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メロディー

2009/04/11 22:08

ルイさんへ。

虹の彼方のトップに、メロディーを流しました。

このメロディーは何年前のものでしょうかね?

あれから曲は作っていません。でも、苦労して作った曲だから、捨ててはいませんでした。

以前、お便りを頂いた方が、ホームページを開いたときに、この曲が流れていやされたとメールを頂いたことがありました。

でも人によっては、繰りかえしてうるさいとも(^_^;)

それから、水軍のところにも、曲を入れました。

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2009/04/07 14:51

 今年もまた、桜の季節を迎えた。お寺の前の公園の桜を見るだけだが、この桜、数年に一回はある工事で、枝を切られ、根を切られ、排気ガスにさらされ、犬や人間のおしっこに汚される。それでも、幹は荒々しく、枝は大きく広げ、根は貪欲に時たま地上に顔を出すが、地中を横に這う。

 夜には、若者たちが恋に戯れ、あるいは、別れ話を聞くこともある。人の怒鳴り合う声や、喧嘩などもあるかもしれない。酔っぱらった人間がベンチに寝ていることもある。

 この染井吉野は、自分が60年という寿命を知っているかのよう……。そういえば、昔、平安頃の貴族たちは、桜を塀越しに見る、奥ゆかしさを持っていた。

 「自然に、あるがままに生きる暮らすのが理想というものです」と、人は言うが、その桜の老いの姿を見て、春夏秋冬の季節のきびしさ、避けることのできない風雪に耐える姿、枝や幹が折れ、日に照らされ、火に焼かれ大地に留まることの意味をかみしめながら、それが自然に生きる、あるがままというなら、私たちには、自然に、あるがままにとは、過酷な試練を試練とも思わない心が必要でしょう。

 老いた幹に苔が生え、鳥たちが幹をつつき、枝を揺することにさえ我慢ができないでしょう。まして、森や林の中に在るとすれば、生き残ることを考えれば、他の木々と共生する思いは無縁なものです。それでもあるがままに生きるとするなら、自然のままに暮らすというなら、人間をやめますか、支え合うことをやめますか?

 そんな自然の中で、町中で、木々の老いを探し、そして見つけたとき、人はその木に宿った猛々しい精霊を見つけたように思うかも知れません。

 本来、人もそのように生きているのだと思います。しかし、自然に、あるがままにのようにではなく、支えられ、与えられ環境の中でです。

 今年も、人間は饗宴を繰り広げるが、桜は、意に介さない。

2009/04/03 09:13

龍おたずねの龍は、京都在住の中村陽一氏の作品です。

氏は関西を中心として作品を発表しています画家です。アクリル水彩を得意としてるのではないかと思います。

この龍の作品は、妙心寺総門を描いて、妙心寺山内上空を外護している龍を描いています。

妙心寺法堂の龍が、外に飛び出し、山内はおろか、妙心寺派の仏法を外護するものですが、外護しないものに対するものも含まれていると自戒しています。

なお勝手に、妙心寺派の宗旨を説明すれば、宗祖関山慧玄の三転語を忘れないと言うことではないでしょうか。

?「本有円成仏(ほんぬえんじょうぶつ)なんとかして迷倒(めいとう)の衆生となる」

?「慧玄が這裏(しゃり)に生死(しょうじ)無し」

?「柏樹子(はくじゅし)の話に賊機(ぞっき)有り」

 この三転語を眼にすると、自分に突きつけられたような気持ちがします。しかし、妙心寺のホームページには、この言葉に関する言葉は一切記されていませんでした。生活信条とかはあるものの……です。

そして、開山無相大師の最期の教え「請う、其の本を務めよ」と、開基花園法皇の「報恩謝徳」の聖旨による仏法興隆を実践する教団といえばよいのでしょうか。

龍が足でつかむ玉を持つゆえ、龍は天に昇り、河に遊ぶこともできません。

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