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じえ!じぇ!じえ!

2013/06/30 09:38
「ウニが1つ、ウニが2つ、ウニが3つ、……」と、思わず「可愛い!」と、NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の中のことです。
その連続テレビ小説『あまちゃん』も、北三陸の故郷編から、後半に、2009年の夏、東京編となりました。
主人公のアキは、母春子の春、夏ばっぱの夏から離れて、この物語の行き着く先は、いつのまにかアイドル誕生の物語だったのかな?と。
主人公と大勢の登場人物の賑わいに、久しぶりにテレビの1チャンネルのスイッチを押させられています。

後半に入るや、東京上野に一人出てきたアキは、何やら戦後の「ああ~上野駅」のように、眠れぬ夜を迎えて、いくらウニが1つと数えても、ウニが500を越えたら、限界です。
故郷の北三陸の名産である琥珀を、洞窟で一人掘る小田勉(おだべん=俳優塩見三省)さんは、駅側にあるお店のカウンターの隅で、毎回一人琥珀を磨いています。

アキは、ウニの次に、カウンターに座る、「勉さんが1人、勉さん2人、勉さんが3人、勉さんが4人」坐らせていました。
母,春子から常套句のように、「いじめられ、引きこもりで……」と言われているアキにとって、「春子が1人、春子が2人、春子が3人……」と「トンがった春子」が出てくれば、益々眠れなくなってしまいます。
祖母夏が登場して、「夏ばっぱが1人、夏ばっぱが2人、夏ばっぱが3人……」も、眠れなく理由もありそうです。

その夏ばっぱの眠る姿は、眼を半分開いて眠るのですが、アキも同じまぶたを閉じずに眠ります。

まぶたを閉じずに「ウニが1つ、ウニが2つ、ウニが3つ……」と、姿勢が横臥しているか、座っているかの違いがあるけれど、共に、雑念が入らぬことを考えれば、何やら坐禅の姿に似ています。

坐禅には、数息観(すうそくかん)といって、「1~つ、2~つ、3~つ」、あるいは「ひと~つ、ひと~つ……」と数えながら坐る方法もあります。息は、1~つと、静かにですが最後まで息を吐き切ります。姿勢は、坐禅のように足を組んでも、椅子に座っていても、正座でも、立っていても可です。経行(きんひん)と言って歩いてもよいのです。

しかも、腹式呼吸で息を3秒吸い、7秒長く息を吐くことを心がけたら、なんと「美木良介のロングブレスダイエット」に通じることもあるかもしれません。

そのとき舌先を上あごに軽く付ければなおよく、さらに「無~」と意識しながら鼻で息を吐くことも、呼吸法は身体を維持管理する基本であり、長生きのもとは長息なんて、しゃれていると、心も統一、そのことは、吐き出すものが意識の中に埋もれている汚物のような気もいたします。

始めは「1~つ」あるいは「無~」と意識するのですが、意識せずにできるようになれば、それが、坐禅です。「動中の工夫」といって、自分なりに考えて、自然に自分のものとなったら、それでよいのです。

呼吸や言葉に徹するのですが、きまりは、眼が半眼です。目を閉じれば寝てしまう経験から、布団に就いたら、「1~つ、2~つ、3~つ……」と、息を深く吸い込んではき出します。
数字には意味がなくて最適の、就寝グッズです。
このグッズは、ウニもいいけれど、連想をさせないものがよいでしょうか。選ぶモノによっては妄想をおこすからです。

さて『あまちゃん』の脚本家である宮藤官九郎(くどうかんくろう)という人は変な人?で、「歩いているときも、やたら、妄想を巡らしている」と、インタビューで答えていました。

仏教からいうと、妄想は対立概念を持っていて、どちらかというと、否定されるべきものですが、宮藤官九郎の言う妄想は、否定されるべきものではなく、自分を際立たせるもののようです。
 願いや思い、あこがれや希望は……、引きずられなければとても大切なものです。妄想もそうですが、妄想にとりつかれるのではなく、生活の中で、妄想という思いを断ちながら、思いを歩む、そこに自己があるのでしょう

アキが言いました。「アイドルの衣装を着て、お座敷列車や海女ソニックで、歌を歌ったとき、自分が頑張ることで、周りのみんなが勇気づけられたり、元気になってくれたみんなが喜んでくれたことが嬉しかった」と、そこに新しい自分を発見したということなのでしょう。

考えてみれば、「アイドル」こそ、妄想の頂点という現実であり、ドラマには、それ以外に「居なくていい人」が数多く登場して、アイドルを創り上げてゆくように思えます。

宮藤官九郎は、中高一貫して「小泉今日子」がアイドルだったと、インタビューで話していましたが、その好きなところは「トンがっていたところ」と言っていました。まるで『あまちゃん』の春子のキャラクターであり、見ている私にとっては、一番違和感の原因です。

あえて、「トンがっている」キャラは、何に?どうして?と意味はなく、「トン」に意味があるように思えます。

さて、朝ドラの食卓は、故郷編で、忠兵衛、夏、春子、アキ、家族の食事をしている風景に、今の時代を見るようでした。
現実の故郷も同じように変わっているのでしょうか?
1人1人、パンやうどん、おにぎりに、そば、スパゲッティーに、ハンバーグと、食べ物が違うし、食べる時間もまちまちでした。まるで、スーパーやコンビニで買ったものをテーブルに乗せたようにです。それでいて、台所で菜っ葉を包丁で刻んでいるのです。

このドラマの季節は、三世代の女性、アキ、春子、夏の名前の通り、春から夏、そして秋へと、忙しく駆け抜けていくのでしょう。
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