小異を生かして大同につき、大同を生かして小異として生きる!

2012/11/28 15:10
「全てを捨てて大同につくというより、小異を生かして大同につくことも十分ある」と、嘉田滋賀県知事の会見の要旨を朝日新聞(2012/11/28)で読み、目にとまりました。

もともと、自信を持って絶対に、小異は捨てられないものです。

人は、男と女は違うし、意見だけでなく、育った環境も場所も違うし、年齢も、経験も、能力も、それが個というものです。

世の中に、何一つ同じものはないし、その異なったものが、異なったままで同とは、仏教でも大きな問題です。

まして人だけが世界を思い描くことができるとすれば、独断もエゴも人の数ほど、人の主義集団ほどにあるものです。

問題は、現実をどこに置くかでしょうか。しかも、独断やエゴを除いてです。

独断とエゴを、自分の中に、集団の中に探してみれば、それを知ることこそ、必要ではないだろうか?

人間が未来にわたって地球に、世界に、日本に、地域に生き続けるということを大同とした場合、これに矛盾した論理において人間により創られたものは、やはり、未来に対して責任を持てないものです。

原子力により創られた電気に於いて、今の私たちの生活の根拠があるなんて、やはり未来に対しても罪です。

捨てることのできないものという辻褄の合わないものを、何百年ないし何千年と保管することなんて、どの時代の人も容認できないのではないでしょうか。

その時代は、未来の私も含めてですが、それでも今使うという人がいるとすれば、人間として誕生したことを考えていただきたい。

人間は死を含んで誕生したわけですから、その使命は、次の世代に引き継ぐ役目も背負わされているはずです。

このことは使命の中で、人も植物も動物も含まれた自然そのままに、次の世代としての人も植物も動物も含まれた自然そのものとして引き継ぎたい。

そのために、小異を生かして大同につき、大同を生かして小異として生きたいものです。



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