夢を見るのは誰ですか?
Oh My Buddha ! 何てこった!
プロフィール

岳さん

Author:岳さん
終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード



オモニ
NHKのasaitiテレビを見ていて、姜尚中が語っていた言葉だ。
姜尚中の父母への述懐は深い温情に溢れていた。
彼が著した、『オモニ』という本は、そんな父や母を、「無名に生きていたという印として書いたのです。」と。

字もろくろく書けなかったし、貧しさの中から子ども達を育ち上げて、今の自分があることを思う。
しかし、その父母も亡くなってみれば、幾度も幾度も繰り返し、酬いることはできない。

熊本の故郷にいる、小中学校の同級生たちは、本名である「鉄おちゃん」と、呼んでいた。
その「鉄おちゃん」という名前は、幼かった頃の故郷での名前だ。「鉄お」という名は、「今の自分を、飾らずに現す言葉として、過去への郷愁を持つ」とも言っていた。
そこに今の飾らぬ姜尚中が見える。自分自身が年齢を加えて見えてきたもの、ひと言で言えば、哀愁のようなオモニという言葉だ。
そのオモニという本は、姜尚中が時間と空間の中に建てた、お墓でもあるのだと思えた。
今の鉄おちゃんが在ることは、無名に生きた者の証しでもあると。
ここに人の心が見えてくる。

人は死ねばお墓に埋葬されるが、それは、ごく普通のことであると思っている。ところが、生前生きる人にとって、海や宇宙、山などに散骨してくれと言う人がいる。
自分からあえて、無名性を選択肢する人もいるし、死んだ後にも感情が在るとでも思っているのか、海や宇宙、山に独りいたいと。
生きていたら、海や宇宙、山に自分があることなど思っていても、独り生きて行くことなど出来はしないことを承知でだ。

自分と自分以外の人の思いは違うものだ。

人間は、人間の意志を尊重する。しかし親しかった者の意志を尊重することで、残された者の意志を封じなければならないことが起きるものだ。
「あれで良かったのか?」、「時代が変わって、あの時の父母の思いは、本当の自分の考えだったのか?」と。
意思を尊重しなければならないことは、変化する時代により迷うものです。

お墓に葬られるということは、生きていた証しでもあるのですが、そのほかにも、いくつもお墓を建ててもいいのだと……、そんなことを考えさせてくれたテレビでした。

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック URL
http://yomewomirunowa.blog55.fc2.com/tb.php/160-96ecfdf6