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境界

2010/09/28 22:43
人が暮らす敷地には、境界というものがあって、そこに塀をしたり、杭を打ったりしている。
本当は、永遠に続く境界など、大地にも空にも海にもないのにだ。

その境界の外側が、民族も違い、歴史観も違い、軍隊をもっているし、思想によって保たれている国家で、固有の意識を持っているとしたら……。
しかも、話し合いより、民主主義より、民族の宗教や国民の総意や軍隊の力に重点を移したとしたら……。

その境界は、塀を高くするか、監視カメラに、もしかしたら軍隊によって常時守られなければならないだろう。
だって、警察はその国の規則を遵守することを守るためにあるからだろ思う。

日本における過去の戦において、必勝を祈願し、日本の神々に祈った歴史は数多くある。大戦しかり戦国絵巻に於いても、今日の日常の生活に於いてもだ。
イスラエルに対峙するアラブの国々、アフガンにしても、イラクとアメリカにしてもそうだった。慈悲と愛を叫ぶ宗教の対立ともいえる愚かな戦争に大義などあるはずはないのだ。
あるのは、それぞれの思い込みだ。その内容を探ってみれば、結局、貪瞋痴に要約されるだろう。

慈悲と愛を叫ぶ宗教の精神が、なぜ、闘いを是とするのか。分かち合い、いたわり、慈しみ、悲しみ、敬い、尊さが消えている……。

しかし、慈悲と愛を必要としなければ、世界はどうしようもなく破滅的になるはずだ。
もし、宗教が国家管理となれば、その国の自由は保障されない。それは、分かち合い、いたわり、慈しみ、悲しみ、敬い、尊さが消える……からだ。

消えたところにあるのは、豊かさや、貧しさからの脱却であり、そのために必要なモラルや信条がないし、共生もない。

そんな国の境界はどのように考えればよいのか。その国に隣接する国々、関係を持った国々は、お互いの利益だけであり、共感はどこにあるのか。

生きている思想なんて、考えてみれば、さまざまに変化することが当たり前で、変化することによって、最初にできたものとかけ離れてしまうものだ。
そして、人間の頭の中で作られた考えは、自分たち自身が完全な生き物であることを宣言するものであり、自己否定を考えることもない。
そんな国の、おのれ自身のむなしさとは、お金や物がないだけだ。

それは、人間の愚かさを高々と掲げるに過ぎないのだ。考えててみると境界そのものは、ルールであるだけで、もともと揺らいだものなのだ。
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彼岸

2010/09/23 07:09
彼岸というとき、そこに隠れているものは、こちら側(がわ)ということです。
こちら側に住んでいる人は、あちら側の岸は見えません。
だから、あちら側の人は、こちら側が見えるのか、気になることなのか解らないのですが、こちら側の人の想いは強く、創造をたくましくこしらえることができるのです。

こちら側の人の居場所は、今・ここですが、あちら岸は見えないのですから、過去や未来とも考えることができないでしょうか。

何故なら、過去や未来は、決して、今・ここではなく、歩むことはできないからです。過去や未来は、今・ここがあるから、誕生していることなのではないでしょうか。

彼岸も同じことが言えるとすれば、こちら側があるから、あちら側があるのであって、こちら側が亡くなれば、あちら側もなくなると……。

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父だったらどう考えるか

2010/09/20 20:34
自分の息子と娘を自分の会社に入れた父が話した。
「30年以上になるが、自分で会社をおこし、お陰さまで、こんな状況でも、何とか回っているし、回している」
2年前、息子さんが大学4年生の時、「就活をしているが、なかなか、思うような所が決まらない」と思い出した。
「息子さんは」と聞くと、「自分の会社を手伝っている」と。

「そりゃ大変だ。息子と娘の将来を背負って、会社を頑張らなければならないですね」
「自分の頭の中に入っている。30年かけて造った仕事だから」と。

多分25才ぐらいになるのではないかと。

以前のことだ。我が町の町会長はもと職人の親方だった。
今、89才だと思う。この町会長の親分肌の、それでいて、実に細かいところに気の付く姿に、尊敬したものだった。
今でも、尊敬しているが、町会長を退いて、次の町会長になったとき、歴然とした差を感じた。

その時々に、前の町会長だったら、どう考えるだろうかと思うようになった。
すると、客観的に自分を観察することが自然にできて、視野が広くなった。
当事者でありながら、俯瞰的にものを見て、自分のいたらなささえ見えてきたから不思議だ。

そして今日のことだ。自分の会社を息子にゆだねて、相談役に付いた父親と話をした。
しばらくぶりの、少し痩せた姿に、どうしたのかを尋ねた。すると。
「地価が下がったので、300坪ほどの土地を買い、会社を移して、工場を造ったのです。
そして工場を造ったが、稼働するのに、やはり、一回りしなければ、安心して任せることができなかった。
退いてみて、分かったのは、よく見えることです。今までは、当事者として見えなかったことが、大きく広く見えたのです。
そこで、つい真剣に身を込めて仕事をしてしまいました。
でも体力的にも、精神的にも疲れました。」
「それで、痩せたのですか。生還に見えますよ」と、別れた。

施餓鬼の冒頭のように、心が世界の一切を造ると。それは私の心です。
その私の心は、ひとまず置いておいて、父だったらどう考える、どう見ただろうかと、私をなくしたとき、私の心が見えるのではないか、それが、父だったらどう考えるの答えだ。
これも、問いの中に答えがあるだ……。

父が見えたように、息子にも見えるように。父が考えたように、息子も父が考えたようにと見えるように願った。

呼び名

2010/09/20 10:59
僧堂から帰ってきた息子と、毎週法事をすることになって2ヶ月がたとうとしている。
お檀家さんから、「なんという名前で呼べばいいのでしょうか」と。
宗派では、「新命(しんめい)さんという呼び名があります」と答えたものの、この呼び名で私から呼ばせることに抵抗感があった。

「新命さん」という呼び方は、とても、ピッタリだと思うものの、世間では知られていない呼び名だからだ。
新命さんは、私たちからの呼び名であるのだが……

お檀家さんに言った言葉です。
「私はこう思っています。
これからたくさん、新命さんと接するでしょう。接した人たちが、彼を、お寺の次の世代だと、多くの人が認めたとき、自然と呼び名が決まってくると思っています」と。
そうしたら、お檀家さんが、「これから新命さんと呼びます」と、笑顔で言ってくれた。

すると、新命は、「住職がいるかぎりは、歳を取って、お爺さんになっても、新命は新命なのです」と。

私はひそかに、彼の代になってお寺は大きく栄えると思っている。

カッチャン

2010/09/18 10:36
久しぶりにペンキ屋のカッチャンに会った。
朝、寺の外の道路を箒で掃いていると、平日はほとんどかわらぬ人と会う。
「おはようございます」だ。
だけれども、曜日が祭日や日曜にかわると、違った人たちと会うのだ。

ペンキ屋のカッチャンは、わが寺のペンキを塗る。
祭日は、遠くに朝の散歩をするのだ。
読書家でもある。

読書の話をするのが楽しみなカッチャンだ。しかし、最近はなかなか買わなくなった。本が高くなったという。
娘が、あの本が面白いよ、この本が……というけれども、なかなか買わなくなった。
そのくせ、昔の松本清張など、昔読んだ古い本を読み直しているそうだ。

その点、カッチャンの奥さんは、図書館で本を借りて読んでいるという。
かくいう私も、小説などの本を読む時間がなくなってしまったことを思う。

読みたい小説は、すぐそばに積ん読が、この頃のスタイルだ。

充実とは何か?

2010/09/16 11:20
脳頭中にある海馬は記憶をつかさどる部分であり、扁桃核は楽しさや不快を感じる部分だそうです。
感情をつかさどる機能は、認知症になっても衰えることは少ないことが分かってきたという。

笑うことは喜びであり、ストレス解消の効果があるから、運動することとも関係し同じ効果があるという。
また感情をつかさどることから、怒り、不快感、拒否、寂静感、孤独感等々が生まれる。

ところで、認知症やアルツハイマーでもこの機能は残っているという。
このことをわきまえて、感情に逆らわず寄り添うことが大切なのだと知った。

寄り添われた人たちは、不快感から遠ざかり、怒りはおさまり、拒否は受け入れられ、寂しさは楽しさに、孤独感は絆を取り戻し、喜びと充実さがあふれる。
寄り添う人に笑顔が見えれば、寄り添われる人も微笑みが生まれる。
寄り添うことから、生きる意味が生じたのでしょうか。その意味が充実したとき、笑顔が現れる。

”昨日見たNHKの”ためしてガッテン”に、ガッテンしたのでした。
そして、アルツハイマーや認知症に対する、心理的な研究が進んだことに驚いている。
しかし、今に到るには、多くのアルツハイマーや認知症の患者や家族の苦難があったことを思います。

生きる意味を見出した患者たちに、過去、私の父や母の姿が浮かぶ。

飛行機では、それほど運べないので、船で来ると多くの買い物ができるのだそうだ。
買い物に費やすエネルギーのすさまじい。化粧品に、炊飯器、カメラにあとは何だ?
秋葉原の風景だ。中国語が飛び交って日本の秋葉原から違う国のようだ。

かたや、欲求を満たすために、殺気立って品物を求める生き方もあるのだ。
生活の慎ましさに、お粥を炊いて、梅干し一つで、「おいしい」という人生もある。

同じ扁桃核の表現だが、問題は、今、本当においしい、喜んでいるかだ。
所有のための喜びは、すぐに消える。

見えるものは、見えないものによって成り立っている

2010/09/15 10:03
もうだいぶ昔のことだ。
禅の修行から帰ってきて、自分が何も知らないことに気づいた。
そこで、最初に勉強したことが、仏教の縁起感だった。
今でも、そのことが基本になっている。

見えるものは、見えないものによって成り立っている。
存在するものは、存在しないものによって成り立っている。
子供は両親を持つことによって成り立っている。
商売は、買い手と売り手によって成り立っているだ。
それは、自己否定を通して、自己が肯定されてゆくという成り立ちだった。

問題は、自己否定されているものが見えないことと、成り立たせている相手が不明な場合だった。
何の不思議もなく使用する、「有り難う」「助かります」「おかげさまで」「感謝します」「幸せです」もこの道理を表している。
もし、今の自分が、これらの言葉の正反対を使用していることに気づけば、それは、否定する過程が違うのだ。
もしかしたら修羅の世界かもしれない。
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人間ドック

2010/09/14 23:00
人間ドックや健康管理にと、あなたにはふさわしいことだからと、
勧誘のパンフレットが送られてきた。
この組織に入会すれば、あなたには病気や老いに対してもつ不安から解消されるというのか。
それには、会員権を取得し、入会金をはらわなければならない。

病気や老い、死に向かって、豪華なプレゼントだ。
そのステータスを得るには、それを購入する意思を表さなければならない。
老いの姿を醜くなる容姿と称し、年齢をさまざまな病気適齢期として称して、
できる限りに引き延ばざせて、年齢相応のものから”さらば”とでも言わせるのか。

やれペットだCTだ。脳や心臓血管に臓器に向かってあらゆる医師を手当てしていると。
単純に言えば、買えば手に入るし、買わなければ手に入らないということだ。

人の考えや姿形は、さまざまに変化する。
人が誕生し、成長し、老い。
人生のそれぞれのシーン。その変化することは止めることはできない。

しかし、変化させられながらも、変化しない核心というものがある。
それは無心、そのものといえるものかもしれない。
無心には、老いも若さもなく、新しいも古いなく、誕生も死もない。

しかし、私たちはそのモノそれ自身に気づくことは少ない。
そのモノそれ自身には、年齢や思想、老いや病気はない。

考えてみれば、こうした表面のことに、煩わされまいと禅はある。
それが禅の権威だと思っているが、そのモノそれ自身は、権威だとも言わない。

問われていることは、ただ、どう生きるかだ。
それは、今、どう老いる、どう病むにかかわることだ。
しかし、今の健康診断なら、自分も知りたい内容に違いはない。
この借りている肉体を酷使したモノにとって……

怪談

2010/09/13 11:00
9月のことだった。
テレビで、横浜にぎわい座での歌丸の落語を見た。
1時間ばかりの落語に、思わず見入ってしまった。
真景累ヶ淵、豊志賀の一節だった。
歌丸にとっては、病み上がりの体を、奮い起こしての時間だったろう。
今しなければと、落語家にとっては、自分の名前を考えてのことでもあるだろう。
そういえば、円朝の作品を、ここ何年か演じている。

そんなことを園橘の母ちゃんと電話で長話をした。

あの長編にしてもそうだが、落語には、怪談話が結構あるものだ。
夏の風物詩としてあると思えば、それだけだが。あの怖さ……
この季節だからこそ、怪談に寄せて、人の怨念やたたり、人間の業を演目として、語っているのではとあらためて思った。
まっとうに語ったならば、ちっとも面白くはないし、お説教に聞こえてしまう。
内容が訴える、人間の業の怖さを……、ふとしたきっかけで人が落ちていく怖さを……

こんなことを考えながら、少し、怪談を勉強したくなった。

そうそう園橘の母ちゃんと話しながら、ふと思ったことがあった。
5代目円楽が師匠であったが、息子が小さい時に、連れて行くと、師匠は、どこからともなくポチ袋に小銭を入れて、息子に渡していたという。

核家族になって、老人だけの世帯が増え、年金暮らしとなって、じじばばから孫たちに、渡すポチ袋が減ったような気がする。
それでもバブルの頃までは、ポチ袋もあったような気がする。

年金暮らしとなって、生活費がかかれば、年寄りにとってはそれどころではない。
ポチ袋などの習慣さえなくなってしまう。

かくいう私も、爺さん婆さんの所に遊びに行けば、いくらかのお金を頂くのが楽しみだった。
そうして時代は回っていたのだ。
怪談も、世代を超えて怨念となって回っていたなぁ~。

カラスのかってでしょ

2010/09/11 11:20
最近のことのような気がするが……
朝掃除をしていて、いつもカラスを見ていた。5~6羽はいるのか。
もっともみな真っ黒で何羽かはよく分からない。
そのカラスたちは日中は見ることがなかった。
きっとどこかに出張していたか、お勤めに出かけていたのかと思っていた。
それが、一日中居るのだ。
なんだか、住民になってしまったような。
それだけ居心地がよいということなのか。
カラスが増えて、留守ができなくなってしまったということか。
人間の変化に、カラスも変化しているのだろう。

良いことと、悪いこと

2010/09/10 14:40
以前に、心とは関係そのものと書いた。
だから心とは大きくなったり、小さくなったり、悲しんだり、喜んだりと、まるで関係そのものと……。
独りになると、それがよくわかるものです。
自然に自分がたたずんでみれば、なおさらよく理解できるでしょう。
だから、良い関係のなかに生きれば、悪い自分は生まれませんし、悪といわれるものも生じません。
悪い関係の中に生きれば、良い自分で居続けることは難しいし、良いと思われるものも生まれることは難しい。
損得ばかりの関係の世の中に生きれば、自分が損得の世界に飲みこまれて、優劣の世界に生きることになるのです。

祈祷

2010/09/08 16:00
祈祷の中身を考え、試行錯誤を続けながらも12年になるのか。
少しずつではあるが、一人一人の心に何かを植え付け始めていると思う。
人の死が不幸を考えるものとすれば、祈祷は幸せを考えるものとしたい。
誰も不幸せを背負って生まれてきた人はいない。
いつしか人は幸せを願うようになってしまった。

台風の雨の中、門前仲町商店街までお使いの買い物に出かけた。
お寺に帰りしな、男の子が父親の笠の中に抱かれていた。
雨が降っていたものの、男の子は安心の中に、顔を父の肩に預けていた。
父親に心をまかせた姿に、幸せを思った。
激しくなろうとする雨中に、笠の中に抱き寄せられた男の子とっては、生きているさなかの安心だ。
ゆったりとゆだねた子供の心だ。

幸せとは、今、ここにある。それを探せるよう願いが祈祷なのだ、と。
今年のご祈祷にかける。11月最終日曜日午後2時より

終の棲家(ついのすみか)

2010/09/05 09:42
 特養が第三者評価を導入して、何年になるのだろうか。私が幹事をする特養の施設では、その数年前に第三者と称して、オンブズパーソン制度を導入しました。そのオンブズパーソンの代表者が私でした。何も知らない私が、オンブズパーソンの何をできるか、それこそ、名前ぐらい知っているものの、皆目知らないまま、7年ぐらいが経過しているのではないかと思います。
 「そういえば最近活動していない!」と言われて、「午前中に終わるだろうから」と、勝手に想像して出かけたのが、平成22年7月26日でした。
 外は暑く、特別養護老人ホームの中は、寒いくらいに冷房が効いていました。
 その面談も思いもよらず時間がかかり、さらに、食事の時間がきて、9人のお年寄りの話を聞くことができました。
 質問の内容は下記にしぼったものでした。
 《元気ですか? 具合はいかがですか? 具合の悪いところはありますか? 痛いところはありますか? 寒いですか? 暑いですか? よく眠れますか? お食事は美味しく頂けますか? お食事の量は充分ですか? 楽しいことはありますか? 寂しかったり、悲しかったりすることはありますか?何か、して欲しいことはありますか? 何か、困っていることはありますか? 職員に言いたいことはありますか? 施設に何か望むことはありますか?》
 人生の最後を目指してたどり着いた入所者は、高齢であり、すべてが介護3,4.5のお年寄りたちです。人生の紆余曲折から、たどり着いた終の棲家ともいえます。五十床の施設ですので、すべてにわたって、思うように生きたい、好きなものを食べたい、気ままに暮らしたいと、私たちが思う自由さはないはずです。
 しかし、驚いたことに、食事について、全員が満足を表していたのです。正直驚きました。食事に対する執着があまりないのではないかと、それとも遠慮しているのか、推しはかることなど必要なく、そのまま受け取ることにしました。
 さらに楽しいや、感謝している、嬉しい、助かるという言葉を多く聞いたことから、少しこのことを考えてみました。
 施設は、場所的制約もあり、多くのお年寄りは、持ち込みの身のまわり品は少ない。それに、グループホームのように仏壇など置くスペースはまったくありません。圧倒的に少ない個人の持ち物です。幼かったころの写真は、ご両親や兄弟姉妹が写っているはずです。そんな記録も、大事にしまってあるはずのものもありません。あるのは身のまわりの生活の必需品ばかりでした。
 そういえば、以前に、面談したとき、箪笥があり、鍵をかけていたお年寄りがいました。モノを所有すれば、必然的に、取られたり触られたりしないかと、心配事が発生する姿を見たものでした。
 逆に、思い出の数々の品を自分のみの周りに置いておけば、それらは、自分を成り立たせる条件でもありますが、今の境遇により生きるために捨てれば、今の自分が見えてきて、人はどんなところでも力強く生きていけるし、感謝という幸せを創り出すことができるとも思ってみました。何ものにも縛られないためにです。
 イギリスの諺に、”幸福と思う人は、幸福だ”があります。人生の到りえた場所に、自分が不幸だと思ったら、苦痛の中に生きることとなり、自分を責めたり、文句ばかり、責任を他人に転嫁して、それこそ、嬉しいや感謝している、美味しいなどの言葉など聞くことはできないと思うのです。
 冷静に今の自分を受け入れた、大きな覚めた知恵ではないかとも思いました。生きるためにです。
 結果として、人生の終の棲家の施設が、理想の環境になっているからではないかと考えてみました。しかし、本当の終の棲家とは、施設ではなく、現身であり変化し続ける肉体であるはずです。
 この頃、禅の言葉がふと浮かぶことがあります。
 無一物中(むいちもつちゅう)、無尽蔵(むじんぞう)、花あり月あり楼台(ろうたい)あり
 施設のお年寄りとお話しして、この禅語が浮かんだのです。
 この花や月、楼台(見晴らし台)を、感謝や畏敬、喜びや満ちたりた心に変えてみると、いっそう理解することが優しいのではないかと思います。
 まして自分が年をとってみれば、人生置いてゆくものばかりであると、意識も含めて何もかもが、過去のものとなった今、懐かしさより生きている充実を実感として、今日を生きることができるのではないかと思うのです。
 イスラムの詩人は「人間という存在は、旅籠(はたご)のようなものだ。喜び、絶望、悲しみとつぎつぎに新しい客が不意に訪問してくる。それが意にそぐわないものであれ尊重せよ」と。
 仏教的に解釈すれば、人生思い通りに行かない苦の、訪れたものに対して平静にして受け入れよ。受け入れた心に波風がたたなければ、それこそ、そこに解決に到る道が開けるということでしょう。
 老いてますます盛んとは、気がついてみると、心の無一物性に気付くことで、無一物だからこそ、花あり月あり楼台ありと。
 人生の処世訓としては、花あり月あり楼台ありの、花と月、楼台にとらわれのない心こそ必要なことです。目に耳に思いに自由な状態であるからこそ、目に見えるもの、耳で聞くことができるもの、肌で感じることができるもの、匂いや味の感覚、そして心にわき起こる思いに、生きている実感や充実を受け取ることができるのでありましょう。
 存在する人間の、心が空っぽでなければ、喜び、絶望、悲しみとつぎつぎに新しい客が不意に訪問してくるはずもない。それこそ、鳥のさえずり、風のざわめき、葉のこすれる音もです。
 禅者は説きます。さらに「放下著(ほうげじゃく=捨てろ・まだ持っているのか)」と。 この非情さこそが禅の特色です。捨てよ!
 鳥のさえずりのまま、風のそよぐまま、葉のこすれるままに、自分をまかせよと……。
 心のわき起こるさまざまなことを、おきるにまかせ、捨てよと。そのおきる心の中で、捨てることの難しいものは比較の心です。そこからねたみ、憎しみ、恐れ、おびえ、贔屓(ひいき)、嫉妬などが、思い込みとして増幅してくるからです。
 だから、生活の中のさまざまな思い出となるものを、終の棲家から、捨てよ!、身軽になれ!と。この指針こそ、今の時代に智慧を持って生きるための物差しです。 
 終の棲家は、今生きるの自分の肉体にあるのだと、そして心なのだと教えてくれました。

小さな幸せは、大きな幸せか

2010/09/05 09:22
まだまだ続く猛暑。
早朝、作努着の下にTシャツで掃除をする。通りの向こうに車が一台。あれは阿部ちゃんの車だ。車が二台になったと思ったら、やはり、ゴルフだ。
掃除を終えて、法事の準備をする。
「下のズボンを履き替えたら」と妻。
「そうする」と私。「あ~幸せ」と出る言葉。
「ムッ。この言葉、さっぱりしたではないのか」
「小さな幸せを積み重ねれば大きな幸せになるのよ」と、さとされる。
そういえば、そこら中にころがっている小さな幸せ。
もっと、かみしめて、大事にしよう。この猛暑に……

内容のある法事に向かって……

2010/09/04 10:24
いつのころから、もう20年になろうとしている。
遅々として進まなかった口語体の日本語化法要も、すべての法要が普通の言葉となった。
最初に取り組んだ法要は、通夜や葬儀に初七日の葬儀にかんするものだった。
ところが、その内容は故人により、すべて違うことから、今も、故人や家族によって内容は変わり続けている。これが、葬儀の難しさだ。
しかも、作らなければならない法要の時間は50分だ。季節も違うし、家族も違いと、違いが多い。それでも、失敗は許されない。
今まで、儀式の失敗など考えることもなかったことに気づいた。これも、口語体にて意味のある内容を考え始めてのことだ。
しかし、多くの法要を執行して、「感動した。涙が出て止まらなかった。よい法要だった。この法要に、貴方の家は幸せね。スーッとした。」の言葉を投げ付けられたときの嬉しさはない。
もっとも会葬者の多い葬儀では、かえって、口語体の言葉は短めに、焼香のためのお経を長くしなければならない。
ホテルでの生前葬や偲ぶ会、普通の言葉の法要は、鐘も太鼓も木魚も必要ない。
私が行くとお金がかかるからと、出棺の前に手紙を回し読んで、葬儀を執行したときもあった。
これから法事がある。亡くなったのはお爺さんで、孫たちがかなりいる。
ふだんの3回忌の内容はやめて、童話を主体にした法要となり、訪れた死と、生を考える内容をすることにした。
子ども達と親と祖母の反応が楽しみだ。

砂場で学んだこと

2010/09/03 15:42
 法句経に、《悪しき行為について》との文があります。
 《善いことは、すぐに行い、悪いことについては、心を防ぐべきである。たとえ、悪をなしたりとも、ふたたびこれを、なすことなかれ。悪のなかに、たのしみをもつなかれ、悪しきこと積もりなば、堪えがたき、苦しみとならん。
 もし人、善きことをなさば、これを、また、なすべし。善きことをなすには、たのしみをもつべし。善きこと、幸いなればなり。
 もし人が善い行いをしたならば、ふたたび、ふたたびこの善きことをせねばならぬ。そして善きことに対する楽しみを起こさねばならぬ。なぜなれば、善い行いの積むことはたのしみであるから。
 悪しきことを繰り返し、「その報(むくい)よも、われには来らざるべし」、かく思いて、悪しきことを軽んずるなかれ。水の滴(したたり)、したたりて水瓶(かめ)をみたすがごとく、愚(おろ)かなる人は、ついに悪をみたすなり。
 悪の果実(このみ)、熟するにいたらば、その人ついに、不幸(わざわい)に逢わん。》
 
 さて、禅宗の葛藤(かっとう)集の225問めに、楽天問法(らくてんもんぽう)という問答があります。
 登場人物は天才の誉れの白楽天(白居易)とちょうか和尚です。
 時代は、中国の唐の時代です。白楽天は、その当時お役人をしていて、治める地域を巡回していたのでしょう。ちょうか和尚は、いつものように、境内の木の上で坐禅をしていたようです。
 通りかかった白楽天が、樹上で坐禅している和尚に尋ねます。
 白楽天、「和尚さん、和尚さん、木の上で坐っていては危ないですよ」。
 和尚、「はいっ、私が危ないと。あなた様こそ危ないこと、この上ない」。
 白楽天、「私はこの地方を統べておる長官です。いったい何が危ないというのですか」。 和尚、「煩悩(ぼんのう)の火はたちのぼってからまり、迷妄の情は停まることもない、これが危なくないというのですか」。
 白楽天は、樹上の和尚をただ者ではないと思い、尋ねます。
 白楽天、「仏法の大意とはどんなのですか」。
 和尚、「悪いことをしてはいけない、善いことを一所懸命に行え」。
 白楽天、「そんなことは、三歳の子ですら言えることです」。
 和尚、「三歳の子ですら言えることはできるが、80の老人でも行うことはできないものだ」。
 白楽天は、うやうやしく聞き、礼拝したという。

 禅にとっては、有名な故事です。鳥窠和尚にとっては、煩悩の何たるかを知り、それゆえに、迷妄の情が起こっても、それにとらわれることはないのでしょう。
 まして、悪か善かとの判断にとらわれたとしたら、揺れる心は、その都度に広がるものです。
 葛藤集の原文は、下記の通りです。
 「如何なるか足れ仏法の大意」
 師曰く、「諸悪莫作、衆善奉行」
 白曰く、「三歳の孩児も也(また)恁麼(いんも)に道(い)うを解(よ)くす」
 師曰く、「三歳の孩児も道得すと雖も、八十の老人も行うことを得ず」
 この問答のテーマは、「諸悪莫作、衆善奉行」ですが、法句経に見られるとおりのことです。これは、七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)という詩からとったものです。
 諸悪莫作(しょあくまくさ)  もろもろの悪をなさず
 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) もろもろの善を奉行し
 自浄其意(じじょうごい)   自からその心を浄める
 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) これが諸仏の教えである
 「自らその心を浄める」ことこそ、仏教の基本ですが、3歳の子供でも、よく知っているけれども、年を取れば取るほど、その行いは難しいものだと……。
 さて、3才の子供は何によって、人生に必要な知恵を知ったのか。3才といえば幼稚園。
 
 全米で400万部、日本でも70万部を超えるロングセラーとなった本で、ロバート・フルガムの、「人生に必要な知恵は、すべて、幼稚園の砂場で学んだ」があります。河出書房新社(翻訳:池央耿)が2004年3月20日に出版したものです。
 ロバートフルガムは、本の中で、本当に必要なものを幼稚園で学んだのだろうかと自問します。そして、人間として知っていなくてはならないことは下記の中に何らかの形で触れてあるはずだと。

 何でもみんなで分け合うこと。
 ずるをしないこと。
 人をぶたないこと。
 使ったものは必ずもとの所に戻すこと。
 ちらかしたら自分で後片づけをすること。
 人のものに手を出さないこと。
 誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。
 食事の前には手を洗うこと。
 トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
 焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい。
 釣り合いの取れた生活をすること―毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと。
 毎日必ず昼寝をすること。
 表に出るときは車に気をつけ、手をつないで、離れ離れにならないようにすること。
 不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。
 発泡スチロールのカップにまいた小さな種のことを忘れないように。種から芽が出て、根が伸びて、草花が育つ。どうしてそんなことが起きるのか、本当のところは誰も知らない。でも、人間だっておんなじだ。
 金魚も、ハムスターも、二十日鼠も、発泡スチロールのカップにまいた小さな種さえも、いつかは死ぬ。人間の死から逃れることはできない。
 ディックとジェーンを主人公にした子供の本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりも大切な意味を持つ言葉。「見てごらん」

 愛する心、思いやり、いたわり、清潔さ、抑制、片付け、勤勉に労働、自己管理、エコロジー、政治、平等な社会や健全な生活なことなどなど。現実の世界や日本で起きているあらゆる事件、現象に当てはめてみても、確かに、公園デビューや幼稚園で学んだはずだ。 ロバート・フルガーは知識の進んだ大人向けの言葉に置き換えてみるがよいというが、置き換える必要などない。難しい言葉は必要ないかもしれない。
 でもなぜ、年を取るにしたがい、無くしてしまったのだろうか。
 人は関係の中に生きている。その関係の中に、実は、善と悪があるのだ。善い関係のなかに生きれば善が生まれ、悪い関係の中に生きれば悪となるのだろう。
その善悪を見極めることができなければ、取り巻く関係の中で、人はしばられる。そのしばられた心こそ問題なのだと思う。
考えてみると、自らその心を浄める、「浄められた心」のような気がする。それは無心に通じる。この文章の結びに、「人間はいくつになっても、やはり、おもてに出たら手をつなぎ合って、離ればなれにならないようにするのが一番だ」と結んでいる。離れていてもだ……。

「ごめんなさいね お母さん」

2010/09/03 15:40

 平成22年6月の末のことでした。所用で、Kさんの家にお邪魔したときのことでした。昭和61年4月18日生まれのH君は不在でしたが、久しぶりにお母さんとお話しができました。H君は、身体障害者であり、精神的にも発達障害をもち、さらに、テンカンを持つことから、現在24歳であっても、一人では散歩もできない子です。
 小学生の時からずっと、毎朝、お母さんが電車でH君を送ってゆく姿に。朝の挨拶をして、見守っていました。母と子、あるいは父と子の連れだって歩む姿は、今も同じです。遠くから、その姿を見ているだけで心が痛みます。
 今、週に三日ほど、障害者の福祉園に通っていることをお聞きいたしました。行かない日はヘルパーさんが来て散歩をする日々です。そのヘルパーさんとは、相性があり、H君のコンディションもありと、思うようにはいかないようです。その日は、福祉園に行っているとお聞きしました。そろそろ親離れの練習でもしているような気がしたのです。
 話を聞いていて浮かんだことは、区の施設見学会で、昨年11月20日、その福祉園を見学したことでした。すると、その様子が浮かび上がるから不思議です。見学したときは、素通りするように見学した施設も、見知っている子が通っていると知るだけで、あらためて、とても有り難く思えるのことに、人の気持ちの身勝手さを思います。
 見ていて思ったことは、この親と子の未来の姿でした。私が想像するよりは、はるかに多くの葛藤を背負って生きていることを思います。
 でも、未来を考えることは必要だと思うのですが、その考えられる未来を心配することは不要だとも思いました。こんな詩に出会ったからです。

「ごめんなさいね おかあさん」 山田康文

 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです
 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん
 おかあさん
 あなたがそこに いるかぎり
 
 「わたしの息子よ」 山田京子

 私の息子よ ゆるしてね
 わたしのむすこよ ゆるしてね
 このかあさんを ゆるしておくれ
 お前が 脳性マヒと知ったとき
 ああごめんなさいと 泣きました
 いっぱいいっぱい 泣きました
 いつまでたっても 歩けない
 お前を背負って歩くとき
 肩にくいこむ重さより
 「歩きたかろうね」と 母心
 ”重くはない”と聞いている
 あなたの心が せつなくて
 わたしの息子よ ありがとう
 ありがとう 息子よ
 あなたのすがたを見守って
 お母さんは 生きていく
 悲しいまでの がんばりと
 人をいたわるほほえみの
 その笑顔で 生きている
 脳性マヒの わが息子
 そこに あなたがいるかぎり

 奈良県の桜井市に、昭和35年に生まれた山田康文君という子がいました。この子は、生後12日目から黄疸が出て高熱の症状がありました。お母さんは奈良県立医科大学にて診察してもらいました。検査の結果は、脳性麻痺だったそうです。お母さんは、普通のお母さんが心配するように、多くの病院を訪ねたそうです。そして、治療や訓練を施したとも語っています。それこそ、子供を道ずれにして、死ぬことも考えたそうです。
 この詩は山田康文君の心の中から、養護学校の向野幾代先生が掘り出したものです。「ごめんなさいね おかあさん」だけで一ヶ月という時間がかかったそうですが、完成するまでの時間に、どれほどの苦労があったか想像を絶します。
 そして、息子の詩に、お母さんが答えて、詩を創りました。そして康文君の作品が完成して、二ヶ月後に彼は亡くなっています。
 「ごめんなさい」と康文君の全存在に、深い悲しみがあります。その悲しみに対して、お母さんは、「悲しさこそが美しい」と教えます。背負うわが子の「重くはない」の優しさに、「あなたの心が切なくて」と、お母さんは生きる力を受け取ります。
 息子が亡くなったあとの、母、京子さんの言葉です。「今までは、息子の幸せしか考えられない母親でしたが、今はすべての子供の幸せを願う母親になりました」と。

民主党の代表選について

2010/09/03 15:09
二人とも、相手のことを、問い詰めたとしても不毛論戦になってしまう。
お互いが、自分の悪いところを認め合えば、小澤氏に管氏が溶け込み、管氏に小澤氏が溶け込む。
そうすることで、日本に何が今、必要なのか、そして未来にどうしたいのかが見えてくると思うのだが?
不毛の論議はもう沢山だ。
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