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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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彼岸
彼岸というとき、そこに隠れているものは、こちら側(がわ)ということです。
こちら側に住んでいる人は、あちら側の岸は見えません。
だから、あちら側の人は、こちら側が見えるのか、気になることなのか解らないのですが、こちら側の人の想いは強く、創造をたくましくこしらえることができるのです。

こちら側の人の居場所は、今・ここですが、あちら岸は見えないのですから、過去や未来とも考えることができないでしょうか。

何故なら、過去や未来は、決して、今・ここではなく、歩むことはできないからです。過去や未来は、今・ここがあるから、誕生していることなのではないでしょうか。

彼岸も同じことが言えるとすれば、こちら側があるから、あちら側があるのであって、こちら側が亡くなれば、あちら側もなくなると……。


父や母を亡くしてしばらく経ちます。ふと父や母を偲ぶことがこの頃多くなったような気がいたします。
父とは時代や環境が違うものの、父の歩んだ年齢を追ううちに、父も同じように見ていたのだ、母もそうだと悟ったとき、そこに、父や優しかった母、いつも子ども達を見守っていた母母の気持ちが見えるようになってきました。

不思議なものです。やっと理解できるようになったとき、父や母が、なんと身近に思えることができたと同時、その父や母はもういない。

そこでふと思ったのですが、禅宗の書物無門関の、「釈尊や達磨大師のように自己を見たものは、親しく趙州にお会いすることができるし、歴代の悟りを開いた和尚たちと手をとって共に行き、眉毛を互いに結びあって、祖師達と同じように見て、同じように聞くことができる。
なんと心地よいことではないか」と書いてある言葉でした。

秋になって「夕刻からの虫の音に、母を思い出す季節です。」の出だしのお手紙をいただきました。
差し出した娘の母は亡くなってしまったものの、母と二人で過ごした秋の夜を思い出し、自分が母となり子となり、すぐ近くに母の笑顔が、父の便りを待つ母の面影が、虫の音とともに甦るかのようです。
この人も、秋の虫の音に、母と同じものを見つめている。

人は、こちら側とあちら側の岸を、いとも簡単に飛び越えて、まみえることができるのだなと思うのです。

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