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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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うながすものは……
昨夜、京都の禅寺の奥さんと電話で長話しているときだった。
小さな予震があった。
「揺れるのですか?京都では、ほとんど揺れることはありませんが、大変ですね」
東京では、ここ何日か大きな地震は感じられなくなっている。
小さな地震は、いくつもあるようだが、少し静かなようで、それも不気味に感ずるモノが、心の奥にいるのだ。

そんなことも影響するのだろうが、意識的にではあるが、テレビのニュースを避けているような気がする。
そんなことを、電話で話していると、「私もビデオばかり繰り返しみています」と、京都でも、そんな心を持つのかと思った。
無意識がささやいているのだろうが、震源域に近ければ近いほど、心の叫びは、「冗談じゃない」と……大きいだろうと察する。

ふと、「京都でも花園法皇の時代に、大きな地震があり、一週間ほど予震が続いたという。その時の花園法皇の態度は、粗末な住処とすみ、粗末な衣服をまとって、禅を組み、泰然自若っていうの、昔の人はたいしたものよね」と、覗かれた。

3月11日以降の法事や葬儀には、欠かさずに震災に関わる関わらないに限らず、生きている人亡くなった人すべてに、それこそ、魚や鳥たち、植物に動物に対して、罪を背負った人間として、祈りや願いをお経に託している。
こんな経験を通してだからこそ、祈りや願いが、人にとってどんなにか必要不可欠なモノか、なくてはならないものだと、今さらながら気がつかされたからだ。

今、現在進行中の震災は忘れるも忘れないもないが、ふと、古歌に「忘れじと覚えしことは忘れけり、忘れてのちは忘れざりけり」と思い出した。
つくづく我が身の不勉強を恥じ入りながら、忘れてのちは、忘れけりの今の自分を思う。
何ができるのかの自問自答だ。昔取った杵柄は、忘れたのちは忘れざりけりだが、、身についた忘れモノは、忘れないと。
それでも、考えながら、思い描きながらしなければと、それが勤め励む今の姿か……

心の不安が記すことをうながしている。

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