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孫の嫉妬(しっと)
昨年の9月始め、孫をさずかった。

見ているだけで、幼子は可愛いものだが、自分の孫であることは、成長がつぶさに見れてさらに可愛い。

10月のことだった。孫の母親が、保育所に子どもを迎えに行ったとき、よその子どもに視線を注ぎ声を掛けたのだろうか?

孫の様子が突然に変わったらしい。詳しいことは聞いていないが、その様子を想像するだけで、喜んでしまう。

そして、息子から「子供が嫉妬をおぼえた」と報告を受けた。

嫉妬、自然なことだと、その意識を体験した子どもには、まだまだ理解できないことだ。

子どもと母親は一体、深く注いでくれている愛情を一身に受けている子供だったはずだ。

信心銘という文章には、「能は境によって能たり。境は能によって境たり」とある。

能を子どもに書き換えてみれば、「子どもは母によって子ども。母は子どもによって母」と読める。

子どもの根拠は自分にはなく母にあり、母の根拠は子どもにあり、共に、自分自身には母も子も根拠がない存在を一心同体という関係だ。

信心銘は、能を平等や自己に、境を差別や他者に置き換えるのだが、母は、妻や子ども、友達や仕事をする姿になることが子どもには理解はできないからだ。

「孫が嫉妬をおぼえた」と聞いて、そうか、人間はこの頃から嫉妬をおぼえはじめるのかと知らされた。

そして死ぬまで、ないしは死の近くまで嫉妬が発生する意識を持ち続けているわけで、自分の嫉妬に気づかないことは一生左右させられることになる。

嫉妬を理解してみれば、嫉妬は向上心やいたわりとして大きく成長する道具となる。

嫉妬がなければ、人は大きくなれないからだ。

仏教では、「煩悩そく菩提」と言うではないか?