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乞食をしていた時、魔女マタンギーが幻術を使って誘惑し、アナンの戒体を壊そうとしたときに仏が救った故事の示唆するところより、首楞厳とは木村俊彦先生によれば『英雄的道行き』だそうです。
仏あるいは菩薩の三昧に名づけられとありますので、つまりは“永遠のやすらぎと共に”と更に訳したらよいのでしょうか。

内容は、一切の覚者、菩薩神々精霊に礼拝し、祈り、「かくの如くの我に安らいあれ(ソシチーホボツモーモーインツノモモーシャー)」、と祈ります。
災いを断っち、「我を守りたまへ」と。守られることは、守りし神仏が護られし者に災いを断つ結界を結ぶことであり、同時にアナンにとってみれば自己のすべてを具足する安らぎを保持することができるからです。

東嶺和尚の看経論に自他それぞれにお経の四功徳があるとあります。
健康を助け、音声は天界の神にとどき三昧を助け、善神が護りて心の障壁を滅し、天真に随順するが故に心願を満たすとあります。
ここにも「我を守りたまへ」「我に安いあれ」と祈りがあります。
また、回向は一に事を回らして理に向ける。二には小を回らして大に向ける。三つには自を回らして他に向ける。四には因を回らして果に向けるとあり、安らいの中身を問います、すべてに深いつながりがあるとおもいます。

楞厳呪第7巻に「呪を誦し壇をめぐって至心に行道す」とあるところより、修行をさまざまな障害から成就できますようにと右に右にと歩きながらお勤めいたします。
言葉の祈りから心の祈りへと深めて行く行道する僧侶の一人一人の姿が、アナンの乞食の姿と重なり、私たち一人一人の姿と重なって見えましたら本望です。

昭和57年5月『臨済宗の陀羅尼』が木村俊彦先生と竹中智泰先生により東方出版より出版されました。

その時の後書きに、インドでの体験が書かれております。「五千年の歴史を持つインドの民衆の生活は、信仰が不可分離に融和している現実がある。厳格な身分制度、自然環境、貧困を信仰がすべての矛盾を吸収し納得させる役目を持ち、その故に彼らは自己に自身と誇りを持ち、社会機構を整然と維持している」と。

「日本人は怖いものを失ってしまっている」と。そして平成10年出版の『禅宗の陀羅尼』では、「怖いものを失っている日本人の方向はさらに進んでいる」と危惧いたします。

何事にも知解を求める現代の傾向の中で、陀羅尼は本来人知を超えた世界のことがらなのかもしれません。先生が言われる、「根底にある不易なもの」を見つけて大事にしたいものです。

2018.02.11 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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