東日本大震災が起きたとき、人間の自然災害のこわさにつくった回向があります。

『神々、佛、菩薩たちへの祈りの廻向』でした。下記にしるした内容は、その冒頭の言葉です。

『在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのもの。

在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!

在るものを無さしめる神々よ!

無いものを在らしめる神々よ!

無いものを無さしめる神々よ!

空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ』と。

実際には、在るものが有ること、在るものが無いこと、無いものが無いこと、無いものが有ること、この四つの自然の出来事に関しては、今の人間の力や知恵知識ではどうにもならないことです。

この自然の出来事には、平安や無事、穏やかさや安らぎへの祈りこそ、人間の人間たる特徴で、ある意味では人間にとって神とは、依り所をなすものと思うのです。

大きな自然災害に動物が遭遇したとき、逃げ惑う姿、行き場を失って災害の流れに命をさらす方法しかない動物たちを想像すると、同じ姿に見えるのですが、人間とは違います。

古代から現代まで、過去の全世代の人間は、祈りをもって生きてつないで、それが今ではないでしょうか。あの東日本大震災は、こう語っていたことをあらためて気づいたことでした。

それは、人間本来の謙虚さを表現するもので、自然に対する畏敬や感謝の思いにつながります。恐さと峻厳さ、穏やかさ安らぎを同時にたたえて、地球という一つのものは、また太陽系の一つの惑星で、宇宙空間の太陽系という一つに過ぎないのです。

この地球こそ、我々にとっては、かけがえのないものであり、この小さな方舟の些細な瞬きやくしゃみにつぶやきで、私たちは吹っ飛んでしまうのです。これに対して、何の力も持っていません。

お釈迦さまは、わかりやすく、「これがあることで彼れあり、これ無ければ彼れなし、これが生ずれば彼れ生じ、これ滅すれば彼れ滅す」と語ります。

ただ縁起(えんぎ)という関係性によって生起(せいき)するだけ。

縁起は因果のことですが、仏教は縁起と読みます。縁はご縁の縁、起は起きるという意味で、縁によって起こるので、生起したものということです。

しかも、縁という意味は、世界の一切ものが縁という結び方で結ばれることを意味します。そして、その内容は、結ぶことは分離することが含まれて、分離することは結ぶことが含まれているというのです。

これは、仏教の特色である相即の論理で、生は死を含み、死は生を含むというように、色即是空、空即是色と般若心経に書かれています。

その縁起のことを、龍樹菩薩は「空の論理は、縁起の論理と。われは説いて空といい、また縁起という」と、説明しています。底がなく、無基底ともいい、西田幾多郎は「絶対無の自己限定」というのですが、生起の起きることが自己限定といいます。

お釈迦さまは、「世界には、あるがまま以外に何があろうか?」、「いま、ここに、これ以外の何があろう」とも因果という法則を説きました。

だから、東日本大震災でこの意味は浮かんで、「在るものを在らしめる、不可思議な神々よ!在るものを無さしめる神々よ!無いものを在らしめる神々よ!無いものを無さしめる神々よ!空や山や川や海を、穏やかに安んじたまえ。

町や建物、生きものたちの暮らしを平安に導きたまえ。」と、在ることも、無いことも神々の愛そのものとするなら、その愛は仏教の説く縁起(関係性)そのものだったと、回向を考えたのです。
2017.10.21 Sat l l top