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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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携帯の功罪
携帯電話を持つようになったのは、外出したときに、お寺から緊急な連絡を届かせるためだ。
思いだして見ると、子ども達に携帯を持たせたとき、その頃は、子供に事件が多発していたことを思い出す。
それ以来、子ども達は携帯とともに人生を歩んでいる。
ひるがえって、私は、今でも、お寺から緊急な電話を受けるために持ち続けているだけだ。
その緊急な電話は、一年に、何回もない。たった数回の緊急の電話が届かなかったために、私は今も、持ち続けているのだ。
しかも、携帯電話の月料金を千円台に維持するためにも、なるべく、使用を控えていることもある。
便利であることに違いはないが、いつもポケットに忍ばせておかなければならないこと、たまに電池が切れることがあること、ここに不便はある。
必要なとき以外は持たなければよいのだが、こんな、携帯の使い方もあるのだ。
もっと積極的?な使い方もあるはないかと、そんなことを考えもしない。
携帯を持っていなくとも、何の便も不便もない。
携帯に生活を縛られるわけではないけれど……。ピンポンとチャイムが鳴る。
裏木戸を開ければ、日傘をした年配のご夫人が二人。
一人が、「私たちはクリスチャンなのですけれど、ボランティア活動をしております」という。
妙に落ち着いたそぶりに、内心、あーあー「エホバの王国でしょう。もろみの塔の方でしょう」と尋ねる。
一人が、「そうです」
「結構ですから」という。
優雅にして「そうですか」と、彼女たちが去っていった。彼女たちは連休だからこそなのか、王国造りに励んでいるのだ。
私のつかの間の王国は色褪せる。アーアー。
でもこうしている時間にも、その携帯に、仕事の連絡を待つことで、成り立っている人もいるのだ。
その携帯がなければ、禁断症状を解決できない人もいるのだ。
その携帯により、命が救われる人もいるのだ。
また、携帯がつながらなかったことにより、離婚を決意した人もいるのだ。
明日ではなく、今を生きる人たちが……。
考えてみれば、携帯って何なのだと、やはり、一人一人が、自分に問わなければならないでしょう。

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