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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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手がかかることはあたりまえ?
自分に何ができるのかと、特に、最近の育児や子育て関してと、そんなことを思いながら、講演会に参加したのです。
玉川大学の大豆生田准教授の講演を一時間にわたって聞いたのは昨日の事でした。
テーマは、「子育ての孤立感、不安感、イライラ感を解消するためにできること」でした。
先生の話は、眠気も催さずに、あっという間に、一時間を過ぎて終わった。

今年、児童委員の子育て支援部会に所属して、「はて、順番に部会は回ってくるものの、一番似合わない部会ではないか?」と。
どうも、自分の中に、何か戸惑いがあるし、戸惑いを作っていると感じる部分もあるのだ。
考えてみれば、息子たちが二十歳を過ぎても、その都度に、親を勉強しているのだが、子ども達が赤ちゃんだった頃は、とっくに過ぎ去っている。

「何ができるのか?」と、そして、関わり、引きずりこまれることの怖さもある。それでもでである。
子ども達が大きくなってみれば、過去は夢のように、育児に、親の義務として、手がかかることは当たり前なのだが、その当時は、手がかかることの中に試行錯誤しながら生きていた。
もちろん、希望や願いはあったが、子ども達が年齢を数えるうちに、その願いや希望も、子ども達の願いや希望のうちに変化していくものだ。
子ども達に、押しつけできるものはなにもない。
子どもに向き合いながら、自分に向き合うことで、瞬間瞬間を、ただ生きていたことになる。
考えてみればその当時でも、社会を見つめると、みんなが明るい未来は、見えなかったような。もっとも、今のような借金は政府になかったし、為替問題も、デフレもなかった。

講演を聴きながらも、当たり前のことが、当たり前でなくなったことを強く思った。
育児放棄、児童虐待、小児科医の減小、たりない保育園、生活苦と、育児が楽しいかと問えば、楽しいも楽しくないも、心の持ちようだ。
でも、そんなことは決して言ってはいけないような、もちろん、当たり前もだ。

公園デビューという言葉自身も無くなってきている時代に、母親はツイッターで我が子の泣きをつぶやいている時代だ。

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