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錐翁慧勤2
さて近世禅林僧宝伝(禅文化研究所)上巻の259ページに錐翁の記事がある。
《武蔵州陽嶽寺錐翁禅師伝(?~1687愚堂東寔法嗣)
師、諱(いみな)は慧勤、字(あざな)は錐翁。愚堂に嗣いで、抜群の誉有り。常に愛して女色の中に交居す。人、其の故を知らず。或いはそしり、或いはいかり、愚堂に訴える者あり。愚堂は錐翁を召して呵責して曰く、「沙門、どうして女人に交わる」。錐翁は笑って謝す。

他日、また交わり、談笑して時を移す。愚堂、これを如何ともすること無し。後、異迹(いせき)を顕(あら)わして、測るべからざるに至る。
一時、江東に山居す。夜を侵して山を出で、一小廬に入り、葉を焼いて火に向かう。貢税(こうぜい)を責めるの士有り。火の窓を照らすを見て、入って茶を乞わんと欲す。錐翁の髪長く眼(まなこ)光るを見て、誤って魅怪となし、刀を振るってこれを斬る。熟(つら)つら見れば錐翁なり。士、大いに悔ゆれども及ばず。簀(すのこ)につつんでこれを負(お)い、山谷の間に捨て、而して邑長(ゆうちょう)の家に至る。
その夕、錐翁、来る。その士を見て曰く、「汝、何ぞ我れを誤って恁麼なる」。士、恐れ恥じて、言うところを知らず。錐翁、大いに笑い、飲噉(いんたん)自若たり。

また濃州(美濃)に山居す。年旱(ひでり)す。村老、錐翁に戯れて曰く、「公、若し知るところ有らば、為に雨を祈れ」。錐翁曰く、「諾(だく)、この夕、雨を降らすべし」と。杖を携え山に登る。村老、後を逐って往く。小祠(しょうし)有り、錐翁、杖を以って戸を打って曰く、「村民、雨を乞う。この夜、降らして可なり」と。祠中に声有り、曰く、「慎んで命を受く」と。錐翁、山を下って未だ庵に入らざるに、雲雷、天に満ち、甘霖(かんりん)、暁に徹す。民、大いに徳に感ず。

後、江府深河(深川)の養岳(後、陽嶽と改む)に住す。仏頂(仏頂河南)・大室(大室祖昌)、これに侍す。
一日、幼婦有り。走って錐翁に投じて曰く、「妾(わらわ)、誤って人の為に凌逼(りょうひつ)せらる。丈人、これを見て瞋(いか)って斬殺せんと欲す。願わくは、哀救を賜え」。
錐翁、時に寝衣を被(き)る。婦を呼んで曰く、「来たって老僧が懐に入れ」。婦、怖れを以ってのゆえに、直ちに錐翁を抱いて臥す。かくの如くすること一日一夜。隣人、立議して、丈人の心を宥(なだ)めて、来たって婦を返さんことを請う。錐翁、懐を開いて曰く、「女子、汝、去れ。また危事無し」と。

また一日、美婦人有り。年、四十ばかり。寺に入り仏前に涕泣す。仏頂・大室、怪しんで来由を問う。婦曰く、「妾(わらわ)は親故無く、居所無き者なり」と、涕泣して言(ものい)わず。すなわち錐翁に稟(もう)す。錐翁曰く、「彼すでに居無し。幸いに我が茶飯を給せしめよ」と。居ること多年。暫時も在らざれば、錐翁、二僧を責む。

一日、浅草寺に詣ずと謂って出でて帰らず。錐翁、また責めず。二僧、大いにいぶかり、錐翁に問うて曰く、「此来(このごろ)は暫時も在らざれば、これを尋ねてやまず。このたびは帰らざる事すでに三日に及ぶ。師の問わざる何ぞや」。錐翁、笑って曰く、「彼、先に我れに濃州(美濃)に侍す。また慕い来たってここに侍す。汝等、まさに観ずべし。彼が名を応現と曰う」。しばらくして曰く、「物に応じて形を現ずるなり」と。復(ま)たもの言わず。次の日、錐翁、すなわち化す。貞享四年(1687)2月10日なり。陽嶽の聯芳塔(れんぽうとう)に蔵す。

錐翁は陽岳寺の第二世であるが、記録によると、妙心寺前堂職という位に、転位していないという。その当時の法階のことは興味がないが、首座と書かれていれば、優れていたということだろう。どう優れていたかというと、私には、錐翁のことを、風顛漢という形容をしていた何かの記事を読んだことがあったが、この風顛漢だ。錐翁は錐翁として市井に生きた。鬼女や竜女、そして応現という弟子など、なにやら不思議な伝説が後世に残されたものを知れば、その行脚は一言では形容できない人物だったことだ。

三首座そして、十五哲のそれぞれが、妙心寺の役位に就任していること思うと、錐翁一人は、それを嫌ったのではないかと推察する。また、美濃に山居した記事は、伊深の関山嶺中ではないかと、妙法山正眼寺史から想像した。その関山嶺中に山居したとき、雲衲が多く集まったというが、その山中を辞して、深川に住すわけだが、この頃の、陽岳寺には、創建の文室和尚・開山の江巌和尚の頃だった。


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