夢を見るのは誰ですか?
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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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陽岳寺ホームページを見て……
陽岳寺のホームページは今後、新命さんがするようにと言っのは8月初めのことだった。
やっと出来上がったホームページを、今日見て、今時の形になっていた。

ああ、”虹の彼方に!”が消えてしまった……

私の作ったホームページは、技術的にも、お粗末であり、形はどうでもよかったと開き直っていた。
だいたい見てもらいたいという気持ちは、少なく。ただただ発信することだけを念頭にして作ったモノだからだ。

だからタイトルも、当初、お寺の名前は前面に出していなかった。
”虹の彼方に!”というタイトルも、曲の名前からとったものの、「山の彼方の空遠く、幸い住むと人のいう」という、詩をもじったものだった。

山の彼方の空遠くに、掛かる虹の架け橋を思い画いていたのだ。
そして、今のブログが、”夢を見るのは誰ですか?”、何か関連がありそうでしょう?

言葉そのものは、大慧宗杲禅師という我が臨済宗では仰ぎ見る存在が書いた「大慧書」に出てくる言葉だ。
この問いかけは、欺瞞や驕り、侮りに傲慢と、心の波立ちのたびに、脚下照顧です。

いつも、自分に問いかけているし、自分以外でも問いかけてもらいたいとも思っている。

ああ、消えてしまった。でもまだぼんやりと残っているようだ。

ところで、副住職を取得したものの、住職への道は、7年もかかると、先輩の住職に言われた。
7年かけて、一年ごとに、3年ごとにと、一つ一つ、位を上げて行かなければならないという。
宗制という決めごとをほとんど読んでいないので、知らなかったが、そうなってしまったのだと言う。

何かよく分からないことだ。僧職の身分は、本山が決めることでもあるが、本当に決めるのは檀信徒であり、地域の人々だ。僧籍の位など、世間の人には意味が無くなっていることでもある。

人が亡くなり、この和尚さんに、あの和尚さんに、せめてお経だけは読んでほしいと頼まれたときに、僧籍が授与されたことでもある。

若者は……
人生を終わりにしたかったと言った若者がいた。

若者は知らない。

人生において、思うようにならないことを忘れることの難しさを。

若者が年老いたとき、思い出そうとしても自然と忘れてしまっていることを……

父の刺繍
昨夜のことだ、久しぶりに父の中学校の教え子に電話をして話し込んだ。
彼女も数年前に夫を亡くし、今、校外に一人住まいだ。
庭があって、松や楓など木々が茂っている。今日も植木屋さんが入っていたという。

そして、物置に月刊短歌誌”沃野”が束になっており、昭和29年の束を読んでいたという。
何で、沃野誌があったのか、亡き夫が会費を払って読んでいたという。

この沃野誌は、父も編集をしていて、短歌のお弟子さんを抱えて、添削をしていたのを、私もおぼえている。
彼女は、父の寄稿文を読んで、懐かしく思い出し、すぐそばに居るような気持ちにおそわれたと言った。

「こちらに居ないで、そちらに居たのですか?」と、ほのめかす。

「昔ね、マサキちゃんたちが小さかったとき、先生は、刺繍をしていたときがあるんですよ」と言われた。
それは、せまい郊外の一階建ての借家に家族五人が暮らしていたときのことだ。

「子ども達が勉強しているのを邪魔しないように、お母さんから、教えられて、一針、一針編んでいたのですよ」と。

もうすっかり忘れかけていた頃のことだった。
父には随分と心配をかけた私は、自分のことばかりが精一杯の時代を、おおかた家族と一緒に過ごした。
そんな父の姿なぞ考えられなかったが、私が幼かった頃から”沃野誌”には、父の足跡がしるされていたことに気がつかされた。

「マサキちゃんの文章を読むと、お父様とよく似ていますよ。お父様は、考えて考えて、余分なものをそぎ落として文章を書いていらっしゃいましたが、似ていますよ」と。

考えたこともないことを指摘されて、父が近づいてきた。もっと父のことを知りたくなったし、お寺に残されてある沃野誌が点滅している。

彼女の孫が教師を目指すという。彼女の夫は、都立秋川高校の初代校長をつとめ、白鳳高校や純真学園の校長を勤めあげた人だ。
彼女も彼も父の中学の卒業生でもある。中学時代に高校以上の漢文を教えていたという。高校で漢文を習ったときに、中学の復習のような、その漢文も杜甫や李白など三体詩など奥深いものだったと知らされた。

彼女の夫も、そんな父に影響されたらしい。その祖父の影響は、彼女と彼の孫に伝わろうとしている。


 枯木再び花を生ず
 あの紅葉の季節も駆け足で通り過ぎて行きました。気がつくと、植物たちの枝は葉を散らしてしまい、次の季節を待ち望んでいるのでしょうか。
 芽を出すことを含んで葉を散らしている木々たち。葉を散らさなければ芽生えないことを自らに刻んで生きているようです。
 人間も同じように生きているはずです。それができないから、祈りや願いが必要なのだとも思います。これは、年々歳々くり返し確認する作業でもあります。
 禅宗の書物を読んでいたら、こんな言葉を発見しました。
 「ご祈祷とは、いうまでもなく心を開くことだ」と。禅宗の信心とは、その空っぽの、透明な心をいい、平穏な心でもあると教わったことと、このご祈祷の目標が同じ内容なのに驚いたことでした。
 祈りや願いは、必ず自己に帰ってくるものです。だから、その祈りに、ねたみや怒り、批難や中傷、愚痴や恐れが含まれていれば、自己に再び舞い戻ってきます。
 木々の落葉の姿から、人間は何を教わるのでしょうか。
 陽岳寺の関係者に、年末に当たり、平成23年度の無事を願いまして、去る11月28日、ご祈祷と演芸会にてご回向いたしました“般若ふだ“をお送りいたしました。
 古いお札はお寺で処分致します。どうぞお持ち下さい。

突破口は!
無縁社会
超高齢社会の出現
高齢者介護医療保険の崩壊と社会保険の崩壊断崖危機
円高による中小企業の海外移転
国内産業の低成長
地域社会崩壊
貧困家庭の増大
格差社会
ミドルエイジ・クライシス
学校を出たけれど……。
待機児童問題
森林破壊
農業崩壊
政治の混迷
…………
…………
でるわでるわ、善いことないことを挙げればきりがない。

でもどこから直さなければならないとすれば、政治だろうか。

自分に厳しく、他者をいたわる。

その先には、国破れて山河あり……か。


半人前?
葬儀が終わって喪主が挨拶した。
「妻に先立たれて、ネクタイやワイシャツの場所さえ探すのにおろおろし、私は半人前以下の男と悟りました。
妻を亡くして、今、この感謝の気持ちを捧げたいが、10倍、100倍、1000倍にしても足りないと思うのです。
30歳半ばで、サラリーマン生活から独立しようとしたとき、妻が、あなたが望むようにすればよいと……。
それから、苦労の連続だった。妻が支えてくれた。…………」と、続いた。

喪主のしぼり出す言葉が、胸に染みた。
妻を亡くして数日だ。
亡くす前の男と、亡くした後の男の落差。
起業して38年、会社は大きくなって、子ども達や孫たちに囲まれての幸せな暮らしのはずだった。

「半人前の男と半人前の女が結婚して、一人前ともいえるし、夫婦は補って一人前か、言い言葉だ」。などと考えている私がいた。
なんと、謙虚さがにじむ男だろう。
なんと、妻を恋する男だろう。
なんと、心を虚しくできる男なのだ。

喪主に、そのことを囁くと、喪主は、「私は半人前どころか、さらに0.2です。」言う。
「半人前」を告げるたびに、その小数点の下の値が下がってくる。

その数値の下がり具合を見ながら、彼の自分と向き合う心を思う。それは半人前の数値がゼロに近くなっていくからだ。半人前、一人前とはどういう意味があるのだろうかとも考えてしまうのだ。
それは妻を亡くしての独り立ちを願う気持ちがそうさせることでもあるが、もっと根本的なものに近づいている気がした。

そんなところに、一人前を通り越した熟成した老いた男を見る。

そんな彼の妻の葬儀には、アーバンフューネスの葬儀社を紹介したのだった。
喪主が寺に、挨拶のため訪れ、私に語ってくれた。
「よい葬儀社を紹介してくれて有り難うございました。驚きました。葬儀は契約で、見積もりを出し、それ以上の出費はありませんでした。
祭壇は、胡蝶蘭をたくさん用意しての花祭壇でしたが、その値は30万円でした。生花が50本以上ありましたので、その花の金額を使用し、見事な祭壇を飾ってくれました。しかも、妻の思い出のコーナーには、からおけのDVDや写真等々、すべて担当者の熱意というのです。支払うと言ったのですが、驚きでした。その品々は、私に贈呈してくれました。よい葬儀社を紹介してくれました」と。

担当者の熱意というのも、もとをただせば、思い出にあふれる葬儀をしたいの一心だろう。そのためには、施主の気持ちを汲むところから始まる。くんだ気持ちを、形に創造するところが試される。
すべては試みであるが、その試みが施主に伝わったとき、仕事からの生き甲斐が生じるのだ。
そして、その気持ちが伝わったからこそ、熱意という言葉がでてくるのだ。
担当者の上司が、私に電話口で語った。「一生懸命しますから、まかせて下さい!」の言葉を思い出していた。

今、ブログを書いて、私の父の葬儀の時も生花がたくさん上がったことを思い出した。知り合いの地元の葬儀社だったが、生花をあげて芳名は、一括して掲示されたものだった。
「あの時、一つ一つの生花はどこにあるのだろうか?」と、疑問に思ったことがあった。法外な値段だったからだ。今更ながら、そんなカラクリが分かろうとは思いもしなかった。

私こそ、半人前どころか、さらにさらに、以下だ。







 

有り難う、そして有り難う!
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有り難う、そして有り難う!
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あなたはあなたらしく咲けばよい。
スミレはスミレ以上を望んでもスミレ意外にない。だとしたら無常のなかに、それぞれのスミレを咲かせたらよいと思う。その時々のスミレを……。

生きたい!生きたい!
ここ数年になるのかも知れない。むせるときがある。
息をする瞬間と、飲み物や食べ物を飲み込む絶妙なポイントの切り替えがほんの少し狂うのだろう。
妻がいれば、「どうしたの」と、ここぞとばかりに背中をたたく。
妻に殴られた瞬間だ。
私は、「うう、有り難う」と。
この叩きは容赦しないことが肝心なのだ。そう思っている。

このむせることに見ていて辛くなる時がある。
特養の入所も10年近くなると、寝たきりになり、体位交換も自分ではできない。
枕の高い低いで、むせることが頻繁になるのだ。
チューブで痰を覗くのも恐いながらも、しなければならないし。それに不思議に慣れることもある。
でも彼には、むせて苦しむ母の姿が見ていられなかった言った。

その母を介護するため、家族は9年近く特養に通っていたのだ。
その母は、80歳をとうに過ぎていた。お寺の駐車場に車を止めるので、「今日も来てる」と、わかる。
止められた車が夜間にも停まっているのに気づいた。朝になると息子の車が代わりに停まっている。
車が停まっていることに、母への思いが伝わってくるから不思議だ。

「何かある」と悟って、一週間が過ぎたとき、その母の死亡が伝えられた。
「母の最後は、それこそ自然死に近く、穏やかに眠るように亡くなりました。」と告げられた。
母が苦しむのは見ていて辛い。まして息が荒くなり、静になり、生死をさまよっている姿を見ると、とても辛いものだ。

以前、その最中にいる母を、「お母さん、もうそんな頑張らなくてもいいのよ!お母さん有り難う!」と、語りかける娘さんを見守ったことがあったが、そのときは、涙が出た。

荼毘に向かうバスの中で、親戚の男性が喪主の息子に話していたのを聞いた。「分からなくなって、意識もなくなって、俺だったら、もう死んでもよい。子ども達にはそう話してある」と。

葬儀のすべてが終わって話した。
「お母さんのむせて苦しむ姿を見ると辛かったでしょう。分かるけれども、でもね、母は何も言わなくても、それは生きたい!生きたい!というサインのような気がするのです。そんな姿を見ながら、こちらの心は、思いを創りあげてゆくような、でも命を見るって、そんなもんじゃないような気がします。
 もし自分がむせていて、死ぬかも知れないと、旁らにいる人が、楽に死なせて上げたいなんて思わないですもの……。傷つくのも、泣くのも、涙が出るのも、生きたい生きたいというサインかも知れないと見なければ、自分を見失うし、他人を見失う気がします」と。


副住職に……
平成22年8月1日に息子が僧堂から帰ってきて4ヶ月がすぎた。そして、本山へ二泊三日の前堂職研修会に行ったのが9月のことだった。10月には二泊三日の、いよいよ垂示(すいじ)といって、妙心寺開山堂にて、法語を唱えた。

その法語は、禅の修行をして、開山関山慧玄尊像の前で、妙心寺派の僧侶になるという宣言文なのだ。これは自覚と誓いの決意表明だ。この決意により副住職の申請が受理され、資格が与えられたのだった。この期間に3年と10ヶ月が費やされている。

そこでというのもおかしなことだが、陽岳寺のホームページの作成を、全部副住職に交替することを告げた。
新しい知識として勉強することがとても多い。考えることをしなければならないことも、僧堂との違いかも知れない。常に言う言葉は、「問いのなかに答えがある」だ。問いがなければ、無為にすごしてしまう日常に、その問いが自身に新鮮さをおおうだろう。
僧堂で培ったことを基本に、新たに自分の道を摸索しなければならないし、それには年月がかかる。

12月1日付けの陽岳寺護寺会便りには、副住職としての挨拶文を送付いたしました。