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劫外の春

禅語に、「劫外霊枝不帯春」(劫外の霊枝、春帯びず)と云う言葉があります。

劫外とは、天地がいまだ、天と地に分かれるる以前のことです。

東洋では、別名“混沌(カオス=こんとん)”ともいうところです。そんな、いまだ分かれない頃のことには、当然木も草も水もなく、太陽も月もない、陰陽不到の処という意味で、当然、枝や花もないという世界のことなのです。

禅は、そんな世界を、私という、一身上の世界に当てはめます。つまりは、善悪、美醜、上下と分別しない世界、つまり自己を認識しない世界が、劫外というわけですから、私もない世界の私が、霊枝と言えます。つまりは私たちは、私という自己が生じなければ、霊枝そのものであり、それが本来の私の姿だと言うのです。

その本来の私が迎えた、まっただ中の春にいて、春を知らず、冬を知らず、四季を知らずと、そのまま、春に、四季に成りきって行くのが禅の姿と言えます。人が、充実した時をもつとき、時の経つのを忘れますが、このことは、同時に自己そのものも忘れているからこそ、自己が活発に動くといえます。それは時の表現をしない世界といえるでしょう。

この無心の私が、活発に動き出した姿を、禅では、用とか働きと言いますが、次の禅語が参考になります。

「枯木花開劫外春」(枯木花開いて、劫外の春)です。

枯れきった枯木とは、私のないことが枯れたという意味でしょうか、本来の姿の私が枯木です。無心の私です。その私が花開くとは、私という意識が芽生えたという意味ではなく、無心な私そのままに働きに出て行くということです。

季節は、寒さ真っ盛りですが、木々の枝には、蕾がこの時期大きく膨らんでいる、そのことが春。そして、梅に枯れた枝に花が咲く、そのことが春という。

劫外の春とは、痛いときは、痛いそのままに謳歌する。その働きこそ知らないで、注視しないで、充実していることを知らないで、活発に貴方の心は働いているではないかと、禅は言います。

それ以外は全て分別です。人間がこしらえたものであり、創造したモノであり、時間であり、記憶であり、そこから飛ばないで、刻一刻と、行じて行く姿が大事なんだと教えてくれます。



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