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1仏教では?
仏教では業(ごう)を造るといいます。縁は結ぶです。

実に、不思議なことで、人が生きている限り、この内容は世界のありようです。
今、原発の問題も業の問題に終始するようです。人間の造ったもので、人間はもてあそばれ翻弄し。東日本大震災と原発の問題では、結ぶが問われています。

原発の問題では、なぜか安全の問題はクリアーされたと、経産省と佐賀県知事は言いました。
今、困難状態である福島原発の出来事はクリアーされたのでしょうか?

安全は人の問題と、造られたものの問題がありますが、造られたものはどんなモノでも壊れ変化するものです。
「そんなこと言ったら、原発などできるモノではない」と言ったのは、原発推進する保安院とか原子力委員会、官僚や政治家、そして甘い蜜に吸い寄せられる人の欲望でした。
結ぶこと意義を欲望をあおることで考えた人のようです。

復興会議の重要キーワードは、『つながる』でした。確かにつながることは大切なように思えるのですが、仏教の『結ぶ』は、つながる仕方が要です。

人と人との出会いは、結ぶことで、自分の立ち位置が誕生します。しかもその立ち位置は変化します。それは、その関係の中で「どう生きる。どう造る」が問われていりからです。そして生き方、造り方により、この関係自体と結ばれたモノの分がはっきりとします。
でも、そんなことを考えなくとも、見つめなくとも、生活には支障があるモノではありません。

なぜなら生きることは生かされていること、動くことは動かされていることでもあると気づくことは、人が生きている、動いていることに、大きな支障はないからです。
でも今回の復興会議の『悲惨のなかの希望』は、そこに踏み込みました。仏教の縁というモノの見方です。結ぶ……です。
人がつながっている根拠の自覚こそが、人間の目を開けるモノです。そして、造りあげてゆく。

この東日本大震災による福島原発の問題は、世界中を釘付けにさせました。そして、ドイツは真剣に議論して自らの答えを造りあげました。これが業です。
そしてこの業の中身は、結ぶことでした。私たち人間の未来を、今という時間に、結んだのだと思うのです。

原発はできたが、事故が起こった。人災だった、とも思案しているではないですか。
人間のすることは、必ず失敗がつきものです。原子力はその失敗が許されません。人が生きている限り造った原発は存在します。
事故が起きてしまったときの、対処の仕方が、いかにも責任の所在がない。明確でない今の組織は、作り直しても、その組織はそこから変化してゆきます。世の中もです。

今も不安を抱えつつ暮らしている我々に、しかし、よくもクリアーできたいえるものだと、クリアーしたと思っている頭の中には、何が詰まっているのか見てみたいものだ。

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