無と有の対話

2015/09/26 21:33
ずっと以前に有から、親族のことで、いざこざがあると、聞いたことがあった。

ある日のことだった。また有と会った。

有に、「その後、落ちつきましたか?」と聞くと、手で胸からお腹を指し「あちこち手術をして」と言った。

「良性ですか?」と聞くと、「悪性でした」とつぶやいた。

すこし沈黙のあと、顔色を見ながら「薬は?」と聞くと、「少しですが飲んでいます」と言う。

でも笑顔がただよっているので、「ガンは人間を生きていることを考えさせるでしょう?」と言う。

「そうですね。何だか世界が変わったような」。

「今まですべて時間に追われ何かに追われながら、振り返ることもなかった、見つめることもなかったものが、見えてきましたか?」

「感情が豊かになったような……」

「今まで考えもしなかった命の近さ、何気ない自然や人の人間の行為が見つめられる機会を与えてくれるますか」と言うと、

「そうですね」と笑顔で話す。

「そしてまぶしさや輝きが新鮮に自分を覆いませんか」と。

肯く有。

「ガンからそんなものが与えられるとは思わなかったです……」と。

「ここまで来るためには、辛かったことが多かったですね」と。

有は「有り難うございました」と帰って行った。


無は、「私は、自分の心を識らない」と、有に言った。

有は、「私は、自分の心ばかりが見えるのです」と、無に言った。

無は、「私も、以前は、あなたと同じようにあなたと同じでした」と告げた。

彼岸の意味

2015/09/20 20:22
彼の岸と書いて、彼岸ですが、この言葉、彼岸がこの岸と書いて、此岸によって成り立っている言葉としてあることを、私たちは意識しません。

お彼岸とは、今を活きる私たちにとっての命が、多くの旅だっていった命によって成り立っている、活きる場所としての此岸を改めてむすびつけるものなのです。

だから彼岸は、そこに此岸と彼岸が結びつくお墓参りをする文化として、日本に根付いているものです。

ところが、日本以外の国々では、このような文化はありません。

日本独自なものとして、春分と秋分の日という休日がありますが、彼岸という形が全国に渡って文化となることは、よほどの歴史がないかぎり定着しないのが歴史です。

彼岸会法要は、西暦806年元号では、大同年間に、全国の国分寺に対して、春分と秋分を中心に、前後七日間、昼夜を問わず「金剛般若波羅蜜多経」というお経を、読ませ続けたというのが起源だそうです。

では誰のために、お経を読ませたのかというと、崇道(すどう)天皇という方ために金剛経を読まさせたと、日本後紀などに記されています。

ところが、天皇の歴代の名に、崇道(すどう)天皇という名前はないのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんで、早良親王(さわらしんのう)という名前でした。桓武天皇が、亡くなった弟さんに対して、送った称号が崇道天皇という名前だったのです。

この崇道天皇は、桓武天皇の弟さんでしたので、いわば皇太子に当たるのですが、桓武天皇はご自分の息子さんに天皇の位を渡したかったのです。

ときに時代は奈良の平城京から、まだ完全にできあがっていない長岡京に都が移った時代でした。その長岡京造営に尽力した藤原種継という人が、暗殺されてしまう事件が起きたのです。

その事件の首謀者として、早良親王は寺に閉じ込められ、皇太子の位を剥奪されます。親王は、「自分はそんな謀反や逆賊ではない」と抗議し釈明しましたが許されず、流罪となって淡路島に向かう途中で、食事も取らず七八五年、餓死して亡くなりました。

そしてこの物語は、その後立て続けに飢饉や疫病や洪水が起こり、伊勢神宮は放火で燃えてしまい、次々と桓武天皇の夫人四人、母親の五人が亡くなり、皇太子に立てた息子さんまで病気で亡くなってしまいました。

人々誰もが口にすることは、「早良親王のたたり、怨念である」と。

桓武天皇は恐ろしくて、たった一〇年で、長岡京を捨てて、新たな都に遷を移すことを考えます。

ところが、その都を造ったけれども、この都もたたりがあるのではと、恐ろしく安らぐことが出来ません。
そこで、都の東西南北に、東に「青龍」として川を、西に「白虎」として大路を、南に「朱雀」として池を、北に「玄武」として山を守りとして四神(ししん)に守られた都が、平安京です。しかもそれだけでは安心できませんでした。

さらに東西南北にスサノオノミコトをまつった大将軍神社を造営し、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)と下御霊神社に崇道天皇自身をご神体にまつり、それでも安心できずに、都の鬼門とされる北東には、幸神社(さいのかみのやしろ)・上賀茂神社・下鴨神社・貴船神社とまつりました。それが今の京都であり、平安京だったのです。

なお、この八〇六年という年は、桓武天皇が崩御して、平城天皇が即位した年であることから、この二十年にわたる日本は、二度の都の造営に、洪水疫病、日照りと飢饉に悩まされた時代だったことがわかります。 

これが彼岸法要の起源であり、実に日本的で、神社と寺社の結びつきの霊魂を鎮(しず)めるため、死者の往生を弔うための造営と供養法要の日本の歴史上最初のお彼岸法要のだったのです。

日蓮宗の日蓮は、彼岸抄に、「この七日間に、一日でも善い行いをすれば、他の日にちに幾度となく善いことに費やすより大きな利益があるだろう」と説いています。

彼岸の意味を考えてみました。ウィキペディアなどを参考にしました。

彼岸です。

2015/09/19 13:38
明日からお彼岸です。菩提寺を持っていらっしゃる方々にとっては、年に2度訪れる季節となります。

陽岳寺では、副住職が修行道場から下山してより、年に2回、この彼岸の中日に、檀信徒に法要を誰もが参加できるようにと行っています。

もっとも、彼岸法要は、それ以前から行っていました。毎回内容を変えながらが信条ですが、彼岸というテーマにしぼられるため、難しいのです。

秋季彼岸法要は、三大樹の内容で、この秋復活します。

彼岸というと、彼岸に到るで、「到彼岸」です。

般若心経には、「往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。
と、、南禅寺の元管長、柴山前慶老師が般若心経の意訳を書かれています。

般若心経 柴山全慶老師
心という、心性の自在を観察し得(う)る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみ執(とら)われないから、一切の苦厄も障(さわ)りとならなくなってしまう。

真実求道の人々よ。

この世にありては、物も心も悉く、実相の姿に過ぎないのだ。故に千差万別の世界も、そのまま真空妙有の相(すがた)に外(ほか)ならず、一切のはからいを超える処に、真実の悟があるのである。

道を求むる人々よ。

一切のものは何一つとしてそのまま、永遠(とわ)の生命(いのち)、久遠の実在ならざるものは無いのだから、生まれたり滅びたり、垢(けが)れたり浄(きよ)まったり、減ったり増えたりする如き分別(はからい)は、もとより少しも無いのである。

故にこの悟の上には、物も心も行いも、森羅万象尽く、有るが如くに見えて真実にあるのではない。どうして迷いの嘆きに苦しみ、悟の歓びに執われることがあろう。

そのまま天地の真源に立ち、光明三昧の生き通しなのである。

かくの如く尊き妙智は、万象の真源に徹し、一切の分別(はからい)と執着とを解脱しているが故に、かかる道理を体得した人々は、自ずから無位の真人となって物や心を自由に使いこなし、行住坐臥、心に礙(こだわ)りなく、したがって目前の是非、本末を過(あやま)ることがなく、心は常に大盤石である。

諸仏菩薩も祖師先哲も、この真空妙有の妙智を体得せられているが故に、世にたぐいなき真実の悟を得られたということができる。

されば、一切の分別(はからい)と執着とをすて、天地の真源に徹する妙智こそは、不可思議の力をもち、万象を包む光明であり、世に優れたる神秘をもち、たぐいなき霊力を働かすものというべきである。かくて世のあらゆる苦厄を浄化し安穏ならしむること必定である。

この故に尊い妙智の功力を人々に体得せしむるため、これを呪文として次の如くに説かれている。

往け 往け  さとりの彼の岸へ  吾れ他(ひと)ともに到り得て  さとりの道を  永遠に成就(とげ)なん。
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