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境界
人が暮らす敷地には、境界というものがあって、そこに塀をしたり、杭を打ったりしている。
本当は、永遠に続く境界など、大地にも空にも海にもないのにだ。

その境界の外側が、民族も違い、歴史観も違い、軍隊をもっているし、思想によって保たれている国家で、固有の意識を持っているとしたら……。
しかも、話し合いより、民主主義より、民族の宗教や国民の総意や軍隊の力に重点を移したとしたら……。

その境界は、塀を高くするか、監視カメラに、もしかしたら軍隊によって常時守られなければならないだろう。
だって、警察はその国の規則を遵守することを守るためにあるからだろ思う。

日本における過去の戦において、必勝を祈願し、日本の神々に祈った歴史は数多くある。大戦しかり戦国絵巻に於いても、今日の日常の生活に於いてもだ。
イスラエルに対峙するアラブの国々、アフガンにしても、イラクとアメリカにしてもそうだった。慈悲と愛を叫ぶ宗教の対立ともいえる愚かな戦争に大義などあるはずはないのだ。
あるのは、それぞれの思い込みだ。その内容を探ってみれば、結局、貪瞋痴に要約されるだろう。

慈悲と愛を叫ぶ宗教の精神が、なぜ、闘いを是とするのか。分かち合い、いたわり、慈しみ、悲しみ、敬い、尊さが消えている……。

しかし、慈悲と愛を必要としなければ、世界はどうしようもなく破滅的になるはずだ。
もし、宗教が国家管理となれば、その国の自由は保障されない。それは、分かち合い、いたわり、慈しみ、悲しみ、敬い、尊さが消える……からだ。

消えたところにあるのは、豊かさや、貧しさからの脱却であり、そのために必要なモラルや信条がないし、共生もない。

そんな国の境界はどのように考えればよいのか。その国に隣接する国々、関係を持った国々は、お互いの利益だけであり、共感はどこにあるのか。

生きている思想なんて、考えてみれば、さまざまに変化することが当たり前で、変化することによって、最初にできたものとかけ離れてしまうものだ。
そして、人間の頭の中で作られた考えは、自分たち自身が完全な生き物であることを宣言するものであり、自己否定を考えることもない。
そんな国の、おのれ自身のむなしさとは、お金や物がないだけだ。

それは、人間の愚かさを高々と掲げるに過ぎないのだ。考えててみると境界そのものは、ルールであるだけで、もともと揺らいだものなのだ。

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