見えるものは、見えないものによって成り立っている

2010/09/15 10:03
もうだいぶ昔のことだ。
禅の修行から帰ってきて、自分が何も知らないことに気づいた。
そこで、最初に勉強したことが、仏教の縁起感だった。
今でも、そのことが基本になっている。

見えるものは、見えないものによって成り立っている。
存在するものは、存在しないものによって成り立っている。
子供は両親を持つことによって成り立っている。
商売は、買い手と売り手によって成り立っているだ。
それは、自己否定を通して、自己が肯定されてゆくという成り立ちだった。

問題は、自己否定されているものが見えないことと、成り立たせている相手が不明な場合だった。
何の不思議もなく使用する、「有り難う」「助かります」「おかげさまで」「感謝します」「幸せです」もこの道理を表している。
もし、今の自分が、これらの言葉の正反対を使用していることに気づけば、それは、否定する過程が違うのだ。
もしかしたら修羅の世界かもしれない。

人が生きることは、相対的な社会との関わりの中でしか生きることができないことを表している。
だからこそ、自分を成り立たせている見えないもの、知らないもの、分からないものとしての他者を知らなければならないのだと思う。
そこにそれぞれの自己の問題が見えてくるのだと思う。
考えてみれば、高齢者の行方不明者、一人いじめに心を痛めている人、今自殺しようとしている人、今多額の借金をしようとしている人……

人は独りであるけれども、一人として生きて行くことは出来ないから……



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