続、光……希望

2011/08/12 11:51
しばらく前のことだ。町会でお年寄りが亡くなったことがあった。
通夜、その振る舞いの席に彼の妻がいた。

聞いた話だ。「最近はまぶたを大きくあけるの。嬉しくて……」

倒れてしばらくして、彼に、集中治療室で会ったときだ。
彼はずっと眠っていたが、その眠っている姿から、突然に眼をさます彼を思い描いた。
それはまるで韓国ドラマのようでもあり、そのことを望んだ。

彼の妻の望む思いは、はるかに現実的でもある。
動く、なんと神秘的な思いをさせることかと。

人の生き死にを描くことになれたものにとって、動きも、その先を占うことは観念的だ。
そこには希望も、安らぎもないときがある。

「他がなくなれば、自もなくならねばならぬ」ことを思い出す。
それは、夫婦という関係に於いて、「夫がなくなれば、妻もなくならねばならぬ」と言い換えることもできる。
現実には、人の思いがあるかぎり、夫がなくなることはない。
逆に、夫にこそ妻の根拠があるとすれば、夫婦とは、互いに否定を媒介にして成り立っている。
仏教の縁起は、矛盾するものが結び会うことによって、否定することによって、妻は妻自身たりえることだ。
献身こそが、今の妻の有り様として浮かび上がってくる。

長く連れ添った夫婦に、「今度は私が寄り添おう」と、自は必死だ。
彼の光が、、妻の希望に……
自の存在を掛けたものでもあるからだ。
心のなかに咲く悲しみを、希望にかえるためには、彼の光が必要なのだ。



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