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ピンポ~ン

2012/03/03 18:28
35歳の男が、ドアーのピンポンを押した。

期限の切れた免許証をもっていた。そこには昭和51年生まれと書いてある。

「仕事はないでしょうか?」

「エッ、いきなり来て、仕事はないね-」と。

恥ずかしそうに、「でも、物貰いではありません」と、言い切る男だった。

「どうしたの」と……

「門前仲町の大きなお寺に行ったが、追い払われました」

「それじゃー、どこに暮らしているの?」と。

「漫画喫茶とかですが、帰りたいのです」

「どこに?」

「山形にです。仕事がないのです、何でもします。本当は住み込みでもなんでもしますが、ないでしょうか?」

「ここにはありません」と。

「どうしたらよいでしょうか?」

「そうだねえ。交番に行って、そこから自宅に電話して、御両親にでてもらい、お巡りさんに代わってもらい、必ず返すからと話してみれば」と。

「そうしてみます」

見送りながら、背中をたたいて、「でもよく来てくれた。自殺など考える人が多いからね。頑張って!」と。

自殺や犯罪にかかわらない様子の男だったし、35歳の働き盛りだ。

交番で、帰りの電車賃貸してくれるといいが。
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絆を生きる

2012/03/03 17:31
2011年3月11日金曜日、午後2時46分、東日本太平洋沖で起きた千年ぶりといわれる巨大地震、あれから1年が経ちました。

当初、津波は人々の暮らしている地域を破壊し、その濁流の通り過ぎた後は、人が生きる意味や希望を根こそぎ奪い去りました。

その無残な姿に、作家の五木寛之氏は、「国破れて山河あり」ではなく、「山河破れて国あり」と、文藝春秋3月臨時増刊号で語りました。

東北の山河に暮らす”民(たみ)”の語源が「目を針で突きさし、盲目にした奴隷」ということから、国と民の関係の根拠に問いを発していました。

自殺や孤独死は未だ絶えず、社会をおおう無縁社会に、絆こそが人を活かすと、民の語源の負の面をも語っていました。

それは、絆は、結ぶことだと。しかし、縛られることをも意味すれば、それは、嫌だと。

これが負の面と思うわけですが、でも、本当に負の面とは、結ばれることは人それぞれが独立していなければ、本当に、結ばれたとは言えないことのなのです。

子供は子供としての分があり独立しています。

親は親として独立していてこそ、親子という関係はなり立っています。

絆というも、縛られるというも、結ぶと言うも、その関係は、互いに独立して限定し合っている関係の事実が、現実の姿なのです。

そのことを、東北の心に、自分を置き、考えることで絆は強く生きて行くはずなのですが。

絆というものの正体の中に、身を置けるかではないでしょうか。

鎌倉時代の日蓮も、親鸞も、法然も、道元も、栄西も身を置いて生きていたのだと思います。

森の中に身を置いて、無心に生きる一本の木として……

陸前高田の松は枯れてしまったが、それぞれの地で、人という松は、活き活きと生きている。
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