夢を見るのは誰ですか?
Oh My Buddha ! 何てこった!
プロフィール

岳さん

Author:岳さん
終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード



三途の川~お彼岸にて
三つの道と書いて、三途と読みます。そして三途(さんず)の川と言えば知らない人はいないと思うのですが、最近の若い人が知っているか、聞いたことがあるかはわかりません。

この三途の川は、この世とあの世とを隔てるものです。当然、この川岸は広く深いので泳いでは行けませんから、舟や橋が必要と思うのです。

伝わり読むところによると、平安時代末期までは橋もあったと聞く賽の河原でしたが、その平安末期以降は、舟で渡るという方法が主流となったようです。

しかも、この舟に乗るにもいろいろと準備が必要ですし、その前にこの河を渡るためには、お二人のお年寄りの面接を受けなければなりませんでした。

一人は、奪衣婆(だつえば)という名で、六文銭を持たされなくって、たどり着いた死者に対し、衣服を剥ぎ取る役目を負った内面に厳しさを秘め、年令は常識では数えられないほど重ねた女性でした。しかし、この奪衣婆は不思議なことに、江戸市民が文化的に豊かになると一種のブームが湧き起こって、賽の河原から離れた都市のお寺に祀られて、閻魔大王共々信仰の対象となった時代もあったのです。

さて賽の河原の伝説では、もう一人の登場人物がいます。懸衣翁(けんえおう)といって鬼の様相をした、これも年齢不詳の鬼の翁でした。彼は、奪衣婆が奪い取った衣服を、大きな木の枝にかけ、その重さで死者の罪の深さを測ったといいます。

その罪の深さという重みによって、賽の河原である三途の川を渡る場所が決まり、川の流れの早瀬や深瀬に渦をまいた場所などが決まるというのです。

さて、賽の河原といえば、さらにもう二組の登場人物がいます。

それは、親に先立って亡くなった幼子と、その幼子たちを救うお地蔵さまでした。

親から見ると、親より先に旅立ったという幼子を、親の悲しみが秩序に置き換えられて、幼子の親不孝と告げられ、その報いとして苦を受ける因果の法則となっています。

今の時代から考えれば、親の強い幼子への思いというか、親の論理でものごとを考えることから、幼子は親の所有物という時代だったのでしょうか。

必死に泣く早死にした幼子は、時代背景を背にしてですが、遺された親の供養のあかしとして、両親への想いを心に篤くして、河原の石を積み上げるのです。そこへ鬼が出て来て積んだ石を崩してしまいます。

何度も何度も幼子たちは親の面影を浮かべて石を積む、そんな姿に親たちの苦しみを、救う物語が、お地蔵さまと幼子の死の物語です。

早くして亡くなった幼子が、賽の河原で、石を積む。その姿を、死して親孝行を支える表現としたのでしょうが、これではお互いが苦しむ姿となるでしょう。

そこで、幼子にして見れば原因があっての別れなのですが、川原に石を用意して、河原の石を、積み木のように積み、繰り返し繰り返し、あきるまで積む姿を、幼子が無心に没頭する遊ぶ姿かも知れないと考えてみたのです。

積んだ石積みは高く高く、すると、積んだ石は崩れるものです。そこに、幼子の心を慈しむお地蔵さまが登場します。幼子は、無心、ただ積むという行為に、幼子の今があるような気がいたします。

幼子は母親や父親など保護者に依存しています。幼子の沈黙の言葉を代弁すれば、「お母さん、お父さん」であり、居てあたりまえの生活の中に、喚ぶ声でしょうし、訴える声でもあります。幼子の様子を、般若心経の中に「眼耳鼻舌身意無く聞く」と書かれています。

眼なくして耳なくして鼻なくして舌なくして、身なくして思いなくして聞くというのです。石を積み遊ぶ幼子の心には、「お母さん、お父さん」という響きが一杯となっています。この声は本当に、寂しい、悲しいと泣いているのでしょうか。

その見えない声を聞くことができるのが、この物語では、お地蔵さまだったのです。何故なら、お地蔵さまこそ、お父さんやお母さんの化身であったからです。幼子の心を、大きく包んであげることができると。

幼子は、恐いものは、身に降りかかる突然のビックリするもの、大きな音や、出来事、この世の中のことは知らないし、わかりません。これは知らないことを、何よりも知っているということです。ソクラテスに言わせれば、「無知の知」でしょうか。

純真無垢、生きることも、死も、働くことも、善いことも悪いこともです。だから、親は教えてあげるのですが、子どもは、今を生きる天才です。

その天才ぶりは、幼子の興味は、今・ここの一点にあり、三途の川を渡るという意識もなければ、かえってその川原で遊ぶ姿だけが象徴とされる姿です。

それに対して、大人や成人、お年よりの問題など、倫理や善悪、時間もないし、生きるもなく死もない。あるとするならば親の愛に包まれていることでしょうか。

そしてお地蔵さまとは、ご両親の代わりに、今ここを、幼子と一緒になって遊ぶ姿として、ご両親の化身としてみたのです。

考えてみれば、この賽の河原の物語は、大人が創作したものですが、見方を変えれば、大人となって成長しても、大人の中の幼子の心を考えさせられるものとなり、問いかけを持つことを説いているように思えるのです。

彼岸
怒りやねたみに執らわれると、怒りやねたみに縛られる。

憎しみさげすみに執らわれると、憎しみやさげすみに執らわれる。

好き嫌いに執らわれると、好き嫌いに執らわれる。

人をだましたり、蹴落とすことに執らわれると、人をだましたり蹴落とすことに縛られる。

心に思うことや感情に支配されると、心に思うことや感情に縛られる。

名誉や地位に執らわれると、名誉や地位に縛られる。

強さや弱さに執らわれる、強さや弱さに縛られる。

>悪や正義に執らわれると、悪や正義に縛られる。

癪にさわる、頭にくると言うけれど、そのよい機会に癪の中味を、頭の中を、心の中を顧みるしかないのないのです。

もし癪にさわる、頭にくるモノを一日中執らわれに満ちあふれさせて、ひと月、一年、十年、もし一生持ち続けたとしたら、自分自身の一生は、とらわれの関係のまま終わっていることに気づかない一生となっているでしょう。

>いつまでたっても何のために私は生まれてきたのかも分からず終わってしまうのです。

よく言う会社に半生を捧げて、定年で家庭に戻ってみれば、半生を捧げた会社に執らわれて、会社から定年で必要としない人間となってみると、今の自分の意味が見いだせないかのようです。人生にとって、仕事、それ以上の執らわれは、働くことが目的とすれば、働かなくなってみると、それ以上のより所は見つからないのかも知れない。

執らわれる、縛られるというのは、本来一瞬に生滅しているものを、言葉と記憶により持ち続けないと保てない私という意味です。

時間的にも場所的にも、一瞬一瞬の今ここに繰り返されて起こっていることです。だから私にも分からない。

その私がいなければ、私たちは、同じ船に、同じ国に、同じ地球に乗り合わせている旅人同士なのです。



情けない
お寺では、春と秋の中日には、ごご2時から彼岸法要を、誰でも参加できるようにと、お布施と関係なく営んでいます。

彼岸は、春秋、昼の時間と夜の時間が等分になる、それを春分の日、秋分の日と呼びます。そして、秋分の日、春分の日の前後3日が、お彼岸と呼んでいます。これを名づけて季節の行事週間としているのは日本だけです。

この期間、さまざまな人たちがお墓参りへと、お寺に寄っていきます。そこではさまざまなお話しが交差します。孫の姿を見せる人。子供たちと来る人、お年寄りが家々の亡くなった人たちへ忍ぶ対象に対して、しるしを置いていくというのか、お線香にシキミ、お花を添えて墓地は、花畑です。

陽岳寺では、昨年、合同のお墓を造りました。それは一人という人たちが増えて、あるいは継承するお墓はいらないと考える人たちのために、新規に造ったものです。不思議なことに、ここにも、子供たち孫たちが、お線香をあげ、花を捧げて墓参します。生きている人が、このお墓に眠っているように墓参するのです。そして家族や親族、知人は、この眠っている人に語りかけ、言葉を引き出しています。

今朝も、お年寄りの男性が一人墓参しました。「よくお参り下さいまして、有り難うございます」と添えます。するとお年よりは、「妻の名前で、お塔婆をお願いします」と依頼されました。

この方は、今年納骨された親戚のお墓にお参りしている方です。お正月やお彼岸に家族と墓参していました。今日は、一人でしたので、「今日は、お一人なのですね」と語ると、「今年は私もガンで入院し、妻も、転んで足を折り、私も歩みがおぼつかないのです」と、絞り出すように話しました。

「葬儀にも参列できなくて、情けない」と語った姿に、元気な老いの姿は、時に、一気に老いのページを進めて、お年寄りの寂しさが伝わっきます。「あんなに勢いがあった老いだったのに」と、これを落差というのでしょうか。

でも、奥さんの名前で塔婆をあげるという行為も妻の気持ちを汲んで、優しさが、お年寄りの目に輝き、線香の煙も助けて「情けなくて、涙がでてしまう」と、言葉を残して墓参に行きました。