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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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熟年結婚
女優の浅野ゆう子さんが結婚したことが、1月12日ニュースとなりました。

所属事務所からFAXを通じてですが、「お互いこの年齢で…とも思いましたが、この年齢だからこそ、互いの健康に気遣いつつ、寄り添いながら穏やかに、これからの人生を歩んでいこうと決めました」と報道されました。

上手いなあと、上手な言い方だと感心し、この年齢だからこそ、こういった言葉がでるのだと思ったのです。

57才で初婚、お相手は一般人というのですが、この結婚が呼び水になって熟年結婚のブームが来るかもしれないし、女優は女優と、ただのニュースなのかも知れない。 この年齢で……、でもこの年齢だからこそと、もしかして背中を押された人もいるのではないかと考えてしまいました。

また、この年齢から先を歩むことを考えれば、2人なれば寂しくない、いや、その先もあるからと考えるのでしょうか。あるいは、もうたくさんと、堅く心を閉じることを選ぶ人もいるでしょう。

でも、たとえ今、心を閉ざしているとしても、その先までずっと思いが続くとは限りません。出会いがあるかも知れないし、結婚して思わなかったことが次々に起こり当惑させることもあるでしょう。

いっそのこと、困難も失敗も、喜びも幸せも寂しさも、それだからこそ楽しいと悟ってみるのもよいかもしれません。そのことが却って人を豊かにすることもありそうです。 本当に一人身でと堅く決めている人を除けば、それなりに理由があるのでしょうが、老年に向かってみれば、何か、寄りそうものがあったらよいと思うのは自然なことです。

しかも寄りそうこととは、お互いに、相反するとは言わないものの、男と女、興味と志向性、育ちや生い立ちまで含めると、違うものばかりの集合体が寄りそうこととなるのです。そこで、結婚とは束縛されるという意味も生まれるのでしょうが、人生を自由に、気ままにと思っていれば、煩わしいものでしょう。

ところで、仏教の縁起観は、結ぶことは分離することで、結合即分離、分離即結合のありようを見つめます。

働くことも結ぶこと、好きなことも結ぶこと、選ぶことも結ぶことです。ですから生きるということは、結ぶことと分離することの、分離することは結ぶことの連鎖の中に成り立っています。働くことは、働かないことの時間によってなり立っていたことを沸き立たせくれます。

必ず、人間は相対するものを作り出していますので、この相対するもの双方に気づいてみれば、転換できるし、相対を消し去ってみることもできるはずです。

自由でいたいと、自由という語言の意味は、「自らに由る」です。自らという部分と、由るという意味が合体したもので、現実の私は自ら以外のものによって成り立っていることを浮き立たせているからです。

趣味にしても、その趣味によって、仕事など何らかの束縛されていた自分を、違うものによって成り立たせる手段の意味を持っています。

自らに由るものが、思うことに由る、言われた言葉に由る、化粧に由る、仕事に由る、趣味に由る、友だちとのひとときに由る、結婚に由る、子どもに由る、老いることに由る、別れに由ると、由るものが移り変わることで成り立っている自分を知るということが、人のあり方なのだと見えてきます。

何故に自由が「自由」という熟語なのか考えさせられます。これは、仏教の言葉だったからです。 由(よ)るという相対する意味を、居場所や立場、ステータスなどの地位、これは無数にあります。

その都度その都度、祖父母になったり、両親になったり、子どもになったり、友だちになったり、相談相手になったり、買い手や売り手になったり、結局、由ることがなかったら、人は生きていけないのでしょうか。

寄りかからない生き方をしても、その寄りかからないことに由って生きるわけですから、ややっこしい。

動物はそんなこと考えませんし、思うこともないし、反省することもないし、寝るときは寝るし、休むときは休むと徹底しています。今を生きているというか……。

浅野ゆう子さんの結婚に戻りますが、お互いこの年齢ではと、非定型の言葉ですが、その非定型の年齢を肯定に代えてゆく言い方、同じ年齢でも、相反する内容を織り交ぜながらの新しいことへの宣言でした。

よく考えれば理由になっていないし、それこそ結婚にこだわらなくてもよい。

この例えは、人は幾つになっても、何かを抱えていても、今の自分の状況が、自分の背中を押してくれる励ましの言葉に通じていたことを教えてくれます。いつでも私は挑戦できるのです。

この否定を肯定へ、マイナスをプラスにという発想は、無数にあります。相反するモノだからこそ、古いものから新しいものに、新しいけれど古いものからと。小さなものから大きなものへと、入ったり出たり、押したり引いたり、進んだり下がったり、動いていたと思っていたら動かされていたと、評価できるものがあるのは当たり前ですが、そのことを出発点にすることで、人はよく生きることも、生きられないこともある。

「言語は事実を表現するものではなく、事実に対する見え方を表現するもの」と認知言語学で言うそうです。人が、相対するもの、出来事や人間を語るには、語る人の見え方を話しているにすぎないと言うことらしい。

だからこそ、この認識に関しては無限の可能性を秘めていることに気づくことで、マイナスからプラスに転ずることができるようです。 この意味では、相反するモノ、対立するもの、反対のもの、対象的なもの、排除し合うもの、対局とするもの、逆なもの、意味も形もふくめて、多くのことに気づくということが、生きる智慧で、お釈迦さまの教えです。

詩人のまどみちおさんに、「もうすんだとすれば」(まどみちお全集1992年理論社)という詩があります。

もうすんだとすれば これからなのだ / あんらくなことが 苦しいのだ 暗いからこそ 明るいのだ / なんにも無いから すべてが有るのだ 見えているのは 見えていないのだ / 分かっているのは 分かっていないのだ 押されているので 押しているのだ / 落ちていきながら 昇っていくのだ 遅れすぎて 進んでいるのだ / 一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ やかましいから 静かなのだ / 黙っている方が しゃべっているのだ 笑っているだけ 泣いているのだ / ほめていたら けなしているのだ うそつきは まあ正直者だ / おくびょう者ほど 勇ましいのだ 利口にかぎって バカなのだ / 生まれてくることは 死んでいくことだ なんでもないことが 大変なことなのだ

  ……矛盾に気づくと、人はたくましく生きていくのだと気がつくのです。

現前を得んと欲せば、順逆を存すること莫なれ。
中国で、達磨大師から三人目の祖師が、三祖僧璨禅師です。

信心銘という文章を残しています。

冒頭の文は、信心銘の中の一文です。毎朝この文章もお経として唱えています。

現前は、今という一瞬のことで、その現前に対し、順縁であっても、逆縁であっても、そのどちらでなくとも、今をかかえて生きろというのです。

鎌倉円覚寺の横田南嶺老師は、(こころころころ:青幻舎)と語っていました

《お釈迦さまは、一番信頼していた弟子の舎利弗と目蓮を、自分より先に亡くしてしまいます。

とりわけ目蓮尊者はひどく暴行を受け、最後は身体の姿形がわからないほどでした。

お釈迦さまは「目蓮ほど修行をした人でもそんな目にあってしまう」と涙を流されたそうです。

お釈迦さまでも、あらゆる人の病気や災難を全部救うことはできません。

どうにもならないものをかかえて生きているからこそ、人の苦しみを我が苦しみとして受け止め、寄りそう慈悲の働きがでてくるのです。》

間に合わなかった
人々の死を迎える環境が大きく変化して病院などで死を迎えることが多くなりました。

以前は、自宅や家族に看取られ、心安らかに往生することができた時代があった。

二世代三世代家族同居という家庭は、都会ではほとんどなくなって、夫婦2人が子供育てその子ども達が独立すると家を出て行き、老夫婦2人となって最後を迎える。

 家が、家族が世代を継いで住むという意味はなくなり、一世代にとっての家であり、その使命が終われば、売買の対象となるか、あるいは取り壊し、売却となり、誰か他の世代が住む家となることが多い。

とくに行政の集合住宅やマンションなどだ。  世代をつないでいた家にとっては、つなぐ過程に死の臨床が知らず具わっていたともいえるのではないか?

今、かすかに残されているのは、病院や施設での家族の看取りである。施設や病院で危篤となり、病院から家族に近況の知らせが届いても、見取れた家族は、以外と少ない。

 「間に合わなかった」という言葉を幾度となく聞いて、「年齢を重ねて、動けなくなった高齢者への見舞いは、病院から帰るたびに、「一期一会、いつもこれが最後かもしれないという時間を過ごしているのでしょうね」と、言えるだけです。

しかも、死者となった子供や親族にとって、「見取れなかった」その意味を考えることさえない遺族もいるのです。

自分に死がいくらかでも見えるような、そんな年代になったなら、死を学ぶ意味で、この人生相談の意味は大きいと思うのですが……

 平成26年5月21日の毎日新聞の朝刊に掲載された、人生相談です。

《 夫はカメラなど自分の楽しみを見つけ、パソコンに向かってばかり。旅行に付き合う気持ちはないようです。両親をみとりました。愛情を注いだ娘や孫たちは、今、忙しそう。好きだった読書も目が疲れます。
寂しくてつまらなくて、どうしようもありませんと、70代・女性の相談でした。

 この相談に、作家の白川道(とおる)氏が語っていました。
『老いてからの寂しさやつまらなさ。貴女(あなた)の抱える悩みは、貴女に特有のものではなく、貴女と同世代の大多数の方たちが抱える悩みでもあるでしょう。

特に昭和の時代で育った人たちに多いのではないでしょうか。

 あの時代は、誰もが生きることに必死で、そうした自分を慰めてくれる家族形態というものがありました。

しかし豊かになるにつれて、個人の主張や幸せが優先されるようになり、核家族化現象が加速されてしまった。

今、老いた人たちが味わう寂しさは、いわば必然の結果と言えるのかもしれません。

ご多分に洩(も)れず小生もそのクチなのですが、幸いにも、小説を書くという仕事をしているせいで、その寂しさは小説を書き、その小説のなかの登場人物と会話することによって、解消していると言えます。
 この歳(とし)になって分かったことがあります。

それは、人間というのは老境に入って、やがて死を迎えるのではなく、その前に無境という心境があるのではないか、ということです。

虚無という無ではなく、欲得や執着から解放される心境のことです。

すると、それまで思い悩んでいたことがうそのように消えて、周囲を静かな目で見られるようになり、他人を許せるばかりではなく、自分も許せるようになる。

そしてそのご褒美に、過ぎ去りし日々の楽しかった出来事の数々の記憶がもう一度蘇(よみがえ)るようになるのですね。

大丈夫ですよ。寂しさやつまらなさなどは、いっときのこと。貴女にもいずれ無境のときが訪れますから』と。


哀しみ、孤独、寂しさ、つまらなさ、無感動、ひとりぼっち、不安、疎外感。 原因は、つながりや関係、絆に、結びつきです。

仏教はその結びつきを、関係そのものを心といいました。そんな心を、心のままに解放することで、自分というとらわれをなくすこともできる存在であることを、釈尊ブッダは伝えたかったのです。

結びつきによって、今の私の寂しさやつまらなさという原因があるなら、逆にいえば、自分はそれだけ、寂しさやつまらなさで、自分以外と結びついている結果のはずです。

壁は自分自身の中にあります。

欲望や執着とは、その繋(つながり)が咲かせる泡のようなものです。

華厳五教章という仏教書に、「心に寂しさやつまらなさが生じたとき、必ず、心が無性であることで、寂しさや空しさが生ずるのです。欲得や執着は、本来無性という海の表面の波のようなものです」と。

自性即ち無性なることを悟れば、すでに戯論を離れていると。

無性に怒りがこみ上げてきたり、無性に可笑しかったり、無性に苦しかったりと、無性に楽しかったりと、心は、無性ゆえに作用されるものだからです。

その怒りや苦しさ、楽しみや可笑しさを、持ち続けないで、一時一時受け流していくことこそ、老いたものの人生経験という宝物です。

それは、悲しみは悲しみのまま、楽しさは楽しさのまま、一刻一刻生きることこそ、欲得や執着を否定するのではなく、欲得や執着こそ、どんな時にも、人は自己以外と繋がっている絆の確信であり、生きる力そのものだったのです。

感謝とは、その繋がりの表現であり、自分に振り向けた廻向だったのです。「有り難う」と。

孫の嫉妬(しっと)
昨年の9月始め、孫をさずかった。

見ているだけで、幼子は可愛いものだが、自分の孫であることは、成長がつぶさに見れてさらに可愛い。

10月のことだった。孫の母親が、保育所に子どもを迎えに行ったとき、よその子どもに視線を注ぎ声を掛けたのだろうか?

孫の様子が突然に変わったらしい。詳しいことは聞いていないが、その様子を想像するだけで、喜んでしまう。

そして、息子から「子供が嫉妬をおぼえた」と報告を受けた。

嫉妬、自然なことだと、その意識を体験した子どもには、まだまだ理解できないことだ。

子どもと母親は一体、深く注いでくれている愛情を一身に受けている子供だったはずだ。

信心銘という文章には、「能は境によって能たり。境は能によって境たり」とある。

能を子どもに書き換えてみれば、「子どもは母によって子ども。母は子どもによって母」と読める。

子どもの根拠は自分にはなく母にあり、母の根拠は子どもにあり、共に、自分自身には母も子も根拠がない存在を一心同体という関係だ。

信心銘は、能を平等や自己に、境を差別や他者に置き換えるのだが、母は、妻や子ども、友達や仕事をする姿になることが子どもには理解はできないからだ。

「孫が嫉妬をおぼえた」と聞いて、そうか、人間はこの頃から嫉妬をおぼえはじめるのかと知らされた。

そして死ぬまで、ないしは死の近くまで嫉妬が発生する意識を持ち続けているわけで、自分の嫉妬に気づかないことは一生左右させられることになる。

嫉妬を理解してみれば、嫉妬は向上心やいたわりとして大きく成長する道具となる。

嫉妬がなければ、人は大きくなれないからだ。

仏教では、「煩悩そく菩提」と言うではないか?

親 家族という場所
親のことなど普段は考えたりしないものの、突如として考えなければならないことに遭遇するときもあります。

独立、結婚、親の突然の死と。

親は、子供の胸の内は、よく分からないものと、はっきりと言います。

それは自分のことも知りようがないと思っているからです。

自分のことを分かって欲しいと思う子供にとっては、親は「お前のためを思って、考えているから」と、親の欲求は親が死ぬまで子供という存在です。

ただ家庭では、何となくそれが分かっている場所なのでしょう。

お前のことは誰よりも分かっている。なぜならお前は、俺の子供だからだと。
その親も、本当は自分のことなどわからないのです。

ところが、子供が痛いと怪我をすれば、悲しめば、親は自分を忘れて子供の痛み、悲しみになれる存在です。

ところが親はそんな存在であることをわかっていない。

そのことに気づけば親の中で、親という居場所なくなるのに……

親のカラを飛び出して、子供含んで自分の存在はあるという、子供の行為すべてが実は親自身の姿であるのに、それを理想としたりすることで、また親の所有欲が出てきます。

親にとって、子供は無二、二つと無い存在です。

ただそれだけ。なぜなら親の根拠だからです。しかもその根拠はないところに親は居るのです。

ただ家庭では、何となくそれが分かっている場所なのでしょう。

お前のことは誰よりも分かっている。なぜならお前は、俺の子供だからだと。
その親も、本当は自分のことなどわからないのです。

ところが、子供が痛いと怪我をすれば、悲しめば、親は自分を忘れて子供の痛み、悲しみになれる存在です。

ところが親はそんな存在であることをわかっていない。

そのことに気づけば親の中で、親という居場所なくなるのに。

親のカラを飛び出して、子供含んで自分の存在はあるという、子供の行為すべてが実は親自身の姿であるのに、それを理想としたりすることで、また親の所有欲が出てきます。

親にとって、子供は無二、二つと無い存在です。

ただそれだけ。なぜなら親の根拠だからです。しかもその根拠はないところに親は居るのです。

父 家族という場所
仕事が好きだった。生活の土台でもあるのでしょうが、それ以上に仕事が好きだった。

仕事の中味に誇りを持っていたことがうかがえます。

当然、子ども達にとっては、仕事を抜いた父に接していたことになるから、「お父さんは、どんな人だった」と聞くと「頑固!」といった。

「こうなることだったら、もっと話をしていればよかった」という。

「父親と面と向かって話すことも照れる」とも。

そう、頑固って家庭の中の父親の居場所のような気がします。

家庭って、本当はみな違う意見を持っているのに、その違いをそれぞれが容認している場所でもあるようです。

その特色は、違いが分かっていてもその違いを攻撃したり非難したりしない場所として、有ってないような、無いようでいて有る、矛盾した場所のような気もするのです。

だから家族のコミュニケーションも、無いようであって、有るようでない。

家族それぞれ別々の方向に向かう起点なのか、これも矛盾している場所。

落ち着くと言えば落ち着くし、ひょっとして渾沌とした場所なのでしょう。

子供が親に叱られて、出て行けと言われ、出て行ったけれど、戻るに戻れないにもかかわらず、戻ってくる。

親は怒っているにもかかわらず怒る自分を見つめ、受け入れる自分を受け入れる。

そんな場所の中の父親も、もともとは子供だったし。

世代が代われば爺さんや婆さんとなって運がよければ死んでいく場所でもあります。

三途の川
三つの道と書いて、「さんず」と読みます。そして三途の川と言えば知らない人はいないと思うのですが、最近の若い人が知っているか、聞いたことがあるかはわかりません。

もっとも、妖怪ウォッチぷにぷにというゲームがあり、地獄のエリート番犬で、三途の犬というキャラクターもいますので、地獄にいたる道、あるいは川には、この番犬が地獄を守っているだろうことぐらいは知っているでしょうか。

ちなみに、連続ドラマで、『あまちゃん』で、潮騒のメモリーのバックコーラスは、SANZU RIVERと歌っていました。
皆さんはご存知であろうと思うのですが、この三途の川は、この世とあの世とを隔てるものです。当然、この川岸は広く深いので泳いでは行けませんから、舟や橋が必要と思うのです。

伝わり読むところによると、平安時代末期までは橋もあったと聞く賽の河原でしたが、その平安末期以降は、舟で渡るという方法が主流となったようです。

しかも、この舟に乗るにもいろいろと準備が必要ですし、その前にこの河を渡るためには、お二人のお年寄りの面接を受けなければなりませんでした。

一人は、奪衣婆(だつえば)という名で、六文銭を持たされなくって、たどり着いた死者に対し、衣服を剥ぎ取る役目を負った内面に厳しさを秘め、年令は常識では数えられないほど重ねた女性でした。

しかし、この奪衣婆は不思議なことに、江戸市民が文化的に豊かになると一種のブームが湧き起こって、賽の河原から離れた都市のお寺に祀られて、閻魔大王共々信仰の対象となった時代もあったのです。

豊かにはなったけれど、心は苦しかったのではないでしょうか。

もう一人は、懸衣翁(けんえおう)といって鬼の様相をした、これも年齢不詳の鬼の翁でした。

彼は、奪衣婆が奪い取った衣服を、衣領樹(えりょうじゅ)という大きな木の枝にかけ、その重さで死者の罪の深さを測ったといいます。

その罪の深さという重みによって、賽の河原である三途の川を渡る場所が決まり、川の流れの早瀬や深瀬に渦をまいた場所などが決まるというのです。

さて、賽の河原といえば、さらにもう二組の登場人物がいます。

それは、親に先立って亡くなった子供と、その子供たちを救うお地蔵さまでした。

親から見ると、先だったという子供の親不孝が告げられ、その報いとして苦を受ける因果の法則なのです。

今の時代から考えれば、親の勝手というか、親の論理でものごとを考えることから、子どもは親の所有物という時代だったのでしょうか。

必死に泣く早死にした子供は、時代背景を背にしてですが、遺された親の供養のあかしとして、両親への想いを心に篤くして、河原の石を積み上げるのです。

そこへ鬼が出てきて積んだ石を崩してしまいます。幾度も幾度も子供たちは親の面影を浮かべて石を積む、そんな姿に親たちの苦しみがあるということなのでしょう。

早死にの親不孝の子どもの、親孝行に支えられて生きるご両親も、苦しいことでしょう。

しかも子供にして見れば原因があっての別れであるにもかかわらず、子供から遺された言葉は、河原の石を積む姿しかないのです。

賽の河原の舞台で、子どもの心を救済するのは、すべてお地蔵さまです。それがたとえ「報われない努力」にしても、ただ積むという行為に、子どもの今があるような気がいたします。

幼子は母親や父親など保護者に依存しています。

幼子の沈黙の言葉を代弁すれば、「お母さん、お父さん」なのでしょうし、泣き声です。

子どもの言葉が聞こえない意味があるとしたら、叫びや表情なのでしょうし、叫ぶ子どもの心には「お母さん、お父さん」という響きが一杯となっています。

その見えない声を消すことができるのは、お地蔵さまだったのです。何故なら、お地蔵さまこそ、お父さんやお母さんの化身だったからです。

こうした物語や意味は、民間伝説だと言うけれど、一言で片付けられないのは、人間の死後の恐れがもつ宿命のような気がするのです。

さて、その三途という意味は、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)という世界です。

また、三途の川は、人が亡くなって渡るイメージが強いのです。

三途の川は川の流れですので、川自身が地獄・餓鬼・畜生なのではなくて、この川はこの世とあの世を区別する時間や距離であると考えるのが正しいでしょう。

そして人が亡くなって、その三途の川を渡るというイメージの意味は、死んでから渡るという意味ではなく、生きているうちに、知らずに犯している、地獄・餓鬼・畜生の世界を表現しているのでしょう。

これは、彼岸という岸にスポット当てていますが、相対するこちら側、此岸を逆にスポットを当てたものです。

しかも、六道に輪廻するという言葉があるように、三途というに地獄・餓鬼・畜生に、阿修羅・人間・天上という三つを足したものが六道という此岸の巡礼の道をも現しています。

さらにこの(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)六道は、一つ一つは別々のものではなく、それぞれ私達の心の状態を指しているようです。

現実と心の状態とのギャップを表現したものです。

これらはまた、希望、願望、切望、欲求、うぬぼれ、自慢、思い込み……と心の渇きから繰り返します。

地獄とは、もがき苦しむ正にそのものの状態をさすと言ってよいでしょう。

「……が、たまらなくしたい。……が、どうしても欲しい。」と、いまだ実現しない状態です。

そのもがく苦しむ状態から、抜け出そうと必死になって無理をする状態は、餓鬼そのものです。

そうするともう他人なんか見えずに、おかまいなしに悪いことまでして、人を蹴落とし、抜け出そうとする状態を畜生と言ったらよいのでしょう。

さらに阿修羅となると、その欲求を抑えることが出来なくて、暴力をふるって、人に危害を加え、悪知恵を働かして、人を虐げます。

そんなことをして目的を達し、やっと、落ち着いたところが人間で、ホッとした所ですが、それはすぐに転落するものを含んでいる世界です。

そうすると、人はうぬぼれて、今度は自分が見えなくなり、つまりは、固定的な観念に陥ってしまいます。

それが天上で、しばらくすると、「何で私が受け入れられないのだ」と、地獄に逆戻りです。

六道の一つ一つは、それぞれが五つの道を含んでいるから、すべてが繋がっていると言えそうです。

この現状にたいして、仏道とは、この連鎖を断ち切る行為なのだと思います。

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彼岸です。
明日からお彼岸です。菩提寺を持っていらっしゃる方々にとっては、年に2度訪れる季節となります。

陽岳寺では、副住職が修行道場から下山してより、年に2回、この彼岸の中日に、檀信徒に法要を誰もが参加できるようにと行っています。

もっとも、彼岸法要は、それ以前から行っていました。毎回内容を変えながらが信条ですが、彼岸というテーマにしぼられるため、難しいのです。

秋季彼岸法要は、三大樹の内容で、この秋復活します。

彼岸というと、彼岸に到るで、「到彼岸」です。

般若心経には、「往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。
と、、南禅寺の元管長、柴山前慶老師が般若心経の意訳を書かれています。

般若心経 柴山全慶老師
心という、心性の自在を観察し得(う)る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみ執(とら)われないから、一切の苦厄も障(さわ)りとならなくなってしまう。

真実求道の人々よ。

この世にありては、物も心も悉く、実相の姿に過ぎないのだ。故に千差万別の世界も、そのまま真空妙有の相(すがた)に外(ほか)ならず、一切のはからいを超える処に、真実の悟があるのである。

道を求むる人々よ。

一切のものは何一つとしてそのまま、永遠(とわ)の生命(いのち)、久遠の実在ならざるものは無いのだから、生まれたり滅びたり、垢(けが)れたり浄(きよ)まったり、減ったり増えたりする如き分別(はからい)は、もとより少しも無いのである。

故にこの悟の上には、物も心も行いも、森羅万象尽く、有るが如くに見えて真実にあるのではない。どうして迷いの嘆きに苦しみ、悟の歓びに執われることがあろう。

そのまま天地の真源に立ち、光明三昧の生き通しなのである。

かくの如く尊き妙智は、万象の真源に徹し、一切の分別(はからい)と執着とを解脱しているが故に、かかる道理を体得した人々は、自ずから無位の真人となって物や心を自由に使いこなし、行住坐臥、心に礙(こだわ)りなく、したがって目前の是非、本末を過(あやま)ることがなく、心は常に大盤石である。

諸仏菩薩も祖師先哲も、この真空妙有の妙智を体得せられているが故に、世にたぐいなき真実の悟を得られたということができる。

されば、一切の分別(はからい)と執着とをすて、天地の真源に徹する妙智こそは、不可思議の力をもち、万象を包む光明であり、世に優れたる神秘をもち、たぐいなき霊力を働かすものというべきである。かくて世のあらゆる苦厄を浄化し安穏ならしむること必定である。

この故に尊い妙智の功力を人々に体得せしむるため、これを呪文として次の如くに説かれている。

往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。


苦海
平成22年2月頃に、「十一面観世音菩薩」と題して書いた文章。

そこで、紀州と伊勢で活躍した海賊衆が、江戸深川に建立した陽岳寺のシンボルをもう一度考えてみたいと思うのです。500年を超えて見守っている本尊の脇侍(わきじ)はお地蔵さまに毘沙門天です。

 ちなみにお寺に安置するご本尊は、たとえ仏像が違っても智慧と慈悲を表現するものです。ご本尊が変われば脇侍(わきじ=本尊の前立ちとして2体の仏像を安置します。三尊像ともいいます。)も変わります。

陽岳寺のご本尊は琵琶湖東の廃寺からお招きした十一面観世音菩薩です。大津の三井寺(園城寺)や京都清水寺と同じです。

この十一面観世音菩薩には、10種類の現世利益があると言われています。
1、病気にかからない。
2、すべての仏さまに受け入れられる。
3、金銀財宝、さらに食べ物などに不自由しない。
4、すべての怨敵から害を受けない。
5、国王や王子が、王宮で慰労してくれる。
6、毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。
7、すべての凶器によって害を受けない。
8、水死しない。
9、焼死しない。
10、不慮の事故で死なない。
 これは十一面観世音菩薩を信仰するすべての人の、この世での安楽への約束です。

現世だけでなく、また来世での利益も説かれています。
四種功德であり、
1、臨終の際には必ず本来の如来とまみえることができる。
2、地獄・餓鬼・畜生という苦しみのところに生まれることはない。
3、生死にとらわれない。
4、極楽浄土に生まれ変わる。

ところで、インドでは、バラモン教の神さまエーカダシャル・ルドラといい漢訳で十一面荒神と翻訳されています。無限の空間を意味し、苦しみや願いごとがあれば何処にでも出向く観世音菩薩の姿を替えた化身だそうです。

観世音菩薩、頭部に深き願う思いとする、十一のしるしを掲げるは、心の根源を突き止めたあかしとして、正面の三面を菩薩面とし、それは穏やかな佇まいで善良な衆生に楽を施す、慈悲の表情を現しています。

向かって左の3面は、怒る瞋面(しんめん)とし、邪悪な衆生を戒めて仏道へと向かわせる、憤怒の表情をしています。
向かって右の3面は、角と牙をだしながらも、衆生に行いの浄らかさを励まして仏道を勧め、それを歓ぶ夜叉のような菩薩面です。
さらに後ろに一面があり、それは大きく口を開けて笑う面で、これは悪への怒りが極まるあまり、悪にまみれた衆生の悪行を笑い滅する顔を現しています。
そして最後の十一面は、頭部頂上に阿弥陀仏を安置し、どんな時でも今ここの平安をひたすら示しています。

総じて、すさまじい願いを持って突き進もうとする十一の顔があるのですが、最後の一面は、本体のお顔と坐する姿形は静けさにあふれて決して動こうとはしていません。

それは、私の父や母が生まれぬ以前の、私もない私の心を示しています。

湖東という場所は、戦乱に明け暮れ民衆がそれだけ戦火や飢饉、災害に命を投げ出し、交通の要衝でもあることから様々な人が流れ込んで治安が乱れ、混乱を繰り返していた苦海だったことが想像できます。

その十一面観世音菩薩が深川に鎮座して、84年を迎えています。繰り返しますが、陽岳寺の十一面観世音菩薩三尊像の脇侍は毘沙門天とお地蔵さまです。先にも申しましたが、仏教は智慧と慈悲です。

その智慧と慈悲を、毘沙門天は勇みを表現し、慈悲は情けをもって、下町の粋(いき)を表現していると考えています。純粋の粋(すい)という字は、下町では粋(いき)と読みます。

哲学者の九鬼周造は、『「いき」は苦界にその起源をもっている。そうして「いき」のうちの「諦め」従って「無関心」は、世知辛い、つれない浮き世の洗練を経てすっきりとあか抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒(しょうしゃ)として未練のない活淡無碍(かったんむげ)の心である。』と言います。

深川の歴史は、土地の造成と人工の流入そして多くの災害や戦火のなか、面々と受け継いでいる人間の四季と共にある苦海に咲くにぎわいです。

苦海ゆえに、純粋には生きることができない。純粋の純(すい)は混じりけがないからです。しかし深川は変わることを受け入れざるを得ないことから、純ではなく、純粋から純を取って、粋(いき)として、その意味は、そのまま・ありのままと読み替えて考えた智慧です。

漢和辞典には粋の意味として、「世態人情に通じて、ものわかりのよいこと。芸人や遊里の社会などの事情に通じ、動作が自然にその道にかなっていること」と記されています。

粋(いき)は、混じりけがない、欠けるところがないと、不純なものを追い求めてなくして純化するのではなく、自分を殺さず人を受け入れて、そのまま、ありのままという意味になります。

苦海とは、心の中にわき起こる怒りやねたみ愚痴、執着心と考えれば、智慧としての勇みは常に自分の心にわき起こるものに対してです。

また慈悲としての情けという活淡無碍の心は、他人他者(自分に相対する空間に時間、植物・動物・感情や意味、物・さまざま)に向かって生ずる心であり、他者をそのまま受け入れるものとなります。勇みによりとらわれがないことから、自由となり他者の声が届き、「勇み」の中に「情け」を含んで、「情け」の中に「勇み」を含むという、それが粋ではないかと考えています。
漁師町の「いなせ」「いさみ」に、木場あるいは佐賀町商人の「豪気さ」、そして、仲町と寺町の「なさけ」が熟成して、「いき」を創り上げた深川の十一面観世音菩薩の「侠気(きょうき)」としました。

 さて、この「いき」は、一人一人の心のはずなのに、この頃考えることは、集団にとっても当てはめることができることです。
考えてみれば勇みはとらわれに対するメスでもあるのですが、集団としてとらわれに向かっての勇みはどう働けばよいのだろうか。そして対である他者に対する情けは、集団としてどう働かなければならないのだろうか。

 もともと集団にとって勇みや情けなどないはずなのに、うらみ、いかり、嫉妬、ねたみ、傲慢さ、利益、貧困、格差、自らの理想を唯一とする理想とか崇高というものも含めて、これらとらわれにメスを入れる勇みや、人々の痛みに対する情けは、どう届けばよいのだろうか。
家庭や企業、地域や国、宗教として追求していくと、純という混じりけのないものとなって、それが歪んだ状態になっていることすら気づきません。

「人間にとって本来の混じりけのないものは何だ?」の問いは、私が生まれる以前の私の心へと向かわなければ答えは見えてきません。

それには、今私の心にわき起こる現象は、どこから生じてきたのかの問いにあります。苦海は集団のなかに発生し、一人一人の心にウィルスのように広がることを歴史から世界から見せつけられています。

人の心は他者によって相対的に成り立っている心を転じることで私となるため、私の外に変革を求めるものです。苦海は私の心にある幻想です。


愛語
山野草をこよなく愛したお年寄りがいました。彼女は語らないモノをして、語らしめる達人でした。彼女は、一人山々を歩き、山野草を見つけては、眺めていました。

山野草の、可憐な姿の、ぽつんとたたずむ意味は?

なぜ貴方は、日陰ばかりが好きなの?

人も通らぬスポットライトのような日向に淡い色となって生きて、花の形にどんな意味があるの?

不思議な形をした姿にどんな意味があるの?

誰の目にも止まらぬ姿で、なぜ群れをなしているの?

どうして高い山にだけ、風の強いところばかりに、水辺の所ばかりに生きるの?と。

不適応と考えるなら人間にも当てはまりそうですが、山野草にとっては自ら環境を選んでいるはずです。野草の弱さのゆえに強くと、彼女は野草に自分をかぶせていたのか。

選ばれて選び、選んで選ばれる、「そっと野に置けレンゲ草」……。

山野草をこよなく愛する意味を考えてみると、山野草の語る内容の純粋性に気付くことです。すると、人間の生き方も変わるということでしょうか。

彼女は、山野草が語ることを聞きながら山野草に同化していたような気がいたします。

探し求めなければ出会うことができない山野草は、心ない人が立ち入れば、手を加えれば加えるほどに、そっとしておけばよいのに。手が加えられ、環境が変われば消えてなくなることを思うと、まるで彼女の心も消えかけては立ち直って人の心のようです。

彼女の姿を思いながら、実は山野草だけではなく動物や魚、自然の生物も、聞いたり見たり感じたりして、語らしめることができると考えられないでしょうか。

語ることは、自分自身を含めて、必ず聞く相手を要します。そして、聞く、見る、感ずることにより、語らないものをして、語らしめることができます。

そんな彼女が、突然のように四十日間の入院生活になり、旅だって逝きお手伝いを致しました。亡くなった彼女の老後の慎ましさ謙虚さを知れば知るほど、自己に厳しく質素さの花が咲いていたと、逆に、彼女の強さが美しく輝きました。

否定を通して、否定の強さを手に入れられたのは野草に魅入られたからか。野草に対して自分をなくすことで、却って自分が際立ち喜びや野草の強さが自分のものになったような。

それは、山野草の前にじっと、坐禅をして、瞑想しているひと時を楽しむようです。日本各地の野草を訪ねる様は、まるで修行僧の姿のようです。

禅の古歌に「身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされて しばらくもとどめがたし」と。

そのありようは、自己も根拠にはならないことを示しています。命は、対象とする環境とともに、時間も変化し続けるからです。彼女は、対象である山野草に魅入られ、「この人なら」と立ち入ることを山野草に許された彼女でもあったのでしょう。

ご主人の旅立ちがあって、一人山野草を訪ねて日本各地を歩く母を慕い、誇りに思う子どもたちにとっても、老いの季節を重ねて咲く彼女という山野草は、ひっそりとした、与えられた環境に、見事に咲いていたと思ったものでした。

彼女は、「子ども達、孫たちの日常の生活に、迷惑を掛けない」ことを願っていました。

息が苦しく、「終わりにしてくれ」と娘たちに訴えました。「他人(ひと)の手を掛けるな、それが人にとっては一番楽なことだ」と、山野草のような響きとして聞こえてきました。

山野草にとって、彼女は選ばれた人でしたので、お互いにどんな愛語が投げかけられてい
たのか考えました。

禅の語録には、よく珍重(ちんちょう)という言葉に遭遇します。珍重するという古語は、特別な意味を持つように感じますが、禅語大辞典を引いてみると、別れを告げる常套句であり、「お大事に!」とあります。

さらに不審(ふしん)という言葉にも遭遇します。「はっきりしない」という意味を現代では使うのですが、禅語大辞典は、挨拶言葉で、「ご機嫌よろしゅうございますか」と、この言葉は共に、弟子から師匠にかわす篤い言葉だった意味を教えてくれます。

言葉である限り必ず対象があります。山野草から慈愛の心を起こされ、その慈愛の心が山野草を包む、ほめて憐れみ、愛おしく山や野に行けば、そこに自分の心地よい特等席が用意されていたのでしょう。彼女も、山野草への挨拶は、もちろん「不審」に、「珍重」です。

愛語は使えば使うほどに心が豊かになり、対象が気になり、気遣うこととなり、対象と同化して、自分がいなくなるものです。

その逆に他者への、うらみ言葉や、見下げる言葉、あなどる言葉、しいたげる言葉、追い落とす言葉、脅(おど)し言葉、怒鳴りつける言葉、だます言葉、もてあそぶ言葉、悪口、陰口、さまよわす言葉、うらやましさを表現する言葉……は、相手を傷つけ、怒らせ、怨みをもたせ、自分を傷つけ、殺し、良心から見ると悲しみを持たせます。

愛語は慈しみや悲しみという慈悲の心からでた言葉のことです。慈悲の心から出るのですから身体中に表現されるものです。

慈しみは、他者の心の安らぎを願う気持ちですし、悲しみは他者の心の痛みや寂しさ辛さや不幸を救済する気持ちです。

他者が世界が喜べば私も喜び、他者が世界が悲しめば私も悲しむ。他者や世界に包まれて包むというあり方を仏教は、これも縁起とよんでいます。

動物も魚も植物も昆虫も息あるもの、それだけではなく自然も愛語ばかりであると感じられるとよいのですが。

非難するのではなく、愛語で包めば天下国家の方向も変化させることができます。

至道無難禅師の、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉は、お釈迦樣の悟りの言葉です。

「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき仏国土というなり」と改めて、新年にあたり、布施・愛語・利行・同時という四摂法の愛語を考えてみました。