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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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夏が終わったか?
昨日、息子が帰っていった。
たった、二泊三日のことだったが、「これ以上いると、帰るのが辛くなる」と言った。
私には、しみる言葉だ。
40年前弱前の、私の修業時代。京都は南禅寺僧堂では、一年目は一週間、二年目以上は2週間の帰郷を許されたものだ。
それは、雲水が専門道場にいると、食い扶持がなくなるということで、積極的に、僧堂は、夏場、雲水を減らしたものだった。
鎌倉の円覚寺僧堂では、3年から4年目は、いまだ一人前とは数えられないのか、春と夏に、二泊三日の休暇が与えられることが、前例となっているようだ。
我々の年代と話すと、「もっと、休暇を与えてあげれば」と、いちように言う。
我々の時代は、一年のうちに、夏夏(なつげ)と冬夏(ふゆげ)に、本格的な修行というメリハリがあった。
今は、一年を通してそのメリハリの幅が薄れていると思うのだが、1年をぶつ通しで、緊張の連続。
その分、一週間、一ヶ月、三ヶ月と、日常の中に、メリハリが納まっているということなのだろう。

「これ以上いると、僧堂に、帰るのが辛くなる」という言葉が、二年と五ヶ月修行した息子の残した心だ。
「三年間、修行道場に居れば、その後はお前が決めればよい」と聞いて旅立っていったのは、2年と五ヶ月前のことだった。
経ってみればあっという間の時間ではあるが、自分自身の気持ちは、ずいぶんと年老いたような気がする。
二泊三日に、息子は僧堂を去った先輩の寺を訪れている。
その先輩は,多年にわたり修行した大きな寺の息子だ。
彼から、「余り永くいても、意味を見出せなかった」と聞いたらしい。
しかし、修業時代から40年弱経った私は、「もっと修行していればよかった」と、懐かしむ。
確かに、外界と隔離された世界は異質だ。それも後半年で、父との契約は終わる。
その後は自分自身で、決めるだろう。
親としては、「早く帰ってきて欲しい」、「もっと修業に打ちこんで欲しい」だ。
これは、「差別と平等を、もっと究めて欲しい。慈悲心の出所を、もっとやしなって欲しい。深く澄んだ心から飛び出す行為を、もっと自由に使って欲しい。」と様々だ。
もうすでに、立ち振る舞いは、足早に歩く姿は、雲水としては年輪を見る。
「これ以上いると、帰るのが辛くなる」と言った。
息子を迎える私には、二泊三日は、立ち寄った時間だったが、夏が終わった時間でもあった。

ハチ
昨日、妻に「ねえ、招待するから、食事を食べた後、映画に行かない」と誘われた。
見た映画は、アメリカ映画で、ハチだ。
午後8時35分上映の映画は、観客が10人もいなかった。
妻が言うには、もうそろそろ上映は終わるとのことだった。
ハチが秋田犬だったことは何だかはじめて知ったことでもあるが、日本犬の表情は何とも言えない。
物語の筋を知っているだけに、最初から涙が止まらなかった。
手拭いとティッシュを持ってくればよかったと、すぐに気がついたが、遅い。
鼻は詰まるし、涙はショッパイし、人間は感情の動物であることを自覚した。
「飼い主が犬を選ぶことより、犬が飼い主の選ぶ」の言葉に、矛盾相即を思う。
そして、思い出す「犬に仏性が有るか、無いか?」の問いに、「そんなことを問える人間様か」と、情けなくなる。
飼い主の突然の死に、ハチは10年以上、自分が死ぬまで、駅で待ち続ける。
思い続けることが、人間だけの感情だとしたら、ハチの中には、何があるのか?
ふとわが家の犬、寧々子は一人留守番を仰せつかり、姿が浮かぶ。
これは物語であり、映画であるわけだが、そんな精神を持つことを願った。


1300年以前
1300年前より行われている式年遷宮の、日本民族はの歴史は、確か、皇統2600年以上ではなかったか。
1300年以前のことは、どうだったのか?
つまり式年遷宮はなかった。
すると持統天皇の時代、690年頃に何があったのか。
各地に出土する遺跡は、30万年、40万年以前の歴史か。
そこから、弥生時代を過ぎて日本統一というか、日本の国が意識されはじまるということだろうか。


式年遷宮

富岡八幡宮の丸山禰宜(ねぎ)が町会の寄り合いに、挨拶に来たのは一昨日の5日だった。

「昨年、深川は本祭りだったので、諸掛かりが多くと思い、来ることはできなかった」と、話しはじめた。

内容は、町会として、伊勢神宮の式年遷宮のため、寄付金のお願いだった。20年前の資料を持参してのことだ。

式年遷宮は、20年ごとに、伊勢神宮の本殿社殿を建て替えて、持統天皇の690年より、今に至る歴史がある。その総資金は、現在、500億円だそうだ。

全国に支部を作っている。支部の代表はおおむね商工会議所みたいだ。東京都にもその支部はある。その下に、各町村の区に分担の資金は分割されて、富岡八幡宮に割り当てられた資金は、1500万円。ちょうど3年ごとの本祭りにおける各町の奉納金に相当する額だ。

町会では、20年前に、係が、個別に集金した。だから、おおかたの町会員は知らないことだ。その以前の20年前は記録がない。

明年3月までに集めなければならない金額は、20年前に比べて約2倍ぐらいの金額の予定だった。

丸山禰宜の「伊勢神宮も、いち宗教法人となってしまった」と発言した言葉に、集めにくそうに、恐縮した思いと、屈折した思いが伝わった。

彼は、「伊勢神宮は、単なるいち宗教法人ではないはずだ」と、思っていることをさっしたのは思い違いか。

私も、宗教法人という言葉に、なぜか、なじめない。お寺・神社・鎮守・御所・お城・道祖神・ほこら、お稲荷さん、修験等々、たくさんの言葉として残っている自然・建物・構築物や行為が、日本に数多くある。それらを、何か、分類しなければと、宗教法人という言葉に、当てはめてみると違和感をもってしまうのだ。宗教法人という言葉ができたのは、昭和の戦後のことではなかったか?

役員会では、誰も、なぜに集めなければならないかの疑問の声はなかった。

さて、関東にいると、ご神体を移す、遷宮(せんぐう)という言葉に、遭遇する機会はそれほどない。

だけれども20年に一度の遷宮が、1300年にわたって、繰り広げられた歴史は、考えてみれば重い。690年以前は、どうなっていたのか知らないが、20年が式年となって、あの森の中に、日本という国、民族のよりしろが存在し続けていることは確かだ。

20年にどんな意味があるか知らないけれど、1300年という時間に、意味は消える。ただ、永劫にわたって続けられるだろう営みとしての意味を持つのだろう。

考えてみれば、伊勢神宮は、明治から、天皇制の象徴として、軍部や官僚が、自分たちの権威として利用してしまった、汚れた歴史を持つ。それは、利用した歴史の登場人物の問題だ。

お伊勢さんにとっては、何のかかわりのないことだ。

出雲とお伊勢さんは、日本書紀・古事記に登場し、日本という国の原点そのものだ。もし、廃墟となり、荒れ果ててしまった姿を想像すると、寂しく思うし、もしかしたら、日本という国が滅びた時かもしれない。そんな思いがする。

個人的なことだが、私が結婚した時、妻が「行ってみたいところは?」と聞かれたことを思い出す。思ったところは、伊勢と紀州の地だった。陽岳寺の水軍が伊勢と紀州の水軍だったことが大きい。



鼓腹撃壌(こふくげきじょう)

中国は周の時代の言葉に、鼓腹撃壌(こふくげきじょう)という言葉がありました。民衆は、いつも、お腹をいっぱいにして、腹づつみを打っていたということです。

政治が安定していることは、民衆が不安や心配ごとにおおわれることがなかった治世のことです。それこそ、政治家は誰が皇帝になっても、夕暮れ時になると、家々の煙がたなびいて、のどかな、毎日が繰り返されていました。

しかし、世の中が怪しくなると、鼓腹撃壌どころか、毎日の糧さえがあやしくなります。

それこそ、経済の発展こそ政治の安定に欠かせないのだと、でもそれは、過去の歴史が間違いであることを証明していないだろうか。

今回、初めて二大政党制政治により、政治が占われようとしています。民衆が欲していることは、一言で言ったなら、政治の安定ではないか。

ただし、政治支配者である政党の肥大化は、ごめんである。

まして一党独裁は、真の鼓腹撃壌が続くとは思われない。

今を、振り返ると、政党の党首や政治家が、何を言ったかと、こぞって取り上げられる社会、こうした世の中こそ、鼓腹撃壌と真っ向対立する世界と言えないか。

その世界にあって、彼らの、夢や希望を鼻先にぶらされることも、ごめんである。

なんとか、鼓腹撃壌型の世の中がこないものか、いっぱいの飯と、おいしい漬け物を食べながら、希(ねが)った。