チベット

2008/04/16 11:07

 地球のいただきに7,000年という年月をへて暮らしてきた民族が揺れている。揺れているどころか、そこに文化を継承して住めないのだ。地球のいただきという神秘の扉の中に暮らすからこそ、伝わって生きてきた神秘が途絶えようとするあえぎのような気がする。

 多くのいただきの民族が山から追われて、地平に暮らすことを考えてみただけで、ぞっとする。あれから50年が過ぎているからでもあります。

 赤茶色の衣を着たラマ僧たちの敬虔さ、そして、チベットの人たちの聖地への旅姿を見るにつけ、それは、遙か彼方に向かって五体投地を繰り返しながら何ヶ月かけて旅をする人たちの姿に、圧倒されるからです。

 チベットの創世記は、水中の山脈が隆起したことから始まります。そして、この物語は、水が引き4,000メートル級の高原が誕生したことから始まり、今に至っています。

 サンスクリット語で、雪の住みかというヒマラヤが誕生し、その雪の国に最初住みついたものたちは、野蛮な聖霊や動物といった物の怪たちと、彼らの伝説にあります。

 その雪の国に、やがて人々が誕生するわけですが、その人々の子孫は、観音菩薩にさかのぼります。それは、觀音菩薩の化身としての1匹の雄猿と、ターラ菩薩の化身である鬼女です。この二人は、ヤルルン渓谷(古代王朝発祥の地)にて結婚し、6人の子供を産みました。その子供たちこそ、チベット民族のさきがけです。この古事により、チベットという名は、慈悲の菩薩、觀音菩薩の地という名前が付されたということです。

 人類の起源が類人猿ということに驚きはしないものの、鬼は想像がつきません。しかし、鬼は、類人猿よりも精神面や容姿において人間に近い存在といわれていることに、彼らの創造性豊かな感性を感じます。

 そのチベット人による王国が誕生したのは、紀元前127年のことです。そして、やがてチベットは、チベット人により統一されるのですが、7世紀に入ってのことでした。その頃の宗教は、ボン教という教えであり、栄えていたということです。

 チベットに、インドから仏教が広がるのは、8世紀です。またたく間にチベットに広がったのですが、ボン教にその広がる下地があったからです。

 幾多の変遷をたどって、仏教は、人々の信仰を築きあげます。13世紀にはいると、チベットはモンゴル帝国により統治されるのですが、チベット仏教は皮肉にもモンゴル人の心を改宗させてしまいます。モンゴルにチベット仏教が伝わったのはこうした理由によるものです。

 そして14世紀の後半、チベット仏教は教理と実践による一大体系となり、宗教国家として現代に至っているといえるでしょう。

 仏教には三宝という仏・法・僧がありますが、チベット仏教は、それに、生き仏が加わり、四宝という特色があります。今、ダライ・ラマとパンチョン・ラマという言葉がニュースに伝わっておりますが、ラマとは活き仏のことです。そして、その特色は、小乗、大乗、密教(タントラ)を体系にまとめあげて、実践の指針を提示していることです。

 チベット仏教ゲルグ派の高僧ゲシェー・ロサン・ケンラプ師の法話が、http://www.tibethouse.jp/culture/shine.htmlにあります。師は、ダラムサラのネチュン僧院で教えていて、2002年の夏に来日いたしました。

 《私たちは他の存在を味方・敵・無関心な相手の三つに分別します。このような分別を行うのも自分自身へのとてつもない執着心があり、なんとしても自分を守りたいと思っているからです。自分の味方である存在は慈しみ、自分の敵である存在には怒りをおぼえる。さらに愛着も怒りも覚えない無関心な相手というものがいる。怒り・貪(むさぼ)り・無知の三煩悩(さんぼんのう)はこれらのものが基盤となって生じるのです。 

 ですから他者を味方・敵・無関心な相手の三つに分別してはいけません。そもそもそう分別する理由さえないのです。敵も味方も真髄(しんずい)を欠いています。今あなたが敵だと思いこんでいた相手が、将来味方に変じたり、味方だと思っていた相手が敵に変じたりすることもあるわけですから。 また今、大したことのない相手だと思っていた存在が、将来あなたにとって、とても有益な相手になることもあります。こうした事実はわざわざ経典にあたる必要もありません。そのことについて思い巡らしてみれば、そうとわかるはずです。一時たりとも離れ離れになっているに忍びない愛しい相手が、いつしかその名前を聞くだけでもむかつくような相手になっている。反対に、最初はなんて嫌な相手だろうと嫌悪していた相手が、いつのまにか限りなく愛しい相手になっている・・・。  

 私は別に敵も味方も存在しないと言っているわけではありません。敵も味方も存在します。ただ、敵であるから憎(にく)む、味方であるから愛するという態度を捨てて、どうしてあるものが敵と感じられ、あるものが味方と感じられるのか、その理由を理解し、敵味方を分別するような態度を捨てなさいと言っているのです。 》

 ダライ・ラマ14世が、「自己保存のための他者に対しての大切にする思いやりは限界がある。しかし、智慧にてその思いやりを普遍的なものにすれば、その思いやりを敵に捧げることは可能だ」という言葉は、ゲシェー・ロサン・ケンラプ師の言葉と同意です。

 

 チベット仏教をアメリカやヨーロッパに一躍有名にしたのは、『死者の書』です。《チベット「死者の書」の世界(中沢新一著 角川ソフィア文庫)より》

 それはチベットの山々のはるか彼方のこと。一人の村人が、今、死を迎え、最後の儀式と作法をのぞんでいる。家族は、親しいラマ僧を、その男の臨終によんだ。

 ラマ僧は、お寺にはいり、読み書きや呪文の教えを受けた十歳になるかならない小坊主を連れて、山を越え、谷を渡り、死者になろうとする家へいそぎました。

 その家に着くと、そこで、すぐさま、死に逝く者に添って、観察し、導くのでした。

 帰路、ラマ僧は、この小坊主にも、そろそろ、教えの扉を開いてよい頃だと思います。それは、人の死を目の当たりにし、この小坊主とラマ僧との信頼がなした故にです。

 ラマ僧は、小坊主に説きます。

「心(生命存在)とは、それぞれの生命組織の中で活動している状態のことをいう。ミミズはミミズという生命組織をとおして、自分の世界を生きているし、犬は犬、餓鬼は餓鬼、人は人の生命の条件にしたがって自分の世界をつくり、それを生きることになる。それぞれの生命体が、自分のまわりにつくりだしている世界というものは、その生き物にとってだけ意味をもつ世界だ。心はその中をいきながら、自分は根源に達していると感じることができない。だから、途中(バルド)なのだ。」

 数日後、このラマ僧と小坊主は、火葬にした、あの死者のいなくなった家に行きます。そして、死者の意識に向かって経を唱え、祈り、さとし、力を与え解脱、そして再生へと向かう死者の意識を、輪廻から觀音菩薩の慈悲に導くのです。

 この菩薩の慈悲への導きは、死者の意識が持つ幻影や記憶を遮断するためです。なぜなら、人の意識は途中にあるために、意味を解体しなければならないからです。

 なぜ解体しなければならないか、それは、意識は貪(むさぼ)り・怒り・愚かさを含んで、死してなお、再生に向かう途中に影響を及ぼすからです。

 

 ラマ僧は小坊主に言う。「有機体でできたこの身体はかならず滅びる。でも、生命はそれぞれの生命の死を超えて、流れ続ける。心の流れが、とだえないから、生命には再生があるから、人は世界に対して、本当に優しくなれるのだ。」

 「この世界にある生きもので、一度たりともお前のお父さんやお母さんでなかったものはない。この牛をごらん。今は牛だが、過去の生ではお前のお母さんだったことがある。そのとき、お前に優しくしてくれたはずだ。」

 「さあ、觀音菩薩による救いの力を待とう」と小坊主に呼びかけるのですが、死者の意識の力にかけるものであります。そのかけは、死者の意識が、死ぬことが、単なる苦しみではないのと同じように、生まれてくることは、喜びでだけではないからです。だからこそ、生と死のむこうにある、心の本質を知ることが求められます。小坊主がすこしずつ解りかけてくると、ラマ僧は、昔、インド人からおぼえた言葉を、小坊主に教えます。

誕生のときには、あなたが泣き

全世界は喜びに沸く。

死ぬときには、全世界が泣き

あなたは喜びにあふれる。

かくのごとく、生きることだ。

 死者の書は、最期にいたって、この言葉で結ばれています。生きる指針として人間賛歌の言葉でもあります。この言葉ゆえに、ラマ僧は、死はすべてを奪うものではなく、ほんとうの豊かさをあたえてくれる機会だというのです。

○チベットは、1959年に中国共産党軍により侵略され、時の宗教政府は流血を防ぐためヒマラヤを越えてインドに亡命いたしました。そこで、ダライ・ラマ14世を法王として、亡命政府が樹立されました。本掲載は、チベットの人々や仏教を少しでも知りたいと思ったことからです。内容は粗雑ですが、遠からずと思っています。ローマにバチカンがあるように、チベットに……。




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