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終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



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神々への祈り
仏教は神々を、縁起の法により神々の場所に在らしめます。

在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は縁起そのもの。

在るものを在らしめる神々よ!
在るものを無さしめる神々よ!
無いものを在らしめる神々よ!
無いものを無さしめる神々よ!

空や山や川や海を、鎮めたまえ。
町や建物、生きものたちの暮らしを、平安に導きたまえ。

在るものが在ることも、無いことも、
無いものが在ることも、無いことも、縁起そのもの。

それは現実という世界の論理そのものである。構造でもある。

だから、現実という世界が語る内容は、構造であり、それは、世界自身が世界を語っている。

さて、伊弉冉(いざなみ)の神は、穴倉の中で、火の神を誕生させた。
今でも、伊弉冉は、神として祀られている。死んだはずだが、祭神として、今も鎮座する。怨念としてか……?

人類は、火を発見してより、何千年が過ぎている。

その火をエネルギーと読み替えれば、放射性物質も火となるのだろうか?

人類の旅は、宇宙へと、そして、物質の中へ。

神々は、怒ることを知らない。
神々は、怒りを鎮めることも知らない。

ただ在らしめるだけだし、無さしめるだけだ。

怒りや鎮めることを知るものは、人間。

地球はやがて、神々だけの世界になることを望んでいるのだろうか……

世界自身が語っていることを、如是我聞しているかと、今問われている。

さて、飯を炊こう。

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