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天のほうそく (まど みちお)

天のほうそくはむげんにある
このよは天のほうそくのほうこだ
ほうこを あけるカギは
このよでなにをするか なのだろう
あけて でてきたものが
かってこのよになかったものであるとき
天はほほえまれる
いまこの一しゅんに
このほしにいきる一つぶのわれらが
そのものをどのようにつかいこなすかを
みまもっていてくださりながらに

 今年の夏が終わろうとしています。でも夏が終わろうとして次の季節が、秋、としてくるかどうかわからない日本になってしまったような気がする。

夏と冬のあいだに、つかの間の春と秋があるような感じがする。

春と秋を存分に楽しんだ後の春と秋だったが、梅雨と秋雨が冬と夏との戸締まりのような、こんな季節に誰がしたと、疑問に思いながらも、人間は生きるしかないのだ。

 北極やアイスランドにアラスカ、極東のロシアのツンドラも温暖化で堆積したツンドラの腐敗が進むという。

世界の強国は、その氷におおわれた大地がとけることで、石油は鉱物資源の開発が進むと、角を突き合わせるのか。

 1時間あたりの雨が、130ミリ、100ミリ、80ミリと突然、夜眠っている間にも、気象情報や防災情報が頻繁に、スマホの画面に現れる。便利さゆえに、頻繁なあまりに慣れてしまって、現実のことかわからない。

でもニュースで知れば、豪雨に冠水、山崩れに、小さな被害なんてないはずなのに、報道しきれないほどで、当然、世界中にあふれる世の中になっている。

世界でといっても、特にアフリカだがその他にも開発途上国で、人口が爆発的に増加する。医療が進歩し、衛生的になったことで平均年令が伸びて、伸びるほどに人口問題が表面化してくるのだろう。

世界中がやがて少子高齢化の問題に直面するし、食糧問題・医療問題・年金財政問題、水資源や再生可能エネルギー、そして貧富や格差の問題など世界中に深刻な問題になるのが2050年問題というが、現実には、今、進行が進んでいることは、今日の天候の現状を見れば明らかなことです。

地球という衛星の中で、有限な資源と環境において、この直面する問題に人間はどう生きていくのか、冒頭の“まどみちお”詩人の「天のほうそく」が示しています。

古代エジプト、紀元前に3000年の文明を持ちます。ナイル川の氾濫と恵みにおおわれた流域に、日の出と日没を繰り返す太陽の恵みに、太陽暦を発見し、農業や建築測量技術が発達しました。太陽神を発展させて天文学が誕生した歴史でした。

ギリシャ文化の時代は、哲学の誕生でしたが、自然崇拝から人間の価値観を追い求めるものでした。ギリシャ神話に登場する神々も、どろどろとした人間くささそのものを表現したような、それは、人間の慎ましさや、謙虚さを表していたのでしょう。

他にも多くの文明が、世界史には発生していましたが、滅びた原因は、自然災害や戦争に疫病だったのではないでしょうか。

 中世から近世にかけては、近代文明の発展は止まることを知らずに、人間の知恵は、「知は力なり」と、自然の中に閉じ込められた鉱物資源やエネルギー源を掘り当て、便利さ効率、力を生み出し、自然を操作し、スピードを競い、物質的な豊かさを追求し、そのため戦争をし、軍備を競いと、このスピードは速まることはあっても、ブレーキを踏むことは出来なかった。

走りっぱなしの車は、いずれ最後が見えています。そうならないために走ることには、ブレーキがなければなりません。ブレーキを踏まなければ、いずれ破滅に向かいます。走るためには、走らない大地がなければなりませんが、その大地が痛んでいては走れないでしょう。

人間が生活する気温が、世界で、40度、50度という数字を見る確率が高いことに驚きます。

砂漠や熱帯地方でなく、温帯地方に、今年もありました。

それに、2019年の与那国島二酸化炭素濃度は、406ppmから418ppmで、確実に二酸化濃度は増えて三角定規の30度の上を登っている様子です。

天のほうそくは、自然のままですので、人間も自然と一体になって、三角定規の30度の上を登り歩いてはいけないでしょう。

地球に暮らす一人一人が、ほんの少し、歩みのスピードを遅くしたら、その分だけ30度が20度になるかもしれません。

ですが、将来の子ども達のために、地球の未来のためにと考えれば、この410ppmより下げなければ、未来は悲惨なものになるでしょう。

「世界はあるがまま」と、お釈迦さまは2600年前に話されました。

まさか地球の環境悪化がここまできてしまったとは、天の法則は無限にあります。

その無限とは、人間にとって、良い方にも悪い方にも無限にあります。人間が、この地球に誰一人居なくなっても、天の法則は無限にあります。

人間は天の法則の一部であり、支配するものではないことです。ここに、天に対して、謙虚さが必要なのです。自然を恐れ、自然に親しむと…… 

天のほうそくはむげんにある
このよは天のほうそくのほうこだ
ほうこを あけるカギは
このよでなにをするか なのだろう
あけて でてきたものが
かってこのよになかったものであるとき
天はほほえまれる
いまこの一しゅんに
このほしにいきる一つぶのわれらが
そのものをどのようにつかいこなすかを
みまもっていてくださりながらに
2019.08.27 Tue l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top

私たち一人一人、生きて現実に歩む道は、夫婦であっても、子どもがいても、ただただ、一本の道が果てしなく繋がっていると、見てもよいでしょう。

親しく亡くなった、父や母、祖父や祖母、さらにその先の亡くなった者が歩んだ道も、それぞれ一本の道でした。

共に、時間を隔てて、別々の道には違いがないものの、親しく亡くなった者の歩んだ道も自分の歩みも、続く道だと気づくことも、また、新しい自分や親しく亡くなった者を発見するものかもしれません。

とある男の子が、幼かった頃父を亡くしました。病気だったこと、母が看病しながら仕事につき、男の子を養いました。父が荼毘にされたとき、母はそっと、夫の「のど仏」をハンカチの中に入れて自宅に帰りました。やがて骨壺を菩提寺のお墓に納骨しましたが、母はのど仏を小さな緑色のガラスビンに入れて、幼い子どもに言いました。

「いいかい、これから、この父の形見に水を供えるのが、お前の勤めだよ。いいかい、毎日毎朝だよ!」と。

 この繰り返して、形見に祈る子どもは、やがて大人になって立派な僧侶になりました。これは偶々(たまたま)なのか、必然なのか解りませんが毎朝毎朝形見に向き合う子ども成長には、向き合うということが如何にその子の人生にとって大きな比重を持つか不思議な感慨を持ちます

 とある家庭において、働き盛りの父が、急に病気で亡くなりました。子ども達は中学生になった頃・そして小学生高学年頃のような私の記憶です。母は、当然のごとく、仕事に就きました。

その時から、亡くなった命日には、必ず私が呼ばれ仏壇の中の位牌にお経を上げました。後ろに男の子2人と母が控え、終わって父に向かって焼香します。仏事が終わると、子ども達は自分の部屋に入ります。

お盆にも、お経を読みに行きました。子ども達も必ず居て焼香します。仏事で子ども達とお話しをすることは、ほとんどありませんでしたが、年数が経てば立つほど、確かな成長を歩んでいる姿として見ていました。

いつまで続けるのか、依頼されるまで、通った仏事も、下の子どもが結婚して家を出るまで続けたのです。考えてみると、母は、会計事務所の経理と計算の仕事を懸命に覚え家庭を守ったのですが、私は、一年に二度、仏壇の前でお経を読んだのですが、そのことと、子ども達が立派に成長したこととが、どう繋がっているのか知りません。うかがったこともない。

ただ母が働くことを辞めたのは、70歳後半だとうろ覚えですが、子ども達のそれからは、今も、その母から聞いています。

その母は老いに、追い越されないように、多くの趣味をもち、自分なりに老いの若さを謳歌して歩んでいます。

 仏事とその家族の家庭に絡む例は、数多くあるのですが、子育てが終わるまでの仏事で見届けたのは、この二例です。

 すでに立派な立場に立っている子ども達に聞いたこともないのですが、母は、今の子ども達を話すのです。
2019.08.20 Tue l うつつ l コメント (0) トラックバック (0) l top