ノー

2011/12/31 23:49
陽岳寺は、本当に小さな寺です。

それでも、建物にそって、緑があります。
緑があれば、葉が落ち、花が咲き、その落ち葉は、地面に小さな穴を掘り埋めて土に返していました。

その樹木たちの葉は、あの福島の原発の爆発で、放射能に汚染されました。

かわいそうでしたが、穴は埋められ、燃えるゴミとして、申し訳ないが焼却されることをたのんでゴミ収集日に投棄されました。

毎週2回、区の収集日に投棄されるたびに、このことを思いました。何マイクロシーベルトとか数字はわからないけれど、この寺が、地面が汚染されることを嫌ったのです。

これを執着というのか、煩悩というのか考えることをしなかったけれど、気持ちの中には、忸怩(じくじ)たる思いが蓄積されました。

人は地面に活かされていることを思います。例えマンションに住んでいようが、賃貸で住んでいるを問わずにです。

その地面を汚(けが)してしまって思うことは、日本というすべての土地を、汚染されることと切っても切れない原子力という物質にまかせて住むことはできないということでした。

汚染された土地を、除染しようが、その除染された物の中に、除染できない物質が、数百年以上にわたって空中地中に拡散されます。

人類の地面どころか、空気までもが汚染されることを思えば、今は、大丈夫かもしれませんが、1000年、2000年後はどうでしょうか?

私は、地球に生きる物にとって、原子力の野放図な利用は、容認できません。

宇宙は、原子力エネルギー誕生したかどうか知りませんが、地球が誕生して、50億年60億年後に、やっと生物が誕生して、今の私が生きていることを思えば、これから誕生するそれぞれの私のために、今の私は、はっきりと意志を宣言しなければならないと思うのです。

原子力の利用は、人類にとって絶対必要不可欠な研究用は除いて、はっきりと「ノー」と宣言します。



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