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恐ろしい拷問死を、美しい絵、美しい音楽、美しい詩歌で表現するとき、なにがそれを正当化するのでしょうか?

2013/05/23 17:38
ミヒャエルエンデの44の問いの中の、19番目の問いです。

「恐ろしい拷問死を、美しい絵、美しい音楽、美しい詩歌で表現するとき、なにがそれを正当化するのでしょうか?」

「ワーグナーのワルキューレの騎行」は、美しい曲とは言えないけれど、人々の心をつかみ何処かに高揚とさせる曲としてあるのだろう。

ワーグナーの200年生誕によるイベントが世界中でにぎやかに行われている。

特にナチス版の歌劇では物議をかもし、殺害シーンやガス室など生々しく講演が中止となってもいる。

それでも音楽に関しては、一つの時代を造った偉大な人だった。

もう何年も前のことだ。コッポラ監督の地獄の黙示録の戦闘ヘリコプターが、密林にひそむゲリラに襲いかかる場面、今でも私の中には、ワルキューレ騎行とセットになっている。

今朝のBSニュースで、ナチスドイツのロシア討伐と、日本軍による真珠湾攻撃の共に戦争を仕掛ける国内用ニュースに、この曲が使われていたという。

地獄の黙示録は映画だったが、密林を焼き、ゲリラ(アメリカに言わせると)に襲いかかる場面は、音楽と一体になって、何のための戦争か、その先に何があるのか?、と考えることを停止させる。
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お施餓鬼が終わって

2013/05/19 10:17
お施餓鬼が終わり、片付けが終わらないうちに、副住職は、4時半前、お通夜に出かけていった。

多分、1時間前には代々幡の火葬場に着いているはずだ。

このお通夜は、6時半からの通夜にして頂いた。

翌日には、すでに法事が入っています。今日中に、明日の法事の準備をある程度しなければならない。

そして、今朝は、掃除に、ゴミの処理、お塔婆と、用事は多い。

副住職は、9時10分に寺を出て、葬儀に向かった。

1時間前には到着する。

遅れてはならないことだし、万が一、電車や交通事情などでも、遅れることはできないからだ。

一年に何回も、遺族より速く到着することがある。そうしたとき、一人祭壇に向かって見つめる時間を大切にしている。

副住職の嫁は、「どうして、そんなに早く出て行くのか、先行きに就いていけるか心配」という。

でも、お寺の勤めとは、実は、訃報を聞いたときから始まっている。

お施餓鬼は、終わったときから始まる。

当年度のお施餓鬼の内容と、過去の内容を比べながら、、翌年の内容を考え始める。

そして1年間という時間の、法事の内容が大きく変わっていることを考えると、そのまとめでもあるから。

だから、翌年の内容は、目前に迫ってこなければ、作ることができない。

それは、時代が少しずつ変化して、その時代に合わせているため。

しかも、普遍的な内容は、人が生きている時代の、その都度の時間の流れの中の、足元からにじみ出るから。

毎年のことだが、昨年と今年の内容は大きく変わっていた。

この一年の内容として、不思議なことだが出来上がる。自分の力では絶対に無理だ。

後押しして頂ける、お施餓鬼に参加して支えて頂いた方々あってのことだと、出来上がった内容につくづく思う。

その作業は、苦痛だが、出来上がってみると、嬉しい。

毎年のお施餓鬼は、和尚としての立ち位置を試している。

陽岳寺のお施餓鬼は、今週の土曜日です。

2013/05/15 14:15
鴨長明は方丈記に、「崇徳院(しゅとくいん)の時代、山はくづれて河をうずめ、海は山となって、陸地を襲い、陸地はさけて泥水がわきいで、岩は割れて谷をうずめた。

都の建物は一つとして壊れなかったものはない。

塵や灰が立ちのぼりて」と、灰燼(かいじん)に帰したことが記されています。

そして暴風雨に飢饉と、多くの命が失われました。

足利幕府の時代より、京都の鴨川の桟敷では、地元の人々により河原施餓鬼が、五山の寺では幕府主催の五山施餓鬼がとりおこなわれました。

そして江戸では、本所回向院、千住小塚原で、明暦の大火、飢饉による死者を弔うため幕府によるお施餓鬼が執り行われたと記録されています。

各寺々も合わせてお施餓鬼を執り行っていたのでしょうが、一般に知れわたるには、各家々の方々が、お施餓鬼に参加するようになってです。

しかし今でも、九州のお寺は、普通の法事に、お施餓鬼をすると聞いています。

過去飢饉や戦争、大風や大雨、地震と津波、大火事と多くの有縁無縁の亡くなった方々の命の上に、今の私たちの命は頂いているという自覚が、先ずはその命を弔うことで、家族の命を偲ぶということだと思います。

陽岳寺のお施餓鬼は、年一回のお施餓鬼ですが、そのようにありたいと思うのです。

そして、いただいた命の、多くの人の悲しみを生きる力に転ずる事が、何よりの供養なのだから・・・

買い物自慢

2013/05/05 07:20
この話は、昨日、お聞きしたことです。

先日、それこそ、お酒のみの訃報に接し、親戚の人がお寺にたずねてきての話です。

その年寄りにとっては、とあるというか、いつものなのでしょうが、それは、お酒の席だったのでしょう。

親戚の人が「俺は車を買ったのだ」と、欲しかった車だったのでしょうか、一瞬うらやましい雰囲気がただよったところなのでしょうか?

「俺はお墓を買った」と、叫んだそうです。

一瞬、場がしらけたというのか、大笑いしたというのか、これは16年前のことです。

でも、16年という年月は、車より遙かに長持ちする、これは、乗り物か。

それこそ、誰でもというわけではないけれど、とても。善い買い物だったのではないかと、今言えます。

第一、子ども達や孫たちがお参りしてくれると思うと、もしかしたら、一緒に乗れることも考える。

その時の話が、お酒の席だったかもしれないが、そして、一時の買い物に違いないも知れない。

でも、時の長いものを買ったことで、そして、訃報を聞いて、それこそ安らぎだったと、今、彼は思っているはずです。

しかも、こうして、お寺のブログにも、乗せられて……

生前葬

2013/05/02 09:17
4月6日(土)に、また生前葬をした。

まだまだ元気なお年寄りの女性だ。孫たちと子ども達を囲んでの生前葬だった。

仏壇には、「この日ばかりは、少し華やいだ色花を飾り位牌と写真を置いただけだった。

そして後日だったが、喪主であり、生前葬を執行した本人は、ニコニコと「スッキリしました。有り難うございました」と挨拶に来られた。

「何てったって、お葬式をしたんですから。後は悔いなく元気に生きて下さい」と、不思議な挨拶を交わすのです。

以前にも生前葬をしたことがあった。

そこで思うことは、まだ数は少ないが生前葬をする人には理由があることを知った。

例えば親の死に目に会えなかった、親の年齢を超えた、夫婦の片方を早くに亡くして長い年月を経過したとか、一人暮らす身となってどうせなら死ぬ前に自分だけの葬儀をしたい。

理由は様々だが、誰にも迷惑を掛けずに、自分の葬儀を生きているうちに見届けたいと。

その気持ちに答えて葬儀をするのだが、準備に時間がかかる。

何度も本人と打ち合わせをして、内容を考えながら、その時を迎えるからです。

時間に余裕があるのです。余裕があるぶん、かえって「あれもしたい。これも考えたい」と、考えることが多いのです。

3ヶ月前から数年という場合もある。長い場合は「それまで元気に暮らさなければできませんよ」と妙な声掛けをするのです。

場所はホテルだったり、お寺で年回に続いて生前葬をしたり、きっと場所はそう問わないのだろう。

何しろ元気でなければできないということが味噌だ。しかもこれは楽しいし、ドキドキと心はずむことでもあります。

会葬者と言えばよいのか、こられた方々も興味津々楽しいし、その後は、「もうお葬式はしてしまったのですからね」と。

これを何と表現すればよいのか、終点を通り越して走る電車、なんてあり得るのだろうか。

終点を過ぎての行く先とか、そこまでの航路をどう歩むのか、何てたって、時間はわからないのだから。

これは真面目に自分と向き合って考えなければならないでしょう。

葬儀とは生を捨てることですが、生前葬については、死んで生きることを決断することなのでしょう。


釈尊仏陀は、 「わが齢は熟した。わが余命はいくばくもない。汝らを捨てて、わたしは行くであろう。わたくしは自己に帰依することをした」と。

釈尊ブッダの、「自己に帰依することをした」の言葉に、過去、これほどの言葉はあっただろうか。

普通考えれば、自己とはそんな確たるものではなく、信念や見識、主張があったとしても、変化する時代の流れの中で培われたものです。

そんな自己に帰依すると言う言葉。

まさに死に逝く釈尊の最後に放った言葉として、こんなに重い言葉はないと思っています。

老いの中に節目を持ち、何かしらの理由で自分は終わってもいいと、し尽くした。

しかし、どろどろとしたものをまだ持ちながらも、葬儀をすることで、けじめが生まれ、釈尊のように故郷に帰る行程を踏むことが容易となる。

孫たちは言うんです。「うちのグランママは、お葬式は済んでるからね」


私にとって実感はないのだが、直葬が増えているという。

毎日新聞は、終活と称して、最近の葬儀事情をルポしていた。

新聞には、『直葬は(1)自分が決める(2)遺族が決めるの二つのケースがあるとも知った。

言い換えると、(1)能動的と(2)受動的、あるいは(1)する型と(2)される型があり、最近は遺族が決めるという割合が増えている』とも毎日新聞に書かれていた。

その新聞の記事によれば、『自分の店じまいは自分でやりたい」、「子供に迷惑はかけたくない」という気持ちが強く働いて、直葬を希望する人が増えてきた』という。

自分が決める、誰かが決めるも、決めることに変わりはない。

他人と比較しようとは思わないのだけれど、子供として、自分の両親すらお釜に直行させることの痛みや悔いはないのだろうかと、寂しさがつきまとう。

従前だったら、社会で当たり前のこととして決まっていた。

仏教は、そのことを因果随順といっているが、その方が異論もなく人にとっては楽なことだった。朝起きたら顔を洗うようにだ。

赤ちゃん誕生から、人は節目節目に、何かしら祝い事を継続して行ってきた歴史がある。

定年になって「ご苦労様でした」と、少しのご馳走にビールでささやかな夫婦の乾杯もあっただろう。

それってごく普通のことだし、当たり前のことです。

どうして死だけがこんなことになるのだろうか?終わりよければすべて良し、何か誕生まで否定されてしまうような……


もう20年以上前だと思うが、葬儀にかけるお金がない檀家がいました。

「私が行くことで負担を掛けるなら致し方ない、そのかわり、お願いがあるのだが、私が手紙を書くので、出棺の前にその手紙をみんなで回し読みして出棺して下さい」と、伝えた。

アパートの一室の中央に母を安置して、子ども達が集まり、出棺の前に、その手紙をみんなで読み、子ども達だけで葬儀をして、旅立っていきました。

納骨の時、「良い葬儀でしたか?」と聞くと、目を潤ませながらうなずき、「有り難うございました」と、言われたことが強く印象に残っています。

その時、葬儀には家族のその都度の適した様々な形があってよいことを知らされました。

お経は読まなかったのだ。

因果随順とはいうものの、もともと一定の形にはめることの違和感もある。

赤ちゃん誕生から死まで、単に一人で生きてきた人は、誰もいないはずだ。

それでも一人なら、自分の葬儀を、自分一人で聞くの楽しいかもしれないのです。

生前葬をした人は、不思議に長生きなのです。
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