夢を見るのは誰ですか?
Oh My Buddha ! 何てこった!
プロフィール

岳さん

Author:岳さん
終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード



とりがいるから
仏教の縁起からいうと、生かされていることの自覚は、同時に生きていくことを支えるものとして、この世界を、過去未来を含めた、生き続ける私として重々無尽の集合体として見えるかと、問いを発します。

谷川俊俊太郎の『~黄色い鳥のいる風景~ポール・クレーの絵による「絵本」のために』の詩となります。

とがいるから そらがある
そらがあるから ふうせんがある
ふうせんがあるから こどもがはしってる
こどもがはしってるから わらいいがある
わらいがあるから かなしみがある
いのりりがある ひざまずくじめんがある
みずがながれていて きのうときょうがある
きいろいとりがいるから すべてのいととかたちとうごき
せかいがある

私とは、私たちとは、そして世界とは、あらゆるものが現実に交差して繋がっていることを現しています。

そして気づいたことがあります。

もし、この言葉の連鎖の中の、たった一つでも、嫌いだと、必要ないと削除したらこの詩と、この世界は、成り立たなくなることに気づくでしょう。

このことは、谷川俊太郎だけでなく、私たちも同じように、自由自在に結びつける自由な存在のあかしであることをも示しています。

そして、自由自在に結びつけることによって、鳥や空、風船や子ども達の笑い、悲しみに祈り、地面に川、昨日と今日、黄色い鳥と、実は独立したものとなっていること気づかないでしょうか。

結びつけることで分かれて、この世界から空や風船を取り出すことによって、結びついていたと……

あるがままに、思うがままにある現実の世界も、実はこの詩と同じだと思えないでしょうか。

普通の家庭にあっても、夫婦から、赤ちゃん誕生と同時にご両親も誕生した事実に気づかないものです。

家族が誕生する。家族に結びつけるには、ご両親と子供に分かれなければ家族にはならない事実をです。

世界に命を吹き込む達人として、谷川俊太郎は、世界を、紙面に産みつけますが、現実には世界の構造を、私たちに知らしめてくれたとも言えます。

単なる空、単なる鳥はあり得ません。

鳥は空があることにより鳥であり、その空に風船が浮かぶことで、子供が走ります。

その子供のあどけない走りを見て大人を笑いに誘います。

「~黄色い鳥のいる風景~」に命を吹き込むのは現実の事実です。

そして現実の繋がりの広さと奥行きは、色と形から、世界へと広がります。

命の吹き込み方の達人は、さらにキャンバスを大きくし、小さくし、せつなくし、喜びへと変えてゆきます。

あくまで事実の構造を、文字で並ばせながら、あるがままに表現していると言えないでしょうか。

世界の構造をです。

平等というキャンバスに、差別という鳥や風船、空を描きながら、世界を描いてしまったとも。

世界は平等と差別が相反することなしに、差別があることによって平等が成り立っていることも事実の世界です。

無心というキャンバスに、有が貼り付けられる。

無は有を含んで、有は無を含んで、同時に成立している事実に単なる有はなく、単なる無もない。

仏教は、この世界を法界と呼んでいます。

その法界の世界から、風船や子供、笑いや祈り、一つでも削除してみれば、世界も成り立たない事実。

これは、同時に風船や子供、笑いや祈りの一つ一つが、実は、「~黄色い鳥のいる風景~」の作品全体を担っているという事実です。

各々が一部でありながら、全体を担っている構造。

家族の一人一人にしても、子供やご両親、孫たちも加えて、その一人は、部分を担っていると同時に、全体の家族をも担っているという事々こそ、世界といい、家族といい、地域といい、日本といい、世界という一を表します。

その一に結ぶことで、同時に一つ一つに分離する事実、仏教の縁起は、この事実を知ることことです。

そこに世界がある。

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック URL
http://yomewomirunowa.blog55.fc2.com/tb.php/264-b84d1846