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仏そして菩薩たちへの祈り~~盂蘭盆会の祈り~~

2011/08/16 21:54

この世界にあって、慈悲と智慧をつかさどるもろもろの仏たちよ!

思い通りに行かぬ苦しみを救うよう、どうかわたしたちの祈りや願いを 聞き届け給わんことを!


そして、慈悲と智慧を、人々に巡らせるもろもろの菩薩たちよ!

仏は、きびしさや一途さという我が心の鬼を造り、我が心の鬼は、優しさや受け容れるという我が心の仏を造ることを導き給え。!

そして、この世界のすべてのひとたちの命を与え、

家族から 仲間から この地上から旅立っていった多くのひとたち!

また、さらにこの世界のあらゆるところで、
お腹をすかせている人たち、お腹をすかせて亡くなった人たち。

欲張りな人たち、欲張りなままに亡くなった人たち。

不幸な人たち、不幸なままに亡くなった人たち。

怒っている人たち、怒ったままに亡くなった人たち。

悲しんでいる人たち、悲しんだままに亡くなった人たち。

すべてのいのちが 満たされて、やすらかになりますように!

共に、真実に目覚めることができますように!

そして、生きとし活けるわたしたちの心に、慈しみ、あわれみ、共に喜ぶ心、とらわれのない心を巡らせたまわんことを!
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神々への祈り

2011/08/15 11:05
仏教は神々を、縁起の法により神々の場所に在らしめます。

在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は縁起そのもの。

在るものを在らしめる神々よ!
在るものを無さしめる神々よ!
無いものを在らしめる神々よ!
無いものを無さしめる神々よ!

空や山や川や海を、鎮めたまえ。
町や建物、生きものたちの暮らしを、平安に導きたまえ。

在るものが在ることも、無いことも、
無いものが在ることも、無いことも、縁起そのもの。

それは現実という世界の論理そのものである。構造でもある。

だから、現実という世界が語る内容は、構造であり、それは、世界自身が世界を語っている。

さて、伊弉冉(いざなみ)の神は、穴倉の中で、火の神を誕生させた。
今でも、伊弉冉は、神として祀られている。死んだはずだが、祭神として、今も鎮座する。怨念としてか……?

人類は、火を発見してより、何千年が過ぎている。

その火をエネルギーと読み替えれば、放射性物質も火となるのだろうか?

人類の旅は、宇宙へと、そして、物質の中へ。

神々は、怒ることを知らない。
神々は、怒りを鎮めることも知らない。

ただ在らしめるだけだし、無さしめるだけだ。

怒りや鎮めることを知るものは、人間。

地球はやがて、神々だけの世界になることを望んでいるのだろうか……

世界自身が語っていることを、如是我聞しているかと、今問われている。

さて、飯を炊こう。

支える

2011/08/14 11:05
悲しみが、私を支えることもあるじゃない。

痛みが、私を支えることだってあるはずだ。

苦しみが、私を支えることもあるし。

いたらなさが、私を支えることだってある。

蹴落とされ、どん底に落ちた経験が、私を支えてくれる時もある。

届かない思いが、私を支えてくれたのさ。

口べたで、かっこわるく、センスがなくても、それが私を支えてくれるものだ。

失意のどん底にいたことが、私を支えてくれたのさ。

嘘つきで、いい子ぶって、何も手に入れられなかったことが、私を支えてくれた。

人とつながりたくって、つながれないことが、私を支えてくれたこともある。

寂しくて寂しくてしかたがないことが、私を支えてくれたのさ。

身体の中に痛みが、それが癌となり、私を支えてくれた。

話がしたい、喜びたい、笑いたいと言う思いが、私を支えてくれこともあるさ。

絶望だって、私を支えてくれるから。

今ここに、あなたを支えているものが、あることに気づけば……

お墓参りに願うものは……。

2011/08/14 11:05
長男坊が1人、汗をかきながらもお墓参りにきた。

ワイシャツ姿に、「会社・仕事中?」と聞くと、
「いえちょっと」という。

「どうしたの?」としつこく聞くと、
「彼女の両親の所に行くので」と。

「いくつになった」と。
「35歳になる」と。

「よかったね、おめでとう。彼女はいくつ」と聞くと、
「29歳です」。

「ちょうどいい年齢かも知れないね」と。

「お母さんも喜んでいるでしょう。心配してたものね」というと、
「そうでしょうか」と。

「そうに決まっている」と。

「弟たちは、結婚が早かったので、慌ただしく子どもが出来て、結婚生活も子育てと、時間が過ぎ去っていったけれど、じっくりと、彼女を大事にして、結婚生活を味わい育てて下さい」というと、
「有り難うございます」といい、2件分の線香とシキミをもちお墓に報告と、お願いをしにいった。

随分と大人になったような、落ち着いた彼だった。

1人、彼女が隣に座り、ご両親に挨拶する姿が浮かぶ。幸せの真っ只中だ。

再生エネルギーと電気代

2011/08/13 09:39
朝日新聞は、電気代上乗せ、大口軽減とあり、鉄鋼化学8割引とあった。

もともと大口需要家は、東電が電気を使って欲しいこともあり、割引で契約してるはずだ。

そして一般家庭では、割高であり、企業との比較は、公開されていない。

今回、再生エネルギー法案は、上乗せ分の8割引とある。

一般家庭の節電は、テレビをみない、クーラーを極力控える、こまめに電灯・蛍光灯を消す、門灯なども消すと、目を悪くするし身体にも悪いと危惧する。

ほんらい企業こそ、企業力により節電のノウハウは、経営資源となって、国際競争力を高める手段となるはずだ。

経団連は、「企業(僕たち)の競争力に悪影響を与える」と。

その根拠となる発想は、僕たち(経団連坂の企業)はひ弱で、競争力もないし、血の巡りも劣り、頭も悪いしと強調しているように聞こえるのです。

危機こそチャンスであり、大企業は、中小企業・零細企業も含めて、大きな発想で一丸となり乗り越えないものかと思うのだが……!

だからこそ、何故、今、再生エネルギー法案なのだろうかと、唐突さを思うのだ。

それにしても、我々の電気代に含まれる、項目を一括して見えないようにして請求する、こそくな手段こそ、自らの悪い夢をかくしているようにも思える。

やはり、送電部門を切り離し、電力会社の自由化で、新たな電力会社の自由参入を促すことが、再生エネルギー法案より先だろうと考えるのだが、素人の疑問に答えて欲しい。

続、光……希望

2011/08/12 11:51
しばらく前のことだ。町会でお年寄りが亡くなったことがあった。
通夜、その振る舞いの席に彼の妻がいた。

聞いた話だ。「最近はまぶたを大きくあけるの。嬉しくて……」

倒れてしばらくして、彼に、集中治療室で会ったときだ。
彼はずっと眠っていたが、その眠っている姿から、突然に眼をさます彼を思い描いた。
それはまるで韓国ドラマのようでもあり、そのことを望んだ。

彼の妻の望む思いは、はるかに現実的でもある。
動く、なんと神秘的な思いをさせることかと。

人の生き死にを描くことになれたものにとって、動きも、その先を占うことは観念的だ。
そこには希望も、安らぎもないときがある。

「他がなくなれば、自もなくならねばならぬ」ことを思い出す。
それは、夫婦という関係に於いて、「夫がなくなれば、妻もなくならねばならぬ」と言い換えることもできる。
現実には、人の思いがあるかぎり、夫がなくなることはない。
逆に、夫にこそ妻の根拠があるとすれば、夫婦とは、互いに否定を媒介にして成り立っている。
仏教の縁起は、矛盾するものが結び会うことによって、否定することによって、妻は妻自身たりえることだ。
献身こそが、今の妻の有り様として浮かび上がってくる。

長く連れ添った夫婦に、「今度は私が寄り添おう」と、自は必死だ。
彼の光が、、妻の希望に……
自の存在を掛けたものでもあるからだ。
心のなかに咲く悲しみを、希望にかえるためには、彼の光が必要なのだ。

光……希望

2011/08/12 06:56
6月の末、マスターは倒れた。
彼には、かたくなに守るものがあった。

お店で出す料理だ。彼が修行した西洋料理は、その頃主流だった。
東京會舘・精養軒・帝国ホテル……、それこそ高島屋や三越のレストランでも、家族のあこがれの食べ物だった。

今風のお客が求める料理を出せばよいのにと思ったこともあった。

でも彼は、かたくなに守るものがあった。
週に一度の休日、外出先で倒れた。脳幹出血だったのだ。
集中治療室に搬入され、症状は重かった。チューブにつながれ、彼は身動きも出来なかった。

妻は今も通う。子ども達も通う。
意識はずっと戻らない……

そんな彼のチューブがはずされたのは、病院の治療と家族の思いだ。

「戻ってきて欲しい!」
妻の希望は、彼の変化だ。

昨夜、「彼が手の指を動かした」とメールがあった。
「今、お盆の季節にはいり、忙しいのでしょう」と。

「東京は7月盆だし、墓参はあるけれど、副住職がいるから大丈夫です」

今日、彼を久しぶりに見舞うことにした。

彼がかたくなに守っていたものは、家族の心だった。

いただきま~す!

2011/08/11 14:57
今年も、9月過ぎて明治小学校では、9月20日ふれあい給食会が催されます。

毎年のことで、3年生の全クラスでお年寄りが子ども達と食事をして、そのあと、交歓会が催されます。

お年寄りは、昔のお話しを、子ども達はとっておきの、音楽や遊戯などです。

控え室に勢揃いしたお年寄りは、1人ずつ子ども達から名前を呼ばれて、「は~い!」と返事をし、手を取り合ってクラスに行きます。

クラスは4人が坐れるように椅子がそろえてあり、お年寄り1人に、子ども達3名が坐ります。

全員が着座すると、先生が歓迎の挨拶をしてくれます。そして、給食が配られます。全員に配られた給食を前にして、代表の子どもが大きな声で発声します。

「いただきま~す!」と。

すると子ども達もお年寄りも全員誰もがです。自分の胸の前に手を合わせて「いただきま~す!」と食事をします。

昔と変わったことは、会話が旺盛なことです。楽しく食事をする風景を見慣れている私は、新聞の、「いただきます」もしない学校の食事風景が考えられないのです。

当たり前の景色ですから。

街の格差が広がっていることでしょうか。

先日、火葬場でのことでした。
お婆さんが、孫たちとふれあっていました。お婆さんの膝の上にのせて、甘える孫たち。

時折、お婆さんは、「だめですよ」、「いけません」、「お行儀が悪いです」と孫をしかります。

しかられた孫は、素直に、しかられたままに、和んでいました。

この孫たちは、当たり前のように、「いただきます。ごちそうさま」と言うのだろうなと見ていたのです。

絆はかわったのか

2011/08/10 18:33
今日、戸田斎場に出かけた。

暑かったので、都営三田線の蓮根駅からタクシーに乗り、帰りも蓮根駅まで蓮根駅までタクシーに乗った。

タクシーの運転手が、私に話しかけた。「3月11日を過ぎて、葬儀がかわりましたよね?と。人数が少なく、家族葬や直奏ばかりですね」と。

運転手さんは、夕刻になると、戸田斎場に行き、明日の予定掲示板を見るという。
「数は多いのですけれど、タクシーに乗る客が少ない」とぼやいていた。

絆やつながりが叫ばれ、いたわりや思いやり、頑張れと、寄り添うことが叫ばれている。

家族という枠組みも小さくなり、親戚のつながりも薄れてしまったようだ。

人は独りでは絶対に生きて行けない。

タクシーの運転手さんが言う。「結婚式は、呼ばれなければ行けないが、葬儀には行けるのに」と。

少子化で家族が少なくなっているにかかわらず、この少なくなっていることが、却って、人と人との絆を薄くしているのかもしれない。

人と人との絆が増えれば、濃くなれば、物も動くはずだ。

人の最後に見える絆の希薄さ。

人は独りでは生きることはできない。

何をしているのだろうか?

2011/08/06 16:55
twitterを始めました。でも、何をつぶやいてよいのやらです。

そうそう8月3日だったか、やっとデルのパソコンが帰ってきました。
これで2回目の修理でした。

「使用中にブルーバック表示される現象を確認していただき、HDD用SATAケーブル交換にて現象改善のため、HDD用SATAケーブルが原因の故障と診断しました。」

そして複数回の起動検査をして、PCが清浄に動作することを確認したとのことでした。

そしてDIGAテストを実施し、エラーの無いことを確認いたしましたと……

PCが帰ってきてから、パソコンソフトを入れ直し、データーを引っ越しして、順調に動き始めました。

ところが、午前中に、一太郎創で、文章を作り記録して、終わったところに、突然クラッシュし、ブルースクリーンになってしまいました。
そして、電源を落とし、再度立ち上げたところ、通常ウィンンドウズを立ち上げますかと、聞いてきたので、そうして下さいとクリック。

なんか急に、データーを入れることが怖くなり、上書き上書きで、信用できないところがあるのです。

こんなことも、twitterでつぶやいてよいのかな~

ちなみに、最初の里帰りでは、マザーボードとハードディスクを交換したのです。

8ヶ月で2回のデルに里帰り、帰ってきてやっとと思っていると、ブルースクリーンで、突然クラッシュです。

はてどうしたものか?
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