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皇の,諱(いみな)は富仁(とみひと)、その時の開山住職は、関山慧玄禅師で、花園法皇在位は、1308年9月11日(旧暦延慶元年8月26日)から1318年3月29日の9年間で、妙心寺を開かれたのが、1342年(旧暦暦応5年/康永元年/興国3年)で、崩御された日は、1348年12月2日(旧暦正平3年11月11日)享年52歳でした。


花園法皇は、幼少のころから学問詩歌書道に優れて、宮内庁書陵部の学道之御記には、「学問の目的はただ文字を識り、博学になるためのものではなく、本性に達し、道義をおさめ、礼義を知り、状況の変化をわきまえ、過去を知り未来に活用するためのものである。」と記しています。


花園法皇は始めに紫野大徳寺の宗峰妙超(大灯国師)>として修行します。やがて大灯国師が、1337年(建武4年)に病となり重篤な状態となると、花園法皇は国師の後継者として関山慧玄禅師を推挙され修行が続きます。その場所は、花園法皇お住まいの花園離宮を禅寺として、今の正法山妙心寺でした。大灯国師は翌年1338年1月13日(延元2年/建武4年12月22日)に、亡くなりました。



法皇と大灯国師の出会いの問答が、「大灯国師語録」のなかにあります。花園法皇は大灯国師の風評を聞き、国師を内裏にお招きしし、法皇は和やかに談話をしようと思いましたが、国師は袈裟を着用して対坐することを望みました。法皇は許して座は問答のようになりました。国師と対坐して、法皇はまず、「仏法不思議、王法と対坐す」と国師に問いかけしました。


天皇が上皇となり、仏教を学んで法皇となっても、国師は法皇の臣下であり、上と下の関係をなくして対坐することは許されないと、そんな意味合いもあったのでしょうか。王法という世界に住みながら、仏法という法の世界を垣間見ての最初の言葉でした。国師は、すぐに「王法不思議、仏法と対坐す」と応じます。法皇は、この返事に、「龍顔を動かす(にこっと笑顔)」と、満足したと記されています。


法皇と国師の関係にも、王法と仏法が歴然として二つある。王法は、花園法皇、支配・遵法・序列・知識・色・分別・異・違い・差別であって、これら相対するすべてを万法とも言います。それに対して、仏法は、大灯国師・無階級・智慧・無心・空・無分別・同・平等・無差別・悠久・永遠です。考えてみれば対立しているかのような、この矛盾したものが対立したままでは、座は一歩も動きません。
国師の答えに、花園法皇が「龍顔を動かす」ことで、対立の構造は一気に解けていきました。この当時、王法は天皇によって代表される世法です。当時も今も、多くの生まれた赤ちゃんにはそれぞれご両親に育まれやがて成長し、それぞれに仕事をし世代を繰り返していきます。それぞれ結びついたり離れたりと形を形成しながら、人や生物も動物も小石もやがて大きな岩や山となって苔むすまでと、まるで君が代の歌のように、悠久という時間の流れの中にです。



花園法皇と国師はたびたびこうした席を設けたのでしょう。国師をお招きしたときの対話がまだ残っています。法皇が国師に尋ねますが、この問いの緊迫した様子が目に浮かびます。法皇が、「万法とともならざるもの、これ什麼人(なにびと)ぞ」と口火を切ります。

この問いは、王法という席につく法皇ではなく、修行者あるいは仏法を自己のものとした求道者の一面があります。王法に仏法そして、今度は万法と、確かに世界には諸々の憲法があり、業界や組織、家庭や家族決まり事も、さらに無生物と生物の、それぞれの有りようという法則という万法とは、何なのでしょうか?



碧巌録に趙州和尚の有名な問答があります。僧、趙州に問う「万法一に帰す。一いずれのところにか帰す」と。それに対して趙州は答えました。私は昔故郷の青州に居たとき、一枚の麻衣を作った。重さは4.2キロあったと。万法に一帰す」の一とは、「万法と侶ならざるものです。趙州の答えは、「麻衣の4.2キロの重さだった」というのですが、これに対して、故人は、「この麻衣一枚の重さを、幾人か知る」と語っています。


「万法と侶ならざるところ」とは一であり、絶対平等・無分別の分別・仏法です。「万法と侶なるところ」は相対の世界で、二や多、そして分別する私たちを現します。平凡な、ありふれた、日常生活の中の一つ一つの行為が、いちいちが、「万法と侶なるところ」なのですが、それが同時に「万法と侶ならざる無分別の私」と、国師は法皇にそう対坐して言っているのでしょう。そこで「万法と侶ならざるところ、これ什麼人ぞ」に対して、国師は、扇を動かしながら、皇風永扇あおぐ」と答えたということです。


万法がつかめたならば、その万法を現そうとすれば、万法と侶ならざるところで、国師の扇(おうぎ)であおぐという今の行為となって示しました。しかもその風は太平にして平安に憩う庶民の心持ちの風です。万法と侶ならざる人は、国師手中の扇子と共に動いてる当体国師法皇、私ら一人一人となります。禅宗三祖禅師の信心銘には真を求むることを用いず、唯だ須らく見を息(や)むべし。二見相対の知見に住せず、慎(つつし)んで追尋すること勿れ、紛然として心を失す。二は一に由て有り、一もまた守ることなかれ。

2019.07.06 Sat l l コメント (0) トラックバック (0) l top
「若し私が、過去・現在・未来の仏を知ろうと望むならば、世界の一切は、私自身の心が造ると、観察すべし」

これは、本日のお経、お施餓鬼文、初めの言葉です。

お施餓鬼というと、精神的にも身体的にも餓え乾きや苦悩する鬼に施すと書くのですが、施すものは、心です。

その心とは、亡くなった親しい方は勿論ですが、さらに私たちには、目にしたこともない、ご先祖という見ることも思うことも遙かに遠い血筋の方々です。
この法要は、その方々と有縁無縁の方々を含めて、一年に一回のお施餓鬼会です。

私たちの世界は、意味を持って成り立っている世界です。だから意味の整合性が合わなければ、理解できないと思っていませんか。でも本当にそうでしょうか?

私たちの歴史は、子どもだった私が成長し、多くの子ども達は、親と同じように、男女の出会い、そうでなくとも、結婚という結びつきにより、夫と妻に分離します。やがて子どもができれば、親と子どもに分離して家族という結びつきに結合して、一緒に暮らします。

親の根拠・拠り所・居場所は子どもにあり、子どもの根拠・拠り所・居場所は親にあります。夫の根拠は妻にあり、妻の根拠は夫にあり、無数の根拠・拠り所・居場所を持って、人は常に変化して生きています。しかも、一瞬を生きていますので、何が大切かなどと問うことは必要なく、一瞬を生きるといえばよいでしょう。でも、自分の根拠・拠り所・居場所は、自分にないと、他者にあると気づかないだろうか。
子ども達が独立して家庭を築きますと、自分にとって、親という根拠という大事なはずでも、妻の根拠が大きくなって、特別な存在ではなくなってしまう、そんなこともあります。やがてそれが当たり前のような生活になってしまう。そんな日々の中で、大切なもの、大事なものを持ったとしても、いずれは、普通の歩みになってしまうこともあります。

その人の人生に、あるいは家族の絆にも、何の保証がないことも知らずに、毎日がいつも、昨日のように続くと、心の意識は、何も考えない。だから、普通に生きてゆくことが出来るともいえるのですが、実際は、何の保証もない。

当たり前のように今日があって、今があれば、明日があり、昨日がある。その当たり前は、自分の判断という物語りということなのですが、すべての壁は、自分の内にあるといえます。

だから、現実は外の世界で起こっているの
お施餓鬼は、このあたり前に何の保障がないからこそ、この人と生きて造られた絆・繋がりを、大切にしないといけないと、この人生という歩みに、家族の繋がりに、友達や知人、無数のつながりに、有り難うと、教えてくれます。
お施餓鬼会を、死者の道は、残されたものが示してあげるという考え方こそ、残されたものの、現実を歩む指針となり杖となりえるのだと思い、願うようになりました。

私たち一人一人、生きて現実に歩む道は、夫婦であっても、子どもがいても、ただただ、一本の道が果てしなく繋がっていると、見てもよいでしょう。
親しく亡くなった、父や母、祖父や祖母、さらにその先の亡くなった者が歩んだ道も、それぞれ一本の道でした。

共に、時間を隔てて、別々の道には違いがないものの、親しく亡くなった者の歩んだ道も自分の歩みも、続く道だと気づくことも、また、新しい自分や親しく亡くなった者を発見するものかもしれません。

この道は見えません。ただ今から今へという断絶した今を生きることが、矛盾しながら過去と未来につながることが含まれているならば、そのつながりは、父や母、祖父や祖母を通して先祖へとつながって、今の自分の有り難さへと通じます。たとえ会えない儚さに包まれても、その夢に人が棲んでいるからこそ、儚さも、有り難いことです。

お施餓鬼会は、私たちは世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで、私たちは、誕生し、存在していることの表現です。
この表現は、含んでいながら含まれている。見守っていながら見守られている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれているから分離・独立している。離れていても連帯している。選んでいながら選ばれている。失っていながら得たモノが有る。生きていながら生かされている。無心となっていながら満ち足りている矛盾でした。この有り難い矛盾する関係の中の、有り様の同時という視点こそが、揺れる心の無常世界を活きる智慧となります。

お施餓鬼の法要にて、ご先祖様として捧げる集いと読経は、冥福への祈りであり、同時に今の自分を輝かせるものです。

この思いは、人の内面にかかわるものですから、思い出や、寂しさや安らぎが、亡くなった者から与えられることを祈ります。そして、それこそが有り難いという、感謝の中身といえるものなのでしょう。

それでは、さかのぼった過去の、有縁無縁の亡くなられた方々の命の上に、今の私たちの命は頂いているという自覚を表現するため、参加された方々にとっては大切な戒名、或いは家々のご先祖様を記した廻向帳を、香で薫じて、施餓鬼棚に、奉じ、かかげます。
ジテンキジンシュー  我ら、汝等に、この祈りから供養せん!
 見えないものと、見えるもの、お施餓鬼会も、今の見えないものと見えるものの相対関係を結びつけるものです。見えないものは、永遠、ご先祖さま、未来と将来、過去、全体、世界、人生、平和、象徴、連続、相続、平等、理想、願い、夢、幻、祈り。見えるものは、生きているもの、生きていないものを含めて、今・ここの絶対的事実です。分離することで相対しながらも繋がっているのです。
2019.05.18 Sat l l コメント (0) l top
元号が平成から、令和の令は、うるわしく神様の神意を聞くということから、良いこととなり、和は、和らぐ、そしてなごむです。

しかし、元々は令は命を表し、和は和平や和順など戦争をしていたものを講和によって平和をもたらすことが和の語源でした。つまり人間がいがみ合って、いたずらに命を傷つけないようにということが示されていると思います。

国書である万葉集からは、「うるわしく平和に生きる」民の姿を、日本という国の形に描いたのでしょう。万葉集の和歌の出典時期は、西暦421年の歌からですので、古墳の時代中期になり、(大阪・堺の仁徳天皇陵ができた頃から)、759年頃までの、338年間の、和歌を集めたものです。奈良時代の、天平というくくりの最後で、大伴家持が、万葉集を編纂します。

もっともこの頃から、漢字を万葉仮名という日本式のひらがなに当てはめています。その頃太宰府で、家を持つことが名前になる時代だったのでしょうか。

さて、聖徳太子が誕生したのは、西暦574年で、日本の国が大和朝廷という国家として形成した時期です。593年、初めて女性の天皇・推古天皇が誕生したことは、今から見ると、とても進歩的に見えます。聖徳太子は、皇太子になり摂政となります。

この間の時代は、遣唐使派遣など、町づくりにしても、真四角な町、直線的な道路など、国造りという飛鳥時代を生きた聖徳太子(没年622)でした。
太子の作られた、一七条の憲法、その第一条は、「和をもって、貴しとなす」です。この頃にしては、民主主義もない時代に、革新的な内容です。日本国民の1人1人、それぞれに違いとして認めながらも、和をもって、そのいちいちを「貴しとなす」と宣言されたのでした。

平和は、もともと、戦争する双方が講和をして、戦いが終わったことを意味するのですが、平和の和を熟語から外して、和を独立させたことです。「貴いことは、平等なこと」と、読んだことです。

絵に描いた平等ではなく、理想が理想でなく現実の実相として見たならば、これは当たり前のことでした。ところがこの当たり前のことを、一人一人の個人が当たり前のように受け入れなければ、和が、平等が、貴さが表現できないことも示しています。

それだけ、個人の尊厳が保たれることが、この言葉の中に含まれていることを認知しないと、国民を一つにまとめることができないと、聖徳太子は納得されたのでしょう。

その「和をもって貴しとなす」とする内容を、仏教は、和を同じで、ドウと読み替えて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と読み替えます。この言葉の中に、和と貴さと、人それぞれの違いや個性が表現されています。

一人一人、違いある固有な個人として、同じだけれど同ぜずと、また、同じではないけれど同じと表現します。個人一人一人、それぞれ人格も生い立ちも年齢も、ものの見方も個人としての尊厳も違う人が、何で同じではないのに平等なのだろうと、矛盾することの問いも含まれています。

そこで、赤ちゃん誕生を考えてみました。赤ちゃんは、ものの見方・考え方もないうちに、和の中に生まれてきたのではなかったか?ものの見方、考え方という主観は後天的に取得したものです。

その主観という私の意識は、初めに、家族単位の中、おじいちゃんおばあちゃん、お母さんお父さんという単位の中に、主観を持とうとする赤ちゃんの「私が」誕生します。

先ずは夫婦、あるいは家族という一人一人、個人という独立した主観をもつにも関わらず、和の中に誕生し、育まれ、成長していきます。もともと家族という単位は、「同ぜずして和す」が成り立ちの基本です。赤ちゃんは、保育園、幼稚園に入園しても、その入園生活に慣れてくれば、「同ぜずして和す」という、子ども達は団体生活を学びます。

子どもたちが、そのクラスの体験から得たものは、私という違いの学びのはずでした。

ところが、子どもでも意識していないけれど、生きるため、食べ物を食べて成長するため、自我が発達してきます。これはまた、自我というものを中心にして見ることを身につけていくことです。

すると、「和して同ぜず」、「同ぜずして和す」、が難しく、他人の違いばかりが見えて、私の違いが見えなくなってしまうことです。

人の気持ちや性格、あるいは無意識の中から飛び出す特定の意識は、子ども達も大人も同じなのですが、直感的に、自分の中に、仲良しとそうでないものが、望むことと望まぬことが、理想と現実が、決定する意思と随うことが同居して、好きと嫌いが、主観というものの発達によってそれぞれ異なってきます。

その違いが、どこから来るのかわからない。自我が見えない。指摘されても理解できないというところにあります。

現実は矛盾によって、「和して同ぜず、同ぜずして和す」と、成り立っているのに、その矛盾がもっとも嫌われる、阻害されて、うとまれることです。

個人は一人一人、私やあなた、それぞれ固有であり独立したものです。ところが現実は、別々のもので相容れないものですが、矛盾しながら和を形作っていることに気づかない。

これって、当たり前のことです。自然界のいちいちの命あるもの、また命がなくとも、そのいちいちは異なって、あるいは違いがあり、形があって、人も自然が成り立っているという事実だからです。

「なごんで、和らいでいながら、同じではない。同じではないのに、なごむ、やわらいでいる」と。

さて、「和して同ぜず、同ぜずして和す」は、異なるものが和をもってあるとは、異なることと、同じの同が相対して互いに相反するものとして、矛盾しながら、対立しながら同時に成り立っていることです。

どこまでも、世界は異なりながら同じ、同じにして異なるというところに具体的な世界の事実があるということです。

個別の違いや、上下とか、言葉の意味として、異なることを観察することとし、同じや平等、一つや、一緒を観察すること、この二つの見方を学ぶことが強いられといえるでしょう。

そして、その結果、もしドウ、同じのみならば、平等・永遠・連続・相続・人生は、区別はなく、断絶もしていないし、異なっていませんし、変わることもありません。原因があって結果がある因果というものもなくなることに、気づきます。

では、同ぜずばかりであるなら、違いばかり、別々となってしまうでしょう。さらに人生というくくりもなくなり、今ばかりとなります。常にあらず、人生にあらず、平等にあらず、となります。この同ぜず、異なるは、差別、区別・の絶対的事実となります。人生にとっては途中ばかりとなるでしょう。

これは、違いばかりであるなら、平等や平和はありません。やはり世界には、平等や和す、同と書いて同じ、という概念・有り様が不可欠なのです。

世界は、やはり、常に非ずですが、断絶に非ず、同時に、断絶にして常、常にして断絶であることが大切です。

あらゆる個々という違い、異なるのものは、同に集約するのですが、では同は何によって成り立つのか。個々の個によって世界は成り立つことに気づけば、個は同の一部なのですが、同という全体・平等への意味を荷っていることがわかるでしょう。

相対するものによって成り立っていると。同じでないことが同じを含んで、同じは同じでないことを含んでいる。

「和して同ぜず、同ぜずして和す」という、そこからは、平等とは差別や区別によって成り立ち、つまり差別や区別を根拠にして、平等は成り立ち、反対に、差別や区別は、平等よって成り立っていると見ることができるのです。

>そして同じや平等は見えないもので、区別や差別は見えるものともいえます。同じや平等という見えないものを、禅は、違いや異なる典型の私が、無心や空になることにより体感します。

さらに、同と異の法則の現実の世界は、これらの相反するものが常に相い即してある姿と見えてきます。

さらに相反するものの結びつきの関係とも説明できますので、働きかけるものと、働きかけられるものも、二つで一つ。あるいは一つだと。また別の言葉で言えば、働きかけるものは、働きかけられるもので成り立っていると、その逆も同じです。

別に例えれば、商売でいえば売る人と買う人。教育でいえば、先生と生徒の関係、話す人と聞く人など、分かれていながら一体だということが、関係、つながりのあり方となります。

更に言えば、相反するものが、違いがありながら、平等、同じ、和となって貴しとなるとき、より現実的な世界のあり方となるのです。

また私たちは、よく自由を欲します。実は、自由と必然の関係も同じように、必然にして自由、自由にして必然の関係で、別々でありながら同という関係に気づくことなのです。
2019.05.01 Wed l l コメント (0) l top

昨年は、123日の白根山の火山噴火から始まり、49日には島根県西部地震、618日には大阪北部地震、7月豪雨では西日本の各地で記録的は被害が発生しました。96日には北海道胆振東部地震が発生しました。

台風も、12号が729日三重県伊勢市に上陸して西に向かって逆走台風となって高潮被害などの多くの被害が発生しました。823日には20号が、94日には、21号が徳島県南部に上陸し大阪神戸では1961年の室戸台風の記録を超えたといわれ大きな被害をだしました。さらに台風24号が沖縄、鹿児島に、9月30日には和歌山県田辺市に上陸し福島まで風の影響で倒木の被害や水害など大きな災害を起こしました。

また地球温暖化で、2018年の猛暑は、記録的にも統計開始以来最も高くなりました。これら列記した意外にも、地域によって土砂災害、高潮水害に倒木被害等々、風による被害がありました。新年早々、多くの亡くなられた命に悲しみをもち追悼の意を表します。災害に遭われた方々の、一刻も早く元の生活になれるよう願っています。

さらに過疎化、少子高齢社会、格差、パワハラ、日本列島だけではなく、世界中が多様性を崩して、そこに暮らす人々に多くの苦痛、困難に不安が重なります。さらに日本を支えてきた高齢者をターゲットにした振り込め詐欺には、憤りをおぼえます。

今年最後になる平成という年号の記す意味も、「内平らかに外なる」、「地平らかに天成る」で、人々の平和への希望を願ったものでした。

人は誕生したとき、誰でも、気づかないけれど、自分の荷を背負っているものです。

 2011年3月11日以降は、あどけない、無垢な子ども達にとっても、未来に生まれる子ども達にとっても、共通な生きる重さを背負って人類は歩んでいるとことを、忘れてはいけないと思っています。

 そして、そんな時代になってしまったからこそ、この世の中に、明るさを求めて歩み続けたいし、温かい心を失いたくない。すべての人を限りなく見つめて、愛さねばならないし、さらに動物や植物、地球や宇宙までも含めて、命あるもとしてかかわり合いたい。

 この困難な時代に、思いも掛けず亡くなってしまった多くの方々に代わって、自分が今、生きているというこの事実を見つめたい。

 考えて見ると、頂いた命も、ほんの少しの間、しばし留まるだけの命だから、感謝し、生きている間、他の頂いた命を持つ人たちと、あたたかい心を、ほんの少しの間だけれども分かち合わねばならない。

 次々と訪れる災害に、心配や苦しみは、むしろ人生の道しるべとしたい。生きる糧(かて)としたい。この災害に、いったいどんな意味があるのか。なぜこんなことになったのかとの問いも、それは、背負って立つことのあかしだ。

 この事の自覚は、自分への励ましではないか、すると、新たな想像力として、意思の力となってみなぎり、養えるはずだと気づく。

 この時代の平和の条件は、日常の至る所に無数に散らばっている。どんなことに出会っても慎ましさと、他者への慈悲の気持ちを忘れないことではないのか。それが智慧ではいか。

 家の外で、子ども達のにぎわう声がする、ただそのことに、嬉しさとなって、日常の些細なところにあるのであって、大きくて多いものにおいてあるのではない。

 今日の朝の目覚めに、頂く一杯の水に、お早うという言葉に、玄関を開けて外の空気を吸おうとしての歩みに、或いは、足を引きずりながらも進む歩みに、嬉しさを感じないだろうか。

 人生の生き方を知る、真の人とは、生きている輝きに気づくことだ。

 耳を澄ませ、目を注ぎ、味覚を養い、身体で触れても、その感触や思いを、鏡のように心に留めないで、刻々と生きれば、一瞬一瞬の時を知るものとなって、天の国はすぐそばにあるものだ。

 これこそ、平成という「内平らかに外なる」、「地平らかに、天なる」という、生き方を知っていることだ。

 谷川俊太郎は、「どんなに小さなものを愛してさえ、愛することさえ出来たら、私たちは孤独ではない。愛することで私たちは世界と結ばれている」と。

 愛とは、慈悲のように私たちを生かすものです。また、愛は、結ぶという行為の意味があることから、究極において、全体への一つの力です。しかも同時に、結ぶことは結ぶことで分離する意味もあることから、孤独をなくすことでもあります。

この関係を、仏教では「縁起の故に空、空の故に縁起」と説明します。縁起はつながるという行為ですので、その繋がることで、孤独は愛するという行為により空となり、世界と結ばれます。

 縁起とは、つながるとは、否定の故に成り立っている関係とすれば、逆もまた正しく、否定の故に縁起があると、縁起とは、あらゆるものの関係を伴った動きです。

 ここまで語ってきて、愛とか、つながりとか、縁起や空という言葉など、一度も使わずに、孤独で一生を過ごす人だって沢山います。

 その人たちが愛をもっていなかったのだと考えたら大間違いです。その人たちの方がかえって、本当の愛をもっていたかもしれません。

 この関係に気づくことで、もしかして、むさぼり、いかり、ねたみという矛盾や葛藤という孤独の欺瞞に満ちた今の孤独が、消え去り、逆に、生きる力として、喜ぶべきものとして、目覚めることを願っています。

 そして私たちも、矛盾と葛藤を、そのままに、人生を生き抜く力にまで高めることが出来るはずなのです。

何故なら、人は世界や環境の要素として含まれていると同時に、世界や環境を含んで人は誕生し存在します。その世界は、含んでいながら含まれている。包んでいながら包まれている。部分で在りながら全体である。結ばれていながら離れている。独立しながら連帯している。選んでいながら選ばれている。生きていながら生かされている。

 ただ心配なことは、孤独というものを対象化すれば、世界も固定されてしまうことです。

2019.01.02 Wed l l top
碧巌録の第三則は、馬祖大師は唐の貞元4年2月4日にお亡くなりになられたのですが、この問答はその前日、2月3日のことであります。

役位の僧から、馬祖大師にご様態をうかがったときの話です。どんな病気だったのか記されていませんが、翌日に亡くなったことから、思わしくない状態だったのでしょうか?

役位は「いかがですか?」と、動揺し、心配して語りかけたのでしょうか。

馬祖大師は、それに対して「日面仏、月面仏」と答えたというのです。

禅宗では古来からの読み方は「にちめんぶつ、がちめんぶつ」とお読みするのですが、どうしてなのかはわかりません。

日面仏は、寿命一千八百歳の仏様で、月面仏の寿命は丸一日の仏様というのです。

もっとも日面仏は、何やら漢字から太陽を連想させると、何十億年何百億年となって、人の一生とはかけ離れています。

が、その太陽と同時に、一瞬を活きているとすれば、太陽と共にでしょうか、寿命は?

余命は、今だったら、医師より予告を告げられるのですが、今も、確かなことなどわからないのです、推測だけです。

しかも、自分の死については、経験したことがないので誰もわからない。見取った人のみが、寿命を計算できる。

「日面仏、月面仏」に説明をするのは、いらないかもしれません。

理屈から言えば、時は、今から今です。今しかないとも、今という無限に生きていれば、そんな長短はないわけです。そこに引っかかっては、長短にしばられる。

またこうも言えます。時は今から今ですので、一瞬という今に死に、今に生き返る。現実には、そこまで徹して生きることは難しいでしょうが、寿命を長短で計ったり、意味の大小で決めることはできないはずです。

「日面仏、月面仏」は、「今日かも知れない、明日かも知れない」と。「日々是れ好日」もよいでしょうし、「日々新た」でもよいのです。

毎日毎日、一瞬一瞬経験をしたこともない日が、一瞬が誕生しているわけですからね。

命は、捨てるのでもない、執るのでもない、細かいもなく荒っぽいもない。馬祖大師は、調子がよいときも、悪いときも、それはそれで生きている活動の真っ只中です。

「病の時は病になりきるがよろしく。死ぬる時は死ぬるばかりです」と、ただ今を生きるだけです。

馬祖大師は、この日面仏月面仏の境地を手に入れるのに、二十年の辛苦をしたという。

こうした心境とは、新たな不安におおわれるけれども不安ではない。恐くもない。

その実例の歌が、「捨て果てて身はなきものと思えども、雪の降る夜は寒くこそあれ」と。寒いけれども寒くないのだ。実地にわからないとわからない。

「我がものと思えば軽し傘の雪」、この傘につもる雪の重みに腕はきしむけれども、自己自身の身と思えば重くはない。

こんな体験に気づいてみると、馬祖大師の不安もまた、今の自己を現すものであり、その自己に良しとなるのでしょう。

だから、「日面仏、月面仏」と響いてきます。

馬祖大師の臨終に対し、「知るものは泣き、知らないものは泣かない」という。

普段から思うことは、昆虫も魚も獣達も、その環境によって合わせて生きているのに、人間だけがどうして、ひとり生きようとするのか。

生命力とは、何なのだろうか?

ただ冷暖自知するのみで、すごい人だと。
2017.11.05 Sun l l top
東日本大震災が起きたとき、人間の自然災害のこわさにつくった回向があります。

『神々、佛、菩薩たちへの祈りの廻向』でした。下記にしるした内容は、その冒頭の言葉です。

『在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのもの。

在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!

在るものを無さしめる神々よ!

無いものを在らしめる神々よ!

無いものを無さしめる神々よ!

空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ』と。

実際には、在るものが有ること、在るものが無いこと、無いものが無いこと、無いものが有ること、この四つの自然の出来事に関しては、今の人間の力や知恵知識ではどうにもならないことです。

この自然の出来事には、平安や無事、穏やかさや安らぎへの祈りこそ、人間の人間たる特徴で、ある意味では人間にとって神とは、依り所をなすものと思うのです。

大きな自然災害に動物が遭遇したとき、逃げ惑う姿、行き場を失って災害の流れに命をさらす方法しかない動物たちを想像すると、同じ姿に見えるのですが、人間とは違います。

古代から現代まで、過去の全世代の人間は、祈りをもって生きてつないで、それが今ではないでしょうか。あの東日本大震災は、こう語っていたことをあらためて気づいたことでした。

それは、人間本来の謙虚さを表現するもので、自然に対する畏敬や感謝の思いにつながります。恐さと峻厳さ、穏やかさ安らぎを同時にたたえて、地球という一つのものは、また太陽系の一つの惑星で、宇宙空間の太陽系という一つに過ぎないのです。

この地球こそ、我々にとっては、かけがえのないものであり、この小さな方舟の些細な瞬きやくしゃみにつぶやきで、私たちは吹っ飛んでしまうのです。これに対して、何の力も持っていません。

お釈迦さまは、わかりやすく、「これがあることで彼れあり、これ無ければ彼れなし、これが生ずれば彼れ生じ、これ滅すれば彼れ滅す」と語ります。

ただ縁起(えんぎ)という関係性によって生起(せいき)するだけ。

縁起は因果のことですが、仏教は縁起と読みます。縁はご縁の縁、起は起きるという意味で、縁によって起こるので、生起したものということです。

しかも、縁という意味は、世界の一切ものが縁という結び方で結ばれることを意味します。そして、その内容は、結ぶことは分離することが含まれて、分離することは結ぶことが含まれているというのです。

これは、仏教の特色である相即の論理で、生は死を含み、死は生を含むというように、色即是空、空即是色と般若心経に書かれています。

その縁起のことを、龍樹菩薩は「空の論理は、縁起の論理と。われは説いて空といい、また縁起という」と、説明しています。底がなく、無基底ともいい、西田幾多郎は「絶対無の自己限定」というのですが、生起の起きることが自己限定といいます。

お釈迦さまは、「世界には、あるがまま以外に何があろうか?」、「いま、ここに、これ以外の何があろう」とも因果という法則を説きました。

だから、東日本大震災でこの意味は浮かんで、「在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!在るものを無さしめる神々よ!無いものを在らしめる神々よ!無いものを無さしめる神々よ!空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。」と、在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのものだったと、回向を考えたのです。
2017.10.21 Sat l l top
深川二丁目北町会の元町会長のNさんという方がいました。左官屋さんの親方で、野丁場や丁場での口癖は、いつも「まっつぐ!」でした。

江戸で産まれたわけではないけれど、茨城生まれだったのですが、江戸っ子職人でした。

江戸の町はこうして出来上がっていったのですし、地方の都市も、年代を100年、1000年と振り返って見れば、どこの街も同じです。

の口癖であるまっつぐは、道案内でも、どこどこに行くのに、真っ直ぐ行くと二つ目の角を右に曲がって、河があるから、その河を渡って、二つ目の角を右に曲がって真っ直ぐに行くと、黒い屏の家があるだろう、その向こう隣が、誰誰さんの家だとか、言います。

彼は、その真っ直ぐを、「まっつぐ!」と言って、「まっつぐ!」以外に真っ直ぐという言葉はありませんでした。

その角を右に「まっつぐ!」、くにゃくにゃした道を「まっつぐ!」、次の角を左に「まっつぐ!」、とすべて「まっつぐ!」でした。「まっつぐ!」しかない、江戸っ子というのか、まるで生き様が「まっつぐ!」、人と人との関係も「まっつぐ!」でした。

なぜか曲がるという言葉が嫌いだったのでしょうか。

白川静字通によれば、曲は悪を意味するそうです。

彼は、左官屋さんでしたが、コテで動物を描いたり、形を浮かび上がらせるのが得意でした。

ついでに、鳥や植物、風景もすべてコテ一本で仕上げることができました。

直線も曲線も、斜めも点も、すべて「まっつぐ!」にコテを走らせることができるのが、職人の気概だと感じていたのでしょう。

野丁場、丁場であろうが、私の知り合った頃は、一人親方をしていたのですが、器用で、気さくで、ちょっと短気で、言葉や動作は、ぞんざいでしたが、きびきびしていました。

「まっつぐ!」、という言葉が、強く印象を持ちました。

さて、禅の修行道場では、お師匠さんに、問題を持ち続けて、わかったら答えを持っておいでといわれます。

わかったら次の問題に・・・と、問題を解答することが修行道場でのすべての生活です。

「四十九曲がりの細道を真っ直ぐに通らにゃ一分立たぬとあるが、どう通る?」という問いがあります。

古い言葉に、「くにゃくにゃ曲がった細い道を、真っ直ぐに通れなかったら、面目が立たぬ」とあるが、さあお前さんならどう通るか?」、という問いです。

今の時代は、「一分が立たぬ」の理解が難しくなっています。

1、一身の面目。一人前の人間としての名誉。体面。「一分がすたる」

2、に分けたものの一つ。転じて、ごくわずかな部分。「衆生の中に―の仏性無き者ありという」〈今昔・四・二八〉

3、自分ひとり。一身。「三人もろともにしたる事をも、己れが―の手柄立てを言ひまはり」〈仮・可笑記・一>

4、同じものとしてみること。同様。 一分が立つ。:身の面目が保たれる。

一分立つ。「リーダーとしての―分が立たない」 一分を捌(さば)く:独力で自分の身の振り方を処理する。

「皆賢く、その一分捌きき兼ねつるは独りもなし」〈浮・永代蔵・二〉

一分を捨つ:一身の面目を失う。「女の一分捨てたる事の悔しや」〈浮・禁短気・四〉

江戸時代には、「面目ねえ!」とか、武士の面目とか普通に使われていたのだろうと創造させます。

禅の本来の面目など、鎌倉時代前の言葉でした。 さて、真っ直ぐに通らなかったら、修行僧としての面目が立たないということなのですが、「何でくにゃくにゃ曲がった道を真っ直ぐ通ることが、修行者の面目なのかが分からないのです。

それにくにゃくにゃした道を、真っ直ぐに通れるわけがない。では曲か? しかも「おかしいよ?」と意義を唱えることもできません。

師匠は絶対服従ですから、聞くこともできません。

根本さんの「まっつぐ!」には、若かった頃の、「真っ直ぐに通る」の記憶がよみがえり、「この人は、日常のすべてがまっつぐ!で、通している人なのだ」と見たのものでした。

最後は病気で亡くなったのですが、へこたれることもなく、最後の最後まで、一瞬一瞬を生き切り、一瞬しかなかった、「まっつぐ!」な人でした。

一生を、「まっつぐ!」なものとして悟って生きたともいえ、こういう人もいたのだと思ったのです。

正直の正と、真っ直ぐの真との、違いを思うのです。

人の誕生から死までの道は、目に見える道もありますが、目に見えない道こそ多いものですが、人も動物も魚や鳥や昆虫も、自然も、世界も、一瞬しか持ち時間がないくせに、道のりを考えて、最後はこうありたいと、創造して生きています。

そんな創造したものに、まっつぐは、木っ端微塵にくだく力を持っています。

何も道だけではなく、過去も未来も、世界もくだく力は、「そうか、道などなかったんだ」と、「人生なんて無かったんだ、ただ今を生きるのみだったんだ」と。

「まっつぐに!」と教えてくれます。

この人の「痛い」、「その時の痛さがたまらない」、腹に一物を持つといいますが、この人は一物を持った瞬間という、「まっつぐ!」下には、もう次の「まっつぐ」に走っていました。

道だけではなく、感情も思いも、仕事も、人と接するときにも、つねにただ「まっつぐ!」にいきていたのです。

話が好きな人でした。笑うことも、同情することも、怒ることも、ほめることも、痛いことも、くじけても、喜んでいるときも、「まっつぐ!」でした。

これが深川の意気地であり、八幡宮への心意気だと考えていますが、今は、何も深川だけではなく下町、いや日本人の心ねです。

繰り返しますが、本来、人は誰でも、真っ直ぐな人であり、自心の正直さをもっているし、もともと清廉潔白なはずです。

その清廉潔白さにさまざまな、すべての感情を起こしては、あるいは思案も、まるで次々と上がる花火のように消えていく清廉潔白な姿を持っているはずです。

ただ、気づくことだと、考えています。

そして、今・ここを生きていることに徹すれば、わたしの「まっつぐ!」が、そこに完成していることに気づくでしょう。

今・ここしか生きていない事実を悟ることです。

今年、3年ぶりの富岡八幡宮例大祭が、8月11日、12日とにぎやかに、13日は早朝より8キロの道のりを、53基の神輿連合渡御が繰りひろげられます。

足元はいつも、まっつぐ!の53基の神輿の勢揃いです。
2017.08.01 Tue l l top
仏教の基本は、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三つを信ずることです。

これを教えとして、三宝印というのですが、三つの宝に印鑑の印と書いて、三宝印と読みます。

誰でも、その通りだと思うことに、ものは、一瞬一瞬移り変わり・変化するという法則を持っていることに違和感を持つ人はいないでしょう。

すべてのものは、活動あるいは動く行為をしているということで、この活動していることを止めることはできません。

三宝印の一つ目、諸行無常とは、増えたり減ったり、形が変わったり、誕生したり滅びたり、移り変わること自体の法則をいいます。

これは、肉眼で見えるものもありますが、喩えていえば、滝の流れのように、滝が水滴の集まりであり、さらに水滴が分子の集まりであることは、見えません。

しかも、その滝を見ている人間も、常に変わり続けていることに気づかないものです。

次ぎに変化し続けるという諸行無常であるからこそ、ひとときもジッとして、固定してあるものはないという意味で、これを三宝印の二つめ、諸法無我と呼びます。

無や空という言葉で表現しています。

私も、私以外モノもです。

このことは、変わり続けるために、固まった、変わらない実体というものがあったとしたら、個体は変わることはできないことを意味します。

諸法無我とは、ものには、一瞬一瞬変わり続けるために実体というものもないのです。

何が本体なのか実体なのか、本体も実体もない私なのに、その構成するもの自体が、思いも、考えることも、わからないことも、戸惑うことも含めて、変わり続けているわけですから、このことを諸法無我と呼びます。

次ぎに諸行無常・諸法無我を悟った、涅槃寂静です。

般若心経には、「諸行無常である私の眼や耳、鼻に舌も、身体も心も、実体はない」と書いています。

さて、私たちの普段の生活では、親しい人と一緒に対面し、お茶やコーヒーを飲む。何気ない話や、相談事もあるでしょう。それとも、何か前に起きたことを、面白おかしく語り、共に喜ぶ対面する知人を見て、私の中に笑みが広がります。

これを、諸法無我であるが故に、諸行無常の時間の流れを悟って、次々に進んでいく時間を持ちますと、表現します。

さらに、このことを無い無い無いの中に、何不自由なく、生活をくつろぐ時間を持つことができるというのです。

般若心経の眼もなく耳もなく鼻もなく舌もない身もない意もなく生活をくつろいでいるというのですが、えっ何故と、驚かれるかも知れません。

これは、現実には空や無のごとく生きるといえばよいのか。諸行無常や諸法無我、涅槃寂静という悟りも忘れて生きる人の姿ということです。

実は、諸行無常は、諸法無我を証明します。同時に諸法無我は諸行無常を証明していることなのです。

どうしてこういうことが言えるかというと、諸行無常自身に自らの根拠はなく、諸法無我自身も自らに根拠をもっていないということです。

さらに、言い換えてみれば、諸行無常は、諸法無我によって成り立つと同時に、諸法無我は諸行無常によって、矛盾の上に成り立っています。

これを禅は、二つで一つ、一つで二つという意味です。

そしてこの諸行無常と諸法無我を、「なるほど」、と自覚することが涅槃寂静ということなのですが、自覚することで諸行無常そのものになり、諸法無我そのものになることですから、自覚と言いましたが、認めて自覚する自我もない自我を言いあらわしています。

この認めて、つかまえることのできないものを涅槃寂静・仏性・仏と、お寺では呼んでいます。 実際に、私たちはこの通りの生活をしてます。

 こんなに迷って、喜怒哀楽があって、がっかりしたり、好き嫌いや、怒ったり喜んだりと、妄想分別と言っているのですが、それでも私は涅槃寂静なのだろうかと疑問を持つかもしれません。

でも能く考えて見ると、移り変わってばかりいるのが自分で、ひとつとして同じ状態でいたことがないではありませんか。

そんな変わり続ける私の、どの私を認めて私というのでしょうか。

私も、私を取り巻く環境も、この三宝印から離れることは出来ません。ただ気づいていないと言うことです。

諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を、大切にし、これを法として、事実において悟らなければ、仏道は成り立たないことです。


それでは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静から見たら、と言いますと、見る私がいるわけですから、問いとしては、「見るその私は、何時、何処での私なのかと」見つめられなければならないでしょう。

お釈迦さまの法を継いだ迦葉尊者が残された記憶にある言葉に、「彼(菩薩)はつぎのように心をあまねく観察する。日々、時事刻々とわき起こる心の一つ一つの内容は、私のどの心なのか。過去なのか、未来なのか、現在なのか。

しかし、もし過去の心であるならば、それはすでに滅してしまっている。未来の心であるならば、それはまだ到来していない。もしまた現在の心であるならば、それはしばしもとどまることがない」と、諸行無常のなかに生きる自己を、「汝自身を知れ」と問い続けます。

金剛般若経には「如来は人々の心をことごとく知っている。その理由は、如来は、もろもろの心を説いて、皆、心は非ずとし、これを名づけて心という。理由は、過去心も不可得、現在心も不可得、未来心も不可得」だからと説きます。

この「何時、何処での私なのか」の問いに、他のお経には、「未来、過去は、今に非ず」とあります。 時は、今から今です。

仏教では、過去現在未来は、絶対的に断絶しながら、継続していると、矛盾を説きます。

その矛盾は、遠い昔の過去から、いつでも今であったということを現しています。

地球の年齢と共に、宇宙の年齢共に、今のほかにないということですから、この今ということを悟ることは、矛盾を矛盾のまま手に入るということですので容易なことではないはずです。

考えてみれば、問い自身に矛盾が含んでいるわけですから、不可得というのは、得ることができないならば、今に徹するということが、私たちがいきるということで、その生きる姿が、矛盾を矛盾としない私となれるのでしょう。

「今でしょう」と、よく聞くことばですが、しかし今は今であり、その実体を認めると、私と今と二つになるので、今が何処かに行ってしまいます。

つかまえることのできない今は、今の事実に徹するよりほかにない事実として見ていただきたいと思います。

今ではなくなるということです。

白黒をハッキリしなければならない世界に、私たちは生きて、現実は、矛盾ばかり、相対するものばかり、対立するものばかりだからです。

しかも対立しているのは、私たちの心の中です。

さらに家族や地域、民族や国家、自由主義や資本主義、排他的主義主張という集団としての、物語の中にあります。

本当は、その時代が作り上げてきた現象なのですが、結果として対立するものを、お金や言葉という言語によってなり立たせていることです。

中国の趙州という和尚は、「私が、仏法をまだ何も分かっていなかった、今という時間に使われていた。しかしひとたび自分をあきらめると、今という時間を使うようになった」と話されています。

これは、今に使われていたことが、今と私が二つに分かれていたことを現して、今を使っていたとは、今と私が一つに成って、今を活きていたことになるのでしょう。

今と私が一つになるとは、今を認める認識がないこと、つまり「自分と今が分離しない」ことです。

人は、今、悲しいとき、苦しいとき、今辛いとき、思い悩み答えがでないとき、今涙がでてきたとき、どうにかしたいとき、その今を考えてみると、今というのは、付け加えるものがないことが実相であり事実です。

何故なら不可得だから。 そこに「今のままで良い」のだと、心の中で良し悪しを決断してしまうと、永遠という今が、良し悪しという相対する意識となって、せっかくの今という事実と離れてしまいます。

今のままでよいとは、仏法という法に成り切るということです。

その仏法を自分のものにしてみれば、「そのままでよい」とは、自分自身が無心となって現象という諸行無常になりきる、行為そのままです。そしてまかせる、あるいは自分が今置かれている居場所に咲くとは諸法無我そのままです。

実相とは、流されて流れ、流れて流される。選んで選ばれ、選ばれて選ぶ。含んで含まれ、含まれて含む。動いて動かされ動かされて動く。この有り様が涅槃寂静で、今を生きる姿となります。

仏法とは今そのもの、その今を仏法に置き換えて、実体の無いもの、空を法といい、今ということだとも、理解して欲しいと思っています。
2017.07.01 Sat l l top
私たちの心は、私たちが何かに執着したとすると、その執着したものから同時に、執着された自分になるという矛盾した自己確立の関係が生ずる。

私は、執着したモノによって、縛られた私自身であると。

私という存在は、生きるためには、あらゆる関係性によって成り立っていることを、否定する人はいないと思うのです。

しかし、その関係性はすべて矛盾した関係であることに気づく人も、またいないのです。

よくいう絆とは、結ぶこと、結ばれることですが、人は結ぶことによって、同時に分離、別れることを意識しないものです。

多くのものあるいは二つのものが結ばれることは、同時に結ばれたことで分離することです。

そして、結ばれた一つの関係は、同時に結んだ双方は、互いに結んだ意味の根拠によって保たれていると同時に、結んだ当事者は相手に根拠を持つことで、自分自身には根拠は無いという事実です。

世界中がグローバルという名のもとにつながるという関係は、その国の、そして言語の集団的文化や歴史、宗教的な関係を含みます。

その集団の意味や意識、主義主張という執らわれや執着、固定観念との関係を含みますから、なおさら関係を結ぶと言うことは、結ばれたことで、結ばれた双方は互いに根拠を持ちながらも、自分自身には根拠が無いという、分離した意味を把握し、矛盾が浮き彫りになった意味を知らなければならないでしょう。


私たちの心は、世界と常に対峙していますが、その心の尖端は眼耳鼻舌身意という六つの働きです。

普段はこの六つの働きを意識しないものですが、私たちの好みや感受性、興味の方向性、趣味や娯楽、スポーツを含めて好きや嫌いと眼、耳、鼻、舌、身体、意識という六つの働きが、一つとなって対照とするものが心を支配します。


そんな私を智慧と慈悲に回帰させるために仏教が用意したものは、無心である心の自覚です。

本当は固定した私の心などないのだけれども、無心ゆえに実在する私の心といえばよいのか。

その心を理解するために、金剛般若経というお経の中に、ピッタリな言葉があります。

「心は、住するところ無くして、しかも、その心を生ず」です。

この、住するところ無くしてという部分が、無心と置き換えることができるのですが、本山の妙心寺では、無心の意味を、無住にして無相、無念とも言い換えています。

無住の住(じゅう)は住む場所であり、無相の相は姿形です。

無念の念は、思いや記憶も含まれていますし、しかも長年経験して染みついた経験の念という蓄積も含まれています。

詳しく分解してみれば、「心は、住するところ無くして、しかも、その心を生ず」「「心は、姿形なくして、しかも、その心を生ず」「心は、思いや記憶なくして、しかも、その心を生ず」と読みます。

禅宗は不立文字という看板を掲げています。これは、文字を立てない、文字で語らない世界で、これも無心の構造的意味です。

さて、人間は、赤ちゃんとして誕生したとき、「オギャー」と、自分ばかりと宣言します。

この時、赤ちゃんは矛盾もなく、死もなく、意味も持っていないし、他者もないものです。

そして赤ちゃんは、誕生からすぐに、幼児に移る発達を加速して行きます。その発達の最初は、自己の中に自分と他者の分離が始まります。

それ以降は、見るもの聞くもの触るもの味わうもの意識するもの、相対するものは自分と他者の分離の関係ばかりです。

まして言語という記号を憶えれば、空間にあるものは、他者という記号ばかり。言語という意味による空間の切り取りであることに気がつかないものです。

極まるのは世界と私という自己との対比です。

さて、日本の食卓にある果物について考えてみました。この果物は、ただの果物ではなく、また私の心のことを指します。

日本人なら当たり前の食卓の上に乗るミカンは、経験の基礎があって、ミカンと知ることができます。

つまり、それは私たちの意識に固定されたものです。

人は、ミカンと言った瞬間、ミカンは誰にとってもミカンだと他の物とは違って認め、空間から切り取って、私たちは皆で「わっ、ミカンだ」と分かります。

でも気がつけば、ミカンであると言わせたのは、それ以前に私の中に植え付けられている経験や記憶の概念です。

これを「人がミカンを見る」と言います。

さらに、ミカンの味や色、むき方、酸味や甘みという性質は、ミカンを知っている私と考えれば、これは経験的な私の意識を確立させている意味的構造であり、ミカンから言えばどうなのだろうか?

つまり、ミカンのさまざまな甘みや酸味という現象である性質をもって、私の舌に、私の記憶を呼び出し、現れるということになります。

すると、ミカンの性質が、味覚が知覚する私を確立させていると考えることができるのです。

私の自我を、ミカンが確立させていると。

これを、「ミカンが人を見る」と言います。

人が思う世の中とは、私がミカンを見ると同時に、ミカンが私を見ると言う対立した見方で成り立っているのです。


もう一度ミカンの話をしますが、ミカンとは私のことでもあります。私という心を形づくっている、私のカタマリです。

そこで、こんなことを考えたことはあるだろうか。一個のミカンは誰にとっても、空間の中にありながらも、ミカンの皮という境目により、区分されていると。

ところで、ミカンに対する私という認識、ミカンを認める自我がなかったら、ミカンは存在できるのだろうか。

また、たとえミカンに意識があっても、ミカンの意識という区別や境界という境目がなくなってしまったら、無心となって、人が私という堺目が無くなってしまうことと同じように、そのミカンであると事実づける堺目あるいは境界という意味が無くなってしまうだろう。

このことは、ミカン自身、存在して区別されることによる、根拠や、独立性、他の物から限定される意味も無くなってしまうだろう。

また、こういう言い方もできる。

ミカン自身、存在して区別されることによる根拠や、独立性、他の物から限定される意味、大小色形、酸っぱさや甘みも、人間の過去の経験や記憶による分別によって妨害されないため、疎外されないため、その存在という世界は、すべてのものは互いに流入し、互いを反映し、互いに反映されている場所も無い場所となってしまうだろう。

ここでは私は、もはや私では無いに対応して、ミカンも、もはやミカンでは無くなっている。

これを「ミカンはミカンではなく、私も私ではない」と言います。

これが文字を立てない不立文字の世界です。

さて金剛般若経というお経には、「本来、我という相、他者という私以外のすべての相、また、あるべき相も無く、また、あるべき相がない相も無い」と説いています。

注目したいのは、「あるべき相が無いといっていると同時に、あるべき相が無い相も無い」と。

あるべき相がないということも、人の心にとっては、執らわれになるからです。

「我、私という相、他者という相、あらゆる居場所という相、」を、あるように思って描いているのは、私たちの意識がそのように決めつけ習慣的に見るからであり、言い換えれば、私たちの心が意味や本質化をするものを求め、見て、触れて、創造しているからです。

この本質化された、意味づけされたものが、心によって至るところで知覚されるのは、その本質が客観的にそこに存在するからなのではなく、ただ心が誕生してからずっと本質を作り出しているからなのです。

その気づきによって、もう一度世界を眺めてみると、心は「住するところ無くして、しかも、その心を生ず」と。

この「住するところ無くして」を、平等や真理という概念に、「心を生ず」を、差別や現象ととらえると、思想的な在り方が浮かびます。

ミカンも、「その住する所無くして、その心を生ず」と。「私も、その住するところ無くして、その心を生ず」と。

ここにきて、「ミカンはミカンだ。私は私だった」と、その心を生ずというのです。
2017.06.07 Wed l l top
ご主人が亡くなり、「悔いが残る、心残りがある」といったお年寄りのご婦人がいました。

どんなに大往生として亡くなったとしても、何かしらの悔いは、心残りがあるものです。

これでよかったのか?ほんの一時目を離していた隙に?あるいは、頻繁に通えない遠い施設に入院させて?間に合わなかった、あんな言葉を言わなければ」と、思いが強ければもっともっとと、自分の心に刺が刺さります。

その悔いという感情の波は、親しければ親しいほど死者との距離をはかるものです。

そのために考えてなくてはならないことは、相対する親しい死者が夫とすれば、自分に対する夫の残された記憶の中から答えを見つけ出さなければなりません。

夫自身と対峙した記憶は、私の記憶の出来事であり、私の思いが含まれているものです。

その私の思いは、感情に支配された思いが含まれてあることから事実かどうかわからないものです。

夫の残された記憶とは、私という思いを捨てて、見つめ直した記憶という意味です。

考えてみれば、悔いが残ることで、心残りがあることで、新しい発見があり、供養が始まるのです。

すると、供養は自分を大切にすることと同じです。

人と人との関係は、仏教の縁起の関係から言えば、夫の根拠は妻にあり、妻の根拠は夫にあります。

つまり夫婦双方とも、自分の根拠は自分にないという矛盾した関係の中にあるからです。

しかも妻は私という自分を抱えていますし、夫も俺がという自分を抱えています。

その自分という根拠も、他者に於いて、世界に於いて成り立っていることも事実です。

相対する関係はすべて、矛盾を媒介として同時に成り立っている関係を仏教は見据えます。

そして、夫婦と結ぶことによって、同時に夫と妻に分離する事実として見えます。

この関係を相手に寄り添うというのですが、寄る辺なき自己が添うということは、他者との関係とは、関係そのものが寄り添っていたという事実を見つめ、認めることが何よりも大切なことなのです。

そこでは寄り添うと、あえて言う必要のない事実の中に、夫婦は元々あったということです。

しかも夫と言うとき、夫とは妻に寄り添ってあることから、妻を含んであり、妻は夫を含んで存在している関係です。

もともと心残りのない関係の中に在りながらも、「だけれども心残りがある。悔いが残る」と、感情という現象はこういうものなのです。

この情があることで波風は立つのですが、この情が、今度は自分自身のより所となって、夫婦の生活を常に総括し、供養となっています。

普段の生活で、「心残りがない方法」はあるのだろうか?悔いが残らないために一瞬一瞬を生きることは理解できるのですが、ではその一瞬一瞬をどう生きたらよいのか?

人は、何気ない時間を過ごす日常生活の中に、実はさまざまな感情を起こして体験しています。

普段はそんなに大きな波のような感情の起伏はないものの、感情の起こすさざ波のない日常生活は、誰にとってもあり得ないことです。

そして、実はうれしさ、喜び、楽しみというさざ波にも、それと反対のねたみや、あわれみ、優越感、さげすみ、痛みという苦しみがどこかに潜んでいるものです。

しかも自分で、気づかない。

自分をありのままに、素直に、今の幸せを受け止めることは簡単にはできないものです。

うれしさ、喜び、楽しみに執着としてとらわれると、それらが消えたときには、逆に辛さや、寂しさ、悲しみの原因になることも多いのです。

現実の感情の起伏の一つ一つを見つめてみると、そこには天国から地獄までを含んで、あらゆる心の現象が、イメージや、意味という言語、思いという思考を介して浮かんでは消えてと、誕生と死を繰り返しています。

しかも、私たちの日常生活は、それらを記憶によってとどめ、思い出し、さらに付け加え加工していることで、そのつど、そのつど、思い出しては消え去っていることに気がつきません。

感情や思考という現象の波は、瞬間における誕生と死滅であり、連続しているように思えるのですが、実は、瞬間瞬間を断絶しているものを、加工して連続にすることで自分というものを創り上げ保っているのが人間の姿なのです。

これも時間と存在の真実です。

見方をかえると、言語による思いや記憶によって継続する自己イメージを造りだし、それに依存しているのです。

言い換えると、瞬間的な断絶している現実を封印したまま生きているともいえます。

本来、一瞬一瞬に徹して生きれば、無心にして悟りの生活であるにもかかわらず、自我の迷いや、とらわれとして活きるのが衆生であり、自我という迷いの生活が、そのまま、そっくり悟りの生活であると悟ったのが仏であるといえるでしょう。

仏教の気づきや自己を深く見つめるとは、その現実の心の誕生と消滅の流れを味わい、捨てる、ほうって置く意識の技法でもあるといえるかもしれません。

そのために、自分の心が起こす感情という現象の波の一つ一つに、今、意識が起こったというレッテルを貼り、相対する相手の意識にも、できればレッテルをはれたら、双方が含んでいる他者の心の静けさや本来という自己、あるいはあるがままの自然や世界が見えてくると考えています。

何故なら、世界の世は時間であり、世界の界とは場所であることから、世界とは今ここ、私となって表現されるものだからです。


仏教の坐禅や瞑想とは、一瞬一瞬の動く自己という、日常生活の中の、寂しさや苦しみや笑い喜びという葛藤を見つめることで、波を起こす原因を知ることなのです。

「心残りがある、悔いが残る」といった波の、過去の一つ一つの出来事というイメージの集まりである心の中のアルバムの整理も、瞑想や坐禅と同じ意味です。

この意味するものは、一瞬一瞬の生と死の流れを味わい尽くし、そのまま放って置く、執着しないことでもたらされる智慧と慈悲です。

つまり、眼・耳・鼻・舌・身体・意識に執着の跡を留めないことを明らかにすることだからです。

眼・耳・鼻・舌・身体・意識の作用と認識に起きる現象を味わい尽くすとは、後を引かないという意味であり、一瞬に成り切るともいえるものです。

このことを通して、見つめるという勇みの智慧は、穏やかさ安らぎとなり、その穏やかさや安らぎを通してしみ出す慈悲となるからです。

家族で住んでいれば、一人一人の心の中のアルバムには、数多くイメージが貼り付けられているはずです。

しかも、このアルバムは自分が子であれば、父や母の年齢になってはりかえ、並び替えることもできるのです。

すべて自分の心の中のことです。亡くなった人が抱えるアルバムはもうありません。

そこで、今度は亡くなった人より見たイメージを、自分のアルバムに添えて下さい。

自分でアルバムにイメージを貼り付ける行為は、死者からさせられていることにもなります。

今、アルバムの整理は、思い出して考えてと、自分が行為としてするのですが、与えられた行為であると知ったならば、その行為は感謝となり、祈りという行為となって意識を集中していることと同じです。

知らず、そこから流れ出す慈しみこそ、今の私を活かすものだと思えないでしょうか。

亡くなった死者という動かないものによって動かされて動く私は、いつしか私から動くともいえる、悔いが残る、心残りがある現象の事実となるのです。

無心に対して、つくづく思うことがあります。

お釈迦樣は「衆生病むが、故に我もまた病む」と話されました。

また、「心、仏、及び衆生の、この三つはすべて一心であり、もともと分かれていない」と、三位一体の無心を語られています。

お釈迦樣という悟ったものからすれば、すでに、自分が無心の心なのですから、耳を澄まして聞くや、見つめるという心に依って、自分自身が、他者を含めてあるという人格を持っていることが見えてきます。

すると、他者を傷つけたり痛めたり、嘘を語れば、自分を傷つけ痛め、嘘によって自分を分離することになります。

人を殺せば自分を殺すことになります。

もともと自分は無く、他者によって成り立っていた自分に気づくことを、修業や祈りとすれば、気づくことで、私は生まれる以前より仏だったと表現するものです。
2017.03.01 Wed l l top