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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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生きたい!生きたい!
ここ数年になるのかも知れない。むせるときがある。
息をする瞬間と、飲み物や食べ物を飲み込む絶妙なポイントの切り替えがほんの少し狂うのだろう。
妻がいれば、「どうしたの」と、ここぞとばかりに背中をたたく。
妻に殴られた瞬間だ。
私は、「うう、有り難う」と。
この叩きは容赦しないことが肝心なのだ。そう思っている。

このむせることに見ていて辛くなる時がある。
特養の入所も10年近くなると、寝たきりになり、体位交換も自分ではできない。
枕の高い低いで、むせることが頻繁になるのだ。
チューブで痰を覗くのも恐いながらも、しなければならないし。それに不思議に慣れることもある。
でも彼には、むせて苦しむ母の姿が見ていられなかった言った。

その母を介護するため、家族は9年近く特養に通っていたのだ。
その母は、80歳をとうに過ぎていた。お寺の駐車場に車を止めるので、「今日も来てる」と、わかる。
止められた車が夜間にも停まっているのに気づいた。朝になると息子の車が代わりに停まっている。
車が停まっていることに、母への思いが伝わってくるから不思議だ。

「何かある」と悟って、一週間が過ぎたとき、その母の死亡が伝えられた。
「母の最後は、それこそ自然死に近く、穏やかに眠るように亡くなりました。」と告げられた。
母が苦しむのは見ていて辛い。まして息が荒くなり、静になり、生死をさまよっている姿を見ると、とても辛いものだ。

以前、その最中にいる母を、「お母さん、もうそんな頑張らなくてもいいのよ!お母さん有り難う!」と、語りかける娘さんを見守ったことがあったが、そのときは、涙が出た。

荼毘に向かうバスの中で、親戚の男性が喪主の息子に話していたのを聞いた。「分からなくなって、意識もなくなって、俺だったら、もう死んでもよい。子ども達にはそう話してある」と。

葬儀のすべてが終わって話した。
「お母さんのむせて苦しむ姿を見ると辛かったでしょう。分かるけれども、でもね、母は何も言わなくても、それは生きたい!生きたい!というサインのような気がするのです。そんな姿を見ながら、こちらの心は、思いを創りあげてゆくような、でも命を見るって、そんなもんじゃないような気がします。
 もし自分がむせていて、死ぬかも知れないと、旁らにいる人が、楽に死なせて上げたいなんて思わないですもの……。傷つくのも、泣くのも、涙が出るのも、生きたい生きたいというサインかも知れないと見なければ、自分を見失うし、他人を見失う気がします」と。


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