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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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日面仏 月面仏
碧巌録の第三則は、馬祖大師は唐の貞元4年2月4日にお亡くなりになられたのですが、この問答はその前日、2月3日のことであります。

役位の僧から、馬祖大師にご様態をうかがったときの話です。どんな病気だったのか記されていませんが、翌日に亡くなったことから、思わしくない状態だったのでしょうか?

役位は「いかがですか?」と、動揺し、心配して語りかけたのでしょうか。

馬祖大師は、それに対して「日面仏、月面仏」と答えたというのです。

禅宗では古来からの読み方は「にちめんぶつ、がちめんぶつ」とお読みするのですが、どうしてなのかはわかりません。

日面仏は、寿命一千八百歳の仏様で、月面仏の寿命は丸一日の仏様というのです。

もっとも日面仏は、何やら漢字から太陽を連想させると、何十億年何百億年となって、人の一生とはかけ離れています。

が、その太陽と同時に、一瞬を活きているとすれば、太陽と共にでしょうか、寿命は?

余命は、今だったら、医師より予告を告げられるのですが、今も、確かなことなどわからないのです、推測だけです。

しかも、自分の死については、経験したことがないので誰もわからない。見取った人のみが、寿命を計算できる。

「日面仏、月面仏」に説明をするのは、いらないかもしれません。

理屈から言えば、時は、今から今です。今しかないとも、今という無限に生きていれば、そんな長短はないわけです。そこに引っかかっては、長短にしばられる。

またこうも言えます。時は今から今ですので、一瞬という今に死に、今に生き返る。現実には、そこまで徹して生きることは難しいでしょうが、寿命を長短で計ったり、意味の大小で決めることはできないはずです。

「日面仏、月面仏」は、「今日かも知れない、明日かも知れない」と。「日々是れ好日」もよいでしょうし、「日々新た」でもよいのです。

毎日毎日、一瞬一瞬経験をしたこともない日が、一瞬が誕生しているわけですからね。

命は、捨てるのでもない、執るのでもない、細かいもなく荒っぽいもない。馬祖大師は、調子がよいときも、悪いときも、それはそれで生きている活動の真っ只中です。

「病の時は病になりきるがよろしく。死ぬる時は死ぬるばかりです」と、ただ今を生きるだけです。

馬祖大師は、この日面仏月面仏の境地を手に入れるのに、二十年の辛苦をしたという。

こうした心境とは、新たな不安におおわれるけれども不安ではない。恐くもない。

その実例の歌が、「捨て果てて身はなきものと思えども、雪の降る夜は寒くこそあれ」と。寒いけれども寒くないのだ。実地にわからないとわからない。

「我がものと思えば軽し傘の雪」、この傘につもる雪の重みに腕はきしむけれども、自己自身の身と思えば重くはない。

こんな体験に気づいてみると、馬祖大師の不安もまた、今の自己を現すものであり、その自己に良しとなるのでしょう。

だから、「日面仏、月面仏」と響いてきます。

馬祖大師の臨終に対し、「知るものは泣き、知らないものは泣かない」という。

普段から思うことは、昆虫も魚も獣達も、その環境によって合わせて生きているのに、人間だけがどうして、ひとり生きようとするのか。

生命力とは、何なのだろうか?

ただ冷暖自知するのみで、すごい人だと。

Oh My Buddha! 何てこった!
東日本大震災が起きたとき、人間の自然災害のこわさにつくった回向があります。

『神々、佛、菩薩たちへの祈りの廻向』でした。下記にしるした内容は、その冒頭の言葉です。

『在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのもの。

在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!

在るものを無さしめる神々よ!

無いものを在らしめる神々よ!

無いものを無さしめる神々よ!

空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ』と。

実際には、在るものが有ること、在るものが無いこと、無いものが無いこと、無いものが有ること、この四つの自然の出来事に関しては、今の人間の力や知恵知識ではどうにもならないことです。

この自然の出来事には、平安や無事、穏やかさや安らぎへの祈りこそ、人間の人間たる特徴で、ある意味では人間にとって神とは、依り所をなすものと思うのです。

大きな自然災害に動物が遭遇したとき、逃げ惑う姿、行き場を失って災害の流れに命をさらす方法しかない動物たちを想像すると、同じ姿に見えるのですが、人間とは違います。

古代から現代まで、過去の全世代の人間は、祈りをもって生きてつないで、それが今ではないでしょうか。あの東日本大震災は、こう語っていたことをあらためて気づいたことでした。

それは、人間本来の謙虚さを表現するもので、自然に対する畏敬や感謝の思いにつながります。恐さと峻厳さ、穏やかさ安らぎを同時にたたえて、地球という一つのものは、また太陽系の一つの惑星で、宇宙空間の太陽系という一つに過ぎないのです。

この地球こそ、我々にとっては、かけがえのないものであり、この小さな方舟の些細な瞬きやくしゃみにつぶやきで、私たちは吹っ飛んでしまうのです。これに対して、何の力も持っていません。

お釈迦さまは、わかりやすく、「これがあることで彼れあり、これ無ければ彼れなし、これが生ずれば彼れ生じ、これ滅すれば彼れ滅す」と語ります。

ただ縁起(えんぎ)という関係性によって生起(せいき)するだけ。

縁起は因果のことですが、仏教は縁起と読みます。縁はご縁の縁、起は起きるという意味で、縁によって起こるので、生起したものということです。

しかも、縁という意味は、世界の一切ものが縁という結び方で結ばれることを意味します。そして、その内容は、結ぶことは分離することが含まれて、分離することは結ぶことが含まれているというのです。

これは、仏教の特色である相即の論理で、生は死を含み、死は生を含むというように、色即是空、空即是色と般若心経に書かれています。

その縁起のことを、龍樹菩薩は「空の論理は、縁起の論理と。われは説いて空といい、また縁起という」と、説明しています。底がなく、無基底ともいい、西田幾多郎は「絶対無の自己限定」というのですが、生起の起きることが自己限定といいます。

お釈迦さまは、「世界には、あるがまま以外に何があろうか?」、「いま、ここに、これ以外の何があろう」とも因果という法則を説きました。

だから、東日本大震災でこの意味は浮かんで、「在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!在るものを無さしめる神々よ!無いものを在らしめる神々よ!無いものを無さしめる神々よ!空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。」と、在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのものだったと、回向を考えたのです。

まっつぐ!
深川二丁目北町会の元町会長のNさんという方がいました。左官屋さんの親方で、野丁場や丁場での口癖は、いつも「まっつぐ!」でした。

江戸で産まれたわけではないけれど、茨城生まれだったのですが、江戸っ子職人でした。

江戸の町はこうして出来上がっていったのですし、地方の都市も、年代を100年、1000年と振り返って見れば、どこの街も同じです。

の口癖であるまっつぐは、道案内でも、どこどこに行くのに、真っ直ぐ行くと二つ目の角を右に曲がって、河があるから、その河を渡って、二つ目の角を右に曲がって真っ直ぐに行くと、黒い屏の家があるだろう、その向こう隣が、誰誰さんの家だとか、言います。

彼は、その真っ直ぐを、「まっつぐ!」と言って、「まっつぐ!」以外に真っ直ぐという言葉はありませんでした。

その角を右に「まっつぐ!」、くにゃくにゃした道を「まっつぐ!」、次の角を左に「まっつぐ!」、とすべて「まっつぐ!」でした。「まっつぐ!」しかない、江戸っ子というのか、まるで生き様が「まっつぐ!」、人と人との関係も「まっつぐ!」でした。

なぜか曲がるという言葉が嫌いだったのでしょうか。

白川静字通によれば、曲は悪を意味するそうです。

彼は、左官屋さんでしたが、コテで動物を描いたり、形を浮かび上がらせるのが得意でした。

ついでに、鳥や植物、風景もすべてコテ一本で仕上げることができました。

直線も曲線も、斜めも点も、すべて「まっつぐ!」にコテを走らせることができるのが、職人の気概だと感じていたのでしょう。

野丁場、丁場であろうが、私の知り合った頃は、一人親方をしていたのですが、器用で、気さくで、ちょっと短気で、言葉や動作は、ぞんざいでしたが、きびきびしていました。

「まっつぐ!」、という言葉が、強く印象を持ちました。

さて、禅の修行道場では、お師匠さんに、問題を持ち続けて、わかったら答えを持っておいでといわれます。

わかったら次の問題に・・・と、問題を解答することが修行道場でのすべての生活です。

「四十九曲がりの細道を真っ直ぐに通らにゃ一分立たぬとあるが、どう通る?」という問いがあります。

古い言葉に、「くにゃくにゃ曲がった細い道を、真っ直ぐに通れなかったら、面目が立たぬ」とあるが、さあお前さんならどう通るか?」、という問いです。

今の時代は、「一分が立たぬ」の理解が難しくなっています。

1、一身の面目。一人前の人間としての名誉。体面。「一分がすたる」

2、に分けたものの一つ。転じて、ごくわずかな部分。「衆生の中に―の仏性無き者ありという」〈今昔・四・二八〉

3、自分ひとり。一身。「三人もろともにしたる事をも、己れが―の手柄立てを言ひまはり」〈仮・可笑記・一>

4、同じものとしてみること。同様。 一分が立つ。:身の面目が保たれる。

一分立つ。「リーダーとしての―分が立たない」 一分を捌(さば)く:独力で自分の身の振り方を処理する。

「皆賢く、その一分捌きき兼ねつるは独りもなし」〈浮・永代蔵・二〉

一分を捨つ:一身の面目を失う。「女の一分捨てたる事の悔しや」〈浮・禁短気・四〉

江戸時代には、「面目ねえ!」とか、武士の面目とか普通に使われていたのだろうと創造させます。

禅の本来の面目など、鎌倉時代前の言葉でした。 さて、真っ直ぐに通らなかったら、修行僧としての面目が立たないということなのですが、「何でくにゃくにゃ曲がった道を真っ直ぐ通ることが、修行者の面目なのかが分からないのです。

それにくにゃくにゃした道を、真っ直ぐに通れるわけがない。では曲か? しかも「おかしいよ?」と意義を唱えることもできません。

師匠は絶対服従ですから、聞くこともできません。

根本さんの「まっつぐ!」には、若かった頃の、「真っ直ぐに通る」の記憶がよみがえり、「この人は、日常のすべてがまっつぐ!で、通している人なのだ」と見たのものでした。

最後は病気で亡くなったのですが、へこたれることもなく、最後の最後まで、一瞬一瞬を生き切り、一瞬しかなかった、「まっつぐ!」な人でした。

一生を、「まっつぐ!」なものとして悟って生きたともいえ、こういう人もいたのだと思ったのです。

正直の正と、真っ直ぐの真との、違いを思うのです。

人の誕生から死までの道は、目に見える道もありますが、目に見えない道こそ多いものですが、人も動物も魚や鳥や昆虫も、自然も、世界も、一瞬しか持ち時間がないくせに、道のりを考えて、最後はこうありたいと、創造して生きています。

そんな創造したものに、まっつぐは、木っ端微塵にくだく力を持っています。

何も道だけではなく、過去も未来も、世界もくだく力は、「そうか、道などなかったんだ」と、「人生なんて無かったんだ、ただ今を生きるのみだったんだ」と。

「まっつぐに!」と教えてくれます。

この人の「痛い」、「その時の痛さがたまらない」、腹に一物を持つといいますが、この人は一物を持った瞬間という、「まっつぐ!」下には、もう次の「まっつぐ」に走っていました。

道だけではなく、感情も思いも、仕事も、人と接するときにも、つねにただ「まっつぐ!」にいきていたのです。

話が好きな人でした。笑うことも、同情することも、怒ることも、ほめることも、痛いことも、くじけても、喜んでいるときも、「まっつぐ!」でした。

これが深川の意気地であり、八幡宮への心意気だと考えていますが、今は、何も深川だけではなく下町、いや日本人の心ねです。

繰り返しますが、本来、人は誰でも、真っ直ぐな人であり、自心の正直さをもっているし、もともと清廉潔白なはずです。

その清廉潔白さにさまざまな、すべての感情を起こしては、あるいは思案も、まるで次々と上がる花火のように消えていく清廉潔白な姿を持っているはずです。

ただ、気づくことだと、考えています。

そして、今・ここを生きていることに徹すれば、わたしの「まっつぐ!」が、そこに完成していることに気づくでしょう。

今・ここしか生きていない事実を悟ることです。

今年、3年ぶりの富岡八幡宮例大祭が、8月11日、12日とにぎやかに、13日は早朝より8キロの道のりを、53基の神輿連合渡御が繰りひろげられます。

足元はいつも、まっつぐ!の53基の神輿の勢揃いです。

三宝印ついて
仏教の基本は、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三つを信ずることです。

これを教えとして、三宝印というのですが、三つの宝に印鑑の印と書いて、三宝印と読みます。

誰でも、その通りだと思うことに、ものは、一瞬一瞬移り変わり・変化するという法則を持っていることに違和感を持つ人はいないでしょう。

すべてのものは、活動あるいは動く行為をしているということで、この活動していることを止めることはできません。

三宝印の一つ目、諸行無常とは、増えたり減ったり、形が変わったり、誕生したり滅びたり、移り変わること自体の法則をいいます。

これは、肉眼で見えるものもありますが、喩えていえば、滝の流れのように、滝が水滴の集まりであり、さらに水滴が分子の集まりであることは、見えません。

しかも、その滝を見ている人間も、常に変わり続けていることに気づかないものです。

次ぎに変化し続けるという諸行無常であるからこそ、ひとときもジッとして、固定してあるものはないという意味で、これを三宝印の二つめ、諸法無我と呼びます。

無や空という言葉で表現しています。

私も、私以外モノもです。

このことは、変わり続けるために、固まった、変わらない実体というものがあったとしたら、個体は変わることはできないことを意味します。

諸法無我とは、ものには、一瞬一瞬変わり続けるために実体というものもないのです。

何が本体なのか実体なのか、本体も実体もない私なのに、その構成するもの自体が、思いも、考えることも、わからないことも、戸惑うことも含めて、変わり続けているわけですから、このことを諸法無我と呼びます。

次ぎに諸行無常・諸法無我を悟った、涅槃寂静です。

般若心経には、「諸行無常である私の眼や耳、鼻に舌も、身体も心も、実体はない」と書いています。

さて、私たちの普段の生活では、親しい人と一緒に対面し、お茶やコーヒーを飲む。何気ない話や、相談事もあるでしょう。それとも、何か前に起きたことを、面白おかしく語り、共に喜ぶ対面する知人を見て、私の中に笑みが広がります。

これを、諸法無我であるが故に、諸行無常の時間の流れを悟って、次々に進んでいく時間を持ちますと、表現します。

さらに、このことを無い無い無いの中に、何不自由なく、生活をくつろぐ時間を持つことができるというのです。

般若心経の眼もなく耳もなく鼻もなく舌もない身もない意もなく生活をくつろいでいるというのですが、えっ何故と、驚かれるかも知れません。

これは、現実には空や無のごとく生きるといえばよいのか。諸行無常や諸法無我、涅槃寂静という悟りも忘れて生きる人の姿ということです。

実は、諸行無常は、諸法無我を証明します。同時に諸法無我は諸行無常を証明していることなのです。

どうしてこういうことが言えるかというと、諸行無常自身に自らの根拠はなく、諸法無我自身も自らに根拠をもっていないということです。

さらに、言い換えてみれば、諸行無常は、諸法無我によって成り立つと同時に、諸法無我は諸行無常によって、矛盾の上に成り立っています。

これを禅は、二つで一つ、一つで二つという意味です。

そしてこの諸行無常と諸法無我を、「なるほど」、と自覚することが涅槃寂静ということなのですが、自覚することで諸行無常そのものになり、諸法無我そのものになることですから、自覚と言いましたが、認めて自覚する自我もない自我を言いあらわしています。

この認めて、つかまえることのできないものを涅槃寂静・仏性・仏と、お寺では呼んでいます。 実際に、私たちはこの通りの生活をしてます。

 こんなに迷って、喜怒哀楽があって、がっかりしたり、好き嫌いや、怒ったり喜んだりと、妄想分別と言っているのですが、それでも私は涅槃寂静なのだろうかと疑問を持つかもしれません。

でも能く考えて見ると、移り変わってばかりいるのが自分で、ひとつとして同じ状態でいたことがないではありませんか。

そんな変わり続ける私の、どの私を認めて私というのでしょうか。

私も、私を取り巻く環境も、この三宝印から離れることは出来ません。ただ気づいていないと言うことです。

諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を、大切にし、これを法として、事実において悟らなければ、仏道は成り立たないことです。


それでは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静から見たら、と言いますと、見る私がいるわけですから、問いとしては、「見るその私は、何時、何処での私なのかと」見つめられなければならないでしょう。

お釈迦さまの法を継いだ迦葉尊者が残された記憶にある言葉に、「彼(菩薩)はつぎのように心をあまねく観察する。日々、時事刻々とわき起こる心の一つ一つの内容は、私のどの心なのか。過去なのか、未来なのか、現在なのか。

しかし、もし過去の心であるならば、それはすでに滅してしまっている。未来の心であるならば、それはまだ到来していない。もしまた現在の心であるならば、それはしばしもとどまることがない」と、諸行無常のなかに生きる自己を、「汝自身を知れ」と問い続けます。

金剛般若経には「如来は人々の心をことごとく知っている。その理由は、如来は、もろもろの心を説いて、皆、心は非ずとし、これを名づけて心という。理由は、過去心も不可得、現在心も不可得、未来心も不可得」だからと説きます。

この「何時、何処での私なのか」の問いに、他のお経には、「未来、過去は、今に非ず」とあります。 時は、今から今です。

仏教では、過去現在未来は、絶対的に断絶しながら、継続していると、矛盾を説きます。

その矛盾は、遠い昔の過去から、いつでも今であったということを現しています。

地球の年齢と共に、宇宙の年齢共に、今のほかにないということですから、この今ということを悟ることは、矛盾を矛盾のまま手に入るということですので容易なことではないはずです。

考えてみれば、問い自身に矛盾が含んでいるわけですから、不可得というのは、得ることができないならば、今に徹するということが、私たちがいきるということで、その生きる姿が、矛盾を矛盾としない私となれるのでしょう。

「今でしょう」と、よく聞くことばですが、しかし今は今であり、その実体を認めると、私と今と二つになるので、今が何処かに行ってしまいます。

つかまえることのできない今は、今の事実に徹するよりほかにない事実として見ていただきたいと思います。

今ではなくなるということです。

白黒をハッキリしなければならない世界に、私たちは生きて、現実は、矛盾ばかり、相対するものばかり、対立するものばかりだからです。

しかも対立しているのは、私たちの心の中です。

さらに家族や地域、民族や国家、自由主義や資本主義、排他的主義主張という集団としての、物語の中にあります。

本当は、その時代が作り上げてきた現象なのですが、結果として対立するものを、お金や言葉という言語によってなり立たせていることです。

中国の趙州という和尚は、「私が、仏法をまだ何も分かっていなかった、今という時間に使われていた。しかしひとたび自分をあきらめると、今という時間を使うようになった」と話されています。

これは、今に使われていたことが、今と私が二つに分かれていたことを現して、今を使っていたとは、今と私が一つに成って、今を活きていたことになるのでしょう。

今と私が一つになるとは、今を認める認識がないこと、つまり「自分と今が分離しない」ことです。

人は、今、悲しいとき、苦しいとき、今辛いとき、思い悩み答えがでないとき、今涙がでてきたとき、どうにかしたいとき、その今を考えてみると、今というのは、付け加えるものがないことが実相であり事実です。

何故なら不可得だから。 そこに「今のままで良い」のだと、心の中で良し悪しを決断してしまうと、永遠という今が、良し悪しという相対する意識となって、せっかくの今という事実と離れてしまいます。

今のままでよいとは、仏法という法に成り切るということです。

その仏法を自分のものにしてみれば、「そのままでよい」とは、自分自身が無心となって現象という諸行無常になりきる、行為そのままです。そしてまかせる、あるいは自分が今置かれている居場所に咲くとは諸法無我そのままです。

実相とは、流されて流れ、流れて流される。選んで選ばれ、選ばれて選ぶ。含んで含まれ、含まれて含む。動いて動かされ動かされて動く。この有り様が涅槃寂静で、今を生きる姿となります。

仏法とは今そのもの、その今を仏法に置き換えて、実体の無いもの、空を法といい、今ということだとも、理解して欲しいと思っています。

ミカンはミカンだった!
私たちの心は、私たちが何かに執着したとすると、その執着したものから同時に、執着された自分になるという矛盾した自己確立の関係が生ずる。

私は、執着したモノによって、縛られた私自身であると。

私という存在は、生きるためには、あらゆる関係性によって成り立っていることを、否定する人はいないと思うのです。

しかし、その関係性はすべて矛盾した関係であることに気づく人も、またいないのです。

よくいう絆とは、結ぶこと、結ばれることですが、人は結ぶことによって、同時に分離、別れることを意識しないものです。

多くのものあるいは二つのものが結ばれることは、同時に結ばれたことで分離することです。

そして、結ばれた一つの関係は、同時に結んだ双方は、互いに結んだ意味の根拠によって保たれていると同時に、結んだ当事者は相手に根拠を持つことで、自分自身には根拠は無いという事実です。

世界中がグローバルという名のもとにつながるという関係は、その国の、そして言語の集団的文化や歴史、宗教的な関係を含みます。

その集団の意味や意識、主義主張という執らわれや執着、固定観念との関係を含みますから、なおさら関係を結ぶと言うことは、結ばれたことで、結ばれた双方は互いに根拠を持ちながらも、自分自身には根拠が無いという、分離した意味を把握し、矛盾が浮き彫りになった意味を知らなければならないでしょう。


私たちの心は、世界と常に対峙していますが、その心の尖端は眼耳鼻舌身意という六つの働きです。

普段はこの六つの働きを意識しないものですが、私たちの好みや感受性、興味の方向性、趣味や娯楽、スポーツを含めて好きや嫌いと眼、耳、鼻、舌、身体、意識という六つの働きが、一つとなって対照とするものが心を支配します。


そんな私を智慧と慈悲に回帰させるために仏教が用意したものは、無心である心の自覚です。

本当は固定した私の心などないのだけれども、無心ゆえに実在する私の心といえばよいのか。

その心を理解するために、金剛般若経というお経の中に、ピッタリな言葉があります。

「心は、住するところ無くして、しかも、その心を生ず」です。

この、住するところ無くしてという部分が、無心と置き換えることができるのですが、本山の妙心寺では、無心の意味を、無住にして無相、無念とも言い換えています。

無住の住(じゅう)は住む場所であり、無相の相は姿形です。

無念の念は、思いや記憶も含まれていますし、しかも長年経験して染みついた経験の念という蓄積も含まれています。

詳しく分解してみれば、「心は、住するところ無くして、しかも、その心を生ず」「「心は、姿形なくして、しかも、その心を生ず」「心は、思いや記憶なくして、しかも、その心を生ず」と読みます。

禅宗は不立文字という看板を掲げています。これは、文字を立てない、文字で語らない世界で、これも無心の構造的意味です。

さて、人間は、赤ちゃんとして誕生したとき、「オギャー」と、自分ばかりと宣言します。

この時、赤ちゃんは矛盾もなく、死もなく、意味も持っていないし、他者もないものです。

そして赤ちゃんは、誕生からすぐに、幼児に移る発達を加速して行きます。その発達の最初は、自己の中に自分と他者の分離が始まります。

それ以降は、見るもの聞くもの触るもの味わうもの意識するもの、相対するものは自分と他者の分離の関係ばかりです。

まして言語という記号を憶えれば、空間にあるものは、他者という記号ばかり。言語という意味による空間の切り取りであることに気がつかないものです。

極まるのは世界と私という自己との対比です。

さて、日本の食卓にある果物について考えてみました。この果物は、ただの果物ではなく、また私の心のことを指します。

日本人なら当たり前の食卓の上に乗るミカンは、経験の基礎があって、ミカンと知ることができます。

つまり、それは私たちの意識に固定されたものです。

人は、ミカンと言った瞬間、ミカンは誰にとってもミカンだと他の物とは違って認め、空間から切り取って、私たちは皆で「わっ、ミカンだ」と分かります。

でも気がつけば、ミカンであると言わせたのは、それ以前に私の中に植え付けられている経験や記憶の概念です。

これを「人がミカンを見る」と言います。

さらに、ミカンの味や色、むき方、酸味や甘みという性質は、ミカンを知っている私と考えれば、これは経験的な私の意識を確立させている意味的構造であり、ミカンから言えばどうなのだろうか?

つまり、ミカンのさまざまな甘みや酸味という現象である性質をもって、私の舌に、私の記憶を呼び出し、現れるということになります。

すると、ミカンの性質が、味覚が知覚する私を確立させていると考えることができるのです。

私の自我を、ミカンが確立させていると。

これを、「ミカンが人を見る」と言います。

人が思う世の中とは、私がミカンを見ると同時に、ミカンが私を見ると言う対立した見方で成り立っているのです。


もう一度ミカンの話をしますが、ミカンとは私のことでもあります。私という心を形づくっている、私のカタマリです。

そこで、こんなことを考えたことはあるだろうか。一個のミカンは誰にとっても、空間の中にありながらも、ミカンの皮という境目により、区分されていると。

ところで、ミカンに対する私という認識、ミカンを認める自我がなかったら、ミカンは存在できるのだろうか。

また、たとえミカンに意識があっても、ミカンの意識という区別や境界という境目がなくなってしまったら、無心となって、人が私という堺目が無くなってしまうことと同じように、そのミカンであると事実づける堺目あるいは境界という意味が無くなってしまうだろう。

このことは、ミカン自身、存在して区別されることによる、根拠や、独立性、他の物から限定される意味も無くなってしまうだろう。

また、こういう言い方もできる。

ミカン自身、存在して区別されることによる根拠や、独立性、他の物から限定される意味、大小色形、酸っぱさや甘みも、人間の過去の経験や記憶による分別によって妨害されないため、疎外されないため、その存在という世界は、すべてのものは互いに流入し、互いを反映し、互いに反映されている場所も無い場所となってしまうだろう。

ここでは私は、もはや私では無いに対応して、ミカンも、もはやミカンでは無くなっている。

これを「ミカンはミカンではなく、私も私ではない」と言います。

これが文字を立てない不立文字の世界です。

さて金剛般若経というお経には、「本来、我という相、他者という私以外のすべての相、また、あるべき相も無く、また、あるべき相がない相も無い」と説いています。

注目したいのは、「あるべき相が無いといっていると同時に、あるべき相が無い相も無い」と。

あるべき相がないということも、人の心にとっては、執らわれになるからです。

「我、私という相、他者という相、あらゆる居場所という相、」を、あるように思って描いているのは、私たちの意識がそのように決めつけ習慣的に見るからであり、言い換えれば、私たちの心が意味や本質化をするものを求め、見て、触れて、創造しているからです。

この本質化された、意味づけされたものが、心によって至るところで知覚されるのは、その本質が客観的にそこに存在するからなのではなく、ただ心が誕生してからずっと本質を作り出しているからなのです。

その気づきによって、もう一度世界を眺めてみると、心は「住するところ無くして、しかも、その心を生ず」と。

この「住するところ無くして」を、平等や真理という概念に、「心を生ず」を、差別や現象ととらえると、思想的な在り方が浮かびます。

ミカンも、「その住する所無くして、その心を生ず」と。「私も、その住するところ無くして、その心を生ず」と。

ここにきて、「ミカンはミカンだ。私は私だった」と、その心を生ずというのです。


悔いが残る
ご主人が亡くなり、「悔いが残る、心残りがある」といったお年寄りのご婦人がいました。

どんなに大往生として亡くなったとしても、何かしらの悔いは、心残りがあるものです。

これでよかったのか?ほんの一時目を離していた隙に?あるいは、頻繁に通えない遠い施設に入院させて?間に合わなかった、あんな言葉を言わなければ」と、思いが強ければもっともっとと、自分の心に刺が刺さります。

その悔いという感情の波は、親しければ親しいほど死者との距離をはかるものです。

そのために考えてなくてはならないことは、相対する親しい死者が夫とすれば、自分に対する夫の残された記憶の中から答えを見つけ出さなければなりません。

夫自身と対峙した記憶は、私の記憶の出来事であり、私の思いが含まれているものです。

その私の思いは、感情に支配された思いが含まれてあることから事実かどうかわからないものです。

夫の残された記憶とは、私という思いを捨てて、見つめ直した記憶という意味です。

考えてみれば、悔いが残ることで、心残りがあることで、新しい発見があり、供養が始まるのです。

すると、供養は自分を大切にすることと同じです。

人と人との関係は、仏教の縁起の関係から言えば、夫の根拠は妻にあり、妻の根拠は夫にあります。

つまり夫婦双方とも、自分の根拠は自分にないという矛盾した関係の中にあるからです。

しかも妻は私という自分を抱えていますし、夫も俺がという自分を抱えています。

その自分という根拠も、他者に於いて、世界に於いて成り立っていることも事実です。

相対する関係はすべて、矛盾を媒介として同時に成り立っている関係を仏教は見据えます。

そして、夫婦と結ぶことによって、同時に夫と妻に分離する事実として見えます。

この関係を相手に寄り添うというのですが、寄る辺なき自己が添うということは、他者との関係とは、関係そのものが寄り添っていたという事実を見つめ、認めることが何よりも大切なことなのです。

そこでは寄り添うと、あえて言う必要のない事実の中に、夫婦は元々あったということです。

しかも夫と言うとき、夫とは妻に寄り添ってあることから、妻を含んであり、妻は夫を含んで存在している関係です。

もともと心残りのない関係の中に在りながらも、「だけれども心残りがある。悔いが残る」と、感情という現象はこういうものなのです。

この情があることで波風は立つのですが、この情が、今度は自分自身のより所となって、夫婦の生活を常に総括し、供養となっています。

普段の生活で、「心残りがない方法」はあるのだろうか?悔いが残らないために一瞬一瞬を生きることは理解できるのですが、ではその一瞬一瞬をどう生きたらよいのか?

人は、何気ない時間を過ごす日常生活の中に、実はさまざまな感情を起こして体験しています。

普段はそんなに大きな波のような感情の起伏はないものの、感情の起こすさざ波のない日常生活は、誰にとってもあり得ないことです。

そして、実はうれしさ、喜び、楽しみというさざ波にも、それと反対のねたみや、あわれみ、優越感、さげすみ、痛みという苦しみがどこかに潜んでいるものです。

しかも自分で、気づかない。

自分をありのままに、素直に、今の幸せを受け止めることは簡単にはできないものです。

うれしさ、喜び、楽しみに執着としてとらわれると、それらが消えたときには、逆に辛さや、寂しさ、悲しみの原因になることも多いのです。

現実の感情の起伏の一つ一つを見つめてみると、そこには天国から地獄までを含んで、あらゆる心の現象が、イメージや、意味という言語、思いという思考を介して浮かんでは消えてと、誕生と死を繰り返しています。

しかも、私たちの日常生活は、それらを記憶によってとどめ、思い出し、さらに付け加え加工していることで、そのつど、そのつど、思い出しては消え去っていることに気がつきません。

感情や思考という現象の波は、瞬間における誕生と死滅であり、連続しているように思えるのですが、実は、瞬間瞬間を断絶しているものを、加工して連続にすることで自分というものを創り上げ保っているのが人間の姿なのです。

これも時間と存在の真実です。

見方をかえると、言語による思いや記憶によって継続する自己イメージを造りだし、それに依存しているのです。

言い換えると、瞬間的な断絶している現実を封印したまま生きているともいえます。

本来、一瞬一瞬に徹して生きれば、無心にして悟りの生活であるにもかかわらず、自我の迷いや、とらわれとして活きるのが衆生であり、自我という迷いの生活が、そのまま、そっくり悟りの生活であると悟ったのが仏であるといえるでしょう。

仏教の気づきや自己を深く見つめるとは、その現実の心の誕生と消滅の流れを味わい、捨てる、ほうって置く意識の技法でもあるといえるかもしれません。

そのために、自分の心が起こす感情という現象の波の一つ一つに、今、意識が起こったというレッテルを貼り、相対する相手の意識にも、できればレッテルをはれたら、双方が含んでいる他者の心の静けさや本来という自己、あるいはあるがままの自然や世界が見えてくると考えています。

何故なら、世界の世は時間であり、世界の界とは場所であることから、世界とは今ここ、私となって表現されるものだからです。


仏教の坐禅や瞑想とは、一瞬一瞬の動く自己という、日常生活の中の、寂しさや苦しみや笑い喜びという葛藤を見つめることで、波を起こす原因を知ることなのです。

「心残りがある、悔いが残る」といった波の、過去の一つ一つの出来事というイメージの集まりである心の中のアルバムの整理も、瞑想や坐禅と同じ意味です。

この意味するものは、一瞬一瞬の生と死の流れを味わい尽くし、そのまま放って置く、執着しないことでもたらされる智慧と慈悲です。

つまり、眼・耳・鼻・舌・身体・意識に執着の跡を留めないことを明らかにすることだからです。

眼・耳・鼻・舌・身体・意識の作用と認識に起きる現象を味わい尽くすとは、後を引かないという意味であり、一瞬に成り切るともいえるものです。

このことを通して、見つめるという勇みの智慧は、穏やかさ安らぎとなり、その穏やかさや安らぎを通してしみ出す慈悲となるからです。

家族で住んでいれば、一人一人の心の中のアルバムには、数多くイメージが貼り付けられているはずです。

しかも、このアルバムは自分が子であれば、父や母の年齢になってはりかえ、並び替えることもできるのです。

すべて自分の心の中のことです。亡くなった人が抱えるアルバムはもうありません。

そこで、今度は亡くなった人より見たイメージを、自分のアルバムに添えて下さい。

自分でアルバムにイメージを貼り付ける行為は、死者からさせられていることにもなります。

今、アルバムの整理は、思い出して考えてと、自分が行為としてするのですが、与えられた行為であると知ったならば、その行為は感謝となり、祈りという行為となって意識を集中していることと同じです。

知らず、そこから流れ出す慈しみこそ、今の私を活かすものだと思えないでしょうか。

亡くなった死者という動かないものによって動かされて動く私は、いつしか私から動くともいえる、悔いが残る、心残りがある現象の事実となるのです。

無心に対して、つくづく思うことがあります。

お釈迦樣は「衆生病むが、故に我もまた病む」と話されました。

また、「心、仏、及び衆生の、この三つはすべて一心であり、もともと分かれていない」と、三位一体の無心を語られています。

お釈迦樣という悟ったものからすれば、すでに、自分が無心の心なのですから、耳を澄まして聞くや、見つめるという心に依って、自分自身が、他者を含めてあるという人格を持っていることが見えてきます。

すると、他者を傷つけたり痛めたり、嘘を語れば、自分を傷つけ痛め、嘘によって自分を分離することになります。

人を殺せば自分を殺すことになります。

もともと自分は無く、他者によって成り立っていた自分に気づくことを、修業や祈りとすれば、気づくことで、私は生まれる以前より仏だったと表現するものです。


『相反するものが共存していないと、大きな働き、大切な空間は作られない。臨床も、豊かな矛盾に満ち満ちて息づく所です。』
上記の言葉は、鳥取市内にホスピスケアで知られる、「野の花診療所」を開設した医師の徳永進先生の言葉です。

仏教は、矛盾する現実を見つめ、そこからよく生きることを見つけることです。

そのために、禅宗は問答という、疑似問題を修行者に突きつけて答えを導きます。

例えば、「何も手に持たずにクワを持って畑を耕し、歩きながら自転車に乗れ」などと、現実では想像できない仮想の矛盾という構造の迷路に踏み込ませます。

こうした問答を考えなくとも、私たちの現実生活は、結果として矛盾を矛盾のまま生きる姿とも考えています。表題の徳永医師の言葉が示してくれています。

さて、毎年恒例の陽岳寺お施餓鬼、冒頭のお経の言葉は、「若し人が、過去・現在・未来におけるありのままという法を知ろうと願うならば、世界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし」です。

世界とは私の外部ですから、それを知ろうと思ったならば、内面の心を観ろという重たい意味を考えてみましょう。

観ずべしという観について、観音(かんのん)という熟語は、音を観るです。普通は矛盾してあり得ないことですが、例えば、突然近くで「ガシャ!」という音を聞いたとき、「何だろう、何の音だ」と意識が立ちます。すると、立つと同時に意識が過去に聞いた音を、場面を見出し、同時に判断し始めます。

観は、「コウノトリのように目を大きく開いてよく見る」。光を観るです。

眼のの構造からみると、網膜に写して見るのですので、意識は網膜に写された映像を見ていると同時に過去の経験の蓄積や、それから類推する事柄を観ることになります。

観は、よく見る。注意してみる。観察。広くみる。見渡す。眺める。見物する。示す。あらわす。ありさま。様子。外見(形、態度、姿)。ながめ。見方。考え。意識(主観、人生観)。うらなう。考える。物見やぐら。お寺、遊ぶ。思う。研究する。思考力。止観などがあります。

止観とは観を止めた観ですが、「おのれ自身の心が造らない世界の一切」となるのでしょう。それが観音の観です。ただ観ること、自分の意識を加えない観です。

さて、徳永医師の語った、『相反するものが共存していないと、大きな働き、大切な空間は作られない。臨床も、豊かな矛盾に満ち満ちて息づく所』だと観ずべしと、読みたいのですが、大きな大切な空間と、矛盾に充ち満ちて息づくところ(空間)をどう観じたらよいのでしょうか。

徳永医師が相反するという言葉に、医師と患者という矛盾した関係、普通、それを矛盾した関係とは見にくいのですが……。

あるいは看護師と病人、介護者と看護される痛みを抱えたものとの関係は、つねに相反する矛盾した関係であることを、見つめることは少ないでしょう。

その「矛盾した関係が共存して」いないという意味は、私たちの言う信頼関係とも言い換えてもよいと思います。

そのことは、医師は病人を痛み苦しむ人を含んで成り立っていると同時に、病む人として、痛み苦しむ人も一人で苦しむのではなく医師を含んで、介護者を含んで、看護師を含んで成り立っている共存している関係です。

その関係にないと、大きな働き、相対する大きな空間は造られないと、読むことができます。

共存という医師と病む人の関係は、共存という一つになることで、互いに分離した関係になり、共存しながら互いに独立している関係こそ、『相反するものが共存している場所こそ、大きな働き、大切な空間』です。

しかも医師は、病む人の病む原因を見つけ、その原因から発生する不安や怖れという心配事を観なければならないでしょうし、病む人は医師に委(ゆだ)ねる信頼という心を持たねばならないでしょう。共に疑っていては、大きな空間は造られない。

その依存する空間とはどこにあるのでしょうか。

お施餓鬼の文は、『世界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし』と、世界を写している人間の心だと指摘します。

大きな空間とは、矛盾しながらも、互いを受け入れながら、生き生きと息ができる場所です。

その場所はまた、医療現場、家庭、仕事をする場所、憩いの場所、個人の力を発揮できる場所、みんなで何かをとげられる場所、一人でコツコツとできる場所、政治の場所、ワイワイがやがやにぎわう場所、独り孤独となって安らげる場所なのですが、そこはどこでしょうか?

『世界の一切は、おのれ自身の心が造る』です。

さて、この世に浮かんでは消えてゆくもの、すべては言葉といってもよいでしょう。記憶された言語です。

まどみちお氏の詩、「ひとではない!」
『持っている手をはなすと コップは落ちる。そうして教えてくれるのは 人ではない。
落ちたコップは いくつにか割れる。そうして教えてくれるのは 人ではない。

コップの中の水は とびちる。そうして教えてくれるのは ひとではない。
とびちった水は やがて蒸発する。そうして教えてくれるのは 人ではない。

この世のはじめから そうしていちいち、教え続けてくれているのは 人ではない。
ああ 人ではない!尽きない不思議を。えいえんに 教えてくれるのは。』


共存しようとするから言語が必要になります。まどみちお氏は「人(意味と言語)ではない」と、詩のなかで語ります。

言語が矛盾を造って、この矛盾がなければ大きな世界は作られない。

人にとっては、相反するものがなければ生活できないことも確かなことですが、徳永医師は、矛盾しながらも「共存」していないと、大きな働きや空間は作られないと、発言しています。

世の中は、相反するモノの意味づけによって成り立っていることを、知ること、見極めること、見つめることができなければ、大きな働きも、大切という空間、居場所も知ることはできないとも、徳永医師は話されているようです。

物と物、意味と意味、人と人、環境と環境、存在と存在との相反するものの関係による意味とは、言葉に集約できるモノです。

また相対するものの関係は、私という、意味を作り出す意識がなければ見つめることもできないのですから、意識とは言葉で表現するものと解釈してもよさそうです。

しかも、意識といえば、記憶も含まれてきますので、過去の記憶から積み重ねられた私や俺という、今の私でないものの意識までもが含まれてくるから厄介です。

過去の記憶から積み重ねられた私という意識こそが、相反するモノの共存を分析できるのでしょうか。

価値や生き甲斐という、意味づけしたものが壊れれば、安定した心として平安が保たれないたとえを、しばしば見ることができます。

徳永医師は、矛盾した大きな働きを活かす場所こそが、矛盾しながら矛盾をいとも簡単に超える場所として実践した空間・場所だったのでしょう。

世界は、そう、矛盾したまま共存して作られた私という世界でしょうし、しかも、その私は、徹底して他者を支えるとしたら、そこには自分は無く、他者もいないものです。

しかも、それが言葉が誕生する以前の場だとしたら、無限大から極小を含んだ世界でしょうし、その世界はもともとあった世界ともなり、生き生きと息づくところと発見できるでしょう。

心サッパリ!
禅は、無心を説きます。
その無心は、平等・空・本体・実相・性空・本性・仏性・父母未生以前本来の面目・永遠・浄土・平安・平成・平和と言い換えることができます。

そう気づいてみれば、そこには矛盾したモノはなにもないし、仵(さから)うものもないはずです。

難しい字ですが、この仵(ご)という字は、聖徳太子の十七条の憲法の第一条にある漢字です。

「和をもって貴(とうと)しとなし、仵(さから)うこと無(な)きを宗(むね)とせよ」。

辞典には、耳にさからうがあり、すると眼にさからう、鼻にさからう、舌にさからう、身にさからう、意にさからうものなしと読めます。また、あるがままに見る、あるがままに聞く、あるがままに嗅(か)ぐ、あるがままの事実として受け取る、あるがままの意識に写すと読めます。

そして始めの、和という字を左右に分けてみると、禾(か)は会うの意味で、口は人の声と声とが合う意味だそうです。

和の意味は、和(なご)むや和(やわ)らぎですので、人が寄り集まると和の正反対のことが起こっている現状に気づき、聖徳太子は日本で初めて憲法を作られたのでしょう。

深川にある富岡八幡宮の富岡という名称は、永代寺中興四世周光和尚の夢に聖徳太子が現れ、富岡と名づけよと言われたことによると、八幡宮社伝にあります。

周光和尚の夢の中に、聖徳太子が現れ、告げられた夢告が現実となってみれば、深川に聖徳太子が創られた十七条の憲法の精神が誕生したことにならないか。

その語られた精神は深川に、今も息づいていないだろうか。

我れに仵(さから)わないとは、下町の心意気と合わさって、地域の困ったことは我がことの困ったことだし、食べ物のお裾分けや、身体の不調に悩むお年寄りや障害をもつ人を気づかったり助けたりは今も残っている。

叱咤激励とは口うるさいと捉えられなくもないが、よくよく見れば人を思うゆえのことだし、口から出た言葉を、言った本人も聞いた本人も悪く解釈したり根に持たない。

和をもって貴しの実践は、今も下町にこそある。

腹に一物もないところから出る行為や言葉は、サッパリしている。まさに仵うことなしの実践だからです。

強調や協和などと押し付けるのではなく、サッパリしていて良いではないか。

自分に自己にさからうものなど、もともと在るわけでは無いのだから。

そのもともと在るわけ無いところに、在るわけを創って、そのわけを後生大事にしまって他人にまで及ぼそうとするから、聖徳太子は、「和をもって貴しとなし、仵(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」と語られたのでしょう。

和という字の禾(か)は会うの意味で、会うことで一つになることではなくて、会うことによって、会う人それぞれをあるがまま見る聞く触れるですから、おのずから異なっていることを、仵(さから)わずに受け入れることで、それは会うことで区別し分離するということ意味が含まれています。

他人へのお節介も、サッパリしているから、何もないから、お節介をするのであり仵(さから)わない自分を表現するものです。

自分に逆らうモノなどもともと無いサッパリとしているモノが、和してお節介に現れる。

さからうものが無いから現れるのであって、お節介があって現れるとしたら、そのお節介は思い込みやつくられたものです。和して現れるモノではない。

また和光同塵(わこうどうじん)といって、サッパリとした心ゆえに、あえて人のため自ら汚れることを苦にせず尽くすという四字熟語もあります。困っているから、苦しんでいるから、気の毒だから、危なっかしいから、弱っているから、「手を貸せずにいられない」は、「仵(さから)うこと無きを宗とせよ」という実践で、サッパリとした心の表現でした。

考えてみれば下町の暮らしは、「和して同ぜず、同ぜずして和す」だった。蓄えるより与えるケチケチしない精神が、サッパリとした心持ちだったはずだ。

心の中に思いだらけだったら、人と人とが相争って、人の顔や姿など見たくもないと思うと同時に、思った人も思われた人と言うことにモノが一杯では気づかないし余裕もない。

心の中にサッパリとして何もないから、思ったことがないから、感動に身が震えることもあるし、本当に悲しんで泣くことができるのです。これを大切にしたいのです。

さて仏教の縁起には「同のゆえに異、異のゆえに同」という見方があります。これは現実を語ったものです。

心サッパリを同、身が震えることを異と観て下さい。

同は合うという意味と同じであることから、合うことは同時に分離して分けられることを含んでいますので、異なる・分かれる意味を持つことが分かるでしょう。

異なるから数の多を現し、同は、一を現して、一多相即(いったそうそく)と読みます。

相即は相(あ)い即するで、即は時間と同時という意味を持っています。また異は差別、同は平等を現します。

平等・空・無・本体・明・性空・実相・仏性・仏神・菩提・本性・父母未生以前本来の面目・永遠・浄土・平安・平和・先祖代々・内容・無辺・無字・絶対・連続・非断・常劫不変=これを正位(しょうい)として分けていますが、不可得にして頭の中に描くことができないものとして、しかも描いた途端それは偏位となるもの。更に言えば文字や言語で言い表せないモノとなります。

これらに対して差別・色・有・現象・暗・因縁・縁起・因果・凡夫・煩悩・私・瞬時・地獄・不安・戦争・霊・外観・場所・山川草木・相対・非連続・非常・瞬間=遍位(へんい)と言いますが、増えたり減ったり、縁起によって原因結果による変移するもので、思想・観念・認識、思い出に夢や体験、経験・記憶・信仰なども含まれています。

仏教では正位と偏位を論じて、もし正位のみならば因果なく縁起もなく時間も場所もない、もし偏位のみならば、相続はないと言います。

どこまでも正位にして偏位、偏位にして正位のところに、具体的な事実の世界というものがあります。

深川だけでなく下町の、「勇み」や「情け」という文字に表せない、サッパリとした一物もない心が勇みとして情けを産み、その情けが後腐れのない勇みを垣間見せる姿に、生き生きと脈を打って流れる江戸の庶民の歴史を観じています。

芭蕉もここで育ったし、義民の願いが成功したのも深川の歴史です。

勇みは正位の智恵だし中味カラッポ、情けは心カラッポの中に咲く、自由さの象徴まるで自己の開花のようです。

心サッパリだ。


一日暮らしの工夫
《 一大事と言うは、今日、ただ今の心なり。
ある人の話に、「一日暮らしという工夫」をしたことで、心がのびのびするとともに、これは身を養うに肝要なことと得心したという。

それはどうしてかというと、一日は、千日万日の初めであり、一日一日と、充実した生を努めれば、その一日のおろそかにすることは、千日万日一生をおろそかにすることでもあり、一日を無いものとすることと同じなのだ。

人の命は、明日もあるか解らないものだ。明日に執らわれると、今日の心が明日に執らわれて、心を遠きところに置くこととなる。

今日がつらくても、一日の辛さと思えば、何とかなるし、楽しみだって今日一日と思えば、引きずらずに溺(おぼ)れることもない。

人生は長いからと、親にいたわりの心を向けないことは、愚かなことだ。

一日一日思い尽くせば、退屈せずに充実した人生だ。一日一日努めれば、千日万日努めることができよう。

それを一生と思うから、距離が長くなり遠い道となる。一生は今日一日のこと。その一生が長いと思っても、千日万日後のことは、誰も知らないし、わからない。

しかも、今日を限りの一日と生きれば、死も寄りつかずに、一生にだまされない。

一大事と言うは、今日ただ今の心なり。

それをおろそかにして翌日あることはない。すべての人に、遠きことを思いはかることがあるけれど、それは的面の今を失う心に気づかない。 》

松代城主藩・真田幸村の兄で、真田信之(のぶゆき)の子で、臨済宗の僧侶となった道鏡慧端(どうきょうえたん)禅師をご存知でしょうか?

世に正受(しょうじゅ)老人と、親しく呼びます。

正受老人は、即心記、自性記など記録したものが残されていますが、「一大事というは、今日ただ今の心なり」が有名です。

正受老人の言葉は実践するに分かり易い。

NHKで「真田丸」が放送されていますが、正受庵がロケ地に使われていることをご存知でしょうか。

今を生きる、今を大切に、今でしょうと、今を注目している世相は、過去や未来が危機に瀕しているということでしょうか。

「今日、ただ今の心なり」は、仏教の歴史です。

仏教の思想は、空(無心)と縁起(関係)が二本柱です。

縁起は、結合と分離の法則とも考えられます。「結合することは分離することであり、分離することは結合すること」を考えると、過去現在未来の関係、こちら側とあちら側の関係など相対する関係がよく見えてきます。

今というとき、人は時間が誕生し過去と未来に分離することは理解できます。

ですが、逆に今があることで、過去と未来が結ばれた関係を見ないものです。

現実は今しか人は生きることができません。今ばかりの現実に今は分離できるのでしょうか、今はあるのでしょうか。

無心と念も、相対する関係となれば、結合と分離の関係が見えてきます。念を消そうとすれば、消そうとする自己が分離するものです。

記録されている「即心記」より、下記に抜粋してみました。

《 人は迷っては、この身に使われ、悟ってはこの身をつかう。

教えは大きく誤るものともなり。それを習うことは、なお誤る。ただ直に見、直に聞け。直に見るは見る私なし。直に聞くは聞く私なし。

人は、私という思いや経験から、人(他人)を見るものなり。私に利欲あれば、他人をもその心で見るなり。色ふかきは、色ふかき心で見るなり。

火はものをこがすが、こがすことは知らない。水はものをうるおすが、水はうるおすことを知らない。仏は慈悲して、慈悲を知らない。

人に慈悲しなさいと教わることは、仏の真似をしなさいということなり。慈悲のもとは心の清浄さ、心の清浄さとは無一物なり。

人は家を造って居となす。仏は人の身を宿す。家のうちに亭主つねに居所あり。仏は人の心に住むなり。

仏と言うも、天道と言うも、神と言うも、みな人の心を言うなり。

生死も知らぬところに名をつけて、涅槃と言うも言うばかりなり。

何ごとも修行と思いする人は、身の苦しみは消えはてるなり。

いろいろの教えに迷う法の道、知らずはもとの物となるべし。

天は身なし、念なし、心なし、是非なし。身あれば、八万四千の悪念あり。身のために苦しむこと、確かなり。

思うままに使いなれたる我が身かな、使う我が身も我もなければ。 》

この慧端禅師は、寛永19(1642)年、信州飯山城で誕生しました。13歳のときに、お城に説話に来られた禅僧が、「自己の内に観世音菩薩あり」と説く言葉が忘れられなかったと言います。

その後、慧端禅師は19歳になって藩主松平忠友 (ただとも)の参勤交代に随伴して江戸に出府しました。

その江戸で、麻布の東北庵(とうぼくあん)に住職していた至道無難(しいどうぶなん)禅師に出合ったことが、慧端禅師の出家への道を開くことになりました。

そして、寛文元(1661)年に無難禅師の法を継ぎました。なお、この無難禅師の師は、愚堂東寔(ぐどうとうしょく)禅師です。

しかも、愚堂禅師には三首座(弟子)がいて、陽岳寺二世錐翁(すいおう)禅師、無難禅師、無明(むみょう)禅師が継承(けいしょう)しています。

無難禅師は法系の上で、錐翁と兄弟関係になります。

そして陽岳寺の創建が寛永14(1637)年ですので、その頃の陽岳寺住職は錐翁禅師のころです。

当時、俳聖芭蕉(ばしょう)が新しい俳句を求めて参禅に通っていた仏頂(ぶっちょう)禅師は、錐翁の法系を継いだ禅師でした。

さて、無難禅師から法を継いだ慧端禅師は、一カ所に住まずに行脚の旅を東北へとワラジを履きます。

行脚して3年が過ぎ無難師は、東北庵に帰って来ます。

そこで無難禅師からから住職に推挙されるのですが、慧端禅師は固辞して諸国の行脚を続け、寛文6 (1666)年生まれ故郷の飯山に帰ります。

藩主松平忠友は喜び、飯山に正受庵を建立しました。

しかし、慧端禅師の修行は、それ以降も続き、無難禅師が江戸小石川の至道庵(しいどうあん)に転居したあとも随侍(ずいじ)して延宝4(1676)年無難禅師が亡くなるまで続きました。

その後、水戸光圀(みつくに)に二度も請われましたが固辞し、信州飯山の正受庵にて死に至るまで、清楚なたたずまいの庵で精進したという。

僧侶として法階も一番下で栄華は求めなかったという。

藩主からは立派な寺院建立と石高の寄進があったものの、「民の利を奪うことは、僧のすることではない」と断ったことが人柄を表現しています。

それ以降、信州飯山の正受庵に住んだことから、正受老人と言われましたが、この「正受」という扁額は、無難禅師の揮毫(きごう)で、臨済宗の正統の教えを継いだ証拠として正受老人に与えられたものです。

なおこの正受老人から、白隠禅師が誕生したことにより、臨済宗には妙心寺派等ほか各派がありますが、白隠系臨済宗として統一したものになりました。

途中にあって家舎を離れず
臨済宗の祖、臨済禅師は、臨済録に於いて、「途中にあって家舎(かしゃ)を離れず、家舎にあって途中を離れず」と記しています。

途中とは目的地があるなら、ここからあそこまでの今の一歩です。そして家舎とは今の自分とも、今という無心な自己とも表現するものです。

そこで、人生という長い旅から見れば、すべての歩みは、今の一歩にあると読み替えることができます。

しかも、この一歩一歩を、別の言葉で表現すれば、吐く息吸う息ともいえます。

人はその吐く息吸う息を意識しないものです。

意識しないからこそ、私は「仏の息」とも時に言い換えるのですが、この息が感謝されることは普通の日常の生活では少ないことです。


静かに坐って自分の息を見つめる。不思議なことに息を見つめていると、自分の存在が無くなることがあります。

今そのものになっている状態ですが、ふと時計を見ると何十分何時間と経過していた今であったりします。

ただ単に時間が過ぎていたことに気がつかなかったとも言えるのですが、それだけのことなのでしょうか?

仕事に没頭しているとき、スポーツに没頭しているとき、考えごとに没頭しているとき、辛さや楽しさに没頭しているとき、自己はありますか?

人間の人生という一刻一刻の時間を解体してみると、その都度の一刻に活きた私があるだけであって、ふと人生はあったのかと不思議な疑問を持つのです。

しかもその一刻一刻の私は、言語と記憶、意味によってつなげ、歴史を、思いを創り上げている自分が居ることを考えたことがあるだろうか。

しかも「途中に在って家舎を離れず」という家とは、どんな場所と時間を指すのか、何を意味するのか、ここという意味なのか。

詩人の長田弘さんは、詩集「死者の贈り物」に書いています。

《目的地なんて人生にとって有るはずもない、すべては途中にすぎない。しかも途中でありながらすべてを含んでいることも事実なはず。

過去を思い出して、あるいは、未来を描いて、自分に与えられた人生ではあるのだが、でも、本当に与えられた時間は一瞬に過ぎない。

考えることも、思い出すことも、未来を描くことも、現在の一瞬でしかないではないか。

文章を書くボールペンのボールの転がる先に、筋がついていくが、それは時間であり、自分の歩みが、延々とつながって表現されているにすぎない。


震災で瓦礫となってしまったもの、泥だらけになった生活の中の便利に使われていた数々のモノ、切り取った時間と場所を表す思い出の写真や飾られたモノ、それらすべてが人生の途中を表現していた。

そしてその途中にあったそれぞれの一瞬は、生き残ったそれぞれの一瞬に合流して、今も、時を刻んでいるといえないだろうか》と。


葬儀では、亡くなった人の人生の意味を、こちら側からあちら側という旅に見立てます。

残された弔問の方々の言葉も、この場所で今どう言えばよいのか、家族に対しての言葉でもあることから、今の心象の言葉を選びます。

「良い奴だった。本当に悲しいし寂しいんだ。一人になってしまった。残念だ。有り難う」。人によっては、「申し訳ない。すまなかった。あやまる。有り難う」と。


遺族にとっては、故人への存在が大きければ大きいほど、依存していた自覚が大きければ、悲しみも寂しさも大きく言葉にはならないものです。

しかも否応なく時間が過ぎ去っていくことは、こちら側とあちら側に引き裂かれる悲鳴を見ることも多い。

その後も苦痛を持ち続ける姿に、上っ面の言葉は却って不審をおぼえることもあるでしょうし、現実の事実の過酷さを突きつけることも難しいものです。

そこで、私は、あの世とこの世について、こちら側とあちら側について、「向こう岸に着いたら、もう船は入らない」と故人に告げます。

しかも人生には、「こちら側のことは、あちら側によって決まる」こともあるのだろうし、「あちら側のことはこちら側によって決まる」こともあるのだろうと考えています。

何故なら、こちら側の根拠は、あちら側にあり、あちら側の根拠は、こちら側にあると言えるからです。そしてこのことは、あちら側もこちら側も、同時に今成り立っているはずなのでね。

さらに、あちら側を死の世界に、こちら側を生の世界に当てはめてみれば、死は生を含んであり、生は死を含んであるとも言えるからです。これが相対的な世界です。

考えてみるとそれは、こちら側の私たちの目や耳腕や足までも含めて、すべてあちら側という外側に向っているということで説明できるのかも知れません。

すると、あちら側の人たちは、こちら側を向いているとも言えるからです。

禅宗の語録、無門関の第8則に、こんな話があります。

「車を形作っている部品をすべて解体してみると、車はどこにあるか」と。

途中を歩む人間を、車に見立てて車の姿形や性能や理念も、いちどすべて解き放してしまえと話を進めます。

そしてこの公案の車の両輪とは、強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観、積極と消極など相対的なものは、もともと分かれていないと、車は一つと見極めることを説きます。

さらに、その見極めた意識も放って置くと説きます。強弱、善悪、美醜、損得、迷悟、自分と他人、主観と客観は、一つです。

そこで改めて考えることは、車はあったのか、生死する車という自己はあるのかとの問いに、もともと無住にして無相、無念という自己は、生も死もないことから、自己とは不生にして不滅の今の私であることが分かってきます。

その車に気づいて、不生にして不滅なものが瞬時も留まることなく活発に働く無常な途中という意味を確かなものとしなければならないでしょう。

そうでなければ、ただあちら側という今の人生に流されて、途中でありながらも現実の確かな今の自分を失うことになるのかも知れません。


車は車として、人やモノを運ぶ今の車がただあるだけです。


家舎もなく途中にもあらずと、家舎を離れて家舎もなく、無心や無我に置き換えてみますと、途中にあらずとは、一瞬一瞬の無心な今を生き続けることとなります。

厳密にいうと、仏教は生があって死があるとは言いません。

「生は生のみ、死は死のみ」ですから、生の居場、所死の居場所は、時間的な経過ではなく、常に今の居場所となります。


それはあちら側もなく、こちら側もない今に、生が輝いていると思うのですが?