悪の連鎖

2014/06/22 09:48
西洋的な考え方の根柢には、悪を理解されるものより悪を排除しようとするという考え方のようです。

このことは、逆に悪を理解しようとすれば、かえって悪に新たな力を付与し指示することに繋がると考えられたようです。

仏教も善と悪とを区別はするのですが、その悪を絶対的に悪とは結論付けはしません。

マーラ(魔=悪)は、自己と別の人物ではなく、自分自身の仮の姿であって、自己を誘惑し裏切ろうとする自身の内面的な傾向性ということが、仏教の理解や考え方です。

仏典が描くマーラは永遠の存在でもなければ、生まれる前から、死んだ後もずっと悪であるわけでもないのです。

ブッダの主要な弟子の一人、モッガラーナ(目蓮)はマーラに誘惑されて次のように言って退けた、という話が残っています。
「おまえ(マーラ)が成功するはずはない。私はおまえのすべてのトリックを知っている。なぜならば、私自身が、かつてはるかな昔にマーラであったからだ。
そのせいで私は地獄で8万年の間つらい思いをしなければならなかった。だからおまえも仕事を変えたほうがよい」と。

仏典には、殺人鬼が聖者としてよみがえる話がありますが、本来的な悪などあるはずはなく、壁は内にあることを先ずは認めて、目的にあった方法を探すことが勧められています。

その手段として、悪と闘うに悪を以って手段とすれば、自分自身を更に悪へとしてしまいます。

ダンマパダには、「怨みによって怨みが止むことはない。怨みの相対するものによって怨みは止む。これは永遠の法である」と。

その怨みの反対とは、何だろうかと考えてみれば、智慧と慈悲に行き着きます。

結局、一人一人が、智慧を得て、慈悲を目覚めさせなければならないのでしょう。

世界のいさかいの連鎖が止まるようにです。

決して、宗教がいさかいの連鎖を、勃発させ、助長してはならないと考えています。



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