年頭に……

2012/01/01 10:19
 東日本大震災に遭い、陽岳寺のあらゆる昨年の法事一つ一つに、下記の言葉を添えて、般若心経や金剛般若経をおよみいたしました。
 《東北地方太平洋沖地震と津波の影響で亡くなられた方々、人知れず今も多くの悲しみを秘めた心を持つ方々、未だに立ち直れない方々、あれから時が止まった方々、その方々のために、「忘れない、日本!」が寄り添うことになると思います。
 今も被災し避難している方々、除染作業に携わる自衛隊員、警察、消防、ボランティアの方々、津波にも地震にも遠い場所で被災しなかったけれど、痛みとして心が共鳴し見守ってくれる方々。その方々のために、「頑張れ日本!」が必要と思うのです。
 もちろん、今日の法事の主人公のためでもあります。みんなの、みんなにより、みんなのため、ご冥福、ご多幸、ご無事、ご健闘を、般若心経にて心よりお祈りいたします。皆様もご一緒に大きな声でおよみ下さい》と。
 3月11日の大震災が発生したとき、陽岳寺にとっても正面から見据えて、法要の内容にして向かわなければならないと、新命副住職に話しました。新命副住職は、「もう考えているよ」と、彼が作った上記の内容を、お彼岸の法要から試み続けています。

 あの津波の映像を繰り替えし見た者にとって、被災した山や川や海、そして街の写真や映像、現地にて目撃したものにとっても、繰り返し繰り返し、被災地にこの言葉を発することが私たちの日本人の務めであるように思ったからです。幾度も祈ったとて、祈りに終わりがあるように思えない大災害でした。そして毎月、被災地の状況に合わせて作り替えました。
 もちろん原発の暴挙に苦しみ、さいなむ人たちに向けてもです。東日本大震災で被災し亡くなった人を含めて、生きている人たちのためにも読むべきだと強く思いました。
 そして、被災し非難し、復興にたずさわる人たちを含めて、また心配して心を痛める人たちのため、毎回毎回、お経を読んだきっかけを、東日本大震災が創ってくれたことに気づきました。通夜や葬儀にも、このお経を読むときは、必ず被災地のことを思いました。

 一昨年前のお施餓鬼会の法要に向けてのことでした。この震災を予感したわけではないのですが、地球温暖化や、無縁社会が叫ばれるようになってです。格差社会や鬱病にあえぐ姿が見受けられるようになってです。背後に、人間の弱さや愚かさが大きく見えていました。そのとき、神さまのことを考えたのです。

 禅宗のお坊さんとしては、珍しいかもしれません。でも日本に生まれて、日本で育ったものとしては、ごく普通のことだとも思っています。それに、もともと回向の中に「三世の諸佛諸菩薩、もろもろの天界に遊びし神々、地上に住まう神々精霊」という言葉を捧げていますので、今さら、なのですが「どうして、こうも不幸なことが起こるのだろうか」とです。

 もともとインドでも中国やアジアでは、多神文化の地です。その神々の地に仏教は誕生しました。神々がいたからこそ、誕生したともいえます。
 それは、人間の絶対的な平等、迷信や不合理・占いなどを排除し、造られた倫理観を説かず、人間として真の自己に目覚めることを重視したともいえます。
 そのために、正しく見て、正しく考え、正しい言葉を使い、正しい行い、正しく生き、正しい務めをして、正しく思い、正しく心を修めることが必要だと説いたのです。もちろん、その時代は身分差別や、生まれや職業、障害、貴賤による差別の社会だったからです。

 社会のあらゆる差別に対して、その差別を直視し、「正しいこととは?」と、みずから考えて、行うことを説いたのでした。それが苦しみから遠ざかることだからです。
 そのために、「人は行為によって……自己である」という言葉が誕生したわけです。仏教は、そんな状況の世界に、絶対の自由や平等を宣言したのでした。

 東日本大震災の引き金を引いたものについては、科学の進歩を待たなければどうしようもないことです。もし予見できたとしても、予知できても、人間の知恵で備えることはできますが、こうした大震災を止める手立てはありません。地球を自由に科学で操ることなど、今は、考えることもできないことです。地球は生きているのですから。昔から、神々という言葉で、人間は祈っていました。

《仏教は神々を、縁起の法により神々の場所に在らしめます。在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は縁起そのもの。
在るものを在らしめる神々よ
在るものを無さしめる神々よ
無いものを在らしめる神々よ
無いものを無さしめる神々よ
 空や山や川や海を、鎮めたまえ。町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。》

 結局災害がないようにと祈るほかにないことに気づきます。それは、人間の思い上がった心を見つめて、無力さからの力強い歩みを促すことでもあると気づきました。

《そして、この世界にあって、慈悲と智慧をつかさどるもろもろの仏たちよ。
思い通りに行かぬ苦しみを救うよう、どうかわたしたちの祈りや願いを 聞き届け給わんことを。
 そして、慈悲と智慧を、人々に巡らせるもろもろの菩薩たちよ。
 仏は、きびしさや一途さという我が心の鬼を造り、我が心の鬼は、優しさや受け容れるという我が心の仏を造ることを導き給え。
 そして、この世界のすべてのひとたちの命を与え、家族から、仲間から、この地上から旅立っていった多くのひとたち。
 また、さらにこの世界のあらゆるところで、お腹をすかせている人たち、お腹をすかせて亡くなった人たち。
欲張りな人たち、欲張りなままに亡くなった人たち。
不幸な人たち、不幸なままに亡くなった人たち。
怒っている人たち、怒ったままに亡くなった人たち。
悲しんでいる人たち、悲しんだままに亡くなった人たち。
すべてのいのちが 満たされて、やすらかになりますように、共に、真実に目覚めることができますように。
 そして、この祈りにより、わたしたちの心に、慈しみ、あわれみ、共に喜ぶ心、とらわれのない心を巡らせたまわんことを》と、

年頭に向かって回向いたします。
それぞれの足もとに、幸せが見つけられますように、気づくことを祈念申し上げます。
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