2011/09/16 21:07
明日は、妻の父の3回忌法事だ。

2年前になくなった、義父は、名前が”清”の通りの人だった。

妻から見れば、父とは、やはり背中で象徴するように、確かな存在ではなかったような気もする。

母親との接し方とは、まったく別の面しか見えないこともある。

黙して語り会うことはなかったが、毎月父から妻の元へ手紙が届いた。

結婚して、30年にわたって手紙が届いていた。娘を思う故か、「身体に気をつけろ。元気に暮らしているか。喧嘩はしていないか。……」

いつまでたっても親は親を脱皮することはない。

そんな父が亡くなり、葬儀を、私がすることになった。僧堂に修行にいっていた息子も、僧堂はその時だけ、義父の元へと帰してくれた。

本来、修行中の身なれば、無理だった歴史があるが、悲しみだけは別と、僧堂も考えを変えたか。

そんな時代ではないと……。

家族親戚は、そんな修行中の雲水の姿を見て、涙をなお流させた。

そんな父に、私は、「忍」という一次を贈った。

忍は、自分の心に刀の切っ先を向けると読んだからだ。

そんな義父の面影を、明日、お目にかかる。

忍という字の、刀とは、同時に無心ともいえるものだ。

嫁いで幸せに暮らす?娘を心配する心、それは、無心なる心に咲いた花だと思っている。

明日は義父の三回忌だ。



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