命の中の争いは幾度となく繰り返す。

2015/10/14 17:20
逆に言えば、もともと無相にして無住・無念という心を持っているために、私たちが誰かを殺そうと思えば殺せるし、正義のために悪を滅ぼすこともできると悟ったのは釈尊でした。

この壊れやすい身体と意識は、何かの衝撃により襲われれば、身心はもろく、殺されることとなる。

だけれども、これを霊魂といってよいのかわからないが、命と命の集まりである世界という生命の集まりであるものを霊魂と呼べば、どんなことをしても、その霊魂は殺すことはできない。

殺害され抹殺された一つ一つの命は、強さや弱さ、運があったり無かったり、力や非力だったがゆえにその体を失うともいえる。

しかし大きな霊魂という命は、怒りやねたみ、恨みを晴らさずにおくものかと輪廻の鎖となって互いに復讐を繰り返えす。

これが命のそして、すべての生命の原理なのか?

私たちが、怨みや人をだまそうと抱きながら生きると、私たちの歩みも怨みや醜い生活となる。

汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想は、さらに汚染された生活習慣、空気、食べ物、水、言語、思い、思想を作る。

すべては、いかなる現象さえも、私たちが創造して起こしたものである。

無相にして無住・無念という心の造りだしたものにとらわれるからだ。

本来無相にして無住・無念という何にも汚されない心を持っているのにです。
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