから)わない自分を表現するものです。

自分に逆らうモノなどもともと無いサッパリとしているモノが、和してお節介に現れる。

さからうものが無いから現れるのであって、お節介があって現れるとしたら、そのお節介は思い込みやつくられたものです。和して現れるモノではない。

また和光同塵(わこうどうじん)といって、サッパリとした心ゆえに、あえて人のため自ら汚れることを苦にせず尽くすという四字熟語もあります。困っているから、苦しんでいるから、気の毒だから、危なっかしいから、弱っているから、「手を貸せずにいられない」は、「仵(さから)うこと無きを宗とせよ」という実践で、サッパリとした心の表現でした。

考えてみれば下町の暮らしは、「和して同ぜず、同ぜずして和す」だった。蓄えるより与えるケチケチしない精神が、サッパリとした心持ちだったはずだ。

心の中に思いだらけだったら、人と人とが相争って、人の顔や姿など見たくもないと思うと同時に、思った人も思われた人と言うことにモノが一杯では気づかないし余裕もない。

心の中にサッパリとして何もないから、思ったことがないから、感動に身が震えることもあるし、本当に悲しんで泣くことができるのです。これを大切にしたいのです。

さて仏教の縁起には「同のゆえに異、異のゆえに同」という見方があります。これは現実を語ったものです。

心サッパリを同、身が震えることを異と観て下さい。

同は合うという意味と同じであることから、合うことは同時に分離して分けられることを含んでいますので、異なる・分かれる意味を持つことが分かるでしょう。

異なるから数の多を現し、同は、一を現して、一多相即(いったそうそく)と読みます。

相即は相(あ)い即するで、即は時間と同時という意味を持っています。また異は差別、同は平等を現します。

平等・空・無・本体・明・性空・実相・仏性・仏神・菩提・本性・父母未生以前本来の面目・永遠・浄土・平安・平和・先祖代々・内容・無辺・無字・絶対・連続・非断・常劫不変=これを正位(しょうい)として分けていますが、不可得にして頭の中に描くことができないものとして、しかも描いた途端それは偏位となるもの。更に言えば文字や言語で言い表せないモノとなります。

これらに対して差別・色・有・現象・暗・因縁・縁起・因果・凡夫・煩悩・私・瞬時・地獄・不安・戦争・霊・外観・場所・山川草木・相対・非連続・非常・瞬間=遍位(へんい)と言いますが、増えたり減ったり、縁起によって原因結果による変移するもので、思想・観念・認識、思い出に夢や体験、経験・記憶・信仰なども含まれています。

仏教では正位と偏位を論じて、もし正位のみならば因果なく縁起もなく時間も場所もない、もし偏位のみならば、相続はないと言います。

どこまでも正位にして偏位、偏位にして正位のところに、具体的な事実の世界というものがあります。

深川だけでなく下町の、「勇み」や「情け」という文字に表せない、サッパリとした一物もない心が勇みとして情けを産み、その情けが後腐れのない勇みを垣間見せる姿に、生き生きと脈を打って流れる江戸の庶民の歴史を観じています。

芭蕉もここで育ったし、義民の願いが成功したのも深川の歴史です。

勇みは正位の智恵だし中味カラッポ、情けは心カラッポの中に咲く、自由さの象徴まるで自己の開花のようです。

心サッパリだ。

一日暮らしの工夫

2016/04/02 16:06
《 一大事と言うは、今日、ただ今の心なり。
ある人の話に、「一日暮らしという工夫」をしたことで、心がのびのびするとともに、これは身を養うに肝要なことと得心したという。

それはどうしてかというと、一日は、千日万日の初めであり、一日一日と、充実した生を努めれば、その一日のおろそかにすることは、千日万日一生をおろそかにすることでもあり、一日を無いものとすることと同じなのだ。

人の命は、明日もあるか解らないものだ。明日に執らわれると、今日の心が明日に執らわれて、心を遠きところに置くこととなる。

今日がつらくても、一日の辛さと思えば、何とかなるし、楽しみだって今日一日と思えば、引きずらずに溺(おぼ)れることもない。

人生は長いからと、親にいたわりの心を向けないことは、愚かなことだ。

一日一日思い尽くせば、退屈せずに充実した人生だ。一日一日努めれば、千日万日努めることができよう。

それを一生と思うから、距離が長くなり遠い道となる。一生は今日一日のこと。その一生が長いと思っても、千日万日後のことは、誰も知らないし、わからない。

しかも、今日を限りの一日と生きれば、死も寄りつかずに、一生にだまされない。

一大事と言うは、今日ただ今の心なり。

それをおろそかにして翌日あることはない。すべての人に、遠きことを思いはかることがあるけれど、それは的面の今を失う心に気づかない。 》

松代城主藩・真田幸村の兄で、真田信之(のぶゆき)の子で、臨済宗の僧侶となった道鏡慧端(どうきょうえたん)禅師をご存知でしょうか?

世に正受(しょうじゅ)老人と、親しく呼びます。

正受老人は、即心記、自性記など記録したものが残されていますが、「一大事というは、今日ただ今の心なり」が有名です。

正受老人の言葉は実践するに分かり易い。

NHKで「真田丸」が放送されていますが、正受庵がロケ地に使われていることをご存知でしょうか。

今を生きる、今を大切に、今でしょうと、今を注目している世相は、過去や未来が危機に瀕しているということでしょうか。

「今日、ただ今の心なり」は、仏教の歴史です。

仏教の思想は、空(無心)と縁起(関係)が二本柱です。

縁起は、結合と分離の法則とも考えられます。「結合することは分離することであり、分離することは結合すること」を考えると、過去現在未来の関係、こちら側とあちら側の関係など相対する関係がよく見えてきます。

今というとき、人は時間が誕生し過去と未来に分離することは理解できます。

ですが、逆に今があることで、過去と未来が結ばれた関係を見ないものです。

現実は今しか人は生きることができません。今ばかりの現実に今は分離できるのでしょうか、今はあるのでしょうか。

無心と念も、相対する関係となれば、結合と分離の関係が見えてきます。念を消そうとすれば、消そうとする自己が分離するものです。

記録されている「即心記」より、下記に抜粋してみました。

《 人は迷っては、この身に使われ、悟ってはこの身をつかう。

教えは大きく誤るものともなり。それを習うことは、なお誤る。ただ直に見、直に聞け。直に見るは見る私なし。直に聞くは聞く私なし。

人は、私という思いや経験から、人(他人)を見るものなり。私に利欲あれば、他人をもその心で見るなり。色ふかきは、色ふかき心で見るなり。

火はものをこがすが、こがすことは知らない。水はものをうるおすが、水はうるおすことを知らない。仏は慈悲して、慈悲を知らない。

人に慈悲しなさいと教わることは、仏の真似をしなさいということなり。慈悲のもとは心の清浄さ、心の清浄さとは無一物なり。

人は家を造って居となす。仏は人の身を宿す。家のうちに亭主つねに居所あり。仏は人の心に住むなり。

仏と言うも、天道と言うも、神と言うも、みな人の心を言うなり。

生死も知らぬところに名をつけて、涅槃と言うも言うばかりなり。

何ごとも修行と思いする人は、身の苦しみは消えはてるなり。

いろいろの教えに迷う法の道、知らずはもとの物となるべし。

天は身なし、念なし、心なし、是非なし。身あれば、八万四千の悪念あり。身のために苦しむこと、確かなり。

思うままに使いなれたる我が身かな、使う我が身も我もなければ。 》

この慧端禅師は、寛永19(1642)年、信州飯山城で誕生しました。13歳のときに、お城に説話に来られた禅僧が、「自己の内に観世音菩薩あり」と説く言葉が忘れられなかったと言います。

その後、慧端禅師は19歳になって藩主松平忠友 (ただとも)の参勤交代に随伴して江戸に出府しました。

その江戸で、麻布の東北庵(とうぼくあん)に住職していた至道無難(しいどうぶなん)禅師に出合ったことが、慧端禅師の出家への道を開くことになりました。

そして、寛文元(1661)年に無難禅師の法を継ぎました。なお、この無難禅師の師は、愚堂東寔(ぐどうとうしょく)禅師です。

しかも、愚堂禅師には三首座(弟子)がいて、陽岳寺二世錐翁(すいおう)禅師、無難禅師、無明(むみょう)禅師が継承(けいしょう)しています。

無難禅師は法系の上で、錐翁と兄弟関係になります。

そして陽岳寺の創建が寛永14(1637)年ですので、その頃の陽岳寺住職は錐翁禅師のころです。

当時、俳聖芭蕉(ばしょう)が新しい俳句を求めて参禅に通っていた仏頂(ぶっちょう)禅師は、錐翁の法系を継いだ禅師でした。

さて、無難禅師から法を継いだ慧端禅師は、一カ所に住まずに行脚の旅を東北へとワラジを履きます。

行脚して3年が過ぎ無難師は、東北庵に帰って来ます。

そこで無難禅師からから住職に推挙されるのですが、慧端禅師は固辞して諸国の行脚を続け、寛文6 (1666)年生まれ故郷の飯山に帰ります。

藩主松平忠友は喜び、飯山に正受庵を建立しました。

しかし、慧端禅師の修行は、それ以降も続き、無難禅師が江戸小石川の至道庵(しいどうあん)に転居したあとも随侍(ずいじ)して延宝4(1676)年無難禅師が亡くなるまで続きました。

その後、水戸光圀(みつくに)に二度も請われましたが固辞し、信州飯山の正受庵にて死に至るまで、清楚なたたずまいの庵で精進したという。

僧侶として法階も一番下で栄華は求めなかったという。

藩主からは立派な寺院建立と石高の寄進があったものの、「民の利を奪うことは、僧のすることではない」と断ったことが人柄を表現しています。

それ以降、信州飯山の正受庵に住んだことから、正受老人と言われましたが、この「正受」という扁額は、無難禅師の揮毫(きごう)で、臨済宗の正統の教えを継いだ証拠として正受老人に与えられたものです。

なおこの正受老人から、白隠禅師が誕生したことにより、臨済宗には妙心寺派等ほか各派がありますが、白隠系臨済宗として統一したものになりました。

途中にあって家舎を離れず

2016/01/01 14:44
臨済宗の祖、臨済禅師は、臨済録に於いて、「途中にあって家舎(かしゃ)を離れず、家舎にあって途中を離れず」と記しています。

途中とは目的地があるなら、ここからあそこまでの今の一歩です。そして家舎とは今の自分とも、今という無心な自己とも表現するものです。

そこで、人生という長い旅から見れば、すべての歩みは、今の一歩にあると読み替えることができます。

しかも、この一歩一歩を、別の言葉で表現すれば、吐く息吸う息ともいえます。

人はその吐く息吸う息を意識しないものです。

意識しないからこそ、私は「仏の息」とも時に言い換えるのですが、この息が感謝されることは普通の日常の生活では少ないことです。


静かに坐って自分の息を見つめる。不思議なことに息を見つめていると、自分の存在が無くなることがあります。

今そのものになっている状態ですが、ふと時計を見ると何十分何時間と経過していた今であったりします。

ただ単に時間が過ぎていたことに気がつかなかったとも言えるのですが、それだけのことなのでしょうか?

仕事に没頭しているとき、スポーツに没頭しているとき、考えごとに没頭しているとき、辛さや楽しさに没頭しているとき、自己はありますか?

人間の人生という一刻一刻の時間を解体してみると、その都度の一刻に活きた私があるだけであって、ふと人生はあったのかと不思議な疑問を持つのです。

しかもその一刻一刻の私は、言語と記憶、意味によってつなげ、歴史を、思いを創り上げている自分が居ることを考えたことがあるだろうか。

しかも「途中に在って家舎を離れず」という家とは、どんな場所と時間を指すのか、何を意味するのか、ここという意味なのか。

詩人の長田弘さんは、詩集「死者の贈り物」に書いています。

《目的地なんて人生にとって有るはずもない、すべては途中にすぎない。しかも途中でありながらすべてを含んでいることも事実なはず。

過去を思い出して、あるいは、未来を描いて、自分に与えられた人生ではあるのだが、でも、本当に与えられた時間は一瞬に過ぎない。

考えることも、思い出すことも、未来を描くことも、現在の一瞬でしかないではないか。

文章を書くボールペンのボールの転がる先に、筋がついていくが、それは時間であり、自分の歩みが、延々とつながって表現されているにすぎない。


震災で瓦礫となってしまったもの、泥だらけになった生活の中の便利に使われていた数々のモノ、切り取った時間と場所を表す思い出の写真や飾られたモノ、それらすべてが人生の途中を表現していた。

そしてその途中にあったそれぞれの一瞬は、生き残ったそれぞれの一瞬に合流して、今も、時を刻んでいるといえないだろうか》と。


葬儀では、亡くなった人の人生の意味を、こちら側からあちら側という旅に見立てます。

残された弔問の方々の言葉も、この場所で今どう言えばよいのか、家族に対しての言葉でもあることから、今の心象の言葉を選びます。

「良い奴だった。本当に悲しいし寂しいんだ。一人になってしまった。残念だ。有り難う」。人によっては、「申し訳ない。すまなかった。あやまる。有り難う」と。


遺族にとっては、故人への存在が大きければ大きいほど、依存していた自覚が大きければ、悲しみも寂しさも大きく言葉にはならないものです。

しかも否応なく時間が過ぎ去っていくことは、こちら側とあちら側に引き裂かれる悲鳴を見ることも多い。

その後も苦痛を持ち続ける姿に、上っ面の言葉は却って不審をおぼえることもあるでしょうし、現実の事実の過酷さを突きつけることも難しいものです。

そこで、私は、あの世とこの世について、こちら側とあちら側について、「向こう岸に着いたら、もう船は入らない」と故人に告げます。

しかも人生には、「こちら側のことは、あちら側によって決まる」こともあるのだろうし、「あちら側のことはこちら側によって決まる」こともあるのだろうと考えています。

何故なら、こちら側の根拠は、あちら側にあり、あちら側の根拠は、こちら側にあると言えるからです。そしてこのことは、あちら側もこちら側も、同時に今成り立っているはずなのでね。

さらに、あちら側を死の世界に、こちら側を生の世界に当てはめてみれば、死は生を含んであり、生は死を含んであるとも言えるからです。これが相対的な世界です。

考えてみるとそれは、こちら側の私たちの目や耳腕や足までも含めて、すべてあちら側という外側に向っているということで説明できるのかも知れません。

すると、あちら側の人たちは、こちら側を向いているとも言えるからです。

禅宗の語録、無門関の第8則に、こんな話があります。

「車を形作っている部品をすべて解体してみると、車はどこにあるか」と。

途中を歩む人間を、車に見立てて車の姿形や性能や理念も、いちどすべて解き放してしまえと話を進めます。

そしてこの公案の車の両輪とは、強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観、積極と消極など相対的なものは、もともと分かれていないと、車は一つと見極めることを説きます。

さらに、その見極めた意識も放って置くと説きます。強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観は、一つです。

そこで改めて考えることは、車はあったのか、生死する車という自己はあるのかとの問いに、もともと無住にして無相、無念という自己は、生も死もないことから、自己とは不生にして不滅の今の私であることが分かってきます。

その車に気づいて、不生にして不滅なものが瞬時も留まることなく活発に働く無常な途中という意味を確かなものとしなければならないでしょう。

そうでなければ、ただあちら側という今の人生に流されて、途中でありながらも現実の確かな今の自分を失うことになるのかも知れません。


車は車として、人やモノを運ぶ今の車がただあるだけです。


家舎もなく途中にもあらずと、家舎を離れて家舎もなく、無心や無我に置き換えてみますと、途中にあらずとは、一瞬一瞬の無心な今を生き続けることとなります。

厳密にいうと、仏教は生があって死があるとは言いません。

「生は生のみ、死は死のみ」ですから、生の居場、所死の居場所は、時間的な経過ではなく、常に今の居場所となります。


それはあちら側もなく、こちら側もない今に、生が輝いていると思うのですが?

誰がこの言葉を吐かしめるのか?

2015/12/09 12:51
俺は何をしてしまったのか?

何て言葉を吐いてしまったのか?

何てことをしてしまったのか?

知らず出てくる言葉は、私に向かって言う言葉です。では誰がこの言葉を言わしめているのか、考えたことはあるだろうか?

そしてその問いを起こす私の心の中に、深く答えを求めたことがあるだろうか?言ったあとのことです。

言った私が、言う相手の私との自問自答に、私の中に二人の私がいて、主観(私)と客観(相対化したもの)という意味では、客観化された私が過去や未来を含めれば無数に存在してしまう矛盾に気がついただろうか? 

そんな疑問が生じたら、自分の心をのぞきながら、禅の問答を見てみよう。

先ずは禅宗の中国での初祖達磨(だるま)大師と二祖慧可(えか)大師の問答です。

《達磨に対し、心が静まらない慧可が、「どうか私に安心させて下さい」と問うた。達磨が答える、「その休まらない心を持ってこい、あなたと共に安心しよう」と。慧可は、「貴方に弟子入りして、長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」と告げた。達磨は、「慧可と共に、安心したではないか」と答えた。》

大体問答は簡潔にして要点だけです。慧可の言った「長く心を探しましたが、何処にも見つかりません」の言葉は、原文では「心を求めるに不可得(ふかとく)」です。この「不可得」で悟った慧可。心コロコロ転がる心、探せば探すほど心なしか自分を見失いますが、その見失ったままの心はあるのだろうか?見失ったことに何が悪いのかとも考えられます。

黄檗(おうばく)禅師(臨済の師)という方は、「人は、不可得という空に落ちることを恐れるものだ。もともと心が空であることを知らず。愚かな人は、心で事(現象)を除いて心を除かず。賢い者は、心を除いて事(現象)を除かず」と、話されていました。

難しく考えることはありません。私の中には、自分でも想像がつかないほどの、素敵な私がいる。その私が最大限現れたとき、私の中の智慧や慈悲、下町では勇みや情けが現れるものです。

次に六祖慧能(ろくそえのう)禅師と南嶽懐譲(なんがくえじょう)禅師の問答です。

《懐譲が初めて慧能を訪問したときに、慧能は言った、「どこから来たのか?」。懐譲は「嵩山(すうざん)からまいりました」と。慧能が言う、「何ものが、このようにやって来たのか」》

この質問に対して懐譲は答えられなかった。そして8年後その答えをもって慧能に答えた。「一言でも言えば、当たらない。はずれてしまう」と。

なんと長い年月がかかったことでしょうか。

こんな問答もあります。
《達磨が武帝(ぶてい)にお会いした時です。武帝は達磨に、「私と対話しているものは何ものか?」と話しかけます。達磨は武帝に、「不識(知らん)」と答えたのです。》

達磨の伝えた禅は、自己を直視するものですが、どんな時代でも「花子さん!太郎さん」といえば、呼べば「はい。何か用ですか?」と答えるものです。

「知らん」や「言えばはずれる」では、まるで喧嘩をけしかけているような。でもこれはあくまでも禅の修行であり、自己とはと、究める真剣な修練です。

実は呼べば答える自己は、「はい。何か用ですか?」と無心(言えばはずれるものから)に答える私でもあるからです。

ではそんな心の中の不可得な私を、平常どう目覚めさせればよいのか?問答を見てみましょう。趙州(じょうしゅう)禅師の問答です。

《修行僧がお師匠様である趙州に質問します。「修行する者の自己を教えて下さい」と。すると趙州は、「そうかね。ご飯は食べたかな?」と僧に答えました。僧は、「はい。ご馳走様でした」と答え、それに対して趙州は、「それならお椀を洗っておきなさい」と。》

普段通りの会話?なのですが、この修行僧は、ハッとして悟りました。「この修行する学人の自己」という私が、その私のことを他人に教えを請うなど矛盾していることに気づかないものです。すでに、問いに答えがあるはずなのにです。

よく「私って、こうじゃないですか?」という会話、自分の嗜好や思いを私が他人に思い込ませ限定させ、アピールさせる会話をよく聞きます。

私が私の思いの中であえて狭めて、限定した自分であると、他人に知って貰いたいというその自己を見つめます。

その私は、もっと可能性を秘めた、自己とは自意識ではなく、働きや行為・現象によって生ずる自由なものです。そんな自己に対しての問答です。

《瑞巌師彦(ずいがんしげん)禅師は、毎日常時、私に対し「主人公」と呼びかけ、自ら「はい」と答えた。そして「目を醒まして。くらましてはならないぞ。はい!」と言っていた。》

これも問答あり、不可得な私に徹することを戒めるものですが、これがいかに難しいことか知らせてくれます。首山(しゅざん)という禅師は、私を「汚染させるな!」と語っています。

釈尊は、「成道して49年、一字(私という不可得な自己)も説くことができなかった」と語られています。

しかも、語らない山や川や海の「語り尽くす山雲海月の情」と私は見聞します。

二宮尊徳は「声もなく香もなく、常に天地(あめつち)は、書かざる経を繰り返しつつ」とも語っています。

最後は、維摩経にある言葉です。《本有円成仏(私の中の本来の完成された仏性)、何としてか還(かえ)って迷倒(めいとう)せる衆生となる。》

人は何時でもどこでも誰でも、何にも汚されない私(仏性)を持っている。それがどうして迷って顛倒(てんとう)した私となっているのか?と喚起させます。

妙心寺派元管長西片擔雪老師は言います。「迷いがない悩みがないということも、実は迷いなのです」と。

花が咲くのも無心、話を聞くも無心です。嬉しいも無心。心通わせ曇らせるも無心。

慈悲するうちは

2015/06/15 08:04
江戸時代ですが、我々の大先輩の至道無難禅師の言葉に、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉があります。

この、言葉の論理こそ、お釈迦樣の悟りとして、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもつことを現すものです。

この慈悲という言葉を様々に言い換えてみましょう。

「仕事して、仕事するうちは、仕事に心あり。仕事熟くすとき、仕事を知らず。仕事して仕事知らぬとき、真の仕事というなり」と、もっともその仕事が人をだますことや悪にたずさわって人を不幸にするものは「地獄」ということになりますので、要注意です。

日本国を例に取れば、「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき理想の国というなり」と。

「信仰して信仰するうちは、信仰に心あり。信仰熟くすとき、信仰を知らず。信仰して信仰知らぬとき、仏というなり」と。神さまや阿弥陀様や観音様に自己のすべてをおまかせできたとき、仏国土や神さまの心の中に包まれていることも知らない世界となります。

「勉強して勉強するうちは、勉強に心あり。勉強熟くすとき、勉強を知らず。勉強してして勉強知らぬとき、……」、これは何というのでしょうか、充実、生き甲斐、その時その年代の人生そのものでしょうか?

「人を愛して愛するうちは愛に心あり、愛熟すとき愛を知らず、愛して愛しらぬとき……」これは、人の痛みや悲しみが自分の痛みや悲しみとなって、きっとお釈迦樣やキリストのような存在となっていることに較べることができます。そのとき、決してウソ偽りや暴力差別などという言葉が無縁な世界や人生を生きるということなのでしょう。

いくつかの例をもって、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり」という至道無難禅師の言葉お言い換えを致しましたが、数多くあると思うのです。

「悩んで悩むうちは、悩みに心あり。悩み熟くすとき、悩みを知らず。悩みして悩み知らぬとき、悩みはなくなっている」とも考えられるのです。

「坐禅して、坐禅するうちは、坐禅に心あり。坐禅熟くすとき、坐禅を知らず。坐禅して坐禅知らぬとき、仏というなり」ですが、本人はもう仏も自己もない状態といえます。

自分を見て自分を観察しているうちは、自分に心ありです。自分が熟すとき、自分はいない状態ですが、仏といいます。

すべてに成りきれる自分という意味で、人の痛みや苦しみになり、釈尊仏陀の「衆生病むが故に我もまた病む」という心です。空になり、山になり、海になり、名も無い雑草や木々になり、自己の最も自然な状態といえます。

坐禅はなにもただ静かに坐っていることではありません。行為もまた禅というように、人のすべての行為もまた禅なのですが、慈悲しなければ、仕事しなければ、国しなければ、信仰しなければ、勉強しなければ、人を愛さなければ、悩まなければ、坐禅しなければ、扉は訪れもしないし、開かないのです。

菩提樹

2015/05/15 09:26
釈尊の教えは、インドでの二祖摩訶迦葉から伝えられ、二十八人目にして達磨大師に伝わります。その達磨大師が中国に来られます。その法は中国で二祖、三祖、四祖、五祖に伝わります。

さて、その五祖は、跡継ぎとして、弟子達にテストをします。

その問題は、悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようとしたことでした。

先ずは、当初、五祖門下筆頭だった神秀禅師が壁に偈を書きました。

神秀の詩は、「気づいてみれば、私の身は、菩提樹のごとし、その心は澄み切った鏡のように写るものをそのまま写しています。だから、いつも澄み切った鏡が汚れたり傷つけたりしないように、塵やホコリをためてはならない」という内容でした。

五祖は認めず、それを聞いた六祖が神秀の詩をさらに奥深くする詩を書きました。

「もともと心には菩提も菩提樹もないし、清らかさや鏡というものもない。本来心自身は常に清浄であるから、いったい何処に心の塵などがあろうか。心が菩提樹であり、我々の身体そのものを明鏡台ともいえるのだ。明鏡も本から清らかで、その清らかな身体の何処に塵に染まるというのか」。

六祖のこの詩を、五祖が認めたので六祖となったと伝えられています。

六祖は悟った上での詩でしたが、神秀禅師は、ある意味私たちに修行とか、気づきへの方向を示してくれています。

悟りの心境とは、心の問題であり、人の人生の問題でもありますので、こうした観点から、自己の問題は、心とは対象とするものではなく、現実の有り様ということになります。

禅宗の教えとは、お釈迦樣の悟った心のことです。その内容は、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現するものです。

この無相にして無住、無念という悟りを、お釈迦樣は二千年前に、菩提樹の下で、悟ってより以降、生涯にわたってこの一心を伝え、今に語り続けてまいりました。

また無心とも、空とも、からっぽともいう、私たちの心の本来授かっている無境ともまた無性ともいえるものです。

しかも、この無性や無境という本来性を持っているからこそ、私たちは自由に変わることが出来るともいえますし、元々とらわれの世界には居ないとも言い換えることができます。


この心は相対するすべての世界を映す心です。無心となるが故にです。

私たちは自我の世界に於いて、私は私はと自我を認めて、自分の外に世界があり法則がありと錯覚している生活。仏教から見れば、それはすべて迷いです。

静かに、相対的な世界に心が動かされている自我の姿を観察してみれば、自我とは現象に過ぎず、もともと悟っているものの、現象をより所として生きている姿が自我というものだと見えてこないでしょうか。

そんな人が活きる一瞬一瞬の自己を、一つずつ悟って、自分のものとして、釈尊仏陀は、自らをより所としてと、宣言しました。この法をより所としてとも、宣言しました。この過程を修業と言います。この自らとは無心な自己とも言います。

何度も何度も書き換えて……

2014/11/01 13:28

「単独でいる者は無にすぎない。彼に実在を与えるものは他者である」と印度の詩人タゴールは気づきました。

この世の中に、単なるモノ、単なる人はあるだろうか。

単なる太陽や月や星、雲や空、大人と子ども、笑いや喜び、驚きや悲しみ、痛みや寂しさなど。

東北の山や川や海も、単なる山や川や海でないはずです。人は自分の中にある山や川や海という景色の中に、自分を置くことができます。

このことは、様々な景色のなかに生まれ、景色の中に生き、景色のなかに死を迎えるものともなります。

その景色とは、そこに生きる一人一人の心に、取り込まれた東北の山並みは奥羽山脈南部の阿武隈の山々、奥羽山脈の山々、北上高地の山々、そして三陸の海にしても島々が散らばる景色、畑があり、水田があり、果樹園があり点在する家々の景色たち。

その景色は何処にあるかと言えば、人間にとっては、一人一人の心の中です。

しかも不思議なことに、私の心の中に写る景色に、いつも私は見ることができない事実に驚きます。

人間の目には、二つの目があることを考えただろうか、写すレンズのような目と、マナコという意識の眼、私の目に写る景色には、絶対に私はいません。私は写らないのです。その私は写らないことを思いつつ、写ったものは、私以外のものばかりと考えたことはあるだろうか、私はいないのです。そのいないことを自覚してみると、私は東北の山々そのもの、春にはその山々の芽吹きと共に私も芽吹くことで、春爛漫となり、やがて芽吹いた緑が山々をおおうことで夏となり、知らず肌寒さと共に黄金色の姿から朱く染まって秋となり、地肌を見せて真っ白な姿となって私が冬となります。

そんな山々を写している人間の歩みを、禅は、青山常運歩といい、青い山々は私の歩みと連なって歩んでいると表現します。山は動かないと私が思っていたら、私が山となって、空となって動いていると、しかも活発に動いて、私が寂しければ山も寂しく、悲しければ山も悲しくて大泣きするし、可笑しければ山も身体を揺さぶって大笑いするようにです。

すべては写す私がいないからです。

人は、その景色として生きることで、心の思いを育て、言葉にできないことを記憶しながら、自分自身を創り上げているものです。

 人は無心となれるが故に、花となって咲き、山となってそびえ、川となって流れることができます。

「単なる自然の世界は無宗教的世界である(無神論的世界と西田は書いています)」と言ったのは哲学者の西田幾多郎でした。 単なる私なんてあり得ないことですが、人は意識しなければ、その繋がりを見ることは難しいことです。

更に見ることが、もっと難しいことは、その繋がったということにこだわって、繋がりの中の各々は、繋がることで、分離し、独立するという意味が見えないことなのです。

世の中には、単なる自由や単なる独立などはあり得ないことです。繋がるということにおいて、人は、独立し自由を得るということを考えなければならないと思うのです。

みんな、つながっているから。

非連続の連続

2014/03/07 14:13
  「ちいさなちいさな王様」という童話があります。アクセル・ハッケ作、ミヒャエル・ゾーヴァが絵を、奈須田淳さんと木本栄さんが共訳し、平成8年10月15日に講談社から出版されたものです。主人公は、平凡なサラリーマンをしている「僕」で、物語は王様との不思議な経験談です。

小さな小さな王様は、自分の誕生を語ります。
 「おれはだな、ある朝、ふいにベッドで目覚めたのだ。それから仕事をしに王子の執務室にいったのさ。実に、単純なことじゃないか。おなかのなかにいるだと?ばかばかしい!人生というのは、ある日起き上がって、それですべてがはじまるのだ」と。

 王様の人生は、それからどんどん身体が小さくなって、小さくなればなるほど知識も忘れて、やがて、老いが訪れるようになると、仕事もしなくてすむようになります。
 食事も誰かがくれて、頭の中には、忘れれば忘れるほどに、真っ白な自由が空間ができて、そこに遊びや空想で埋め尽くされるようになります。
 現実を何をして遊ぼうかと、何しろどんどん小さくなってゆくわけですから、禁則はなく、ビックリしても、驚いたり、怖がったり、笑ったり、大声を出したり、空の星々に名前をつけたり、雲と遊んだり、何をしてもかまわない大きな世界をもつことができる。

 人生経験が豊富という意味も、何かを詰め込むことではなく、ものごとを判断することでもないが、実に、世界がよく見えて、よく聞こえ、思いも無限大という世界に生きることができるからこそ、王様なのだろうというお話しです。

私がこの本を読んで最初に思ったことは、王様はある朝ふいにベッドで目ざめた時が誕生であり、それ以降は、どんどん小さくなって、その先は小さすぎてわからないということが、それでは、誕生もなければ、死もないということでした。 それは、別な意味で、まるで人間のようだと。

 それに朝目ざめた時は、目ざめた者にとって、誰にとっても、今日初めてのことであり、人生にとっても初めてであり、これは、夢ではない。 でも、人は、夜、夢を見ていながら、昼も夢を見続けていることに気づかないものです。私も。

 そこで逆転を考えれば、私が何やら夢見ているより、夢を見ている私というほうが、より現実的な私となることです。
行為の中の私こそ、現実的実体的な私と聞こえてきます。
  夢と現実という相反するものが、反するが故に結びつくとしたら、結びつくことで、分離するという現象は、夢を持ち続けながら現実を大切にすることで、結ばれたものが分離していると思えるのです。現実は夢を根拠にして、夢は現実を根拠にしてある姿に、大きな夢も、小さな夢も、夢に変わりはない。

 夢と現実の結びつけ方により、夢が夢でなくなるときがあります。
 というより、夢と現実が一つになるということなのでしょうが、夢は、現実のコツコツにあり、コツコツがなければ、単なる願望になってしまうし、夢がなければ、単なるコツコツでもあります。

 インドの昔話で、山火事で燃えさかる炎に向かって、1羽の小鳥がくちばしに含んだ水を落とす故事がありますが、その行為によって自己が成り立っている事実が尊いのだと教えてくれます。

 もちろん意味も大切です。夢も大切です。願望も大切でしょう。しかし、意味も夢も願望も絶した一瞬一瞬の行為がなければ、意味も夢も願望も消えてしまいます。
《僕(物語の主人公)と私は、似ているなと思った。二人とも、押しつぶされそうな現実から、逃げることも、受け入れることもできずにいた。大人になるという事は、夢を捨て、現実を見つめる事だと思っていた。
 でも、王様は、こう言った。
 「おまえは、朝が来ると眠りに落ちて、自分がサラリーマンで一日中、仕事、仕事に追われている夢をみている。 そして、夜ベッドに入るとおまえはようやく目を覚まし一晩中、自分の本当の姿に戻れるのだ。よっぽどいいじゃないか、そのほうが」と。 私はこの時、夢があるから現実が見られるのだという事を教えられたような気がした》と。

 「夢にあらず、現実にあらず、現実にして夢、夢にして現実」と、哲学者西田幾多郎氏は言います。「連続の非連続、非連続の連続」と。
  非連続は一瞬、時は今から今へと、非連続でありながら連続を形成し、形成された時の繋がりは非連続によってなりたっています。
 生きるという意味も、この関係に尽くされていると思うのです。

随縁行(ずいえんぎょう)

2014/02/02 17:12
禅宗の中国での祖である達磨大師は、四つの実践行を説いてます。その一つが、随縁行と言って、縁に随うということでした。

縁起に随う、因果に随うということです。しかも、縁が変われば、因果が変化すれば、おのずから、自己も変わらなければならない。

この内容は必ず、一方通行ではなく、両方向の動きで、私が動くことになります。

その内容は、雨が降れば傘を、私がさすのですが、同時の内容は、雨が降ることで傘をさすことを強いられることでもあります。私が興味を持って何物かを選んだとしても、同時に、選ばさられたものとなります。歩くことも、走ることも、歩かさられ、走らさられと。

それぞれの人の、今日すること、今することをする、ということなのですが、同時に、これは、させられての随縁行でもあるのです。因縁に任せるとは、任せられるという、動かしながら動かされ、愛しながら愛される、結んでいるから分離していることを見てと。

仏教は、「世間的な成功や失敗は、すべて因縁によるのであり、自分の心そのものは何の増減もないから、喜ばしい巡り合わせも動かされず、暗黙のうちに真理にかなっている。それで、縁に任せる実践をすすめるのです。命にしても、縁に任せて現れ、消えてゆきます。

『随縁行』は、因縁に随順する行為であり、「万物が自から虚であり、縁起であるのに随順する実践となる」と言っています。

私たちの普段の現実の行為を見つめれば、含んでいながら含まれている。見守っていながら見守られている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれているから独立している。

離れていても連帯している。選んでいながら選ばれている。失っていながら得たモノが有る。生きていながら生かされている。無心となっていながら満ち足りている。色即是空・空即是色。この矛盾する関係の中の、有り様の同時という視点こそが、揺れる心の無常世界を活きる智慧です。

そしてここから見えてくるものは、人は世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで人は存在するということなのです。

東北は、私たちが、いつものように、普段のままに暮らしていた、随縁行という生活、風景を一変させてしまった。

東北に山や川や海と、共に暮らしていた、それぞれの家々の中での普通の暮らし、当たり前の暮らしをです。

家々をつぶされて、ツナミに破戒され、放射能に汚染されてと、この犯した罪は、誰にあるのでしょうか。

七十年前に日本の各地が灰と塵になってしまったことも、それ以前に、アジアの国々を、結果として踏みにじったことも含めて、考えて見れば、歴史を詳しく観察してみれば、それぞれの時代の今に、見えていた、見えないものだったのではないか。

それこそ、三・十一以前の生活にとって一番大切なものが、私たちには、見えていなかったということなのです。選んで選ばれた、当たり前の場所で、当たり前に生まれ、あたり前に生きて、当たり前に死ぬという。
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