お墓にひなんする

2011/07/09 16:53

福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、自宅で自ら命を絶った。
書き残した遺書が毎日新聞朝刊に掲載されていた。

 

《このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに、原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで、3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました。

私は相馬市の娘いるので3月17日ひなんさせられました。たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ヶ月位せわになり、5月3日家に帰った。

ひとりで一ヶ月位いた。毎日テレビで原発のニュースみているといつよくなるかわからないやうだ。

またひなんするやうになったら老人はあしでまといにるから、家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました。

毎日原発のことばかりでいきたここちしません。

こうするよりしかたありません。

さようなら。

私はお墓にひなんします。

ごめんなさい。》

生傷をえぐられるような、やりきれない話だ。
声なき声を聞くというが、こうした事実のもとに、私たちの生活は成り立っていることに気づきます。

お墓は避難する場所ではないし、そこに住むことはもう帰ることができないことを意味する。それにもかかわらず、あえて避難したのだ。それは、生きたいとの叫びのような気がする。

でも誰も聞こえなかった……

原発に、家族はバラバラになって翻弄され、場所を変えて避難する。避難することは生きるということなのに、お婆さんは、仕方がないから、お墓に避難する。

94歳で、自宅の庭の木に、首をつった。その庭は、先祖代々の農家の歴史がしみこんである。

その記事に沿って、「悩みあれば相談を」とあり、福島県高齢者総合相談センター(024-524-2225)と書いてあった。
相談できるのであれば、お墓に避難はしない。


お婆さんに手を合わせる人が、「長寿をお祝いされるようなおばあちゃんが、なぜこんな目に遭わなければならないのですか……」と。
誰もが持つだろう、この悲嘆とやりきれなさに、いきどおりは、すべての人の胸に刺さる言葉でもある。




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