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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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言うものはしらず、知るものは言わず。
若かりしとき、修行の道場で、よく言われた言葉です。

意識は対象によってめまぐるしく活動して、思いもしないことが言葉で出たり、つい人を傷つけたり悲しませたり、だますことになったりと、嘘ついてしまうこともあるのです。

人間がため込んだ知識は、あくまでも知識であってそれが正しい内容なのかはわからないものです。

しかも、知識は忘れてしまったり、古ぼけてしまったり、変わらないものは何かと探し回っての旅は続きます。それも生きるということなのだろうなあと、切りがない。

新聞やニュースの情報も、伝え方によっては明日は違うと、心得るべきでしょう。それとも、今日は今日と、割り切っての知識か?

言うものとは、言わずと知れた知識でしょう。知識を誇るものですが、知識をいくら知っていても、そのことが人間として高みにあるとはいえない事実です。

人間がため込んだ知識は、つい喋りたくなります。速く使わないと時代が変わってしまうし、また忘れてしまうものです。

では変わらないものは何か?変わるものは何か?

昆虫や植物・動物を観察しながら、語っていることを見れば、日々に生きゆく姿、日々に死にゆく姿です。

しかも、体内ではそれぞれに活発な営みがおこなわれている。

人が亡くなって、何で髭が伸びるのか、爪が伸びるのか、色が変わるのか、骨となってしまうのかと、知るものは言わず。

では、語らせるのは、誰ですか?

問いは答処に在り、答えは問端に在り
ここ最近のことです。地域ではお年寄りの訃報に接することが多く、家族だけで、近親者だけで野辺の送りをすることが多くなりました。

しかも、送るそのときの人数の少なさに寂しく思うことがあります。

仕方がないのですが!

「そういえば、しばらく、姿を見ていなかった」と、思い出しては、多分、しばらく見ていなかった時間とは、自身の身体を心配する時間だった思っています。

訃報が入って気がつく場合と、訃報以前に、気がつくこともあるのですが、顔を見せては挨拶をしていたお年寄りの姿を見ないと気づくこともあるのです。

それが数年続くと、突然の訃報になって便りになることが多いのです。

忘れられるというのではないのですが、地域も身体同様に新陳代謝を繰り返していますので、いつもの風景とは、すべてを含んでいます。

つい最近も3人のお年寄りの訃報が届きました。

それぞれ、老いは自身の経験していなことばかり、身体の良し悪しで、心の良し悪しとなって、自宅に暮らし、病院に暮らし、施設に暮らし、どうだったのでしょうか?

世の中に、人口比率に、お年寄りがものすごいパーセントを占めているのに、結局最後は、家族だけで、近親者だけで送るだけなのかと、です。

1人、息子や娘が親を送る。あるいは近親者がいなくて葬儀社が仕事として送る。

そのぶん、お年寄りがお年寄りの智恵を磨く経験が不足しているような気もするのだ。社会も社会の智慧を磨く経験が不足しだしています。もっとも体験なくして経験の智恵などありませんが?

送られるお年よりは、老いが進んで、あるいは老いと同時に身体の異変で、身体が思うように動かなくなってと、身の回りは急に1人を意識するのではないかと思えます。

「問いは答処に在り、答えは問端に在り」という語があります。

人が年を取れば、人生とは問うことばかりです。ただ老いの問いほど、その問いの内容の奥には、「私」という問題が含まれてあるような気がするのです。

現実には、自分自身のことも究め尽くすことなどできはしないのに、それで、他を問えるのかと、辛辣な問いの連続です。

問題は、その他なのですが、身体の痛みや、脳を含めた身体の内部、子供たちのこと、病院の治療、金銭や年金、社会構造を含めて絡みあいながら生きている自分のことです。

答えのでない問いに、自身を問うことで、答えは自己の内に在るというのですが、「老いては身に従え」という、ことわざもあります。

身と心が一致することなど、問わなければ、一致に至ることもできないし、逆に問えば問うほど、わからないこともあります。

問い即答え、答え即問いの迷路は、老いの豊かさにもなるのですが、老いの辛さも含んでいるいるのではないでしょうか。

だから言うのです。「老いのページは、何枚めくっても、老いばかり」と。

でも、精神的には本来、心に老いなど在るはずはなく、一瞬一瞬の初めてのことばかり、くり返しもないし、自分自身への出会いは新鮮な出会いなのです。

老いも、死も、記録や記憶、歴史や宇宙までも含めて記憶です。ただそこに在るだけで記憶の因果です。

人が生きれば生きるほど、記録はふえるばかりですが、膨大な記録なゆえに、老いれば、欠落し忘れることが多いのですが、忘れることを恐れるより、思考して、考えて、出逢って、読んで見て、思考の回路を研ぎ澄ますことで、老いのページが豊かになることを知るのも、老いの楽しみです。

「俺は何を考えていたのだ。もっと、違う応えもあるはずだと。いっそのこと答えを出し続けてもよいし、迷宮の迷うの中に自分から踏み込んでもよいのです。答えなんかあるものかという応えを出すのも、老いの特権だからです。

時代の変化に翻弄されながらも、一人自分を保つことは難しいことです。縁に随う、随順しながら縁を換えていくことも応えです。

三途の川~お彼岸にて
三つの道と書いて、三途と読みます。そして三途(さんず)の川と言えば知らない人はいないと思うのですが、最近の若い人が知っているか、聞いたことがあるかはわかりません。

この三途の川は、この世とあの世とを隔てるものです。当然、この川岸は広く深いので泳いでは行けませんから、舟や橋が必要と思うのです。

伝わり読むところによると、平安時代末期までは橋もあったと聞く賽の河原でしたが、その平安末期以降は、舟で渡るという方法が主流となったようです。

しかも、この舟に乗るにもいろいろと準備が必要ですし、その前にこの河を渡るためには、お二人のお年寄りの面接を受けなければなりませんでした。

一人は、奪衣婆(だつえば)という名で、六文銭を持たされなくって、たどり着いた死者に対し、衣服を剥ぎ取る役目を負った内面に厳しさを秘め、年令は常識では数えられないほど重ねた女性でした。しかし、この奪衣婆は不思議なことに、江戸市民が文化的に豊かになると一種のブームが湧き起こって、賽の河原から離れた都市のお寺に祀られて、閻魔大王共々信仰の対象となった時代もあったのです。

さて賽の河原の伝説では、もう一人の登場人物がいます。懸衣翁(けんえおう)といって鬼の様相をした、これも年齢不詳の鬼の翁でした。彼は、奪衣婆が奪い取った衣服を、大きな木の枝にかけ、その重さで死者の罪の深さを測ったといいます。

その罪の深さという重みによって、賽の河原である三途の川を渡る場所が決まり、川の流れの早瀬や深瀬に渦をまいた場所などが決まるというのです。

さて、賽の河原といえば、さらにもう二組の登場人物がいます。

それは、親に先立って亡くなった幼子と、その幼子たちを救うお地蔵さまでした。

親から見ると、親より先に旅立ったという幼子を、親の悲しみが秩序に置き換えられて、幼子の親不孝と告げられ、その報いとして苦を受ける因果の法則となっています。

今の時代から考えれば、親の強い幼子への思いというか、親の論理でものごとを考えることから、幼子は親の所有物という時代だったのでしょうか。

必死に泣く早死にした幼子は、時代背景を背にしてですが、遺された親の供養のあかしとして、両親への想いを心に篤くして、河原の石を積み上げるのです。そこへ鬼が出て来て積んだ石を崩してしまいます。

何度も何度も幼子たちは親の面影を浮かべて石を積む、そんな姿に親たちの苦しみを、救う物語が、お地蔵さまと幼子の死の物語です。

早くして亡くなった幼子が、賽の河原で、石を積む。その姿を、死して親孝行を支える表現としたのでしょうが、これではお互いが苦しむ姿となるでしょう。

そこで、幼子にして見れば原因があっての別れなのですが、川原に石を用意して、河原の石を、積み木のように積み、繰り返し繰り返し、あきるまで積む姿を、幼子が無心に没頭する遊ぶ姿かも知れないと考えてみたのです。

積んだ石積みは高く高く、すると、積んだ石は崩れるものです。そこに、幼子の心を慈しむお地蔵さまが登場します。幼子は、無心、ただ積むという行為に、幼子の今があるような気がいたします。

幼子は母親や父親など保護者に依存しています。幼子の沈黙の言葉を代弁すれば、「お母さん、お父さん」であり、居てあたりまえの生活の中に、喚ぶ声でしょうし、訴える声でもあります。幼子の様子を、般若心経の中に「眼耳鼻舌身意無く聞く」と書かれています。

眼なくして耳なくして鼻なくして舌なくして、身なくして思いなくして聞くというのです。石を積み遊ぶ幼子の心には、「お母さん、お父さん」という響きが一杯となっています。この声は本当に、寂しい、悲しいと泣いているのでしょうか。

その見えない声を聞くことができるのが、この物語では、お地蔵さまだったのです。何故なら、お地蔵さまこそ、お父さんやお母さんの化身であったからです。幼子の心を、大きく包んであげることができると。

幼子は、恐いものは、身に降りかかる突然のビックリするもの、大きな音や、出来事、この世の中のことは知らないし、わかりません。これは知らないことを、何よりも知っているということです。ソクラテスに言わせれば、「無知の知」でしょうか。

純真無垢、生きることも、死も、働くことも、善いことも悪いこともです。だから、親は教えてあげるのですが、子どもは、今を生きる天才です。

その天才ぶりは、幼子の興味は、今・ここの一点にあり、三途の川を渡るという意識もなければ、かえってその川原で遊ぶ姿だけが象徴とされる姿です。

それに対して、大人や成人、お年よりの問題など、倫理や善悪、時間もないし、生きるもなく死もない。あるとするならば親の愛に包まれていることでしょうか。

そしてお地蔵さまとは、ご両親の代わりに、今ここを、幼子と一緒になって遊ぶ姿として、ご両親の化身としてみたのです。

考えてみれば、この賽の河原の物語は、大人が創作したものですが、見方を変えれば、大人となって成長しても、大人の中の幼子の心を考えさせられるものとなり、問いかけを持つことを説いているように思えるのです。

慈悲するうちは
禅宗の教えとは、お釈迦樣の悟った心のことです。

その内容は、ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもって表現するものです。

私たちの普段お生活は、姿形を気にし、居場所やより所である思想にこだわり、わき起こる思いによって時間を過ごしているといってもよいでしょう。

この無相にして無住、無念という悟りを、お釈迦樣は二千五百年前に、菩提樹の下で、悟ってより以降、生涯にわたってこの一心を伝え、今に語り続けてまいりました。

また無心とも、空とも、からっぽともいう、私たちの心の本来授かっている無境ともまた無性ともいえるものです。

しかも、この無性や無境という本来性を持っているからこそ、私たちは自由に変わることが出来るともいえます。

この心は相対するすべての世界を映す心です。無心となるが故にです。

私たちは自我の世界に於いて、私は私はと自我を認めて、自分の外に世界があり法則がありと錯覚している生活。

仏教から見れば、それはすべて迷いです。

静かに、相対的な世界に心が動かされている自我の姿を観察してみれば、自我とは現象に過ぎず、本来、自我というカタマリはもともと無かったと悟れることができます。

ただ現象として心が騒いでいるだけで、無相にして無住、無念であることに気がつくば、すべての存在が、そっくりそのまま本来の自己である悟りとして、証することができるはずです。

言い換えると、無心にして悟りの生活であるにもかかわらず、自我の迷いや、とらわれとして活きるのが衆生であり、自我という迷いの生活が、そのまま、そっくり悟りの生活であると悟ったのが仏であるといえるでしょう。

無相にして無住、無念であるからこそ、一瞬一瞬、相を持ち、住をもち、念を持つことが出来るとも聞こえてこないでしょうか。これも現実の有り様です。

仏が本当に仏になったときは、無相にして無住、無念の鏡のような心の映すことから、心に写すすべてに同化します。本来の心とは、自分が無い状態ですので、自分は仏であると知ることもないのです。

人が活きる一瞬一瞬の自己を、一段階一段階悟って、自分のものとして、釈尊仏陀は、自らをより所としてと、宣言しました。この法をより所としてとも、宣言しました。この過程を修業と言います。

妙心寺派和尚に連なって有名な至道無難禅師の言葉に、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉があります。

この、「慈悲するうちは、慈悲に心あり。慈悲熟くすとき、慈悲を知らず。慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり。」という言葉こそ、お釈迦樣の悟りとして、ひとつの相にこだわらない無相。

一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念をもつことを現すものです。

心は、対面する出来事やものに応じて、縁に随ってという形を現ずるものです。

その形として現れたものを、現れたままにすることで、とらわれの中でとらわれない行為を実践とするという意味になります。

お釈迦様は、この一心を悟りました。

「若し人が、あらゆる世界を含んだ三界という、無相、無住、無念という仏を知らんと欲せなば、まさに、三界の一切は、おのれ自身の心が造ると、観ずべし」と、説きます。

三界には今混迷を深めている三界もあり、その混迷を超えた三界もあり、この二つが絡みあって、自分自身の問題とすることで、真実の現実の姿を写してくれます。

自分自身の問題の一つが、「家族するうちは、家族に心あり。家族熟くすとき、家族を知らず。家族して家族知らぬとき、実在の家族というなり。」とも言い換えることが出来ます。

日本国を例に取れば「国するうちは国に心あり、国熟すとき国を知らず、国して国知らぬとき仏国土というなり」と。

仏とは対象とするものではなく、現実の有り様ということになります。

さらに、「三界という世界の中で、三界するうちは、三界に心あり。三界熟くすとき、三界を知らず。三界して三界知らぬとき、仏というなり。」と、仏教のとく法という世界に暮らすことになります。

もう一度言います。三界とは、迷いの三界、思いの三界、思いでの三界、希望や願いの三界は、未来の三界は、あるがままの現実という三界であり、家庭や学校、会社、地域や、国としての三界……そして悟りの三界も含まれます。

その三界の世界とは、人が、過去・現在・未来にわたるすべての出来事や在りよう、また、世界の真実は、たった一人の私が思い描いて、ものに応じて形を現ずるにすぎないと訳すことができます。

そのゆえに、過去・現在・未来のすべての真実を知りたいと思うならば、自分自身の心を探れという強い言葉です。

「三界はただこの一心に含まれ、この含まれた心のほかには、法というものは一切ない」と断言されています。そして、見極めてみれば、「心、仏、及び衆生の、この三つはすべて一心であり、もともと分かれていない」と。

この三界は迷った目で見れば迷ったままの世界に写り、悟って気づいたものから見れば輝かしく光明に包まれた世界ともなります。

そして人はこの三界を出ることも出来ず、三界を知ることも出来ない。仕事して仕事知らぬ世界を、心して心知らぬ世界、三界の世界など思い描いた世界だと心に浮かべてみても、それも三界の世界でのことであることを知れば、無限にして極小、過去現在未来という時を超えた世界こそ、お釈迦樣の無心な心が悟った世界です。

そこから、お釈迦樣が語った言葉は、「三界の衆生は我が有なり、我が存在なり、我が子なり」と、言及されたのです。

お釈迦樣という悟ったものからすれば、すでに、自分がないのですから、他者を含めてというところに自分が見えてきます。

だから言います。「衆生病むが故に我もまた病む」と、他者を傷つけたり痛めたり、嘘を語れば、自分を傷つけ痛め、自分を分離することになります。

人を殺せば自分を殺すことになります。

もともと自分が無かっただけに、このことに気づくことを修業や祈りとすれば、気づくことで、私が生まれる以前より救われていたことも表現するものです。


クレヨン
幼かったころ、広告紙や包み紙の裏側にクレヨンで絵を描いたものです。

12本が基本のクレヨン、少ないと思ったこともなかった。

大きくなるにつれて20本、36本、調べてみたら世界では500色というのもあるそうです。

どんな絵が画けるのか、おどろきです。

箱の中には、小さくなったクレヨン、いまだに使われないクレヨンと、さまざまだ。

一本一本同じ色はないが、ケンカもせず、非難もしない。

12色、20色、36色、500色とクレヨンの世界は、色が違っていても一つの箱(世界)に治まっている。

人間だけが、箱に治まっているのは同じだが、どこかの行こうと、反目している。

鼻で飯を食う
お年寄りが言った言葉が気になって、調べてみたのですが……わからない。

「鼻で飯を食うとお金持ちになれる」という俗諺があるそうだ。

まさか話しの真偽を確かめたくて、食べ物を、飲み物を、本当に鼻の孔の中を通して、食べるではなく、吸い込むなど、してはいけません。

これは、鼻をつまんで、食事を食べると、食感がなくなり、食の感覚が鈍るのでしょうか。

美味なもを追いかけず、素の者を食べることでお金持ちになれるという故事なのでしょう。

家族葬
家族葬という形の葬儀が増えてきました。

家族だけならば、遠方からでもご遺体を陽岳寺に搬送することができます。

本堂内の正面、本尊様の前に棺を安置して、親しく水入らずで本堂から送ってあげることもできます。
日頃からお参りしているお寺の本堂です。

知らない場所より住まいの延長である場所として、使用することをお寺にご相談下さい。

リンクしてみました。
安心亭http://homepage2.nifty.com/anjintei/
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命の中の争いは幾度となく繰り返す。
逆に言えば、もともと無相にして無住・無念という心を持っているために、私たちが誰かを殺そうと思えば殺せるし、正義のために悪を滅ぼすこともできると悟ったのは釈尊でした。

この壊れやすい身体と意識は、何かの衝撃により襲われれば、身心はもろく、殺されることとなる。

だけれども、これを霊魂といってよいのかわからないが、命と命の集まりである世界という生命の集まりであるものを霊魂と呼べば、どんなことをしても、その霊魂は殺すことはできない。

殺害され抹殺された一つ一つの命は、強さや弱さ、運があったり無かったり、力や非力だったがゆえにその体を失うともいえる。

しかし大きな霊魂という命は、怒りやねたみ、恨みを晴らさずにおくものかと輪廻の鎖となって互いに復讐を繰り返えす。

これが命のそして、すべての生命の原理なのか?

私たちが、怨みや人をだまそうと抱きながら生きると、私たちの歩みも怨みや醜い生活となる。

汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想は、さらに汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想を作る。

すべては、いかなる現象さえも、私たちが創造して起こしたものである。

無相にして無住・無念という心の造りだしたものにとらわれるからだ。

本来無相にして無住・無念という何にも汚されない心を持っているのにです。

無と有の対話
ずっと以前に有から、親族のことで、いざこざがあると、聞いたことがあった。

ある日のことだった。また有と会った。

有に、「その後、落ちつきましたか?」と聞くと、手で胸からお腹を指し「あちこち手術をして」と言った。

「良性ですか?」と聞くと、「悪性でした」とつぶやいた。

すこし沈黙のあと、顔色を見ながら「薬は?」と聞くと、「少しですが飲んでいます」と言う。

でも笑顔がただよっているので、「ガンは人間を生きていることを考えさせるでしょう?」と言う。

「そうですね。何だか世界が変わったような」。

「今まですべて時間に追われ何かに追われながら、振り返ることもなかった、見つめることもなかったものが、見えてきましたか?」

「感情が豊かになったような……」

「今まで考えもしなかった命の近さ、何気ない自然や人の人間の行為が見つめられる機会を与えてくれるますか」と言うと、

「そうですね」と笑顔で話す。

「そしてまぶしさや輝きが新鮮に自分を覆いませんか」と。

肯く有。

「ガンからそんなものが与えられるとは思わなかったです……」と。

「ここまで来るためには、辛かったことが多かったですね」と。

有は「有り難うございました」と帰って行った。


無は、「私は、自分の心を識らない」と、有に言った。

有は、「私は、自分の心ばかりが見えるのです」と、無に言った。

無は、「私も、以前は、あなたと同じようにあなたと同じでした」と告げた。