夢を見るのは誰ですか?
Oh My Buddha ! 何てこった!
プロフィール

岳さん

Author:岳さん
終の棲家は決まったが、いつなのかは決まっていない。



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



カテゴリ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード



生老病死の山が迫ってくるとき、どうしますか?
久しぶりのブログです。

2日前ぐらいか、49歳のセールスが来ました。某証券会社だ。

その年齢は古株になっているという。

どこの会社も同じだが、高齢になった社員の数が圧倒的に少なくなっているのが今の多くの会社だのだろうか。

年金の制度がおかしくなるなも、こうした原因を考えてみると、加担している罪もあるのだろうな。

そのセールスが言った。

「親戚の叔母が亡くなったのだが、何本ものチューブにつながれて生きながらえる姿を見て、高齢者の医療を考えてしまった」と。

そして、「僕は、あの姿を見て、延命治療はつくづく罪だと思った。過剰な医療は施してもらいたくない」ですと。

「わかるな~確かにね。今、元気なうちはそうだ。今考えること、思うことは大切にしたいが、明日、思いは変わるし考えも変わるときがある。震災の時がそうだった。私は、その都度その都度という言葉になれているので、またその時考える。チューブにつながれたいっときの人世も、素晴らしい時間かも知れないから。」

命の歴史は、数えられない年数の歴史だ。

何世代、何十世代、何百世代、何千世代にわたって誕生した私ではないか。

誕生を、意識して生まれてきたわけではない。誕生に意味をもたせることが出来るのは、誕生後だ。

たとえ人の意識がなくなっても、考えることもできなくなっても、生きることは生かされていることと裏表だし……

夜眠っている時間は、記憶を造れない。その眠る時間は、因果に随っている時間でもある。

歩むことも歩かさられてのことだし、歩むことで時間も誕生していることを思えば、チューブに繋がっていることは生かされている時間となる。

かなり強引だが、どちらにしろ、人は生かされて生きるし、生きて生かされることに間違いはない。

医療とお金の問題は切り離して考えたいものだが、そうはいかない時代になってしまった。

選択の余地というと、自分が生きる場合だが、生かされていれば、選択はなく、流れのままだ。

しかも生きるといっても、そのつどの今のことで、時代に浮かぶ泡のような自分の意見かも知れない。

49歳で、叔母の90歳と比較すること自体が途方に暮れる。

49歳で、自分に潔さを決めたとしても、それは今のことで、自分が90歳になったときのことは別だ。


玄沙広録という禅の本にある公案だ。
問い、「生老病死の山が迫ってくるとき、どうしますか?」
師、「まさにピッタリと言い当てたな。」
「それを体験されたのですか。」
師、「お前さん、何を四つの山と呼んでいるのだ。」

今はブログを書いているのですが……

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック URL
http://yomewomirunowa.blog55.fc2.com/tb.php/276-d6e8b784