夢を見るのは誰ですか?
Oh My Buddha ! 何てこった!
プロフィール

岳さん

Author:岳さん
終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード



続、光……希望
しばらく前のことだ。町会でお年寄りが亡くなったことがあった。
通夜、その振る舞いの席に彼の妻がいた。

聞いた話だ。「最近はまぶたを大きくあけるの。嬉しくて……」

倒れてしばらくして、彼に、集中治療室で会ったときだ。
彼はずっと眠っていたが、その眠っている姿から、突然に眼をさます彼を思い描いた。
それはまるで韓国ドラマのようでもあり、そのことを望んだ。

彼の妻の望む思いは、はるかに現実的でもある。
動く、なんと神秘的な思いをさせることかと。

人の生き死にを描くことになれたものにとって、動きも、その先を占うことは観念的だ。
そこには希望も、安らぎもないときがある。

「他がなくなれば、自もなくならねばならぬ」ことを思い出す。
それは、夫婦という関係に於いて、「夫がなくなれば、妻もなくならねばならぬ」と言い換えることもできる。
現実には、人の思いがあるかぎり、夫がなくなることはない。
逆に、夫にこそ妻の根拠があるとすれば、夫婦とは、互いに否定を媒介にして成り立っている。
仏教の縁起は、矛盾するものが結び会うことによって、否定することによって、妻は妻自身たりえることだ。
献身こそが、今の妻の有り様として浮かび上がってくる。

長く連れ添った夫婦に、「今度は私が寄り添おう」と、自は必死だ。
彼の光が、、妻の希望に……
自の存在を掛けたものでもあるからだ。
心のなかに咲く悲しみを、希望にかえるためには、彼の光が必要なのだ。


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック URL
http://yomewomirunowa.blog55.fc2.com/tb.php/222-ff198b38