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人は他の人を害してはならない。

2008/06/14 10:08

人は自分よりも愛しいものを見いだすことを得ない。だから自分以外の人を害してはならないと、釈尊は言いました。

誰でもよいと人を刃物で刺す若者がいる。 バーチャルゲームの世界での格闘に、彼は、ダガーナイフで何度も人や獣たちを殺した。

またその世界で、彼は何度も何度も殺された。

しかし、生き返っては、何度も何度も、人や獣たちを殺すことに挑戦した。

その先には、次のバーチャル世界があるから……

やがて彼は、死ななくなった。

いや死が怖くなくなった。バーチャルの世界に死はないから。

バーチャルの世界に没入して、モニターの中に、人が暮らす世界を夢見ているのであろうか。

バーチャルの世界から出れば、彼の暮らす床に、使わなくなった箱が散乱している。

そのモニターの中に、彼の一挙手一投足の事実を、必死で現実に向かって書き込む。

まるで愛しいものを見いだすことのできない者のように。

現実と繋がっているはずのバーチャルの世界はシーンと静まっている。

キーボードを打つことで繋がる世界と事実のあいだに、現実は、彼に行動を起こさす。

それはバーチャルの世界を消し去ること。

そして彼の現実は、バーチャルの世界と変わらぬ世界が現れる。

彼のバーチャルの世界で残された言葉は、「時間です」が最後の言葉だった。

バーチャルの世界では、人は、人を愛することができない。

コーサラ国のパセナーディ王はマリッカー夫人と、高い塔の上に登って雄大な眺めを楽しんでいました。

そこで、王様は、夫人に聞きました。「あなたは、自分自身より愛しいと思われる者があるか?」

しばらくの沈黙の後、夫人は優しく正直に、こう答えました。

「私には、自分より愛しいと思われる者は考えることができません」

王様は、最愛の人からの「何よりも、あなたが愛しい」という言葉を、期待していたのです。

しかし、王様は、その言葉の重さを愕然となりながら、その意味を正しく受け止めてました。

今度は、夫人が王様に聞きました。

「王様は、ご自分よりもっと愛しいと思われるものがおありでしょうか?」と。 王様は、静かに答えました。

「私も、自分自身よりも愛おしいと思うものはない」 と。 この話を聞いたお釈迦さまは、深く首肯(うなず)き、次の詩を説かれた。 「人の思惟(おもい)は、何処へも行くことができる。 されど、何処へ行こうとも、人は己れより愛しいものを見いだすことを得ない。 それと同じように、すべて、他の人々にも自分はこのうえなく愛しい。 されば、 おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ」と。

彼は、自分を愛しいと思ったことがあるのだろうか。

彼は、このことすら理解できていなかったのではないか。

そういえば、彼は彼自身が必死に働いている姿が見えなかった。

彼に見えたのは、働いても得ることが少ないことだった。

彼は、持っていないものばかりが見えて、得ることにとらわれたのは、バーチャルの世界でであった。

彼のバーチャルの世界で残された言葉は、「時間です」が最後の言葉だった。

石川啄木は、苦しかった生活に、じっと手を見た。

彼には苦しかった生活はあったのだろうか。石川啄木のように、手を見ただろうか。

あったのは、仕事と仕事のあいだにあったバーチャルの世界。

彼のバーチャルの世界で残された言葉は、「時間です」が最後の言葉だった。

確かなことは、その後、彼のバーチャルの世界は、現実になった。

もう、バーチャルの世界に、彼は住んでいないということ。
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電話

2008/06/04 10:34

息子が僧堂に行ってから、1年と2ヶ月が過ぎた。その息子から電話があった。4・9日で外出を許されたらしい。

公衆電話からの声に、街角のざわめきがある。

「元気かい」「元気にしている」「何か欲しいものは?送って欲しいものはあるかい?」「今はない!」

僧堂に入門していると、やはり、家族の声を聞きたい。聞くだけで安らぐのだろう。本当は逢えばよいのだが、そうもいかない。

「老師が齋會(さいえ)に出かけるときは、お供に○○さんが多い。大事にされている」と聞いた。

その○○さんは、本山のそばの大きな寺の跡取りだ。

大きな寺の跡取りともなれば、僧堂を出て、副住職としても、住職としても、それなりの見識や押し出し、黙っても風格を持たなければならないのだろう。 まして道場のすぐ近くではなおさらだ。玉を磨かなければならないと想像がつくが、3年や5年でそれを身につけるには大変だと思う。でも基礎だけは植えておかなければならないのでしょう。老師も大変だ。

私が息子に、僧堂生活で望むものは、分け隔てない心。決めつけない心。他者をいたわる心。自らを律する心。自分を見つめる心。禅を習う心。想像の豊かさときりがない。

すべて私に欠けているものだから。

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