恐ろしい拷問死を、美しい絵、美しい音楽、美しい詩歌で表現するとき、なにがそれを正当化するのでしょうか?

2013/05/23 17:38
ミヒャエルエンデの44の問いの中の、19番目の問いです。

「恐ろしい拷問死を、美しい絵、美しい音楽、美しい詩歌で表現するとき、なにがそれを正当化するのでしょうか?」

「ワーグナーのワルキューレの騎行」は、美しい曲とは言えないけれど、人々の心をつかみ何処かに高揚とさせる曲としてあるのだろう。

ワーグナーの200年生誕によるイベントが世界中でにぎやかに行われている。

特にナチス版の歌劇では物議をかもし、殺害シーンやガス室など生々しく講演が中止となってもいる。

それでも音楽に関しては、一つの時代を造った偉大な人だった。

もう何年も前のことだ。コッポラ監督の地獄の黙示録の戦闘ヘリコプターが、密林にひそむゲリラに襲いかかる場面、今でも私の中には、ワルキューレ騎行とセットになっている。

今朝のBSニュースで、ナチスドイツのロシア討伐と、日本軍による真珠湾攻撃の共に戦争を仕掛ける国内用ニュースに、この曲が使われていたという。

地獄の黙示録は映画だったが、密林を焼き、ゲリラ(アメリカに言わせると)に襲いかかる場面は、音楽と一体になって、何のための戦争か、その先に何があるのか?、と考えることを停止させる。

ドイツも、日本も、敗戦国だ。

映画だけれど、「地獄の黙示録」も、アメリカ軍の撤退で終わった。

他国を偏った思想により攻めた軍隊の多くは、撤退して、後の時代の考えにさらされるが、それを、自分の思いなく受け入れられるかで、その国の真価がわかる。

ミヒャエルエンデの言う拷問死が、ナチスによりユダヤの拷問死だったのか、それともキリストの死として、人民の拷問だったのか、それとも……わからない。

「恐ろしい拷問死を、美しい絵、美しい音楽、美しい詩歌で表現するとき、なにがそれを正当化するのでしょうか?」

拷問死と美しいものの正当化というエンデの問い。

西田幾多郎は、「感情はその純なる状態に於いては、すべて美である。喜も悲もそれぞれの美をそなえざるを得ない」と述べている。

そこから、美の感情は、映画や芝居を見て笑い喜び悲しむ我も、夢を見て怖れる我も、我であると発言する我こそが、美的直観者のような気もいたします。

醜いもの、残虐なもの、吐き気を催すものを、美しいものによって、正当化する意志あるものの思いでしょうか。

考えさせない、気づかせない意志、思い、物語です。

単なる美しい絵、単なる美しい音楽、単なる美しい詩歌なんてないわけだけれども、それは、美しさも相対することを避けることができないわけでしょう。



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