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撃たないでくれ!

2011/10/22 11:53
平成23年9月20日、遠いアフリカ大陸のリビアのカダフィ大佐が亡くなった。

「(私を)どうしたいんだ。撃たないでくれ、我が息子よ」
彼の最後の言葉なのか知らないが、彼は負傷して、反カダフィ派の兵士に拘束された。

そして、撃たれた。

リビアにとっては、42年間続いた続いたカダフィ政権最後の日だった。

彼には似合わない、何という平凡な言葉だろう。

まるでドラマのセリフのようだ。

でも、現実のギリギリのところから出てきた言葉だ。平凡な……

弱さを限りなく表現した、それこそ、普通の人間である私という命を慈しむ言葉だ。

彼は、この言葉を幾度となく聞いていたはずだ。その時、彼は強さを持っていた。その強さは、他人の命なんてものは思い描くこともなかったのだろう。

彼には、その命が自分の命と同じものとして届いていなかった。

それは、自分の中の死を、認めていなかったことか。

だから独裁体制なのだろう。

ヒトラーにしても、フセインにしても……それとも……

繰り返し繰り返し、歴史から、何も学ぶことはないのか?

人は百年生きることは稀なことです。「百年生きて、80年生きてきて、今まででこんなこと初めてのことです」と、今年はよく聞いたような気がする。

人は同じように生きる。

それと同時に、同じように死んで行くという言葉も当てはまる。

カダフィ大佐にも、子供や妻、親戚もいた。

こんな一族を巻き込んだ結末を、渦中の誰が具体的に想像することができただだろうか。

今度こそ、リビアに暮らす民が平安を迎えることが出来るように、遠い国から祈る。
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そらぷちキッズキャンプ

2011/10/15 10:56
普段、あまり新聞をじっくり読むことなどない生活だ。それでも、毎日欠かさず新聞は二紙読んではいる。

今朝、朝日新聞土曜版、Beを読んでいたら、『逆風満帆ー死んだら終わり、ではない』という題に目がとまった。

小児科医・細谷亮太師の記事だった。

それは、来年常設オープンするという「そらぷちキッズキャンプ」誕生の物語の一部分だ。

なぜ一部分かというと、多くの子ども達の死と、常設オープンにたどり着くために、たずさわった多くの熱い思いの人たちがいたからだ。


平成6年に6月、彼女の弟が、聖路加病院で12歳で亡くなった。奇跡を誰よりも願った両親だった。特殊な癌だったと記憶している。

当然のこと、ご両親は、無力感、絶望、孤独感、猜疑心、渇望、嫉妬……と、その淵に長くたたずんでいたはずだ。

ご両親の悲しみは深かく、その影響は今でもずっとずっと……、当時小学校だった6年生の友達は30歳になろうとしている。

そんな両親の姿を見て、彼女は育った。そして、看護師を夢を見て、かなえた。

聖路加病院、日赤。聖路加病院と、多くは小児病棟で難病、不治の子ども達とかかわってきた。

そんな彼女が、病院をやめたと噂が届いた。

一昨年のことだ、彼女の母と私は会った。母の手には、パンフレットがあった。

「○○○ちゃんは?」

「○○○は、今、北海道にいます」

そして、渡されたパンフに、「そらぷちキッズキャンプ」と書かれていた。継続的な募金のお願いだった。
お寺には、募金の勧誘が多い。そんなに裕福ではなく、小さく貧しい寺の部類だ。私の寺は……。

あれから、しばらく忘れていたパンフだった。テーブルの積み上げた書類の片隅で、彼女の夢が語りかけてくる。

9月始めのことだった、彼女が東京に来たことを知らされた。両親には会えなかったとも聞いた。

彼女は頑張っている。北海道と都市を往復して、慣れない各種の作業を必死になって頑張っている。子ども達のためにだ。
私も、息の長い支援をしようと、少ないが募金をした。

彼女から手紙が届いた。

《今年は、災害で一度に沢山の命が奪われ、改めて、生きる意味、生かされている時間を大切に、私ができることを精一杯やりたいと思います。
東京は高い秋の空でしょうか。
こちらは冬にむけ、赤や黄……一年最後の彩りが、
かけ足で過ぎてゆきます。
皆様にも、よろしくお伝え下さい。
ありがとうございました。》と。

新聞の細谷医師のコメント(朝日新聞、Beより)
「治らない病気をかかえながら、その運命を引き受けて生きる人もいます。これからは、そういう人たちと過ごす時間を大事にしていきたい」と。

申し訳ないほど微力だが、私の寺も、彼女に寄り添いたいと思っています。

なんだか、彼女の弟が、大勢ふえたような気がする。

あれから7ヶ月

2011/10/14 10:17

東日本大震災後、お寺で使用していたシキミの入荷が3月半ばに止まりました。

そのシキミを、シキミ業者から「福島から送られていた」と聞いたとき、自分がいかに知らないで、物流に頼っていることに気づきました。

気づいたからといって、頼っていることは、現在も同じです。

三月の彼岸前です。お墓に供えるシキミは来ず、本櫁(しきみ)が納入されました。確か1回限りだと思いましたが、このシキミは元気がよく、水鉢の中でいつまでも青さを保っていました。

何週間もその状態が続き、根付いて欲しいとの思いが起こり、挿し木にいたしました。

8月頃から、新芽が伸び始め、その新芽も2回目を過ぎて、力強く天をめざし始めています。

地植えを望んでいるような、我が家の復興のシンボルになればよいと思っています。

高山本線飛騨

2011/10/13 10:17

飛騨高山本線。 飛騨8号に乗った。
沿線の川は、台風15号と、和歌山に降った大雨の惨禍を少し垣間見せてくれた。

下呂温泉には、40年前の仲間が14名集まった。
毎年のことだが、皆年を取ったが、何とか元気を保っているという感じだ。

胸を4回も手術したモサ。
修行の時から、延々と病院に世話になりっぱなしのノンキ者。
お寺を替えて生き続けるヤドカリのようなゴウノ者。

現地集合、現地解散。

いつものことだが、翌日は疲れるのだ。

運動会とさんま

2011/10/10 21:12
昨日は、知り合いの葬儀で、お焼香をしました。
木遣り保存会の人が、大勢、木遣りで故人を送って下さいました。

木遣りって、何とも言えないもの悲しさに満ちていながら、それでいて、すがすがしく、しみじみさが伝わります。


午前中、深川っ子運動会に、行ってきました。


ところで、Y運輸が、東北被災地のためにと、サンマなどを売っている。
担当者が訪ねて来て、「是非、サンマを食べて下さい」と。

内の奥さん、「いくら?」

T運輸、「10匹で2,100円ですが、送料はいりません」
内の奥さん、「スーパーで、98円で売っているんだけど」

私、「ママ、ママ!これは義捐のこと」

うちのママ、「10匹きても、3日間、毎日食べることになるわよ」

私、「ママ、ママ。これは応援なの」

うちのママ、「冷凍で来るのかしら、刺身にできないかしら?」

T運輸、「今回は、お刺身用ではありません」

うちのママ、「冷凍にするしかないわね。ところで、何でウチなの?」

T運輸、「ノルマがありまして、私も買いました」

私、「ママ、ママ、これは募金と同じなの、支援なの!」

ママ、「ふーん、じゃあ、笹かまもお願い」と。

結婚式

2011/10/08 17:12

これから歩もうとする道を、照らすように、仏前に、新郎が、ともし火をかかげて頂きます。

次に、いつまでも、慈しみ育(はぐく)む心がこの二人に宿るようにと、新婦が、仏前に、華を捧げきます。

式次第

親族入堂

新郎・新婦入堂

戒師入堂

開式の辞

献灯・献花

般若心経・回向
 ……今を生きる知恵を成就せしめ給わんことを……

敬白文
……出会いが導きと変わることで……

帰依三宝・受戒
……日月がいつも輝いているが如く

数珠の交換
……素直さをいつまでも持てるようにと……

誓詞
……選び選ばれて私たちは今……

焼香

……心を新たにすることの意志として……

寿杯
……夫は妻から、妻は夫から支えられられるていることを忘れない……

合掌
……私一人を尊しとする合掌……

四弘誓願
……いつも心を謙虚に保って、すべてが敬えるように……

閉式の辞
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