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祭礼への不参加

2011/03/27 10:26
東日本が大きな地震で被災され、しかも、福島原発の事故。
これは日本が生きることと同じだ。だから、被災地が立ち直ることで、見守る我々も救われる。
原発の不測の事態に備えて懸命に、命を懸けて従事している人たち。

東京では、神田や浅草、築地の祭礼が中止された。
「深川の例大祭はどうするのか?」と、町内でも、ささやかれている。
東日本の多くの町にも、有名無名を含めて多くの祭礼がある。人々が立ち直るためにも祭礼は必要だと思う。
地域が一つになる祭礼はその地域の文化であり、地域にとっては地域を彩るものだ。
しかし、東日本の広範囲にわたって被災されて、生活にくるしむ人々がいて、復興への気持ちが倒れないためにも、自分たちの祭礼という喜びを表現することをみんなで祝うことをひかえたい気持ちは、日本人の文化だとも思う。

我が町会長が、三ケ町の町会長とはかって、本年執行される3年に1度の富岡八幡宮の例大祭参加中止を決めた。
そして、町会として何かできることはあるのかと、被災地のために募金をしようとも決めた。

祭礼は、3年に1度だが、今の時点で、本祭りが中止されたわけではないのだ。もしかしたら、今年挙行されるかもしれない。
でも、中止したという事実が尊いのだと思う。

ひょっとして、8月には、東日本の被災した地域も祭礼が行われるかもしれない。そうなってくれることを願う。
「まだ決めるのは早いんじゃない」と思うかもしれない。「今年本祭りが挙行されたら、お神輿が担げない」と、神輿し好きには、もう少し待って決めてもいいんじゃないと思うかもしれない。
でも、来年は各町の陰祭りとなっても、この我が町会は、本祭りと思って神輿を出せばよいのだ。
そんな気持ちで、我が町会と3ケ町は祭礼中止を決めたのだと、内心思っているのだ。

しかし物事を決めるということは、自分だけでは決められないことが多いことをつくづくと思う。
人は勝手に自分の行為を自発的にしていると思うが、こうした事態になったとき、半面、させられていることを思う。
つながっている世界においては、していることは、させられているという、般若心経の説く教えは、生きている。
強引に世間を見ずに、ただ自動的に、そしてやみくもに、突き進むことはできない。
来年を楽しみに待ってればいいのだ。そして、来年できなかったら、再来年にすればいいのだ。



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予想ですが

もし中止でも来年やるのでは?
昭和天皇が亡くなられた時は翌年にした気がします

間違ってたらごめんなさい



延期されました。

遅くなって大変申し訳なく思っております。コメントに承認する仕方が解りませんでした。そして、そもそもコメントを返すことが初めてだったので、気がつかなかったのです。
3月28日、神輿の総代会の会合があり、翌日、町会に報告がありました。
来年に延期だそうです。



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