怒りやねたみに執らわれると、怒りやねたみに縛られる。

憎しみさげすみに執らわれると、憎しみやさげすみに執らわれる。

好き嫌いに執らわれると、好き嫌いに執らわれる。

人をだましたり、蹴落とすことに執らわれると、人をだましたり蹴落とすことに縛られる。

心に思うことや感情に支配されると、心に思うことや感情に縛られる。

名誉や地位に執らわれると、名誉や地位に縛られる。

強さや弱さに執らわれる、強さや弱さに縛られる。

>悪や正義に執らわれると、悪や正義に縛られる。

癪にさわる、頭にくると言うけれど、そのよい機会に癪の中味を、頭の中を、心の中を顧みるしかないのないのです。

もし癪にさわる、頭にくるモノを一日中執らわれに満ちあふれさせて、ひと月、一年、十年、もし一生持ち続けたとしたら、自分自身の一生は、とらわれの関係のまま終わっていることに気づかない一生となっているでしょう。

>いつまでたっても何のために私は生まれてきたのかも分からず終わってしまうのです。

よく言う会社に半生を捧げて、定年で家庭に戻ってみれば、半生を捧げた会社に執らわれて、会社から定年で必要としない人間となってみると、今の自分の意味が見いだせないかのようです。人生にとって、仕事、それ以上の執らわれは、働くことが目的とすれば、働かなくなってみると、それ以上のより所は見つからないのかも知れない。

執らわれる、縛られるというのは、本来一瞬に生滅しているものを、言葉と記憶により持ち続けないと保てない私という意味です。

時間的にも場所的にも、一瞬一瞬の今ここに繰り返されて起こっていることです。だから私にも分からない。

その私がいなければ、私たちは、同じ船に、同じ国に、同じ地球に乗り合わせている旅人同士なのです。

2017.09.19 Tue l うつつ l top