そらぷちキッズキャンプ

2011/10/15 10:56
普段、あまり新聞をじっくり読むことなどない生活だ。それでも、毎日欠かさず新聞は二紙読んではいる。

今朝、朝日新聞土曜版、Beを読んでいたら、『逆風満帆ー死んだら終わり、ではない』という題に目がとまった。

小児科医・細谷亮太師の記事だった。

それは、来年常設オープンするという「そらぷちキッズキャンプ」誕生の物語の一部分だ。

なぜ一部分かというと、多くの子ども達の死と、常設オープンにたどり着くために、たずさわった多くの熱い思いの人たちがいたからだ。


平成6年に6月、彼女の弟が、聖路加病院で12歳で亡くなった。奇跡を誰よりも願った両親だった。特殊な癌だったと記憶している。

当然のこと、ご両親は、無力感、絶望、孤独感、猜疑心、渇望、嫉妬……と、その淵に長くたたずんでいたはずだ。

ご両親の悲しみは深かく、その影響は今でもずっとずっと……、当時小学校だった6年生の友達は30歳になろうとしている。

そんな両親の姿を見て、彼女は育った。そして、看護師を夢を見て、かなえた。

聖路加病院、日赤。聖路加病院と、多くは小児病棟で難病、不治の子ども達とかかわってきた。

そんな彼女が、病院をやめたと噂が届いた。

一昨年のことだ、彼女の母と私は会った。母の手には、パンフレットがあった。

「○○○ちゃんは?」

「○○○は、今、北海道にいます」

そして、渡されたパンフに、「そらぷちキッズキャンプ」と書かれていた。継続的な募金のお願いだった。
お寺には、募金の勧誘が多い。そんなに裕福ではなく、小さく貧しい寺の部類だ。私の寺は……。

あれから、しばらく忘れていたパンフだった。テーブルの積み上げた書類の片隅で、彼女の夢が語りかけてくる。

9月始めのことだった、彼女が東京に来たことを知らされた。両親には会えなかったとも聞いた。

彼女は頑張っている。北海道と都市を往復して、慣れない各種の作業を必死になって頑張っている。子ども達のためにだ。
私も、息の長い支援をしようと、少ないが募金をした。

彼女から手紙が届いた。

《今年は、災害で一度に沢山の命が奪われ、改めて、生きる意味、生かされている時間を大切に、私ができることを精一杯やりたいと思います。
東京は高い秋の空でしょうか。
こちらは冬にむけ、赤や黄……一年最後の彩りが、
かけ足で過ぎてゆきます。
皆様にも、よろしくお伝え下さい。
ありがとうございました。》と。

新聞の細谷医師のコメント(朝日新聞、Beより)
「治らない病気をかかえながら、その運命を引き受けて生きる人もいます。これからは、そういう人たちと過ごす時間を大事にしていきたい」と。

申し訳ないほど微力だが、私の寺も、彼女に寄り添いたいと思っています。

なんだか、彼女の弟が、大勢ふえたような気がする。



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