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日本は永遠に救われたのです。
今上天皇の弥栄を希う牌

陽岳寺は、臨済宗妙心寺派末の寺であり、その妙心寺派、花園法皇様により建立されました。

仏壇正面、本尊十一面観世音菩薩座像下にこの今上天皇の聖寿を希う牌がかかげられているのは日本において、仏教教団の内でどれほどあるのか知らないが、陽岳寺には、祀ってあったし、専門道場にも、同じようにかかげられていました。

平成25年8月15日、天皇陛下の「おことば」です。

《本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。》

そして同じ壇上においての安倍首相の式辞です。

《天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。

祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。

いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

御霊を悼んで平安を祈り、感謝を捧げるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。

戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進(まいしん)してまいりました。

今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。

内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。

私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。

世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。

終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご健勝をお祈りし、式辞といたします。》

敗戦直後のこと、奥日光に疎開する皇太子に宛てた、昭和天皇と香淳皇后の手紙の内容が、岩波新書『百年の手紙』(梯久美子著平成25年1月23日刊行)に記載してあります。

その出所は、橋下明氏が昭和61年『新潮45』5月号に公表した記事よると記載されています。

昭和天皇(当時44才)から皇太子への手紙

「国家は多事であるが、私は丈夫で居るから安心して下さい。今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど、先生とあまりにちがったことをいふことになるので、ひかへて居つたことを、ゆるしてくれ。

敗因について一言いはしてくれ。我が国人が、あまりに皇国を信じすぎて、英米をあなどったことである。

我が軍人は、精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである。

明治天皇の時には、山縣、大山、山本等の如き陸海軍の名将があったが、今度の時は、あたかも第一次世界大戦の独国の如く、軍人がバッコして大局を考へず、進むを知って、退くことを知らなかったからです。

戦争をつづければ、三種神器を守ることも出来ず、国民を殺さなければならなくなったので、涙をのんで、国民の種をのこすべくつとめたのである。昭和20年9月9日 父より」

香淳皇后から皇太子への手紙
「ごきげんやう。日々、きびしい暑さですが、おさはりもなく、お元気におすごしのこと、おめでたく、およろこびします。

長い間、おたづねしませんでした。

この度は天皇陛下のおみ声をおうかがひになったことと思いますが、皆、国民一同、涙をながして伺ひ、恐れ入ったこととおもひます。

おもうさま(お父うえ)、日々、大そうご心配遊ばしましたが、残念なことでしたが、これで、日本は永遠に救われたのです。

二重橋には毎日、大勢の人が、お礼やら、おわびやら、涙を流しながしては、大きな声で申し上げています。

こちらは毎日、B29や艦上爆撃機、戦闘機などが縦横むじんに大きな音をたてて、朝から晩まで飛びまはっています。

B29は残念ながらりっぱです。

お文庫の机で、この手紙を書きながら頭をあげて外を見るだけで、何台、大きいのがとほったかわかりません。しっきりなしです。

ではくれぐれもお大事に、さようなら。昭和20年8月30日」

手紙の内容について語ることはひかえたい。

天皇・皇后陛下の率直な気持ちが、表現されていると思うのです。

昭和天皇の語る「先生」がどんな方だったのか知りませんが、陛下のお気持ちは違ったようです。

そんな陛下の気持ちを香淳皇后はじっと見守っていたのだと思います。

それが、皇后の「日本は永遠に救われたのです」の言葉となっているのは、悲惨と不安に覆われた多くの国民の心を代弁するものだと思えてならないのです。

それは、世界から見て、たとえ日本が解放のための戦争であると言ったとしても、侵略戦争になってしまった過去の事実は消えることはできないのです。

重い荷物を背負うがゆえにある、救われた日本を、直視することで、救われた日本を、永遠に保たなければならない義務を我々は負ったともいえないでしょうか?

平成25年8月14日、毎日新聞朝刊に掲載された、戦後第一級の資料が発見されたことが報道されました。

日中戦争「抗日ゲリラ掃討」と表して、写真21枚に、作戦を記録した兵士の言葉が記されていました。

発見した写真は46枚と書かれています。

この写真と記録は、昭和13年から昭和14年頃の、上海近郊の村・銭家草で記録され、日付も記され、連続写真なども含まれていたそうです。

現在の中国松江区新浜鎮には、昭和13年3月3日起きた虐殺の記念碑もあり、語り継がれているという。

こうした記録は、多くが廃棄されているようであり、戦後68年経っての新たな発見は、現在の日本人にとって、忘れてはならない加害者としての、罪を再確認させるものでもあります。

毎日新聞のデジタル版には、個人が特定されると言うことなのでしょうが、掲載されていませんでした。

真実を知りたい。

何故なら、過去の真実に、我々は、どう向き合えばよいのか、わからないからです?

香淳皇后の「日本は永遠に救われたのです」のお言葉は、重い言葉です。

8月15日、旧盆に
《「単独でいる者は無にすぎない。彼に実在を与えるものは他者である」と印度の詩人タゴールは気づきました。

この世の中に、単なるモノ、単なる人はあるでしょうか。

単なる太陽や月や星、雲や空、大人と子ども、笑いや喜び、驚きや悲しみ、痛みや寂しさなど。

東北の山や川や海も、単なる山や川や海でないはずです。

人は無心なるが故に、花となって咲き、山となってそびえ、川となって流れることができるではないですか。

「単なる自然の世界は無神論的世界である」と言ったのは哲学者の西田幾多郎でした。 

単なる私なんてあり得ないことですが、人は意識しなければ、その繋がりを見ることは難しいことです。

更に見ることが、もっと難しいことは、その繋がったということにこだわって、繋がりの中の各々は、繋がることで分離し独立したという意味が見えないということなのです。

世の中には、単なる自由や単なる独立などはあり得ないことです。繋がるということにおいて、人は、独立し自由を得るということを考えなければならないと思うのです。

みんな、みんな、つながっているから。》

インドに、昔から伝えられている話があります。

《青い海に、群れをなして魚たちが泳いでいました。その中に、すばしっこく、泳ぎの達者な、魚がいました。

好奇心旺盛の、若い魚です。その魚が、一緒に泳いでいる仲間に、尋ねたのでした。「世界のどこかに、果てしもない海があるという。

こういう話を、聞いたことがあるが、その海って、いったい何処に、あるのだろうか?そんな海に、出会ってみたいものだ」。

仲間達は、いっせいに、口をつぼめて、泡を出しながら、言いました.

「ここにいる、我々みんなも、果てしもない、海のことは聞いたことがある。だけど、何処にあるかは知らないし、わからない」

年老いた魚が、そのはなしを聞きつけ、若い魚を呼び、教えてあげました。

「お前たち、よく聞けよ。お前たちの話しの、海とは、今、わしらが泳いでいる、この海じゃ。

わしらは、その海の中に、住んでおるのじゃ。世界は、どこもかしこも、海ばかりじゃないか。

わしらは、海の中に生まれ、海の中で暮らし、海の中で、死んでゆくのじゃ。

わしらが、今泳いでいて、そして、暮らしている、これが海じゃ」》と。

鎌倉、円覚寺の朝比奈宗源老師は、この物語から、この海を、仏の心と書いて、仏心として書き改めました。

「仏心のなかに生まれ、仏心のなかに生き、仏心のなかに息を引き取ること」と。

陽岳寺はさらに、仏心という字を、尊さや、家族、慈しみの心とさまざまに替えて読んでみてもよいのではないかと提言いたします。

安らぎや穏やかさを発見する場所としてです。

また海を、個人の命ではなく、大きな生命と読み替えてみれば、残されたもの の命とも言い換えることができます。


貴方は、貴方たちは、どうでしたでしょうか、家族の中に生まれ、家族の中に生き、家族の中に息を引き取る。

さらに、命の中に生まれ、命の中に生き、命の中に息を引き取ることを思い描いてみれば、命の中には、比較するものはあるでしょうかと問いを持ちます。

慈しみや、智慧の中にも比較するものはありません。

年代の移りゆく中で、その時々の家族の中、命の中、慈しみの中に、貴方は、息を引き取ったともいえるのです。

さらに、尊さ、自然、仏心と、言葉を変えて読み替えることをすすめます。

それが仏教のものの見方だと、思っています。