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彼女の旅立ちに思うこと
哲学者ハイデッガーは、「存在が語りかける」といいます。

しかも存在は語ることを控えているものです。

山野草をこよなく愛したお年寄りがいました。

彼女は語らないモノをして、語らしめる達人でした。

彼女は、一人山々を歩き、山野草を見つけては、眺めていました。

山野草の、カレンナ姿の、ぽつんとたたずむ意味は?

なぜ貴方は、日陰ばかりが好きなの?

人も通らぬスポットライトのような日向に淡い色となって生きて、花の形にどんな意味があるの?

不思議な形をした姿にどんな意味があるの?

誰の目にも止まらぬ姿で群れをなしているの?

どうして高い山にだけ、風の強いところばかりに、水辺の所ばかりに生きるのと。

適応ができないということなのでしょうか。

しかも、山野草は自ら環境を選んでいるはずです。

野草の弱さのゆえの強さに、弱さのゆえの強さとして、自分をかぶせていたのか。

選ばれて選び、選んで選ばれる、「そっと野に置けレンゲ草」のように。

山野草をこよなく愛する意味を考えてみると、山野草の語る内容の純粋性に気付き、人間も本来同じ生き方をしているはずと、語ることを聞きながら同化していたような気がいたします。

探し求めなければ出会うことができない山野草は、心ない人が立ち入れば、手を加えれば加えるほどに、そっとしておけばよいのに、消えてなくなることを考えれば、まるで人の心のようです。

彼女の姿を思いながら、動物や魚、自然の生物も、聞いたり見たり感じたりすることで、語らしめることができると思っています。

語ることは、自分自身を含めて、必ず聞く相手を要します。

そして、聞く、見る、感ずることにより、語らないものをして、語らしめることができます。

彼女の老後の慎ましさ、謙虚さは、自らに知ることを重ねれば重ねるほどに、自己に厳しく質素さの花が咲かせるけれど、逆に、彼女の強さが美しく輝きます。

否定を通して、否定の強さを備えた、野草に魅入られることは、野草に対して自分をなくすことで、却って自分が際立ち喜びや野草の強さが自分のものになったような。

それは、山野草の前にじっと、坐禅をして、瞑想しているひと時を楽しむようです。

日本各地の野草を訪ねる様は、まるで修行僧の姿のようです。

禅の古歌に「身すでにわたくしにあらず、いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたしと」。

そのありようは、自己も根拠にはならないことを示しています。

命は時間とともに変化し続けるからです。

山野草に魅入られた彼女は、「この人なら」と立ち入ることを山野草に許された彼女でもあったのでしょう。

夫の旅立ちがあり、母を慕い、誇りに思う子どもたちにとって、老いの季節を重ねて咲く彼女という山野草は、ひっそりとした、与えられた環境に、見事に咲いていたと思うのです。